曇っていた空が、またぐずぐずと泣き出した。  
水っぽいみぞれ雪が降り注ぎ、気温を急激に下げていく。  
「あら、また降りはじめた」  
荒地の魔女の呟きに、マルクルが窓辺に駆け寄る。彼は透明なガラスに顔をくっつけて  
外を見やると、その愛らしい顔を嫌そうに歪めた。  
「どうしたんだい?」  
「ううん。寒いとソフィーの風邪も治らないなぁって思って」  
マルクルは心配そうに呟くと、母親のように慕っている少女のいる二階を見上げた。  
「ハウルさんがいなくて、ソフィーが身体を壊してるとここは静かだね」  
「いっそ気味悪いくらいだ。あーあ、雪じゃなかったら出て行ってるところだ!」  
カルシファーが喚いた。彼は重い空気を事の他苦手としている。  
「………ハウルさん、早く帰ってこないかなぁ…」  
欠伸と共に呟くと、マルクルはカーテンを閉めて就寝の支度を始めた。  
 
くすん、くすんとすすり泣く声が寝室に響く。広いベッドの中央に突っ伏して、  
ソフィーはいつまでも泣いていた。  
カブが出て行った後、ソフィーは黙々と家事を続けた。  
しかし、ぼうっとしていて皿を割ってしまったを機に、家事を止めて部屋にこもった。  
ハウルは表情の晴れないソフィーを気遣い、話し掛けたり髪を撫でようとしてくれたが  
ソフィーが全てを拒んだ。本当はそんな事をしたくはなかったのだが、  
そのまま彼に甘える事はどうしても出来なかった。彼は呆れてしまったのだろうか、  
悲しそうな顔をしたまま、何も言わずに出て行ってしまった。  
孤独感が募り、ソフィーがまた激しく泣きじゃくった。  
何が悲しいとか、そんな事はもうどうでも良く、ただただ涙を流したかった。  
まるで、自分自身を追い詰めるかのように。  
このまま消えてしまえたならどんなに楽だろう。  
涙の跡と共に、今日の記憶も消えればいいのに。  
ソフィーはそう思いながら、鼻を鳴らした。それが駄目なら、ハウルが  
早く帰ってきてくれればいい。自分を激しくなじって、寒空の下に捨ててくれればいい。  
そうしたなら、自分はこの世を儚んで死ぬことも出来るのに。  
でも、それはできないんだわとソフィーが目を伏せた。  
あの誰よりも優しく、臆病な魔法使いは人を傷つける事や殺める事をひどく嫌っている。  
だから、そんなの想像の中でしかありえないことだ。  
 
とんとんとんと規則正しく階段を上る足音が聞こえた。  
マルクルは先程お休みの挨拶をしにきたし、荒地の魔女はもう寝ているはずだ。  
となれば、この足音の主は。  
「……ハウル………?」  
きぃ、とドアが軋んで光が差し込んだ。体重を感じさせない歩みで何者かが  
ベッドサイドへ近寄り、ソフィーの肩に触れた。  
「……ただいま、奥さん。ずっと泣いていたの?」  
ソフィーは顔だけでハウルを振り向くと、眩しそうに目を細めた。  
彼は苦笑いを浮かべると、ベッドに登り彼女のもつれた髪を指で梳いて行く。  
ぐったりとしているソフィーを膝にもたせてやりながら、ハウルは静かに髪を撫で続けた。  
彼女が瞼を震わせ、また涙を流し始める。  
「あの男を思って泣いてるの……?」  
迷子になった子供よりも頼りない声で、ハウルが訊ねた。ソフィーがかすかに顎を引く。  
「………ここを、出て行くの?」  
ふるふるとソフィーが頭を降る。魔法使いの張り詰めていた表情が、わずかに緩む。  
「ねえソフィー、正直に言って欲しい。君はどう思ったの?」  
星色の髪を弄んでいた指は動きを止め、それに気付いたソフィーが彼に向き直った。  
その様子を見つめていたハウルが、静かに問う。  
彼女はだるい体を何とか起こして彼と向かい合うと、ゆっくりと口を開いた。  
 
「……私が愛しているのは、あなた。私はあなたの妻である事を誇ってる。  
だから、あんな風に好意を示されても、困る………なのに…なのに、悲しいの」  
半ば悲鳴をあげるように言葉を切ると、ソフィーはハウルに飛びついた。  
腕をきつく廻し、彼に胸に顔を埋める。  
「どうしてか解らない……でも、カブに会えなくなるのは嫌なの……淋しいの…」  
泣きながら紡がれるソフィーの本音に、ハウルの胸に鋭い痛みが走った。  
しかし、そんな事に頓着する様子もなく彼女を抱き締め返す。  
「淋しいの?僕もマルクルもカルシファーも荒地のマダムもがいるのに?」  
「淋しいわ………彼があなたになれないように、みんなカブの代わりにはなれないもの」  
彼女にとって、あの案山子だった王子はそんなにも大事な存在だったのだろうか。  
ハウルは言いようのない嫉妬にかられながらも、努めて穏やかな声を出す。  
「なら、君はどうしたい?僕はどうすればいい?」  
ハウルの優しさに、ソフィーがいたたまれなくなってまた泣き出した。  
母は再婚し、妹は奉公に出ていて滅多にあえない。  
鋼の鎖の様に屈強だと思っていた家族の絆は、長い月日をかけて確実に  
朽ちていき、今は切れてしまった。  
呪いを掛けられて辛かった時に、カブは優しくしてくれた。  
呪われたことを嘆いていた自分に比べ、彼は常に思いやりと人間らしさを忘れなかった。  
ソフィーにとって、惜しみない優しさを注いでくれたカブは大切な家族だった。  
家族を失う悲しさを知っているソフィーには、彼との別離は辛すぎた。  
「カブに戻ってきて欲しい………彼に今でも家族だと思ってるって、いいたいの」  
 
「ねえソフィー。それは彼のためにならないのに気付いてる?」  
ハウルが苦しそうな声で、ソフィーに囁きかけた。今彼女の頭の中全てを占めているのが  
あの王子だという事実に、今すぐにでも喚いて闇の精霊でも呼び出したいほど  
傷ついていたが、自分以上にうちのめされている彼女の前ではそんな真似は出来なかった。  
「解るわ……でも、戻ってきて欲しいの……」  
「ソフィー」  
「わ、か、ってる…の……私、がずる……い事も、カブがどんなに、き、傷ついたかも………」  
彼が自分を好きなのは知っていた。けれども、それに応える気は毛頭なかったし、  
応えれば今の関係が壊れる事もわかってた。だから気付かないふりを続けた。  
彼はそれを知っていた。知ってて、騙されたふりをしてくれた。  
だから余計に悲しかった。自分の浅ましさを見せ付けられた気がして。  
誰ともずっと一緒にいられないことを、思い知らされた気がして。  
「みん、な……離れて、くわ……お…お父さんも、お母さんも……カ…ブも……  
…きっとこれからも、離れるの………おばあちゃんも、マ…ル…クルも…………ハウル…も」  
 
しゃくりあげながら言われた言葉に、ハウルがきゅっと目を瞑り、  
ソフィーを抱く腕に力をこめた。ソフィーは彼に力いっぱいしがみ付いて、  
痛みに耐えるかのように浅い呼吸を繰り返す。  
「ソフィー、そんな事言わないで。僕はいつでも君の傍にいる」  
「嘘よ!みんなそう言ったわ、でももういないじゃない!」  
「ソフィー!」  
ソフィーの悲痛な叫びに、ハウルが声を荒らげた。ソフィーが怯えたように顔を歪め、  
また激しく泣きじゃくる。  
「あぁソフィー……ごめん、驚かせたね」  
ハウルが優しく囁きかけた。しかし、ソフィーは泣き止まず、ただ頑なに首を振っている。  
ハウルは悲しげにそのさまを見つめると、彼女の顎を持ち上げて唇を奪った。  
千以上の言葉よりも、その一つのキスは雄弁だった。  
ソフィーは口付けの間中ずっと、ハウルの唇も涙の味がするとぼんやり思っていた。  
それは自分の涙が伝ったからだろうかと思うが早いか、ソフィーはハウルの唇を割り開き、  
自分の舌を差し込む。ハウルは途惑ったように顔を背けた。  
「………ねぇ…お願い…」  
唇を離すや否や、ソフィーはハウルの胸に顔を埋めて悲しげに囁いた。  
ハウルが表情を複雑そうに歪め、ソフィーの肩を掴んでその身体を起こしてやる。  
「ソフィー、君はとても疲れてるんだよ。今日はもう寝よう」  
「お願い……淋しくて、死にそうなの………」  
ソフィーはハウルの肩に腕を廻し、身体を擦り付寄せた。  
ハウルが困ったように天井を仰ぎ見る。  
「………お願い、ハウル…怖いの……」  
 
あまりに弱々しいソフィーの囁きに、ハウルは途方にくれていた。  
要求をのんで身体を重ねるのは簡単だ。しかし、それはあの案山子の王子から  
逃げている事になる。そんな事をしては自分のためにも彼女のためにも、なにより  
彼のためにもならない。  
「ソフィー、一緒に寝てあげるから。もう寝よう?」  
「いやぁ……」  
ソフィーが泣きながらいやいやした。不安と寂しさと喪失感で胸が押しつぶされそうで、  
ハウルが抱いてくれないのなら自分は死んでしまうだろう、と訳のない確信が  
彼女の胸に浮かんだ。カブのことから逃げているわけではない。深く考えすぎて、  
逆に本質的な事がわからなくなってしまっただけ。  
一体、誰が傍にいてくれるの?あなたは離れてゆくの?私はどうなるの?  
これからどうすればいいの?  
ハウルの唇がソフィーの額、瞼、鼻、頬を辿っていく。  
震える声で彼女が名前を呼ぶと、彼は口元をかすかに歪めた。  
「………後悔しても、知らないよ」  
その言葉を肯定するように、ソフィーがハウルの背中にまわしていた腕に力をこめた。  
彼は彼女の唇を奪うと、ベッドにゆっくりとした動作でその身体を沈めていった。  
眩しそうに目を細めていたソフィーの視界に、不意に金糸の様な髪を持つ男の  
清清しい笑顔が浮かんだ。けれども、ソフィーにはそれがいつかのハウルの残像なのか、  
それともカブの面影なのかが解らなかった。  
そんなことはどうでもいいわ、とソフィーは胸の中で呟くと、  
意識を目の前にいるハウルだけに集中させた。  
 
啄ばむようだった口付けは、いつの間にか深く激しいものへと変わっていた。  
どちらかが息苦しさを覚え、口をあけるたびにくちゅ、くちゅと水音が漏れる。  
「んんっ……ふぁ…っ」  
唇を離すと、ハウルがソフィーの首筋に顔を埋めた。ボタンを外す長い指の感触に  
ソフィーは頬を染めて身体をのけぞらせる。  
ちゅ、ちゅ、とソフィーのはだけられた素肌にハウルの唇が重ねられ、音を立てて  
印を刻んでいく。この肌は自分以外の何者にも暴かれた事がないのだということを  
不意に思い知り、彼はふっと笑顔を浮かべた。彼女もその表情を見て、  
快楽に強張っていた表情を緩める。  
「ハウル………」  
「ん?」  
「……愛してるって、言って」  
甘えるような、でも少しだけ切実な響きを持ったソフィーの声に、  
ハウルは耳朶を愛撫しながら呼吸するように言葉を注ぎ込む。  
「……愛してる。愛してるよ、ソフィー。誰よりも、何よりも」  
かり、と桃色に染まったそこを甘噛みすれば、ソフィーの身体が跳ねる。  
快楽に思考を奪われながらも、彼女の願いは止まない。  
「お願い……もっと、言って……約束して……」  
「愛してる。ずっと離れない……傍にいる」  
「足りないの……もっとたくさん欲しい……」  
ハウルの右手がソフィーのスカートの裾をまくり、やわやわと足を撫でながら  
登っていく。彼女の体がまた震え出す。  
「……君を守り抜く。不安になんてさせない。ずっと愛し続ける」  
下着が足から抜かれ、密やかな茂みが愛撫されていく。  
ソフィーがはぁ、と甘い吐息を漏らした。  
 
空いた左手で赤く染まった胸の突起を愛撫しながらもハウルはソフィーに囁き続ける。  
ソフィーがうわごとのようにもっと、もっとと呟く。  
「あ……やっ…っ…んん!」  
不意に下腹部に触っていた指がソフィーの中に入り込んだ。  
彼女の身体がきゅっと強張り、ハウルの指を締め付ける。  
「うぁ……やっ!んっ!ふぁああ!!」   
そのまま指の出し入れを続けるたびに、ソフィーのそこはぐちゅ、ぐちゅと  
卑猥な音を立てながら甘い蜜を溢れさせ、零れたそれがハウルの指を伝っていく。  
徐々に指の本数を増やしていくと、ソフィーが激しく身をよじりあられもない声を上げた。  
その仕草や表情がハウルを煽り、理性を押し流していく。  
「可愛い……」  
ハウルが思わず漏らした呟きに、ソフィーがさっと顔をそむけた。照れているのだろうか。  
何度身体を重ねようとも、彼女に快楽を深く教え込んでも、その初々しさだけは少しも  
失われない。それがどれほど自分を焚きつけ、翻弄しているのかを彼女は知らないのだろうか。  
「ん…ふっ!っぁ……はっ、ぁっ!」  
 
ソフィーの涙を止めた瞳が先程よりも熱っぽく潤み始めたのを見て、  
ハウルは嬉しそうな笑顔を浮かべた。びくびくと跳ねる腰を抑え、赤く染まった  
敏感な核を親指で撫でながら、中に入れた指の動きを一層激しくしていく。  
「あぁっ!やっ、ちょ、ハウルっ……もう……っ!」  
切羽詰まった様な声をあげ、ソフィーが思い切り腰を引いた。  
しかし、ハウルがその跳ねた下肢を掴み、撫でているだけだった淫核を軽く引っかく。  
「ひぁぁぁ……っっ!」  
ソフィーの身体が弓なりにのけぞり、ぐったりとベッドに沈んだ。  
とろりと溶けた瞳はもう何も映してはいなくて、ハウルが服を脱いでいる事にも  
何の反応も示さなかった。  
かすかな衣擦れの音を立てた後、ハウルはソフィーの力なく投げ出された足を  
さらに押し開き、露になった秘部をまじまじと見つめた。  
たった今達したばかりだというのに、真っ赤に充血したそこはひくひくと息づいていて、  
ハウルを誘っているように見える。  
ソフィーはもう自由にならない思考をどうにかまとめて、ろくに回らない舌で囁く。  
「……あいしてるって……わたしが…必要だって……言って…」  
「解ってるくせに」  
「っ!……ぁ、お……ねがい……聞きたい、の…」  
 ひんやりとした空気に晒されていたそこに、ふいに熱を感じてソフィーが身体を  
緊張させた。あてがわれたハウル自身の熱さに、思わず意識を手放してしまいそうになる。  
「なら気が済むまで言ってあげる……愛してるよ、ソフィー。君が誰よりも大事で、  
一番傍にいて欲しいと思ってる」  
ハウルの優しいばかりの囁きに、ソフィーがようやっと微笑を零した。  
そのままゆっくりと体を開かれていく感覚に、切なげな声を漏らす。  
「ふ、ぅん……んっ……はぁ……」   
 
じりじり感じる圧迫感に、二人が一瞬苦しげな表情を浮かべた。しかしハウルが  
ソフィーの唇を奪い、彼女がその感触に気を取られている隙を突き、一気に腰を押し付ける。  
「んんっ!」  
一気に近くなったハウルの身体の存在感に、ソフィーが悲鳴をあげた。  
しかし、彼がなかなか唇を離してくれないので、くぐもったうめき声だけが漏れていく。  
「むぅ……ん…ぅう……」  
息苦しさにソフィーがハウルの胸を叩く。ハウルは名残惜しそうに彼女の唇を舐めると  
ようやく彼女を解放した。どっと入り込んできた空気に、ソフィーが咳き込む。  
「落ち着いて、奥さん。息の仕方は教えただろう?」  
「そんなっ……あぁっ!やっ!!」  
ぐっと奥まで押し付けられたそれに、ソフィーが白い喉をのけぞらせた。  
ハウルの舌がまるで蛇の様な動きでその喉元を這いまわる。止まらない腰の動きと  
その舌の感触に、ソフィーはぞわぞわと背筋を駆け上ってくる何かに気付いた。  
怯えたように彼の頭を掻き抱き、襲いくる快楽から逃れようと首を振る。  
「あっ、ぁっ、ああっ!!やっ、もう、あっ、は、ぁあああああっ!」  
浅く突かれたり、深く抉られたり。ハウルにいいように弄ばれ、ソフィーは意識が  
少しずつ白んで行くのを感じ、快楽に耐える事を放棄した。  
 
ソフィーの全身からは力が抜け、意識は半ば消えかけそうだがその両方を叱咤し、  
ハウルに腕を廻す。彼は彼で彼女の足を抱え上げると、自分の腰の辺りにひっかけた。  
「ひぅっ!……ふぁ、あ、あ、あっ!!」  
「気持ちいい?おかしくなりそう?」  
普段だったら真っ赤になって否定するだろうが、今のソフィーにはそんな気力は  
残っておらず、ただ首を縦に振るばかりだった。ハウルはにっこりと笑うと、  
腰の動きを早めていく。  
「言って、どんな感じ?」  
「あぁっ!あぅっ、あっあ、あ、いいの…っ、あ、気持ちいい………っ!」  
「あぁ、ソフィー……!僕もだ!」  
ソフィーの乱れきった姿にハウルはさらに興奮し、彼女の中をより一層かき乱す。絶頂の前兆を知り、ソフィーの全身ががくがくと震え出す。  
「あ、あ、あ、あ……!!」  
「あぁソフィー、愛してる!だから一緒に、一緒に……!」  
「あぅっ……ひぃっん……あっ、ハウル……あぁ、あ、あ、あ、ゃああああああ!!」  
ぐっとハウルのものがソフィーの一番奥に押し付けられ、その瞬間にソフィーが果てた。  
それに連動するように、ハウルもソフィーのなかに欲望をぶちまけ、ゆっくりと力を抜いた。  
 
お互いにぐったりとしたまま動けずにいたが、ハウルがどうにか気力を振り絞り、  
ソフィーの横に動いて彼女を抱き寄せる。ソフィーは相変らず焦点が定まらないまま  
ぼんやりしていたが、急に涙を浮かべたかと思うと、次の瞬間泣き出した。  
「ソフィー?どうしたんだい?」  
「不安、消えないわ……ずっと繋がったままだったらよかったのに」  
ハウルの胸に顔を埋めて、ソフィーが呟いた。かすかに震えている肩を抱き締め、  
ハウルが頬に口付けを落とす。  
「不安が消えないんだったら一生こうしててもいい。ソフィーが安心するまでずっと離れないよ」  
「……ほんとう?信じて、いいの?」  
ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、ソフィーがハウルにか細い声で訊ねた。  
不安げな様子に、ハウルが苦笑を浮かべてさらにきつく抱きすくめる。  
「……信じて。君は一人じゃない」  
まるでお祈りの一節を読むかのように、ハウルが囁いた。  
不意に心が軽くなり、ソフィーが安堵感にまた泣き出す。  
「ソフィー。僕の傍にいてくれてありがとう」  
 
魔法使いが、泣き止めずにいた少女に魔法をかけた。まじないによって  
少女の心の闇が消え、二人の心の間にあった氷が溶ける。  
あるのはただ、温かさに満ちた愛情と陽だまりの様な幸せ。  
「お礼を言うのは私の方だわ………ありがとう、私を愛していてくれて」  
「どういたしまして」  
ハウルが答え、ソフィーの額にキスを一つ。くすくすと鈴の様な笑い声を漏らして  
少女は彼に甘えるように縋りつく。  
「今日はソフィーのほうが甘えたがりだね」  
ハウルがわずかに呆れたような、でも幸せそうな様子で囁いた。  
ソフィーが上目遣いに彼を見やり、その頬に手を添える。  
「……言って。私が必要だって。どんな時でも傍にいてほしいって」  
「僕には君が必要。君がいないと淋しくて死んでしまうよ……」  
「言って。いつでも傍にいるって、どんな時でも抱き締めていてくれるって」  
ソフィーが祈りの様な敬虔さで、ハウルの言葉を求める。彼はまるで太陽の光のように  
眩い笑顔を浮かべるとかすかに頷いた。  
「ならばソフィー、君も誓って。この人生を僕と分かち合うと」  
「……誓うわ。あなたと共に生きていくと」  
そう言ったソフィーの唇に、ハウルは己のそれを寄せた。少女は結婚式みたい、と  
無邪気に笑い、魔法使いはなら今のが誓いのキスだね、とそれを茶化した。   
眠気を訴えたソフィーがハウルの胸に頭を乗せて目を閉じた。  
ハウルも欠伸を一つ落とすと、彼女の暖かい身体を抱き締めて眠った。  
 
肩に肌寒さを感じ、魔法使いは毛布を手繰り寄せた。髪から額にかけて暖かく優しい  
温度を感じ、無意識にそれに向けて手を伸ばす。  
「……ソフィー……?」  
薄く目をあけて、その存在を確かめようとするが、白い何かが視界を塞ぐ。  
「まだ寝てていいのよ」  
歌うように優しい声で、ソフィーが囁いた。目元を塞いでいた小さな手を払って  
彼女を見据えると、息が詰まった。  
明け方の薄あたりの中に佇む彼女は、それこそ天使か何かのようだった。  
まだ残る月明かりを浴びてソフィーの銀髪が淡く光り、闇に溶けている黒いドレスから  
ぼうっと浮かび上がっていて柔らかに笑んだままの彼女はいっそ神々しい程に美しかった。  
「どこへ……?」  
「行かなきゃいけないところがあるの」  
「すぐに戻る……?」  
「ええ、必ず」  
そういうと、ソフィーは微笑んでハウルの頬に唇を寄せた。  
彼の伸ばした腕をかわし、少女は軽やかな足取りで部屋を出て行く。  
柔らかなまどろみにひきずりこまれ、魔法使いはまた眠りについた。  
目覚めた時に、愛した少女がもう傍にいない事を知りながら。  
 
「ソフィー………」  
 執務机に山積みだった書類をなぎ倒し、カブはまるでばね人形のように椅子から  
立ち上がった。ばさばさばさ、と紙が飛び散り、襟の高いドレスのソフィーが目を瞠る。  
「大変!拾わなくちゃ……」  
慌てて書類の元に駆け寄ったソフィーを腕で制し、カブは彼女と向かい合った。  
「ここに、何を……?」  
「会いにきたのよ」  
ソフィーがカブを真っ直ぐに見据えながら言った。カブは驚きを隠せない、といった  
様子で二、三度視線を彷徨わせたが、すぐにいつもの笑顔を浮かべた。  
「わざわざありがとうございます……ここでは何なので、どうぞ、奥へ」  
そういうとカブは慣れた仕草でソフィーの肩を抱き、部屋の奥へと促した。  
ソフィーはありがとう、と柔らかにお礼を言うと彼に身を任せた。  
 
金の縁取りのついた品のいいカップを唇に押し当てたまま、カブはソフィーの様子を  
覗っていた。テーブルを挟んだ向かいに座っている少女は落ち着いた仕草でカップを傾けている。  
「ここは随分暖かいのね。あっちはまた雪が降って大変だったの。  
まぁ、すぐに雨が降ったから、積もっていた分はほとんど溶けてしまったけれど」  
そういうと、ソフィーがにこりと微笑んだ。おもわずカブが口を開く。  
「あの…今日はどうして………?」  
カブが遠慮がちに訊ねた。ソフィーは一瞬だけ逡巡するように目を伏せたが、  
すぐに目を大きく見開いて彼を見据えた。  
「謝りに来たの。ごめんなさい……あんな態度を取って。私、あの時あなたのことを  
何も考えていなかった……ごめんなさい。あなたを傷つけてしまって」  
そう言いながらソフィーが俯いた。せわしない仕草で髪を撫で付け、  
しどろもどろになりながらも言葉を続ける。  
「あの時、私、あなたがいなくなったのが悲しくて……裏切られたような、  
そんな風にさえ思ってしまった……本当は私が悪いのに」  
そう言ったソフィーの肩が急にか細く、頼りなく見えて、カブは彼女に手を伸ばした。  
しかし、ソフィーは首を振りその手を振り払う。  
「気にしないで下さい……私も、自分のためだけにあんなことを言ってしまって」  
「あなたは悪くないわ!ただ、私が……」  
カブが困ったような表情を浮かべ、ソフィーも悲しげに顔を歪めた。  
泣き出す寸前のように口を固くつぐみ、頭を垂れる。  
「………ここにきたという事は、私に心を傾けてくれたのですか?」  
言いにくそうに、まるで呪いの言葉を口にするようにカブはおそるおそる言葉を紡ぐ。  
ソフィーは顔色をさっと白くし、驚いた顔のまま口を一度開き、それから引き結んだ。  
「……違うんですね……」  
 
「……ええ。何度も言うようだけれど、私はハウルを愛してるから」  
固い表情のままソフィーが言った。穏やかな表情を浮かべていたカブが、  
不意に怒りや悲しみをむきだしにしたような、負の方向に複雑な表情を浮かべた。  
「なら、なぜ?何でここに一人で?どうして私を苦しめるような真似を?!」  
「………分からないわ」  
声を荒らげたカブに対し、ソフィーは固い表情を崩さないままで答えた。  
カブが怒りを押さえつけるように唇をかみ締める。  
「ソフィー!」  
「私にだって分からないのよ!誰にも言わずに出てきたから、みんな心配してるわ!  
ハウルは怒ってるだろうし、おばあちゃんは困ってる。何もしてこなかったから  
マルクルは大変な思いをしないといけないし、カルシファーは余計に働く羽目になった  
でしょうね!それでも………気が付いたら旅用のコートを引っ張り出して、  
もう家を飛び出していたわ」  
ソフィーが半ば悲鳴をあげるようにまくしたてた。カブの強張っていた顔が少しだけ緩む。  
「………あなたが出て行ったとき、絶望したわ。涙で滲んで、後ろ姿を見ていられなかった。  
悲しくて、淋しくて、まるで心に穴があいたようだった」  
何か言おうとしたカブの唇をそっと押さえ、ソフィーが穏やかに語り始めた。  
静かで柔らかな声は夢の中で聞いた歌のようだ、とカブがぼんやりと考えた。  
「泣いていたら、ハウルが慰めてくれたわ。たくさん愛してるって言ってくれて、  
一人じゃないって教えてくれた。私、本当に幸せだったわ。暖かくて、優しくて、  
一生ここにいようって思ったの」  
 
少女の言葉の甘さと残酷さに、カブがぐっと眉根を寄せた。でも、そういった  
ソフィーの表情があまりにも透明だったので、彼は黙って彼女を見据えていた。  
「でもね、目が覚めたら……寂しさが一さじ分だって減っていなかったの。  
どんなにハウルの心臓の音を聞いても、髪を撫でててもね。寂しくて、寂しくて  
寂しくて、どうしてって思ったらね、カブ。あなたのことしか考えられなかった」  
清らかな、ただひたすらに透明な視線でカブを見つめながら、ソフィーが言った。  
鮮烈なその視線に射抜かれたように、巻毛の王子はただただ押し黙っていた。  
「………私が呪われていた時、あなたは優しくしてくれた。泣いていた私を  
慰めてくれた。そんなあなたが一人で悲しんでいることに、私は耐えられなかった」  
ソフィーの白い手がすっと宙に浮き、カブの頬に当てられた。  
ひんやりとした感覚に彼は目を伏せ、頬に流れる涙の温度を知った。  
「だから、ここまで来たの。大切な私の家族が、もう悲しまなくていいように」  
ソフィーの目尻にぷっくりと雫が盛り上がり、張力を失って頬を伝っていった。  
彼女は空いた左手でそれをぐいと拭うと、気丈にも微笑んで見せた。  
「………許してとも、愛し続けてとも言わない。ただ、幸せであって欲しい。  
笑っていて欲しい。それだけ。それだけが、私があなたに望むことの全て」  
低いうめき声が漏れた。カブの細身の割には頑丈な、広い肩が小刻みに揺れ、  
ひくひくと嗚咽が漏れた。ソフィーは立ち上がり、彼の隣に回りこむとその頭を掻き抱いた。  
 
「愛してるわ、カブ。あなたが幸せになることを、私は望んでる」  
ソフィーの服を握り締めながら、カブが言葉にならない声を上げた。ソフィーは  
聖母の様に温かな仕草で彼の額にかかった髪をかき上げ、露になったそこに唇を寄せた。  
この瞬間、世界が終わればいい。  
何か強い魔法で、世界が滅びてしまえばいい。  
カブが本気でそう思ずにはいられないほどに、その瞬間の二人の心は溶け合っていた。  
魂の奥底から、繋がりあっていた。  
「ありがとう……」  
か細い声で、カブが呟いた。ソフィーが彼の背中をぽんぽんと叩き、そのまま彼を離さなかった。  
カブが泣き止むまで、ソフィーは彼に廻した腕を解かなかった。  
 
赤くなってしまった目元を冷やしながら、カブが窓の外を見ていた。  
朱で縁取られた黒い馬車が丘を下り、隣国へ向けて駆けていく。  
あの後、少女を迎えに隣国の王宮つき魔法使いがやってきた。宵闇色をした髪の  
魔法使いは泣き腫らした顔の自分達を見て、呆れたように肩をすくめた。  
それから実におかしそうに笑うと、カブの肩をバンバン叩いた。  
そして、よく響く滑らかな声で言った。  
――――もしも、君がまだソフィーを愛してるならば、素晴らしい恋敵として認めてあげよう。  
少なくとも、僕と君の女性の好みは共通してるんだ。僕らは気が合うと思わないかい?  
なんとも強引な理由だったが、カブも快活に笑って答えた。また家族が増えたな、と  
美貌の魔法使いは少年のように無邪気な笑顔を浮かべると、手を差し伸べた。  
彼女への恋は胸のうちでひとりでに燃え盛り、そして彼女の涙で消されてしまった。  
しかし、暖炉の種火の様なささやかな暖かさがまだ胸に残っている。  
彼女は自分が幸せである事を望むと言ってくれた。  
だったら、自分も彼女の幸せを祈り続けよう。  
もっと幸せになるために、新しい恋をしてみるのもいいかもしれない。  
雪解けの春はもうすぐそこまで来ている。  
そう思って微笑むと、カブはカーテンを閉めた。温かな風に吹かれて柔らかなシフォンが  
貴婦人のドレスの裾のように揺れて、カブの指先をくすぐった。  
   
どんな日も分かち合って。どんな夜も、どんな朝も。  
愛して欲しい。  
それこそが、私の望む全て。  
 

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