イリヤの空、UFOの夏

『大宇宙のロマンス:アブダクト編』 

「浅羽特派員、アブダクトはロマンだと思わんかね?」  
水前寺の発言はいつも唐突だ。  

「?」  
浅羽の反応は、どこかワンテンポ遅れる。  

「やはり地球人として生まれたからには一度くらいアブダクトされて、  
 体内に得体の知れないものをインプラントされてみたくはないかね?」  

「また……捕まったんですか?」  

「何を言っておる?」  

「ですから……また警察に“アブダクト”されそうになって、  
 証拠物件をケツの穴に“インプラント”した……んでしょ?」  

フィルムだろうがメモリースティックだろうが、得体は判明していても  
ケツの穴に入れるものじゃないという点では同じだろう。  

「日本の官憲ごときに用はない!  
 だいたい連中は、こっちがわざわざ身分を明らかにしてやったのに、  
 お返しにミランダ警告の一つも唱えられん礼儀知らずなんだぞ?!」  

 

それは礼儀の問題なんだろうか?  
知られてないだけで、例えば警察からの手紙には  
拝啓から始まって、貴殿には弁護士を呼ぶ権利がある……と  
時候の挨拶の代りにミランダ警告が続くことになっているんだろうか?  
もしかしたら、全部“前略”になっているだけで、  
本当は書くことになっているんだろうか?  

そんなことはないと思いたい。  

「少年法とか何とか、色々あるじゃないですか?  
 いくら現行犯でも、いきなり裁判沙汰にはしないでしょう?」  

「あぁ、何てことだ、浅羽特派員!  
 ジャーナリストの末席に身を連ねる者として、  
 そんな教条主義に捕らわれてしまってどうする?  
 相手が未成年だったとしても、だ。  
 『お前には保護者を呼ぶ権利がある。  
  もし家庭の事情で親を呼べないなら、国選保護者として学校の担任を呼んでもよい。  
  お前の言動は内申書で不利に用いられる可能性がある』  
 ものには言い様があるだろう?」  

ルールは破られるためにある――そう豪語するほど、水前寺は無頼の徒ではなかった。  
が、すべからく規則というものを、拡大解釈せねばならないようだった。  

浅羽は知っている。  
水前寺が大量に所持している携帯電話の中には、  
登記名が『水前寺 楽』だの『水前寺 焔』だのといった猫の名前が含まれていることを。  

そのことを問い質した時も  
「漢字だから良いではないか」  
の一言だった。  

 

アキレスが亀に追いつけないように、  
科学がオカルトを論破できないように、  
水前寺の行動理由を探ったところで、理不尽は決してなくならない。  

浅羽はため息をついて『良かった探し表』に近づくと、  
自分の名前の横の欄を『執筆』から『帰宅』に書き換えた。  

この部員の状況欄を活用しているのは浅羽と晶穂だけである。  
水前寺はずっと『活動中』で変わらないし、  
伊里野のはちゃんと変化するけども、何故か日本語ではなくて、  
浅羽には解らないアルファベットが3文字ならんでいた。  
今は『ACR』となっている。  

「じゃあ、今日はこれで帰りますから」  

浅羽は部室を後にする。  
返事は短く「おう」だった。  

浅羽が出ていった後、しばらく水前寺は動かなかった。  
その目は『良かった探し表』に向けられていた。  

上から順番に、水前寺・浅羽・晶穂・伊里野と並んでいる。  
5番目は空欄のままだ。  
その空欄に水前寺の視線は注がれていた。  

 

おもむろに水前寺の口が開かれる。  
「アブダクトはいいぞー」  
そう呟くと立ち上がり、『良かった探し表』の方へ――  
正しくは隣にあるロッカーへと歩み寄っていった。  

このロッカーは一応、園原電波新聞部の共有財産ということになってはいたが、  
部室に持ち込んだのは水前寺で、中に収められているものも水前寺の私物だけだった。  
デザインはどこか古めかしく、フレームもガタガタで、  
所々塗料が剥げて錆びが浮かんでいる。  
が、観音開きの扉にはシリンダー錠にダイヤル錠と、  
クラブ活動の備品としてはやけに厳重なものがついている。  

水前寺はポケットから鍵を取り出すとシリンダー錠を回し  
ダイヤル錠を『0・6・2・4』と合わせた。  

観音扉が年季を感じさせる重たい音を立てて開かれた。  

中には浅羽 夕子がいた。  
顔を真っ赤にしているのは、猿轡を噛まされているからだけではないだろう。  

 

お嫁にいけないくらいの不覚ではなかった。  
夕子は思う。  
きっと死んでも、自分も魂は100年の間この地上をさまよって  
どうやっても天国には行けずに金星あたりに飛ばされてしまうのだろう。  

外に出されて見てみると、自分が閉じ込められていたロッカーは随分と古びて見える。  
しかし中にいたときは、きっと特別性の何かに入れれているとしか思えなかった。  
物音や声といったものは全く聞こえてこず、  
外から伝わってきたのは、人が歩いたり扉が開け閉めされた時の振動だけだった。  
音も光も与えられぬ無音の闇の中で尻に振動が伝わる度に、  
これから自分の身に降りかかるであろう運命に思いを馳せた。  

しかし、夕子は泣かなかった。  
一粒も涙を零さなかった。  
なぜなら、泣いたら負けだからであった。  
そう教わったからであった。  

そう教えたのは、自分をそこに閉じこめた男だった。  

 

猿轡を外されて、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込むと、夕子は一息にまくし立てた。  

「どういうつもりよ!  
 あんた! 自分が何してるか、ちゃんと解ってんの?! あんな所に閉じ込めて!  
 公正なジャーナリストとか言っといて、やってることは犯罪じゃない!!  
 拉致・監禁なんてして、許されると思ってんの?!」  

その夕子の主張は、水前寺に鼻で笑われた。  

「拉致・監禁などではないよ、地球人夕子君。  
 これはアブダクトだ。もしくはアブダクションでも良し」  

とうとうヤキが回った。  
そう夕子は思った。  
普通名詞を使わずに怪しげな専門用語を使いたがるなんて、  
末期症状もいいところではないか。  

「何よ、それ! そんな言葉知らないわよ!!  
 それに何? 地球人夕子って。  
 じゃあ、あんたは何様? レティクル座星人? それとも宗教? 尊師?」  

「何とでも言いたまえ、地球人夕子君。  
 第一段階は終了した。  
 これから君には、第二段階――インプラントに移ってもらう」  

全くペースを変えない水前寺の態度に、夕子の思考は煮え繰り返る。  

 

絶対しゅーきょーだ。そうに違いない。  
水前寺は幽霊を求めて枯れススキを見ているうちに、  
何か別のものを見てしまったのだろう。  
それならそれで、フロリダでエビでも獲っていればいいのに、  
何か変な使命に目覚めてしまったに違いない。  
こいつが誰かの教義に従うはずないから、自分で考案したのだろう。  
きっとあの不肖の兄に、何とかアキホ、それに伊里野加奈はすっかり染められていて、  
取材と称した非合法活動に走り回っているのだろう。  
そしてその間この男は、ロッカーの中に閉じこもって、  
メロンを食いながらファミコンをしているのだ。  

いやちょっと待て。  
考えてみれば、水前寺にその手下3人、それに夕子自身を加えれば5人になる。  
『ゆーゆー特派員』は諦めたみたいだったが、  
地球の平和を守る超能力戦士の一員にされてしまったのかもしれない。  
女性の方が多いのは時代の要求のせいだろうか?  
もしかしたら、あの兄は年度の変わり目あたりで降板させられて、  
女が4人になるのかもしれない。  

「電波レンジャーなんて作っても無駄なんだから!  
 あんたなんか来年には卒業でしょ!!  
 番組改変期のテコ入れで降板させられちゃうんだから!!!」  

水前寺は口を開かない。  
答える代りに、鈍く輝く剃刀を取り出した。  

 

床屋の娘である夕子には解った。  
水前寺が握っているのは、どこにでもあるようなフェザー剃刀ではなくて、  
ゾーリンゲンの一品であることを。  

あれで何をするつもりなのかと尋ねるのは愚問だろうか?  
剃刀は毛を剃るに決まっている。  
しかしアレを握って笑みを浮かべている水前寺の顔を見ると、  
何か別のもの改造される気がしてならない。  

水前寺が足を一歩、踏み出した。  
夕子は遠ざかろうとする。  
しかし、それは無駄な試みだった。  

ロッカーの中に閉じ込められる前から、  
そして外に出された今でも、夕子の手足は縛られている。  
手と足で別々に縛られていたのなら跳ねて逃げることもできたかもしれないが、  
右側と左側の手首と足首で縛られていたのでは、そうすることもできない。  
夕子は三角座りをするような格好で、机の上にあお向けで背中をついているのだった。  

胸の上あたりで固く閉じた両膝に、水前寺の手が添えられた。  
ごろんと横に倒される。  
夕子は固唾を飲んで見つづけるしかない。  

 

水前寺に自分の足と机の脚を紐で結び付けられて、ようやく合点がいった。  
口から悲鳴が上がりそうになった。  
何とか喉の奥に押し込めた。  

片足分の作業を終えた水前寺の手が、もう一方の方にかかる。  
それ以上は見ていられなかった。  
目を閉じていても、自分の膝が大きく割り広げられるのを感じた。  
しっかりと動かないように結び付けられるのが解った。  

恐る恐るまぶたを開く。  
M字に開脚された足と真っ白なパンツが、夕子の目に焼きついた。  

水前寺の手にはゾーリンゲンの剃刀と、  
いつのまにか取り出された剃毛用ムースが握られている。  

自分の状態を理解して、夕子の体が熱くなった。  

今、履いているパンツは、幼稚園児が履くようなプリントが入った代物ではないけれど  
かといって大人が身につけるような凝ったデザインのものでもない。  
デカデカと『グンゼ』とでも書いてあるような、全く飾り気のないものだった。  

それに今日は体育の授業があった。  
ひとしきり運動をして汗を掻いたけども、どうせ部活があるからと  
そのままにして換えていない。  

せいぜい同性にしか見せないパンツを、水前寺の目の前に晒してしまっている。  

夕子の口から絶叫が迸った。  

 

「バカ――――――――――――――――――――ッッッッ!!!!」  

悲鳴は負けだ。  
負けてやるつもりなど毛頭ない。  
どんな言葉であれ、大声で叫んでやれば誰かが身に来るだろう。  
どんなつもりか知らないけども、猿轡を外された時点で自分の勝ちだ。  
せいぜい泡を食ってみろ。  

しかし、水前寺は小揺るぎもしなかった。  

「ここをどこだと思っておるのかね、地球人夕子君?  
 太陽系にあまねく電波の送受信地『園原電波新聞部』だぞ?  
 悲鳴に絶叫、怒号に歓声、全て日常茶飯事。  
 今さら何を叫んでみたところで、誰の関心も引くことはできん」  

あっけにとられる夕子に構わず水前寺は言葉を続ける。  

「気が済んだのなら続けさせてもらおう。  
 邪魔なものは全て取り払わなくてはならんのでな」  

水前寺の顔が迫ってくる。  
水前寺の手が近づいてくる。  
パンツ一枚に隠された夕子の股間に向かって。  

それを押し止める術はなかった。  
ひたすら睨みつけるしかなかった。  
目を閉じることはできない。  
まぶたを閉じた拍子に涙が零れてしまうかもしれない。  

 

ちょうど右の腰骨の辺りに剃刀の刃が触れた。  
羞恥と緊張で熱く火照った体にはヤケに冷たく感じられる。  
ブツっという音を立てて、パンツのゴムが布地が切断された。  
同様にして左側も切り離される。  

まるで赤ん坊のおしめを換えるように、布切れと化したパンツが取り払われる。  
夕子の目とそして水前寺の目に、兄にも見せたことのない毛が晒された。  

頬が火をつけたかのように熱くなるのが解った。  
腹立たしいことに、水前寺には何の変化も見られない。  
淡々と作業をこなすように、剃毛ムースを股間に浴びせてきた。  
その冷たさを堪えることだけが、今の夕子にできることだった。  

夕子の股間に剃刀が当てられる。  
耳にジョリジョリと毛を剃る音が響いてくる。  
もう子供ではない証が奪われていく。  

 

理性は言うのだ、全てを毛のせいにするのは理不尽である、と。  
しかし夕子は思うのだ。  
毛がはえてこなければ、兄と別々に風呂に入ることはなかった。  
別々に遊ぶこともなかった。  
別々に出歩くこともなかった。  
兄はずっと夕子のもので、目の前の男の金魚のフンになることもなかったはずだ。  

兄と離れる切っ掛けとなったその毛を、  
兄を奪い取った男が剃っている。  
代りに兄を返してくれるというのだろうか?  
それとも何もかも奪い獲っていくつもりなのだろうか?  

作業を終えた水前寺が立ち上がった。  
中学生離れした図体が、遥かな高みから見下ろしている。  
その目が笑っている。  
高らかに語っている。  

『オマエのものはオレのもの。オレのものもオレのもの』  

 

これは搾取だ。  
大国の横暴だ。  
いつだってデカいヤツは、小さいものを不毛の地へと追いやるのだ。  

絶望に氷つきそうだった夕子の心に、熱い怒りが湧きあがってきた。  

これ見よがしに伊達眼鏡なんてかけたデメキン野郎。  
誇らしげに引きずっていたウンコを、あの伊里野 加奈に取られたものだから  
ケツが寂しくなったのか?  

だから目の前でズボンとパンツを脱がれても驚かなかった。  
水前寺が自分自身の後ろに手を回し、何かモゾモゾやっているのを見ても、  
やっぱりケツがスースーするのだろうとしか思わなかった。  

平静でいられたのはそこまでだった。  

水前寺のケツの穴から、何かが引きずり出された。  
それはヌメヌメとテカっていた。  
それは小さな丸いものが数珠繋ぎになっていた。  
それはウネウネと独りでに動いていた。  

夕子は知らない。  
アナル・バイブなんて。  
 

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