東京に来て三年、伊藤カイジは最悪だった。  
正月が明けてからびた一日も働いていなかった。  
しょぼい酒、しょぼい博打の日々……。  
外出するのはせいぜいコンビニ目的か、もしくは高級外車にイタズラするため、遠出といってもパチンコ屋ぐらいだった。  
 
そんなカイジだが、今日に限っては駅前に来ているのだった。  
一週間伸ばしっぱなしだったヒゲを剃り、こざっぱりとしたカジュアルな服装で、メインストリートにやってきたのだ。  
カイジは辺りを見回し、ジーンズから携帯電話を取り出した。  
「南口ドーソンの隣のビルの地下、"エスポワール"という喫茶店にいます」とメールが入っていた。  
 
―引きこもり気味だった彼がなぜ駅前くんだりまで来たかというと、思いがけない人物から上京の知らせを貰ったためである。  
カイジの姉、アキコからだった。  
アキコは地元の大学を卒業後、市役所の年金課に二年ほど勤めている。  
上京はしてみたものの定職に就かず、挙句ニートになりつつあるカイジとは正反対で、着実に人生という駒を進めているのだった。  
カイジが上京してから親とのやり取りはほとんど無かったものの、アキコとは数か月に一回、電話やメールを交わしていた。  
といっても、接触は毎回アキコからだったのだが、着信履歴がバクチ友だちで埋まっているカイジにとって、それは心が安らぐひとときでもあった。  
「カイジ、元気にしとる?おねえは来週末、東京に遊びに行こうと思ってます。  
なんかご馳走しちゃるけん、話でも聞かせてなー(^-^)v」  
こんなメールを受信したのも先週のこと。  
 
地元や親とも疎遠になったなかで親しくしていた姉と、三年ぶりに顔を合わせることができる。  
(久しぶりに、コンビニ弁当以外の食い物にありつける……)  
そうひとりごちながらも、カイジの胸の中は、アキコと直に話したいという思いでいっぱいだった。  
小さい頃ぜんそく気味で孤立しがちだったカイジの面倒を、毎日見てくれた姉。  
公務員試験にストレートで合格し、内定通知を実家のリビングに飾っていた姉。  
大学の頃から付き合いを続けていた恋人との結婚が決まり、電話口の向こうではしゃいでいた姉。  
 
自分とは違い真っ当な、いわゆる「勝ち組」の道を進んでいる人間なぞ、負け組の代表例であるカイジにとっては  
嫉妬と羨望の対象でしかないのだが、アキコは別だった。  
己の達成することの出来なかった進路を歩んでいる肉親の一人として、エールを贈りたいカイジであった。  
 
件のビルの地下には小さなテナントがいくつかあったが、喫茶"エスポワール"以外はどこもシャッターが下りていた。  
"エスポワール"の窓には濃いスモーク加工が施され、店内にアキコがいるのかいないのかはよく見えなかった。  
窓に貼られた「ブレンド 400円」という黄ばんだ短冊にせよ、蛍光灯の切れかかった行燈看板にせよ、  
20代前半の女性が待ち合わせ場所として選ぶのにはちょっと相応しくない所ではなかろうか。  
 
カイジはそう違和感を覚えつつも、ニスの禿げかかった扉を押し開けた。  
調子外れのチャイムが鳴ると同時に、年季の入ったいがらの臭いが鼻を衝く。  
入口のすぐ側には背広を着た客が一組、カウンターには中年の男性店員が一人。  
そして奥まった場のソファーセットに、アキコが座って居た。  
 
「姉ちゃん、久し振りやな」と、カイジは店内を進んでいく。  
アキコはカイジと目が合うと安心したような笑みを見せたが、それはどこか作っているようにも見えた。  
アキコの様子がカイジの何かに引っかかったが、  
(肉親とはいえ三年ぶりに会うのだから、ぎごちなく見えるのも気のせいだろう)と思い直した。  
 
ソファーの向かいに腰掛け、「新幹線で来たんか?それとも飛行機で?」とカイジが尋ねると、  
アキコは「のぞみで三時間半。座りっぱなしだったけえ、若いウチでも腰が痛くってなぁ」と大げさに腰をさすった。  
「お母さんが"大手だいふく"持たせてくれとるよ。あんたの好物でしょ」と手土産を置き、  
「そのうち三個は新幹線の中で食べてしもうたわ」と箱を開けておどけるアキコを見て、  
(のん気なところ、やっぱり姉ちゃんは変わってないな)とカイジはほっとする。  
 
カイジはブレンドコーヒーを注文した。  
印字のかすれたメニューをテーブルの端に置き、煙草を取り出す。  
「どうしてこんな所で待ち合わせたの。もっとオシャレな店もあったじゃない」  
一瞬口をつぐんだのち、アキコは「寒いし荷物が重たかったけん、改札からすぐのここに入ったんよ。」と答えた。  
 
店員がコーヒーを運んできて、カップと伝票を置いていった。  
アキコは伝票をチラと捲ると、声にならない声で(どうして……)と呟いた。  
目が伝票に釘づけになったアキコを見、カイジの疑念は頂点に達し、伝票を彼女から取り上げた。  
 
「古畑武志の負債385万円、  
連帯保証人として上記を伊藤カイジに請求する  
株式会社 帝愛キャッシング」  
 
カイジに電流走る。  
「なんだよ……これっ………!」  
 
「カラニッ……」  
ドアチャイムが鳴り、背広姿の男性が5、6人入ってきた。  
黒いスーツにサングラスを身に着けた男が複数人いるのを見る限り、まともな筋の輩ではないのだろう。  
 
「実に良いホームドラマだった。ご苦労様です、伊藤明子さん」  
ロマンスグレーで角ばった顔つきの中年が進み出、パニパニと乾いた拍手をアキコに贈った。  
入口の客も店員も連中の身内なのか、無反応である。  
「姉ちゃん、何が起こっとるんな。こいつら、姉ちゃんと何の関係があるんじゃッ……!」  
カイジは事の経緯が把握できず、ただアキコと連中とを見比べるしかなかった。  
 
「初めまして伊藤カイジくん。私は帝愛グループの利根川という者です」  
ロマンスグレーの中年はそう挨拶し、「キミの債務についてお姉さんを交えて話そうと思ってね」と続けた。  
アキコは眉をしかめ、利根川という中年を見据えた。  
「この伝票はどういう事ですか。弟が背負わされた債務については、いま私が弟と会った時点で片がついたはずですが」  
「債務って何のことだよ」と言いかけたカイジの脳裏を、平謝りする古畑武志の姿が横切った。  
カイジは一年前に勤めていたバイト先で古畑に泣きつかれ、彼の借金の保証人になっていたのであった。  
 
「古畑の借金は30万円だっただろうが。なんで385万に跳ね上がってんだよ……古畑はどうした」と、利根川を凄むカイジ。  
「古畑くんは行方知れずでね。姿の見えないうちに利息が積もりに積もって、この金額になったというわけだ。  
そうなれば連帯保証人のキミに払ってもらうしかないだろう」と利根川が答える。  
 
カイジは立ち上がった。  
「なら、どうして姉貴が『片がつく』と言っている?連帯保証人の俺に直接請求しない?」  
利根川は「まず一つ目の質問に答えようか」と溜め息をつき、黒服に視線を寄越した。  
 
黒服の一人がハンディビデオカメラをテーブルに置く。  
黙っていたアキコが「ダメ……っ」と反応したのを、他の黒服が取り押さえる。  
「カイジ見ちゃいけんっ……、あんたはもう関わらんでええ事やけえ」  
事態をよく飲み込めないカイジは、アキコの意図を察する事ができず、ハンディカムのディスプレイを見つめる。  
「キャッシングの者がキミの実家からの電話を傍受しててね……お姉さんが今日いらっしゃると分かったんだ。  
キミと待ち合わせるまでにお姉さんと話をした結果がこれだよ」と利根川が口角を上げた。  
 
黒服が再生ボタンを押したその瞬間、女が男に組み敷かれた図が目に飛び込み、カイジは顔を背けた。  
視線を外せども、音声が店内に空しく響く。  
卑猥で機械的な、粘っこい水音……、汚らしく漏れ出る、男の息の音……、女の悲鳴とも嬌声ともつかない嗚咽……。  
そのむせび声に、カイジの心臓は締め付けられるようだった。  
姉のものだった。  
 
「やめろ……っ」カイジは両耳を塞いだが、猥雑なノイズは頭の中に響き続ける。  
残響がカイジの涙線を刺激し、大粒の涙が目に浮かぶ。  
自分の借金のスケープゴートとして、姉が名乗り出た。  
立派な職に就いているというのに、婚約者もいるというのに、彼女自身を犠牲にした。  
揺るぎのない事実を突き付けられ、カイジの頬筋を涙がぼろぼろと滑ってゆく。  
 
「もう沢山だ!テープを止めろっ」とハンディカムに触ろうとするカイジを、黒服が力で制する。  
「おや……せっかくお姉さんが身体を張ってくれたというのに、キミはその苦労を足蹴にするんだな。  
30分ある作品なのに、10秒も鑑賞しないとは」  
利根川はハンディカムを取り上げ、停止ボタンを押した。  
 
「姉貴は関係ないだろ……汚ないぞ」。  
涙と鼻水で顔を歪ませたカイジが呟いた。  
「汚いのはどっちだ、ゴミめっ……!」利根川は唾を飛ばして激昂した。  
「いいか、二つ目の質問に答えてやろう。  
古畑くんが見つからないのでここ数週間お前の行動を監視させてもらったが、  
385万の負債を肩代わりできる能力があるとは、到底判断しがたい物だった!  
働きもせず、することといえば仲間内でのヌルい博打。何と非生産的なことか。  
仕舞い目にはグループの車に何台も傷をこさえおって……なぜにお前らクズは徹底してクズなんだ」  
 
自分の怠惰な生活が、こんな顛末を迎えることになろうとは。  
勉強をサボった故の赤点のテストも、前日に飲み過ぎた故に無断欠勤でクビになったバイトも、  
これ程までにカイジの身を摘ますものでは無かっただろう。  
 
「もう止してください……そのテープでカイジの負債は片付いたはずです。  
早く領収書を切ってください」アキコがしゃくりながら開口した。  
(まだ、返済証は切られていない)  
愕然としかけたカイジの目先に、わずかだが明かりが灯されたように、アイデアが浮かんだ。  
「ダメだ……」。  
カイジは喉の力を振り絞り、「テープはこの場限りで破棄だ。詰る所俺が買い取るっ……!」と宣言した。  
 
利根川は片眉をつり上げ、「お前が買い取るとはどういうことだ?」と尋ねた。  
カイジは顔を拭いながら説明し始めた。  
「あんた、俺にはまともな返済が出来ないと言ったよな」。  
そして続けた。  
「姉貴が身体を張った作品を鑑賞することで、苦労が報われるのではとも指摘したな」と。  
 
利根川は目を見開き、「まさか肉親であるお前が、お姉さんのテープでマスをかくという事か?」と問いただした。  
「それこそ『鑑賞』というもんだろ」と、カイジは不敵な笑みを浮かべた。  
奇抜すぎるアイデアに驚くあまり、利根川の顎は今にも外れそうである。  
「狂気の沙汰だ……!それにお前のセンずりなんぞに、どれだけの金銭的価値があるというッ」  
「"エスポワール"のオーディエンスは、そうは思っていないようだが」と、カイジは店の奥を指す。  
 
「……けっ……!」  
奥一面に貼られた鏡から、何かが聞こえてくる。  
「ぬ、けっ……!」  
「抜けっ……!」  
「弟が姉のビデオで抜けるかどうか、賭けてみたいものですナァ」  
「果てるまでの時間を賭けると、もっと興味深くなるかと」  
奥の鏡はマジックミラーになっており、大勢の人間―おそらく利根川が招いた悪趣味な富豪たちであろう―がこちらを観察していたのだった。  
カイジが妙案を提示したことで、ミラーを通してどよめき、ざわめきが聞こえ始めていた。  
アキコはただ目を丸くし、黙っているしか無かった。  
 
「市井の姉弟による悲劇を見世物にしていたようだが、さすが目の肥えた方々は凡人とかけ離れているな。  
お涙頂戴では飽き足らず、弟が姉で抜くまでの時間に賭けたいようだ」。  
カイジはミラーを一瞥した。  
「狂気の沙汰ほど面白い……とは」。  
利根川は呆れたような、好奇に駆られたような表情で頷き、ミラー向こうでのオッズの調整を仕切り始めた。  
そしてボソリと呟く。  
「さしずめ『限定マスターベーション』といったところか」  
 
カイジと利根川、双方の合意ののち、限定マスターベーションのルールが決定した。  
 
オカズは姉アキコのハメ録りビデオ、30分間。  
カイジがヌいたのを目視できた時点で終了。  
終了した時点のテープの残り時間10秒ごとに4万円が、カイジに与えられる。  
(テープの残り時間が970秒になるまでに、つまり830秒以内で終了できれば、  
385万円の負債が帳消しとなり、マスターテープ含む全てのテープを破棄できる)  
 
なお、アキコは本人の希望により、店員控え室で待機することとなった。  
 
カイジは「観客席」のどこからでもよく見える椅子に座らされ、遮蔽物となるソファやテーブルは黒服の手によって片づけられた。  
カイジの目前には、ハンディカムに接続された17型のモニター1台のみ。  
2メートルほど離れた場所に、立会人として利根川と黒服二人が残った。  
店員が店のシャッターを下ろした。  
 
マジックミラーの向こう側に数十の瞳が透けて見えるような錯覚を、カイジは覚えた。  
衆人監視の中の自慰行為……。  
加えてオカズは姉……。  
夢ならば醒めてほしいところだが、どんなに狂っていてもこれは現実。  
姉のビデオなど、絶対に世間に晒すわけにはいかなかった。  
カイジは深呼吸の後、下着をジーンズごと下ろし、利根川を睨みつけた。  
「始めてくれ」  
 
テープは、アキコが"エスポワール"に入店した部分から始まっていた。  
 
ビデオ内のアキコの顔には、うっすらとボカシがかけてあった。  
しかし、すっきりとした鼻筋、奥二重のアーモンド状の目、わずかに上がった口角は、家族や知り合いからすれば本人だと見て取れる。  
 
アキコは白髪の男(顔の輪郭と服装からして利根川だろう)に頭を下げて挨拶していた。  
「弟がお世話になっております。ミスばかりでご迷惑をかけてませんか?」  
おそらく、カイジの勤め先の者だ、といった嘘で連れて来られたのであろう。  
カイジが真面目に働いているか、職場の人間に迷惑をかけていないか。  
何も疑わない様子で弟を気にかけるアキコを見て、カイジはやるせない気持ちになった。  
 
利根川が早々に事実を切り出す。  
「実は……くんの事なんですが、私は職場の関係者などではありません」と、鞄からA4サイズほどの紙を取り出した。  
個人名については音声加工が施してあるらしい。  
 
アキコは紙を手にしたまま数秒間硬直したのち、利根川に尋ねた。  
借金385万円がどういう経緯で発生したのか、古畑本人はどうしているのか、カイジはどこで何をしているのか。  
利根川の答えは落ち着いた調子である事を除けば、先ほどと同じものだった。  
それを受け、アキコはうつむき、こう口を開いた。  
「私の貯蓄が200万円あります。それを元金に何とかできませんか」。  
(200万円って……姉ちゃんが大学時代からコツコツ貯めてきた貯金じゃろうが。結婚に備えてる、って言うとったのに)  
カイジは自身を情けなく思うあまり、手を動かせずにいた。  
 
「ふふっ……」利根川が腹を揺すった。  
「お姉さんの左薬指を見るに、その200万円は他に費やすべき所がある。そうでしょう」と、アキコをなだめすかす。  
その後は温厚な様子とはいえ、利根川の話術が展開されていった。  
385万円を即時に返済しなければ雪ダルマ式に負債が増えていく、このままではカイジが強制労働せざるを得ない、  
自己破産が成立したとしても危険な目に遭うかもしれない……。  
利根川は姉が弟を想う気持ちにつけ込んで、アキコに精神的に詰め寄っていった。  
 
一通り説明を終えると、利根川は「私の意図していることがご理解頂けたでしょうか?」とくくった。  
アキコはどう反応すべきか考えているのだろうか、利根川を見据えたまま黙っていた。  
利根川は組んでいた脚を下ろし、「お姉さんにここまで心配してもらえるなんて、なんと羨ましい弟さんだ」と呟いた。  
「わたくし一人っ子だったものでね、こんなお姉さんがいたらなあ、と思った事が何度もありまして」  
そう語り、アキコの左手に、両手でそっと触れたのだった。  
利根川は、物理的な距離も詰めていた。  
 
―ここまでの再生時間は7分。カイジのペニス、未だ勃たず。  
(気分悪っ……)  
テープが黙々と再生される一方で、カイジのモチベーションは激しく削がれていた。  
姉が貶められているからというだけではなかった。  
ビデオの中で姉を懐柔しようとしている男、利根川がこの場に同席していたためである。  
 
モニター内のアキコが、「何のつもりですか、放してください」とうろたえた。  
利根川はアキコの手首を掴み、一喝した。  
「分かっている癖にいつまでとぼけるつもりだ、この非処女がっ……!」  
その一言を皮切りに、店内の黒服が集まってきてアキコを取り押さえた。  
利根川は立ち上がり、上着を脱いだ。  
「オボコならば舌を噛み切らんばかりに抵抗する所だが、お前はどうだ。  
どこか肝が据わっている……差し当たり婚約者とは身体のお付き合いも済ませているんだろう」  
「そんなの貴方とは関係ない事ですっ」アキコは黒服に押さえつけられながらも、身をよじった。  
 
「大いに関係するとも。男と女、二つの生物の問題としてな」  
ネクタイとカフスを外しながら、利根川は続けた。  
「女は一度経験したが最後、セックスに対して打算的な考えを持つようになる。  
男を繋ぎ止めておくための手段、カップルの相性を測るものさし……」  
利根川はシャツを肘まで捲ると、テーブルセットを脇に動かした。  
アキコの全身が映った。  
左右の肩を黒服一人ずつに押さえられていたが、脚は頑なに閉じていた。  
「そしてこの問題を解決するための手段、として捉えるのはどうかね?」  
利根川はアキコの前で膝を付き、ストッキングを破った。  
「ひ……っ」  
アキコの抵抗が控えめになりつつあるのを確認したかのように、利根川はジッパーを下ろした。  
「これで弟くんの385万円が帳消しになるなら、安いもんだろう?」  
利根川のそれは、反り返っていた。  
 
―ここまでの再生時間は10分。  
385万円分のタイムリミットまであと230秒だというのに、カイジのそこは萎えたまま、右手は動かないままだった。  
(よりによって利根川が男優なんて……)  
俳優が赤の他人だからこそ、AVビデオは抜けるのである。  
(これで抜けないのを見込んで、利根川はギャンブルを承諾したんだろうか……)  
ビデオの出演者をよく確かめずに勝負を申し出たことを悔いながら、突破口の出現を願うカイジであった。  
 
利根川はアキコの脚を無理やり開かせた。  
「学生時代は柔道に興じていてな」という利根川の力を前にして、アキコは人形のように無力だった。  
自身をアキコの太腿にあてがい、利根川は彼女に語りかけた。  
「……くんとの相性が良いものかどうか、これを機に判断してみるのも悪くないぞ」  
 
「……くん」という名を耳にした、正しくは想像した瞬間、カイジが反応した。  
アキコの婚約者、青木しげるの事だった。  
カイジが上京して半年が経った頃から、アキコと青木の交際は始まっていた。  
それまでカイジの生活を気にかけるばかりだったアキコからの連絡は、  
青木がどんな青年だとか、どこにデートに行っただとか、青木に関する内容で占められるようになっていた。  
アキコの幸せそうな様子は微笑ましかったのだが、連絡のたびにカイジは疲れを覚えるようになった。  
世間では「スイーツ脳」にうんざり、といったところだろう。  
カイジもそんなつもりだったが、実のところ、青木に無意識のうちに嫉妬していたのだった。  
 
「その名前……なぜ知ってるんですか」とたじろぐアキコを、利根川が貫いた。  
「ファック・ユー、ぶち込むぞ非処女め……ッ!!」  
「ぐっ……」と顔をしかめるアキコを見下ろし、利根川は腰の位置を調整し始める。  
「お前の経験人数など知ったことではないが、若いだけあってきついな。  
だが……くんと違って中年はあっさりいかん。お前が立てなくなるまで続けることができるんだ」  
「やめて、その名前だけは!」アキコは首をいやいやと振った。  
 
カイジは、自身に血が熱くたぎってくる感触を覚えた。  
幼い頃から親身になって自分に接してくれていた姉も、結局は一人の男の女である。  
カイジには見ることのできない姿、聞くことのできない声を、青木の前で晒しているのだろう。  
青木に接する姉を垣間見ているような気がして、罪悪感も覚えたが、  
今までの鬱憤が昇華していくような気持ち良さがそれを上回った。  
そして、姉はやがて一介の妻になる。  
他の家の姓を名乗り、妻として主人を愛し、母として子を愛するようになる。  
詰まる所、自分とは他人となるのだ。  
 
いずれ他人となる姉が辱められているのを凝視するうち、カイジのそれは天を仰ぐ形となった。  
モニターの中の利根川が腰を打ちつけるのに合わせ、自分の右手をスライドさせる。  
(姉貴はもう、俺とは関係ない)  
(姉ちゃんはもう、俺の姉ちゃんじゃないっ……)  
カイジの視覚・聴覚はビデオから遮断され、頭の中を、姉との思い出がめまぐるしく駆け巡った。  
 
385万円まで、あと10秒、9、8、7、―  
「がっ……!」  
カイジの背筋に熱いものがほとばしったその瞬間、彼は果てた。  
 
「829秒87か」利根川が黒服のストップウォッチを確認した。  
カイジは両手いっぱいの白濁液を利根川のほうへ見せつけ、「テープをよこせ、あるだけ全部だ」と息巻く。  
利根川は、「そんなものなど見たくない、さっさと拭け」と吐き捨てるようにいい、カイジにティッシュを寄越した。  
 
その後は何も無かったように、あっさりと返済証が発行され、テープが手に渡った。  
テープはマスターの一本だけだったので、キッチンで燃やした。  
店を出るまでの間、カイジは両手に残った感覚を反すうしていた。  
知らない人間に見世物にされながら、借金返済を賭け、姉をおかずにしてマスターベーション。  
 
人間としてありえないことをやってしまった感はあるが、カイジは、重い荷物を捨てたような爽快さも感じていた。  
これで心の底から、姉を祝福できると。  
 
"エスポワール"を出たのち、アキコはカイジを遅めの夕食に誘った。  
いい具合に汗をかいた生ビール、熱々の焼き鳥、控え目に盛られたフグ刺しが卓上を彩っていたが、  
二人の箸も、グラスも、あまり進んではいなかった。  
「これ、アオキさんが大好きでな……」。  
喫茶店を出てから言葉少なだったアキコがそう呟き、フグ刺しを口に運んだ。  
カイジはうつむいてビールを飲んでいる。  
 
アキコが続けた。  
「えれえ勉強代じゃったな、カイジ。真面目に働かんといけんって、よう分かったろ」  
カイジがアキコを見つめ「ごめんな」と言いかけた拍子、  
彼女はグラスを強引に彼の口元に寄せ、「他に言うことがあるじゃろう?」と微笑んだ。  
カイジはビールを飲み干すと、「姉ちゃん、結婚おめでとう……」と言い、瞳を潤ませた。  
「あんたは小せえ頃から泣いてばっかりじゃのお。もっと強うならんと女の子にモテんで」  
アキコはそうたしなめると、カイジの肩をバニッと叩いた。  
 
―それから数週間後、カイジはドーソンの制服に身を包み、黙々とごみ袋を引き摺っていた。  
(途中……途中……)  
任される仕事といえばゴミ捨てに雑誌の配列、バックヤードの掃除など地味なものばかりだったが、  
佐原とかいう茶髪の青年や西尾という女性のように、フレンドリーに接客ができるわけでもない。  
人見知りのカイジにとっては、ある意味適職だとも言えた。  
また、"エスポワール"での出来事を二度と招くわけにはいかなかった。  
 
その一方で、カイジの胸中には一種の昂ぶりが、しこりのごとく残っていた。  
限定マスターベーションを思いついた時の、雷に打たれたような痺れ。  
385万という負債を一晩にして覆した時の達成感。  
あの晩ほどの刺激は、ドーソンの仕事には微塵も感じられなかった。  
 
カイジの思惑を知ってか知らずか、終業後店を出た彼に、一人の男が声を掛けた。  
「きみの"独演"ビデオ、買い取るつもりは無いか?」  
ホテルスターサイドへの道が、いま開かれた……。  
 
-----------『自慰黙示録カイジ』限定マスターベーション編・完-------------------------  
 

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