日々は、平穏にすぎていた。
ソフィーが生まれて初めて手に入れた―それは、他の家族にとっても同じだったかもしれない―、満たされた日々。
愛する"家族"で囲む食卓、ルーティンワークの家事をするのさえも満ち足りた気持ち。
時々は星の湖の湖畔に城を動かしいつかのように風を感じながらお茶をした。
風の便りでは、戦況も落ち着きつつあるらしい―そんな、幸せと言ってもまちがいない日々。
…それなのに、少し時がたった頃から、ソフィーの胸に去来するざわつき… つ ま ら な い。
その感覚に気付いたソフィーは自問した。
家族との平和なくらしを満喫しているのに"つまらない"?
なにが不満で"つまらない"の?
帽子を作っていた頃、意識しないように心がけていたけど、あれもやはり"つまらない"日々だった。
ハウルと出会うまで。それまでの毎日は確かに"つまらな"かったけれど。
ハウル。
声に出さずにその名を口にする。
締め付けられるような甘い痛みと一瞬強くなる鼓動。
生まれて初めてのかけがえのない恋。
ハウルもソフィーのことを愛していると言ってくれる、が、ソフィーはいまだにハウルに「恋」をしている。
出掛けては一日おきぐらいに帰ってくるハウル。
ソフィーは気づいてなかったが、いったんハウルが帰ってきたら、食事の時も居間ですごす時もずっとハウルを目で追っている、一言も聞き漏らすまいと彼の言葉を追いかける。
他の家族が何かしでかしたり喋ったりする時はもちろんそちらに意識は向くが、それ以外はぜんぶ。
まあたいていが、帰宅したハウルは、バスルームにこもるか自分の部屋にこもるかが在宅(在城?)の大部分を占めるのであって、
家族との団欒やらソフィーにちょっかいかけるのは城にいる時間のほんの一部。
自分を追い掛けるソフィーの熱いまなざしを知ってか知らずか、飄々と陽気な相変わらずのハウル。
今日のハウルは、皆が昼食をとっている所へ起きてきた。
ソフィーの頬へキスを軽くすると、茶器だけ持って窓辺へ。
食卓の家族達ととりとめのない会話をし、その後はマルクルと外へ(授業?)、夕暮れに帰ってくると浴室へ直行。
一時間ばかりして(これでも短い方だ)夕食の食卓へつく。
カルシファーの周りで30分ばかり家族団欒、そして二階の自室へ。
夜、ソフィーがドア越しにおやすみの挨拶を掛けると、中から返事が返ってくることもあるしドアが開いておやすみのキス(今度は額に)をすることもあるし、返事がないのでそうっと覗くとベッドから寝息が聞こえることもある。
そして次の日はソフィー達が起きだす頃にはとっくにいなかったり朝食後出掛けたり…それらの繰り返し。
同じ家に暮らしながら一緒にすごす時間はほんの少し。
もっと一緒にいたい、もっと近くに、触れたい、触れられたい、ぬくもりを感じたい。
恋をする年頃の娘なら感じて当たり前の衝動を、ソフィーも例外なく感じていたのだが自覚がなかった。
ただ、<何だかつまらない…>とだけ感じるのがやっとだった。
ソフィーは、日増しにため息が増えた。
ハウルがいる時だけはため息の代わりに絶え間ない高揚感。
ハウルに焦がれるにつれ重症化をたどる一方だったが、当の本人はそんな自分を持て余したまま。
なんだかわからない憂欝さを感じるのみだった。
ある日の昼下がり。
家族はそれぞれに過ごしている。ハウルはいない。
ふと、思いついて…カルシファーに頼み、城を動かしてもらった。
ソフィーが訪れたのは、いつかの花畑。
あの日一時だけ二人ですごしたほの甘いひととき…
思い出しながら、うっすら涙が滲んだ。
あの時は、ハウルがどこかへ消えてしまうような気がした。
そしてその通り、その夜彼は戦火の中から現われ戦火の中へ飛び立っていった。
今でもあの時のことを考えると胃の奥が絞られるような感覚がある、いま無事に暮らせてることはほんとうにほんとうに奇蹟だ。。
ソフィーはその場にぺたんと座り込み、そのまま仰向けになり顔を両手で覆った。
ああ。ハウル。今すぐここに来て。そばにいて。
抱き締めて。私の名前を呼んで。どこへも行かないって言って。
身を切られそうな切なさにまかせてそのまま…いつしか、むせび泣いていた。
<気分転換になるようにここへ来たのに、ますますさみしくなっちゃった。>
しばらくして身を起こし、ぷるぷるっと首をふると、城へ帰る扉へ戻った。
小さな小さなその小屋は、扉を開ければ中は城へつながっている。
…はずなのに。
扉を開けても、見た目通りの小さな部屋があるだけだった。
しまった―?!
一度解体し再生された城は、ドアの行き先も前とは変わっていて、花畑への出口はまだ設定されていなかった。
だからさっきはカルシファーに城ごと連れてきてもらったのだ。
<え…、どうしよう…>
そういえば、城は。さっきまで背後にあったのに…。
<カルシファーはここへ来たのをわかってるから、ハウルが帰ってきたらきっと教えてくれるはず。でもハウルが帰ってくるのなんて、たぶん明日にならないと…>
<明日かぁ。マルクル達のごはんどうしよう…、でもマルクルもあたしの行き先探すわよね…そしたらカルシファーが…>
と、あれこれ思索を巡らせながらもまだ半ばぼんやりしたまま突っ立っていると、目の前でガチャリと扉が開いた。
中から現われたのは想い人まさにそのひと。
予期せぬことに心臓ごと飛び上がったソフィー。ハウルは目を丸くして「いったい何で、こんな入口がつながってない所に来てるの」あっけらかんと言う。
仰天した勢いでソフィーはハウルに抱きつく。今度はハウルが仰天する番だ。
「ハウル、ハウル、ハウル!!」
「え、ちょっ、どうしたの、何があったの?!ソフィー」
手も足も全身がしびれ微電流が流れたような感覚、ぎゅっと瞑った目蓋の奥ではチカチカと星がまたたいて。
―今なら言えそうだ。
「好き。好き、大好き。もっと、もっともっとハウルと一緒にいたい。たまに…たまには、一日中ずーっと一緒にすごしたい…。」
「ソフィー…」
ハウルは後ろ手に扉を閉めるとソフィーの頭を抱きかかえ「寂しい思いをさせちゃった?ごめんね。」と、髪をやさしく梳いた。
そして両手でソフィーの頬を包んで潤んだ瞳をまっすぐ覗き込む。「ソフィーがそんなに僕のことを思ってくれてたなんて。」
そう言うと、もう一度頭を自分の肩口に抱き寄せた。
「…僕も、もっともっと君と仲良くしたくて…でもあまり急いで君を恐がらせちゃいけないから…」
「…」ソフィーはしばらくハウルの胸に顔を埋めていたが、やがて顔を上げ無邪気に言った。「ハウルは恐くなんかないわ…」
どうやらハウルの真意は伝わってないらしい。
「んーと…、やっぱりソフィーにはまだ早いのかも…」困った顔で返すと、可愛らしく憤慨する。
「何よぉ、なにが…、んっ…」
やわらかく唇を覆いつくされ、言葉は消えた。優しく優しく吸い上げられ、唇が自然に開く。
そこからするっと忍び込んだ恋人の舌は彼女のすべてを貪り尽くすかのように無心に蠢く。
「…っ、はぁっ、はぁ…」やっと解放されたが、味わい足りない碧い瞳はソフィーをけだるく見つめた。
「…こういうこと。本当は、君が準備できるまで、気長に待つつもりだったんだけど。…恐くない?」
「恐い?ハウルが?」やはりまだわかってないようだ。
しかし、とろんと熱っぽい瞳、隠微に唇を光らせながら見つめ返されて、ハウルに今さら我慢できるはずもなく―
スッといつもの表情に戻り、ソフィーを抱えたままハウルは振り返って扉の中に声を掛けた。
「マルクル、今夜は適当に食事をすませること。ソフィーと僕はちょっと出掛けるから。カルシファー、明日ここへ迎えに来ておくれ」
カルシファーが何か言っていたが、かまわず戸を閉める。
ソフィーへ向き直った瞳には悪戯な光が宿り…「僕達の隠れ家へ行こう。」