水前寺の腹、弁当の昼休み
三週間かけて、なんとか「美味い」といえるレベルの弁当を作れるようになった。
しかし、その「計画」を実行するまでに、いや、心の準備を終えるまでには、半年
もの時間を費やした。
慎重になるのにはわけがあった。蒼星まどかは、「その特異体質」のせいで、暗黒
と言っても差し支えない幼年期を送ったのだから。
蒼星まどかは、『ごくたまに』人の心が読める。
先に言っておこう。電波ではない。断じて。
ただ、『ごくたまに』であるため、「ではここでやってみろ」と言われても再現
できないわけで、つまりは、暗黒の幼年期と『嘘こきマドカ』の誕生だ。
中学に上がると、環境が大きく変わった。“ガキの数よりブランコの数の方が多い”
ド田舎である園原にそう多くの中学があるはずもなく、他校の生徒と混じる事でまどか
の汚名も自然と薄れた。
何より、まどかより更に上手な人物がいたからである。
水前寺邦博その人だ。
太陽系電波新聞なる、誌名を聞いただけで気が遠くなりそうな新聞をゲリラ的に発行
していて、十五歳にして一七五の長身、運動神経抜群、成績優秀、ルックスも兼ね備
えていて、その素行さえなければ旭日会入りは確実だったと噂されている。
このくらい知っていて当然だ。
自分は彼に弁当を食べてもらうために、必死になって料理を覚えたのだから。
半年前の冬、昼休みに放送委員の仕事に向かったまどかは、とんでもない事件に遭遇
した。
あの水前寺邦博が、放送室をジャックして、ESPの、テレパシーの実験を行ったのだ。
凄すぎて、とんでもない騒ぎだった事ぐらいしか覚えていない。
しかし、とんでもない騒ぎであったにもかかわらず、まどかには水前寺の呟き声が聞
こえた。
呟き声だ。聞こえるはずは無い。だが、確かに聞こえたのだ。
『死して屍拾うもの無し、だな』と。
この頃のまどかは、自分の能力に疑いを抱いていた。まず、『声』を頻繁に聞いて
いたのは、幼稚園から小学校低学年にかけてだ。記憶も曖昧であるし、その頃のまど
かは、『自分はいつか空を飛べるようになる』とも信じていた。
信頼性が薄らぐ事おびただしい。
そんなこともあり、まどかは『あの呟き』が空耳であると納得しかけていた。
隣の部室、新聞部が不法占拠している部屋から、こんな会話が聞こえるまでは。
「部長。そういえばこのあいだ送信したものって、なんだったんです? 『最高機密
だ』とか言って、ぼくにも教えてくれなかったじゃないですか」
「浅羽特派員。過去のことは忘れたまえ。あの実験は失敗だったんだ」
「でも気になるじゃないですか。教えてくださいよ」
「ひひへふぃふぁわうぇ、ふぃをうをもあひ」(ごくん)
「死して屍、拾うもの無し。だ」
「いくらなんでも長すぎません?」
「パスワードは長いほうが安全性が高いのだよ、浅羽特派員。そこを読み取ってこそ、
真の――」
その後の言葉は、耳に入らなかった。
作戦を練った。
唐突に話し掛けるのはためらわれた。何しろ自分は『嘘こきマドカ』であるし、相手は
あの水前寺邦博だ。そして、この学校には自分の過去を知っている者も多く居る。
なので、まず水前寺について調べる事から始めた。
そして、靴のサイズから鼻歌の曲名まで知った頃には、水前寺を違う目で見るようになっ
ていた。
確かに、唯一自分の能力を受け入れてくれそうだから、という理由もあった。だが、
それは恐らく、恋、だったと思う。
それから、半年も掛かった。
自分は今、水前寺の隣で弁当をつついている。
言おうとしていた台詞も、聞こうとしていた内容も、ほとんど飛んでいた。
めちゃくちゃに舞い上がっていた。
そのせいでほとんど会話はなく、水前寺の食べる速度には何の容赦も無かった。
水前寺が最後の厚焼き卵を箸でつまんだ瞬間、一息に言った。
「あのっ、水前寺先輩って、ESPとかに詳しいんですよねっ?」
唐突過ぎたと、言った瞬間に後悔した。その証拠に、水前寺は眉を寄せている。
なんでも無いです。忘れてください。そう喉まで出掛かった。
出なかったのは、まどかの意志でもなんでもなく、水前寺が口を開いたからだ。
「蒼星君、だったかな・・・?」
「はい!」
「きみは何を言っているのだね?」
先ほどの混乱を砂粒だとすると、エアーズロックほどの混乱がまどかを襲った。
呆然とするまどかに、水前寺は更に言い募る。
「きみはESPなどというものが実在すると本気で信じているのかね?」
水前寺は哀れむような、気遣うような目でこちらを見て、言った。
「そのようなことを、あまりひとに言うものじゃない。わかったかね?」
水前寺は弁当箱をまどかに返し、うまかったとだけ言って去った。
まどかの混乱は、まだ続いていた。
どうやって教室に戻ったのか、よく覚えていない。
気がついたら英語の授業で、まどかは数学の教科書を開いていた。
放課後、下校途中に、馬鹿みたいに広い夕焼け空が目に入った。
どこからか、ひどく慈愛に満ちた声が聞こえた。
『強く生きてほしい』と。
そうしようと思った。
完