「はぁ・・・」
携帯の小さな液晶に映された無機質な電話番号の並びと、字だけでも目に入ると
心がかき乱される人の名が、林田に本日18回目のため息を吐かせた。
ウジウジと考えてしまうのは自分の悪い癖だとは重々承知だ。
それでもどこか吹っ切れない。ここ一番でキメられない。
『発信』のボタンを押そうとする親指が小刻みに震える。ただ電話を掛け、ただ、
「映画行かない?」というだけなのに。あと一歩、それだけなのに。
自費で購入した映画のチケットの期日はちょうど、今日である。
コテコテのラブストーリーの券をキッチリ二枚。
破ってしまおうか、と考えたけれどそれもどうにも勿体無い。
券を買って、クリスマスイブには何とか約束を取り付けて・・・。
そんな計画もわずかなほころびでガラガラと崩れてしまった。
いつもそうだ。想像通りにことが運ぶなんて上手いことを、十六年生きてきて
まだどこかで信じてしまう自分自身に腹が立つ。いつだって逃げてばかりだ。
(当たって砕けろ、だ)
意を決して、再び携帯に向き直る。
(できれば砕けたくないけど)
弱気が自分を覆い尽くしてしまう前に、林田は逃げるようにして『発信』ボタンを押した。
鼓動とは裏腹に、コール音は一定のリズムを正確に刻む。それが妙に悔しい。
いつもの三倍時間が経つのが遅く感じられる。出て欲しい、でも、出て欲しくない。
もやもやした感情が「トゥル・・」というコール音の僅かに跳ねた音で一気に弾けた。
『はいもしもし、笑福軒です…』
聞きなれた声に、林田は安堵と、先ほどとは少し違った焦りを感じた。
「もしもし、あ、あのっ・・林田と申しますがも、桃里さんいらっしゃいますか?」
『あ、林田君?どしたの?』
桃里の声のトーンが少し変わって、林田は妙にたまらない気持ちになった。
「あのさ、あの・・今、忙しい?」
『ううん。店は休みだし、特に何も無いよ』
第一関門突破!と林田は小さくガッツポーズをした。
「それじゃ・・もしよかったら、あの・・映画、行かない?」
心臓が口から飛び出そうになりながら、何とか言い切った。気分はフルマラソンを終えた
ランナーのようなものである。林田はひたすら、桃里の返事を待った。
「・・・うん!いつ?今から?」
思いがけない弾んだ声の調子に、林田は嬉しくて泣きそうになった。
とりあえず、足元に感じる浮遊感と、突き抜ける高揚した気分を必死で抑えつつ、
待ち合わせの時刻と場所を指定して、電話を掛ける前とは異なった種類の震えを
感じながら、電話を切った。
耳朶に残る桃里の声の余韻に酔いしれながら、林田は大声で勝利報告をしたくなった。
「っっっ・・・・た―――!!!!!!」
隣の部屋に居た妹、明日香が何事かと思って部屋を覗くまで、林田はずっとベッドの上で
飛び跳ねていられずにはいられなかった。
待ち合わせ時刻の15分前に林田は、待ち合わせ場所、アーケード街入り口に到着した。
ショーウィンドーに映る自分の姿を横目でちらちらとチェックしながら、はやる鼓動を
抑えるのに必死だった。辺りを見回すと、カップルの姿が普段の二倍目に付いた。
腕を組んだり、手をつないだり、仲睦まじく笑い合う二人の姿に、林田は、自分と桃里の
姿を重ね合わせながら、そうなればいいのにと淡い願いを抱いたりした。
勿論、自分にとっては映画に誘うこと自体、大進歩ではあるのだが。
今年こそ、彼女ともっと近づきたい。彼女と色んな話がしたい。彼女に想いを伝えたい。
彼女のことがもっと知りたい。彼女と知り合ってから時間が経つごとに、欲を次第に張る
ようになった自分がいる。一度タガが外れた樽は、そこから水が漏れ出して、やがては
完全に壊れてしまう。多分、自分もそうなってしまうんだろう。
――もしかしたら、彼女を傷つけてしまうことになるかもしれない
不意に浮かんだ一つの思いに、林田ははっとした。
「林田君?待たせちゃったかな」
顔をあげると、笑った桃里が居た。
ぐらぐらとおぼつかない思考に任せていた自分の足元が、不意に彼女の笑顔を見ると
視界が明確な色を持って存在し始めた。
「いや、大丈夫。ひさしぶり。」
「ひさしぶり」
元日から一週間しか経って無いのに、やっぱり林田にとっては久しぶりだった。
桃里も同じく、久しく思ってくれているのだったらそれはかなり嬉しい。
この笑顔、この声。やっぱりどうしようもなく好きだと思った。
「行こっか!」
映画館の方向にくるりと身体を向けると、桃里の白いマフラーがふわりと翻って、
それがやけに林田にはまぶしかった。
「・・・うん!」
多分、手がつなげそうな距離を置いて、それでも手がつなげないのが自分たちの今の
状態だ。「ここまで」という自分たちの境界は、ときに曖昧で、ときに残酷なほど明快だ。
いつまでもそれに甘んじていたいとは思わないけれど、せめて彼女が一番傷つかない
方法を、そして時を待って距離を詰めて行きたい。だから、もう少しだけ猶予が欲しい。
自分でも臆病思考極まりないとは思ったが、この境界線を一気に突破するだけの
勇気と、確かな足場と、うまいやり方が今の自分にはどれも無いのだ。
他愛ない話をしながら、ふたりは映画館に着いた。
林田がおもむろにチケットを二枚出すと、桃里は少し困ったようだったが、
「もらったものだし、誘ったのオレだし」と林田がやんわりと回避した。
受付窓口の辺りには、家族連れやカップルなどたくさんの人でごった返していた。
おおかたカップルは、話題のハリウッドの純愛ラブストーリー、家族連れは
前評判の高い父子愛のアニメに集中しているとみえた。
予想外の人の多さに林田は顔をしかめたが、それよりなにより一番度肝を抜かれたのが
最前列ど真ん中に見知ったカップルが堂々構えていたからだ。
「ベ、ベリ子とミウラさん・・・っ」
今ここで仮にコンタクトを落としても、見過ごせるはずがないと桃里は思った。
劇場内に売っている菓子を全て買い占めたんじゃないかと思うくらいのてんこもりの
品々と、パンフレットを熟読するベリ子、そして映画の前の予告中から早速食ってるミウラさん。
桃里と林田は、声にならない思いを顔を見合わせてお互い充分悟りながら、こっそりと
映画館を出ることにした。だってスクリーン、完璧見えないし。
とんだハプニングに林田は泣きたくなりながら、これからどうしようと思った。
林田のデートプランでは、映画の後、どこか店に入って話をする、という算段だったからだ。
「ごめんね、チケット無駄になっちゃったねー・・」
申し訳無さそうに桃里が林田の顔を覗き込む。意外な近さに驚きながら、林田は乱れる脈拍を
感じつつ、すぐに口を開いた。
「いやっ・・森さんの所為じゃないよ。それにあれ、貰い物だし。
オレあの映画絶対泣くって聞いてたからどうしようかと思ってたし!」
あたふたと喋る林田に、一間置いて桃里がほほえんだので、林田はホッとした。
「じゃー・・・こないだ出来たデパートでも行ってみる?」
桃里の提案に林田は即OKして、二人は目的地に向け歩き出した。
新春大売出しセールと開店セールの二本立てでごった返すデパートは、
活気と華やかさがあった。あちこちの売り場で福袋が並べられ、特に紅白のそれがよく目に付いた。
「あ、あれ御徒町先生じゃない?」
「うわっ奥さん美人!子供可愛い!」
見るからに幸せファミリーなオーラをかもし出しながら、数学の青鬼・御徒町教諭が、美人で若い奥さんと
恐らくというか見るからに奥さん似な可愛らしい小さい女の子を連れてエレベーターの方角へ歩いていた。
「すごい二人の馴れ初めが気になるよね」
「うんすごく。」
そんなことを言い合っては二人で笑った。
その後も、互いのクラスメートや知人を幾度も見かけながら、林田と桃里は本屋やCDショップ、
雑貨屋、服屋などを巡って、買うでもなく色々な話をした。
途中チョメジに良く似たプリントトレーナーを発見し、二人で大笑いした後、林田の携帯カメラで
撮って、部員に送ることにした。携帯を持っていない桃里はいたく満足そうだった。
「あ・・・」
笑いすぎて涙の出た桃里は指でまなじりを払いながら、振り向いた折に見慣れたふたりぐみを
発見した。もっとも、新年にも見かけたのだが。
「森さん?」
桃里の視線の方向を追うと、以前一度だけ見かけたことのある女の子と、その隣に背の高い
男が並んで歩いていた。確か、あの女の子は佐藤さんとかいう・・。
「ああ・・あれが山田君?」
「うん・・。」
「行こっか。」
林田は二人に鉢合わせしないように桃里を促した。佐藤さんが皮村に憎からぬ思いを抱いて
いたのに、二度も皮村がチャンスを潰してしまったことは知っていた。
正直佐藤さんと山田君という人物が見た感じ上手く行っているのには安心した。しかし、
あのモテないしどうしようもないスケベだが、自分のために時折骨を折ってくれたり
気を利かしてくれるなかなかいいやつである友人のことが過ると、不意に自分のことのように
胸が少しだけ痛むのを感じた。それはどうやら、隣に居る桃里も同じようだったらしい。
そそくさとその場を後にした桃里と林田の背中に、楽しそうな笑い声が降って来た。
「むつかしいね」
人でごった返すフードコート内の一席に腰を下ろし、桃里は掌中の紅茶の入った紙コップを
見つめながらそう呟いた。
「なにが?」
向かいの席に座った林田がそう返すと、桃里はうーん、と曖昧な声を出した。
「いやー・・、何かさ、佐藤さんたち上手くいって欲しいとは思ってるけど、それでも
やっぱり・・皮村くんのことが、ね。何か、難しいなあって思って。」
「うん、まあ・・あいつの自業自得っちゃ自業自得なんだけどね。」
林田は自分のコーヒーに口をつけた。紙コップの中のそれは、舌を焼くほど熱く、
薄めの安っぽい匂いがした。
「皮村くん、まだ落ち込んでたりする?」
「うーん・・。一時はひどかったけど、今はそうでもないよ。ただ、あいつ
ほんと見かけによらず意外に気にする方かもしれないし。」
「ほんと」に強調を置きながら、林田はそこまで一気に言った。
「皮村くん、まだ知らないよね。あの二人付き合いだしたってこと。」
「・・・どーだろ。」
そうであることを願いつつ、桃里は紅茶を飲み干し、席を立った。
「ごめん、ちょっと捨ててくるねー」
「うん。」
ゴミ箱にかたん、という軽い音を立てて紙コップが吸い込まれてゆく。
桃里は先ほどの二人との遭遇で、少しだけ気が晴れなかった。
恋愛には疎すぎるほど疎い自分だが、そんなにも「好き」という気持ちは、
軽く流れてしまえるものなんだろうか、という疑問がどこかで蟠りを残した。
『うまくいってほしい』という言葉に嘘は無いけれど、やっぱりどこか
哀しさが残る。だから、恋愛ってよく分からない。
自分でそんな想いを感じたことがさして無いというより、心の奥底で
そういうことを気づかぬ内に避けていたのかもしれない。
多分、人と深く交わりあうのがどこか恐いんだと思う。
ひとりでも大丈夫だと思っていたけれど、実際はそんなにも自分は強くは無かった。
そのことはもう自分で消化したはずだし、今の環境は肩肘を張らずに済む、それが有り難い。
不意に、柔道部メンバーの姿が過って、桃里は泣きたいような嬉しさを覚えた。
よし、と踵を返して林田の待つ席に戻ろうとした瞬間、すぐ背後に佐藤ちえが立っていた。
お互いが少しだけ驚いて、すぐに微笑んで挨拶をした。
「こんにちは。」
「こ、こんにちはー・・」
ちらちらと視線を泳がせると、ジュースコーナーの下でなにやら支払いをしている
山田君の姿が見えた。佐藤さんは席を取るため歩いていたらしい。
「デ、デート?」
白々しくちえに桃里は振りながら、異常に動揺している自分を必死に抑えた。
ちえはそうなの、と小さい声でうつむきながら恥かしそうに頷いた。
皮村がらみのことからか、どことなくちえもよそよそしかった。
「そっかー・・・、うまくいってる?」
そんなセリフがぽんぽん口をついてくる自分が何だか情けなかったが、桃里は
自分たちの間に流れる微妙な空気に、話をしていないと耐えられなくなりそうだった。
ちえは胡乱だが、肯定と取れるような返答をごにょごにょすると、躊躇いがちに、
「森さんも、デートでしょ?」と言った。
「えっ・・?」
「ほら、あの人・・柔道部の部長さん?付き合ってたんだー」
含みのある声音でそう桃里に耳打ちしながら、ちえは林田の居る席の方に目配せした。
「え、いや、その・・ち、ちが・・」
「お似合いだねー。あ、ごめん・・もう行かなきゃ・・じゃ、明日学校で!」
桃里に答えさせる隙も与えず、ちえはすぐに空いている席を見つけ、山田に合図した。
ちえは山田に何か二言三言話すと、山田はそれを受けて頭を上げ、すぐに桃里を
見つけて手を振った。桃里も押されるようにして、ぎこちなく手を振った。
何だかすっかり疲れきったようにして桃里が戻ってきたので、どうしたもんだと
林田は気をもんだ。桃里はちらちらと、右手のテーブル席の方を見ていた。
「どうしたの?誰かと会った?」
「いや・・それが、佐藤さんたちとバッタリ会っちゃって。」
こそこそと桃里は林田に打ち明ける。
「ああ・・そりゃちょっと気まずいね。」
「うん・・」
それにしても、何だか自分を見ては落ち着きが少し無い桃里が気になる。
自分に対して、どことないがよそよそしいというか、変にぎくしゃくしている。
何かあったのだろうかと思ったが、当然知るよしも無い。
「森さん・・・?」
様子をうかがおうと林田が桃里の表情をのぞくと、不意に合った視線を受けて、
桃里はみるみる赤くなった。林田は思い切り慌てた。
「森さん、もしかして、具合悪いんじゃない!?」
「ち、ちがうよ、別にどこも・・」
「ほんと?大丈夫・・」
尋ねようとした瞬間に、桃里の身体がびくりと跳ねて、林田と間合いを取った。
その行動にしばし呆然としている林田に、桃里が二の句を継ぐ。
「・・あのさ、やっぱ、林田君、変な噂とか立ったら迷惑じゃない?」
「え?」
桃里の真意が全く分からない林田は、どうしていいのかと立ち尽くすほかなかった。
「ほら、こうやって二人で居るとことかさ、林田君の彼女とかに見られたら、
それってちょっとヤバイと思うし―――」
何て空っぽな言葉なんだろうと思ったが、桃里は頭の中をのた打ち回る、どうしようもない
熱に任せてただセリフを吐いた。喋る度に、何故か自分の中で、どんどんと袋小路に
追い詰められている気がした。自分で自分を追い詰めてれば世話は無い。
ちらり、と林田の様子をうかがうと、桃里は心臓を掴まれたような感覚を覚えた。
何だか呆然としている。振り払われた手をだらんとしどけなく伸ばして、
林田は泣きそうな、おかしそうな、名状しがたい表情を浮かべていた。
「ごめん、無理言って付き合ってもらって――」
淡々とした口調で林田はそう言った。いびつな笑いが、桃里の胸を突いた。
「困らせるつもりじゃなかったんだけど。迷惑だって知ってたら――ごめん。」
そこまで言い切って、林田は席を立つと、「それじゃあ」と呟くような声で
言った後、早足で去っていった。後姿が見えなくなるまで、さして時間はかからなかった。
「林田くん・・?」
―――わたしは彼を、傷つけた?
桃里は、胃のあたりにどうしようもない空虚な塊があるのを感じた。
去り際にちらりと見せた彼の横顔は、今までに見たことが無いような哀しい目をしていた。
そして、自分も何故か、涙がこぼれてきそうなことに気づいた。
澎湃点ギリギリの涙を必死で堪えつつ、桃里はデパートを必死で走り抜けて外へ出た。
そのまま裏路地を突っ切り、もう入相の時刻になった街並みを何かに追われているかのように
ただ走った。足がただもつれて、どうしてなんだろう?とワケの分からない問いを必死で
投げかけられずにはいられないような、どうしようもない感情を抱えて。電光掲示板の上には
チカチカとせわしなくスクロールしている蛍光色の文字が、現在時刻と気温を単調に刻んでいる。
見上げると、薄墨色の空だ。
ともすれば電光掲示板の文字色にも負けてしまいそうなくらいはかなく濁った月が頭上に
控えめに存在していて、桃里はたまらなくなってぽろぽろと涙をこぼした。
気づいて、急いで涙を拭ったが、それでも止まるというようなものではない。
とりあえず人目を避けながら、桃里は家へと走った。一月の、ましてやもう日が落ちた
時刻の外気は、吸い込むと直接胃の腑に染みいるように冷たい。
何度もむせそうになりながら、桃里はひたすら駆け抜けるしかなかった。
何で涙が出るんだろう。哀しいから?
どうして哀しいんだろう。それが、分からない。
本当に分からないんだろうか。分からないふりをしているだけなんじゃないだろうか。
結局私は、何一つ変わってないんじゃないだろうか。
寂しくて泣いた、小さな子供の頃からずっと。
その日見た夢は、必死で何かから逃げようと走る、幼い自分の夢だった。
翌日。
今日から新学期ということで、心なしか校内はいくらかの高揚感に包まれていた。
桃里は軽い頭痛を覚えながらも、それでもいつもの笑顔は忘れない。
ただ、昨日の林田の横顔が不意に浮かんできたりして、その度にずきりと胸が痛んだ。
C組の教室の前を通り抜ける時も、いつもより早足で歩いた。
(今日は部活、休みだって言ってたけど・・・・)
部活休みは有り難かったが、このまま林田とできるだけ顔を合わせないように生活をしていたら、
いつの間にか大きな距離が出来てやしないだろうかと、桃里はそう思うとたまらなかった。
多分、林田は大きな誤解をしている。
そして、自分も何か、対面しなければいけないことがあるはずなんだ。
きっと、すごくたいせつな。
放課後、桃里はいつものように道場へと向かった。
正直、何から話したらいいか全く分からないが、林田とちゃんと話をしなくてはいけないような
気がした。そして、多分自分は謝らなければいけない。
部室のドアは、カギがかかっていなかった。かちゃり、とドアノブが軽く周って、少し古い
アルミのドアがキイ、と軋んだ音を立てる。
その音に振り返ったのは、やはり林田だった。
不意に合った視線も、すぐに反らされ、桃里は驚きと哀しみで声が出なかった。
「・・今日、部活休みだから・・」
無理に微笑んで、林田がそれだけを告げた。
「うん・・知ってたけど、何か来ないと落ち着かなくって。」
「そっか」
「うん。」
(こんな話がしたかったんじゃないのに)
頭を振って、桃里は口を開こうとした。が、考えれば考えるほど、何から始めていいのか
分からない。何を言えばいい?「傷つけてごめんなさい」から?間抜けすぎる。
「あの・・・」
先に口を開いたのは林田だった。
「昨日はごめん。いきなり誘ったりして―迷惑も考えないで。」
「ち、ちが・・」
「オレ、ちょっと舞い上がっちゃってたみたいで――だから森さんは気にしないで。」
「違う、私が・・」
やりきれない思いが適切な言葉に変換されるには時間が必要だ。
桃里は、自分がふたり居たら、背後から自分を殴ってやりたかった。
「ただ、オレ彼女居ないから。」
「え・・・?」
それじゃ、と林田は鞄を持つと、桃里の正面に向き直った。
「――君のことが好きなんだ。」
ごめん、と本当にすまなさそうに言った声が、すれ違いざまに耳朶を打った。
バタンというドアの閉まる音が、容赦なく二人の間に壁を作る。
どうして、自分たちの間にこんなに大きくて冷たい隔たりが出来てしまったんだろう。
桃里はただ、ドアを背にしてずるずるとその場にへたりこんだ。
「好きって・・そんな――」
全然気づかなかった、と言いかけて桃里はやめた。
本当は、薄々気づいていたはずだ。彼の日常の所作や言動の端々から、不意にぽろりとこぼれる
それは、自分へのまっすぐな想いだったことに何度もはっとしたはずなのに。
屋上から落ちそうになった自分の手を取って、抱きしめてくれたのも他ならぬ彼だった。
噛み締めれば噛み締めるほど、思い当たる数々の想い出が甦ってきて、桃里は泣いた。
自分をこんなにも想っていてくれたこと。その想いのあたたかさ。それに甘えていた自分。
やわらかな境界線が心地よくて、ずっとそこに居られたらと思いながら、どこかで、
自分以外の人と彼が、そんな境界を持たない間柄になってしまったら―そんなことを
思ってしまう自分も居たはずだ。そして私は、それからずっと逃げていたんだ。
私は、ずっと自分自身から逃げていたんだ。
そして向き合わなければいけなかったものは――
石弓に弾かれたような速さで急いでドアを開けると、そこには林田が立っていた。
「森さん―――・・・」
息を切らして泣いて出てきた彼女の勢いに圧倒されて、林田は絶句した。
「林田くん・・」
「どうしたの――森さ・・」
桃里は何も言わず林田に抱きついた。思ったよりも随分広い胸に、桃里は額を押し付けて泣いた。
「ごめんなさい―・・ごめんなさい、ごめん・・」
何が彼女をそうさせたのかは全く分からないが、すっかり取り乱した桃里の様子に、林田は
胸が痛くなり、空いた右手を彼女の頭に回した。
さらり、と何気なく置かれた指が髪を梳いてゆくと、仄かに甘い香りが漂った。
微かな嗚咽の音が胸の辺りでこもって、熱を帯びていた。
「大丈夫。」
自分でも思いがけず、そんな言葉が口をついて出た。
何が大丈夫なのかは意味不明だったけれど、ほかに言う言葉も選ぶほど無かった。
「とにかく入ろう、ここ寒いし。」
そうして、林田は桃里を部室に入るように促した。
藤原が拾ってきたコタツは、天板のあちこちに引っかき傷があってくすんでいる。
ただ、捨てられていた品にもかかわらず、ちゃんと火は灯った。
じわりとしたぬくさに包まれていると、二人の間のわだかまりも少しぬかるんでゆくように思えた。
「・・ごめん、いきなり困ったよね多分・・」
ばつが悪そうに、林田は口を開いた。言葉に詰ってまばたきをすると、桃里の睫毛の先から、
ぽろりと涙の一滴が落ちて、どこかに消えた。
ぱちぱちと泡の弾けるような音がする。咄嗟に窓の方を向くと、小粒の雨がガラスを打っていた。
弾かれた水滴はしどけなくガラスにしなだれかかり、だらりと自らの通った址をいぎたなく残し
ていた。その音が、段々と濃くなってゆく。雨に交じって、霰か雪かが降って来たらしい。
しばらく帰れないなとため息を吐きながら、林田はひとりごちた。
ぱらりぱらりと地を穿つ天音の他は、何も物音が無く、まだ日も沈んではいないというのに、狭い
部室は陰影をかっきりと付けられていた。桃里の睫毛の先に落ちた影が、やわく震えた。
「――私もたぶん、林田君のこと好きだよ―――」
雨足が、加速してゆく。
時が止まったような気がした。
静寂の帷がただ重く、空気が滞留しているような気がした。
触れたのは一瞬。――どちらからともなく
二人の間にこぼれ落ちたため息が、空気を弛緩させた。
そのくちづけが引き金だった。
瞼に温もりが落とされる。ぬるく湿った息が交じる。
瞼、そして頬、そして、唇へと移動する。
軽く触れ合っただけのくちづけは、幾度目かに激しさと熱を帯びた。
舌で唇を舐めると、びくりと桃里の肩が震えた。
林田はそれを逃さず、舌の侵入と共に桃里の背に腕を回した。
逃げ場を失った桃里の身体がびくびくと小刻みに震え、
いやいやをするように頭を振ると、重なり合った唇の間から甘くくぐもった声が漏れた。
「ふ・・あっ」
己が声の甘さに驚き、そしてひどい羞恥心に襲われながらも、桃里は口内をじわじわと
侵食されてゆく。林田の舌が歯列をなぞると、身体の最奥から走る寒気のような震えに、
桃里はたじろいだ。その間隙にも容赦なく林田は舌を絡める。ぴちゃり、と水音が跳ねた
ような気がしたが、それもざあざあという雨音に掻き消されたのかもしれない。
呼吸を求めて桃里は舌を退くが、それもすぐ林田の舌に絡め取られては掬い上げられる。
お互いの唾液がつうっと糸を引くのを見て、桃里は熱い衝動と羞恥に嬲られた気がした。
「はぁん・・っ」
これまで幾度も漫画やドラマで見てきたキスとは何もかもが違いすぎていて、
桃里は軽い眩暈を起こしそうになった。自分の思い描いてきたキスよりも、
現実はずっと濃密で、ずっと官能的だ。
桃里の口端にこぼれ落ちた唾液を林田は舌ですくい取り、また、唇を吸った。
やわらかく、艶かしい彼女の唇と舌は、まるでそれ自身意思を持ったかのように
ぬらりと輝いた。段々と熱く、荒くなってゆく息に甘い声が混じって融けてゆく。
そのまま自分も、融けそうだった。
「は・・林田くん・・」
艶のある息遣いと共に、名が呼ばれるのを聞くとたまらなくなる。
こちらを見上げる目はもう潤んでいて、頬は上気して赤くなっていた。
「・・・人が来ちゃうよ・・」
泣きそうになりながら申し立てをする桃里を見つめると、愛しさが込み上げた。
淫靡な声を上げたかと思えば、何も知らない子供のような目もできる、
その差に林田は苦く笑った。
立ち上がって、部室の内側のカギをかける。
ぱちん、という軽い音がした。
それはカギの下りる音か、はたまた理性の掛け金がゆるりと外れた音なのか――
ただ、しかしそれらも地を打つ単調な雨音に掻き消されて――融けてしまった。
向き直り、林田は桃里を抱きしめると再びくちづけに没頭した。
激しく口腔内を蠢く舌に自らの舌をおずおずと桃里は絡めると、びり、と体の芯が震えた。
キスだけでこんなに激しいのならば、この先どうなってしまうのだろう――。
そんなことを考えて、その先のことを望んでいる自分に桃里は驚いた。
うっすらと瞼を開けると、すぐ近くに林田の顔があり、その距離の近さに心臓がどきりと
跳ね上がる。禁忌を犯してしまったような気がして、桃里はすぐさま瞳を閉じた。
熱くなってきた身体は、蕩けそうで、桃里は力が入らなくなってきてずるりと壁に背中を
あずけた。が、それも一時のことですぐにずるずると壁に寄せた身体も落ち、床に完全に
倒れるほか無かった。林田は桃里に直接体重がかからないように腕で支え、間髪を入れずに
またくちづける。
「ふぁあ・・っ」
たまらなくなって桃里は林田を抱きしめる腕に力を込めると、より唇と体が密着し、
女の本能がじりじりとくすぶった。
桃里の体の柔らかさに林田は陶然としながら、唇を頬に移動する。
もう一度、逆の順序を辿って瞼に軽く唇を押し当て、右手を桃里の枕代わりに差し込むと
ふわりと甘やかな髪の匂いが立った。林田はそれに酔いしれた。
軽くくちづけた後、唇を首筋に移動させると、ひくりと桃里の白い喉が仰け反った。
髪をさらさらと指でかき上げ、隠れるであろう範囲に址を残す。
熱いくちづけが触れる度に桃里の身体はしなり、薄い緋色の花がぱっと散った。
「あ・・んぅ・・」
鼻にかかった甘い桃里の吐息に林田は興奮する。抱きしめた柔らかい体は緊張のためか
強張って、時折びくりと震えるが、それが嫌悪を表すものだとは感じられなかった。
丹念に鎖骨に沿って落としていたくちづけを終え、林田は上体を起こした。
進むにしろ退くにしろ、ここで態勢を整えておかねば自分の理性が極限値に達し、
かなり乱暴に眼前の彼女を扱ってしまうに違いないとおぼろげに感じたからだ。
「・・・は、やしだ・・くん?」
瞳をおそるおそる開くと、上気した林田の真直ぐな視線に射抜かれた。
その真摯な瞳に、桃里はごくりと息を飲んだ。
「・・・・いい、ですか?」
ここまで来ておいて申し立てをする彼の真面目さに何となく笑ってしまいそうに
なりながら、桃里は意を決したようにきゅ、と目をつぶった。
それが合図だった。
強張った彼女を安心させようと林田はまた軽くくちづけながら、
セーラー服の下から手を滑り込ませる。引き上げられたそれは胸の辺りで
たぐまって、白い肌と淡い色の下着が露になる。
手を滑らかな背中に沿わせると、くすぐったそうにやわらかくしなる。
背のホックに手をかけると、ぷつりと弾けるようにすぐにはずれたのはありがたかった。
そのままブラジャーをたくし上げると、豊かな胸がふるり、と弱々しく揺れた。
綺麗だ、と感嘆のため息とと共に林田はひとりごちた。完全な独り言だったが、
桃里は込み上げてくる羞恥と、喜びが混然となってぽろりと涙を零さずにはいられなかった。
林田支えるように腰を抱いていた左手でいつしか左の丘をつつみこみ、
もう一方の桃色の突起を唇で弄びながら、右手をするすると柳腰のラインに沿わせてゆく。
休み無い愛撫が桃里の官能を刺激した。ばちりと、体のあちこちで火花が飛んでいるようだ。
桃里の豊かな胸は、想像していた以上にずっと柔らかいことに、林田は驚き、煽られた。
「ふ・・・やぁあっ・・んっ」
ぬるりとした唾液が乳首に纏わりつく感触に、桃里はぞくりとした。
最初は揉んでいるのかいないのか、確としないタッチであったのに、今はただ優しく激しい。
林田の額からこぼれ落ちた汗が、ぽたり、と桃里の鎖骨に落ちる。
懸命に自分に触れてくれる彼の優しさに、桃里は愛しさと快感で最奥がただ震えた。
甘い汗と唾液に濡れた桃里の肌はぬらりと光って、それも林田を駆り立てた。
自分の見知った桃里では無いようで、それでも、今抱いている少女は、自分の一番大切な
少女なのだと、くちづけるたびに反芻した。
「あっ・・ああっ・・んああ・・」
乳房の半ばまでを口に含むと、桃里は切なく身を捩った。
それを何度も繰り返すと、軽く瞑った瞼のほんのりとした紅が、涙で濡れた。
林田は、スカートを穿いたままの桃里の脚を、大きく開かせた。
すらりと伸びた足は紺のソックスを履いているせいか、それとも地肌が白い所為か
きめ細かくただ美しい。
めくれ上がったスカートが、ふわりと舞い上がる。
足を閉じようともぞもぞと動かすも、それはやわらかく制される。
もとより、林田の腕力に桃里が敵うはずも無いのだが、
それでも桃里は際限の無い羞恥心をそこで使うより無かった。
「や・・だっ・・・見ないで・・」
懇願する弱々しい声も、自らの秘所を隠そうとする行動も、どれもこれも空しい抵抗と
男の情欲を駆り立てるものでしかない。
林田は苦く笑って、桃里のなめらかな大腿部をするりと舐めた。びくり、と体が跳ねる。
一番、とはいかなくてもかなり敏感な場所であることには間違いないようで、桃里の身体は
触れる度にしなった。
「やっ・・ああ・・っんあ・・ふああぁ」
強く吸うと仄かに紅梅が開く。林田はそれを幾度も繰り返した。
繰り返される愛撫のたびに、体が蕩ける。最奥が熱い。
舌が太腿に沿って、中心へと移動しようとする刹那、また同じように舌を這わせ始める。
それが焦らしだということに、桃里は厭でも気づいた。
体の核がじわじわと融ける。奥からそれはとろとろと降り、じわりと秘所を濡らす感覚が
段々と高まってゆく。最初のキスの時からそうだ。
触れられてもいないのに、と桃里は驚いた。何もかもがはじめてだった。
五度目の舌の大腿の移動が済むと、桃里は咄嗟に身構えた。
が、やはり舌はもう一度往復をしようとする。
そのじれったさに、桃里の官能が高まる。遂に、観念した。
「や・・もう、は・・やしだ・・くん・・」
ぎゅ、と林田の首に腕を回し、桃里はもう完全に林田を待っていた。
正直、桃里が観念するか、自分が我慢しきれなくなるかのギリギリだったので、林田は
非常に有り難かった。膨張しそうな愛しさを、くちづけに変える。
薄いショーツに指をかけ、つつ、と舐めるように引き下げてゆく。
抵抗する力を失い、桃里はただ目を閉じて荒い息をしていた。
上気した頬が涙で濡れている。
するりとショーツから足を引き抜くと、愛液がつ、と糸を引いた。
女を抱くのが初めてである林田でさえも、一目で桃里が濡れていることがわかった。
知識だけは豊富な皮村から、よく濡らせだの前戯が大事だの、経験も無い癖に説かれた事が
あったが、それが今役に立ったことに林田は心の中で友人に多大なる感謝をした。
ゆっくりと指で近づいてゆく。ずぷ、と淫猥な音を立てて深みに指が飲み込まれてゆく。
「んぁっ・・!」
充分に濡らした所為か、秘所を見つけるのは容易かったことに林田は安堵した。
指をつ、と動かすと桃里はびくりと震える。行きつ戻りつを繰り返すと、指が花芯を捕らえた。
「あっ・・・やっ・・んぅっ」
それに林田が気づき、執拗に指でそこを弄る。
強い指先の圧迫は、強烈に桃里を悶えさせる。
「いやっ・・・やああっ・・は、はあっあん、んぅっ」
そのまま指を一旦引き上げ、今度は舌で花芯を舐め上げると、一層桃里は激しく喘いだ。
「やっ・・やっ・・ああんっ・・、だ・・だめぇっ・・!」
頭の中が真っ白になる。込み上げる快楽と羞恥以外は何も考えられなかった。
このまま行けば壊れてしまう、と桃里の本能が叫んだが、林田はなお愛撫を止めない。
桃里も、やめて欲しくは無かった。溢れる快楽をこのまま共有したいと思った。
愛しさが込み上げてくる。それは涙となってただぽろぽろとこぼれ落ちる。
「ああっ・・・んっ・・んあああっ・・は、はや・・しだくぅんっ・・!」
名を呼んだと同時に林田の唇が花芯を思い切り突く。刹那、桃里の身体を快感が貫いた。
「ふぁああああああああっ・・・!」