しとしとと小雨が降るある日のこと。  
ソフィーはいつものように箒を持ち、動く城の中を掃除していました。  
この城にはとても散らかし上手(そして、とても片付け下手)な住人がふたりいるので、  
ソフィーは毎日のように城中を掃除しなければならないのです。  
しかし、今日は箒を持つ手にどことなく気合が入りません。少し床を掃いては立ち止まり、  
掃いては立ち止まりしてしまいます。  
 
――なぜ、こんなに身体がだるいのかしら…熱もないのに…。  
 
ソフィーは額に手のひらを当てると、ふうっとため息をこぼしました。  
実は、朝からなんだか身体の調子が悪いのです。全身がだるく、少し頭痛もします。  
それに、妙に眠いのです。昨晩はしっかり眠ったはずなのに。  
さてこれは風邪かと思いましたが熱はありません、喉の痛みもないし、鼻水鼻詰まりも特にありません。  
ただどこか身体がいつも通りではないのです。  
 
――大したことはなさそうだけれど、今日はあまり無理しない方がいいかもね。  
 
ソフィーはもう一度ため息をつくと、とりあえず掃き掃除だけは終わらせてしまおうと、  
再び箒を動かし始めました。  
 
次の日の朝。今日は昨日の雨もすっかり止み、よく晴れています。  
ソフィーは、今は隣に誰もいないベッドから起き上がりました。  
ソフィーの夫であり、この城の主である魔法使いのハウルは、昨日の朝から王室の依頼の仕事で  
留守にしているのです。  
 
一年ほど前、行方不明だった隣国の王子が国に帰り、インガリーと隣国との戦争は終わりを告げました。  
戦争中、王室付魔法使いとして国のために協力せよ、と要請を受けながらも王室から逃げ続けていたハウルは、  
終戦後、戦争や人を傷つけることに繋がるような仕事は絶対に受けないという契約のもと、時折王室からの  
仕事の依頼を受けていたのです。  
もちろん、基本的にはこれまでのように町の人達にまじないを売ったり施したりする仕事が主でしたが。  
 
昨日の朝の、出かけ際のハウルの言葉によれば、どんなに頑張っても二晩は城に帰ってこれないということでした。  
それを聞いたソフィーがさして寂しそうな様子も見せず、「そう、わかったわ。いってらっしゃい」  
としか言ってくれなかったことで、ハウルが「僕の奥さんは僕が少なくとも二晩は帰ってこれないって  
いうのに、ちっとも寂しがってくれないんだね!僕の胸は今から寂しくって寂しくって張り裂けそうなのに」  
とか何とか言って拗ねていたのをふと思い出して、ソフィーはひとりぼっちのベッドの上でくすりと笑います。  
 
――今日はハウルがいないから掃除もいつもの1/4くらいで済みそうだけれど、  
昨日の雨で溜まった洗濯物を片付けなくっちゃ!  
――それと、マルクルの上着がほつれちゃってたわね。昨日は気分が悪くて、繕ってあげられなかったから…  
 
ソフィーは今日やらなければいけないことを頭の中で並べてから、よしとばかりにベッドから出て  
立ち上がりました。  
その途端、ソフィーは視界が歪み、めまいがするのを感じ、思わずベッドに手をついてしまいました。  
 
体調が昨日よりも少し悪くなっていると感じるのに、そう長くはかかりませんでした。  
昨日からあった身体のだるさ、頭痛、妙な眠気に加えて、なんと今日は少し吐き気までするのです。  
 
――困ったわ。やっぱり風邪かしら?  
 
くらくらする頭を抱えながら城の内部を見渡します。  
 
――掃除は今日はいいわ、もし気分が良くなったらやりましょう。  
とにかく洗濯物ね。その前にごはんを作らないと…  
 
しかし、朝ごはんのために作ったスープの鍋のふたを開けた時、異変は起こりました。  
湯気と共に立ち上ってきたスープの匂いを嗅いだ途端、ソフィーは胃の中からこみ上げてくるような  
強い吐き気を感じたのです。  
 
――っ!  
 
思わず手で口を押さえ、ばたばたと洗面台に走ります。  
スープの鍋の下にいたカルシファーと、既に起きていたマルクルはびっくりして、  
「ソフィー!どうした(の)!?」と声を上げます。  
ソフィーは飛び込むように洗面室に入ると、流しにかがみ、げほげほと咳込んでみました。  
しかし、何度やっても吐くものは出て来ず、そのうちに吐き気は治まってきたので、  
ソフィーは蛇口を捻り、冷たい水でばしゃばしゃと顔を洗いました。  
 
――本当に何なのかしら、吐き気がするなんて…。  
 
ソフィーがタオルで顔を拭いていると、側に来ていたマルクルが心配そうに声をかけてきます。  
「ソフィー、どうしたの?だいじょうぶ?」  
本当に心配そうにソフィーを見上げる小さなマルクルに、ソフィーは微笑んで言いました。  
「ええ、大丈夫よマルクル、心配しないで。ただちょっとだけ気分が悪いの。  
ねえマルクル、カルシファーにかけてる鍋のスープの匂いを嗅いでみてくれない?  
何か変な匂いじゃないかしら?」  
ソフィーと共に暖炉のところに戻ったマルクルは、開けっぱなしになっていたスープの匂いを嗅いでみました。  
「ぜんぜん変な匂いしないよ、とってもおいしそう!」  
そしてマルクルはスープを少し味見してみました。  
「うん、おいしいよ、ソフィー。いつも通りの味だよ」  
マルクルが振り返って笑顔で言います。  
ソフィーは居間中に漂うスープの匂いに、またも気持ち悪くなってきそうでしたのに。  
「おかしいわねぇ、さっき、匂いを嗅いだ途端に気持ち悪くなってしまったのよ…今も少し…」  
ソフィーが首を傾げます。  
「何か変な風邪でもひいたんじゃねーの、少し休んでろよ」とカルシファー。  
「そうするわ、マルクル、ごはんを食べたら洗濯物干しを手伝ってくれる?」  
「うん!なんでも手伝うよ」  
身体の調子が悪くても家事を休もうとしないソフィーに、カルシファーは小さくため息をつきました。  
 
その日の夜。  
マルクル(とヒン)とおばあちゃんを寝かせると、相変わらずだるい身体を抱え、  
ソフィーは暖かい暖炉の前のソファに腰掛けました。  
マルクルがとてもよく手伝ってくれたので、身体がだるいながらも家事はそれほど苦もなく  
済ませることが出来ましたが、  
昼食と夕食を作る時、朝のような強い吐き気ではないものの、  
またもソフィーは食べ物の匂いに気持ち悪くなってしまったのです。  
当然食欲も出ず、今日はおかずをほんの少しばかりと、フルーツを口にしただけでした。  
「おい、ソフィーも早く寝ろよ。具合悪いんだろ」  
優しい火の悪魔が暖炉の中から気遣ってくれます。ソフィーが床に着くまではこの悪魔は眠らないつもりでしょう。  
「ええ、そうするわ。このお茶を飲んだら」  
 
――それにしても本当に何かしら、普通の風邪っぽくはないし…匂いが気になるなんて、鼻の病気?  
いずれにしても、あまり長引くと困るわ…家のことが全然まともに出来やしない。  
 
お茶をすすりながら、何度目か知れないため息をこぼした時でした。  
 
「ただいま、ソフィー!僕のかわいい奥さん!」  
魔法の扉が開くバタンという音がしたかと思うと、陽気な魔法使いの声が  
夜の静かな城の中に響き渡りました。  
 
「は、ハウル!?」  
あっという間にドアの前の階段をかけ上がり、目の前に現れた夫の姿に、  
ソフィーは驚いて声を上げ、立ち上がりました。  
「今日はまだ帰って来れないんじゃなかったの!?」  
「本当はそうだったんだけどね、君の為に死ぬほど頑張ったのさ。君が寂しいだろうと思ったからね!」  
少しの間あっけにとられていたソフィーは、ニコニコと笑うハウルの顔を見て、「まあ」とだけ言い、  
呆れたような笑みをこぼしました。  
――寂しいのはあなたでしょうに。  
喉元まで出かかった言葉は引っ込めました。ハウルが大袈裟過ぎるだけで、  
ソフィーだってやっぱり少し寂しかったからです。  
あのうるさくてわがままで子どもっぽい魔法使いがいないと、城の中が静か過ぎるし、  
まとわりついてくるものがなくて、ソフィーの背中が寒いのです。  
特に今日は身体の調子が悪く、それに応じて気分が沈み気味だったので、尚更でした。  
 
ハウルは少々呆れ顔の、それでも嬉しそうに微笑む愛しい妻の顔を覗き込みました。  
そしてふと気づきました。  
「ソフィー、ちょっと顔色が悪くないかい?」  
いつもは色白ながら健康的な明るさの色を持つソフィーの肌が、少し青ざめているように見えたからです。  
ただの他人だったら恐らく気づかない僅かな違いでしたが、普段からソフィーばかり見ているハウルにとって  
それに気づくのは簡単なことでした。  
ソフィーは夫の自分に対する観察眼にびっくりすると同時に少し焦りました。  
 
――どうしよう、正直にちょっと具合が悪いなんて言ったらまたこの人馬鹿みたいに大騒ぎするわ。  
前に風邪ひいた時も、そのせいで逆に大変だったもの。  
 
ソフィーは以前自分が風邪をひいて寝込んだ時のことを思い出しました。  
あの時ハウルは、まるでこの世の終わりが来たかのような慌てぶりで、やれ薬だのなんだのと城の中を  
走りまわり、結果、城の中は全快したソフィーが思わず再び寝込みたくなるほどの惨状と化したからです。  
 
――やっぱり、今は誤魔化すべきね。  
 
「平気よ、何でもな――」  
「ソフィーは身体の具合が悪いんだぜ。おいらは風邪だと思うけど」  
しかし、ソフィーが作り笑顔で誤魔化そうとした言葉は、  
優しいけれど肝心なところでいまいち空気を読んでくれない悪魔によって遮られてしまいました。  
 
「なんだって、ソフィー!具合が悪いなんて!!」  
ソフィーは、自分以上に青ざめてしまった夫の顔を見て、またもや深いため息をつきました。  
気のせいか、身体のだるさや頭痛がひどくなってきたような気がします。  
 

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