「では、本日もお疲れ様です。お金はいつもの口座に振り込んでおきますので、後で確認してください」
「ありがとう、テッサ。では、俺はこれで――」
「待って」
テッサは宗介の腕を取ると、開け放たれた玄関の中へ今一度彼の体を引きずりこんだ。
大した膂力もない彼女の引き留めを宗介は跳ね除けようともしない。その代り視線だけを幾分強めた。彼は言う。
「もう契約の時間は終わったはずです」
「そうですね。でも、キスだけ――あなたはわたしの懇願を断れないはずよ」
宗介は眉根を寄せて幾許か逡巡するが、テッサの「ためらうなら、今日の支払いに多少色をつけましょう」という申し出を受けて、彼女の唇を貪ってしまう。
*
酷く蒸し暑い朝だ。
汗で皮膚に張り付いたワイシャツ。濃紺のネクタイを緩めると宗介は、多少緊張した様子で我が家の玄関を開けた。
「ただいま」
「お帰りソースケ。何よ朝から辛気臭い顔をして……もしかして疲れちゃった?」
かなめはエプロン姿で宗介を出迎えた。
朝食の準備をしていたらしく、キッチンから食欲をくすぐる焦げた油の匂いが漂ってきた。「卵焼きか」宗介はポツリと呟く。
「うん。あとお味噌汁とポテトサラダ……時間がなくてちょっと手抜きだけど、ソースケも食べる?」
「ああ、いただこう。いつもすまない」
「ふふっ、どういたしまして――荷物持とうか?今日も朝まで打ち合わせしてたんでしょ?……バッグ片づけといてあげるから、さっさと食べて寝ちゃいなさいよ」
かなめの手が宗介が持つビジネスバッグへとのびる。彼は厚意に甘えてバッグを渡そうとして――彼女の下腹部のふくらみに気づいて「いや、いい。気にするな」と言った。
「そう」
かなめは宗介の気遣いを思って薄く笑う。彼女はひっこめた手で自身の膨張した腹を撫でると「早く食べてね。片づけるの遅れちゃうし、冷めたらおいしくないから」と言った。
*
「かなめさんは元気かしら?」
「おかげさまで」
「そう……そういえば、今日で大体何か月目?」
「今月で4か月になります」
テッサがかなめについて触れるときは、決まって彼女の機嫌が悪い時であると、朴念仁である宗介も十分に理解している。
今日は最初から様子がおかしかった。床に散乱した酒瓶。「抱いて」の一言で呼び出された宗介は、テッサのマンションのドアを開けた瞬間に、ああ、今日は酷い夜になりそうだと予見した。
部屋中に充満したアルコールの匂い。先の戦いで内臓の一部を失った彼にとっては、あまりいい匂いではない。
鼻につくそれを振り払うように頭を回した彼は、ズイズイと部屋の奥へと進む。
程なく床に横たわるテッサを発見した宗介は、彼女の体をベッドに運ぶと、そのまま熱に浮かされた彼女の肢体を貪った。
何も言いたくないし何も聞きたくなかった。だから一心不乱に彼女の体を弄ったというのに、ことが終る寸前でテッサは、宗介の琴線に触れてきてしまう。
「4か月……ということはわたしとサガラさんがこうなってから、もう2か月がたったということですね」
「はい」
「この2か月間……サガラさんは何回、カナメさんを抱いたのかしら?」
裸の宗介に跨って、テッサは悪魔のようなことを問いかける。
かなめの体を気遣って宗介は、ここしばらく彼女のことを愛せないでいる――そのことをテッサは知っている。知っているからこそ問いかけた。
宗介はいつものポーカーフェイスで、しかし胸の底では心情穏やかでない形で声を発する。
「抱いていません。一度も」
「あら、本当に?一度も」
「ええ」
「動きに気を付ければ、セックスが母体に与える影響は軽微だと聞くのだけど……サガラさんは優しいんですね」
テッサの言に宗介は眼を背ける。彼女はその反応が面白かったのか、彼の無駄のない腹筋の皮をつねりあげると、上体をくねらせてはしゃいだ。
「嘘です。全部嘘。あなたが優しいだなんてそんなはずがない!サガラさん、あなたは覚えていますか?カナメさんの護衛を解任した後でわたしがあなたに言ったことを。
わたしは今でもたまに思い出します。あなたからカナメさんを取り上げた時、煮え切らないあなたにわたしは言いましたよね?あなたは酷いって、最低だって。従順で優しいふりをしているけどあなたは酷いエゴイストだって!
あの時言ったことが、今になって真実味を帯びてきている――抱いて、キスして、いかないで――わたしが望めば従順に従ってくれるのに、心の中ではそれに不満を持っている。
やっていることは間違いなくカナメさんに対する裏切りなのに、あなたは今の状況を他人のせいにしている――わたしはあなたにこうも言いました。貴方は気楽で良いですよね。私を恨んでいれば気が紛れるんだから……って」
宗介は生唾をぐっと飲み込む。
「これは俺のせいだ。別にテッサのせいではない」
「そうです。わたしはただ提案をしただけ。あなたが提案を飲まなければいけなくなったのは、あなたの考えが足りないから……会社をクビになったのも、そう、あなたのせいよ。判断が甘かったの。最低の能無しだわ。吐き気がするようなクズね」
「そうだな。全部俺が悪い」
言うなり宗介は上体を持ち上げると、テッサの上に覆いかぶさった。酷く面倒になっていた。彼女と話すのも、自身について内省するのも。
宗介はテッサの腰を引くと、濡れそぼったヴァギナに自身の末端を捻じ込んだ。「あぁっん!」彼女の背が仰け反り、ベッドの上でブリッジをする。
唇の端から涎を滴らせる彼女をよそに、彼は一心不乱に腰を叩きつけた。
*
「セガール、大変なことになった。爆発だ。BONTAKUNが爆発したぞ」
べアールの言に宗介は言葉を失った。何を言っているのかわからなかった。
顔面蒼白になった彼にかなめが「どうしたの、なにがあったの?」と問いかけたが、それすらも耳に入らない。彼はバタバタと身支度を整えると、困惑するかなめを他所に「行ってくる。今日は遅くなるかもしれない」とだけ言って自宅を後にする。
「ソースケ!ちょっと待ちなさいよ!少し話が――」
BONTAKUN.series.
通称BTS。ヘルマジスタンでブータックと呼ばれる特殊兵装は、当時非殺傷兵器アドバイザーとして活動していたソースケ・サガラが立案、製作に携わった対人マテリアルの総称である。
メリダ島の後、職にあぶれた宗介に馴染みのべアールが声をかけた。
曰く「セガール、君を活かせる道は他にない」曰く「君さえいれば、ASの運用面に関して我社は、他社の追随を許さぬことになるだろう」
武器を持たぬ男を目指す宗介にとっては複雑な申し出ではあったが、背に腹は代えられない。「非殺傷兵器についてなら」という中途半端な主張を通して、彼はその地位に就いたのである。
そんなセガールアドバイザーの代表作が前述のBONTAKUNである。
主に自警団や警察に配備する予定で作成された愛らしい特殊兵装は、デザインの問題で当初こそ売上が伸びなかったものの、細部に関する異常なこだわりから徐々に顧客を獲得し、今では3か国、15の団体に正式配備されるという偉業を成し遂げた。
下記は現在までに生産された、BONTAKUNシリーズのラインナップである(wi○ipe○iaより抜粋)。
MS-06 BONTAKUNII
MS-P06 試作型BONTAKUNII
MS-06A 先行量産型BONTAKUNII
MS-06C 初期量産型BONTAKUNII
MS-06F 量産型BONTAKUNII MS-06F ドズル・ザビ専用量産型BONTAKUNII
MS-06F 量産型BONTAKUNII(中間生産型)
MS-06F 量産型BONTAKUNII(後期生産型)
MS-06FS 指揮官用量産型BONTAKUNII(ガルマ・ザビ専用機)
MS-06F-2 後期量産型BONTAKUNII
MS-06FZ 最終生産型BONTAKUNII(BONTAKUNII改)
MS-06S 指揮官用BONTAKUNII(シャア専用BONTAKUN)
MS-06J 陸戦型BONTAKUNII MS-06J 湿地帯用BONTAKUNII
MS-06JC 陸戦型BONTAKUNII(JC型)
MS-06G 陸戦高機動型BONTAKUN
MS-06G 陸戦用BONTAKUN改修型
MS-06D BONTAKUN・デザートタイプ MS-06D ディザート・BONTAKUN
MS-06DRC ディザート・BONTAKUN・ロンメル・カスタム
BONTAKUNは売れに売れた――が、名が売れた物には良悪を問わず人が集まる。
BONTAの冠はいつしか宗介の手を離れて、宗介やべアールが所属するブリリアントセーフテック社どころか、BONTAに魅了された全員のものとなってしまう――そして宗介の預かり知らぬところで、今回の事故が起きたのだ。
BONTAKUNのボの字も知らぬような外側の人間がBONTAKUNを弄りまわして、不完全なBONTAKUNを世に出してしまった。
「ミスターサガラ。君の功績は素晴らしい。しかし立場上、私も誰も罰せずにこの件を終わらせることはできないのだ。君はアドバイザーだが、BONTAKUNシリーズに深くかかわっている――もちろん君一人のせいではないのだろうが、君はまだ若い。今回は涙を呑んでくれ」
糞のような気分だった。
BS社から退出した宗介は今までの自分の努力はなんだったのかと肩を落とした。
時間も知識も経験も全てBONTAKUNに捧げてしまった、BS社に捧げてしまった。そのBS社からクビを言い渡されて、後はどうすればいいのか――職を失ったどころか、今回の事故に関して、何らかの責任を問われるだろう。具体的には金。無職の自分に払えるはずがない。
結局のところできそこないの自分には、当たり前の職など全うできるはずがなかったのである。
彼はふと、レナード・テスタロッサのことを思い出した。
彼が所属したアマルガムは世界を裏から牛耳って、適度に戦争を起こして経済を潤わせていた――メリダ島戦後、弱体化したアマルガムによる軍事介入は鳴りを潜め、それとともに世界経済は衰退の一途を辿る。
戦いの場から抜け出して経済に参入した宗介は、自分がしたことがどこまで正しかったのか、よくわからなくなってしまった。逃げ出したくなってしまった。あの時と似た気持ちだった。
――千鳥、何もかも捨てて、二人で逃げよう――
レナードが陣代高校での日常をぶち壊しに来たあの日、宗介はかなめに一緒に逃げようと言おうとした。今もそんな気分だ。
あの時ほど切迫した状況でないはずなのに、もうここまで心理的に追い詰められている。多分これが一般的な感覚なのだ――かなめ。もし君に今、俺が、一緒に逃げようと言ったとしたら、君は俺についてきてくれるのだろうか。
「ソースケ。今、あたしの話聞いてた?」
思案の海に沈んでいた宗介は、かなめの話を当たり前のように聞き逃す。
時は夜の八時。夕食時――クビになったことも借金を背負うかもしれないことも逃げ出したいことも、未だ彼女に伝えられずにいる。
普段なら美味なはずの彼女の料理が、今は鉛のように感じられた。
「……すまない。聞いていなかった」
「もう……すっごく大事な話だったんだけど。ホントは朝話すつもりだったのに、さっさと行っちゃうしさ……どうしたのよ、今日はなんか変よ?」
「いや、なんでもない、気にするな。で、話とはなんだ?」
かなめは拗ねたように唇を尖らした。「もーいーわよ。べっつにー、相良軍曹は他に大事なことがあるみたいだしー」彼女は気を悪くすると、宗介のことを相良軍曹と呼ぶ。
まずい、このままではかなめに見捨てられてしまう――宗介は平謝りをする。
「すまない。少しぼんやりしてしまった……俺は君の話が聞きたいぞ」
「本当に?でもどうしよっかなー、相良軍曹は結構適当なこと言うしね。問題あっても問題ないってすぐ言うしねー」
「そんなことは……あるかもしれないが、君の話が聞きたいのは本当だ。君も俺に何か言いたいことがあるのだろう?聞かせてくれ」
「うーん。そこまで言うならしかたないわね。耳の穴かっぽじってよーく聞くように」
宗介は姿勢を正すと、真正面からかなめを見据えた。彼女はその視線が気恥ずかしくて、多少俯くと、小声で言う。
「できちゃったみたい」
「なに?」
「ソースケとあたしの子供……朝、検査薬で見て、今日お医者さんにも見てもらった。一か月だって……ソースケはね、お父さんになるの」
かなめは心底幸せそうに笑った。宗介は覚悟した。もう逃げられない。彼女とともに、ここで根を張って生きるしかない。
*
「お金を稼ぐ、作るのは難しくても、お金を集めるのは簡単なんです。人がお金を支払うのは、その支払いによって支払ったお金以上の対価を得られると考えるからです。
つまりそう錯覚させればいい。実際には無価値な物やサービスでも、演出やタイミングによっては、ダイヤよりも顧客の眼を惹くものになります」
テッサは今日、たったの15分で、億単位の利益を上げたらしい。
方法はよくわからない。宗介にとって金、株だ国債だ、権利だなんだという話は認識に外のことである――だが狭苦しい潜水艦の中で大海の流れを全知した彼女にとって、人の思考という指向性を持った流れを読み切ることなど、甚だ容易なことだろうとは、思う。
「よければサガラさんにも、資産運用というものを教えてさせあげましょうか?そうすれば、あなたはこんな風に、わたしを抱く必要もなくなるかもしれませんよ?」
「いい。俺にはそういったことは、理解できん」
「そうですか……残念。もし教えることになれば、わたしは公然とサガラさんと会えるのに……うっん!」
宗介は裸のテッサの尻を持ち上げると、揃った両足の間に肉棒を挟み込みようにして、蒸れた女性器に己の欲棒を突き入れた。
宗介はテッサの白く細い――だのに女性的柔らかさを備えた肉体を、自身の性器でこれでもかと穿ち続ける。
うつぶせになった彼女の上に覆いかぶさって、肉体を前後させる。まるで餅を突く杵のように、テッサの股座を突きに突いた。
「ひっ……はぁ…サガラさぁん……ぃいです…もっと、乱暴にし、て……ゃあっ…!」
腰を振りつつ宗介は、テッサの後ろ髪を引っ掴むと、彼女の上体を強引に持ち上げた。
一本二本、銀髪が引き抜けたが気にも留めない。持ち上がった頭を覗き込むと、そこには狂女の顔があった。
怜悧な印象は欠片もない。酸欠の金魚のように小刻みに呼吸をする唇からは唾液が流れて、舌がだらしなく口から這い出している。視線も定まらない。
白い肌を赤く染めて、ただただよがり狂う。構わず宗介は、彼女の下半身を犯し続けた。
「酷い顔だ」
宗介は思ったことをそのまま口にした。そうするようテッサから『依頼』されていた。
ただ乱暴に抱くこと、それが彼女からの依頼内容だった。会社をクビになったのち天啓のように舞い降りたテッサは、破格の待遇で宗介を、自身専属の娼夫としてしまう。
かなめの前ではBS社のアドバイザーを装う宗介だが、実際には彼は、毎日のようにテッサの家に来ては、一晩どころか場合によっては一日中、彼女と肌を重ねていた。
「酷い顔だなんて…あぁ!そ、そんなこといぅサガラぁんなんて、き、きらいです……ぅう!」
「そうか。それは残念だ」
「う、うそ……好き!…好きだから……も、もっとしてくだひゃぃ……」
「わかった」
宗介は一度、テッサの中から肉棒を引き抜くと、彼女の体をひっくり返して、正面から彼女の中への挿入を試みた。
しかし股が閉じられていて、うまく挿入ができない。「股を開け」宗介はテッサが彼の言葉に従うよりも先に、彼女の片膝を抱いて露わになった性器に自分自身を挿し入れてしまう。
「あぁっ!…ぃや……こんな格好で……ひ、ひぃ……」
「嫌ならやめるか?」
「いやいやいやいや、違います、やめないで……サガラさんは空気が読めない人ですね……やぁん!」
宗介に止める意志など雫ほどもない。
彼女の家に来た瞬間から、彼がやることはすでに決定している。そのために来たのだ。もはや抱くしかない。これが俺の今の仕事だから――本当にそれだけか?
宗介はいまや、金のためにテッサを抱いているのか、彼女を満足させるために抱いているのか、それとも自分の欲望の捌け口のために抱いているのか、自分でもよくわからなくなってしまっている。
*
「最近ソースケ、あたしと、その……しないわよね」
「そうだな」
宗介はギクリとする。
普段、宗介とかなめは同じベッドで寝ている。だが彼が彼女に向けて欲望を向けることは、妊娠の知らせを聞いてからほとんどなかった。
もちろん母体を気遣ってのことだが、それだけが理由だとは言い切れなかった。
「ソースケは我慢強いから……いや、したくないのならいいんだけど……ごめんね、変なこと言ったわ」
かなめは宗介に背を向けると「やだやだ」と言って手のひらを振った。
宗介はかなめが言わんとしていることに気づくと、彼女の背を抱いた。
彼は彼女の髪を掻き上げると、むき出しになった耳元に「したくないわけがないだろう」と言った。横抱きにした彼女の腰は前抱いた時よりもふっくらとしていた。
以前の彼女と違うのは腹部だけだろうか、と思い彼女の体をまさぐるが、つい先ほど、本当につい先ほど抱いたテッサの体が脳裏を過ってしまう。
テッサの腰はもっと細くて曲線が滑らかだった。かなめの乳房はテッサよりも豊かでハリもいい。
宗介は、あれはどうだ、これはどんなだ、と触りなれたはずのかなめの体を確認するように、全身をくまなく撫でまわした。
「ん……ソースケ、今日は、いつもと触り方……違うかも」
「……そうか?久しぶりだからではないのか?」
「わかんない」
「こういう触り方はイヤか?」
「イヤ、じゃない……ソースケの触り方は、全部好き」
宗介の腕の中でかなめの体が半回転し、向き合う。キスをする。体制が変わるたびに彼女の湿った皮膚と陰茎が擦れて、末端がこれでもかと充血してしまう。
先端からガマン汁が溢れ出る。亀頭がナメクジのように、カナメの尻や下腹部に粘液の跡を残す。互いの舌が互いの口内を這いずりまわる。
ひとしきりついばんで、ふいに唇が離れる。
互いの顔と顔の間に粘液の橋ができる。その橋を切るようにかなめは言う。
「好き」
「そうか」
「ソースケは?」
「君と同じ気持ちだ」
「そう。うれしいよ、ソースケ」
言ったきりかなめは自分の額を宗介の顎に擦り付けた。
宗介はそんな彼女の様子に酷く心を痛めた。自分は酷い男だと理解した。
理解したがテッサとの契約を無碍にすることはできないのだろう、結局のところ自分はそういう生き物なのだ。
彼は熱くなる目頭をごまかすように、かなめの体をかき抱いた。
強い力で抱きしめられてかなめは眼を白黒させたが、別段痛みは感じなかった。されるがままに任せた。テッサに対する力強さ、乱暴さとは別の力で宗介はかなめを抱いた。
*
「わたしが避妊をしていない、と言ったらあなたはどうしますか?」
テッサは子種に濡れた自身の下半身に指を這わせつつそんなことを言った。
彼女が座るベッドに腰掛けて宗介は、彼女の肢体を一瞥する。白い肌が桃色に染まっていた。酷く勃起する。それとともにため息をついた。
「あわてる」
「本当に?わたしには今のあなたが、あわてているようには見えないわ」
「君は契約を守る女だ。そんなことをするはずがない」
テッサの手のひらが怒張する宗介の股間に触れる。シュッシュッと根元から先端まで擦りあげた。
「その認識は真実かしら?確かに私はできる限り正直で、誠実であろうと努めているけれど、場合によっては違うわ。
例えばこんな言葉があります。恋と戦争は手段を選ばず――ねぇ?サガラさんにぴったりの言葉だと思いませんか?」
「わからん」
宗介はそっぽを向いた。下半身は熱くたぎっているが、胃の底は鉛のように冷えて落ち込んでいる。
宗介にはテッサの意図がわからなかった。そもそも人知を超えた天才である彼女の思考を読み取ることなど、自分には出来ない――彼はすぐに考えるのを止めた。
テッサは怒張を取り戻した肉棒の上に、自身の濡れそぼった入り口を持ってきた。
割れ目から彼女の体温で温められた精液とも愛液とも言えないものが滴る。亀頭に垂れる。妙な感触がしたが、張りつめは一向に収まりそうになかった。
「ふふっ、そうね。あなたにはなにもわからないわ。言葉の意味も、わたしの考えも、避妊の有無も。
どうしましょう。わたしが腰を落とせば、あなたのペニスがわたしのヴァギナをまた貫くことになるわ。
そしてわたしはサガラさんが精液を吐き出すまで、ペニスを抜く気はありません。危険ですね?ますますわたしたちは危うい関係に――あぁっ!」
宗介はテッサの話が終るより先に腰を浮かして、彼女の穴を抉じ開けた。
くだらない。もうすでに注ぎ込んでしまっている。一回増えたことでなんだというのだ。
「孕ませて!わたしも、カナメさんと同じように、あなたのペニスで孕ませてください!!」
笑っているのか泣いているのかわからない表情で、テッサはそんなことを口走った。
宗介は最初から彼女の中に出す気でいる。つまり避妊するしないの主導権は彼女が握っているのだ。
犯すのは自分だが、孕む孕まないの判断は彼女が下す。そう思うと宗介の背に、一筋冷たいものが流れた。
*
「まもる、がいい」
「なんで?」
「何故と言われても……君はいやか?」
「別に。あたしもいい名前だと思うけど……珍しいよね、ソースケからそういうこと言うのって。自覚が出てきたってことかしら?親になる」
「かもな」
宗介は名付け辞典を買ってきた。
自覚が出たとか歳をとっただとかそういうことではなくただの気まぐれだったが、ただ、まもるという名はいい名前だと思った。
字面や響きに対する感性は持ち合わせていないが、もし子供が男なら、かなめのことをまもってくれるだろうと思った。
自分が後どれだけ生きられるかわからない。幾度も死線を越えてきたこの体は、後どれだけ動いていられるのか。放射能の影響は本当にないのか。今はまだマシに動いているが、10年、20年後のことは全く予見できないでいる。
そして自分のような男が、彼女の傍にいるのに本当にふさわしいのか――何年も前にした自問自答を、今更になって繰り返してしまう。
*
春が来て夏が来て冬がきてそろそろ季節が一巡しようとしている。
かなめのお腹はさらに大きくなって、それでも魅力的なままの彼女でいてくれる。
だのにおれは未だにテッサの前で痴態をさらし続ける。セックスの様が痴態なのではない。こんな関係を続けていることが痴態なのだ。酷く寒い。窓を見ると枠に雪が積もっていた。
「綺麗ですね」
「そうだな」
俺は心情と裏側の意見を言う。
窓に押し付けたテッサの体はガラスに体温を奪われているはずなのにこれ以上ないくらいにほてっていた。俺はそれをいいことに後ろから肉棒を突き入れ続けた。
彼女の後ろ髪を掴んで、彼女の頬を窓に押し付ける。吐く息で窓が曇る。端正な顔が不細工に歪む。窓が汗をかいて雫が流れたが、俺はそれをテッサが流した涙ではないかと誤認した。
「どうしました?」
涙に動揺して腰振りを止めてしまった。「なんでもない」そう言って下半身を穿つ。これでもかと穿つ。自身のふとももに持ち上げられる尻肉が扇情的に俺を煽る。程なく射精した。
引き抜く。窓際にへたり込むテッサの股座から精液以外のものが溢れ出て絨毯を汚した。彼女の顔には涙の跡もない。泣いているのは下半身だけだ、と俺は思った。
「なぜ泣いているのです?」
彼女の言で、俺は初めて泣いているのは自分であることに気づいた。
手の甲で涙を拭う。理由は自分でもわからない。自身の痴態を憐れんだのは間違いないが、それだけが理由ではないように思った。
「なにかありましたか?」
「いや。なにも」
「うそ。何もないのに泣くわけがないわ――それとも、わたしに相談するのは不満かしら?」
テッサは悪魔のように笑う。「違う。君に不満など――」言いかけて、俺は、急に腑に落ちてしまう。
「どうしました?」
今度は本当に心配そうにこちらの顔を伺い見るテッサ。
口には出さない。彼女には伝えないが俺は、もし結ばれたのがかなめでなくテッサであったなら、こんなところで涙を流さないだろうと思った。
結局のところ自分と同じ人殺しである彼女とならば、こんな劣等感を抱かずに添い遂げることができたのかもしれない。
*
天気がいい日に外に出るといつも思うことがある。俺の影はこんなにも色濃い。
テッサを抱き終えて直に連絡が入った。かなめが陣痛を訴えて、病院に運び込まれたという。
別段驚きはしない。そんな頃合いだろう。ただそんな出産手前のかなめを置いて、テッサを抱いてしまう自分に心底疑問を覚える。
結局そうなのだ。結局自分はそんな人間なのだ。以前変わりなく。
「こちらでお待ちください」
看護師に案内されて、俺は手術室前の椅子に座る。
俺以外に人はいない。メリダ島戦後、かなめと俺は一部の知人を除いて連絡を絶っている。
彼女の両親や妹にはメールで近況を報告する(発信元は隠蔽されている)程度で、直接の連絡先は教えていない。教えても無駄に危険にさらすだけだ。
彼女には俺しかいない。彼女にかかわるつながりは俺が断った。本当に信頼をおける相手以外に本来の身分を明かさないよう、彼女に強いている。
「すまない」俺はそのことについて、彼女に一度だけ、謝罪した。
「やーねー。これは別にソースケのせいじゃないでしょ?……それにこうなるのは、レナードと一緒に行ったときに覚悟したことだし、その時と比べれば全然マシよ
――キョーコとかともまったく連絡取れないわけじゃないし、今はソースケがいるしね」
そんなただ一人の人間が、彼女に対して酷い裏切りをしている。
裏切り者の子を孕んだ彼女の出産を、俺はどんな表情で待てばいいのか。どんな心境で祈ればいいのか。
そもそも何を祈るのか?母体と子の無事か?――そんな月並みなものを祈る資格が、俺にあるとは思えない。酷く場違いだ。この俺が命の誕生の傍にいるなど、馬鹿げている。
俺が子を育てるなど、馬鹿げている。
彼女の傍にいるなど、馬鹿げている。
誰かと心を通じた気になるなど、馬鹿げている――身動き一つない空間の中で一点、手術室のドアのランプだけが点滅する。
オペ中である旨を示す明かりが消える。俺は椅子から立ち上がると、程なく開くであろう手術室のドアを見据えた。
無事であってくれ、と思う。しかし心の底では、自分のような人間が親になることに、彼女が俺の子を出産することに酷い違和感を覚えている。
もし彼女の相手が俺でなく、彼女にふさわしい他のだれかであったら、俺は子の無事をなんの妨げもなく祈れたのかもしれない。
かなめ。かなめ、聞いてくれ。俺は酷い男なんだ。テッサの言うとおりだ。従順で優しい振りをしているけど、本当は酷いエゴイストだ。
俺は君が好きだ。好きで好きでたまらない。だから君を俺のものにしたかった。
他の誰よりも君が好きだということを言い訳にして、君にふさわしい誰かから君を遠ざけたんだ。
エゴだ。もし本当に君の幸せを願うなら、君はもっと他に――人殺しでない誰かの子を――
ドアが開く。白衣を着た人間が何人か出てきて、俺を見て何事か言う。無事だ。おめでとうございます。元気な男の子です。
俺は酷く狼狽する。嬉しくてたまらないはずなのに、心の底から喜ぶことができない自分を思って、自分は無様な人間だと悟る。俺は一言二言、よかった、後は頼みます、と言ってその場を後にしようとする。
俺の淡泊な反応に気を抜かれた看護師が「え、あぁ、はい」と白痴のような声を出し、その後から「ソースケ!!」聞きなれた怒声が聞こえた。それと同時に何かが倒れる音。
金属と金属が打ち鳴らすけたたましい音に、俺は身を翻す。
「奥さん、ちょっと、大丈夫ですか!?」
初老の医者が叫ぶ。俺は衝動的に駆け出すと看護師の制止を振り切って手術室に駆け込んだ。
目に映る。倒れこんだ手術台。散乱した手術器具。右往左往する白衣の人間。床に投げうたれたかなめ。
「かなめ!!」
俺はかなめに駆け寄ると、助け起こそうとする看護師を遮って彼女の肩を抱いた。
彼女の体はこの前抱いた時よりも大分軽かった。血の気も失せている。抱いた手に体温ほどに温かい液体のヌメリを感じた。。
ああ、ああ。どうしてだ。何故彼女がこんな目に。何故彼女の体はこんなに軽くて血に濡れているんだ?俺があまりに不道徳な男だからか?
苦しむ妻を前に、彼女の身だけを案ずることができないような、不道徳な男だからか?――俺はたまらず叫ぶ。
「何故だ!!」
「何故だじゃないわよ!!!」
怒声一発。俺の鳩尾に拳がめり込む。背がくの字に折れて、俺の足元が僅かに浮く。膝から落ちる。俺は目を白黒させて、それでも彼女を抱きしめる腕を緩めなかった。
胃底から這いあがる吐き気を耐える俺に、かなめの言葉が降りかかる。
「愛しい妻が大仕事を終えたというのに、励ましの言葉一つもかけない夫ってサイテー。――見てたんだからね、あんたがここから離れようとするところ、ドアの隙間から」
俺の薄情な態度が彼女の逆鱗に触れたらしかった。
「いや、それは……」
俺は言葉が続かない。腕の中に出産後にもかかわらず気丈なかなめを抱いたままで、どうすることもできない。
出産を終えた彼女を迎えることは、さながら戦場から戻ってきた仲間を迎えるのに似ている。何度もやったことだ。何度も迎えたことだ。だのに言葉が出ない。
俺はただなすすべもなく彼女を抱き続ける。
周りのスタッフから困惑の色を受けたが、知ったことではない。
腕の中で彼女が色を赤くしたが、知ったことではない――彼女は言う。
「あたしを抱きしめるのもいいけど――あの子の方を抱いた方がいいんじゃないかしら、なんて」
俺の脇腹を抉る一撃をお見舞いした腕が、ふらふらと上がる。気丈だが、疲弊は隠せない。
ゆるくさししめされた方を見ると、清潔なタオルにくるまれて看護師に抱かれる赤子が目に入る。
あれはなんだと思い、すぐに自分の子だと思い至った。
俺にもかなめにも似ていない。赤い。頬が膨れて眼が細く、目鼻立ちのはっきりした自分たちの面影は全くない。
体中がふやけたように膨れている。球体から突起が生えたような手は、俺の皮の厚い手や、かなめの白く伸びやかな指とは似ても似つかない――だのに自分たちの子供だと、視覚ではなく直感で理解してしまった。
呆けたように我が子を見つめる頬に、かなめの手が添えられる。
「男の子だって――よかったわね。ソースケ、名前考えてたもんね、まもるって。あたしもそれ、いいと思うよ?」
俺は嗚咽を押し殺す。
年甲斐もなく、涙もろくなって、いけない。
*
相良宗介殿
平成○○年7月21日
テレサ・テスタロッサ
解雇通知書
この度、貴殿を下記の理由により解雇しますことをここに通知します。
法定の解雇予告期間として不足する日数分の平均賃金は、退職金と含
めお支払いいたします。
記
1.解雇年月日
平成○○年7月21日
2.解雇理由
行為がワンパターンにつき、当方に飽きが生じたため。
あと、子持ちには興味がないのでおめでとうございますさようなら
以 上
ご質問、問い合わせ先
今は亡き戦隊長 テレサ・テスタロッサ
電話 090-XXX-XXXX