大雪の晩、美貌の魔法使い城の中は荒れていた  
   
豊かな金髪を持つ一国の王子は、与えられた客室のベッドの上で長い足を大儀そうに  
組んでいた。つい最近までは細くて乾いた木だった自分の下肢は、  
今はしっかりとした人間の足に戻っている。ちらり、と窓を見ると暗い窓に自分の顔が映っていた。  
端正な顔は、大きなカブにおざなりに書かれていた記号の様なそれとは似ても似つかない。  
物腰の柔らかさも、素直な微笑みも、やっと取り戻した彼の大切な財産だった。  
これらは全て、愛する少女から与えられたものだった。  
彼はゆっくり息をはくと、美しい星色の髪の乙女のことを思った。  
 この雪の夜更けに、彼女は何をしているのだろう。夕食の時には不機嫌な城の主人に  
気を使いながらも、自分に対して親しげな態度を崩さなかった彼女。  
雪のせいで身動きが取れなくなった自分を心配し、部屋を用意してくれた親切な彼女。  
優しく、美しくて魅力的な彼女は、今何をしているのだろう。  
不意に、あの男に抱かれているのだろうな、と訳もない確信が胸に浮き上がってきた。  
一瞬息が詰まり、喉がひりひりと痛んだ。  
でも、それも仕方がない気もした。彼女はあの美貌の魔法使いの妻で、  
二人は深く愛し合っている。自分が付け入る隙など、ほんの少しもない。  
それでも、そんな理由で諦められるような軽い気持ちじゃないのだ、と  
彼は静かに目を閉じて彼女に思いを馳せた。  
「……きっと、私があなたのことを思わない日など、一日もないのでしょう」  
彼の呟きは、一片の雪よりも儚かった。  
 
雪の舞う影の映る部屋で、黒髪の魔法使いは腕の中の少女をひたと見つめていた。  
少女は苦しげに表情を歪めながらも、甘い声で鳴き続けている。  
突然の来客は彼女の友人で、彼にとっては恋敵だった。彼女は友人の来訪を喜び、  
簡単に家に上げ、ご馳走を振舞った。  
普段は口数の多い方ではない彼女の、今夜の饒舌さといえば!若干芝居がかった物言いで、  
彼は一人ごちた。しかし、事実今日の彼女は嬉しそうだったし楽しそうだった。  
積極的に友人に話し掛け、彼の話を楽しげに聞き、また沢山の話題を共有していた。  
そうしてる間に自分が彼女を見つめていたのに、彼女は気付いたのだろうか。  
彼女の放つ笑顔に自分が傷ついていたのを、彼女は知っていただろうか。  
自分と彼女は愛し合っていて、結婚もしている。  
なのに、どうしてこんなにも不安で心が波立つのだろう。  
どうして、彼女は自分の心をこうも弄ぶのだろう。  
なめらかな肌に指を滑らすと、あっと彼女が声を上げた。潤んだ瞳が自分を射抜き、  
その視線にため息が漏れた。  
白桃の様な頬に唇を寄せると、はあ、と甘やかなため息が漏れた。  
その表情はいっそ溶けてしまいそうで、今の彼女には自分以外何者も見えて  
いないのが簡単にわかった。  
あぁ、と魔法使いは小さく狼狽した。こうして快楽に溺れさせ、  
脆い身体だけの関係を深めていても、ひしひしと幸せだと感じてしまう。  
お伽話では、魔法使いは捕えていた姫君を助けに来た王子に連れて行かれる。  
キャストは揃った。物語が始動するのも時間の問題だろうか。  
そうして、彼女はいつか自分の元を去っていくのだろうか。  
それでも。  
「約束して……時々は僕のことを思う、と」  
身を抉るような快感に気を取られていた少女は、魔法使いの呟きを聞いてはいなかった。  
そして、そう呟いた魔法使いの声が震えていたことにも、気付いていなかった。  
 
雪が止み、野原は穏やかな月明かりを浴びて真昼のように明るかった。  
浅い眠りから目覚めた少女は、窓から差し込む光に目を細めた。  
背中に感じる恋人の鼓動に胸がぎゅっと痛んだ。  
頭の奥底を揺さぶるような快楽に半ば失念するように眠りに付いたためか、  
意識は薄くだが、確かに覚醒してしまっている。  
泣きはらした瞼が熱く、目を開くのが難儀だ。  
愛しい魔法使いは今晩は妙に荒れていた。自分を抱く腕も荒々しく、  
腕を押さえつける彼の力は圧倒的で、身体を重ねていても彼が恐ろしかった。  
でも、与えられる快楽は溺れずに入られないほどに凄まじかった。  
今夜は彼ばかりに非があるわけじゃない、と少女は涙の後を擦りながらこっそり思った。  
突然の来訪にいい顔をしない彼を無視して王子を家にあげ、部屋まで用意したのは自分だから。  
それでも、やはりかつて案山子だった王子様は少女の大切な友人だ。  
家族といっても過言ではない。例え彼の不興を買おうと、ないがしろには出来ない。  
彼がヤキモチ焼きな事も、自分にどれだけ執着しているかもよく知っていた。  
自分が彼以外の男と親しくしたり、口説かれたりする度に彼がどれだけ傷つくかも。  
悪いことしてしまったわと少女は一人ごちた。  
くるりと身体を反転させ、彼と向き合う。  
彼の美貌は眠っていても衰えを知らない。むしろ、こういう無防備な瞬間に  
彼の美の本質が発揮されている気さえする。  
彼女は静かに彼の頬に指を添えた。すべらかな感触にため息が出る。  
目を伏せ、初めて彼に抱かれた夜を思い出す。彼は何度も何度も愛してるよと言い、  
初めての痛みに涙する自分を、一生大切にすると誓った。  
思い出した言葉の甘さと幸福さで残っていた恐怖を押し流し、  
少女は自分の額を彼のそれに付き合わせ、掠れた声で囁いた。  
「今日はごめんなさい……でも、きっと私があなたを思わない日なんて一日もないの…  
……だから、あなたも約束して、いつかと同じ気持ちで誓い続けると」  
夢の中でも。  
言外にその一言を匂わすと少女は魔法使いに口付けを落とし、  
彼の胸に身体を預けて目を閉じた。  
 

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