翌日。
虎子と傘先生は昨日と同じように、学校から先生の自宅へと移動していた。それを見届けた鬼百合
たちがいるのは、そこからすぐ近くにある喫茶店。獅子丸は置いてきた。というか学校を休んでいた。
コーヒーが運ばれた後、鬼百合は携帯電話を取り出し、発信する。
その仕草、その眼差し、どれ一つ迷いがない。
数コールの後、つながった。
「……………………虎子? うん、ちょっと聞きたいことがあってね。虎子、あなた、今傘先生のご
自宅にいるわね? わかってるのよ。私と狐で、角一つ曲がったところの喫茶店にいるから。だか…
…」
携帯から、慌てふためく虎子の声が漏れ聞こえてくる。
鬼百合は顔をしかめて、携帯を耳から遠ざけた。
「…………ああ、もう、落ち着きなさい。今からここに来なさい。場所はわかるでしょ。いいわね?
――――いいわね?」
有無を言わさぬ勢いで電話を切る。
圧倒される。今回ターゲットが俺じゃなくてよかったと本気で思った。
狐にしてみれば、虎子やその恋人といるより、姉と二人でいるほうがよっぽど居心地が悪い。
緊張しながらコーヒーを啜る。
それにしても、今日の虎子は変だった。
どこか疲れたようで、目の下にクマができていて、そう、一晩中なにかに夢中になっていたみたいに。
(……まあ、どうしようと勝手だが、妹のそういう姿見んのは、目のやり場に困るっつーか)
そんなことを思っていたときに入り口のベルが鳴り、息切れした虎子が入ってきた。
狐がぶらぶらと手を振ると、
「ーーーーッ!!?」
『うおぉっ!?』という驚愕。
「!?!?!? 〜〜〜〜〜!! ………………」
ひとしきり混乱した後、こちらにやってきた。
「そこに座りなさい」
狐達の正面に、顔面蒼白の虎子が座る。
「なんで兄ちゃんまで……。うう……」
店員がオーダーを取りに来て、行くまで、無言。
空気が、重い。
ようやく鬼百合が口を開く。
「虎子、雀のところにお世話になっているそうね」
「そ、そうだけど」
「ちゃんとご両親にお礼は言ったの? ご迷惑をお掛けしているんだから、そういう自覚だけは忘れ
ないようにしなさい」
「し、してるよ! 言われなくても」
「そう、ならいいの」
コーヒーを一口飲む。一呼吸入れてから、
「冬休み、遊びに行く予定あるの?」
と、突拍子もないことを聞いた。
「へ? あ、うん。いろいろあるけど……」
「友達と?」
「? うん」
「虎子、そのために頑張るのはいいけど、ちょっとは連絡してくれないと、心配するわ。私、そんな
に信用ないかしら?」
「そ、そんなことないよ! アタシこそ、その、ごめん…………」
言いかけながら、なにかおかしいことに気付く。
「――うん? えっ、ユリ姉、どうしてそんなこと知ってるの? アタシバイトしてるなんて、言っ
てないよね?」
驚いて身を乗り出す虎子とは対照的に、鬼百合は相変わらず落ち着いていた。思わずため息が出そうになるくらいに。
「虎子は友達と遊びに行きたい。でもお金がない。なら、どこかで稼ぐしかないでしょう。うちの両
親、バイトなんて認めないし、そうしたら、身近な人の、何か、手伝いをするしかないじゃない。で
都合良く傘先生が、と、こういうことなんじゃない?」
「すごいユリ姉、まさにその通りだよ」
ほぇぇと、まるで感嘆が聞こえてきそうな様子で言う。
「でも、一体家に閉じこもってどんなことしてるのよ」
「うん、傘先生の友達に漫画書いてる人がいるんだけど、その人の家が火事に巻き込まれちゃったみ
たいで、締め切り直前の原稿が燃えちゃったらしいんだ。でも近くの知り合いは傘先生しかいなくて、
途方に暮れてたみたい。傘先生は『無理矢理アシスタントにされた』って言ってたけど。そんな時に、
先生と仲いいアタシが声掛けられたんだ。こっちとしても何かと入用だし、即OKしちゃった」
「花の女子高生が漫画……。虎子、もう少し身だしなみに気をつけなさい。目の下にクマが浮かんで
るわよ」
「えっ、ホント? いや、はは、ここ何日か修羅場だったから、まともに寝てないかも。あはははは」
「ちょっと待てぇぇ!!」
立ち上がり、穏やかな談笑ムードに入った二人を止める。
「待てよ、ちょっと整理させろ」
狐はこめかみを押さえて言う。
「なんだ、え、虎子、お前バイトしてたっていうの?」
「うん」
「え、何それ。何だそれ。おま、俺たちは、ずっとお前と傘先生が付き合ってるのかと思ってたんだぜ」
「へ…………?」
虎子の目が点になる。
「え!? 傘先生と!? ……ぷっ! あはははっ! ないない、それはないよー!」
「な」
声を上げて笑う虎子の様子は、とても嘘には見えない。
「なんだよ……」
虎子はお腹を抱えて、ひいひい言って笑っている。
「なんだよ、こんなオチって」
力が抜けて、すとんと座る。
「……あー、気が抜けた。姉貴だってそうだろ?」
「あら、私はてんからそんなこと思ってなかったわよ」
「え?」
「だって、虎子ったらまだまだ恋人より友達だもの。ただ何かのトラブルじゃないかと思って、心配
したわ。かといってこの子、聞いても話してくれないだろうし、けどコソコソ調べるのはプライドが
許さないし。それで思いついたのが狐よ。その執念深さ、いえ、熱心さで、きっと真相を解明してく
れると信じていたわ」
「…………」
(つまり、その、俺は見事に姉貴に嵌められたのか?)
頬がぴくぴく震える。
「ふ、ふざけるなよ!」
「あら、ふざけてなんかいないわ。虎子のことを放っておけない狐を信用しただけよ」
「なっ!?」
「よっぽど心配したのね。朝から晩まで『虎子、虎子』って。そんなに好きなのに、獅子丸君とかご
ちゃごちゃと理由付けて、妹には嫌われて、狐って、本当に不器用ね。不器用で、可哀想よ」
「あのなぁ!」
(〜〜〜〜〜っ!!)
狐の顔が真っ赤になる。
虎子は滅多に見られない兄のレアショットにびっくりしていた。
「ちっ! 帰る!!」
居心地が悪くなったのか狐はさっさと席を立ち、早足で店を出て行ってしまう。
虎子の頭に浮かんだのは『きつねくーんはゆかいだーなー』との日曜夜の旋律だった。
「ユリ姉には、絶対に勝てないと思う、アタシ」
「どうしたのよ突然」
変なコねと言ってと笑う。
「そうそう、傘先生はどうしたの? 一緒に来るかと思ったけど」
「きっと今も寝てるよ。丁度電話が来る直前に描き終わって、そのまま崩れ落ちるように寝てたから。
案内しよっか?」
「い、いえ、いいわ」
このコは私や狐がどれだけ心配したか、分かってないんだろうな。ドタバタの騒動の中心にいて、
周囲に心配の種をばら撒いて、それでいて憎めない。それが虎子らしいといえば、まあ、そうなのだ
けど。
虎子のココアが運ばれてきた。彼女は一口飲み、優しい温もりに表情を緩めた。
U 牡丹に唐獅子、百合に虎
翌日、虎子は学校を休んだ。それまでの寝不足が祟ったのだ。
鬼百合も学校を休んだ。風邪が悪化して、熱が出てしまったのだ。
傘は出勤した。もっとも、授業を自習にして教卓に突っ伏すのを、仕事と言えればだが。
その日の学校で歩巳が、
「虎子さんのお見舞いに行きましょうよ」
と言い出したので、龍姫は深く考えずに「いいですわ」と返事したものの、
(よく考えたら、虎子さんの家にはお兄様がいらっしゃったのよね。歩巳、平気なのかしら…………)
と、今になってパンツの件がぐるぐると頭を回っている。
どうしたものかと考えながら歩いていたときに、見知った顔がやって来た。
「あら、こんにちは。戦国さん、だったかしら?」
「ん? ああ、君は、虎子ちゃんの友達の――――」
「伊井塚ですわ。えっと、どうかされまして? なにかいつもと…………」
今まで何回かしか顔を会わせたことはないが、こんなに鬱々とした雰囲気をまとっていなかったは
ずだ。
それを聞いた獅子丸は自嘲気味に笑った。
「はは、いや、そんなことないさ。ちょっと体調を崩しているだけで」
「まあ。気をつけてください。虎子さんも調子が悪いみたいですし、風邪が流行る季節ですしね」
「あ、ああ。そうだね。そうするよ。じゃ」
獅子丸が通り過ぎようとしたところで、思いついた。
「あ、戦国さん!」
「え?」
「私達、これから虎子さんのお見舞いに行こうかと思っているんですが」
「あ、ああ、そうなんだ」
「お願いがありますの。虎子さんのお兄様を学校に引き止めてくれません? 悪い方じゃないのは分
かってますが、ただ、あの方を苦手なコがいますので…………」
「家で会ったら困ると?」
「ええ、そうですわ」
「うーん」
狐が好き嫌いがはっきり別れる人物であることは、よく分かっている。下級生の女の子が怖がるの
も無理ないし、いつもならちゃっちゃと引き受けてしまう。
けど、今は。
「そういうのは、どうかな。苦手だからって言っても、そこまでする必要はないんじゃないか? 狐
のやつが、可哀想だよ」
上下山家の人間と顔を会わせたくない。
「あ…………。そう、そうですわね。すみません、変なお願いして」
「いいや。悪いね」
自分の感情があふれ出すのをこらえるので精一杯で、とても他のことにまで気をまわしていられな
いのだ。
言葉通り、ちょっと悪いな、と思った。
獅子丸が龍姫と別れたところで、今度は携帯電話が鳴った。
見れば狐の家からだ。
できれば話したくない。けど、急ぎの用件かも知れない。仕方ない。出るだけ出て、すぐに切って
しまおう。そう思って通話ボタンを押す。
「狐? すまんがまた今度にしてくれないか、忙しく――――」
「シシマル先輩? 狐の妹の虎子ですけど」
「へ? と、ととと、ととととと虎子ちゃん!?」
「忙しい時に電話しちゃって、ごめん、それじゃ――」
「いやいやいやいや大丈夫! 大・丈・夫!! 俺の気のせいだったから!」
「え? え……? そ、そう?」
「ああ。そ、それで、どどどうしたの?」
「あの、悪いんだけど、しばらく兄ちゃんを、家に帰さないようにできます?」
「え? 狐を?」
「心配しすぎなんだろうけど、これから友達が来るんだ。兄ちゃんがいたら、何するか分からないし
……」
(ああ、なんて可憐で、なんて美しい声なんだ……)
一昨日のことを考えると死にたくなる。
そのはずなのに。またこうして天使のような声に魅かれている。
「兄ちゃんを苦手な友達もいて、ほんとに、面倒なお願いなんだけど……」
どうしようもなく助けたくなる。龍姫相手に効果を発揮した鉄壁はボロボロで、もはやパパからも
らったクラリネット状態だ。
「――あ……、ああ。そうだよね。狐じゃあね。何かと、心配だよ」
「ごめん! でも、ほんとうに兄貴が一緒になったら心配で」
「あはは……は…………。そう……だよ。あいつの行いが悪いんだ。うん、虎子ちゃんが気を揉む必
要はないよ。俺がちゃんと、狐を見てるから」
「うう〜〜。ありがとう、シシマル先輩。やっぱりシシマル先輩、頼りになるよ!」
「はは……そんな。ああ、ああ、分かったよ。うん、それじゃ」
獅子丸は自分のいじらしさに泣きそうになりながら通話を終えた。
(うう……)
思わず膝から崩れ落ちる。
(なんて馬鹿で、かわいい男なんだろう、俺って……)
あの声が頭にリフレインしている。
(このままじゃ、惚れた女のために親だって殺しかねないぞ……)
あの快活さが。あの声音が。ちょっと子供っぽいところだって。
ああ、だめだ。惚れるって、こういうことなんだ。
一昨日のことなんてもう考えられない。やるべきことはただ一つ。
狐はこうして、日が暮れるまで拘束されるに至ったのだった。
「ゥン……?」
少し寝ていた。時計を見ると、何時間かワープしている。
さっきまでやたら賑やかだったから、部屋がやけに静かな気がする。
(虎子が三人も友達を連れてくるなんて、初めてね)
ベッドでやることもないので、さっきまでいた歩巳たちのことが思い浮かんだ。
まあ、もっとも、虎子の見舞いに来たはずなのに、当人がただの寝不足で、いささか拍子抜けして
いたようだったけれど。虎子が私の部屋にいたので、自然彼女たちも来ることになって。
あの子たち、家に来た時、とんでもない重病人でもいるような沈痛な様子をしてたっけ。虎子は愛
されてるなぁと思う。
でもそんなことは、ほんとうは最初に見たときからわかっていた。
私が、虎子を平手で打った、あの時に。
私と虎子が仲直りするのを見て、みんな一様に心底ほっとしたような顔をしてた。わざわざあそこ
まで一緒に来て、あんな表情をするなんて、強い絆だって、言われなくてもわかる。
羨ましいと思った。
あの子たちは、虎子を愛している。
失敗ばかりで、能天気で、慌しくて、今にも走り出しそうな、明るくてご機嫌な彼女を。
両親もそうだ。あの人たちは表現の仕方が下手なだけで、誰よりも虎子が好きなのに。
そう。うちのような家庭だと、普通親は相手の子供に気を使う。
けど、うちはあんまりそういうフォロー能力がない。
子供を放ってるって自覚があるから、気が向いたときに虎子に干渉するし、そのくせろくに興味が
ないから、いつまでたっても小学校の子供みたいな感覚しか持っていない。
けれど。
でもそれは、決して愛情がないわけじゃないのよ。
気づいてほしいと思うけど、あのコも精一杯やってる。
奇妙な家族ごっこの中で、必死になにかを守ろうとしている。
そんなコを、嫌いになれる人はいないだろう。虎子は変なコよ。すごく引力のあるコ。
嘘ばっかりの環境にいたから、変なコに育ったのか。
好き勝手に行動して、あちこちでトラブルを起こしながら、気が付くと、しっかり自分が一番した
いことをやっている。
その鮮やかさが、臆病な私はずっと好きだった。
虎子はいつの間にか、私にとって可愛い妹というだけではなくなっていた。
多くの人に、私はどう見えているのだろう。
きっと、いかにも要領がよくて、落ち着いていて、意思を貫徹するような、エリートに見えている
んだと思う。
そう思われることには慣れてるし、弁明する気もないけれど。
実のところ、私は要領がいいのかもしれないけれど、そのくせ肝心なところで不器用で、落ち着い
ているわりには感情家で、意思を貫徹するくせに優柔不断になる一線があり、エリートなのではなく、
理不尽な敗北の舞台に最初から立たないだけなのだった。臆病な、だけなのだ。
対決を避けること。かわすこと。
真剣にならないこと――。
それはいつしか、私のスタイルになっていた。
どこまでもかわし上手で、決して無様にならない道を無意識に探している。
だから、虎子を見ると、自分のおりこうさや器用さが、なぜだかとても淋しかった。
優等生で、敵が一人もいない、誰にでも愛される生徒会長――。
でも、誰にでも愛されるって、誰にも愛されていないのと同じで。
エデンの東という映画があるけれど、あれを見た中でどれだけの人が、できのいい、父親に愛され
た兄の名前を覚えているだろう?
そしてディーンは誰も憎めなくて、嫌いになれないくらい、きらきらと可愛くなってしまうんだ。
でも仕方ないわよね。
私だって、自分よりよほど虎子が好きなんだから。
虎子は、私だけのヒーローなんだ。
ほんとは、あんな風になりたかったんだ。
損な役回りよ。デキがいいだけの姉なんて。
(はぁ……)
眠れないとどんどん気分が暗くなってしまう。
横を見るとおかゆが置いてあった。レトルトだと思うけど、虎子が作ってくれたのだろうか。
そういえばあのコはどうしているのかしら。ちゃんとご飯食べたのだろうか。
そう考えると、ベッドに寝ていられなくなる。
起き上がれないほどじゃないし、大丈夫よね。
おかゆをいくらか食べ終え、脇のカーディガンを肩にかける。
なんだか虎子をダシにして考えることから逃げているみたい。きっとそうなんだろうけど……、こ
れくらい許してほしい。
私は部屋を出て、リビングへ階段を降りていった。
アタシがぼけーっとテレビを見ていたところに、足音が聞こえてきた。誰か帰ってきたのかと振り
返れば、寝ているはずのユリ姉だった。
「ユリ姉? どうしたの? ちゃんと寝てなきゃだめだよ」
立ち上がるアタシを制するように言う。
「ううん、大丈夫よ。随分楽になったもの。ずっと横になってたから、眠れなくなっちゃって。おか
ゆおいしかったわ。ありがとう、虎子」
「あ、うん。なら、いいんだけど。えへへへ。あ、ユリ姉、シシマル先輩の番号教えてくれてありが
とうね」
「ええ」
そう言ってリビングに気分転換にきたはずのユリ姉は、そのままソファに座るのかと思ったら、素
通りしてキッチンの方へ行くではないか。
「え? ユリ姉?」
「お父さんたち、今日出かけてるでしょ? 虎子ご飯まだだったら、作るわよ」
「え。――ええ!? だめだよ! ご飯はまだだけど、ユリ姉熱あるんだから、そんなこと――」
「ほら、まだじゃない。大丈夫よ。もともとそんなにひどい風邪じゃないもの」
「だーめだって! ご飯はアタシが何か作るから、姉ちゃんはじっとしてる! 今お茶でも淹れるから!」
「わ、わかったわよ」
アタシの剣幕に気圧されて、しずしずとソファに腰掛ける。
まったく、風邪ひいて倒れてたっていうのに、なにを言い出すのかこの姉は。そりゃあ、アタシの
心配までしてくれるのは嬉しいけどさ。
キッチンでやかんを火にかける。
そうだった。
ユリ姉はずっと、ずっと、こんな風に長女らしく、いろんなことをしてきたんだ。
すごく自然に気を使う人だ。身体がつらいのに、妹の夕食の心配までしてくれる。
馬鹿な人なんだ。
つらいなら、そういって、わがままになればいいのに。
どうやってわがままをいっていいのかも知らないみたい。
もっと早く、気付けばよかったと、いつも思う。
ふとユリ姉に視線を移すと、窓の外を見ている。
つられて見てみると、お隣の家がクリスマスのライトアップをされて、ぼうっと闇に浮かび上がっ
ていた。
アタシたちはどちらからともなくそれを見上げていて、ふとユリ姉を見ると、子供みたいに無防備
な顔だった。
ああいう顔をもっと見せてくれればいいのに。
アタシはちょっと嬉しくなって、甘いココアの準備をする。
あんなもの一人で見ても、電気代の無駄にしか思えなかったけれど、二人でいるとやっぱり綺麗だ。
ライトアップは、この夜のために用意されていたような気がした。なんとなく。
エピローグ トーマの心臓
「はぁ……、じゃあオマエと傘先生は、なんでもなかったと」
「そう! わかってくれて嬉しいよトーマ! 誤解させてゴメンよー!」
「ああ、いや、別にいい……」
「あ、このっ! 嬉しそうにしちゃって! よーし、任せろよ! きちんと傘先生との仲を取り持つからさ」
「っ!! ……あのさ、そのことなんだけど、違うんだ」
「なんだよー、恥ずかしがることないって! 大丈夫大丈夫、アタシがきっと――」
「や! だから! 傘先生は、その、別に、好きじゃないんだ」
「へ?」
「あっ、や、担任としては悪くないと思うけど……。恋愛対象としては、無理」
「え? え? どういうこと? だって、あの時の言葉はなんだったのさ?」
「いや、つまり、そういう理由を付けとけば、オマエと一緒にいられる時間が…………」
「……ほえ?」
「あ、傘先生のせいなんだ。あんまりオマエとくっついてるから、頭にきてさ」
「それがあの告白と、どう関係あるのさ」
「オマエといつも一緒にいる傘先生を好きだって言えば、自然にオマエとも近くなるし、先生に対し
ての牽制にも……」
「な、な、な、なんなんだそれー!!」
「う、うるさい!」
「じゃあなに、トーマ、先生に嫉妬してたってこと!?」
「ばっ……! ちが……! てなにいやらしい笑い浮かべてんだよ!」
「だって、トーマが、え、えへへへへ」
「違うって言ってるだろ、いいかげんに――」
「よしトーマ、『アタシとトーマの子供の名前リスト』でも考えようか」
「死ね! いろいろと死ね!」
「あのさトーマ」
「えっ! な、なんだよ……。手なんか、握って……」
「素直になるって、そんなにダサいことかな?」
「え……?」
「アタシに、好きだって言ってよ。ほら、ほらほらほら」
「し……!」
トーマが耳まで赤くなる。
「し、し、知るかーーーー!!」
「あざーす!!」
トーマの右を食らっても、気にならない。えへへへ。こんなに照れて、かわいいやつめ。
そうだ、あの手紙の差出人は誰だったんだろう。やっぱりトーマじゃないのかな。でもま、いいか。
ではでは、どーも。あはは。お後がよろしいようで――。
「ぶえっくしゅ!!」
そのころ件の手紙の差出人、傘叫一狼は連日の徹夜からきた風邪をひきずりながら、ワンルームの
自宅でネットゲームに興じていた。
「あ゛ー、ぢぐじょう゛」
あの日、夜には帰すにしても、流石に自宅に連れてくるのは何かと問題があると思い、学校でその
ことを虎子に諭そうとしたのだが、なぜか理科室には風茉莉冬馬がいるし、扉の前には上下山狐がい
るしで中に入れず、結局そのまま家に行くことになってしまったのだ。
虎子はまだ知らない。
傘先生が、ほんとはあんなにきれいな字を書くことを。
周りの人が、どうしようもないくらい彼女を愛していることを。
彼女が気付くのは、それは、もう少し先の話。
(おしまい)