「……だ、だーれだ?」
突然、目の前が遮られ、同時に聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。
ミントの香りをほのかに含んだ吐息が耳をくすぐる。
「やめろよ、耳弱いんだから――簪」
「……あっさり当てられちゃった。ちょっと、ショック」
初めて会った頃から考えると想像もつかない、拗ねた口調がなんとも言えずに可愛い。
視界を覆っている手をそっと外すと、俺は座っていた椅子ごと後ろを振り向き――そし
て絶句した。
そこには簪がいた。無論、それ自体はビックリすることではない。しかし簪は何故か逆
さになって、天井から細めのロープでぶら下がっていた。しかも制服姿だ。――ちなみに
スカートはめくれていない。いくらカスタマイズ可能とはいえ、どういう素材を使ってい
るのだろう、とても気になる。
ただただ唖然とするばかりの俺を見て、簪が小首を傾げた。
「あの……どうか、した?」
「あ、いや……どうしたの、そんな格好で」
喉から出そうになった『怪奇・クモ女!』という言葉をグッと飲み込み、俺は極め付き
当たり前の問いを投げた。簪がはにかんだように笑った。
「うん。……ちょっと、トレーニング」
「トレーニング?」
簪は小さくコクリと頷いた。
俺は改めて簪の姿を見、簪を吊るしているロープを見た。部屋の天井ボードが1枚、い
い具合に外され、そこからロープが垂れている。多分、天井裏のスペースのどこかにロー
プを結んでいるんだろうけど、少なくともそれに伴い発生するであろう物音を、俺は聞い
ていない。まして天井ボードは部屋内からでないと、外したり取り付けたりといったこと
は出来ないはずなのだが……。
「もう……細かいことは気にしないで……んっ」
軽い口調で咎める簪の様子がおかしい。先程から逆さ吊りになっているせいだろう。顔
が赤くなっている。なんだか、足をしきりにモジモジさせている。
「……んっ……んんっ!」
一瞬身体を硬直させると、やがて簪はロープを放した。逆さ吊りの状態なのだから、頭
から床に落ちることになる。
「危ないッ!」
俺はとっさに簪を抱き留めた。簪は放心状態で息も絶え絶えといった感じだ。
「大丈夫か?」
「ん……本日のトレーニング、終了……」
幸せそうにクテッとなる簪の表情には見覚えがある。
俺の目の前で揺れるロープの端に、微かに振動するピンク色の物体が、ネットリとした
光沢を放ちながらぶら下がっていた。【終】
簪さん、なんのトレーニングをしていたんですか!?