「1996年の資料は…ここら辺りか?」  
 
狐塚がしばらく見ないうちに、あの雑然としていた資料室が  
すっかり綺麗になっている。彼の目の敵にしている、神部美和子の手によってだ。  
 
事有る毎に彼女が、自分が大富豪であることを主張するかのような態度を取るのが鼻持ちならない狐塚は、  
彼女の品の良い一挙手一投足がすべて富豪だからこその其れであるように思えてならず、整然と整理された今の資料室の姿さえも大いに気に食わなかった。  
 
「前のほうが俺には、使い易かったねえ〜…」  
 
そう独り言つも、散らかって、入るなり埃に塗れたような以前の資料室を考えると、  
並大抵の時間で探せたものではなかった10年も前の資料がこうも易々と見つかってしまうのは、美和子の所業の賜物である。それがなんとも苦々しい。  
 
(あのお嬢様が来てから本っ当にロクな事がない。事件はたちどころに解決するし、上層部は近頃五月蝿くなくなったし、金回りは良いし、  
近頃鎌倉警部の羽振りが良くなって、この間は高級懐石に与れて…)  
「って良いことばっかりじゃねーか!」  
 
冴え渡る一人ツッコミが空しく室内にこだまし、狐塚は体の中身が流れ出るかのように、  
大袈裟なため息を一つ吐いた。  
 
「狐塚さあーん。連続窃盗犯さんの資料は、見つかりましたかあ〜?」  
 
このゆるーい声音は、神部美和子の物である。  
扉の向こうの人物の登場に、狐塚は尚更機嫌が悪くなった。  
そうして灰色の脳細胞では、『今ここでできる意地悪大百科』の頁が、パラパラと捲られる。  
素早く脳幹の支持を受けた右手が、持っていた資料を後ろ手に隠し、口元はにやりと笑みを象る。  
 
「まだだよ。」  
 
すると扉が開き、美和子が小動物のようなくりくりの目を瞬かせて入ってくる。  
「でしたらお手伝いします!ここを片付けたのは私ですから、私が探せば直ぐに見つかると思うんです。」  
 
これ以上無い笑顔でそう笑いかけられると狐塚は少しギクリとして、しかし平静を保ったつもりで「よろしく」と中へ通した。  
 
(精々ー、見付からずにべそかきゃいいさ。相変わらずお高く留まりやがって。)  
 
自然なカーヴを描く美しい栗色の髪が揺れ、シックなダークローズのピアスが耳元に輝く。  
首には小振りながら豪奢な蝶をあしらったダイアモンドネックレス、スーツはピアスとネックレスに対になるよう、ダークローズカラーにツートーン明るいバラに留まらんとする今にも動かんばかりの蝶の刺繍が一点、施されている。  
そして足元は、美しい素足を包むローズピンクのパンプス。こちらにも大輪がひとつづつ。  
 
狐塚は嫌味たっぷりにふん、と鼻を鳴らした。自分と言えば、かれこれ3年履いた濃茶のローファーに、青山のダブルパンツスーツ、  
そこで適当に選んだ青と黒のストライプネクタイ。劣等感の塊である。  
 
「あれぇ?おかしいです。この辺りに纏めておいた筈なのに…」  
狐塚は、その台詞を聞いて急ににやける口元に、ぐっと力をこめる。  
 
「早くしてくれよ。俺が鎌倉警部に怒られちまうだろ。全く、使い勝手を考えずに変に片付けたりしやがるからこういう事になるんだ。  
余計なことしやがって…」  
「そ、そんなぁ…」  
 
しゅんとなる美和子を見て、いい気味だと思う反面、猿渡が居ない事も有り、狐塚は何だか自分の正当性の裏づけが出来ず、  
仄かに罪悪感を抱いた。しかし、――やっぱり俺は悪くない!と、ブンブンと風を切るほど頭を振るとともにその思いは振り払われた。  
 
(そうだよ、この女はどうせ俺が何をやったところで直ぐ忘れちまうんだ。  
この位が丁度良い!)  
(――…しかし、この女の落ち込んだ表情はやけにそそるものがあるだよな…)  
(って…俺は何をあるまじき方向に考えてんだ。こんな青臭いガキ相手に、危ないぞ、俺!)  
 
「あのー、ちょっと、よろしいでしょうか?」  
悶々と思惑を巡らせていた中に、とぼけた声が介入して、びくりと肩が跳ねる。  
「な、何だよ」  
 
睨み返ると、そこには――困り顔の美和子と、床には、いつの間にか落ちていた資料の束が散らかっていた。  
 
「あ…」  
「狐塚さんが持っていらしたんですね?いったい、どうしてこんなことを…」  
 
流石に少々悪びれる思いがするものの、狐塚は荒々しくまくし立てた。  
 
「い、いい加減、嫌がらせに気づけよな!?俺はな、改めて言うがお前のことが嫌いなんだ!迷惑なんだよお前が居ると!分かったか!!」  
 
息切れに肩を戦慄かせ、大声で言い切ると、美和子の顔は、ますます曇ってゆく。  
 
「そうだったんですか…私、狐塚さんに嫌われていたんですね…。」  
「狐塚さん達!だよ、達!」  
「でも、どうしてなんですか?私、何か皆さんに悪いことをしたのでしょうか?」  
 
真摯な顔つきで一歩此方へ歩み出る美和子に、狐塚は少し戦く。  
 
「そ、それは…お前が金持ちを笠に着て…」  
「お金持ちが嫌いなんですか?でも、お金持ちなのは私ではなくて、おじい様で…」  
 
結局単なる逆恨みである。上層部に押し付けられたとはいえど、美和子自身には罪は無い。  
美和子はただ世間知らずなだけで有って、金持ちだなどというのは単に妬みや嫉みに過ぎない。  
実際捜査にも貢献しているのであるから、評価すべき点もある。  
 
「…金持ちだからじゃ、なくて…えーと…だから、現場を舐めてもらっちゃ困る、とか…金で解決できると思ったら大間違いだ、とか…」  
「私、皆さんに頼りすぎているのでしょうか…。それで、私が重荷なんですね…?」  
「…いや、却って鎌倉警部なんかよりずっといいんでないの…?」  
 
(結局あんたのおかげで事件、解決してるし。そこも気に入らない要素ではあるけれど…)  
 
「えっ?…ではどうして?」  
「新米…は西島も同じか。女…だから?…違うな。俺達庶民は金持ちが鼻につくの!分かったか!馬鹿!」  
 
資料を拾い上げて、部屋を出てゆこうとすると、細く白い腕が扉を遮った。  
 
「そんなの、納得できません!」  
「お前が納得しようがしまいが、嫌いなものは嫌いなの!第一お前だって、庶民の俺たちなんざはなっから馬鹿にしてるんだろ?  
どけよ、其処を。」  
「キャッ」  
どん、と肩で押しのけると、簡単に美和子は床へと転げた。資料を腋に挟み、ドアノブに手をかけた時、  
美和子が起き上がるところだった。  
振り返ると、美和子は少し、震えている。  
 
「馬鹿になんか、していません!私は狐塚さんのことが好きですよ!」  
 
美和子は振り返る狐塚をしっかりと見据えて、言い放った。  
 
「お、俺が、好き?…馬鹿いうなよ。――…」  
「好きですよ。嘘じゃ有りません。先輩として尊敬しています。」  
 
無論、美和子の好きというのは、同僚としての意味合いである。しかし、突然の告白に狐塚はひどく動揺し、好きと言うそのフレーズがやけにクローズアップされてしまった。そして、得体の知れぬ想いが、急激に沸騰し出す。  
 
「じゃ、じゃあ…俺に、キスとか出来ちゃうわけ?お前…」  
ごくりと咽喉が鳴る。厭らしい考えで脳裏が一杯になって、狐塚は資料室の鍵を後ろ手にがちゃりと、閉める。  
 
「できますよ?」  
 
きょとんとした美和子の表情さえ、今の狐塚には誘っているように思えて仕方が無い。美和子の思うところは、外交の多い美和子にとって、  
キスは友人同士の軽い挨拶程度のものであるから、別段気にしないという事であったが、その返答は、生粋の鎖国人間である狐塚にとって、かなり特別な意味をもたらした。  
 
「…直前になって、いやっ、とか、やめてっ、とか…言わないだろうな。」  
「そんなことありませんよ。」  
にこやかに美和子が返す。すると思わず、狐塚の顔も綻んでしまう。  
 
「じゃあ、…そこの棚を背にして、目を閉じてろ。」  
「?…照れてらっしゃるんですか?」  
「う、うるさい!早くしろ!」  
 
狐塚の只ならぬ剣幕に、美和子はおずおずとした様子で棚に背をつける。  
子犬のような挙動に、狐塚の興奮は臨界点に達さんとしていた。  
 
「資料を持ってくるのに何分掛かってんだ、狐塚の馬鹿は!」  
「お嬢ちゃんが呼びに行ったみたいっすけど、あすこは矢っ鱈紙束が多いから、二人してダンボールに埋まってるかもしれませんね。見てきやしょうか?」  
 
いきり立つ鎌倉警部を見かねて、布引が重い腰を上げる。  
 
「布さん、僕が見てきますよ。丁度取りに行かなきゃ行けない資料もあるし――」  
「じゃ、行ってきやす。」  
 
悪い予感が頭を擡げていたため、西島の存在を全く無視し、布引はさっさと資料室へ出かけてしまった。  
 
(狐塚の野郎、まさかお嬢ちゃんを小突いてやしねェだろうな。)  
 
こういう勘は変に当たるので、布引としては複雑な心境である。  
 
美和子があまり歓迎されていないことは分かっている。少々ズレた美和子に反感を持つ者が多いことはうなずけるが、いかんせん(いくら本人が鈍いとはいえ)狐塚たちのする事はオイタが過ぎるとは思っていた。  
そういう感情から何かにつけて美和子を庇ってしまうのだが、それが美和子に対する異性に抱く類の好意であるということについては、布引は気が付いていなかった。  
いやな予感を頭に上げ連ねているうちに、資料室のドアの前に到達する。ドアノブに手を掛けると、いつもは掛けない筈の鍵が施錠されていた。  
 
「・・・?――オイ、狐塚。居るんなら開けやがれ!」  
コツコツと中指で忙しくノックするも、中からの反応は無い。  
いやな予感は、更に心中を占領していった。  
 
 
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「あのお…布引さんが呼んでらっしゃるようなんですけど…」  
「しッ!お前は黙って目閉じてろって言っただろ!」  
 
美和子に関わる事となると、布引は只ならぬ声色になる。今がまさにそれだ。しかしながら千載一遇のこの好機をみすみす逃してなるものか、と、狐塚は美和子の体をしっかりと抱きとめる。  
 
「い、痛い!痛いです狐塚さん!」  
キスにどうしてこんなにも力が篭るのか、と美和子は混乱し、思わず声も表情も引きつったものになった。それは正に危機にある女子の悲鳴である。  
「うるさいな、お前が俺のことを好きだっていうから、こうしてるんじゃないか、人を痴漢見たく…!まあいっそ、もう痴漢でも何でも良いさ。誰も見てる奴は居ないんだから。往生しやがれ神部。大人しく唇を――・・・」  
「い、いやっ、何だか狐塚さん、変ですっ・・・」  
 
身をよじる美和子を取り押さえる狐塚の形相はすさまじく、必死である。何としてでも可憐な唇を奪いたいと、それしか考えては居ない。  
 
「お嬢様は庶民とキスなんて、やっぱりしたくないってか?いまさら逃げようなんて虫のいい話、通るわけねぇだろ!おとなしくっ・・・しろーっ」  
「いやっ、やめてくださーいっ!」  
 
唇を突き出し体を押し付けて、唇を重ねようとしたその時――  
 
「うるぁ!!」  
 
――バキン!!  
ドアノブがパーツとなって吹き飛び、本職顔負けの人相の悪い男が飛び込んでくる。  
 
「お嬢ちゃん、大丈夫か。」  
「――布引さん!」  
 
狐塚は驚いた拍子に足を縺れさせ、よろめいて美和子から距離を置く。  
そこへかつかつと靴底を鳴らし、布引が歩み寄る。  
 
「下がってろお嬢ちゃん。…まったく、刑事ともあろうもんがとんでもねぇ野郎だ。」  
吐き捨てるように布引が言う。その剣幕は美和子をも圧倒し、言われるまま  
美和子は布引の背中へと隠れるように引き下がった。  
 
「・・・ぬ、布さん。ドア蹴破っちゃって、鎌倉警部に怒ら――うぐっ。」  
 
へらへら笑いながら後ずさりする狐塚のシャツの胸倉を、布引の拳が素早く捉える。そのまま思い切り壁に叩きつけられ、狐塚の眼鏡は吹き飛んだ。  
布引はにじり寄り、肌が触れんばかりの位置で声にドスを効かせて睨み付ける。  
 
「狐塚、手前え、――お嬢ちゃん閉じ込めて何しようとしてたんだ?」  
「いや、別に…何もっ。其れに、俺はか、鍵なんて掛けた覚えは・・・」  
「取調室に来い。・・・お嬢ちゃん、証言してくれるかい?この男に何されたかってのをな。」  
(取調べの、練習でしょうか?)  
首を傾げながらも、美和子は言われるまま取調室まで従った。  
 
(くっそー、やっぱり、神部が居るとろくなことがない!)  
ダン!と机を布引の手のひらが叩く。机の上のグラスがカタカタ、と音を立て、注がれた麦茶が幾分かこぼれた。  
 
「・・・で?神部に迫って?それからどうしたって?」  
「――・・・だ、だから・・・俺のことを好きだって言うから、そのままチューしようと・・・」  
「んなわけあるか!!」  
 
嫉妬も混じって、布引の剣幕はいつもの三割増である。狐塚は本気で驚いてパイプ椅子から滑り落ちた。  
 
「あのー、布引さん、それは本当なんです。私、確かに狐塚さんに好きって、言いましたよ?」  
「何ぃ?お嬢ちゃん、この意地悪眼鏡が好きだっていうのか?」  
「はい。でも、狐塚さんだけじゃなく、布引さんも好きですよ?」  
 
「は?」  
 
布引と狐塚がハモる。美和子はにっこりとして続けた。  
「神山署長も、鎌倉警部も、鶴岡さんも、猿渡さんも、それに西嶋さんも・・・皆さん、大好きです。仲間ですもの。」  
 
「――そ、そんなのって、有るかよ・・・」  
狐塚は落胆に、布引は安堵に、がっくりと肩を落とす。やはりお嬢様の行動は、どうにも読めない。  
 
 
(神部、いくら可愛かろうが、やっぱりお前なんか嫌いだぁぁ!)  
 
 
そして、この日一日、狐塚は資料を持ってくるのが遅い、と別件においてもこってり絞られたのであった。  
 
 
 
 
 
 
 
 
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終わり  
 
 

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