その日、おれは何の気なしにぼんやりと砂浜にいた。何にもすることが無かったし、かといって自主トレなんて無粋なことするほど天気も悪くなかった。  
 マオ姉さんの目を盗んでおれが個人的にプライベートビーチと呼んでいる小さな小さな入り江状になっている浜辺で、のんびり誰から巻き上げたのかも忘れたラッキーストライクを吹かしながらくつろいでた。  
 しばらく機嫌よくしていたら、背後でガザガザと草を掻き分ける音がする。とてもプロの歩き方とは思えないたどたどしい足音は俺に近づいてくるので、めんどくさそうにだらっと振り返ったら、我らが艦長様がおいでになっていた。  
 「う、ウェーバー軍曹!」  
 「……ど、どうなさいました艦長!」  
 スーツとローヒールに草を絡ませて立ち尽くしているのは涙でボロボロになっている女の子だった。  
 すわ敵襲か!?と慌てて立ち上がると、シーソーみたいにこんどはテッサがその場にしゃがみ込む。  
 「あははは、ごめんなさい……他に知ってる人がいたのね、ここ」  
 泣く所なくなっちゃった、へたり込みながら必死で軍服の裾を顔に擦りつけて涙を拭う彼女は小さくて、でもおれは何が何やらワケが分からず、立ち尽くしているしか仕方が無かった。  
 「えと、えと、どっか行った方がいいですか?」  
 ようやく出た言葉が気の利かぬどっかの唐変木のようで苦笑いが出る。  
 「いえ…そこにいてください。私が行きます」  
 
 しゃくり上げながら呼吸も途切れ途切れにテッサが立ち上がろうとするので、おれは小走りで彼女のそばに立って尋ねた。  
 「あー、宜しければ話くらい聞くよ?なんかあったの?  
 まあこんな所で座ってないで、浜行こう、お日さん当たってぬくいよ、ほら」  
 手を軽く引っ張っると、彼女は素直についてきた。ざくざく砂を踏む音が二つ。  
 上着を脱いでその上に彼女を座らせ、おれは咥えていた煙草を消して砂に埋める。  
 打ち寄せる波音はざぁざぁと寄せては返してやけに耳につく。  
 少女は隣でぐすぐす啜り上げながら声も無く泣いているので、しばらく放って置くことにした。  
 涙が全部出たらすっとするから、それまで待ってあげるのは女の子と付き合っていく上で結構重要なテクニック。下手に慰めたり、励ましたりなんかしたって余計に火が付くだけで効果は上がらない。  
 この子はどじでぽやーっとしててお人よしだけれども、バカでもなけりゃ弱くもないし、当然他人を心配させて安心するような悪女でもないから、泣いてるのにはきっとワケがある。だからおれはじっと待つよ。  
 
 それから10分ほどしてから、ようやくテッサがふう、と一息ついた。  
 「ごめんなさいね。ちょっと最近、悲しいことが多くて……止まらなくなっちゃったんです。  
 でもメリッサに心配掛けてもいけないし、艦長が艦内で泣くわけにもいかないから」  
 おうおう、かわいいこと言うねぇ。お兄さんきゅんとしちゃったよ。  
 「秘密ですよ、泣いたこと」  
 力なく微笑む顔がまだ涙の跡を残していて痛々しい。  
 「悲しいこと、多いね。うん。おれもよくここで泣くよ」  
 「……そうなんですか?」  
 意外、という表情でテッサがおれを覗き込む。……かわいいなぁもう。  
 「やんなっちゃうとここに来るわけ。  
 回り海だらけだけど、ここ小さい浜だからさ。誰もいなくて何も見えなくていいんだ。独り占めっぽくて満足するんだよねー。なんか箱庭って感じで安心するじゃん」  
 ……私も、そう思います。一呼吸おいて彼女が同意する。  
 「軍曹も泣きに?」  
 「今日は感傷に来たんだ。  
 あとここはおれと君のプライベートビーチだから、名前で呼んでね」  
 テッサちゃん、と名を呼んだら彼女はくすくす笑ってはいクルツさん、と返事をした。  
 「ヒマなときにしとかないと、センチメンタルって傷むと手が付けられないからさ。たまにこうしてお日さんに当てとくわけ。」  
 寝転んできらきら輝く太陽を仰ぐ。思い出したように風が吹いてて非常にいい天気だ。  
 「本の虫干しみたい」  
 「あ、そんな感じそんな感じ。いっつも海の中に潜って暗い船内でぶつぶつやってたら精神衛生上良くないからー。  
 しまい込むよりは何度も見直して空気の入れ替えしてたら素敵なオブジェ状にミイラ化したりしてね」  
 涙とお友達になると楽だよ人生。おれがそう言うと彼女はぼんやりした呟きを返してきた。  
 「……本当にそうでしょうか……」  
 
 楽。これはおれの経験から得た意見だけど、出すときに思いっきり出しておけばホントに楽だよー。涙はねー、天使のお掃除ってゆう名前がついてる国もあるんだって。あ、これは本の受け売りなんだけど。  
 よく泣く人は瞳が綺麗とかゆうし、実際泣くとストレス物質が排出されるらしいしね。だから泣く時は思いっきり泣く!出来れば一人で!……でも一人で泣いてるのって結構つらいんだよねぇ。慣れるまで時間かかるしねー。  
 おれがべらべらそんな下らないことを語っているのを、興味深そうに彼女が聞いている。もう涙も乾いたらしい。……おもしれぇ子。  
 「あそうだ、おれがテッサの泣き場所を提供してやろう」  
 「へ?」  
 「ヘイカモンベイベー!」  
 パン、と胸の前で手を叩いて腕を広げる。僕の胸に飛び込んでおいでハニー。  
 テッサはその様子をぽかんと口を開けたまま眺めている。……恥ずかしいんですけどこの格好。  
 「僕の胸でお泣き」  
 「……いえ、結構……」  
 ぷいとそっぽを向いて顔を逸らした彼女の頬かちょっと赤い。わははは、テレとるテレとる。  
 「宗介に悪い?」  
 少し声のトーンを下げて聞くおれを、テッサがキッという顔で鋭く睨みつけた。なんちゅう変わり身。さすが十代。  
 「……どういう意味ですか」  
 「別に他意はないさ。でも大佐殿が泣くほど辛いってんならきっと奴がらみだと思って。  
 あ、もしかして押し倒されたとか?それともかなめちゃんに負けた?……案外フラれてたりして――――――」  
 視線だけずらして思いつく限り彼女が激昂するシチュエーションを並べ立ててやる。言葉が積み重なっていく度にびりびりと肌に突き刺さるような視線がきつくなった。わあコワイ。  
 「な、な、なにも知りもしないくせに無責任な発言をして欲しくないわ!  
 そうよ!フラれたわよ!悪い!?かなめさんに負けたわよ!それがどうしたっていうの!!」  
 
 ぶわっと涙を流して彼女が憤る。敷いているおれの上着を掴む指がギリギリと爪立てていて、身体が震えていた。  
 「そうら出た。もっと泣け泣け、大声上げて泣けー」  
 がば!と引き寄せると、胸にすっぽり収まる小さな身体。シルバーブロンドの柔らかな髪が頬に当たって気持ちがいい。  
 しばらくの間くくく、と我慢していたようだが、ついに破裂するみたいに泣き出した。  
 うわあんうわあん……まるで迷子の小学生がようやく会えたお母さんに抱きついて泣くみたいに大声上げて泣いた。そこにはまるで艦長の威厳とか、レディの粛々たる仕草とかまるでなくて。  
 単なる17歳の女の子しかいなかった。  
 可愛そうにと思うのはルール違反だとは知りつつも、おれはこの“いとおしい感じ”が同情だろうなって事はうすうす気付いている。だけど口にも表情にも出さない術を知っている。  
 抱きしめる身体が小さくてお兄さんは切ないよ。  
 こんな女の子があのでかい艦うごかしてねー。  
 たいへんだよねー。好きな男は振り向いてくんないしねー。  
 辛くて悲しいことは多いしねー。やんなっちゃうよねー。  
 背中をさすりながら波の打ち寄せる音を聞いている。寄せては返して、白波を立てながら遠く近く流れている。  
 さわさわたまに草木が鳴って、太陽はぽかぽかぬくくて、いい塩梅。海の向こう側が光を受けてきらきら輝いているし、大きな白い雲がゆっくり西に流れていた。  
 「私、私は……強くないし、どじするし、メリッサが陸に上がったら使えないことおびただしいってゆうし……  
 でも、でも、一生懸命、やってるのにダメで…くやしくて…」  
 うんうん、なんて生返事しながら頭を撫でる。その度にぐすぐす言う声が大きくなる。  
 「まだ若いからね。時間経てば上手くいくように出来るよ」  
 テッサはよくやってる。がんばれがんばれ、キミは出来る子だ。  
 「サガラさんに…そう言って欲しかったの……よく頑張ったね、えらいよって……好きだよって」  
 一言漏らして彼女がまた泣いた。  
 
 「……どう、すっとしたろ?」  
 タオルを差し出して海水で顔を洗うテッサに話し掛けたら、彼女が笑った。  
 「はい」  
 太陽みたいに輝く声であんまり嬉しそうに微笑むもんだからこっちまで嬉しくなる。  
 「そりゃあよかった。  
 だがこの浜には悪いことしたなぁ。来る人間来る人間がびーびー泣くんだから」  
 あははははと笑い声がハウリングする。天気はいいし、風も穏やかで、波も静かな浜辺に二人。なんて素敵なプライベートビーチ。  
 「今度はお弁当持って、みんなで来ましょう。たまには笑い声も聞かせてあげないとかわいそう」  
 やさしいねー。お兄さんはテッサがいい子に育ってくれて誇らしーよ。  
 「でもみんなに教えるのはだーめ。  
 おれらが泣いてるのこっそりバラされたらマオ姉さんにからかわれちまう」  
 くすくす、それもそうね。やっぱり二人の秘密にしましょう。  
 「……だから、クルツさんも……悲しかったら泣いてくださいね、おねーさんの胸で!」  
 ヘイカモンベイベー!テッサが胸の前でそっくりそのまま真似をして手を叩くので、おれはぷっと笑って急に真面目な顔をした。  
 「……む、そうだなァ……後二年したらその胸を有効に利用させていただくとしよ」  
 セリフが終わってもないのにテッサの鉄拳が飛んできた。  
 「ハレンチ禁止ー!!」  
 彼女の声が響く。  
 おれが笑う。  
 彼女も笑う。  
 
 神は天にいまし。全てこの世は事もなし。  
 
 
 おしまい。  

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