「四五の半!」  
そうではない。今 賭場に晒されているのは三五の丁。  
倉田組の開く丁半博打の賭場で、連戦連勝の青年をこれ以上勝たせない為に、組の壺振り山中が事実を覆したのだ。  
青年が今まで勝ち得た大金…その全てを賭けての最後の勝負を、倉田組は最初からまともに行うつもりはなかった。  
この事で青年が騒ぎ立てる様なら、暴力で黙らせる気だ。  
「ぬかすなっ 丁だ!」  
それでも青年アカギはこの一言しかない。  
「聞き違いか…この状況で、正常な人間が丁などと口走る筈がない……」  
山中の隣に座るこの合力の言葉を、代貸の倉石が嗜める。  
「誤解を招く言い方はするなよ。状況だなんだは関係ない。  
問題なのは賽の目だけだ。ゴリ押しはいかんぞ客人」  
組員達が笑う。「お前以外、この場の人間は全て 半と確認したぞ」と、下卑た哄笑。  
「どいつもこいつも…地獄へ落ちやがれ…!」  
アカギがいつになく熱く凄む。賭場が凍りついたように静まった。  
その静寂を斬り、ゆっくりと山中が言う。  
「わかった…お前の思いをくむ事は出来る。丁にしてやる、してやるが…」  
「…」  
「これから見せる、女を抱け」  
「女…」  
シャツを着た姿でも、アカギの体躯は立派だと想像はつく。  
もしアカギがここでシャツを脱げば、山中の刺青が怯みそうなアカギの総身が現れるだろう。  
「その姿を、この本に乗せる。ただし首から下だ。  
お前達の…体は申しぶんない。  
だが女は顔、お前はその髪。  
こんな写真は、まず男が見るもんだ。  
見ている男が自己投影出来ないような奇抜な髪色じゃ、物好きにしか喜ばれねぇんだよ」  
売れる体の男女が抱き合う、それが被写体。  
アカギが女の顔を嫌がれば、賽の目は半で押し切られ、  
アカギが女を抱くのなら、倉田組も出目を丁と認める。その代わり写真を撮り、その後アカギを殺すのだろう。  
山中は酔い始めている。それは誰の所為なのか  
(丁だと言うお前を肯定してやる事は出来る。ただし殺す)  
そんな思いを秘める山中の眉を、アカギは見ていた。  
 
「そうか…俺が殺されようと、出目が変わらなければ良い」  
(このガキ)  
山中の背後の襖が開けられた。その奥に、見事な肢体の女が縛られて座っている。  
女の顔は…目元はなかなか可愛い。だがその瞳が潤んでいる。  
「あんたどうしてこんな所に居るんだ…」  
アカギは女にかまされた猿轡と、縄を解きながら言った。  
「人づてで、良い仕事だからって…旅館の仲居してたの。  
 でも今思うと美心…騙されたんだわ」  
「そんなに人を信用しちゃ駄目さ…」  
落ち着いた声と共に、アカギの手が美心の肩に触れる。  
「やめて」  
「なぜ」  
「人が見てるし…本に乗るなんて…」  
「顔は写らないんだって」  
「それでも…」  
「それだけか? 俺がどうしても気に入らないとかはないか」  
「こんな時に…相手を気に入るとか、そんな事…」  
「関係あるね。いや、それ以外はどうでも良い。  
 誰が見ていようとどうだって良い。俺達は俺達」  
「……」  
「この場は、俺があんたを守るから」  
真っ直ぐ迫るアカギに目まいを覚えて、美心はもう何も言えなくなってしまった。  
(この場だけ?)  
アカギの上半身が迫る度に、美心はそう思った。  
(美心を守ってくれるのはこの場だけ?)  
自分の図々しさを自覚している美心。しかし言えなかった。  
アカギに倒され体勢を崩した時、美心は彼の背に手を絡める。  
それは熱く乾いていて、それだけで…美心はもう言葉を紡ぐのをやめた。  
 
倉田組の男達も美心に挑んでいたが、皆失敗している。  
漢を売る稼業のヤクザ達が。  
そんな倉田組の中、山中だけが美心で勃起する事が出来た。  
言うならば、山中は神。誰にも出来ない事をやってのける神であった。  
その事に山中は陶酔もし、誇りも感じていた。  
が、それ以上の存在は居るのだ。  
なんの躊躇いもなく裸足で踏み込める無頼がいる。通常、男の死を連想させる美心抱きに。  
 
アカギの長い指が、美心の胸元を肌蹴させて行く。  
(こいつ、本当に)  
想像を絶する怪物が今、山中の目の前に居る。  
愚弄されている気分。だがどうにもならぬ。  
倉田組の広間にただ、アカギの自由だけが広がって行く。  
それは際限なくどこまでも、無限に続きそうな気配。  
「客人、名前は」  
「…赤木しげる」  
アカギは眠そうな声で答える。  
「その名前覚えておこう…悪いがお前はもう終わりだ。お前は限度を超えちまった」  
日本刀が閃き、飛散する赤。  
それは処女を散らした美心のものではなかった。  
「アカ…」  
「大丈夫…こう言う事もある」  
そう言って美心を落ち着かせるアカギの、右肩から鮮血が溢れている。  
「どこまで嘗めくさるか」  
日本刀を握る組員が、アカギの肩を白刃で押さえ付けている。  
命乞いもしなければ、助けも求めて来ないアカギが倉田組の刃に斬られていた。  
「もう一度だけ聞く。  
 お前がこれ以上妙な事をしなければ、これからは何事もなく帰れるんだ  
 この賽の目、丁か半か」  
山中に取ってはアカギの死よりも、アカギの意志や魂が折れてくれる方が望ましい。  
山中が再度確かめに来たのは、丁半の如何ではない。  
倉田組を、山中を恐れるか否か。  
アカギが死を恐れてくれるか否か。  
 
「仮にこの国…いや、この世界全ての国を支配するような  
 そんな怪物…権力者が現れたとしても  
 ねじ曲げられねぇんだ。  
 自分が死ぬ事と…博打の出た目は  
 丁!」  
 
「そうか…なら、イキな!」  
 
開放されたアカギが美心の胸元へ戻って来る。美心でイケる。  
「アカギさん!」  
熱い渇きを美心で潤そうと、アカギは血と胸で彼女を抱いた。  
「この」  
アカギを斬った組員が二太刀目を彼に浴びせようとしたが、山中が止める。  
「待て、この絵は使える」  
山中は狂い始めた。他の誰の所為でもない。アカギによって。  
 
赤く熱い腕が、女の体を快感で震わせる。  
美心の白い肌に、アカギの血が多量、汗が数滴零れ落ちた。  
アカギの腕の動きは鈍くなりつつある。しかし瞳には、男が女を見るあの色があった。  
(ダメ、アカギさん、そんな目だって、生きてるからあるんだもの。今が過ぎたら、無くなるなんてイヤ)  
「アカギさん病院に行こう…死んじゃうわ」  
美心は悲しそうに声が高くなり、涙を零している。  
「良い」  
「ダメよ」  
「手当てに価値は無い。あんたと比べたら」  
美心はこの男の言葉と体温を貰う喜び、快感の為に、この男を死なせて良いものかと悩んだ。  
彼女は今まで生きて来て、これほど真剣に何かを考えた事があっただろうか。  
血の匂いの中、男女は口付け合った。  
アカギの勢いに飲み込まれるように、美心が答える。  
アカギの腕は一瞬、傷を忘れたように動き、美心の乳房に触れた。  
しかしその一瞬が過ぎてしまえば  
「斬れ」  
山中の短い声が、その瞬間と重なり響く。  
アカギの首と、胴体が切り離されようとするその時、  
ヤクザの白刃が畳に突き刺さり、殺戮が止んだ。  
不意に訪ねて来た客を追い返す為らしい。  
倉田組にしてもこれ以上、この場に新しい人間を招くのはよろしくない。  
だが、アカギの事を知る安岡と言う刑事が、稲田組の若頭を連れて乗り込んで来た。  
安岡の視線は、血塗れで女の上に重なるアカギを確認。  
(え、なんで?)  
安岡混乱。  
 
安岡と若頭の仰木が必死に食い下がり、この勝負を目無しにして行く。  
アカギの命、つまり、勝負師としての才能、宝が、余りにも惜しいからである。  
血塗れの賭場に勇んで乗り込む人間達、ざわめく声。  
その中で…  
勝負が消えて行くと同時に、アカギの出血と意識がだんだんと薄らいで行った。  
彼の手と指が、美心の服から畳へ転がり落ちる。  
そして精悍な胴体も青い畳に崩れ落ちた。  
アカギの動かない体に、広間はさらにざわめく。  
意識不明のアカギと、騒がしく揺れる賭場の中、静かに…  
美心へ向かい伸ばされたアカギの指の長い手が、彼女に話かけるように動いて見えた。  
(一緒に…いけなかった、ね……)  
死も美心も受け入れられるアカギだからこその、無念そうな指先だった。  
 
 
畳の上で失ったアカギの意識が戻った頃、彼は大きな車の後部座席に仰臥していた。  
これから真っ直ぐ病院に向かうのだと、運転席の安岡が言う。  
「こちらの仰木さん…倉田組と同じ山東組の傘下、稲田組の若頭さ。  
 おかげ様で、連れて来た俺も倉田組と話が出来たわけだ」  
勝負を無かった事にし、堅気の市民も警官として保護出来た。  
アカギは、間接的にヤクザから美心を守ったと言える。  
アカギを追って来た刑事安岡が、あの娘を解放し自由にした。  
「なるほど…たまに普通の仕事もしなきゃ、悪徳刑事じゃ居られないか」  
と、低い囁きと共に淡い微笑を見せたアカギはもう一度目を閉じた。  
 
「あの倉田組のやり方、お前頭に来たんだろ? そんな狂人と意地を張り合ってどうする。  
 クズと心中や、凄い顔の女と売春なんて物になぜ走る。何の意味がある?」  
広い病室、見舞い用のイスに掛ける安岡が、ベッドで上体を起こし座るアカギにそう言った。  
「無意味に突っ走る事もありますよ…  
 あの時はもうそんな気分だった。  
 俺は根っこのところが愚かなんでしょう  
 死ぬ時には死ねばいいと思う  
 相手が狂人だろうとなんだろうと、死ぬ時が来たなら ただ死ねば良い」  
「違う」  
若頭の仰木がアカギに言った。  
「お前のような異才はな…地べたに這う人間など無視しろ。クズに対して命をつぎ込む事はない。  
 鬼才であるが故に今まで二流、三流とばかり当たって来て人生に飽く。犬死も構わねぇなんて気になる。  
 今のぬるま湯が居た堪れないんだろう。  
 お前が望んでいるのは「死」ではなく、常人には触れる事さえ出来ない熱湯のような「生」じゃないのか。  
 そんなお前に足る相手、アカギ  
 俺は一人知ってるぞ」  
仰木はこう言ってアカギを勝負の地に誘いながら…  
─死を恐れず、かと言って破滅に酔うのではなく、生き死にの恐怖をまっすぐ見詰めて死んでいける人間─  
そこのところがあのご老人には無い、アカギの強みだとも思っていた。  
「なるほど…ぶつけようって言うんだ。その足る相手って言うのに俺を。  
 高レートの麻雀だろ」  
安岡がそのアカギに続いて言う  
「今回は単なる金儲けじゃない。  
 相手の老人は今噂の吸血鬼。人殺しだ。これは狩りでもある。  
 この狂人を止められるのはお前だけだ。狩れ、アカギ」  
歪んでいながらも、安岡の刑事らしい面が顔を出す。そして刑事はさらに、  
「倉田組では、お前も走り過ぎたところがあるな。らしくない。  
 自分と無関係で無害な人間に、自分との売春を強要したそうじゃないか」  
「あぁ、あれは…あの女と俺は…」  
(首から上が使えないんだって。  
あの人、あんなところに一人ぼっちで居たからさ…俺くらい居ても)  
「フフ…あれは俺の女さ」  
 
もう患者に見えない立派な姿勢のアカギが、病室を出る為に鞄を持ち上げている。  
倉田組でのあの娘は、あんな場所で良く喜んでくれたように思う。  
男の血に塗れ、ヤクザに囲まれて。  
(俺はいつでもあんな派手なわけじゃないさ。  
 だからあんたが派手好みなら、ずっとは応じて行けないかもな)  
「美心を守ってくれるのはこの場だけ?」  
「あんたの方から俺を探し当てる事が出来たら、ずっと守ってやらないでもない」  
そんな会話はなかった。  
だが美心の問いが存在したならアカギはそう言い返し、取り決めただろうか。  
お互いに取って無理難題。狂気の約束を。  
アカギがあの賭場で美心に言った「この場は、俺があんたを守る」とは、  
「体や心に傷を付ける事無く、彼女を無事に倉田組から救い出す」約束だったのか  
ここで一緒に死のうと言ったような、彼女を孤独から救う誘惑だったのか  
(じゃあな、俺は行くぜ)  
病室の窓から無人の庭を眺めていたアカギが、その日の光に背を向け勝負の地へと歩き出した。  
 
アカギが病室を出て、病院の裏口から静かに退院した時、  
大きな庭を通り、表口から病院内に走り込む若い娘があった。  
娘はアカギの病室を訪ねるが、もうベッドの名札に赤木の文字はない。  
この乳房に落ちた、アカギの汗と血。  
あの熱い背だけで、どうして彼を受け入れ許したのか  
(だって…いい子いい子したかったんだもの。かわいいアカギさん  
 良い人…アカギさん。…美心が欲しいのね。欲しかったのね)  
そう思い至ると、これが嘘だろうと妄想だろうと、美心は涙が止まらなかった。  
(あげたかったの…)  
アカギが使っていたシーツを、美心が涙で濡らす。  
 
こんな美心は、アカギの次にベッドを使う事になる青年に気付かないかも知れない。  
背は高いが十人並みの容貌で、アカギと反対色の黒髪の青年。  
生きるために自分の耳を刈り、前向きに胸を張るために指を失くした青年に。  
 
美心はアカギを愛し始めたようだが、そのきっかけはアカギの方にある。  
美心はアカギに奪われた。  
誰も持っていないような彼の鋭い牙で心を噛み千切られ、持ち去られたような感覚。  
人の心を持ち去り、喰らう。いつの時代のアカギにもその能力はある。  
ただし、それを箸に乗せても19歳のアカギはそのまま放置するか、ただ見ているだけ。  
口にすればそのふぐ刺し以上の旨味に、13歳の頃から気付いていた筈なのに。  
他人の心を手に取っては、飲み込まない今の生き方を切り替え、青年期を過ぎても生きて居られるだろうか。  
アカギの「19歳」は自分の時間。プライベートな時期だった。  
その溢れる若さも手伝って、誰も彼に触れられない。  
渇き、飢え餓(かつ)えても、死ぬ時が来たら、死ぬまで。  
 
 
これからアカギが向かう鷲巣邸の周辺は、大雨が続いていると言う。  
倉田組のあった千葉では(雨ってどんな感じだっけ…)とアカギが忘れる程だったのに。  
アカギは汽車に乗り、東京へ向かっていた。  
(あんたも俺も、首から上は使えないって。  
 存在するだけで普通から外されたはぐれ者…)  
汽車の中、アカギはもう名前も覚えていない女の事を少し思い出していたが、  
しばらくするとその美心の事は忘れて、対戦相手の老人を想像し出した。  
アカギを乗せた汽車が晴れたレールの上を行き、  
その車輪が長いトンネルを駆け抜けた時、鳴り止まない風と雨が彼を待っている。  
 
 
 
 

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