どうしたらいいの?  
またやってしまった、とソフィーは盛大なため息をついた。太陽は真上まで  
昇りきり、ぎらぎらと照りつけている。身体をひねると、真横には人一人分が  
居なくなった痕跡をしっかりつけた毛布が不思議な形で固まっている。  
出かけるなら起こしてくれてもいいのに、とソフィーはここ数週間ほど決まって  
口にしている台詞をぽつんと吐いた。  
だるい身体をなんとか起こすと、ソフィーは身支度を始めた。赤くなった首元が  
恥ずかしかったので襟の高い服を探したのだが、生憎洗濯籠に入れていたままらしく  
見つからない。仕方がないので胸元の開いた服を着たのだが、鏡に写ったその姿は  
悲しくなるくらいに下品だった。     
ソフィーは苛々しげに息を吐くと、床にねじれたまま放置されていたドロワーズや  
二人分の下着を丸めて、ひっぺがしたシーツにくるむようにして胸に抱え込んだ。  
あぁ、いい加減に洗濯をしなければ。日が暮れる前に干さなくては。  
ばたばたとソフィーが階段を駆け下りていくと、パンをくわえているマルクルが手を上げた。  
 
「ソフィー、おはよう」  
「あぁ、マルクル!ごめんなさい、すぐご飯の用意を……」  
洗濯場へ直行しようとしていた足をとめ、ソフィーがマルクルに言った。  
しかし、彼は首を振って齧られたパンを示した。  
「いいよ、もう食べちゃった。それにソフィー忙しいんでしょ?」  
何の屈託もなく言われた言葉に、ソフィーが天を仰いだ。なんてこと!  
「……夕飯は、きちんとしたもの作るわ……」  
「うん、楽しみにしてる!」  
なんとも情けない気持ちのまま、ソフィーは洗濯場へ駆けていった。タライに水を  
張り、洗濯籠に溢れかえっているそれらを手際よく洗っていく。  
もちろん、先程持ってきたシーツとその中身も。  
いくらソフィーの手際がいいといっても、全ての洗濯物を洗い終えるまでに小一時間  
かかってしまった。干し終わるのに三十分、乾くまでに掃除して買い物に行って、等と  
考えているうちに眩暈がしてくる。あぁ、一日が二十四時間以上あればいいのに。  
洗剤で白くなった水面に映った自分の顔が、不意に眼に飛び込んできた。肌も髪も  
艶やかで、目も爛々と光っている。唇がいやに赤く、頬も赤い。あんなにひどかった  
手あれも引いてきたし、貧弱だった体付きも、いかにも男好きする様なものへと  
変化しつつある。  
美しくなっていくソフィーとは対照的に、城の中はどんどん荒れていった。細部に  
埃がたまり、洗濯物も滞納されることが増えた。食事もまともなものは大抵夕食の  
一度きり。全員が食卓に揃う事が週に一度あればいいほう。  
不思議な家族の関係が確実に崩壊しつつあった。ソフィーはきつく目を閉じると  
どうにかしなくてはと念仏のように何度も繰り返した。  
 
原因は、ささいなようで大きな事件。ハウルが遂にマダム・サリマンに折れて  
王宮付き魔法使いの職についたことだった。  
 
ハウルは風邪をこじらせたらしいサリマンの代わりに二、三度王宮へと足を運んだの  
だが、それがそもそもの罠だった。彼女は明らかに長引く仕事ばかりをハウルに  
押し付け、彼を王宮に縛り付けた。  
危険を察したハウルは何度も仕事を投げ出そうと試みたが、無知とは恐ろしいもので  
ソフィーはそれを咎めてしまった。結局、彼は大変面倒な仕事を遂行し、気が付けば  
国王との契約書にサインさせられていた。  
王宮での仕事は性に合わないらしく、ハウルはみるみる憔悴していった。  
ストレスもたまるようで、醸す雰囲気はささくれ立ち笑う事もなくなった。  
そんなに辛いならやめれば、と言ってあげれば良かったのだが、ソフィー自身  
根が生真面目なので無責任な行動を勧める事はできなかったし、国王直々にハウルを  
支えてやってくれと言われてしまえば、なおさらだった。  
 
結局、ソフィーに出来たのはハウルに抱かれる事くらいだった。  
それで彼の気持ちが休まるのなら、とどんなに乱暴に扱われようとも甘んじて受け入れた。  
その甲斐もあってか、ハウルの苛々は随分と収まったようで彼は至極穏やかになった。  
 
しかし、思わぬしっぺ返しをソフィーがくらった。まず、行為をするのには随分と  
体力を使うので早起きが出来なくなった。その上、ほぼ毎日コトに及ぶので体の  
だるさが取れず、今までのように働けなくなってしまった。  
城で一番の働き者だったソフィーが機能していないという事は、城全体が機能  
しない事に等しい。事実、ここ最近の城の中の荒れ様は凄まじい。  
ソフィーの異変にマルクルは始めは途惑っていたのだが、素晴らしい適応能力の  
おかげかその生活ペースに今ではすっかり馴染んでしまっている。  
カルシファーは割とソフィーに同情的なので文句も言わず、荒地の魔女は特に  
気にする様子もない。ヒンは変化に気付いたかどうかも怪しい。  
肝心のハウルは夜更けにならないと帰ってこないので荒廃ぶりが気にならないと  
思われる。というより、ソフィーが来るまで荒れ果てた部屋で生きていた人間だ。  
気にも留めていない、というのが正しいのだろう。  
 
わたわたと掃除を終わらせ、大慌てで夕食の支度に取り掛かる。  
窓からあたりを覗うと、既に日は落ちかけていた。  
買い物にもろくに行っていないのでメニューは必然的に簡素になっていった。  
どうにかしないと、と思うたびにソフィーの頭の中は混乱していく。  
みんな、自分勝手だ、とソフィーは一人ごちた。誰も彼女のジレンマを知ろうとしないで飄々としていて。  
自分の居場所をもてなかったソフィーにとって、この城は初めて見つけた自分の  
大切な居場所だった。城の主婦であるという事はソフィーにとっての誇りだった。  
なのに、今のこの自分の姿といえば。まるでハウル付きの娼婦のじゃないかと  
何度も自身を嘲った。  
自分の役割がいつの間にか変わっていたことに、ソフィーは思っていた以上に  
動揺していたらしい。まるで積み上げてきたものを全てなぎ払われ、ソフィー  
そのものを否定されたような。そんな気分だった。  
 
会話の少ない夕食を終え、ソフィーが食器を洗っているとマルクルがお休みを言いに来た。  
彼女が忙しくて周りを構えないのに気付いて以来、彼は部屋に一人でこもる事が多く  
なった。一人きりの部屋がどんなに寂しいかを知っているソフィーは、また情けない  
気分になった。マルクルにも、自分と同じ思いをさせなきゃいけないなんて。  
そう思った瞬間に、涙が溢れてきた。  
ぼたぼたとこぼれ落ちるそれを拭う事も出来ず、ソフィーはか細い泣き声を上げた。  
カルシファーがあーあ、とでもいうように目をそらす。  
「……か、カルシ、ファー…っく…わた、し…っど……したら……っ?」  
「ソフィーがハウルとちゃんと話さないからだ!オイラ、難しい事はよく  
わかんないけど、最近のハウルもソフィーもなんか変だ!」  
ぐずぐずと泣き出したソフィーに、カルシファーはなんともいえない表情のまま言った。  
ソフィーがまた泣き声をあげ悲しげに肩を震わせたのを見て、火の悪魔ははぁっと  
息を吐く。それから、幾分優しい調子で言った。  
「……言いたかないけどオイラ、いつものソフィーのほうが好きだ。元気で働き者の  
ソフィーのほうがずっといい」  
それを聞くとソフィーはまた瞳を潤ませたが、溢れ出たそれを拭ってしっかりと頷いた。  
心の優しい悪魔は満足げに炎を揺らした。  
 
「ハウル、入るわよ」  
ソフィーはそう言うが早いか扉を開いた。窓際に鎮座しているベッドの上では  
魔法使いが濡れた髪を拭いている。  
「………ソフィー、おいで」  
タオルを投げ捨てて、魔法使いはいつもより低くて艶っぽい声でソフィーを呼んだ。  
ソフィーはきゅっと縮み上がった心臓を叱咤し、足を踏み出す。  
彼は今日も疲れた顔をしている。顔色云々よりも、目が死んでいるから。  
助けてあげなきゃと思うし、そんな彼をかわいそうだとも愛しいとも思う。  
 
でも、それだけじゃ駄目。  
 
「行かないわ」  
部屋の中ほどでソフィーが足をとめ、首を振った。ハウルが目を眇める。  
「いけないの。もう、このままじゃいけないの」  
ハウルの表情は変わらない。まるで人形のようだと思った。  
「話し合いましょう。このままじゃ、私達だめになってしまうわ」  
ソフィーの言葉に、ハウルが初めて驚いたような顔をした。それから首を傾げる。  
「駄目になる?何故?」  
「気付いてないだろうけど、あなたも私も変わってしまったの。だからよ」  
魔法使いはむっとしたように眉根を寄せた。それから軽く首を振る。  
「疲れてるんだ。そんな気分にはとてもじゃないけどなれないな」  
「駄目よ。とにかく、今は会話が必要なの」  
 
「必要ない。僕に必要なのはソフィー、君だけだ」  
「いいえ」  
ハウルが何を言おうと、ソフィーは頑として動こうとしなかった。魔法使いが  
腹立たしげにベッドを降りて彼女に歩み寄る。  
「ソフィー」  
ぎゅっと抱きすくめられても、ソフィーは胸がときめいてないのに気付いた。  
すれ違った心のままで身体を重ねても、何も得られないのだとその瞬間に悟った。  
「とてもとても疲れてしまったのは、私も同じ。お願い、私を愛してるなら話を聞いて」  
魔法使いがちっと舌打ちをした。その瞬間、少女の表情が凍りつく。魔法使いも  
自然にしてしまった行動にさぁっと青ざめ、上目遣いに彼女の顔色を覗いながら尋ねた。  
「……何について話し合えばいいの?」  
 
こんな事、私は望んじゃいなかった。  
どうしたらいいかを知るべきだった。  
 
「………別れる以外に二人が幸せになれる方法があるかどうか。そしてどうしたら  
やり直せるか。まずはそれからよ」  
 
少女の目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。  
 

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