カーテンの隙間から差し込む光が目を射している。
・・・まぶたが重い。とてつもなく鈍い。
しかし、思い出して急に目が冴える。
はっとして、布団をめくる。・・・いない。
隣のベッドにも、・・・いない。
時計を確認する。まだ7時だ。
のそりと身を起こして、頭をかきながら自分の部屋を出る。
何だったんだ・・・夢だったのか?
居間まで行くと、朝食がこたつ机の上に乗っている。
目玉焼き・・・味噌汁・・・ごはん・・・
ベランダのガラス戸がすっと開いて、
桜海学園の制服をの上にエプロンを着けた唯が入ってくる。
「あ、淳平おはよ・・・」
「あ、ああ、おはよう・・・」
ベランダから差し込む光が再び目を射す。目を凝らすとシーツが干されている・・・
「何突っ立ってんの?」
唯がトレイに自分の分の朝ごはんを乗せて俺の傍に立っている。
「ほら、冷めるよ・・・」
「あ、はい・・・」
腰を下ろす。
「もう起こしに行こうかなぁって思ってたところ・・・」
そう言いながら自分の前に朝食を並べ終えた唯が、
ぼーっとしていた俺の頬にキスをする。
「ほら・・・。じゃ、いただきまーす」
そう言って箸を指に挟んだ両手を合わせると食べ始めた。
あっけに取られながら、俺も手をつける。
「どお?おいしい?」
「あ、うん・・・。」
熱い味噌汁をすすると現実感がともなってくる。
ああ、そうか・・・そうだった。・・・そうだったんだ・・・・・・。
「ごちそーさまっ」
俺とほぼ同時に食べ終えた唯が食器をトレイに乗せて片付け始める。
「あ、俺も・・・」
何かを手伝おうと思って腰を上げると唯が軽く制止する。
「いいから。淳平は着替えてきて。
今日は早めに出ようよ。」
「あ、うん。」
すごすごと部屋に戻る。そこで一息をつく。
現実感がともなってきたことで、寝る前のことが自分の体験としてはっきりしてきていた。
寝間着を脱いで制服を取り出して日常の習慣に従って身に着ける。
そして洗面所へ足を向ける。まだ台所からは水を使う音が聞こえている。
歯ブラシを濡らしてチューブからペーストをしぼり出す。
鏡で自分の寝ぼけた顔を見る。我ながら情けない顔だ。
ふと横の風呂場に目を移す。・・・深夜のことははっきりと思い出せる。
しかし思い出すと顔が赤く染まりあがるほど動揺してしまう・・・
「ほら、何ボケてんの?」
ふと鏡に視線を戻すとエプロンを外した唯が俺の後ろから手を伸ばして、
自分の歯ブラシを取ろうとしている。ひょいっと渡してやる。
「ありがと」と呟いて渡された歯ブラシを濡らしてペーストをしぼり出している唯は、
全然平常心に見えるのに。ますますひとりで動揺している自分が情けなくなってくる。
手を止めているのを見つけた唯が俺の手を押す。
早く歯を磨けということらしい。
何となく唯の頭に手を乗せてから磨き始める。
別に嫌がる風でもなく唯は黙々と歯を磨いている。
頭に手を乗せ、また乗せられて歯を磨く二人。
奇妙な構図だった。
まぁ、それはそうだろう。
血も繋がっていない高校生の男女が二人して朝から歯を磨いているのは健全かもしれないが、
正常ではない。
と、どうでもいいことを考えているうちに唯が先に歯を磨き終わって洗面所を出ていった。
俺の背中を軽く二回叩いて。
鏡で、出ていく唯の背中を見ながら甘ったるいペーストを吐き出して口をすすぐ。
ついでに顔も洗う。
少しは見れる顔になったところで居間へ行くと、唯が座って緑茶をすすっていた。
そこで初めて気がついた。
「あの・・・唯、俺の親はどうしたんだ?」
「おばさんは何か春のバーゲンに並びに行くとかで。おじさんは早く朝ごはん食べさせられたみたい。」
「そ、そうか・・・。」
俺は親の消失にも気付かないほど動揺しているらしい。
緑茶を最後まですすりきった唯が立ち上がって俺に言う。
「ほら、淳平、カバンは?」
「あ、忘れてた・・・」
いかに自分がぼやけているか、ことごとく確認させられる。
「唯のも取ってきて。」
「はいはい・・・。」
何か使役されてるような気もしたが、朝飯を用意してくれたことを思い出して俺達の部屋へ向かう。
閉じたままのカーテンを開ける。
飛びこんできた陽の光が目をいっぱいに満たしていく。
青空・・・、広がっている雲・・・、何一つ変わらない静かな朝。
でも、俺達は・・・・・・
カバンを取りに来たことを思い出して唯のカバンと俺のカバンを両手に提げて部屋を出る。
「あ、ありがとー。」
カバンを渡すと唯が空いた方の手をつなごうとする。
ひょいっと手を引っ込めて離すと、腕を組もうとする。
「ダメだって」
恥ずかしくてそんなことやってられない。
「ケチー」
唯が口を尖らせる。
「いいから学校行こうぜ、ほら送ってやるから。」
かるく肩を抱く。
「わっ…」
唯が肩をすくめる。つかんだ手にブレザー越しの暖かさが伝わってくる。
そのまま玄関まで歩いていく。
唯が靴をはいている間はさすがに手は離している。
その間に鍵を手に持つ。
唯が靴を履き終わると俺も靴を履き始める。
狭い玄関で靴を履くことは簡単ではないのだ。
はき終わって立ちあがりざま、顔が唯の顔に近付く。
唯が俺の顔に軽く両手を当てて唇を触れ合わせる。
10秒くらいに感じたのだが、脳内時計がそれは1秒にも満たないことを示していた。
「ほら、これで手つないで歩かなくてもいいよ。」
唇を離した唯が微笑む。
「・・・うん。」
唯が後ろを向いてドアノブを回す。
ドアが開く。
光と空気が・・・・・・
唯が外に足を踏み出す。
俺も外に出る。
・・・朝。
瞳孔が光で縮み、顔の皮膚と肺の中を涼しい空気がなでていく。
「ん―っ…」
唯が伸びをする。
俺はドアを閉めて鍵をかける。
ポケットに鍵をしまいながら俺達は階段へ向かって歩き始める。
マンションの他の住人を見かけないことは幸運だった。
きっと俺は不必要に動揺しただろうから。
それにしても・・・唯はキス癖もあるのか・・・。すでに2回。
階段を唯と競うように駆け下りると、公道に出て誰もいない道を歩き始めた。
住宅街なので極めて静かだ・・・。
「ねぇ、唯の学校まで来るの?」
俺と並んで歩いている唯が口を開く。
「ああ。そのつもりだけど・・・」
「毎朝やるの?これ」
そう言えば考えていなかった。毎朝・・・か。
「三日坊主にならないといいんだけどな・・・」
唯が空を見上げながら言う。見くびられたもんだ。
けど・・・何か考えないとな・・・。
人のまばらな街を通り過ぎ、桜海学園を目指しながら歩いているうちに
俺は少しずつ昨日までの”日常”に補正がかけられて、”今日の日常”に変化しているのを、
まるで目が光になれていくように、或いは眼が遠くの物にピントを合わせるように
感覚としてはっきりと感じていた。
俺達は少しづつ話をしながら道をたどっていった。
桜海学園に近付いてきたときに唯が言った。
「ねぇ・・・淳平、ところでさ、進路とかって考えたことある?」
「進路って・・・大学とかか?」
「そう・・・
実はね、唯はお父さん達には大学に行けって言われてるんだ・・・。」
「そ、そうか・・・。」
考えたこともなかった。
俺は自分のことについて考えてみた。
映画を撮って食っていける?
そんなわけはない。
俺には情熱はあるが言うほどの技術がまだ備わっていないからだ・・・。
「あ、どうでもいい話してごめんね。忘れて。
大学なんて先の話だしね。」
唯が考え込んだ俺を見て言った。
桜海学園の門の前までやってきてしまう。
「じゃ、またね。迎えに来てって言いたいとこなんだけど・・・
淳平も部活あるでしょ?ちゃんと一人で帰るから・・・
その代わり。」
唯が俺に飛びついて唇に、唇の柔らかい感触を残す。髪の香りが、俺の頭の周りを舞う。
「ちょっ・・・」
「じゃーねっ!・・・」
手を振りながら校舎へ走っていく唯を呆然と見つめながら、俺は自分の唇に指を当てた。
唯が昇降口に駆け込んだあと、俺は慌てて周りを見まわした。幸いにして誰もいない。
ほっと胸をなでおろす。
俺は自分の学校への道を歩きながら考えた。
俺は・・・幼なじみの・・・妹みたいだった・・・唯の・・・
大事なものをもらっておいて・・・
これからも優柔不断のまま女の子達を傷付けていくのか?
そんなことはできない。もうそろそろ決着をつけるべきなのかもしれない。
色々なものに。
俺は前に目を据えたまま今度は自分の学校へ向かっていった。