彼、相良宗介はとても悩んでいた。何を悩んでいたのか――――女の事である。  
 「おめぇな、なんつうかいちいち固いんらよ」  
 「バカれ、それが宗介のいいとこなんらない、アンタみたいに根無し草れふらふらしてんらあいのよ」  
 「あ、言っちゃったね?言っちゃったねそうゆうこと」  
 「事実らなーい」  
 目の前の二人はもうすっかり珍しく酒が回ってべろべろになっている。はっきり言って使い物になったものではない。呂律がハッキリしてないのはともかく、目が虚ろなのが怖い。  
 「おれほろ誠実な男は居まへんよ?」  
 「あんらが誠実?はっ、だったらろっかの国の総書記らって十分誠実らわよ」  
 「ほらまたそうゆう無意味に火種を蒔くよーなことをー」  
 宗介は一人でバーの隅っこでちびちびやってただけなのだ。それを見つけた二人―――無駄だとは思うがあえて両名の地位を考慮して名は伏せる―――が絡んできた。  
 沈痛な面持ちで飲んでた格好が二人の嗜虐欲を刺激したのか、あっという間に聞き掘り下げられてこの調子だ。  
 ……迂闊だった、多少酒が入っていたとはいえこの二人に、こういう話の大好きな二人に、かなめとのことを喋ってしまうとは。  
 「あろな、そーすけ、女の子ってのはいつでも自分を奪ってくれる男を待ってるんれすよ?」  
 「あにバカいっれんろよ、あの子はそーゆー受身の子らないわよ」  
 「いーや、女の子はれすね、みんな待ってるんれすよ!強い子はより強くさらわれたいんれす!」  
 まだ続く二人の舌の引きつった掛け合い漫才を聞いている気力がなくなったのか、ショットチェアに座ってた上のもう一つ沈痛な面持ちで宗介はバーを後にした。  
 「……強く…さらわれたい……ふむ」  
 ……おーい宗介くん、何を呟いてますかー。何をメモってますかー、おーい。  
 
 
 彼女、千鳥かなめはとても悩んでいた。何を悩んでいたのか――――男の事である。  
 あの戦争バカが、悪意無き唐変木が、よくまぁあんな事を言ったものだ。  
 『かなめ、今度帰ってきたら俺の部屋に来ないか。その、極個人的に……君を招待したい。』  
 戦争バカ―――つまり相良宗介であるが―――がそんな艶っぽい事を言い出したのには心当たりがある。その心当たりを頭の中で反芻するのも恥ずかしくて頬が染まって言えないが、とにかく、まぁ、あったのだそういうことが。  
 今時小学生でもたかがそんな事、というような小さなことだったが、彼女と彼にとっては非常に重要で重大かつ画期的な出来事であった。  
 そしてついに朴念仁が明確にリアクションを起こしたのだ。  
 「そりゃくだらない事だと思うけど」  
 悔しい、とかなめは思っていた。あんなやつに遅れを取るなんて。絶対にあたしの方が先に言ってやろうと、先に押し倒してやろうと思ってたのに。そんなはしたない事を口の中で呟く。  
 彼女にも年相応のオトメのドリームというやつはある。だがしかしそれ以上にあのむっつりで堅物で恋愛の機微なんてわかんないと思ってた男に先を越されたのが腑に落ちないらしい。  
 ……しかし、こういう彼女らしくもない八つ当たりを始めたのにも訳がある。宗介が帰国日を大幅に、もう当初の予定日から三日も遅れてもまだ何の連絡も寄越さないのだ。  
 最初のうちは一人で顔を赤らめたり青ざめさせたり急に頭を抱えたり悶えたりため息をついたり、かと思ったら突然涙を浮かべたりと非常に賑やかだったのだが、さすがにもう三日目ともなると怒りが込み上げてきたようだ。  
 かなめは自分のマンションの入り口に入ろうとした足を止め、向かい側のマンションに入っていった。同じ階、全くの向かい側の部屋の呼び出しブザーを指で押す。  
 ピンポーン。  
 むなしく鈍く響く電子音が、主のいないことを告げる。  
 「……まだ帰ってない―――」  
 空では微かに雷雲が忍び寄っていた。もうじき小雨が振り出すだろう。かなめはそれでも未練がましくドアの前に佇んでいたが、ため息ひとつその場に残して、ドアの前から去った。  
 ドアに指でバカ、とかすかになぞって。  
 
 
 「……従えません」  
 彼はきっぱりと言い切った。眼光は鋭くて口は真一文字、背筋はぴんと張っていて微塵たりとも譲歩の姿勢はない。  
 「…そう言うと思いました。  
 でもここは引けません。実力で以ってこれを行使します。――――――連れて行きなさい」  
 銀髪の少女、この艦の艦長は出入り口に仁王立ちしていた二人の男に指示し、その指示された男たちは両脇から彼、宗介を羽交い絞めにして引きずって行った。  
 空気圧式の自動ドアがぶしゅうと音を立てて開く。その後姿にテッサは言葉を掛ける。こんな卑怯な言い方も無いだろうにと、心の隅で思いながら。  
 「いいですか軍曹、わたしだって彼女の友人なんです。こんな事したくありません。  
 でもこれが今出来る一番確実で安全な事なんです。……解ってくれと言う気はありませんが」  
 ドアが再び同じぶしゅうと音を立てて閉まった。  
 「そんなに睨まないで」  
 テッサはドアの方も見もせずに小さく呟いた。するとドアの向こう側でうめき声が二つ聞こえて誰かが走り去る音がする。……その後は静かになった。  
 「―――――あ…頭痛い」  
 げっそりしながら彼女は眉間にしわを寄せ、頭を抱える。  
 彼はいつからこんなに短絡的な情熱家になったのだろう?思慮が浅くて到底軍人のすることじゃない、頭の悪い高校生みたいだ。  
 頭の悪い高校生、という自分の頭が出した単語にテッサはまるで雷に貫かれたような気がした。そうだ、彼は本来そうあるべきだったのかもしれない。あれこそ彼の本当の姿なのかもしれない。  
 「……いいえ、仮にそうだったとしたって今現在彼は軍人なのよ」  
 こんな事許されるわけがない。  
 そういうご立派で清潔な言い訳の裏にある自分のドロドロした汚い感情が彼女を苛ませる。  
 どうしてかなめさんばっかり!!  
 「――――――だめ、今日ばっかりはもうダメ……」  
 テッサは彼女に似合わぬ高価で見栄えのする机の上に頬杖も付かず突っ伏し、机の隅にある連絡用のインターフォンのスイッチを入れた。  
 「副艦長を呼んで頂戴、気分が優れないの」  
 
 
 窓の外では雨が降っている。しとしととコンクリートに振り落ちる雨粒の音がどうにも居心地を悪くする。  
 「……良くないメロウだわ……」  
 かなめはテレビのリモコンを気だるげに操作してはみたが、つまらないバラエティとくだらないドラマ、興味の無いコマーシャルばかりでついに電源を落とした。  
 テレビの音が消えると部屋はよりいっそうしんとしていて心なしか薄暗くさえなった。  
 なにかあったのだろうか、レイスとの定期連絡でも聞かされてないなんていうし。まさか事故でも……いやいや、今回は書類の受け渡しだけだって言ってたし。それにあそこにはテッサがいる、彼の生命には問題ないはずだ。  
 テッサ、という言葉で思考が止まる。  
 ……まさか、ねぇ。そんなばかな、そこまで勘繰るのは品が無さ過ぎるだろう。彼女の頭はぐるぐる回る。  
 「あぁーこのいかんともし難い情報の欠如よ!」  
 ごろごろとのた打ち回りながら天井を見上げる。丸い蛍光灯の輪っかが二つ。そこから垂れるボン太くんのフィギュアのついた電灯ヒモ。ぼんやり眺めてると視界が歪んでくる。  
 …………げっやばい、泣きそう。  
 
 電話、電話しよう、だれでもいいこの際父でも――――――  
 慌てて携帯電話の場所まで行くまでにぽたりと涙がこぼれた。手の甲に一粒、二粒……もう止まらない。  
 くやしい、何故こんなことで泣かなきゃなんないのか、何故こんなに悲しいのか、分からない、くやしい、くやしい、くやしい。  
 あたしは弱くなった、こんなことくらいで昔は泣いたりしなかった、泣く前にどうにかしようって、そんだけの力があった。  
 でも今はどうだ、ぼたぼた落ちる涙がどうにもならない。こんなに頭の中が制御できないのは久しぶりだ。  
 「ちゃんと帰って来るって言ったくせにー女の子待たしてんじゃないわよー」  
 うわあん、大きな声で泣いてみた。……少しだけ楽になった気がする。涙が流れるのが気持ちいい。ぼたぼた落ちる涙が頭の中を洗っているみたいだ。  
 かなめは頭の隅っこであさってな事を考える。両手を目に当てて子供のような泣き真似をしてみる。ガラスに映った自分が本当にバカっぽくて愉快になった。  
 ガラスに自分のマヌケでセンチメンタルな顔映して遊んでいたら、漸く気付いた。  
 彼の部屋の電気がぼんやりと灯っている事に。  
 かなめは部屋着のジャージのまま部屋の電気も消さずに家の鍵を引っつかんで玄関へ走る。  
 か、帰ってきた!!  
 
 あたしはダメだ、ダメな人間なんだ。  
 あいつが、ソースケがいなきゃダメなんだ。たったの三日でこんなに全力で走っちゃって。みっともないったりゃありゃしないじゃない。あたしをこんなに弱くしちゃったんだから責任取りなさいよ!  
 かなめは必死でたった数百メートルの距離を力の限り疾走する。まるで失われた三日を距離によって取り戻そうとするかのように。  
 「ソースケ!帰ってきたらまず一報入れるのが礼儀ってもんじゃない!?」  
 引き開けるタイプのドアを蹴り開けんばかりの勢いで怒鳴りつけてかなめは強引に部屋に入る。  
 そこには荷物の整理でもしていたのだろうか、手に服とカバンを持って玄関に呆然と立ち尽くしている宗介がいた。  
 「な!?」  
 「なっじゃないわよなっじゃ!!ええっこの三日どうしてたのよ!説明しなさいよ!」  
 「よく分からんが落ち着け千鳥、もう十時も過ぎた、そう興奮しては……」  
 「あんたあたしを待たせた事より近所の評判の方が気になるの!」  
 こうなった女性はもはや手が付けられない。怒りが収まるまでなだめすかしながら待つのが一番賢いのだが、もちろん宗介はそんな男女間の駆け引きなんて洒落たものは知る由もない。  
 「どんな気持ちであたしがこの三日間待ってたと思うの!?ええっ言ったんさいよ!!」  
 「千鳥そんなに何を興奮して」  
 「何を!?何をって言ったわね今!?今!!」  
 「ち、ちど」  
 「何であたしがこんなになってるかわかんないってーのアンタは!!」  
 真っ赤に腫れた目、怒り狂ってる顔、逆立つ髪の毛、着の身着のままの格好。彼女の状態が普通でないことはわかる。だが何故その状態になっているのか、ということが宗介には分からない。  
 ……しかしここでさらに質問しようものなら殺されかねん……  
 「わ、わかった、何らかの問題が発生して部屋から緊急脱」  
 「分かってないわよこの戦争バカぁっ!」  
 
 ぼろっと涙が出た。涙と感情をおもちゃにして遊んでた罰だろうかとかなめは思った。悔しい、こんな鈍感人間の前で涙を流すなんて。  
 「っど、どこか痛むのか!?」  
 「痛いわよ、ここが」  
 オロオロと取り乱し、手に持ってたものを全て投げ出した宗介に向かって、しかし顔は俯けたままかなめは自分の胸を指差す。だぶっとしたジャージで分かりにくいが豊かな胸を。  
 「あんたが、帰ってこないから、ここが毎日、三日間、ずっと痛い」  
 途切れ途切れに言葉を切って……その実嗚咽を無理やり封じ込めたために言葉が細切れになったのだが……俯いたままのかなめは肩を震わせる。  
 「ど、どうすっ………と、とにかく痛み止めを…」  
 珍しくパニックを起こした宗介は部屋の奥に向かおうと身を翻し――――がくんと不自然に停止した。服のすそをかなめが握り締めて強く引っ張ったのだ。  
 「ち、ちどり?」  
 「止めて、痛いの、あんたがいなきゃ、痛いの、身体ぜんぶ」  
 がくがくと震えだしたかなめの身体の振動が、服のすそを伝って宗介に伝わる。彼は身動きひとつ取れなかった。何かを彼女が伝えたいのは分かる。しかし彼女の訴える痛みの原因が分からない。  
 「千鳥、もっと詳しく話せ。どこがどのように痛いのか、推察できる原因があればそれもだ。そのような漠然とした言葉では症状が理解できん。いいか、落ち着いて一つづつ――――――」  
 「バカ!何でわかんないのよ!ここまで言ってもまだわかんないの!?」  
 「千鳥よく聞くんだ、君は今自分で判断出来ない程とても興奮している。正常な発音も出来ていない状態だ。君が緊急を要しているのはとてもよく分かっている。だが俺に何を述べたいのか俺は理解できない。まずは深呼吸を」  
 ばしいん!  
 そこまで言った宗介がきょとんとした顔でかなめを見ている。痺れるような痛みが生まれた頬を押さえ、一体何が起こったのか分からないといった風に。  
 かなめが全身全霊の力を込めて宗介の頬をぶっ叩いたのだ。  
 「あんたが好きよ!離れたくないわ!三日間寂しかった!ソースケの身に何が起きたか心配で夜も寝れなかった!あたしが言いたいのはこの四つよ!  
 あともう一つ!抱きしめて今すぐ!」  
 
 言うが早いかかなめは自分から宗介の胸に飛び込んでいた。涙が溢れて止まらない。鼓動が、宗介の心臓の鼓動が心地よくて泣けてくる。  
 ふと力強く抱きしめられた。ぎゅっと、両手で肩と腰を無造作に抱かれてかなめはぎょっとする。  
 「な、なんであんたまで泣くの」  
 「……すまん、すまなかった……」  
 小さくかすれる様な声で何度も謝りながら、宗介は苦悩に歪む顔から一筋流れた涙を拭おうともしない。ぽたりと彼の頬から滴る雫がかなめの頬に落ちた。  
 「……うん……」  
 「もう、どこにも行かない」  
 その言葉を聞いた途端、かなめの瞳から今までの倍以上の涙が溢れ出した。滂沱とはこの状態を指すに違いない。  
 ドキドキする心臓が痛いのと同じぐらい、熱をもった涙が嬉しい。涙が止まらないのに楽しいなんて今日で二度目だ。でもこれはおもちゃじゃない、本当の涙。  
 かなめはもう恥じも外聞も気にせずに宗介の胸の中で思う存分声を上げて泣いた。彼が声を上げない代わりを務めるように。  
 彼はやっと理解した。あのとき、あの機械人形との戦いの中で突然理解したことに近いことだったが、同じことではなかった。  
 自分は愛されているのだと、この、自分が愛する人に自分が抱くのと同じ感情がこの人の中にあるということを理解したのだ。  
 それを嬉しい、喜ばしいことだと歓喜する前に感情の器から涙がこぼれた。どんなに……例え目の前で人が死んで悲しくても抑えられるだけの自制心があることを諦めたように自負していた宗介には不思議だった。  
 この心臓を握られたような息苦しさ、これは一体なんだ?千鳥を泣かせてここまで言わせて、俺は馬鹿だ甲斐性なしだ。こんなに取り乱している彼女を見て嬉しいとは、なんという最低な男なんだ!  
 自責の念が、より一層かなめを抱きしめる手に力を込めさせる。  
 
 ぎりぎりとまるで締め付けられているかのような圧迫感が迫ってくる。こんなに強く抱きしめてくれるなんて……ってのんきな事いってる場合か!  
 かなめはしばらくその息苦しさにさえ感涙していたが、どうにも様子がおかしい。  
 「……ちょ、ちょっと…?…そ、すけ…く、苦し……っ」  
 搾り出すような声が引きつってより一層悲壮的な悲鳴が狭いマンションの玄関に広がって、ようやくはっと気付いたように宗介が両腕に込めた力を緩めた。  
 「げほげほげほげほ」  
 ようやく圧力から開放されたかなめは彼の腕を振り解いて派手にえずく。  
 「だ、だいじょうぶか千鳥」  
 「げーほげほげほ!大丈夫なわけないでしょ!締め落とす気!?」  
 ああもうこいつとあたしときたらちっともロマンチックになりゃしない。せっかくの抱擁シーンが台無しじゃないの。もうさほど必要もない咳き込みを照れ隠しに続けながら、かなめは心の中で一人ごちる。  
 「す、すまん、その……君の泣く顔を見たら加減を忘れてしまった」  
 すまなさそうに小さな呟き声の宗介が恐縮しているのを見て、かなめは咳き込むのも忘れてその可愛い姿に見とれていた。  
 「……千鳥?」  
 その格好を訝しがんだのか、宗介はかなめの顔を覗き込む。かなめはその近づいた壮介の顔を、さっきぴたりと止まった涙を拭って両手で抱きしめた。  
 「な、な、な」  
 「さっきは打ってごめんね」  
 優しく柔らかなかなめの胸に抱かれて壮介は非常に照れくさかったが、それよりも大きく安心している自分が変な感じだった。胸を打つ鼓動が穏やかになることはないのに、こんなにも安らぐなんて。  
 「問題ない。打たれて当然だ」  
 まだ少し熱をもつ頬の痛みさえ心地いい。ゆっくりと自分の頬を滑るかなめの指の感触に魅了されている。  
 「……千鳥、俺は君に言いそびれていたことがある。ついこの間気付いた」  
 「…………うん、なに?」  
 優しく問い掛けるかなめの声に、しかし宗介は溜息混じりに切り出した。  
 「ただ…残念なのは……それが全部先に君に言われてしまったことだ。」  
 
 ゆっくり抱かれていた腕を解き、かなめの目を真っ直ぐに見つめながらきっぱりとした、それでいて今まで聞いたこともない優しい声で一つづつ、まるで自分でも確認するかのように宗介が言葉を発する。  
 君が好きだ、離したくない。この三日君の身に何か起こらないかと…気が気ではなかった。  
 胸が詰まる。  
 声が詰まる。  
 息が詰まる。  
 ぎゅっと締め付けられるような胸の痛みに思わず俯いたかなめは、ぽたぽたという床に落ちる雫の音に、ようやく自分が泣いていることに気付いた。  
 ……まいったな、なんで泣いちゃうんだろ…嬉しいって、早く言わなきゃ……  
 体中に枝葉を伸ばしてゆく快感の木の根が絡みついて口が動かない。頭がふらふらする、目の前がちかちかする。両肩に置かれている宗介のがっしりした手が暖かくてこそばゆくて、はずかしい。  
 彼女の肩がふるふると振動するたびに宗介は少しつづ心配になっていく。  
 『まさか千鳥は……俺の言葉が嫌なのでは?』  
 この最強の鈍感男ときたら、少女があれだけ意を決してやっとの思いでした告白を、自分の告白に対する答えが無いというだけの事で反故にしようとしているのだ。  
 ―――答えてくれ千鳥、俺を早く安心させてくれ―――  
 まったくと言っていい程この手のことに免疫のない17歳の男には無理な事とは言え、もう少々少女の心象も慮っても罰は当たらないと思うのだが。  
 口の中がひりひりと痛みを持ってきた。宗介はいらいらじりじりハラハラドキドキと少女の、かなめのたった一言だけを待っている。  
 彼は本来忍耐強い。狭い穴の中に武器だけを携えて数日潜んでいたって精神的に病まない程度に。……しかし残念な事に今回ばかりは多少勝手が違った。  
 興奮と緊張がいつもとは違う牙を剥き始める。彼の今まで感じた事もないような重大かつ特殊なストレスがあっという間にピークに達したのだ。  
 
 ぷつん、と音がしたんじゃないかとかなめは思った。もちろんそんな音など聞こえるはずがない。しかし彼女はそうでもなければこの状態を飲み込むことが出来なかった。  
 宗介の目がおかしい。  
 どういう風におかしいか、と尋ねられてもかなめには的確に表現できないようなおかしさだ。それもそのはず、彼女は男性と部屋で二人っきりになった挙句に盛り上がった気分になどなった事はない。男の心理状態など理解できるはずもないのだ。  
 宗介はおかしな目のまま玄関のドアに鍵はともかくドアチェーンまで掛け、部屋のカーテンを閉める。  
 「あ、あの……ソースケ?」  
 所在のない声で思わず宗介に声を掛けるかなめの声が硬い。その声にも彼の眼が元に戻る事はない。  
 「給湯器を作動させた。シャワーを浴びてくれ。俺はベットを片付ける。」  
 へ?ベット?あんたなにゆってんの?なに?シャワー?そんなもんアンタの部屋でわざわざ浴びてどーすんの?つーかお風呂ならさっき入ったわよ?  
 頭の中が付いていかない。頓珍漢であさってな事ばかりが頭の中を巡る。  
 「すぐにバスタオルを用意する。明かりのスイッチはそこだ」  
 くるりと180度回転した宗介はさっさと奥の部屋に消え、一人取り残されたかなめはぼんやりと「ああ、涙で顔ベタベタだから気を使ってんのかも」などと間抜けなことを考えて自分を無理やり納得させた。  
 「ってんなワケないでしょうが!!」  
 思わずシャワーを浴びながらかなめは自分に激しく突っ込んだ。  
 ――――――これわ、これは……こしかしなくても……アレなのでわ!  
 徐々に冷静さを取り戻したかなめが顔を真っ青にする。じゃわじゃわと降り落ちてくる湯に身体を打たせながら壁に方手を着いて、いわゆる“反省”のポーズのまま固まっている。  
 ――――――まずい、まずいぞこれは――――――  
 「バスタオルはここに置く。」  
 宗介の声がバスルームに響いて、かなめは身体を硬くした。とっさに悟ったのだ。……もう、逃げられない。  
 
 
 「……服を着たのか」  
 やっぱし。  
 宗介の言葉と下がりがちの眉に、かなめはがっくりと意気を消沈させる。もしかして、という淡い希望が砕かれたのだから無理もない。  
 「着ちゃ、なんか悪いわけ?」  
 おずおずと、それでも何とか気力を振り絞って無理に普通の調子に持って行こうと努力するかなめがいじらしい。  
 「……いや、それもまた一興だ」  
 にやり、といった風に宗介が彼らしくもない禍々しい笑みをこぼす。  
 背筋を這い回る悪寒とも高揚とも付かぬ不思議で強烈な感覚がかなめを襲った。耳の後ろや首筋がぞくぞくした。それが少し快感を伴っていることに、かなめはちぐはぐでアンバランスな安堵を覚える。  
 ……いやだ、あたしったらはしたない。  
 怖い、不安だ、逃げ出したい。そんな気持ちと大体同じだけ、これから自分がどうなるのかに興味がある。足がすくんで動けないのに、少し前に進みたい。  
 「そんなところに立ってないで…こっちに来い、かなめ」  
 目の前がホワイトアウトしそうだ。ただ下の名前を呼ばれただけなのに胸の奥の心臓がきゅんと音を立てて縮こまる。  
 ぎゅっと目を閉じて言われたままに、ドアの奥のベットに腰掛ける宗介の元に足を進める。一歩、一歩、ゆっくりと、もどかしげに。  
 ……ぎし……  
 簡易ベットがかなめの体重で軋む。宗介の隣に…でも15センチだけ離れて…すわる。軋む音に心臓が飛び上がる。震えが今更のように体中を襲ってきた。  
 やだ、こわい、やだ、どうしよう、どうしよう、やっぱ、しちゃうのかな  
 どきどきするのに泣き出したくなってくる。  
 「どうした?かなめ」  
 宗介の声が優しくて普通なのに少し上ずっていて、かなめはついに我慢が出来なくなってしまった。  
 
 ぽろぽろっと涙がこぼれる。  
 「ごっごめん、あれ?なんでだろ、ちょっと、ごめん」  
 身体を大きく離し慌てて両手で涙を拭ったが、後から後から湧き上がる涙は止まらない。  
 「ど、どうした?どこか痛むか!?」  
 「ちが、ちがうの、ちょっと……あれ、ごめんね……なんで止まんない…」  
 宗介は自分の失策を悔いた。完全におびえさせている事にようやく気付いたのだ。目の前でぽろぽろ涙をこぼしているのに、その涙の正体が分からなくてうろたえている彼女が不憫でたまらなかった。  
 しかし、ここで果たして抱きしめてよいものだろうか?不安にさせた自分が拘束してはもっと恐怖を感じるのではなかろうか?  
 相も変わらず鈍感全開の宗介はあせって考えがまとまらず、身体全体が引きつっている。手を握るとか、そういう単純な事も思いつかない。  
 彼女は思っていた。  
 ああ、怖いけど嬉しいんだあたし。  
 こうなれて、宗介とこうなれて嬉しいから泣いてるんだ。今までの不安とか、自己嫌悪とか、焦燥とか……そんなものがみんな流れてるんだ。  
 目をゆっくり閉じる。涙がまぶたに押し出されて、またゆっくりと流れる。頭の中がすーっとクリアになる。光もなく、闇もなく、ただ透明な……頭の奥。  
 「ごめんね」  
 意識もせずにそんな声が口から出た。  
 「あたし、ソースケのこと好き。ソースケはあたしのこと、好き?」  
 聞いたらきっと安心する。もう涙も打ち止めだ。悟るように彼女はそう思った。  
 宗介はその言葉にギクリと不意打ちを食らったかのようにしばらく固まったが、震える唇を無理に押しとどめるようにして、自分の声がどうかおかしな風になってくれるな、と強く念じながら声を出した。  
 「その問いには全て肯定だ」  
 
 「ちゃんと言って。あたしのこと、すき?」  
 「――――――ああ、俺は君が好きだ。  
 ―――君が…俺のことを―――その、好きでいてくれて、嬉しい」  
 その言葉を聞いて、かなめはにっこり微笑んだ。本当に満足そうに、嬉しそうに、茶目っ気たっぷりに。  
 「あたしも嬉しい」  
 まいった、と宗介は思った。彼女には敵わない。光り輝くような眩しい笑顔に思わず見とれ、そんな自分に気付いて頬が染まるのが分かった。  
 「……お?テレとるなおぬし」  
 赤い顔をふいっと逸らした宗介の肩を抱きながら、意地の悪げな顔のかなめは宗介の頬を指でつつく。女性の変わり身の早さに宗介は驚きとうろたえを隠せない。  
 「そ、そんなこと……その、否定する」  
 「なぁにが否定よ、こんなに顔真っ赤にしといて。  
 さてはかなめちゃんスマイルに興奮したな?」  
 「ひ、否定する」  
 な、なんだこの強気と余裕は。本当にさっきまで泣いてた千鳥なのか?  
 宗介の頭はまたもやパニックを起こす。図星を突かれた動揺と恥ずかしさが混同してわけがわからなくなっているらしい。いい雰囲気の時に相手に弱味を見せたら主導権を握られるのに決まっている、という男女間のお約束を、やっぱり知らない宗介だった。  
 泡食っている宗介の様子に、至極ご満悦のかなめは攻撃の手などを緩めたりはしない。今までよくも散々あたしを不安にさせてくれたわね、正に今こそ復讐の刻よ!とばかりにぷにぷに宗介のあちこちをつつく。  
 「顔真っ赤、耳まで真っ赤、心臓の音だってすごい、じりじりあたしから離れよーとしてる。テレてなきゃコレ何?」  
 にっひっひ、というような含み笑いを隠しながらかなめがゆっくり宗介に体重を掛ける。ゆっくりゆっくり、自然に……でも確実に。  
 押し倒してやる。かなめはそのことが一体何を意味するのかをすっかり忘れて宗介をつつき回すのに没頭していた。  
 
 ぎし、ぎし、ぎいぃぃ……どさ。  
 押し倒す、というよりは踏み潰したような格好でかなめは宗介の上に圧し掛かっている。  
 「ふっふっふっふ」  
 緩慢な動作で馬乗りになり、わきわきと両手の指を動かしながらその手を宗介に見せびらかすようにして言った。  
 「覚悟なさいソースケ、乙女の純情を今の今まで踏み潰してくれた罰よ」  
 「ち、千鳥、落ち着け、落ち着くんだ」  
 「だぁめ」  
 しゅるりとジャージに付いているパーカーの紐を抜き取り、宗介の両腕を縛り上げてベットの足に固結びを何度も掛ける。  
 「こ、これは一体」  
 にんまり笑って怯える宗介にかなめは言った。  
 「このジャージ、ナイキのやつで高いの。紐が切れたら弁償してもらうからね」  
 ――――――こ、こわい!  
 はじめて宗介は心の底からそう思った。ゆらゆら笑いながら揺れているかなめの顔は今まで見たこともないような邪悪さが見て取れるし、両手を縛り上げられた上に腹の上にかなめが馬乗りになっていて、ほとんど身動きがとれない。  
 よしんば身動きが取れたところで無理矢理彼女を跳ね除けようものなら……考えるだけで背筋が寒い。  
 「さぁ覚悟はいい?相良軍曹」  
 そんな声が最後に聞こえた。次に聞こえたのは自分の……悲鳴にも近い笑い声。  
 「ぅあははははははははははははははははははははは」  
 シャツの上からあの細くて綺麗な指でこそばされて、宗介は生まれて初めて抑制もせず大声を出して笑った。  
 「やっやめっあっははははは!やっえっあはははは」  
 七転八倒する宗介の情けなく歪む顔にかなめは嗜虐欲を刺激される。……たのしい。  
 「かあはははは、なめぇえはははは、やめ、やめえはははは」  
 楽しい!楽しすぎるわ何コレ!最高!面白くてやめらんない!  
 かなめは新しい悦びに目覚めてしまったようで――――――もう止まらない。  
 
 「…げほっげほ…げほっ」  
 ――――――5分後。かなめは宗介の顔色が青くなってきた所で漸くくすぐる手を休めた。  
 「……はぁ、はぁ、はぁ……し、死ぬかと思った……」  
 涙を流して大笑いする宗介が可笑しくて堪らなかった。本気を出せばいつでも跳ね除けて逃げ出せるのに、ついに呼吸がおかしくなるまで宗介は逃げたりしなかったのだ。  
 ま、そこまで我慢するならしゃあない。…許してあげるわよ。  
 パーカーの紐の固い結びを解いて宗介の両手を開放してから紐をポケットに突っ込んだかなめは、まだ大きく上下する宗介の体から降りて台所から水の入ったコップを持ってきた。  
 「はいお水」  
 いまだに息の荒い宗介にコップを手渡して、ベットに腰掛けた。  
 ごくっごくっごくっという宗介が水を飲み干す音を聞きながら、かなめはちょっとやりすぎたかもなぁと苦笑いを浮かべていた。  
 「すまん」  
 はぁ、と殊更大きな溜息をついて漸く落ち着いたのか、宗介は身体を起こしてベットにあぐらをかいた。  
 「跡、ついちゃったね。ごめん」  
 「――――――問題ない。」  
 すりっと乾いた音をさせながら宗介は両方の手首をさすった。本当は少し擦れて痛かったが、特に気になりはしなかった。  
 「ね、この三日どうしてたの?連絡もつかないでこれでも心配したんだから」  
 話題を探していたかなめは何気なくそう訊いて宗介の顔を見、声を失った。  
 ひどく渋い顔をして憂鬱そうに沈んでいる。……まるで思い出したくもないことを思い出させられたように。  
 「……上層部からの…命令があった。  
 君にも重大な関係がある問題に関しての命令だ。その命令を聞くのに滞在を引き伸ばされた。」  
 重々しく口を開き、何かを決意するような表情で宗介は言う。  
 一緒に逃げよう、と。  
 
 「………………はい?」  
 一瞬、またこいつは何を言い出すのかと呆れ顔になったかなめは、すぐにその表情を変えることになる。  
 「君をミスリルに滞在させる案が出ている。この場に君が居ては…君も、君の周りの人間も危険に晒すことになるというのが彼らの主張だ。  
 だからといって君の生活や自由を奪う権利など誰にもないはずだと……ミスリルの人間を張り倒して出てきた。  
 もう俺もミスリルには帰れない」  
 しん……と部屋の中に静寂がはびこった。二人ともその静寂を破ることが出来ない。  
 宗介の顔は真剣で、ある種の決意の色さえ感じられた。彼は彼女のために仲間も上官も、今の地位も全て捨てて一緒に逃げることを選択したのだ。  
 一方かなめはと言えば、彼の発言の意味する重大さに脳味噌がついていかず、ぼんやり彼の真剣な顔を眺めていた。出て行く前より、ほんのちょっぴり精悍さの増したその顔を。  
 「今荷物をまとめている最中だ。最低限の武器と弾薬だけ持って君の部屋に行くつもりだった。  
 ……恐らくこの会話も……盗聴されている。」  
 え?とうちょう?は?ナニソレ。  
 盗聴、という日常生活にそぐわない単語に、はっとしたかなめの顔が真っ赤になる。――――――思い出したのだ、さっきのことを。  
 「……ちょ、ちょっと待って……  
 じゃあ、あんた、知ってたのよね?この部屋に盗聴器があるかもってこと」  
 「予想はしていた。俺がここへ派遣された時から保険としてどこかに存在しているだろうことは」  
 ばきっと見事な右スクリューパンチが彼のみぞおちに決まる。  
 「ぐふっ」  
 「先に言え!そうゆうことは!  
 ……何それ………………信っじらんない……!」  
 あんなとこ、人に聞かれてたなんて。泣き喚いて調子に乗って、そんで一世一代の告白。あんなの人に聞かれてただなんて!顔が赤くなるやら青くなるやらどう反応していいのかさえ分からなくなってくる。  
 
 へなへなになっているかなめを尻目に、宗介はベットから立ち上がってさっき玄関先で落としていたカバンやなんかをごそごそとやり、あっという間に服を着替えて装備を身に付けてまた部屋に帰ってきた。  
 「問題ない。こんなこともあろうかと帰ってくる途中に微弱ではあるが妨害電波をこの部屋直径3キロに張り巡らせている。今のうちに行動すれば行き先は追えないはずだ。  
 さあ千鳥の部屋に行って荷物をまとめに行くぞ」  
 ……このバカは……  
 ゆらりと立ち上がり、かなめはどこか浮き足立っている宗介の顔をきっと睨んだ。  
 「妨害電波なんか流したらここにいますって叫んでるみたいなもんじゃないの!」  
 ああもうなんでこいつは考える方向考える方向がこう血なまぐさいのかしら。どうして穏便に事を進められないわけ!?  
 「問題ない」  
 「プロブレムあり過ぎよ!  
 この辺人間がうようよ住んでんのよ!?電波の受信装置なんかゴマンとあるのにそんな……もう、このバカは…」  
 「なっ…この辺の一般家庭では傍受器具が標準装備されているのか!?」  
 「おバカ!テレビとかラジオとかのことよ!  
 軍事用の精度が高い妨害電波なんでしょ!?何らかの障害が出て当然じゃないの!今すぐ切りなさい!早く!電気会社やらケーブルテレビ会社やらが妨害電波の特定に乗り出すわよ!切って!」  
 うむぅ、と低く唸って、宗介は部屋にあった何かの装置のコンセントを引き抜いた。その引き返す踵で近くにあったペンと紙を手に取り、手早く何かを書いてかなめに示した。  
 『電源を落とした。会話は厳禁だ』  
 かなめは指でオーケーのサインを出して玄関のほうへ向かった。  
 『俺の手荷物の中には盗聴器はなかったが君の部屋にも恐らく仕掛けてある。持ち出すのは現金とどうしても必要なもの数点だけにしてくれ』  
 もう一度かなめは指でオーケーのサインを出す。靴を履いて、一応宗介はドアにトラップを施し鍵を掛けた。  
 
 テッサはそう思わず呟いてしまった。苦々しく思いながらも、いまだ盗聴器から送られてくる音声を途絶えさせたりしない。  
 盗聴器は宗介の靴のソールの中に埋め込まれていた。……正確に言えば彼の所持する全ての支給品の中に……だが。  
 「この私をそれで煙に巻いたつもりですか?いい度胸です」  
 すうっと目を細め、彼女は精神を静めるために深く溜息をついた。何故私がここまでしなくちゃならないのかしら。でもこんなこと他人に知られるわけにはいかない。……彼が反逆行為をしているなどと。  
 テッサはあの後副艦長が来る前に二人の警備兵に口止めをし、このことは一切他言無用であると命令した。自分一人で宗介を呼び戻して何とかしようと考えたのだ。こんな事が副艦長やメリッサにバレでもしたら大事になることは百も承知だった。  
 だが、だからと言って彼の行動を上層部に告発する気にもなれなかった。  
 ……振られたって、好きなものは仕方がないじゃないの。  
 個人的感情で許されるはずもない。この件が公になれば彼女の立場も危ないのだ。……それでも、彼女は艦長である前に、人間であり、女であった。  
 「帰ってきたら思いっきり無理難題を吹っ掛けてやるわ、みてらっしゃい」  
 彼女には大変幸福なことと、大変に不幸なことが一つづつある。  
 大変な幸福とは、先程の妨害電波はとある一定の性能を持つ受信機を混乱させる性質があったことだ。宗介のソールに埋め込まれた発信機はその妨害電波もキャッチして送信してしまった為、彼女の手元にある受信機にはあるものは聞こえなかったのだ。  
 それは、人間の音声…特に小さな低音と大き過ぎる高音である。  
 つまり“ぼそぼそと喋る男の声”や、“涙声で叫ぶ少女の声”などは殆ど拾えなかったのだ。  
 事実彼女が判別できたのは断続的に聞こえる物音と、玄関先での会話の断片だけであった。  
 そして大変不幸なこととは、かなめと宗介は最初、靴のある玄関でやりとりをしていたことだった。  
 「―――これだけ思い切り玉砕したら―――涙も出ないものね…――」  
 囁く声は、しかし少しだけ潤んでいた。  
 
 
 「う……こっ…ここに入るの?」  
 「とりあえず荷物の確認とこれからの作戦を練ろう。少し疲れたしな」  
 かなめはその言葉にもう一度建物の外観を確認する。  
 ――――――どー言い訳してもラブホテルよねここ――――――  
 はぁ、と溜息をついて小さなリュックを背負いなおしてかなめは宗介の後について狭い入り口をくぐった。  
 「受付はないのか?」  
 出入り口付近のフロントにあたる鍵の自動販売機の前で、キョロキョロとあたりを見回す宗介にかなめは嫌な予感がした。  
 「……あんたホントにここが何するとこか知って入ったの?」  
 「宿泊施設だろう?」  
 「…………も、いい。黙ってて。」  
 かなめは諦めたように一番安い部屋の番号スイッチを押して、転がり出てきた鍵を取り出した。  
 「4階。行きましょ」  
 すぐ近くにあったエレベーターに乗り、四階まで登る。エレベーターを出ると、奥から二番目のドアの上のランプが光っていた。  
 「あそこみたいね」  
 二人でドアの中に滑り込んで鍵を閉めてようやく一息ついた。  
 「さっき買ったものに全て着替えるぞ。一応用心のために髪の毛も洗おう」  
 さっさとバスルームに入った宗介は服はともかく靴も履いたままシャワーを浴びだした。  
 「ちょ、ちょっと!?」  
 「いくら盗聴器といっても所詮は電子機械だ。通電中に水なんか被ったらひとたまりもない」  
 ……つったって…何も靴のままお風呂に入んなくたって…後で入ろうと思ってるんですケド……かなめはため息混じりに下着から髪を結んでいるゴムまで全て取り外して全て黒いゴミ袋の中に丸めて突っ込んだ。  
 ………また前みたいな事になんなきゃいいけど……ま、今回は一緒だしそーゆう心配はないか。  
 
 「これでよし」  
 全身新品の…まぁ多少安物ではあるが…服と持ち物に変えて身なりを整え、古い衣服と靴をダストボックスに放り込んで部屋に帰った頃には既に夜の9時を回っていた。  
 「捨ててきたわよ。そっちはどう?」  
 「異常はないようだ。持っていても恐らく問題ないだろう」  
 ぱちん、と軽い音を立ててマガジンラックを全て百円均一で買ったウエストポーチの内側についているベルトに収めてポーチを閉めながら宗介は言った。  
 「ったくもう、相も変わらず物騒な事ばっかりね、あんたと一緒にいると」  
 呆れ声で冷蔵庫の中に入っているペットボトルを物色するかなめは、その物価の高さに辟易していた。……なんでこーゆーとこってぼったくんだろ……  
 「――――――すまない」  
 彼は深く落ち込んだようにその一言だけを言うので精一杯だった。  
 「……何が?」  
 しかし彼女はあっけらかんとしてぼったくりジュースを飲んでいた。  
 「…装備も満足とはいえない俺と一緒にいて迷惑だろう?」  
 もっと自分がスマートに物事をこなせればいいのに、とめずらしく内証的になっている宗介を尻目に、かなめは危うく吹き出しそうになったジュースをなんとか飲み下すのに必死だった。  
 「ぷあはははははは!」  
 急に笑い出した彼女の顔を、少しむっとしながら宗介が睨む。  
 「バカね、あたしを助けてくれてんじゃないの?むしろこっちが言いたいわよ。ヘンなこと背負わせちゃって」  
 ごめんね、という言葉はついに彼女の口から出る事はなかった。  
 「俺が好きでやってることだ。君に感謝される程大したことはしていない」  
 むかっ  
 「……なんであんたはそうなのよ!素直にありがとうって言えないわけ!?」  
 そんな言葉も一度へこんだ宗介には届かない。……めんどくさいやつ。  
 
 ラブホテルの中にあるベットに二人で寝転んではいるが、とても“そういう雰囲気”ではない。  
 宗介は相も変わらずへこんだままであったし、かなめはあまりにもつまんない事で凹んでいるので励ますのもバカらしいとばかりにそんな彼を放っておいた。  
 ……ったく、昨日あたしを襲おうとしたあの意気はどこ行ったんだか。  
 しかし彼女は少し思い違いをしていた。彼がここまでへこむには別に訳がある。  
 実はあのバタバタで持ってくるのを忘れたのだ。“水筒”を。  
 せっかくクルツに本来の使用法を教わったというのに――――不覚。マオにも絶対に非所持のままそのような行動に出てはならないと釘を刺された手前、自分の中の衝動が如何に押さえられなくとも我慢しなければならない。  
 彼は誠実なのだ。……じれったいほど。  
 宗介はじりじりする頭の中を無理に静めようとして深く細い深呼吸を何度も行ったが、この吸い込む呼吸も隣に寝転ぶかなめと共有していると思うとそれも上手くいかない。  
 「ね、ソースケ」  
 「なんだ」  
 「寝る?」  
 ぎょっとして思わず彼の呼吸が止まる。心臓がどくんと大きく波打った。  
 「……寝るなら電気消すけど」  
 かなめは隣で目を閉じて緩慢な呼吸を繰り返す宗介が、眠たいのと勘違いしたようだった。のろのろと枕もとにある部屋の明かりを最大限に落としたが、ドア付近の豆電球が点いたままでまだうすらぼんやりと物の形は確認できた。  
 「いや、まだ眠くはない」  
 「誰もこんな所まで追ってこないんだから無理しないで寝たら?」  
 「まだ眠りは必要でない」  
 俺に今必要なのは君と“水筒”だ―――――等と少々品のない誘い文句など言えるわけも無く、そのままじっと黙りこくって自分の発想に自己嫌悪をしていた。  
 どうもこの部屋にいると調子が狂う。今まで千鳥と二人だけで居たことなど沢山あったというのにこれはどうしたことだ。  
 宗介の無意識だけが理解している。ここがそーゆー発想を成就させる為だけにある宿泊施設だということを。  
 
 
 まぁこんなこったろうとは思ったけどさ。  
 かなめは宗介に背を向けていつも寝る格好になって目を閉じた。いつもよりずいぶん早い時間だというのにじんわり眠気が襲ってくる。昼間電車乗り継いで駆けずり回った挙句、尾行に気をつけながら買い物したもんで、思いのほか体力も気力も消耗していたようだ。  
 取り合えずこれから先どうなるかは明日考えよう。宗介が一緒にいるだけでここまで余裕ができるものなのかと自分の神経の図太さに呆れたが、反面かわいくもあった。  
 一緒にいたらあたしたちは無敵だ。だから大丈夫。  
 漠然とした、しかも根拠の無い確信に支配されるのは心地よかった。自分たちの全てを肯定するのは快感だった。意外にも。  
 満足げにうつらうつらとし始めたかなめは、眠りに落ちる数瞬前に違和感を覚えた。  
 ――――――せなか、ぬくい。  
 寝ぼけたまま手を背中に回すと、ごわごわした麻布の感触がした。  
 ――――――麻?ベットシーツ……じゃないなこれ…なに?  
 重い手応えがあったのでずるずる強引に引っ張ると、耳元でぐえっという首を締められた人間の出す声が聞こえた。  
 「……あー?ぐえ?」  
 ごろりと後ろを振り向くと、微かに苦しそうな顔の宗介がTシャツの首元を押さえていた。  
 「近!近い!ソースケちょっと!なんなの狭いじゃない!」  
 顔を手で押して何とか距離を保とうとするかなめに、宗介は簡単には引き下がらなかった。そしてその目がなんだか――――おかしい。  
 「もっとあっち行ってよ、寝れないじゃな――――――」  
 そこまで言って彼女も漸く気付いたらしい。宗介のぼんやりと漂う視線が虚ろなのに、血走っていてコワいことに。  
 「な、なによその目わ」  
 「…あった。」  
 「………………は?何が?」  
 手にはアルミパックを施された“水筒”が収まっている。かなめは“水筒”と、“水筒”を手にしている宗介の顔を数度交互に見てゆ〜っくりと口を開く。  
 「取り合えず一発殴らせなさい」  
 にっこり笑いながら固くこぶしを握って、かなめは言うが早いか宗介の顔面にパンチを入れた。  
 
 「いたい」  
 「言いたい事はそれだけ?」  
 ゆらりと立ち上がってもう一度こぶしを握ってかなめは振りかぶる。  
 「ま、待て千鳥、暴力はいけない話し合いで解――――」  
 「あんたがゆうな!……くぉの乙女の敵がぁー!」  
 このバカこのバカこのバカ!よりにもよってなんて最悪の誘い方すんのよこの野獣わ!雰囲気がどうとかデリカシー云々以前の問題じゃない!信じらんない、なんてヤツなの!  
 かなめは怒りよりも先に悲しさを覚えたが、そんなものを涙に変換する前に感情が爆発した。失望より先に露出した激怒に任せて両腕を振り回した。それしか発散の方法を思いつかなかったのだ。  
 一方宗介はと言えば、真っ赤になって怒るかなめにボカボカ殴られながら、何故かバーでしていたクルツの話を思い出していた。  
 『気の強い女の子はねー、最初一発がつーんと食らわすと分かってくれるもんなんらよね。興奮してるときにさー無理にやられちゃうってのに燃えたりすんらよ。意外と』  
 クルツは最終的には監禁とか薬物とかお前の得意分野を生かせと言って大声で笑った。  
 ――――――そうか!  
 すっかり気の動転している宗介は、その後クルツがマオに酒瓶でしこたま殴られたことなど全く忘れてしまっているようだった。  
 そしてクルツの言う『興奮』と、今のかなめの状態とが寸部の狂いもなく一致していないことも理解できない。  
 宗介は戦闘のスペシャリストではあるが肉弾戦に特別長けているわけではない。……が、目の前の運動神経抜群女子高生の攻撃が避けられないほど愚鈍ではない。また、動きが止められないほど間抜けでもない。  
 座位のまま宗介はかなめの体重の掛かっている足を弾き飛ばし、あっという間にベットに押し倒した。  
 「ギャーギャーギャー!なにすんのよこのド変態ー!」  
 宗介は無言で手近にあった箱からティッシュを数十枚取り出し、手早く丸めてかなめの大きく開いた口に放り込んでタオルで口を塞ぐ。  
 「ん゛ん゛ん゛ーーーー!!」  
 
 「残念だ、今ちょうど自白剤や睡眠薬に持ち合わせがない」  
 目が怖い。  
 口調が怖い。  
 何もかも全部怖い。  
 怒らしてしまったのかもしれない、とシッチャカメッチャカになってしまった頭の中で呆然としたかなめは考えていた。こんな目で睨まれたことなんて今まで一度だって無かった。まるであたしのこと責めてるみたい―――――  
 確かに彼はかなめを責めたかったのだろう。何故なら、今まで生きてきた上で初めて彼女だけがいとも容易に彼すら気付かなかった彼の本質を掴んでしまったのだから。  
 千鳥、俺は極偶に君に出会わなければ良かったと思うことがある。君に出会って俺は強くなった。だが同時にときどき俺が俺でなくなってしまう―――今みたいに―――  
 少し悲しそうな目をして、宗介は何かを深く考え込むようにかなめの胸に顔をうずめて目を閉じた。かなめの鼓動の激しささえも気付かないのだろうか。  
 「麻酔でもあれば良かったのだが」  
 そう言ってゆっくり顔を上げ、引きつるかなめの顔を見てから片手で器用に麻のTシャツを脱ぎ、かなめの両手を縛った。その手早さと言ったらまるで手品でも見ているかのようだったのだから、かなめが抵抗する隙などあるはずもない。  
 しかも紐やロープなどと違い、面積のある布で肘まですっぽり覆うように縛れてている為、一度頭の後ろにまで腕を押しやられると、頭が邪魔になって手を元の位置に戻すことなど出来なかった。  
 「ん゛んーー!ん゛ん゛ん゛ん゛!!ん゛っん゛っ!!」  
 口の中には乾いたティッシュが充満している為、無理に声を上げようとすると水分をどんどん取られてえづいてしまう。まさしく手も足も出ない状態だった。  
 そして太ももは足の動きを封じるようにして宗介ががっちり決めている。身体を無理に振り上げた所で腰を痛めるだけで起き上がれそうもない。  
 「あまり暴れるな、手荒な真似はしたくない」  
 ふざけんな!もう十分手荒じゃないのよ!……と、多分彼女は叫んだのだろう。しかし宗介には「ん゛ん゛ー!!」としか聞こえなかった。  
 彼の指が、見開かれた彼女の目の前にふわりと舞い降りて、銀色のファスナートップを優雅な仕草で持ち上げた。  
 
 ぢ、ぢ、ぢ、ぢ、ぢ、ぢ、ぢ…  
 ゆっくりゆっくり何かを確かめるかのようにチャックが下ろされ、ブラジャーもアラワに胸元が開かれてゆく。  
 かなめは着替えにも動きやすさを考えてかジャージを選んでおり、しかもまずいことに下半身には少しタイト気味のスカートをはいていた。色の合うズボンが無かったのだ。  
 あーあのダサい色のズボン買っとくんだった。ジャージの下にTシャツ着とくんだった。  
 いろんなことが頭の中を巡りながら早足で駆けてゆく。次々思い出されることと言えば、部屋の電気つけっぱなしだとか、カーテンも開けっ放しだとか、学校どうしようとか、そういうあさってでくだらなくてつまらないことばかりだった。  
 ぢぢぢぢーぢぢ。  
 小さな音が終わり、ストライプ柄のスポーツブラだけしか着けてない胸元とおなかに冷たい空気が触れる。  
 「ん゛ん゛ん゛ん゛ー!」  
 じたばた暴れる体が絶望的なほど動かない。目の前にはかろうじて宗介とわかるくらいにたっぷり闇を纏った男。心臓を毟り取ろうとするかのように漆黒の手が伸びてくる。  
 やだ!こんなのないじゃない!どうして!いや!触んないで!  
 ひやりと冷たい手が胸に手をかける。  
 「んんっ!!」  
 彼はゆっくりと触れたつもりだったのだ。しかし彼女にしてみればそれは掴みかかられたような衝撃だった。まるで学校の備品の野球ボールでも扱うみたいに無遠慮で考えなしの接触。  
 痛い!なんて触り方!乙女の柔肌をなんだと思ってんの!?だいたい自分で触るのも痛い時だってあるのにもっと慎重にしなさいよ慎重に!……じゃなかった、触るな!こらバカソースケ聞いてんの!!  
 かなめは不可能な無理難題を訴えていたが、当然宗介に聞こえるはずもない。  
 彼女が必死に文字通りの無駄な抵抗をしている最中に、肝心の宗介はといえばボーっとして無我の境地に到りながらも手は離さずにいた。  
 ―――こっこれが女性の胸か!  
 ううむなんとふくよかで柔らかい。心地よい弾力とピンと張り詰めた肌が布を通してもありありとわかる。ジャージ一枚でこうも違うものか。  
 ――――――ではこの“胸当て”を外し直接接触した場合…果たして如何な感触なのか…試してみねばなるまい。  
 ……どうも頭の中が暴走して外部に反応を出している場合ではないようだ。  
 
 パチン、とバネの跳ね上がる音がした。  
 「ん゛ーーーーーーーーー!」  
 かなめは強烈に全身をじたばた暴れさせながら、ギラリと鈍い光を反射させる鋭い刃を携えている男を振り払おうともがいている。  
 「動いてはいけない、怪我をさせたくない。  
 ……そうだ、いい子だ。大人しくしていれば手荒なことはしない」  
 まるで小さな子にバスではしゃいではいけないと諭すような口調で、淡々と宗介が小型の折りたたみナイフの柄を固定している。  
 そろりそろりとナイフが緊張に固まるかなめのブラジャーのちょうど中央にある布の下に潜り込んだ。  
 かなめは今まで自分の胸を誇ったことは特に無いが、このとき初めて痴漢にあってばかりの大きな胸に感謝した。もしもうひとつ小さなカップだったら、もし普通のブラジャーだったら、恐らく両刃ナイフの刃が肌に当たっていただろうから。  
 ぶぢぶちっ。そんな重苦しくて低い音がした。それと同時に白とグレーのストライプ柄のスポーツブラに封印されていたかなめの胸がふるん、と震えて重力に従う。  
 ああっこいつマジで切った!!……これだって安いけどアンサンブルで気に入ったから買ったのに!!うぉーのーれソースケ許すまじ!!  
 怒りが先にきて、すっかり恐怖だとか怯えだとかという感情にまで気が回らなくなっていたかなめの威勢も、残念ながらそこまでだった。  
 「……んんっ!」  
 宗介の指がそっと元ブラジャーをめくり上げ、返す手でそっと包むように両方の乳房を触ったのだ。  
 腰が浮き上がる。まるで電撃が休みなく体中を突き抜けていくようだと思った。  
 「んっうーんぅ…っ」  
 汗ばんでいて吸い付くようなかなめの胸を、くすぐるように、宗介のあの自在に現代兵器を操る手が愛撫する。  
 「んっんっうぅんぅ……っ」  
 ぴくぴく震える自分のまぶたが変な感じ、と彼女はまた思考をあさってな方向に振り向けた。  
 顔が赤くなってゆくのがわかる。肌が熱くなるのを止められない。逆流する血が全身を支配していて、まるで自分が何かに操られているようだとかなめは思った。  
 
 宗介は実際、もっと嫌がる素振りを見せるものだと思っていたが、自分の体の下に組み敷いている少女はまるっきり悦んでいる様子だった。  
 ――――――クルツ、少々見直したぞ。  
 『いいれすかそーすけくん。如何に無理矢理がいいと言っても女の子を怖がらせてはいけまへんよ。やさしくやさしく傷をいたわるよーに触れるのがコツれす。女の子の身体は振動センサーつきの時限爆弾らと思いたまへ』  
 戦友のバーでのアドバイス通り、基本に忠実かつ繊細で時に大胆にほぐすように揉みしだきながら、宗介はかなめの胸の面白さにすっかり取り憑かれていた。  
 広げた指の間から、白くて柔らかい胸がむにゅうと顔を出したり、少し意識して力を入れると焦るほどへこんだり、それでもかなめは痛がらなかったり。感触のよさも手伝って、宗介はいやらしい気持ちが発生する間もなくもみ続けている。……どうもハマったようだ。  
 しかしかなめの方はたまったものじゃない。どんどん敏感になってゆく乳房の先端が、恥ずかしいくらいに隆起し始めたのだ。  
 やだやだっこんな格好で無理矢理なのに…き…きもちいいよぉ……  
 ぴくぴく跳ねる腰がどんどん強く跳ね上がる。それは傍目にはまるでかなめが急かして揉ませてるみたいにも見えなくはない。実際そのような意図が全く無かったと、誰が言い切れるだろう。  
 熱い眩暈がずっと続いているような気がする。  
 この感じ、どこかで前にも…どこだったっけな、えっと。ぼんやりする頭の隅っこが勝手に記憶を探っている間にも、宗介は手を休める事はなかったし、自分の身体の跳ね上がり方が穏やかになることもなかったが。  
 一心不乱に没頭していた宗介が何を思ったかふと顔を上げた瞬間、かなめと目が合った。そそくさとばつが悪そうに頬を染めて目を逸らした彼の横顔を見たかなめは口がこんな状況でなければ大声で言ったに違いない。  
 ――――――そうだ、あんたのこと認めたとき――――――  
 急にピンと頭の中に生まれたひらめきは、彼女の身体に更なる変化をもたらせる。  
 ――――――くやしい…やっぱ好きなんだなぁ……くそぉ。  
 そうティッシュだらけの口の中で呟いて、急にあたふたしだした宗介をじっと見つめて苦笑いみたいに身体をくねらせた。  
 
 「ど、どうした、苦しいのか?重いのか?」  
 ――――――そんなくだらない事まで心配ならこんな真似すんじゃないわよ。  
 ケッという風に顔を背けてずるずると身体をずらしながら体重を足先に移動させてゆく宗介を見もせずにふてくされてたら、ちょうどつま先を押さえられているようなところで宗介の動きが止まった。  
 「……こっこれは!」  
 小さな感嘆の声に眉をひそめながら声の主の視線を追うと、そこには。  
 「ん゛ん゛ー!!」  
 タイトスカートが太ももと実にきわどい場所まで捲れ上がっている。かなめから見れば当然スカートしか見えないが、宗介から見れば中身は一目瞭然のようだった。  
 やだやだこんな格好、見ちゃだめ!ソースケ見ちゃだめ!!  
 身体をよじって何とか上半身を半回転させたが、下半身が余計によじれて太ももが完全に露出してしまった。宗介はかなめの足を押さえている身体を浮かせようという気などないようだ。  
 なんせ、宗介から見ればかなめの格好は誘っているとしか思えないポーズだったのだ。  
 両手は真上に縛り上げられて、豊かで形のいい胸は“元ブラジャー”だった布が申し訳程度に汗ばむ肌に張り付いている。捻り捩れた下半身はといえば、太ももの根元を隠すのは足の形をそっくり浮き上がらせるタイトスカート。  
 これでクラクラこない男がいたら特殊な趣味なんだと断言できる。しかも恋焦がれる想い人の痴態なのだからして、そこで我慢しろというのはいくら宗介でも酷というものだ。  
 ふらふら吸いつけられるように宗介が足に手を置き、まるで夢遊病者のような頼りない手つきでタイトスカートに親指を滑り込ませた。腰まで押し上げようという魂胆らしい。  
 しかしかなめが片方の足で体重を乗せているタイトスカートはがっちり布が固定されていてそれ以上動かしようがなかった。  
 はぁはぁはぁ……ね、もう、諦めなさいってソースケ。  
 かなめも必死で抵抗しているが、所詮は男と女。しかも軍人と一般人なのだ。基礎体力の桁が違う。おまけに口を塞がれているのですぐに酸素が足りなくなって思った動きが出来なくなる。  
 お願いだから諦めてあたしを放して!こんなので無理やりなんてないわよ!そもそもこんなんじゃ強姦とどこが違うのよ!初体験がレイプ?なによそのドッキリハプニングは!  
 好きな男だからこんな風になんか抱かれたくない。  
 
 下手に動けない二人がじりじりと睨み合っていると、急に宗介の手が片方だけスカートの中に無理矢理潜り込んでいった。  
 両手で捲り上げるのは困難と判断したのは正しかったらしく、お世辞にもきめ細やかとは言えない男の手が少女の太ももとスカートの間を縫うように突き進む。  
 「〜〜〜っ〜!!!」  
 気持ち悪い、くすぐったい、背筋が寒い……とまぁかなめは恐らくそんなことを言いたかったのだろう。しかし高音の叫び声は発音にすらならず、大きく目を見開いて仰け反っただけに終わった。  
 しかも仰け反ったのを、運悪く宗介は“自分の手が進みやすいように身体を上げてくれた”と勘違いしたらしく、おずおずしていた手が明確な意識を持って蠢きだす。  
 あっイヤっ、そんな、おしり、いや・いや・いやぁ〜!  
 手の感触が広がったり縮こまったりしながら何かを探っている。右のお尻の感覚だけが異常に鋭敏になる分だけ、それが正体不明の生き物みたいに思えてきてどんどん気持ちが悪くなってくる。  
 背筋がぞくぞくするー!ヤメテー!いやー!  
 酸素が足りない。意識が朦朧としてきた。自分の体が発する熱でノボせている。かなめは自分の状況を殆ど把握していたが、たった一つだけ知らないことがあった。それを宗介によって知らされたことで、彼女のどこかもぷつんと小さな音を立てて切れた。  
 ずるずると無理に引っ張り下ろされる下着を何とかして押しとどめようと踏ん張るかなめを、いとも容易く制した宗介はブラジャーとおそろいの柄のショーツを脱がせきり。  
 「ん゛ーーーー!!」  
 顔を真っ赤にして叫ぶかなめに向かって、まじまじとその下着を見つめながら言ったのだ。  
 「……濡れているな」  
 グレーのストライプには一段と濃いグレーの染みがくっきり広がっていて、それが視界に入った瞬間にかなめは気を失った。  
 くたりと全身の力が抜けて、まるで人形のようにまるっきり肢体を放り出したかなめに気付く様子も無く、宗介はまだまじまじと下着に見入っていた。  
 「少々驚いた。まさか君にこのような趣味があったとは……ううむ、やはり経験に勝るものなしといった所か。  
 もう一度クルツに会う事があれば食事でも奢ってやらねば」  
 
 
 ……いたい。  
 …なんか、いたい。  
 下腹部の重苦しい痛みに急かされるようにそろそろとまぶたを開けたかなめは、目の前で苦しそうな顔をしている宗介を見つけて声を掛けた。  
 「そ、すけ……なにやってんの」  
 ぼんやりぼんやりと意識がはっきりしない。揺さぶられる身体の振動に漸く気付いたのは、痛みがどんどん加速してきた頃だった。  
 ヤダなにコレ、えと、えと、なによこれ、えと、えと、体の上にソースケが、そんで足がソースケの肩に、そんでおなか痛くて、あ、口の外されてる、息が出来る。  
 「え?えっ?……えっ!?」  
 宗介の肩を押し返そうとして手も自由になっている事を知って、それでもかなめはいま自分の状況が飲み込めずにいた。  
 あたし、どうなってんの!?  
 「ちょっちょっと!ソースケ!何やってんのよ!」  
 無理に圧し掛かろうとしているような、それでいて全ての体重をかけずにいるような中途半端な宗介の重みを何とか両肩を押し返すことで防ごうとするかなめ。その様子を知りつつも無言のまま反復運動を繰り返している宗介。  
 なんだこれ、なんだこれ、こんなの普通じゃない、どうなってんの!?  
 疼くように痛む下腹部、宗介の苦しげな顔、反復運動にシンクロする鈍い衝撃。ばらばらのそれらの要素が、ある一つの言葉と行動によってかなめの中で集約された。  
 「少し黙れ、気分が逸れる」  
 宗介はそう言ってかなめの口を片手で塞いだ。  
 ――――――寝てる間に――――――されてる!!  
 「ぎゃー!  
 なななななんてことすんのよー!ちょっと!離れなさい!放しなさいったらソースケ!  
 信じらんない!あんた人としてやっていいことと悪い事の区別もつかないの!?」  
 「問題ない。可能な限り潤滑させているし“水筒”も正しく装着している」  
 「大アリよこの特大バカー!!」  
 
 ぱしぱしぱし  
 その音がなんなのかを理解したかなめの顔が真っ赤に染まる。  
 やだ、そんな音立ててしないで!もっとゆっくりしなきゃ、痛い!  
 あたし初めてだったのに、こんなのってないわよ、信じられない!!  
 相反する言葉が綯い交ぜになって全身を駆け巡る。ぷるぷる振るえる自分の胸の揺れ返しがものすごく恥ずかしいのに、時々先端に感じる宗介の胸板の感触が心地よくて興奮する。  
 「やっやだぁ!こんなのやだよー!!」  
 うるうると充電を始めたまぶたの熱さがあっという間に臨界点を超える。本人さえ流れることも気にならないほど次々続く落涙に、宗介は何の関心も寄せていないように見えた。  
 しかし宗介はゆっくりと揺らす身体を止め、優しげに微笑みながらかなめに言った。  
 「痛いか?」  
 「そこじゃないでしょーが問題は!」  
 「では気持ちいいのだな?」  
 「人の話を聞けっ!!」  
 「俺はとても気持ちがいい。君が喋る度に声が変化するのが楽しい」  
 そう言うやいなや、今度は本当にゆっくりゆっくりと宗介が腰を引いた。  
 「くぅ…んっ」  
 意図せず唇から漏れる声に、彼女はまたさらに真っ赤になりながら慌てて自分の口を両手で塞いだ。その指の隙間からまた甘く切ない掠れ声が響き渡る。  
 ゆっくりゆっくり、今度は宗介が腰を押し出す。  
 「ひやぁああぁぁ!」  
 やだ!声が出ちゃう、なんで、なんで!?まだ痛いのに……おかしいよ…ぉ……  
 「……いい声だ。とても興奮する」  
 宗介の低くかすれる声がかなめの耳を刺激して止まない。  
 あの声が、あの四角四面で業務的なことしか言わない声が、こんなこと言ってる……  
 ぼんやりそんなことを思いながら、目の前で顔を赤く染めた宗介が一生懸命に自分を苛めようとしていることに、かなめはやっと気が付いた。  
 
 「あっあっあっあっやっだっこ、んっなの、はず、か、しっ」  
 頭の中がまとまらない。いつの間にかさほど気にならなくなった痛みの代わりに、じんわりと下腹部を襲うのは切ない圧迫感と甘苦しい衝動。  
 やっぱ、入ってる……あたしのなかに、ソースケが、いる。  
 「奇遇だ、俺もひどく恥ずかしい」  
 「やっやっやっあっあっあぁっ」  
 「君がそんな声を出すから、止まらない」  
 少しづつリズミカルに、それでいて強くなく宗介がかなめの身体を揺さぶる。そのたびにかなめの胸がふるふる大きく振動していて、宗介は胸から目を逸らした。  
 いかん、こんなものを見ていては歯止めが効かん。  
 そう思ったのが悪かったのか、宗介が一瞬にして真っ青になった。……限界に達したのだ。  
 「……すまん、君が満足するまで押し留めようとしたのだが……無念だ」  
 「あっは、は…?なに言っ……」  
 だく……っ  
 宗介の動きがぴたりと止まり、軽い痙攣を数度起こしたかと思うとかなめの身体に宗介がもつれるように倒れこんできた。  
 「やっなっ……!?なんなのよ!?」  
 その身体を決して押し返そうとはせずに抱きかかえるような格好でかなめが受け止める。  
 かはぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……  
 苦しそうな荒い呼吸を繰り返して必死で酸素を求めている宗介の鼓動に、いまいち状況が分からないかなめは頭の中をハテナマークだらけにしつつも、ぎゅっと彼の身体を抱きしめて離さない。  
 彼はそれを情けないと思ったが、同時に抗いがたいほどの満足と安堵と喜びを感じた。  
 やはり、千鳥には敵わない。  
 そして改めて思う。  
 彼女を好きになって良かった、と。  
 
 

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