彼女は、小さな灯火だった。不幸ではなかったが、決して明るくも無かった自分達の  
元にさした、一筋の光だった。その笑顔の柔らかさとか清らかさとか、眼差しの  
透明さだとか優しさにはいつでも心奪われ、そしてその度に心の奥に温かなものを感じた。  
 
この思いは何なんだろう。この気持ちは何なんだろう。  
 
かすかな疑問に答えは与えられるはずもなく、今日もこの小さな身体の中で燻り続けている。  
 
「ハウル、遅いわね」  
繕い物の合間に、ソフィーがぽつんと呟いた。暖炉の中で揺れているカルシファーが  
視線だけを上げて彼女を見る。  
「忙しいんだろうな。なんたって王宮付き魔法使いだから」  
そう、とだけソフィーは答えると、忙しげに手を動かした。マルクルの服のかぎ裂きは  
細かく繕われ、破れていた場所が解らないほどになっている。ソフィーはその服と  
引き換えに終わってしまった衣服の山から自分のエプロンを取り出すと、白い布地に  
白い糸で刺繍を始めた。  
「まだ寝ないのか?」  
「これが終わったら寝るわ」  
そっけなくソフィーが答えた。白い布に、白い糸でする刺繍は何とも虚しい行為で。  
ソフィーの強がりが透けて見えているようでカルシファーはこっそりため息をついた。  
ソフィーの白い顔はここ数日の寝不足がたたって冴えないし、瞼も眠たげに伏せられて  
いる。それでも、彼女の引き結んだ唇はもう行くわ、とは決して言わない。  
「ソフィー。もう寝ろよ。あいつ、まだ帰らないぞ」  
「待ってるわけじゃないのよ、カルシファー。仕上がったら寝るもの」  
そう言って笑うソフィーの顔にカルシファーは全身が波立つのを感じた。この娘は  
自分が何を言おうと決して動かない。自分の言葉には決して従わない。彼女の心の  
深淵を覗いたようで、どうしていいのか解らない。  
「……無理、するなよ」  
「ありがとう。カルシファーはもう寝るの?」  
 
もう深夜といってはばからない時間帯だ。いつものカルシファーだったら眠りこけて  
いるからだろうか、ソフィーは柔らかい微笑を浮かべて首を傾げる。カルシファーは  
数秒間考え込んで、わずかに火力を緩めた。  
「もう少し起きてる」  
「あら」  
珍しい、というようにソフィーが目を見開く。カルシファーは照れたように炎を  
燻らせながら手を振った。  
「別にソフィーの為とかじゃないからな!寝れないだけだからな!」  
「はいはい……ありがとうね」  
そう言ってひっそり笑ったソフィーの顔があまりにも綺麗で。  
カルシファーは言葉を失った。  
 
「ただいま」  
うるさい音を立ててドアが開き、ハウルが部屋に入ってきた。顔色は老人のように  
くすみ、目が落ち窪んでいる。憔悴しきった彼はふらふらとソファーに座り込んだ。  
「お帰りなさい、御疲れ様」  
ソフィーが心配したような、でも若干嬉しそうな顔でハウルに駆け寄った。疲労を  
色濃く映す瞳が彼女をちらりと捕え、少しだけ輝きを取り戻す。  
「ご飯食べる?それとも、お茶でも入れましょうか?」  
ハウルは口を薄く開いて二秒ほどソフィーを凝視すると、手招きして呼び寄せた。  
彼女が不思議そうに彼に近づく。その一瞬の隙を突いてハウルが彼女の細い腕を  
引き寄せた。バランスを崩したソフィーが彼の元に倒れ込む。  
「ちょっ……ハウル!なにするの!」  
「うん、ごめんね」  
さして悪びれる様子もなくハウルが言い、ソフィーをぎゅうっと抱き締めた。自由を  
奪われた彼女が真っ赤になりながら身をよじる。  
「離して!ちょっと、やだってば!」  
「お願い。何もしなくていいから、しばらくこうさせていて……」  
そう囁いたハウルの声があまりにくたびれていたので、ソフィーは口をつぐんだ。  
それからおずおずと彼の足の間に座り込み、首に手を廻す。  
「……こう?」  
 
「うん……ありがとう、ソフィー」  
ソフィーの肩口に顔を埋めながら、ハウルが息を吐く。彼の綺麗な藍色の髪を  
弄びながら、彼女は所在なさげに視線を彷徨わせた。  
「………こうしてると、ほっとする。優しい気持ちになれるし、冷静にもなる」  
ハウルがそう言ったとき、ソフィーの目とカルシファーの目がぱちりと合った。  
火の悪魔は気をきかせて眠った振りをしてみせる。ソフィーは少しだけ安心したような  
顔をすると、彼の髪を優しく撫でた。  
「どうして、って聞いていいかしら?」  
ソフィーが母親の様な口ぶりで尋ねた。ハウルは彼女の体をきつくきつく抱きすくめ、  
細く呼吸を繰り返す。それから、少しだけかすれた声で答えた。  
「……こうして抱き締めてるとね、君が生きてるのが解る。だからほっとする。  
君が僕を待っていてくれてる様に感じられる。だから優しい気持ちになれる。  
そんな君を守ろうとまた思い直す。だから、冷静になる」  
そういうこと、とハウルが笑った。そのひっそりした笑顔が、先ほどのソフィーの  
笑顔とぴったり重なって、カルシファーは体中にちりちりとした痛みと胸苦しさを感じた。  
 
頬を薔薇色に染めたソフィーが、ハウルをゆっくりと見上げた。彼がごくごく自然な  
仕草で彼女の唇に己のそれを近づける。カルシファーの揺らいだ赤い炎が、二つの影が  
重なり合うのを映し出した。無力な火の悪魔は、ただ静かに二人の人間の呼吸を  
聞いていた。  
ハウルが不安げに目を眇めながらもソフィーの唇を貪る。彼女はささやかな抵抗を  
試みながらも、彼のなすがままにされ続けた。銀の髪がゆらりと揺れ、その残像が  
カルシファーの目に焼きついた。  
 
あぁ、どうか目覚めておくれ。  
君ほど賢い娘なら、どうすればいいかは解るだろう?  
君がそんな風にされる謂れなんてないんだ  
 
ソフィーの全身をハウルの掌と指先が蹂躙し、彼女の唇から甘ったるい嬌声が漏れる。  
それでもソフィーはどうにか彼から身体を離し、懇願するように囁いた。  
「ここではだめ……お願い、部屋に行きましょう」  
彼女のその声音に拒むような色が含まれていないことに、カルシファーは少なからず  
落胆していた。ハウルはかすかに頷くと彼女を抱き上げて歩き始める。遠ざかる背中に  
小さな炎が燃え盛った。気の遠くなるほどの嫉妬に、ごうごうと焔がうめく。  
 
あの魔法使いは自分にとって大事な友人で、命を救ってくれた恩人で、大切な家族だ。  
自分を生かす為に心さえも与えてくれた。その経験から、彼のことをまるで自分の  
一部の様に感じている事もあった。なのに、今さら思い知る。自分と彼は全くの  
別物だという事を。彼は人間で、自分はただの炎である事を。  
 
もしもの話をすればきりが無いのだが、そう思わずにいられなかった。もし、自分が  
人間だったら。もし、彼が彼女と出会ってなければ。もし、彼女が彼を愛して  
いなかったら。あるいは、もしも二人の寝室が別だったなら!  
ばたん、という無情な音が響き、寝室が二人の為に閉ざされた。悲しい事に  
カルシファーの願う「もし」は実現されそうにも無いようだ。  
この思いにつける名前を、生憎だが火の悪魔は持ち合わせてなかった。カルシファーは  
炎を燻らせながら、静かに静かに目を閉じる。ぴんと感性を澄ませば、高くてか細い  
声が聞こえた。その音に、酷く心が騒ぐのを感じながら、彼は一人眠った。  

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