「織斑く〜ん、山田先生が呼んでる――きゃあっ!」  
 俺が振り向くのと、女の子――クラスメイトの鷹月さん――が悲鳴を上げるのとは、殆  
ど同時だった。  
 厳密に言えば俺の振り返るほうが若干早かったかも知れない。  
 冬の風は時としてささやかな……いや、大それたイタズラをする。俺の目の前で、鷹月  
さんのスカートが風に煽られ盛大にめくれ上がった。下腹部を覆うレース付きの白い布地  
がハッキリと見えた。たいそう慌てた様子で、鷹月さんはスカートの裾を押さえると、そ  
のままの姿勢で俺を見た。完熟トマトも平謝りするんじゃないかと思ってしまうほど真っ  
赤な顔をしている。両目にうっすら涙を浮かべてさえいる。  
 じっと俺を見据える鷹月さん。眼を逸らせない俺。  
 無言のままどれくらいそうしていただろう。鷹月さんが蚊の鳴くような声を出した。  
「……見た?」  
 タイミング的に、俺が下着を見てしまったことくらい鷹月さんも分かっているはずで、  
念のための確認というやつだろう。今更「神様仏様に誓って見てないです!」なんて言え  
るわけがない。さりとて素直(馬鹿正直とも)に「見ました!」などと答えられるわけも  
ない。まして「不可抗力だ、俺は悪くないぞ!」などと正当化出来ることでもない。  
「ごめんっ!」  
 だから俺は勢い良く深々と頭を下げた。許してもらうまで頭を上げるつもりはこれっぽ  
っちもない。夕日に照らされ長く伸びた鷹月さんの影が揺れているのが、視界の隅で見え  
た。どんな顔をして俺を見ているのだろうか、正直気になる。  
 やがて明るい声が頭上から降ってきた。  
「いいよ、気にしないで。事故事故。――まぁ、でも……」  
 そこで言葉が途切れた。気になって俺が顔を上げると、鷹月さんは俺を見ながらいたず  
らっぽく笑った。  
「どうしても織斑くんの気がすまないっていうのなら、ひとつお願いを聞いてもらいたい  
んだけどな。それでチャラってことでどう?」  
「それくらいお安い御用だけど、仮に拒否したらどうなるの?」  
「篠ノ之さん達に『織斑くんが私のスカートを捲った』と涙ながらに……」  
 ――なんだろう、そうなった場合の俺の運命が容易に想像可能なんだけど。  
 どこか遠いまなざしで片手を頬にあてがい、ほうっとため息を吐きながらの鷹月さんの  
言葉はなかなか強烈である。冗談だと思いたい、思いたいのだが……。  
「山田先生にも……」  
 冗談きつすぎ! ていうか千冬姉ならまだしもなんで山田先生が出てくる!?  
 俺の心の動揺を見透かしたかのように、鷹月さんの口元が猫っぽく歪んだ。元々拒むつ  
もりなどなかったが、『念には念を入れる』という言葉もある。後々のトラブルを回避す  
るため、何も言わず俺は鷹月さんの要望を飲んだ。  
 
 ――そして休日。なぜか俺の家。  
「うん、やっぱり冬はココアに限るね♪」  
 鷹月さんはリビングのソファーに腰掛け、ふぅふぅと息を吹きながら俺謹製のココアを  
飲んでいる。まぁ単に粉を牛乳で溶いただけだったりするが、気に入っていただけたよう  
で何よりである。一方俺はといえば、床に大判のタオルケットを広げている。  
 先日の鷹月さんのお願い。それは「マッサージをして欲しい」だった。  
『織斑くんはマッサージの達人だっていう噂を聞いたんだ〜。私にもお願い♪』  
 タオルケットを広げる俺の頭の中を、鷹月さんの言葉がリフレインしている。俺は気に  
なっていることを尋ねた。  
「鷹月さん。俺のマッサージのこと、誰から聞いた?」  
「職員室で織斑先生と山田先生の話をちょっと又聞きしちゃって。セシリアにもしてあげ  
たんだって?」  
「え? あ、ああ。夏の臨海学校のときに」  
 千冬姉め、余計なことを口走る。  
(……ん?)  
 ふと見ると、鷹月さんは両手でマグカップを持っていた。いわゆる『赤ちゃん持ち』と  
いうやつだ。女の子のこういう仕草(多分に癖の部分もあるだろうけど)は結構可愛いと  
思う。なんとなくそのまま見ていると、鷹月さんが俺の視線に気付いた。  
「でね、織斑先生やセシリアを骨抜きにするようなマッサージを、ぜひ体験しなきゃと思  
って――って、どうかした?」  
 怪訝そうな問いかけに対し、俺は思ったままを口にした。  
「あー……うん。可愛いなあ、と思って……」  
「なあっ!?」  
 鷹月さんの目が大きく見開かれた。ついでに口もあんぐり開けていたりする。見る見る  
うちに顔が朱に染まっていく。そして鷹月さんは手の中のマグカップを、半ば取り落とす  
ようにテーブルに置いた。  
 
「や、ヤダなぁ、からかわないでよもう! 私なんかセシリアやデュノアさんみたいに金  
髪じゃないし、篠ノ之さんみたいに巨乳じゃないし、ラウラさんみたいにクールじゃない  
し、2組の凰さんみたいに八重歯じゃないし!」  
 最後の一言を鈴が聞いたらどんな顔をするだろうか。大いに気になるところだ。  
 ともあれ一気にまくし立てると、鷹月さんはマグカップを再び手にし(ここでもちゃん  
と赤ちゃん持ち)、ココアをグイッと飲み干した。そして今度はそっとマグカップをテー  
ブルに置くと、おもむろに俺を見た。  
「そ、それで!? 私のどこが可愛いの?」  
 言いしなズイッと身を乗り出す。それこそくっつくんじゃないかと思うくらいに顔が接  
近してきた(言い忘れたけど、俺はテーブルを挟んで鷹月さんの正面に座っている)。鷹  
月さんの眼力(めぢから、だぞ)は半端じゃない。『正直に言わないとタダじゃ置かない  
んだから!』という脅迫に似た気迫がビンビン伝わってくる。  
 ――ていうかさ、何でそんなにマジになるんだ? クールにいこうよ。  
「いやぁ、カップの持ち方がさ」  
「カップの持ち方?」  
「うん、赤ちゃん持ちで可愛いなって」  
 鷹月さんの紅潮した顔が普通の肌色に戻った。そのまま鷹月さんは俯き、盛大にため息  
を吐いた。  
「……時々篠ノ之さん達がすごい形相で、織斑くんを追いかけてるときの理由が分かった  
ような気がする」  
「ん? 何か言った?」  
「……なんでもない」  
 微かに顔を上げ、目を(俺から見て)やや左斜め下に泳がせながら鷹月さんは答えた。  
ちなみにほんの少しホッペタを膨らませていたりする。あからさまに不満そうな態度で否  
定されてもねぇ。なんでもないわけないんだが、そういうのならそうなんだろう。俺はあ  
えて詮索せず、敷き終えたタオルケットを軽く叩いた。  
「鷹月さん、準備できたよ」  
「りょうかーい! ――失礼しま〜す!」  
 弾かれたようにソファーを立ち、その勢いのまま鷹月さんはタオルケットの上にうつぶ  
せになった。白のブラウス、短めのデニム地のスカートに黒のタイツという鷹月さんの服  
装を見ると、歳相応のごく普通の女の子であることを思い知らされる。  
 不意に、鷹月さんが肩越しに俺を見た。同時に両足をしきりにバタバタ動かす。必然的  
にスカートの裾がめくれたりするものだから、その中まで見えそうになる。まぁタイツを  
履いてるから下着まで見えないのは不幸中の幸いといったところか。本音を言えばちょっ  
と残念だったりもするが、それはさておき。  
 指摘しようかしまいか。心の中で煩悶していると、鷹月さんの俺を見る目がはっきり笑  
っているのに気付いた。  
 わざとだな? わざとやってるんだな!?  
 俺は内心ムッとしながらもう1枚バスタオルを持ってくると、鷹月さんの身体(具体的  
にはスカートの上)に掛けた。  
 
 

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