パキッ  
 パキッ  
 パキッ  
 IS学園学生寮の一室に、乾いた音が響き渡る。  
 一時たりとも途絶えることなく、ひたすらに、ひたすらに。  
 やがて――。  
「あ〜〜〜〜っ、もう!」  
 うら若き女性の叫び声とともに、大量の木片が部屋の中を舞った。木片の正体は割り箸  
で、いずれもいびつな割れ方をしている。  
「……お嬢様。もうそれくらいになさったほうがよろしいのでは?」  
 床に散らばった割り箸をゴミ袋に拾い集めながら、メイドが部屋の主――割り箸を上手  
く割れないことにキレたうら若き女性――に意見した。  
「いくらお嬢様が所有する山林の間伐材を使用しているとはいえ、割り箸作りはタダでは  
ないのですよ? 少しは懐事情というものをお考えください」  
「……分かっていますわ、それくらい」  
 メイド――チェルシー・ブランケットの諫言に、『お嬢様』ことセシリア・オルコット  
はブツブツ言いながら手の中の割り箸(まだ割っていない)に眼を落とした。  
 
 セシリアが割り箸を割る練習をしているのには、深刻な(あくまでセシリアにとって、  
だが)事情がある。  
 IS学園に入学して数ヶ月。クラスメイトである織斑一夏や篠ノ之箒、シャルロット・  
デュノアやラウラ・ボーデヴィッヒ、2組の凰鈴音らとともに昼食を摂る機会が増えた。  
 その際、セシリアは(なんでわたくしだけ――!?)と痛切に感じてしまうのである。  
 セシリアはとにかく割り箸を上手く割れない。とにかく箸を綺麗に持てない。  
 日本人の一夏や箒、日本育ちの中国人の鈴はともかく、フランス人のシャルロットやド  
イツ人のラウラと比しても、自身の箸の扱いは見劣りしてしまう。  
 前に一度『どうして割り箸を上手に割れるのか、どうして箸を綺麗に持てるのか』と尋  
ねたところ、ラウラは無い胸をそびやかして言った。  
「私は嫁に恥ずかしい思いをさせないよう努力しただけだ」  
 勝ち誇ったかのようなラウラの態度が神経を逆撫でする。コメカミに軽く怒筋を浮かべ  
ながらセシリアは口を開いた。  
「……誰があなたの嫁なのかはあえて問いませんが、まるでわたくしが一夏さんに恥ずか  
しい思いをさせているような口ぶりですわね」  
「フッ。箸をまともに扱えないクセに和食を頼み、それを口実に誰かの手助けを得ること  
に対して、まるで恥ずかしさを感じていないような口ぶりだな」  
「なんですってええええぇぇぇぇっ!?」  
 ――その後シャルロットの仲裁も虚しく、日本のIS学園にてバトル・オブ・ブリテン  
(ノルマンディー上陸作戦という噂もある)が始まったのだが、本筋から逸脱するのでそ  
の結果については割愛する。  
 ともあれそんな次第で、セシリアは是が非でもラウラを見返したかった。だからまずは  
割り箸を上手に割ることから着手したのであるが……。  
 
「何がお嬢様をそこまで駆り立てるのかは存じませんが、ここは織斑様にご協力いただい  
たほうがよろしいのではありませんか?」  
 チェルシーの冷静かつ的確なリコメンドを聞き、セシリアの顔は一瞬にして真っ赤に染  
まった。圧力鍋に例えると蒸気の吹き出し口が勢い良く吹いている状態であり、ゴム風船  
に例えると今にも破裂しそうなくらいパンパンに膨れ上がった状態だろう。  
「そ、そのようなことを一夏さんに頼むだなんて! で、でも『セシリア、ここをこう持  
って』などと手を取って教えていただけるなら、これに勝る喜びはありませんわ。そして  
そして、手と手が触れ合ううちに指と指とを絡ませて、いつしか一夏さんの舌とわたくし  
の舌とが絡み合って……きゃーっ! い、一夏さんそんないけませんわ! チェルシーが  
見てますのよ……ああん♪」  
 ――などと身悶えしながら、ショッキングピンクで彩られた妄想を披露し続けることた  
っぷり200秒。我に返ったセシリアは、日本で最も売れているカップ入り即席めんの蓋  
を取ろうとしているチェルシーに、ひとつ咳払いをしてから声をかけた。  
「……チェルシー」  
「はい」  
「その……一夏さんをお呼びして」  
「かしこまりました」  
 バツが悪そうに自慢の縦ロールの髪をいじるセシリアを見ながら、チェルシーは穏やか  
に微笑んだ。  
 
 
 ――そして30分後。  
 
「割り箸の上手な割り方と箸の綺麗な持ち方、ねぇ……」  
 一夏はため息混じりで天井を仰いだ。テーブルを挟んでジッと見つめてくる、セシリア  
の思い詰めた眼差しがチクチクと胸の辺りに刺さるのを感じた。  
 実のところ、セシリアの箸の使い方については一夏も思うところがある。  
 けれど(こういう言い方は語弊があるが)しょせんは外人さんだし、別にいいんじゃな  
いの? というのが偽らざる本音だ。日本人の全てが上手に割り箸を割れるわけではない  
し、箸を綺麗に持てるわけでもない。  
 だから、セシリアからの申し出には正直困ってしまう。  
「普段使っているものだし、そんなの改めて聞かれてもなぁ……」  
「わ、わたくしがラウラさんに負けても良いと仰っしゃるのですかっ!?」  
 呟きに似た一夏の言葉に、セシリアが席を立って気色ばむ。勢い余って椅子が盛大な音  
を立てて床に倒れた。  
「勝つとか負けるとかそんな大げさな……ぐうっ!?」  
「四の五の言わず、今すぐ、さっさと、キビキビと、迅速かつ可及的速やかに教えなさい  
織斑一夏! さもないと……」  
 とりなす一夏の胸ぐらを掴み、必死の形相で激しく揺さぶりながら、セシリアが恫喝以  
外の何ものでもない言葉で協力を促す。その碧い瞳は血走り気味で、ともすれば紫色に変  
色しているようにも見える。  
 首が壊れるのが先か脳が崩れるのが先かという肉体的危機的状況の中で、一夏はセシリ  
アの耳に輝くイヤリング――待機状態の《ブルー・ティアーズ》が不穏な光を放つのを見  
た。いや、見てしまった。  
「わ、分かった! 協力するから! だから手を離してくれ!」  
「あ、ありがとうございますっ!」  
 一夏の言葉を聞き、セシリアの瞳の色が一瞬にして紫から碧に戻った。表情も穏やかに  
なり、同時に腕の動きが止まった。しかし、タイミングが悪すぎた。  
「――え?」  
「あ――」  
 勢い良く後ろに揺らしたところで、セシリアは一夏の胸ぐらから手を離してしまったの  
である。一夏とセシリアの口から間の抜けた声がこぼれた。  
 半瞬後、床から鈍い音が生まれ、それとほとんど同時に、一夏の絶叫とセシリアの悲鳴  
が怪しいユニゾンを奏でたのは言うまでもない。  
 
 チェルシーが紙絆創膏で一夏の後頭部に保冷剤(ケーキやアイスを持ち帰る際に付いて  
くるアレ)を貼り付け終えると、セシリアは一夏に割り箸を渡した。  
「一応言っておくけど、俺だって決して割り箸を上手く割れるわけじゃないぞ?」  
 ぼやきにも似た一夏の言葉を聞き、セシリアは眼を丸くした。  
「そうなんですか? わたくしが見る限りでは、篠ノ之さんも一夏さんも上手に割り箸を  
割ってらっしゃるから、日本人として当然の嗜みだとばかり……」  
「それ、立派に偏見だぞ」  
 一夏は苦笑しながら答えると、おもむろに割り箸を割った。乾いた音と同時に割り箸は  
中心線で綺麗に割れた。それを見てセシリアが感嘆の声を上げた。  
「やっぱり凄いです! どうすればそんな綺麗に割れるのですか?」  
「……考えるな、感じろ」  
 割り箸を割るのに理屈など要らない。セシリアの問いかけに対し、今は亡きカリスマア  
クションスターを彷彿とさせる言葉で答えると、一夏は再び割り箸を手にした。縦に構え  
た。セシリアも一夏に倣って割り箸を縦に構えた。割ろうとして、ふと気付いた。胸の内  
に生じた疑問を一夏にぶつけてみた。  
「あの……一夏さん。割り箸は横にして割ったほうがよろしいのでは?」  
 一夏が眼をパチクリさせた。割り箸を縦にしたり横にしたりしながら、割るような素振  
りをすること暫し。やがて「おお」と言って、一夏は手をポンと打ち合わせた。  
「なるほど」  
 諺に『負うた子に浅瀬を教えられ』とあるが、一夏の心境はまさにそれだった。  
 割り箸を縦にして割ると、手が自分の横にいる人に当たるかも知れない。それに対して  
割り箸を横にして割れば、他人様に迷惑をかけずに済む。実際、礼儀作法の教室では『割  
り箸は横にして割るように』と教えていたりする。  
 ――ちなみに、『負うた子に〜』を聞いたときのシャルロットの反応。  
「この諺の意味は、教えられるまま浅瀬に行ったら大蛸の餌食になるから、知らない人の  
言葉を鵜呑みにしちゃ駄目――って意味だよね? た、蛸!? うわわわわっ!! ぼ、僕、  
蛸嫌いなんだよ〜〜〜〜っ!」  
 
 
 閑話休題。  
 セシリアは割り箸を持つ一夏に注視していた。正しくは『一夏の指の位置に』である。  
(端から……およそ3センチですわね)  
 一夏の一挙一動をそっくり真似することが、割り箸を上手く綺麗に割る近道であるとセ  
シリアは考えていた。本音を言えば精確に(それこそミクロン単位で)指の位置を割り出  
したいところだが、そのためだけにISのハイパーセンサーを使用するのは大げさ過ぎる。  
 ちなみに一夏は指の位置に頓着していない。普段どおりごく自然に持っただけである。  
「あの……俺の手が何か?」  
 戸惑い気味の一夏に、セシリアは慌てて笑顔を返した。  
「ご、ごめんなさい! さあさあ、どうぞお割りになってくださいまし」  
「? うん、まぁ……」  
 釈然としない様子で、しかし一夏は割り箸を割った。今度も綺麗に割れた。  
 セシリアは今度は歓声を上げなかった。冷静に一夏の指の位置を見ていた。つい先ほど  
見たときと異なり、端から4〜5センチの位置だった。もちろん一夏としては、指の位置  
の差異にさしたる意味や思慮などない。たまたまその位置だっただけのことだ。しかし、  
セシリアはそんな背景――『深い事情などない』という事情――は知るよしもない。1セ  
ンチの差が何を意味するのか気になったが、一夏に倣って端から4センチのところで割り  
箸を手にし、目を閉じるとひとつ深呼吸をした。  
「なんか、すげー真剣だな」  
「……ラウラさんには負けたくありませんから」  
 微かに笑いを含んだ一夏の声に応じ、セシリアは目を開けた。最後にもう1回深呼吸。  
「い、いきます!」  
「おう」  
 一夏が小さく頷いた。チェルシーがその横に立ち、自身の胸――心臓のあたりを、小さ  
く2度叩いてみせた。相手の勇気を鼓舞する仕草だ。  
 セシリアはやや緊張した面持ちで手指に力を込め、横に持った割り箸を上下に開いた。  
 ――パキッ!  
 乾いた小さな音が響き、やや遅れてセシリアが歓声を上げた。  
「や、やりましたわ! 割り箸を、割り箸を初めて綺麗に割れましたわ!!」  
「おめでとうございます、お嬢様」  
 チェルシーがホッとしたように微笑んだのは、これ以上割り箸を無駄に作ったり割った  
りする必要がなくなったことを喜んででは、決してない……はずだ。  
 ひとつ課題をクリアしたことで、セシリアの心の中にほんの少し余裕が生まれた。  
「さて、次は箸の持ち方ですわね」  
「あ、それなら――ちょっとごめん」  
 一夏はセシリアの後ろに歩み寄り、その手を取った。  
 
「あっ……あ、あの、一夏……さん?」  
 密かに望んでいたこと――チェルシーには先刻バレバレだったりするが――とはいえ、  
いざそういう状況になってみると動揺を禁じえない。  
 赤面しながら身を固くするセシリアの前で、チェルシーがにんまりと笑っていた。  
「チェ、チェ、チェルシー! な、何を見ているのですか!?」  
「申し訳ございません、お嬢様。お邪魔みたいですし、私は暫く席を外させていただきま  
す――どうぞごゆっくり♪」  
「チェルシー!」  
 セシリアが顔中口にして声を張り上げるが、チェルシーは全く意に介さない。一夏とセ  
シリアに深々と一礼した。ついでにイタズラっぽくウィンクをすると、小走りで部屋を辞  
してしまった。  
 扉が閉まる音の向こうで、チェルシーの足音が遠ざかっていく。セシリアはふうっと溜  
息をつくと、一夏の手を振り解いた。  
「い、いきなり……何を、するのですか? その、チェルシーが……勘違いしたでは、あ  
りませんか……」  
 完熟トマトも真っ青になるんじゃないかと思えるほど、セシリアは顔を真っ赤にしなが  
ら一夏を見た。言葉も最後のほうは口ごもり気味である。一方、一夏は一夏で不満という  
か異議があるようで「チェルシーさん、余計な気を回しすぎだよ」と、およそ朴念仁らし  
からぬ指摘を口にした。  
「俺は箸の持ち方を教えようとしただけなのに……」  
 ブツブツ呟きながら、筆記具を持つのと同じ手つきで割り箸の片割れを持つと、一夏は  
それをセシリアに見せた。  
「まずはこう持ってくれ。出来る限り上のほうを持つんだ」  
「……わたくしはペンの持ち方を教わっているのではありませんわよ?」  
 不服そうな物言いではあるが、セシリアは一夏の言葉に従う。  
「そうしたら、今度は――」  
 言いざま、一夏は割り箸のもう一方の片割れを、セシリアの親指と人差し指の間に出来  
た隙間から薬指の先端に沿わせるよう滑り込ませた。セシリアの白く滑らかな肌を傷つけ  
ないように気をつけながら。表面処理しているとはいえ、割り箸の素材は木である。  
「ほら。これにて任務完了」  
「まぁ……」  
 セシリアが小さく驚きの声を上げた。  
 ああでもない、こうでもないと、四苦八苦していたのが嘘みたいな簡単さだが、実はこ  
れ、子供に箸の持ち方を教える際に用いられる方法だったりする。  
(子供扱いされたと知ったら、セシリア怒るだろうなぁ)  
 一夏は心の中で詫びを入れるのだった。  
 ちなみに一夏も幼少の頃、千冬からこのように箸の持ち方を叩き込まれた過去がある。  
「あとは上の箸――人差し指と中指だけを上下に動かしてくれ」  
「えっと……こうですか?」  
「そうそう。なかなか上手いじゃん」  
「ありがとうございます。これでラウラさんから馬鹿にされずにすみます」  
 一夏の褒め言葉を聞き、セシリアは嬉しそうに笑った。  
 実のところ、セシリアの指の動きはまだまだぎこちないが、こればかりは慣れだ。そう  
思った一夏は駄目出しの言葉を封印したのである。  
 
 ――そうしてどれくらい箸を動かしていただろう。  
「一夏さん、わたくし是非食べたいものがあるのですが……」  
 指の動きがいくらか滑らかになったかな、と一夏が思い始めた頃、セシリアが唐突に切  
り出した。その瞳には妖しい光が宿っていたのだが、一夏は本質的に朴念仁で筋金入りの  
ニブチンである。セシリアの様子には全く気づいていない。突然の申し出も(ああ、箸が  
使えるようになって嬉しいから実際に使ってみたいんだな)程度の認識しかしていなかっ  
た。  
 だから。  
「いいよ、食べれば? ていうか何か作ろうか?」  
 と、至って普通の答えを返す。  
「いえいえ。そんな大層なことをしていただかなくともよろしいですわ。ただ、ちょっと  
口を開けていただくだけで結構です」  
 一夏の提案に対するセシリアの要望は珍妙極まりないものだった。一夏は頭上に2つ3  
つクエスチョンマークを浮かべながら、それに応えた。  
「ほあ、ほえへいいは?」  
「もう少し大きく開けていただけますか? ……お箸を入れにくいですわ」  
 セシリアが最後に発した言葉は一夏の耳には届かなかった。十八番の突発性難聴を発症  
したわけではなく、声が本当に小さかったからだ。そこにいかなる深慮遠謀が潜んでいる  
かを全く考慮することなく、一夏は、のど○んこ(注・何となく伏せ字にしてみました)  
が見えるくらい大きく口を開けた。  
 その瞬間、セシリアが笑顔になった。それはイタズラが成功したときの子供の笑みに似  
ていて、ある種の邪気が込められていた。  
「うぉあっ!?」  
 セシリアの箸が一夏の舌を捕らえた。一夏は慌てて舌を引っ込めようとしたが、セシリ  
アは箸に力を込めそれを許さない。一夏の舌を引き出すと――。  
「いただきます♪」  
 大きく開かれた一夏の口を自らの口で塞ぎ、一夏の舌に自らの舌を絡める。セシリアの  
手から離れた箸が、微かな音を立てて床に落ちた。重なった口元から水音が零れ、唾液が  
唇の僅かな隙間から流れ落ちていく。  
「んっ……ちゅっ、ちゅぱっ……はむっ、ちゅうっ……ぷはぁ」  
 セシリアが口を離した。唾液でぬらつき光沢を湛える唇のまま、一夏に尋ねた。  
「いかがでしたか? わたくしの箸の使い方は」  
「……合格。お返しにセシリアのお豆をつまみたいな」  
「もう……お箸じゃ、だめですからね?」  
 そしてセシリアと一夏は再び唇を重ねた。  
【終】  
 
 
 

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