「ハウルなんて、もう知らない!」  
 がたん、とテーブルを鳴らして立ち上がったソフィーは、普段の礼儀正しさをかなぐり捨て  
て身を翻した。そのままばたばたと部屋を横切り自室へと飛び込んでいく。  
「ハウルさん」  
「ハーウールぅ。さっきのはオマエが悪いと思うぜェ」  
 寄せられる家族の非難の眼差しに、黒髪の魔法使いは憮然としてスプーンでシチューの  
中に浮かぶ芋をつついた。  
「ぼくは悪くなんてないね。ちょっと昔の事を話しただけで頭にきちゃうソフィーの心が狭いん  
だろう?」  
「そうは言ってもさあ、女心ってのは簡単に割り切れるものじゃないんだって」  
「これは驚いた。火の悪魔がいつの間に女心なんてものに通暁するようになったんだい?」  
 揶揄するような声音にこれ以上言っては逆効果だと、カルシファーは暖炉の中で炎を小さ  
くする。  
 楽しいはずの夕食の場はイヤな空気のまま静まり返った。  
 なんだかんだといってもハウルとソフィーは家族の中心なのだ。  
「カルシファー」  
 ハウルは半分ほど残っている皿を暖炉の上でひっくり返す。  
 流れ落ちてくるシチューをあわあわと食べながら、「あ、やっぱりソフィーのシチュー美味い  
や」と悪魔は呟いた。  
「そりゃよかった。マルクル! 昨日出した課題はもう出来たかい?」  
「え? あの、後ちょっとです!」  
 いきなりの名指しにマルクルは目を丸くしながら律儀に答える。  
「それじゃ、やっておいで。明日ぼくが起きたら成果を見せてもらうからね」  
「は、はい!」  
 穏やかだけれど逆らう事を許さない声音にこくこくと頷き、残ったシチューを掻き込んでマ  
ルクルも席を立つ。  
「さて、マダム」  
「あたしはここでもう少しゆっくりさせてもらうよ。まだワインを注いだばっかりだしねぇ」  
 よかったら付き合うかい? とウィンクする元魔女に、魔法使いは苦笑して空中から杯を  
取り出した。  
「なにを飲まれているんですか?」  
「赤葡萄酒を香料と湯で割ったもんさ」  
 
「ぼくは白ワインのほうがいいな」  
 指を一振り。  
 あらわれた緑のボトルは、辛口の味で知られる産地のものだ。  
 コップに淡い黄色の液体をとぷとぷと注いで、ハウルは夜空の臨める窓際に腰を下ろした。  
 そのまましばらく、ぱちぱちと火のはぜる音だけが響く。  
「じゃ、あたしはもうちょっと聞かせて欲しいんだけどね。あんたがはじめてキスした相手っ  
てのはそんなにイイ女だったのかい? ハウル」  
「おや、気になりますか?」  
「そりゃあね。昔のことがあるじゃないか」  
 ひひひ、と笑う老女の姿に、確かに一瞬魔力と自信に溢れていた時代の魔女の姿がかぶる。  
くすりと笑って魔法使いは素敵な人でしたよ、と窓の外を仰いだ。  
「とっても綺麗で可愛くて。あれは、そう、こんな風にとても満月が綺麗な夜のことでした……」  
 
 
 
 ぱちぱちという音が小さくなった。  
 油が切れたのかと、ぼくは火の悪魔を納めていたランプに視線をやる。赤い炎は、相変わ  
らずランプの中で揺らめいていた。  
「寝たの? カルシファー」  
 そっと呼びかけてみても返る答がないということは、眠ってしまったんだろう。ぼくは悪魔も  
眠るんだという事を、カルシファーと契約してはじめて知った。  
 弄り回していた課題がどうにも終わりそうになくて、ノートを机の上に投げ捨ててベッドに寝  
転がる。見上げた天井はいつまでたっても見慣れなくて、そっとため息をついた。  
 寮なんて嫌いだ。  
 ちゃんとした魔法使いになるためにはちゃんとした魔法学校に入ってちゃんとした魔法を学  
ばなきゃいけないから我慢しているけれど、本当は今すぐにでもこの窮屈な場所を飛び出し  
たかった。  
 カルシファーと一緒に、つまらないことばかりに縛りつけるこんなところとは違う場所に行き  
たかった。  
 そう、できるなら、あの湿原へもう一度行きたい。  
 そして、あの人に、もう一度、会いたい。  
 
「『未来で待ってて』…か」  
 そう言ったよね? 星がどんどん流れて死んでいったあの夜に、ぼくがカルシファーとはじ  
めて出逢ったあの夜に、一生懸命ぼくに手を差し伸べていてくれてた、流れ星の色の髪の  
女の人は、確かにそう言っていたよね?  
 未来というのはいつなんだろう。  
 今日かな。明日かな。それとも、まだまだ先? ずっと先?  
「すぐだといいな……」  
 呟いてみる。  
 言葉には魔法の力が宿るから。すぐだといい。今すぐ、会いたいと少しかび臭い匂いのす  
るシーツの上で何度も繰り返した。  
「―――――そううまくはいかないか」  
 繰り返してみたところで、ここはいつまでたってもせまい寮の自室でぼくは小さなベッドの  
上だった。ばかげた自分の行動が恥ずかしくて、カルシファーが眠っていることに感謝する。  
こんなところを見られたら後でなにを言われるか知れやしない。  
 横になっているとうとうとしてきた。  
 せめて、夢の中だけでもあの人に会えるといいなと思って目を閉じる。  
「……か。ハウルのばか」  
 目を開けた。  
 慌てて周囲を見渡す。今、確かに人の声がしたよね!?  
 窓から差し込む月の光で怖いくらい陰影がはっきりした部屋の片隅で、しくしくと泣いている  
人がいた。  
 星を溶かしたみたいな銀色の髪。ちょっと古風な形の青灰色のドレス。  
 息が止まりそうになる。  
「―――――――ソフィー?」  
 ぼくは、そっとその人の名前を呼んだ。  
 大きな声を出したら、一気に消えてしまいそうで怖かったから、そっとそっと、その人の名前  
を呼んだ。  
「え……あ、なた……ハウ…ル? ハウルなの!?」  
「うん、ぼくはハウルだよ」  
 
 顔を上げたその人がぼくの名前を呼んでくれたから、そっと近寄っていく。大丈夫かな。  
まだ、この夢は覚めないかな。  
 恐る恐る近寄って、床に座り込んだその人の前に立った。びっくりしたみたいに目を丸くし  
ていたその人は、ぼくの姿に「ウソでしょう…」と呟いた。  
「ウソって、なにが?」  
「な、なにって……わ、わたしの前ではじめてキスした人の事を褒めてわたしが怒ったから、  
その時代の姿にでもなったの!? わたしのこと、そんなにばかにしたいの!?」  
 すごく悲しそうな顔をして泣いていたソフィーは、言ううちにだんだん腹が立ってきたのか  
眉を吊り上げてぼくを睨みつけてきた。  
 けど、ぼくにはそんな心当たりは全然ない。第一、  
「女の人にキスなんてしたことないよ、ぼく」  
 ソフィーは怒った顔をしていたけれどそれでもやっぱりとても悲しそうで、その顔も綺麗だっ  
たけれどぼくはソフィーにそんな表情をして欲しくなかったから必死に言った。  
「ウソ」  
「嘘じゃないよ。おじさんに誓ってもいい」  
「……」  
 真剣に言うぼくに、ソフィーはまだ疑わしげな視線を向けている。  
「―――――――おじさんって、魔法使いのおじさん?」  
 ポツリと言ったソフィーにぼくはうん、と大きく頷いた。  
 本当はサリマン先生とか、国王陛下とか、そういう偉い人の名前を出して誓えばいいんだ  
ろうけれど、ぼくはソフィーに誓う時は自分の大切な人の名前で誓いたかったんだ。  
 ぼくの言葉を信じてくれたのか、じゃあ、と今度は一転して困りきった顔になったソフィーが、  
どうしてハウルが小さいの? と呟いた。  
 どうして小さいのか、ってことは、今のソフィーの側には小さくないぼくがいるってことなん  
だろうか。どきどきとして手を握る。  
「たぶん、ぼくの夢だからだろうと思う。ソフィーに逢いたいなって思って目を閉じたから」  
「わ、わたしに会いたくて?」  
「会いたかったよ。うん。ぼく、ずっとソフィーに会いたかった」  
 本気でそう言うと、ソフィーはなぜだかぽおっと頬を赤くした。  
 泣いている顔より、怒っている顔より、ずっとよかった。  
「ソフィーはなんで泣いてたの?」  
 
「わたし、は……わたしは、はじめてキスしたの、ハウルなのに、ハウルはそうじゃなくて、仕  
方ないのは判っているんだけれど、でも、わたしの目の前でとても綺麗な人だったよ、とかっ  
て言われると――――――」  
 悔しくて、悲しくて。  
 俯くソフィーにぼくは名案を思いつく。  
 他の人とだったのが悔しいなら、こうしちゃえばいいじゃないか。  
 ちゅ、とぼくはソフィーのつやつやした唇に自分の唇を重ねた。  
「ハ…!?」  
 ぼくの行動に跳ねるみたいに顔を上げたソフィーは見る見る首筋まで赤くなる。  
「これでぼくのはじめてキスした女の人はソフィーだね」  
 零れそうに目を見開いたソフィーは本当に綺麗で可愛くて。  
 ぼくはもう一度、唇を重ねた。  
 
 
 
 
「っていう感じだったんですよ」  
「おやおや、そりゃ確かに綺麗で可愛くて素敵な女の子だ」  
 堂々とのろけてみせる魔法使いに、老女は喉の肉をたぷたぷといわせながら笑った。  
「それでソフィーはどういう反応をしたんだい?」  
「驚いたのか、いきなり立ち上がって、そのとき体が引っかかったんでしょうね、机の上に置  
いていた箱が落ちて大きな音がしたんです」  
 ガダンッ。  
 ほら、こんな感じで。  
 ソフィーの部屋から響いた音に、魔法使いは飄々と肩をすくめた。  
「そしたらぼくは素敵な夢から覚めてしまって」  
「そりゃもったいないことだねぇ」  
「ええ、だから、ちょっとリベンジしてこようかと」  
 飲み干したワインの杯を机の上に置いて、ハウルは元魔女の横をすり抜けた。  
「ソフィーを壊しちまわない程度にしとくんだよ?」  
 背後からかかる声に少女の部屋のドアを開けながら、努力します、とだけ魔法使いは答えた。  
 

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