「よく降るね。」  
 ボクはティーカップをソーサーの上に置くと、窓の外を眺めながら呟いた。  
「梅雨ですものね。」  
 ボクの向かいに座ってるユラちゃんも同じく窓の外を眺めながら呟いた。  
 外は雨 、ただ今梅雨真っ盛り。 ここは桜月邸、つまりはユラちゃんの家。 あの日初めてお邪魔して以来、時々こうして演奏会兼お茶会に招かれてる。  
 今日もお互いの曲を披露したあとお茶をご馳走になってたのだ。  
「天気予報でも梅雨明けはまだ先だって言ってたしね。」  
「じゃぁ今年も七夕は雨かしら…。」  
 ユラちゃんは空を見上げポツリと呟いた。  
「織姫と彦星…、 逢えるかしら。」  
「ん? ああ、そっか。 伝説じゃ七夕の日に雨が降ると天の川が増水して…」  
「ハイ。 折角の1年に1度の出逢いなのに…。」  
 そう呟いたユラちゃんの切なげな横顔にボクはドキッとした。  
 
「ねぇ、ユラちゃん。 七夕伝説ってアジア各国にあるって事は知ってる?」  
「あ、ハイ。 詳しく知りませんが聞いたことあります。」  
「うん。 で、どこかの国ではね、七夕の日に降る雨は涙雨だって言われてるんだって。」  
「涙…雨、ですか?」  
「そ、再会に喜ぶ織姫と彦星のね。」  
「まぁ。 とってもロマンチックですね。」  
 ボクの話を聞いてユラちゃんは顔を綻ばせた。  
 良かった。 やっぱりユラちゃんには笑顔が一番良く似合う。 尤もこんなクサイセリフ、本人に面と向かっては言えないが…。  
「他にも雨で増水するとカササギが翼を連ねて橋を架けてあげるって話もあるんだよ。 そう考えれば雨の七夕ってのも中々オツなものだよね。」  
「ハイ。 とってもステキなお話教えてくれてありがとうございます。 ところで貴方は七夕にどんなお願いをされますか?」  
「え?」  
 ユラちゃんの質問にボクは一瞬戸惑った。   
(本音を言えばユラちゃんともっと仲良くなりたい…、 ってそんな言葉面と向かって言えないよ…。)  
 ユラちゃんはジッと僕を見つめて答えを待ってた。  
「え、えっと、 もっとピアノが上手になれますように…かな?」  
「まぁ、じゃあ私と一緒ですね。 私も今よりもっとフルートが上手に吹けるようになりますように。 って。」  
「そっか。 じゃあお互いもっと頑張って練習して上手になろうね。」  
「ハイ。 頑張りましょ。」   
 
「しっかし本当によく降るね。」  
「そうですね。 でもチョット小降りになってきたかしら?」  
「ボクも基本的に雨はそんなに好きじゃないしね。 でも梅雨は結構好きかな。 紫陽花がキレイだからね。」  
「そうですね。 雨に濡れた紫陽花って…とってもキレイですよね。」  
 うっとりした表情でユラちゃんは答えた。  
「うん、だから普段の雨の日は外出も億劫だけど、梅雨時は結構出かけるんだ。 まぁ、流石に大雨の日とかは家にこもってるけど。 ハハ…」  
 ボクにつられるようにユラちゃんもクスリと微笑んだ。   
「あ、そうだ。 でしたらウチの庭の紫陽花もご覧になっていきませんか?」  
「いいね。 じゃぁコレ頂き終わったら是非拝見させてもらおうかな。」  
 ボクはケーキの残りを口に運んだ。  
 
 お茶とケーキを食べ終わったボクはユラちゃんに案内され庭に出た。  
 そこには藍、紫、ピンク、白…色とりどりの鮮やかな紫陽花たちが出迎えてくれた。 種類も数も豊富で実に壮観な見応えだった。  
「うわぁ、こりゃ凄いや。 うん、まるであじさい寺みたいだ。」  
 ボクは思わず喚声を上げた。  
 そんなボクの姿を見てユラちゃんはクスリと微笑む。  
「ア、アハハ…、チョットはしゃぎ過ぎちゃったかな?」  
「ううん。 喜んで貰えて嬉しい。 ウチの庭師さんたちも喜ぶわ。」  
「うん、とても丹精込められてるのが良く分かるよ。 どの紫陽花もとってもキレイだもん。」  
 雨は小降り。 こうして花を愛でるには丁度良かった。 静かな雨音に包まれながらのお喋りは楽しく、時間の経つのも忘れ夢中で話し込んでた。  
 
「少し雨の勢いも強くなってきましたね」  
 ユラちゃんは呟いた。  
 どうやら少々鑑賞とお喋りに夢中になりすぎたみたいだ。  
「そうだね。時間ももう大分経ったしそろそろお暇しようかな…。」  
 その時雲に覆われた空が突然閃いた。 そしてやや間を置いて大きな雷鳴が轟いた。 大気を震わすような凄まじい轟音。  
 だがボクにとってその雷鳴すら比較にならないほどの衝撃が走った。  
「キャアァッ!!」  
 雷鳴の轟音にユラちゃんが驚きのあまりボクに抱きついてきたのだ。  
 …世界中の音が消えた。 そう錯覚させるほどボクにとっては衝撃的だった。  
「だ、大丈夫…? ユラちゃん?」  
 激しく脈打つ心臓、昂ぶる鼓動を押さえながらボクはユラちゃんの肩にそっと手を置き尋ねた。  
「ハ、ハイ…。 キャ!? ご、ごめんなさい! わ、私ったらビックリしちゃってつい…。」  
 ボクの腕の中でユラちゃんは顔を赤らめながら応えた。  
「い、いや。 気にしなくていいよ。 物凄い轟音だったんだモノ。 ビックリして当然だよ…ね?」  
 平静さを取り繕おうとするが心臓の昂ぶりは一向に収まらない。  
「あ、あの…。 もう少し…だけこうしてて良いですか? 何だかビックリした拍子に、体の力が抜け…ちゃったみたいで…。」  
 ユラちゃんが恥かしそうに話し掛けてきた。  
「え!?、 う、うん。 イイよ。 落ち着くまでいつまでだって…。」  
 腕の中のユラちゃんの体は思った以上に細く華奢で、柔らかで… 繊細に扱わないと壊れてしまいそうだった。  
 このまま時が止まってしまえばいいと感じながらも、一向に収まるどころか益々高鳴る心臓の音がユラちゃんに聞こえやしないかと思う不安でボクの胸は一杯だった。  
 一瞬のようなとても長い間のような時間のあと、ユラちゃんはそっと呟いた。  
「あ、あの…、 ありがとうございました。 もう大丈夫です…。」  
「そ、そう。 良かった。 落ち着いたみたいだね。」  
 ボクは残念なような、ホッとしたような複雑な気分だった。  
 
「と、とりあえず部屋に戻ろう? ほ、ほら雨の勢いも強くなってきたし…」  
「そ、そうですね。 …あ、あの、お帰りの際は護国寺さんにお願いしますので、是非車で送らせて下さい。」  
「そ、そんな。 そこまで甘える訳には…」  
 流石にそこまでして貰う訳にはいけないと思い断わろうとしたが。  
「いいえ!! 是非送らせて下さい!! こんな雨の中歩いて帰って風邪でも引かれたら…。」  
 ユラちゃんは泣き出しそうな瞳で僕を見つめた。  
「そ、それじゃぁお願いするね。 何だか申し訳ない気もするけど…。」  
 大好きな娘にこんな瞳でお願いされて断われる訳など無かった。 ましてやボクの為を思って言ってくれてるのだから。  
 
「ユラちゃん。 今日はお招きありがとうね。 とても楽しかったよ。」  
「こちらこそ。 私も貴方と過ごせてとても楽しかったわ。 また来て下さいね。」  
 車を前に僕らは会話を交わす。  
「それでは護国寺さん。 彼の事ヨロシクお願いしますね。」  
 ユラちゃんは運転手の護国寺さんに向かって話し掛ける。  
「お任せくださいませ、ユラお嬢様。 お嬢様の大切な御学友、責任を持って送り届けさせて頂きます。 ささ、どうぞお乗りください。」  
 護国寺さんがボクに向かって話し掛ける。  
「あ、ハイ。 ではヨロシク御願いします。」  
 ボクは答えて車に乗り込む。  
「では、また明日。 ごきげんよう。」  
「うん、バイバイ。 また明日学校で逢おうね。」  
 窓越しにボクはユラちゃんに向かって手を振った。  
 ユラちゃんは姿が見えなくなるまで門の所で見送り続けてくれた。  
 ユラちゃんの姿が見えなくなってボクはフゥッと一息つく。  
 実はさっき雷鳴に驚いたユラちゃんに抱きつかれて、昂ぶっていた動悸がまだ治まりきってなかった。  
 目を閉じると抱きつかれたときの柔らかな感触が蘇ってくる。 幸せな余韻と車の心地良い振動に揺られ、ボクは眠りに落ちていった。  
 
 
    ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  
 
 
 夜になり雨足は一層強まっていった。 ユラは窓辺に佇み降りしきる雨を眺めてた。  
「…ちゃん。 …ラちゃん! ユラちゃってばァ!!!」  
 ユラは自分を呼ぶ姉の声にハッとした。  
「な、なぁに? キラちゃん。」  
「なぁに?、じゃないわよ。 さっきからずっと呼んでるのに全然気付いてくれないんだモノ」  
 キラはすねたように口を尖らせる。  
「ゴ、ゴメンね。 チョット考え事してて…。」  
「そう? 何だかボゥッとしちゃってて変よ。 そう言えば今日雨の中、随分と長い事お庭を散歩してたんですって?」  
「え、ええ。 紫陽花もとってもきれいだったし、お話も楽しかったから…つい。」  
 話してるとユラは今日の事が思い出されてきた。 カミナリの音に驚いて抱きついてしまった事を思い出すと、また動悸が激しくなり頬が火照ってきた。  
「紫陽花に見とれるのも良いけどほどほどにね。 そういえば何だか顔も赤いわよ? 大丈夫? 風邪とか引いてない?」  
 言われてユラは自分の頬に手を当てた。  
「え? う、うん。 大丈夫よ。 ありがとうキラちゃん。 ゴメンね心配させちゃって。」  
 胸の鼓動は収まる事無く尚も激しく脈打つ。 だがそれは決して不快なものではなく、むしろ何処か心地良い不思議な気分だった。  
 この時ユラ自身もまだ気付いていなかった。 『彼』が自分の中でもはや只の仲の良いクラスメイトではなく、それ以上に大切な存在になりつつある事に。  
 
 

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