長いような短いような夏休みも終わって今日は二学期の始業式。  
約一月振りに歩く双愛中学校の通学路の途中、ふとその思い出を振り返ってみた。  
 
――色々あった、と思う。  
 
他にも言い様がありそうなものだけど、どんなに言葉を捜しても「色々」という表現以外に適切なものが考えられなかった。  
そもそもの発端はほんの数ヶ月前――ボクが二年生になった直後の事だった。  
誰もが憧れる超名門お嬢様学校、月華学園から双子の女の子が転校してきたのだ。  
少女達の名前は桜月キラとユラ。  
どちらも絵に描いた「お嬢様」がそのまま抜け出できた様な清楚な美少女で……  
それだけでも印象的だったのに、なんと彼女達はボクに一目惚れして、  
たったそれだけの理由でやって来たと言うのである。  
 
これだけでも正に開いた口が塞がらない心地だったのに、直後に彼女達の口から出た言葉にボクの頭の中は真っ白になった。  
 
『私たちを、貴方の彼女にしてください』  
 
瞬間、教室どころか学校中がひっくり返る様な大騒ぎになった。  
男子のムンクの叫びさながらの慟哭と、女子の好奇に満ちた喚声とで。  
 
まあ、後は色々と……本当に色々とあって……  
 
 
夏休み初めの花火大会の夜、二人はボクの恋人になった。  
傍から見れば二対一の付き合いなんておかしく映るかもしれない。  
でもボクは二人の事が本気で好きだったし、二人もボクの事が本気で好きだったんだろう。  
だから違和感は全く無かった。  
むしろ、それが当然に思えた。  
 
そして二人と彼氏彼女の関係で迎えた夏休み本番。  
お互いの家を行き来して宿題をやったり、  
三人(いや、剣持さんとか居たけど……)で海やキャンプに行ったりと、  
物凄く楽しい時間を過ごした。  
 
もっとも――決して期待していた訳じゃないけど――色気のある出来事は無かった。  
それと言うのも彼女達の告白を受け入れた夜、  
「今度はユラちゃんがクラスメートの前でキスしなきゃね」という約束事(?)があったからで……  
あれはキラちゃんの冗談だったのかもしれないけど、  
律儀なユラちゃんは完全にその気になってしまっていて、  
昨日会った時には「明日はとうとう私も貴方と……きゃっ」なんて言ってたくらいだ。  
 
………………  
…………  
……やっぱり、マジで本気なんだろうか。  
 
だとしたら嬉しいと言うよりも恥ずかしすぎる。  
それにクラスのみんなの反応を考えると――嫌な汗が額を伝ってしまう。  
事故とは言え、キラちゃんとキスしてしまった時でさえ私刑にあってるし……  
 
……はあ。  
 
「よぉ、元気にしてたか〜」  
 
突然背中を叩かれてはっと我に返った。  
慌てて辺りを見回す。そこでようやく双愛中学の校門まで来ていた事に気付いた。  
どうやらあの二人の事を考えてる内に完全に自分の世界にトリップしていたらしい。  
何となく……情けない気がした。  
 
「ん? どうした、ボケっとして」  
 
こちらからの反応が無いのを不審に思ったのか、ひょいと眼鏡をかけた少年が顔を覗き込んでくる。  
 
「いや、ちょっと考え事をしていて……それより久しぶりだな、大坂」  
 
「ほんっと、久しぶりだな。  
お前、キラちゃんとユラちゃんに知り合ってからただでさえ付き合い悪いってのに、  
夏休みもず〜っとあの二人と一緒だったもんな〜」  
 
「う……それは……」  
 
「あ〜あ。彼女が出来た途端、男の友情なんてどうでもよくなっちゃうのかね〜」  
 
ニヤニヤしながら冗談めいた口調でそう言う大坂だが、目は笑っていない。  
まあ、大坂とて友人である以前に男だ。  
双子の美少女、しかもその両方と付き合って現を抜かしている野郎を前に、ちょっとぐらい苛つくのも無理はない。  
 
それに大坂以外の男子ときたら苛立たしさどころか殺意すらこもった視線を向けてくるし。  
ちょっとやそっとのどす黒い敵意にはもう慣れっこだ。  
 
「別に自慢にもならないけどね……」  
 
「何が自慢にならないって?」  
 
「あ、いや、別に。  
ただ、友達はやっぱり違うな、って思ったんだ」  
 
「……はあ?」  
 
首を傾げる大坂に曖昧な笑みを送って誤魔化す。  
心の中と口が繋がってしまうのは悪い癖だ。  
ただでさえ「分かりやすい」と言われてるのに……  
 
しかも相手は大坂。  
この友人は特定のテーマに関するアンテナが妙に敏い。  
 
「ところで大坂。そっちは何してたんだ?」  
 
余計な詮索をされないよう、こちらから話を振りつつ大坂を促して歩き出した。  
 
「俺はひたすら彼女作りだよ」  
 
「ふぅん」  
 
「……ちぇ、何だよ。そのいかにも余裕ですって反応。  
いいよなぁ〜、彼女持ちは」  
 
「って事は上手くいかなかったんだな」  
 
「どっかの誰かさんが付き合ってくれなかったお陰だよ」  
 
と、恨みがましく大坂。  
実はよくナンパに誘われるのだが、同行した事は一度もない。  
 
「別にそんなに焦らなくたっていいじゃないか。それで人生終わるわけじゃないしさ」  
 
「コノヤロ〜……やっぱり余裕ぶってるな」  
 
「だからそういう訳じゃないって」  
 
などとどうでもいい話をしながら教室に向かう。  
 
いつも通りなら既にキラちゃんもユラちゃんも登校している筈だ。  
ユラちゃんは本当にあの約束を実行する積もりなのだろうか……  
 
複雑な気持ちのまま教室の扉に手をかけた。  
 
(ええい、もうあれこれ考えてたって仕方ない! ままよ!)  
 
――ガラッ  
 
「……あれ……?」  
 
それは、見慣れている立場としてはある意味異様な光景だった。  
 
喩えるなら、太陽が沈んだ後に月が昇って来ないような。  
或いは灰色の砂漠にただ一匹だけひらひらと蝶が舞っているような。  
それがあれば相対して当然あるべき筈のものがそこに無かったのである。  
 
つまり――  
 
「今日はキラちゃん一人? ユラちゃんはどうしたの?」  
 
「あ、うん……その、ちょっと具合を悪くしちゃって」  
 
どこか申し訳なさそうな表情を浮かべキラちゃんが言った。  
 
いつもならその隣に居る筈の、まるで彼女を生き写しにした様な少女の姿が無かった。  
キラちゃんはキラちゃん。ユラちゃんはユラちゃん。  
そう分かっていても、おぼろげな違和感が湧いてしまう。  
 
「え、そうなの? 昨日は元気そうだったのに……大丈夫かなぁ」  
 
「お医者さまが言うには、ただの風邪みたいだけど」  
 
くすっ、とキラちゃんが悪戯っぽく笑う。  
 
「残念だったね。ユラちゃんとの“あの約束”は、また今度になっちゃうみたい」  
 
「き、キラちゃん! ボクはただ単にユラちゃんを心配しているだけで――」  
 
「あはは。冗談だよ、冗談」  
 
「まったく……」  
 
からかわれた仕返しにキラちゃんに額を人差し指で軽く押した。  
きゃあっ、と可愛らしく悲鳴をあげてキラちゃんが仰け反る。  
 
(そうか。ユラちゃんは、今日は休みか……)  
 
ほっとしたような、そうでないような。  
 
それにしても、昨日あれだけはしゃいでいたユラちゃんが、ころっと体調を崩すなんて……  
何だか這ってでも登校してきそうな感じがあっただけに、余計心配になってしまう。  
 
「ねえ、キラちゃん」  
 
「え? なに?」  
 
「あのさ、今日の放課後――って言ってもお昼だけど――ユラちゃんのお見舞いに行ってもいいかな」  
 
「……」  
 
刹那、キラちゃんが驚いた様な表情を浮かべた――  
 
「勿論! きっとユラちゃんも喜ぶと思うな」  
 
――ように見えたのは気のせい、なのだろうか。  
思わず目を瞬いた後には、彼女は柔らかく微笑んでいた。  
 
「そう。じゃあ……そうだな……  
昼食の後にキラちゃんの家に行くよ。2時くらいかな」  
 
「分かった。ユラちゃんにそう伝えておくね」  
 
「うん、お願い」  
 
やっぱり見間違いだったのだろう。  
そもそも、ユラちゃんのお見舞いに行く事でキラちゃんが驚く理由もない。  
 
その後は愛先生が来るまでキラちゃんと夏休みの思い出話なんかで盛り上がった。  
 
でも――何かが足りない様な……言い様の無い欠乏感を抱いたのは、ユラちゃんが居なかったからだろうか。  
 
 
「――と言うわけでぇ、明日からは普通の授業でーす! 夏休みの課題も明日集めまーす!  
勿論、みんな宿題はやってあるわよね? もし明日、お茶目な冗談が聞こえたら……」  
教壇の上の愛先生が胸の前で手を合わせ、  
「流石の先生でも、ちょっと怒っちゃうゾっ♪」  
と、花の様な笑顔で言った。  
嗚呼、なんて晴れやかな清々しい笑顔なんだろう。  
まるで昔――そう、まだボクが憧れの「愛おねえちゃん」の背中を追いかけていた頃の、  
あの時の優しい優しい慈母の様な笑顔だ。  
……笑顔だ……  
笑顔だけど、何故だろう。  
どうしてその声だけはどことなく冷え冷えとしているんだろう。  
どうしてこうも背筋がゾワゾワとするのだろう。  
どうして「愛おねえちゃん」に(人に言えないような)イタズラをされた記憶が蘇るんだろう。  
…………  
ふと隣の席に目を向けると、大坂が真っ青な顔でガタガタと震えていた。  
大方、美人で普段ニコニコとした表情を崩さない穏やかな愛先生だから――と夏休み中油断していたのだろう。  
だが、まだ大坂は知らない。  
「愛おねえちゃん」の頭の中に、異常なまでに豊富な責め苦の知識がある事を。  
(さらばだ、大坂。ボクは……ボクはお前という唯一無二の親友の事を、生涯忘れない……!  
………………多分な)  
無論、ボクはキラちゃんユラちゃんと共に一切の課題を終わらせてある。  
もしも彼女達と出逢っていなければ、きっと大坂と同じ心地を味わっていただろうけど。  
「じゃあ今日はここまで。みんな、気をつけて帰ってね」  
愛先生のその言葉で二学期最初のホームルームは終わった。  
廃人然とした雰囲気を醸して何やらぶつぶつ言ってる大坂には構わずに、すぐ後ろのキラちゃんを振り返る。  
「じゃあキラちゃん。朝言ったけど、2時くらいにそっちに行くよ」  
「うん。待ってるね」  
ボクはいつも通りキラちゃんと校門まで行き、彼女の乗る車を見送ってから、雛菊家への帰途についた。  
 
昼食のあと私服に着替えてみやびさんに出かける事を告げ、キラちゃん達の家へと向かった。  
桜月家は、家族より多い使用人を雇っていたり自分の船を持っていたりと、所謂大金持ちの家だ。  
キラちゃんユラちゃんは「かしこまらなくても、自分のお家だと思ってくれていいよ」と言ってくれるものの、  
極々平凡な一般庶民の身としてはどうしても硬くなってしまう。  
そんな訳で、呼び鈴を押して真っ先に出てきたのがキラちゃんだったのは気が楽だった。  
「いらっしゃい。どうぞ、上がって」  
「お邪魔しま〜す」  
キラちゃんの家――と言うよりは屋敷――の中に入るのは初めてではないけど、  
それでも慣れる事はなかなか出来ない。  
例えば、いま踏んでいる絨毯一つ取っても、きっとボクが一生かけて働いて買えるかどうかという値段だろう。  
廊下に何気なく置いてある花瓶(それとも壷か?)だって、  
もし傷でもつけようものなら内臓を売らなきゃいけなくなるかもしれない。  
(……やっぱり……凄いよなぁ……こういうのを『玉の輿』って言うのかな)  
などと思ってから、すぐに下品だと気付いて一人で赤くなった。  
(勿論そういうのを意識して二人を好きになった訳じゃないけど!  
あ〜……ゴメン、キラちゃんユラちゃん)  
心の内で謝ってから自分の浅ましさについつい嘆息。  
それを耳聡く聞いていたらしいキラちゃんが首を傾げながら振り返ってくる。  
「どうしたの?」  
「う、ううん。別に。  
それよりユラちゃんの調子はどうなの?」  
「朝よりもずっとよくなって、もう普段とあんまり変わらないよ。  
きっと急に風邪をひいたから体がビックリしちゃったんじゃないかな」  
「そっか……よかった」  
ほっと息をつく。  
「……」  
と、その瞬間、キラちゃんの顔に複雑そうな表情がよぎった。  
それは今朝、教室でユラちゃんのお見舞いに行きたいと提案した時に見せた表情に似ていた。  
しかも――今回は確信できた。見間違いではない。  
一体どうしたのかと訊きたかったけど、その前にキラちゃんが彼女の部屋の前で立ち止まった。  
 
「ユラちゃん、彼が来てくれたよ」  
キラちゃんは扉をノックしてそう言うと、ノブを回した。  
彼女に続いてボクも部屋の中に入る。  
ユラちゃんはベッドの上で上半身を起こして前髪に手を当てていた。寝癖でも直していたのだろう。  
「やあ、ユラちゃん」  
軽く挨拶するとユラちゃんは少し恥ずかしそうに笑顔を見せた。  
「こんにちは。ごめんなさい、こんな格好で」  
「いいよ、無理しないで。  
……うん、思ってたより元気そうで安心した」  
ユラちゃんは服装こそ病人のそれだったけど、顔色も悪くないし声音もしっかりしている。  
どうやらキラちゃんの言ったとおりみたいだ。  
ボクはベッドの傍の椅子に腰掛け、ユラちゃんの顔を覗き込んだ。  
「でも一度は熱が出たって言うし、一応しっかり休んでおいた方がいいよ」  
「うん……あ、あのっ」  
「ん?」  
「その……今日、は……えと……」  
ユラちゃんが急に真っ赤になって言いよどむ。  
その様子で彼女の言いたい事が何となく分かった。  
おそらく“あの約束”――即ち、キスの事だろう。  
昨日の言動から考えて、それなりに楽しみにはしていた筈だ……  
(……なんて考えるのはやっぱり自惚れ、だよなぁ)  
 
と、都合の良い考えを頭の中から追い払った直後、  
「き、キ……キス……できなかった、ね……」  
まるで完熟トマトみたいに頬を染めてユラちゃんが言った。  
(……)  
どう言えばいいのやら……  
まさか都合良く描いた想像が的中しているなんて……  
このテの事はいざとなると女性の方が積極的だと聞くけど、それは本当なのかもしれない。  
しかし本当にユラちゃんがキスの事を気にしているのなら、ここは意気地を振り絞るべきではないだろうか。  
いや、振り絞るべきだ!  
考えてみればいつだってこっちは受け身だった。  
デートだっていつも二人の方から誘ってくるし、告白だって二人の方からだった。  
だから今くらいは……  
「……ユラちゃん」  
「え……ぁっ!」  
ユラちゃんがこちらを向いたその瞬間。  
ボクはぐいっと上体を伸ばして、そっとユラちゃんの唇に自分の唇を重ねた。  
それは、ただ唇を重ね合わせるだけの幼いキス。  
それでも彼女の唇の柔らかさに不思議な心地良さを覚えた。  
「……」  
「……あ……」  
ゆっくり唇を離すと、ユラちゃんは微かに名残惜しそうな声を上げた。  
彼女も同じ様に感じてくれていたのだろうか。  
「ちょっと約束とは違うけど……でも、約束の日は今日だったから、ね」  
しかし恥ずかしい。  
ひたすら恥ずかしい。  
少しでもそれを紛らわすために努めて軽い口調でボクは言った。  
「そ、そう、だね……でも……」  
漫画なら湯気が立ちそうな顔でユラちゃんが俯く。  
「嬉しい……とっても……」  
そう呟いたユラちゃんは、今まで見た事が無いほど可愛かった。  
 

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