T   彼女はココアしか愛さなかった  
 
 
 
 
「虎子が?」  
「そう無断外泊よ。相変わらずね、あのコ」  
 鬼百合は後ろ手にドアを閉めて、その途端なんだかがっくりきて、ドアに背もたれて  
(はー)  
 思いきり深く息を吐いた。  
 狐が両手をポケットに突っ込んだまま、くすくす笑い出す。  
「雀のところなんだろ? 心配することないって」  
「それが」  
 鬼百合は渋い顔をして言った。外面からほとんど分からない機微が伝わるのは、家族くらいだ。  
「ちょっと違うのよ」  
 狐はくるりと向きなおる。  
「何が?」  
 思えばここから始まった。  
 そして少なくとも一人、これによって不幸になった人間がいたのだ。  
 だが。そんなことに狐は、結局気付くことはなかった。  
 
 
 
 鬼百合の言った「いつもと違うところ」。それは虎子が帰り学活後も学校に居残っていることだっ  
た。虎子はどうも、その後に雀の家に泊まっているらしい。  
「虎子が学校に……。しかも勉強していた、ね。めちゃくちゃ怪しいな」  
「でも、馬鹿な子じゃないわ。数日家を空けたといっても、何か目的があるのでしょう」  
「じゃ俺が無断外泊してもOKと」  
「柳君と獅子丸君の電話番号、父さんたちも知ってるわ」  
「扱い違くねえ!?」  
「一般的な高校生への対応よ。責任は自分で持つものよ。心配なんてさせずにね。虎子は――まあ、  
ああいうコだけど、信用してるから」  
(俺は妹以下なのか……)  
 鬼百合はそう言って咳き込みながら、さっさと部屋に行ってしまう。ここ数日風邪気味なのだ。  
 
(姉貴はああ言ったものの)  
 ちょっと考える。  
 何かありそうだ。  
 ん? というか――――。そうだ。獅子丸を連れて行けば、結構面白いことになるんじゃないか?  
(ナイス俺)  
 天啓を得たとばかりに、狐はニヤリと笑った。  
 
 
 翌日から狐は獅子丸を巻き込んで調査を開始した。  
 親友の行く末を楽しませて、いや、見守りる心積もりで。  
(実際獅子丸だって、なんのかんの言いながらついてきてるんだから、いいだろ)  
 狐の目には獅子丸がすごい乗り気に見えた。実際は気が休まらなかっただけなのだけれど。  
 
 そうして始まった調査だったが、面白いことが全くない。  
 放課後担任の傘先生と勉強して、最終下校を過ぎたら雀の家に行っているだけなのだから。  
 拍子抜けである。期待はずれである。  
(まさか虎子が、ほんとに勉強に目覚めたとか、そんなことはないよな?)  
 空振りが二日続いて、ついにその可能性まで検討してしまう。そんな時に、事態は動いた。  
 
 
 
 三日目の朝。変わったことが起こった。虎子が下駄箱の前で立ち尽くしているのである。  
「? なんだ?」  
 しばらくそうしていたが、呼びに来た歩巳に気付き、手にしていた何かを下駄箱の中に入れて走っ  
ていってしまった。  
 狐にはわかる。これは「いい」予感だ。  
(獅子丸がいなくて良かったぜ。アイツ、虎子の下駄箱開けるなんて絶対許可しないだろうからな)  
 ニヤニヤしながら、下駄箱を開ける。  
 中には一通の手紙が入っていて、  
 
 
「話したいことがあります。昼休みに第二理科室まで来てください」  
 
 
 とあった。  
(誰だ? すげーきれーな字だが……)  
 しかし、今時なんて古臭い通信手段なんだろう。よほどの変わり者なのか。  
(まあ、変わってなきゃあいつにラブレター送ろうなんて考えねーわな。ははは、どんな顔してるのか、じっくり拝見してやろうじゃないの)  
 ちょっとした楽しみができて、狐はホクホク顔で教室に向かっていった。  
 
 
 
 昼休みになると、虎子はクラスメイトの誘いも断り、昼食もそこそこに教室を出た。  
 あの謎の手紙の差出人を突き止めなければいけない。  
 第二理科室へ到着したときに、  
(おや?)  
 と思った。  
 ゴトゴトと、何かを動かす音が聞こえてくるのだ。  
(中に誰かいる……)  
 なぜだか緊張してきた。かといってここで悩んでいるわけにもいかない。  
 ええいと扉を開けると、  
 
 
「うん?」  
「……あれ? トーマじゃん。何やってんの?」  
「何って……、次の授業の準備してるんだよ。実験だろ、五時間目」  
 そうだった気もする。  
(そういえばトーマって理科係だったっけ)  
「あれ、んじゃ、ここに誰か来なかった?」  
「騒々しい馬鹿以外は誰も」  
「そっかー。――はっ、まさかトーマが手紙を!?」  
「手紙? なにそれ?」  
「だよねー。うーん、やっぱイタズラかなぁ」  
 唇に指をあててぶつぶつ言っている虎子を見て、冬馬の動きが止まる。  
 キョロキョロと左右確認。誰もいない。  
 ゴクリとつばを飲み込む。  
(よ、よし)  
 
「な、なあ」  
「うん?」  
「ちょっと、突拍子もないこと言うけどさ」  
「? うん」  
 
「あの、さ、オマエ、好きなやつ、……いる?」  
 
「…………」  
「…………」  
「え!?」  
「あのさ、最近、傘先生と一緒に残ってるだろ?」  
「え? う、うん」  
「優しいよな。生徒一人のためにそこまでしてくれて」  
「え? いや……。…………え?」  
「アタシさ、気になってる人がいるんだ」  
 ちょっとした沈黙。そこまで言われれば、いくら虎子でも察しがつく。  
「トーマ、もしかして……」  
 冬馬は照れたようにうつむいて、小さく頷いた。  
「協力、してくれるよな」  
「…………マジすか」  
 しばらく虎子はぽかんとしていたが、促されるように協力を約束したのだった。  
 
 
 
(――しかしメガネが、あの担任を好きだとは。趣味悪すぎるぜ)  
 扉の前で、狐はしっかりと一部始終を見ていた。  
(あんな冴えない男のどこがいいのかね)  
 
 
 だがふと、この時になってようやく思い至る。  
 毎日虎子と傘が二人で残っている理由。  
 それは、勉強のためだとほんとうに言えるのだろうか?  
 もしかしたらもしかして、虎子のやつは――  
(いやいや。流石に考えすぎだろ。アホらし)  
 この時はそう思った。だがその不安は同日午後、的中してしまったのだ。  
 
 
 
十七時三十八分 獅子防禦海面ノ区域ニ侵入スルモノアリ。指令三十九号ヲ以テ領海維持法第七条第  
二項ノ区域内ヲ臨戦地境トシ、本令発布ノ時刻ヨリ厳戒ヲ行フコトヲ宣告セラレタリ。  
 
 
「も、もうちょっと近くに――」  
「馬鹿、これ以上行ったら見つかっちまうよ」  
「しかしこれじゃあ、話も聞こえないじゃないか」  
「気合で聞くんだ。いやまあ、こうなるなんて予想してなかったしな」  
 電柱の影で密着する男二人。狐と獅子丸だった。  
(獅子丸のやつ、もっと離れろっての! なんで男と密着しなきゃいけねーんだ。それもこれも――)  
 放課後彼らはいつも通り虎子に張り付いていた。  
 異変は、時間を持て余して暇つぶしに『ガチンコ! 十週打ちきられ漫画いくつ言えるかな?』を  
やっていたときにおこった。  
 虎子と傘が突如教室を出て行くのである。慌てて追った狐たちが尾行を続けて、今に至っている。  
 
「――しかし、学校を出て結構たつぞ。どこに向かってんだ?」  
 獅子丸は眉を寄せて、少し考えて言った。  
「この先には、図書館があるだろ。あそこで補習の続きをやろうというんじゃないか? 学校の下校  
時間過ぎてるし」  
 狐は「ふーん」と生返事しながらコンソメパンチをパリつく。  
 やがて、図書館の前に差し掛かった。  
 
 
十七時四十四分 空襲警報発令。  
十七時四十六分 爆撃機虎及ビ狼撃艦隊上空ニ現レタリ。主砲及ビ高角砲ニテ攻撃スルモ、駆逐艦図  
書ガ命中弾ヲ受ケ中破炎上スルモノナリ。  
 
 
「見ることすらなくスルーだな……」  
「な、なに……、いや、この先は商店街だ。そこで参考書か何か買うつもりなんだろう」  
 
 
「獅子丸お前大丈夫か? 顔色悪いけど」  
「全・然・平気っ!」  
「あ、そ、そう」  
 どう見ても引くほどテンパッていて、言葉に詰まる。こんなに引いたのは、柳から借りたゲームの  
主人公の名前が「淫行援交肉奴隷」だったとき以来だ。  
 そして商店街にやってきた。  
 
 
十七時五十四分 防衛線ハ動揺ノ兆ヲ呈セリ。低空ヨリ攻撃隊進入シ、第一次攻撃隊ヲレーダーニテ  
感知、敵戦闘機ト交戦シ半数ヲ撃墜スルモ、駆逐艦繁華沈没、重巡洋艦通例ガ中破スルニ至レリ。  
 
 
「え! な、なあ、止まらないのか!?」  
「みたいだな」  
「みたいだなって……、繁華街から離れて、どこに行くっていうんだよ」  
「こりゃあれだな、メガネとドツボの修羅場ルートだわ」  
 狐がいやに神妙な顔で言う。  
「メガネって、さっき言ってた傘先生が好きだってコのことか? なんでここでそのコが――」  
「お前、わかってる?」  
 少しからかい気味に言いながらも、目線は鋭く射すくめるので、獅子丸はちょっとたじろいでしま  
った。  
「え?」  
 
「この辺、ラブホテルだらけだってこと」  
 
「…………………………………………な!?」  
 思わずのけぞり、振り返る。南国風だったり、いかにもホテルな外見だったりするが、どれもこれ  
も電飾でやたらと派手なのは共通してる。  
「!」  
 反対を向く。でかい城があった。恋のビッグウェーブに乗ってテイクオフできそうなピンクの巨城。  
「な……っ、な!? なんだここは!?」  
「この先のが清潔で、リーズナブルで、ゴムのサービスまであって人気だな」  
「ふざけるな! 普通こんなところ教師と教え子で入るわけないだろ!」  
「俺は虎子の兄として言ってるんだぜ。あいつが普通のことなんかするわけないだろ。二人で残って、  
くっついて歩って、ホテル街をうろついて。疑うには充分すぎるだろ」  
「だ、だけど……!」  
「ほれ、あれを見てみろよ」  
 狐が指差す。  
「ん?」  
 
 
 目で追ったその先――腕を組んで歩く虎子と傘の姿があった。  
「俺とお前と大五郎」  
「ど、どど――」  
 じゃれる虎子をうっとうしそうにする傘先生だったが、どこか含んだところがあるように見える。  
「どーいうことだぁあああ!!?」  
「おあ!? く、苦しいって……! あ、そろそろ、例のホテルだな」  
「え!?」  
 狐の襟首を掴んだまま見てみれば、他より一回り大きな南国の遺跡風建築物があった。  
「…………!」  
 二人が入り口に差し掛かったとき、ギラギラとしたネオンの光が目に飛び込んだ。  
「うおっまぶしっ!!」  
 
 
十八時〇一分 敵爆撃機ハ高度九千mヨリ接近シ、戦闘機ニヨル迎撃ハ不可能ニナリタリ。機動部隊  
ハコレヲ探知シ、主砲ヤ高角砲ノ仰角ヲアゲ、探照搭ヲ上空ニ照ラシタリ。一斉射撃シ、敵爆撃機ヲ  
殲滅スルコトニ成功セリ。  
 
 
(くそっ、どうとでもなれ!)  
 捨て鉢になって、獅子丸はかたく閉じていた目をそっと開けた。  
「――――…………え?」  
 眩しいネオンの光。  
 だんだんと慣れて浮かび上がったのは、数秒前と変わらない虎子達の姿だった。  
 ホテルは――――通り過ぎている。  
「ぃよしッ!!」  
 思わずガッツポーズ。  
 まさしく九死に一生。  
 兵士達が「生きてるぞー!」と雄たけびを上げ、涙ながらに抱き合う姿が思い起こされる。  
 
 
『おまえら剣道でメシ食いたいかー!!』 『おー!!!』  
『おまえらちやほやされたいかー!!』 『おー!!!』  
『おまえら天下とりたいかー!!』 『おー!!!』  
『おまえらいい女とやりたいかー!!』 『おー!!!』  
『でも実際問題無理だよね……』  
『だけれど俺は!』  
『とりあえずは出来ると信じていきたい!!』  
『だってそんなことも信じられなかったら、どうやって明日を信じていけばいいか分からないじゃん  
か! だから俺は自分を信じるしかないんだぜ! ちくしょうっ!』  
『だからお前らもがんばれー!!』 『うおー!!!』  
 
 
「ありがとう、ありがとう……」  
 目を閉じ、流れる涙を拭う獅子丸に、狐が言った。  
「虹色万華鏡世界にスピリチュアルダイブしているところ悪いんだが、虎子たちが目的地に到着した  
みたいだぞ」  
「なに!?」  
 見れば本当に姿がない。  
 急いで後に続く。  
 と、貧相な、いかにもくたびれた独身男でも入居してそうな、色気のない賃貸住宅があらわれた。  
「…………」  
 謎だ。  
 なんでこんなところに入っていく。  
 いや、嘘をつくのはやめよう。ほんとうはとっくにわかってるくせに、認めたくないだけなんだろう?  
「こ、これは……?」  
 震える声を絞り出す。  
「たはは。いや、これは、『そういうこと』なんじゃねーの?」  
 
 
十八時〇三分 巡洋艦ハ探照灯ヲ照射スルモコレガ的ニナリ、更ニ第三派、第四派、第五派ニヨル断  
続的攻撃ヲ受ケ、巡洋艦二隻ガ大破、航行不能、一隻ガ中破、戦艦一隻ガ中破、一隻ガ小破、空母一  
隻ガ大破、二隻ガ中破。防衛線ハ決壊セシメラレタリ。  
 
 
「ぬおおぉぉぉぉぉ!!」  
「その、なんか、悪ぃ」  
 獅子丸はアスファルトに両手を突いてうな垂れている。  
 陰のオーラが溢れ出て、見るだけで寝取られ男とはかくも惨めなものであると、ひしひしと伝わっ  
てくる。いや、付き合ってもいなかったのだから、この場合は最初から寝取られ男とでも言うのだろ  
うか。  
(ここまでやる気じゃなかったんだけどなぁ……)  
 流石に不憫になってきた。  
(仕方ない。誘ったのは俺だしなぁ。アフターサービスくらいしてやるか)  
 
「おい獅子丸、疲れたな。どっか休めるトコでも――」  
「まだだ……」  
「え?」  
 ふらりと立ち上がるとアパートの入り口を見つめて言う。  
「まだ、ここが自宅と決まったわけじゃない! ご近所さんしか知らない、隠れた喫茶店の名店とか  
かもしれないだろ!!」  
(んなわけねー!!!!!)  
 アフリカ象も二足歩行で逃げ出しかねない超発想だ。  
「バカお前! ここは降伏撤退しかありえねーって!」  
「まだ負けと決まったわけじゃない! 本土決戦がある!!」  
 抗戦か終戦かの熱い議論もわずらわしく、獅子丸は駆け出していく。  
 
 
「な、おい、し、獅子丸! 獅子丸ーーーーーーーー!!」  
 狐が伸ばした手は、彼を捉まえることなく宙を泳いだ。  
 その先、目的地の表札は――  
 
 
 
 
 
「傘 叫一狼」  
 
 
 
 
 
 その時虎子たちは、廊下に何かを繰り返し打ち付ける音を聞いたという。  
 
 
 
 
 
 
「そんなことが……」  
 ところ変わって上下山家。  
 食卓には今晩の夕餉。鬼百合が作って待っていてくれたのだろう。  
 自殺寸前の獅子丸を家まで連れ戻し、どうにか帰宅すると、迎えたのは鬼百合だった。一息つきな  
がら、今日あったことを一通り報告し終えたところである。  
「まさか、そんなことになっていたなんてね」  
 切れ長の瞳を伏せ、言葉少なにそう言った。驚くよりも、まず考えるのがこの姉らしい。  
「最初は獅子丸相手の退屈しのぎのつもりだったけどさぁ、これは予想を超えてたわ」  
 テーブルに頬杖をついて、憮然として言う。  
「どうする姉貴? ことによっちゃ、かなりの大問題になるぞ、これ」  
「……狐」  
「おう」  
「明日マンションまで案内しなさい」  
「!!? え、いきなり!?」  
「問題でもあるの?」  
「いや、まあ、姉貴だったら、感情的になったりはしないと思うけど、さ。それにしたって、直球す  
ぎてビックリだぜ」  
 溺愛する妹が傷物にされたとしたら、一体どんな地獄絵図が待っているのか。あまり想像したくない。  
 ところが、鬼百合は面白そうに吹き出した。  
「ふふ、大丈夫よ。きっと上手くいくと思うわ。私に任せてくれない?」  
「いや、いいけど、さ」  
 鬼百合はあくまで冷静に、言う。それがかえって、怖い。  
(何かあったら、俺が姉貴を止めるしかねぇな……)  
 姉の迫力に気圧される形で、話はまとまった。  
 
 
 
 
 
(つづく)  
 

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