「どうして・・・あたしの恋にはいつも試練が付きまとうのかしら・・・」  
 人気のない屋上の片隅で。稲葉瑞樹は瞳を潤ませ、祈りのポーズで雲ひとつない空を仰いだ。  
 そこからは眼下に南校舎と渡り廊下を一望できた。その廊下に面した窓のひとつを、嘆息混じりに眺める。  
 窓の中では、激しい拳打に応戦しつつ逃げ回る戦争バカと、それをひたすら追い続ける――  
(イッセーくん・・・・・・あんなに生き生きとして)  
 分厚い『思い込みフィルター』のかかった彼女の目には、そのように映るらしい。  
 ――あの日、生徒会室で運命的な出会いを果たして。久しぶりに本気で好きになった相手が、よりによって・・・ゲイだったなんて!!  
 屋上に来るたび、そのことが発覚した日の記憶が蘇って涙が零れそうになる。  
「でも・・・でもあたし、諦めないわ! 障害が多いほど恋は燃えるって、誰かが言ってたし!」  
 拳をグッ! と握り締める彼女の瞳の奥にともる真っ赤な炎。背後には、ゆらゆらと陽炎が立ち上っていた。  
 彼の性癖を、なんとしても在るべき道に戻してやりたい。  
 同性愛を真っ向から否定するつもりはないのだが。やはり、恋愛は男女で営むのが自然ではないか。  
 彼に『男女の触れ合い』の素晴らしさを教える――それには、これまで培ってきた自分の知識と経験を総動員する必要があるだろう。  
 まずは十分に計画を練る必要がある。用意するものは・・・  
 
 
 そして十日ばかりが過ぎたある日のこと。  
 終業のチャイムとほとんど同時に、瑞樹が二年八組の教室――椿一成のクラスへと入ってきた。  
「ねえ、イッセーくん♪ 今日は部活もバイトも休みの日よね。帰りになにか食べていきましょっ」  
「い、いきなりなにを言ってやがる・・・」  
「だって、あのお弁当だけじゃ晩御飯までもたないでしょ? いつもできるだけ多めに作るようにしてるけど、育ち盛りなんだから」  
 瑞樹の手製弁当アタックは、件の『相良・椿ラブラブ疑惑』が浮上した後も根気強く毎日繰り返されていた。  
 一成も引き続き、その攻撃をひたすら回避することに専念していた。だがいくら邪険に扱おうと逃げようと、彼女は少しもへこたれず教室に押しかけては昼休みじゅう彼を追い回す。  
 拒み続けるのに疲れた彼は、何日目かでついに白旗を揚げた。それ以来は、食事の一部始終を笑顔で見守る製作者に溜息をつきながらも、毎回しっかり完食していたりする。  
 そもそも弁当の出来自体は、料理の心得がある一成でも十分に満足のいくレベルなのである。  
 それはそれとして。彼は机を叩いて立ち上がると、語気を荒げて捲くし立てた。  
「腹がもつ、もたないの問題じゃねえ。オレが訊いてるのは『なぜお前とそんなことをしなきゃならねえのか』だ!」  
「やだぁイッセーくんたら、こんなところで言わせる気・・・?」  
「どうしてそこで顔を赤らめる!!」  
「もう、ニブいんだからぁ・・・♪」  
 一成の態度などお構いなしに、瑞樹は常にこの調子である。毎度のことだ。  
 他の二年八組の面々も、「あの二人またやってるよ」という視線を遠目に向けるだけであった。  
「ね、たまには外食もいいじゃない。あたし美味しい店たくさん知ってるし、オゴってあげるわよ」  
「む・・・・・・確かに、今日もらった弁当は特に野菜が多めであっさりしてたから、多少腹は減ってきたが」  
 渋々食べていても、一応毎日のおかずの内容はチェックしているらしい。曲がりなりにも料理人のサガか。  
 ともかく、奢るという一言が効いたのだろう。相変わらず不機嫌そうに口を引き結んではいたが、彼は瑞樹の誘いを肯定的に受け止めつつあった。  
 ・・・彼から死角になる方に顔を向けた彼女が、一瞬ニヤリと怪しげな笑みを浮かべたことには全く気づくこともなく。  
 
 瑞樹が一成を連れて行ったのは、駅前通りから少し奥に入ったところにある小洒落た雰囲気の喫茶店だった。  
 実質、初デートである。嬉しさのあまり、彼女は教室以上にテンションが上がっていた。  
「ここ、紅茶の種類が色々あって楽しめるのよ。オススメはこれとか、これかしら。あと、ケーキはこれやこれがすっごく美味しかったわよ。くどくないから胃にも優しいし。それと・・・」  
 テーブルから身を乗り出すようにして、差し向かいに座った彼にメニューを見せながら次々と説明する。  
「わかった、わかった。注文は任せるからさっさと頼んでくれ」  
 放っておいたら永遠に続くかと思われるほどの一方的なマシンガントークを、一成はうんざりしながら押し止めた。  
 一刻も早くこの状況から脱したいというオーラが、これでもかと言うほど漂っている。  
 瑞樹は内心で「そうはいかないわよ」とドスのきいた台詞を吐きつつ、満面の笑みを浮かべて言った。  
「もう、つれないんだから。そこがまたいいんだけど・・・♪」  
「・・・・・・・・・・・・」  
 もはや突っ込む気も起きず、彼は片肘を付いて額のバンダナを押さえた。  
 
 結局、瑞樹は言われたとおりに独断で二人分の注文を済ませた。  
 しばらくして運ばれてきたケーキと紅茶を、それぞれ賞味する。  
「・・・うまいな。それに甘すぎず食べやすい。確かに、薦めるだけのことはあるな」  
「ホント? 良かった♪」  
 美味しい食事の場では、誰しも多少は心がなごむものだ。一成も例に漏れず、入店直後よりいくらか表情が和らぎ、口数も増えていた。  
「紅茶もかなり上等な茶葉を使ってて、それでいてお手ごろな値段なのよ。せっかくだから他のも頼んでみる?」  
 瑞樹が再びメニューを広げ、彼の前に差し出す。  
「ん・・・そうだな。じゃあ、今度はこれを頼む」  
 と、一成は十種類以上書き並べられた紅茶リストの中からひとつを指した。  
 瑞樹が選んだ理由を訊ね、彼が味や香りの好みを伝え、そのまま自然に会話が進む。  
 二人とも特に意識していなかったが、いつの間にか傍目には普通のカップルとなんら変わらない光景になっていた――この時点では。  
 
 紅茶には利尿作用がある。二、三杯ほどおかわりをした一成は、やがてトイレに立った。  
 ド近眼にもかかわらず、土壇場になるまで眼鏡を掛けようとしないので、店員と間違えて客の一人に場所を訊いたりしている。  
 危なっかしいことこの上ない。それでもなんとか無事に見つけたらしく、ほどなく角の向こうへと彼の姿が消えた。  
 その様子を肩越しに見やった瑞樹は、  
「さて、と」  
 自分の通学鞄の中から、こっそりと『それ』を取り出した。  
 ぱっと見では砂糖と言っても通りそうな、白い粉末の入った小瓶。  
 知人の多い父親に頼みこんで、製薬会社の知り合いから特別に購入してもらったものである。  
 効き目は、超がつくほど強力とのこと。添付されていた注意書きも暗記するほど熟読したし、何度か自分でも試してみた。・・・なかなかすごかった。  
 彼の体格なら、分量はこのくらいにすれば――  
 
 一成が用を済ませて戻ると、自分の席の前にティーカップが二つ並んでいた。  
 一方は自分が飲み終わった空のカップ。これはいいとして・・・  
「? なぜお前の紅茶がオレのところにある?」  
 もう一つは、半分ほど中身の残った瑞樹のカップだった。  
「このお茶も、ちょっと変わった味でおもしろいわよ。あたしはもうおなか一杯だから、イッセーくんにあげる」  
「いや、だが・・・その」  
「ああ。あたしが飲んだ位置はこっち側だから。ほら、リップの跡」  
 と言ってカップに指を向け、一成に面している側と反対の縁を示す。よく見れば確かに、視力の低い彼ではすぐ気づかない程度の跡が残っていた。  
 躊躇いの理由を瞬時に見抜かれて目をしばたたかせる彼に、少し勝ち誇ったような視線が向けられる。  
 実のところ、この時点で違和感にも気がつけば良かったのだが――普段の彼女なら、むしろ絶好のチャンスとばかりに『間接キスを迫る』はずだ、ということに。  
 ばつの悪い思いをしながらも、彼は言ってしまったのだった。  
「・・・じゃあ、もらうぞ」  
 カップを手に取った一成は、残った紅茶を一息に飲み干した。  
「本当に変わった味だな・・・まずいって言うほどじゃねえが。まるで薬湯みたいだ」  
 瑞樹が小さく感嘆の声を漏らす。  
「やっぱり料理やってる人は舌が鍛えられてるわね〜・・・」  
「?」  
「ううん、気にしないで。それじゃ、そろそろ出よっか」  
 なんとなく急いた様子で財布を取り出すと、彼女は伝票を持ってそそくさとレジに向かった。  
 どうやら本当に、気前良く全額を奢るつもりのようだ。  
 そして、滞りなく会計が済んで。  
店を出るなり表通りに向けてさっさと歩き始めた一成が、  
「奢ってくれたことには礼を言う。気が済んだなら、オレは帰・・・」  
 愛想なく言いかけたところで、肩に引っ掛けようとした鞄がドサリと落ちた。  
 腕の力が――いや、それだけでなく全身の力がどんどん抜けていく。  
(っ・・・なんだ・・・?)  
 視界が暗くなり、同時に重くのしかかるように狭まる。次いで、すさまじい睡魔が襲いかかってきた。  
「うっ・・・・・・」  
 あとは、自分が倒れたことすら認識できなかった。  
 
 彼が倒れ伏す前に体を受け止めた瑞樹だったが、支えきれずに押し潰されてしまった。  
「お・・・重いっ・・・」  
 一成は男としては小柄なほうだが、瑞樹も体は小さい。担ぐのはそう簡単なことではなかった。  
 まずはここが勝負どころだ。これから『隣の建物の一室』まで、彼を背負って運ばなければ――この後の『計画』が実行できない。  
 付け焼き刃ではあるが、あの日からダンベルで筋トレも続けてきた。このくらいの距離ならなんとかなる。・・・というか、なんとかしてみせる。  
 先に二つの鞄を左右の腕に引っ掛けてから、  
「ふん・・・ぬぅっ・・・!」  
 乙女としてはなかなか恥ずかしい掛け声で一成を背負い上げると、彼女はよろめきながら目的の建物へと向かった。  
 
「うぅ〜・・・ん?」  
 一成が目を開けると、見慣れない天井が広がっていた。  
 照明は淡くおぼろげで、部屋全体が薄暗い。もう夜なのだろうか?  
(どこだ、ここは・・・)  
 左右に首を巡らせつつ身を起こそうとした途端、  
「! ぐぇっ・・・」  
 喉元になにかが引っ掛かり、苦悶の声が出る。  
 咄嗟に首に持ってこようとした両腕も、接着剤で貼り付いたように動かない。  
 いや、見れば実際に貼り付け――もとい、縛り付けられていた。  
「起きた? それじゃ、始めましょっか」  
 傍らの椅子に座っていた瑞樹が立ち上がり、妙な威圧感のある眼差しでベッドを見下ろす。  
「げほっ・・・な・・・なにをだ。こんな状態にして・・・」  
 彼はダブルベッドごと荒縄でがんじがらめにされていた。  
 首のすぐ下からズボンのベルトの辺りまで、簀巻きに等しい様相である。なぜか下半身は全く固定されていないが・・・  
「あなたも知らないわけじゃないでしょう? 『ここ』がどんなことをする場所か」  
 彼女は室内を一瞥し、朗読でもするような口調で言った。  
「・・・ま、まさか・・・」  
 そこでようやく思い至る。  
 この、寝室にしては無駄に広い空間。自分の横たわる大きなダブルベッド。ここからでも中が丸見えの――そうなるように窓が配置されている――これまた大きな浴室。  
 近眼の目で見ても確信できるほどに、それらの特徴は明瞭すぎた。  
 間違いない。話でしか知らないが、詰まる所ここは――  
「イッセーくん。あなたが男同士でないと愛を感じられない人だ、っていうことは分かってるの。その性分を無下に否定する気は毛頭ないわ。それだけは誤解しないでね」  
「い、いや、待て稲葉。誤解はお前のほうだ」  
 さーっと顔から血の気を失う彼にはまるで構わず、瑞樹は室内を即興のステップで歩き回る。その身振り手振りは、舞台役者さながらの仰々しさだった。  
「でもね。男女の交わりだって、それはそれは素晴らしいものなのよ? 今日はそのことをあなたに伝えたくて・・・こうして個人授業の場を設けたのよ」  
「設けなくていいっ! 人の話を聞け!! この・・・くっ」  
 口で言っても無駄と判断し、一成は戒めを力ずくで解こうとした。  
 だが、身体にほとんど力が入らない。全く縄の巻かれていない足でさえも、うまく動かせなかった。  
「なんだ・・・どうなってる?」  
「さっきのお茶に入れた、チョー・強力な睡眠薬。あれ、副作用として筋弛緩作用があるのよ。少し多めに飲むと覚醒後もしばらく残るらしいわ。二、三十分程度だけどね」  
 ぺらぺらと淀みなく解説する瑞樹。  
 事前の予習と、自らをモルモットにした実験の賜物だろう。もはや賞賛に値する入念ぶりだ。  
「なっ・・・」  
「でも、自律神経には影響がない。つまり心臓が止まったりしないのと同じで、ソレはちゃ〜んと機能するってこと・・・♪」  
 と、彼の下半身の『ある一点』を指してくすっと笑う。  
 それは一成にとってまさに悪魔の微笑み。彼女の頭や背中から、今にも角や翼が生えてきそうに思えた。  
 ひととおりの説明を終えた瑞樹が、ベッドに迫ってくる。  
「任せて。伊達にカレシ持ちだったわけじゃないのよ・・・」  
 やけに勇ましく上着を脱ぎ捨て、しゅるっと胸のリボンを解いて放り投げ、ブラウスの袖を二の腕までたくし上げて。  
「し、知るかそんなこと! 来るな、寄るなっ!」  
「オンナの魅力をたっぷり教えてあげるからね、イッセー♪」  
 もともと少々きつい印象のその目は、今や獲物に狙いを定めた猛禽類のそれだった。  
「やめろ、やめろぉっ!!」  
「では、一時間目を始めま〜す♪」  
 ・・・こうして、瑞樹の個人授業が幕を開けた。  
 
 最後の抵抗でじたばたと動かす両足も、少女の腕力にたやすく屈する程度の力しか発揮できていない。  
 瑞樹は彼のベルトを外すと、制服のズボンを苦もなく脱がせた。  
 地味な色合いのトランクスが姿を見せる。まずはその上から、隆起した箇所に手を沿わせ・・・  
「っ・・・!」  
「あら、意外と反応がいいじゃない」  
 早くも硬さを帯びてきた一物のラインをなぞるように、何度もさする。  
「それにこれは・・・あたしの元カレより段違いに大きいわね。なんか、嬉しい♪」  
「やっ・・・やめ・・・っ」  
「もう、褒めてるのに。そういう人には・・・えいっ」  
 と、トランクスを足首まで引きずり下ろすと、露わになった一成のそれを直に両手で包みこんだ。  
 そのままテンポ良く上下にしごき始める。  
「うっ・・・あっ・・・」  
「どう? 気持ち良くなってきた?」  
 ひくひくと動く彼の一物を瑞樹は面白そうに眺め、ぬめりを生じてきた先端を指先でつつき回すように弄くった。  
 続いてそこへと顔を寄せて、挨拶をするように一度口付けてから、棒の側面へと舌を這わせていく。  
「ぐっ、うぅっ・・・」  
「我慢しなくていいのよ・・・んっ、んっ」  
 棒全体に舌を絡めては、口の奥まで含んで丁寧にしゃぶる。  
 手のしごきも再開しつつ、上顎と舌を用いて先端周囲を舐め転がした時、彼のそれがびくりと大きく震えた。  
「うっ!!」  
 自身を咥えた彼女の口腔へと、一成の雄が勢い良く放たれる。  
「んっ・・・ぐ、んぐっ」  
 瑞樹は温かいその液体を一滴も零すことなく受け止め、嚥下していった。  
 少量だけ飲み込まず口内に残し、今度は顔の近くへとにじり寄る。  
「ふふふ・・・」  
「な・・・なにを・・・」  
 意味ありげな微笑が間近に迫り、一成は反射的に首を反らしかけた。  
「! ・・・んんっ・・・」  
 逃げる彼の頭部を両手でしっかりと固定した瑞樹が、唇を重ねる。彼の口が反応を示すより早く、舌を差し入れて通路を確保。  
 そして残しておいた彼の分泌物を、自分の唾液もろとも注ぎ込んだ。唇はしっかり蓋をしたまま離さない。  
「んむぅっ! んっ・・・んむっ・・・・・・んっぐ・・・」  
 観念した一成がそれらを飲み下すのを確認してから、ようやく瑞樹は彼の口を解放した。  
「・・・はい、一時間目終了」  
 立ち上がり、腕組みをして感慨深そうに頷く。  
「思ったより見込みあるじゃない、これなら改善も早そうね。安心したわ」  
「あ・・・・・・あの・・・なぁ・・・」  
 しばしゼイゼイと浅く速い呼吸を続けたのち、一成は縄の下で握り拳を何度か作ってみた。  
 ――そろそろ、戻ってきたか。  
「ったく・・・・・・ふんっ!!」  
 気合の声が発せられた瞬間、彼の身を拘束していた荒縄が千切れ飛ぶ。  
「あっ・・・」  
「なんてことするんだ、お前は・・・信じられねえ」  
 トランクスを引き上げ、縄の残骸を払いのけて、肩や首の関節をこきこきと鳴らしながら緩慢に身を起こす。  
 今やもう呆れ果て、怒る気も失せていた。  
「だって、だって・・・・・・イッセーにノーマルな恋愛を教えたかったんだもん・・・」  
 途端に勢いをなくして肩をすぼめた瑞樹が、子供のようにいじけた口調で返してくる。  
「だから誤解だと言ってるだろうが。オレはもともとノーマルだ!」  
「え・・・・・・じゃあ・・・」  
 数瞬の間、呆けたように表情を止めていた彼女の瞳から・・・・・・やがてぼろぼろと涙が零れ落ちた。  
「げっ!」  
 学校で散々見せられたような演技の涙ではない、本物の涙だ。一成にもそのくらいの判別はついた。  
「な、泣くないきなり!」  
「だって・・・だってぇ・・・・・・」  
 安堵感と罪悪感、嬉しさと恥ずかしさと。様々な感情がごちゃ混ぜになって、瑞樹はどうしたら良いか分からなくなっていた。  
 
「とっ・・・とりあえず、突っ立ってないでその辺に座れっ! まるでオレがいじめてるみたいじゃねえかっ」  
 一成は明らかにうろたえた様子で、自分があぐらをかいているベッドの縁を指した。  
 言われたとおりにちょこんと腰を下ろした瑞樹は、しばらく鼻をすすっていたが、  
「・・・ごめんね」  
 ややあって、ぽつりと言った。  
 不機嫌顔から端的な返事がなされる。  
「もういい」  
 ・・・それから何分か沈黙が流れて。  
「・・・・・・あの、さ」  
 彼女が胸の前で指先をもてあそびながら、上目遣いで伺いを立ててきた。  
「二時間目。・・・どうする?」  
「まったく・・・」  
 大きく息を吐き出す。溜息など滅多につくことはなかったはずなのに、彼女と出会って以降、すっかりお馴染みになってしまった。  
 短時間だが激しい逡巡とともに、後頭部を乱暴に掻いた後――彼は、そっぽを向いて小声で答えた。  
「断ったって・・・絶対諦めねえだろ、お前」  
 
 歓喜も顕わにベッドの真ん中まで上ってきた瑞樹が、彼の前に行儀良く座り込む。  
 一成はごくりと一度喉を鳴らし、眼前のブラウスを恐る恐る掴むと、ボタンを上からひとつずつ外していった。  
「この際だから白状しちまうが。・・・オレ、『やり方』よく知らねえぞ」  
「あ、やっぱり?」  
 彼女は少しも驚かず、それどころか予想が当たって喜んでいるようだった。  
 どこまでも見透かされている。どうしてゲイ疑惑が誤解だと気づかなかったのか、不思議に思えるほどの鋭さだ。  
 苦虫を大量に噛み潰したようなしかめっ面で、一成は彼女のブラウスを完全に開放した。  
 やる気満々の豪奢なブラジャーと、それに囲まれた傷ひとつない乙女の柔肌が視界に飛び込む。  
「うぅ・・・むむ〜っ・・・」  
 早くも正視できなくなり、彼は変な声を上げて俯いてしまった。  
 その茹で蛸のように真っ赤な両頬に、ひんやりとした指先が当たる。  
「ほらほら。まだなにも始まってないわよ」  
 彼の顎に指を引っ掛けて自分の方を向かせた瑞樹は、至近距離から瞳を覗き込んだ。  
「ああ・・・その・・・」  
「また、あたしから行ったほうがいいかしら?」  
 言うが早いか、一時間目の要領で唇を重ねてくる。  
「っ!?」  
 驚いて身を引いた勢いで、彼は再び仰向けに倒されていた。  
「んっ・・・・・・ふ・・・ぅむっ・・・!」  
「んんっ、ん・・・」  
 彼女の舌が彼の口内で勝手気ままに踊り、内壁の各所を柔らかく叩く。  
 同時に、重力を活用して全身で密着してくる。ブラジャーのみを隔てたバストが、弾性を発揮して見事にひしゃげていた。  
 小柄な体格からは想像できないほどのボリュームである。  
「むぅっ・・・・・・んむぅ・・・!」  
 強烈すぎる刺激で心臓が爆発しそうになり、一成は彼女の肩を掴んで引き剥がした。  
「んっ・・・」  
 鍛えられた腕力で軽々とリフトされた瑞樹が、  
「もう。ケンカを挑む時の度胸はどこに行ったのよ」  
 と、優しい口調で言って手を動かし、荒く息をつく彼の口元に残った雫を拭い取った。  
 物足りなそうにしつつも、慈しむような微笑。それは、一成が初めて見る彼女の素の笑顔だった。  
 極限まで引き延ばされたかのような、短い静寂の中で。  
「あ・・・・・・」  
 緊張とは異質の鼓動が、彼の全身に響き渡る。  
「・・・すまん」  
 一言だけ告げてから、持ち上げた彼女ごと腹筋を使って身を起こし――あとは自然に身体が動いた。  
 瑞樹が驚愕の声を上げる。  
「!! イッ・・・セー・・・?」  
「・・・やっと、意表を突けたか」  
 華奢な背を抱きすくめて、耳元にそっと囁いた刹那、一成は腹を決めた。  
 素直に思えた――彼女が欲しい、と。  
 
 やはりと言うべきか、スカートの下はブラジャーとお揃いの勝負下着だった。  
「どこに触ってもいいからね」  
 無防備な発言が耳に入って逆に気後れしながら、まず胸部の覆いを取り払いにかかる。  
 ホックを外した途端、細身のわりに大きな二つの房がふるんと転がり出てきた。  
「っ・・・」  
 すでに何回目なのかカウント不能な生唾を飲み込んでから、それらの片方に掌を当てる。  
 その手首をきゅっと瑞樹が掴み、  
「っふ・・・揉んで、好きなだけ」  
 逆の手は彼の肩に回し、いっそう体を寄せてくる。  
 力加減が分からないので、一成はとりあえず掴んだ房を撫で回すように動かしてみた。  
 それから少しずつ指先も用い、捏ねる動きへと移行させていく。  
「んん・・・ぅんっ、イイよ。上手・・・ぁんッ」  
 彼女の声が、次第に艶やかなものへと変化する。  
 片手は腰のくびれに添えているので、双丘の片割れは放置されている。揉む動作はそのままに、視線をそちら側へと向けていると、彼女がすかさず促してきた。  
「口も・・・使っていいよ?」  
 ――また、読まれたらしい。  
 敵わねえ・・・と思いながらも、今度はなぜか嫌な気分はしなかった。  
 
 無骨な指が華やかなショーツを下ろし、露出された秘所にそろそろと伸ばされる。  
「・・・大丈夫なのか?」  
「なにが?」  
「その・・・この辺、触っても」  
 彼女の口から小さな笑い声が流れた。  
「もちろん。あたしだって、あなたにしてたじゃない。こうやって・・・」  
 と言って、トランクスの隙間からほっそりとした手を差し入れてくる。  
「っ・・・そうだけどよ・・・」  
 下半身からむらむらとした衝動を感じつつ、一成は茂みの向こう側へと静かに侵入した。  
「ぅんっ・・・ふ・・・・・・はぁッ」  
 割れ目を探る指先が彼女のポイントに当たるたび、官能的な溜息が漏れる。  
 やっと目的地を探り当てた時には、そこはぬるりとした蜜に溢れていた。  
「・・・すごいな」  
 率直な感想を述べると、再び瑞樹が可笑しそうに笑った。  
「っふふ・・・『イッセーが』こんなにさせたのよ」  
「なっ・・・・・・!」  
 心臓を撃ち抜かれたかのような衝撃が、彼を貫く。  
「もっと、もっと感じさせて・・・」  
 彼の首筋に唇を寄せた彼女が、熱を帯びた吐息とともに囁きかけてくる。  
「う・・・」  
 自身が先程とは比べ物にならないほど強く反応し、一成の体温と鼓動は急激に上昇していった。  
 ある瞬間――思考回路のどこかがぴたりと止まる。  
 気がつけば、湧き上がる本能を抑えようともせず、むしろ進んで身を任せる己がいた。  
 なにかを思う前に指が動く。  
 始めはゆっくり、秘唇の輪郭をなぞるように。そして内へと差し入れて、徐々に加速させながら、蜜壷の内壁を幾度も巡らせる。  
「んん・・・・・・あ、あぁっ・・・ぅんっ、はぁんッ!」  
 段々とトーンを上げる彼女のなまめかしい声と、壷の口から紡ぎ出される淫猥なメロディが、二人の欲情を際限なく増幅していく。  
 空いた腕が、彼女の細腰をしっかりと抱き寄せる。理由など考えるはずもない。  
 いつしか彼は、目の前で揺れる柔らかな房に何度となくしゃぶりついては、対照的に硬く実った頂を無我夢中で味わっていた。  
「ああっ、あぁんッ・・・・・・いぃ、イイよイッセーっ・・・サイコー・・・はぁ、あぁんッ!」  
 瑞樹は白い喉を晒して頻りに鳴き、それでも二本の腕は常に彼の頭を大事そうに押し抱き続けた。  
 
 枕元のボードに独特の存在感を持って鎮座している、某戦争バカ曰く『応急用水筒』。初めてそれを手にした一成は、慣れない手つきで一物へと被せた。  
「ナマで入れてもあたしは全然オッケーだけどね♪」  
「ばっ・・・バカ言うんじゃねえっ」  
 どこまで本気なのか分かったものではない。  
 焦りの表情で彼が着け終えるや否や、瑞樹はその一見華奢なようでいて筋骨逞しい両肩に手を添え、向かい合う形を取った。  
「普通はどういう体勢でするものなんだ?」  
「色々あるけどね・・・今回は『これ』でいきましょ。イッセー、腕の力あるし」  
 と、尻餅姿勢の彼の両腿に開脚して座る。  
 それから一旦腰を浮かせると、勃起した彼のものを持って迷わず自分の割れ目へと宛がった。  
「っ・・・これは・・・オレはどうすれば」  
「はい、ここ掴んでて。乗っかったら、ちゃんと持ち上げてね」  
 詳しくは説明せず、彼に一物を支えさせてから、ゆっくりと腰を下ろしていく。  
「あっ・・・ああッ、すごいすごい・・・アイツなんか目じゃないわぁ・・・」  
 他人には到底知りえない比較をしながら、瑞樹は根元まで彼を咥え込んだ。続いて躊躇なく全開した両脚で、彼の胴をがっちりロックする。  
 一成に見せる、かつてないまでのはしたなさだ。  
 抑制しきれない羞恥心。それすら、彼女は陶酔へのエッセンスに昇華していた。  
「あぁ・・・はあッ。・・・ね、膝で立って・・・動かして? こんな、風に・・・・・・んッ」  
「立って・・・・・・こうか」  
 自分に密着している骨盤を支えつつ、一成は膝立ちの姿勢を取った。持ち上がった彼女を、直前の手本に倣って上下に往復させる。  
「う・・・っく・・・」  
 淫らな響きに彩られ、粘性の強い肉壁がリズミカルに自身へと絡み付いてくる。  
「あ、あ、あぁッ・・・イイ、イイ、すごいぃ・・・ぃあッ、ああぁんッ!」  
 瑞樹は快楽の波に合わせて背筋を反らしては、彼から離れるまいと再びすがりつく。  
 対する一成は、いつの間にか自分の腰も前後に揺らして彼女へと打ち付けていた。  
「ああッ、イッ、セー、イッセぇぇ・・・・・・はぁん、ああぁぁぁッ!!」  
「ふっ、くぅ・・・・・・うぅっ!!」  
 彼女が一際弓なりにしなった刹那、彼の今日二度目の雄が放たれていった。  
「あ、あぁ・・・」  
 オルガズムを越えて脱力した彼女が、がくりと後ろに倒れかかる。  
 自らも瞬間的に力が抜けたためにバランスを崩した一成は、  
「!! ミズキっ・・・!」  
 咄嗟に叫んでいた。  
 どさっ、という衝撃に続き、スプリングの細かな伸縮が全身に伝わって。  
「「・・・・・・あ」」  
 二人の声が重なる。  
 すんでのところで彼女の後頭部をガードした彼に、きょとんとした顔が向けられた後・・・  
「・・・聞〜いちゃった」  
 悪魔のように意地悪に見えて、天使のように愛らしい微笑。  
「わっ・・・忘れろ!!」  
「ぜぇったい、や〜よ♪」  
 見事に赤面してあさっての方角を向く一成に、瑞樹が狂喜の態で抱き付いた。  
 
 
 ベッドに臥した一成は、どこか新鮮な疲労感に身を委ね、半ばまどろんだ状態で呟いた。  
「・・・しかし、たまげたな」  
「言ったでしょ? 伊達にナンパなカレシがいたわけじゃないのよ」  
 賛辞の対象が自分だと悟った瑞樹が、隣で得意気に胸を張る。  
「お前の元カレの性格なんぞ、オレが知るか」  
「冷たいわねぇ。そういうこと言ってると、ソッコーで三時間目始めちゃうわよ」  
 告げるなり、掛けていた布団を捲って身を乗り出し、彼に覆い被さってきた。  
 つくづく驚異的なバイタリティである。この小さな体のどこにそんなものが秘められているのか、解明される日はきっと来ないに違いない。  
「まだ先があるのか・・・」  
 一度はげんなりとした台詞を返した一成だが、  
「あるわよ、当然。これから教えてあげるからね。じっくり時間をかけて・・・♪」  
 ふわりと降りてきた世界でひとつだけの微笑みに魅せられて、それ以上なにも言えなくなってしまった。  
 ――どうやら明日の『学校の授業』は、全休を覚悟したほうが良さそうだ。  
 
 
おわり  
 

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