トンテン。カンテン。  
 
 街は復興の気配に沸いていた。  
 戦争が終わったのだ。もちろん、まだ、完全に、ではないけれど。  
 どこからともなく現れた黒い怪鳥が戦い続ける両軍の軍備を使い物にならなくした上、施設まで  
もを丁寧に破壊していったので、両国とも戦争を続けることが困難になったのが終戦の大雑把な  
理由。  
 インガリーの国を影で動かしているという王室付き魔法使い、マダム・サリマンが「このくだらない  
戦争を終わらせましょう」と発言したのは、国民たちには知らされないもう一つの理由。  
 いずれにせよ、戦争の荒廃を体験したあとの平和は、人々に熱狂的に受け入れられた。  
 緑の軍服を脱いだ若者たちは明るい表情で壊れた家や道路を直している。  
 その中を真っ黒な煙をモクモクと上げて汽車が走っていくのももはや日常の光景だ。  
 そんなせわしないがやがや町の片隅。  
 かつて、ハッター帽子店があった場所は、今はこじんまりとした花屋になっていた。  
 小さいながらも色とりどりの花が溢れ、しかもかなり手ごろな値段で売られているこの店は、日々  
にちょっとした潤いを求める人々の間で話題になってきている。  
 花の新鮮さだけがその理由でもなく、店先で人を呼ぶ男の子の愛らしさや、明るく花を売る美しい  
少女、そして、めったに顔を出すことはないのだけれど、店の中で時折少女と楽しげに仕事をして  
いる華やかな青年の姿を見ることは、お客にとって隠された大きな楽しみだった。  
 
 
「ありがとうございました!」  
 誕生日を迎える娘のためにとサーモンピンクのガーベラを求めてやってきた婦人に、くすんだ金の  
リボンを可愛らしく結びつけた花束を渡して少女は頭を下げた。  
 少女の手先は魔法のように器用で、僅か三本のガーベラとカスミソウ、うす翠の包装紙にリボンだけ  
で、見ただけで微笑んでしまうような可愛らしい花束を作ることが出来た。  
 
「こちらこそありがとう。これなら娘も気に入ってくれるわ」  
 花束の出来にすっかり満足してお礼を言う婦人に、流星色の髪の少女は恥ずかしげに微笑む。  
「いえ、そんな。喜んでいただけて嬉しいです」  
「なにを言っているの、もっと堂々と、自信を持ってもいい腕よ、この出来は。あなた、随分若い  
みたいだけれど、どこか他のお店に修行にでも行ってたのかしら?」  
「あ、いえ。わたしはもともと帽子職人をしていたので、こういった細かい作業、得意なんです」  
「あら? 帽子職人? じゃあ、もともとここにあったハッターさんのお店にいた方?」  
 好奇心いっぱいに尋ねてくる婦人に、ソフィーはあいまいに笑った。  
 まさか、この雰囲気の中、帽子屋のあるじの娘です、とも言い出せない。  
 がやがや町の花屋を生活の中心にしてからしばらくたつが、近所の住人も、店にやってくるお客  
たちも、驚くほどこの銀の色の髪の少女がずっとこの店でむっつりと帽子を作っていたソフィー・  
ハッターだと気づかないのだった。  
 現に、ソフィーはこの女性が店の前の道の角を曲がった三軒目に住んでいる窓職人の奥さん  
だという事を知っている。この髪が長く、赤錆色だったころ、何度も顔をあわせてきた相手だ。  
 確かに髪の色は変わった。  
 着る服も、ハウルがふらりと街中に行っては山のように抱えて帰ってくるお土産の山のせいで随分  
明るい色が増えたように思う。  
 けれどももう今のソフィーは老婆ではないし、顔立ちも姿も大きく変わったところはないはずなの  
だがどうしてこの人はソフィーに気がつかないのだろう?  
 
 ――――――――わたしは、そんなにかわったのかしら?  
 
 変わっていないと思うのは自分だけなのだろうか。  
 胸の奥に呟いて、そうかもしれない、とソフィーは思った。  
 しきりに礼を行って立ち去る婦人を見送り、その姿が道の角に消えてから、ソフィーはようやく笑顔  
を消す。  
 ゆっくりと閉じた扉にこつんと額を預け、くるりとドア横にある回転盤を回した。  
「あれ、ソフィー。花屋さんはもうお仕舞い?」  
 バケツに新鮮な水をくんできたマルクルが色の変わった回転盤を見て不思議そうに言う。  
「ええ。今日は花束を沢山作ったから、ちょっと疲れちゃった。マルクル。そのお水は、窓の側に  
置いているワレモコウにあげてちょうだい」  
「うん! じゃあ、そろそろお茶の時間だね! ぼく、ハウルさんを呼んでくるよ!」  
 ぱっと顔を輝かせ、マルクルはバケツを窓際まで運ぶ。せわしい足取りに、こけはしないかと  
ソフィーははらはらしながらその背中を見詰めた。  
「ソフィー。オイラにもそろそろ薪をちょうだい〜」  
「ああ、ごめんなさい。カルシファー」  
 元流星、現火の悪魔の声がのんびりとかかり、少女は笑ってかまどの側に薪を継ぎ足した。  
「って、あなた、もう自分で動けるでしょう?」  
「わかってないなあ、ソフィーは。ご飯は他の人に用意してもらったものの方が旨いんだぜぇ〜」  
 ちろちろと燃える腕を伸ばして側に置かれた薪を手繰り寄せ、火の悪魔は満足そうに口をあんぐり  
とあける。  
「まあ、調子がいいのね」  
 小さく笑いながら、エプロンを仕事用のものから家事用のものに変えた。  
「それじゃ、ついでに熱いお湯も沸かしてちょうだいね」  
 少女が磨かれて顔が映りそうなヤカンを暖炉の上にかけると、カルシファーはしかたがないなあ、  
とばかりに、火勢を少し強めた。  
 シュン! とヤカンの周りについた水滴が蒸発してゆく音を聞きながら、ソフィーは手際よくテー  
ブルの上にお茶の準備をしていく。  
 たっぷりとクリームの乗ったスコーンに、新鮮なベリーを煮詰めてつくったジャム。色味に鮮やかな  
グリーンのミントの葉を添え、真っ白なポットに茶葉を入れ、わいたばかりのお湯を注いだ。  
「やあ、今日はこっちでお茶なの?」  
 
 空気に漂う甘い香りに、とんとんと階段を下りてきたハウルが顔をほころばせて言った。  
「ハウルさん、早く早く」  
 とっくに席についているマルクルがゆったりと歩いてくるハウルをせかす。  
 元荒地の魔女のためにスコーンを取り分けながら、ソフィーは今日始めて顔をあわせることに  
なる恋人に微笑みかけた。  
「ええ、中庭でお茶もいいのだけれど、今日は少し天気が曇っているから。――――――おそよう、ハウル」  
 くすくすと笑いながら言われた言葉にハウルは大仰に眉をしかめてみせる。  
 ここ最近、寝坊をするたびに少女がハウルにかけるセリフは、この城の新たな挨拶として定着  
しつつあった。  
「おはよう、ソフィー」  
 丁寧に言い直して、まだ笑い続ける少女の額に朝の挨拶をする。  
「いいねぇ、あたしにもしておくれでないかい? ハウル」  
「喜んで、マダム」  
「ハウルさんぼくもー」  
「おれはいらねぇぜ」  
 ちゅ、ちゅ、ちゅ、と家族に挨拶のキスをしながら(もちろん最後のキスは嫌がらせだ)、ハウルは  
テーブルの周りを一周してソフィーの隣に腰掛ける。  
「はい、ハウル」  
 寝起きのせいかどこか物憂げなハウルに少し濃い目に入れた紅茶を差し出して、ソフィーは半分  
に割ったスコーンにジャムを塗りつけた。  
「ありがとう。今日は、花屋さんはいいの?」  
「ソフィー、花束沢山つくったから疲れちゃったんだって!」  
 鼻の頭にクリームをつけながらマルクルが顔を上げる。  
「ん? そうなの? ソフィー」  
「疲れたというか、午前中で随分花が売れたから、今日はもういいかなって思っただけなのよ。ああ  
ほら、マルクル、スコーンは逃げないんだからもう少し落ち着いて食べて」  
 はーい、と元気のいい返事に苦笑するソフィーの横顔を、ハウルは飲み終わったお茶のカップ  
をテーブルに置いてまじまじと見詰める。  
「ハウル?」  
 
 強い視線に居心地が悪くなってお尻をもぞもぞとさせるソフィーに、ふふふ、と元魔女が笑った。  
「ねえ色男、今日はソフィーは午後は暇だってコトだよ」  
「ぼくもそれを考えていたところなんですよ、マダム」  
「え?」  
 暇って、でも、まだ掃除もあるし、お洗濯も…といいかけるソフィーに、ハウルはにっこりと笑って  
手を差し出す。  
「掃除は逃げないよ。それに、お洗濯だって、今日は曇りなんだから明日に回したほうがいいさ」  
「でも、でも…!」  
「ソフィーはぼくと過ごすのはイヤ?」  
「………」  
 少しだけ色の薄い、綺麗な青い目がじいっと少女を見つめる。  
 反則だ、と思いながら反論を探すが、心のどこを探ってもそんなものはなかった。  
「イヤなわけ、ないじゃないの……」  
 頬を赤らめて俯くソフィーに小さな声に、ハウルはぱっと輝くような笑みを見せる。  
「よかった。君が働き者なのはよく知っているけれどね。たまにはぼくを構ってくれてもいいと思う  
んだよ」  
 だってぼくは君の恋人なんだから。  
 美しい魔法使いの言葉に少女の胸がちくりと痛んだ。  
 
 ―――――――恋人? 本当に?  
 
 愛しい。大好きな、彼女の魔法使い。  
 伸ばされた手は、恋人に対してのものなのだろうか。その言葉を信じてもいいのだろうか。  
 おずおず伸ばした指がかすかに躊躇う。  
 こうして、家族として暮らし始めてからはや一月。愛を求められたことは、一度もなかったのに。  
 
 お茶を済ませ、ソフィーは元魔女が過ごしやすいようにとソファの周りを整え、ハウルはマルクルに  
いくつか課題を出してから城をあとにする。  
「それじゃ、後は頼んだよカルシファー」  
「ちぇー、留守番かよ、オイラ」  
「お土産を買ってくるわ」  
「やったあ!」  
「ソフィーはカルシファーを甘やかしすぎだと思うんだけどなあ!」  
「うちの家族で一番の甘えん坊さんがなにを言ってるのかしら」  
「ソフィー。それはひどい」  
 心底楽しげな火の悪魔の笑い声を背後に魔法使いと少女は扉を開けた。  
「お手をどうぞ、お嬢さん」  
 笑って差し出された腕に手を絡め、少女と魔法使いは船の往来でにぎわう港町に繰り出した。  
「ここも、もう随分と復興したのね」  
「そうだね。こっちのほうにはあまり爆撃がこなかったから」  
「港しかないからかしら?」  
「いや、補給の要として船は重要な手段だったよ。ただ、隣の国からここは随分と離れている。  
飛行船がやってくるのもおおごとなのさ」  
「そう…」  
 街を歩きながら、少女は浮かない顔で周囲を見回した。  
 道を行き交う人々は楽しげだが、その中には怪我をして俯いている人や、疲れた顔をして放心  
している人も少なくはない。  
 こんなところまで、と思うときゅっと身が縮まるようで、少女は無言でハウルに身を寄せた。  
「大丈夫だよ、ソフィー」  
 差し出していた手を少女の肩に回して、魔法使いは明るい声で言う。  
「戦争は、終わったんだ」  
 もう、誰も新しく傷つく人はいない、と続けられた言葉にソフィーはうっすらと笑う。  
「そうね」  
 
 強力な魔法使いの、力強い断言にも少女の心の曇りが晴れることはなかった。  
 肩を抱き寄せる腕に身を預けても、どこかでちりちりとした不安が胸を刺す。  
 戦争が怖いのかしら? と自問して、ソフィーは違う、と首を振った。  
 ハウルが言うとおり、戦争は既に終わっている。サリマンと、おそらく隣国に戻ったカブのおかげで。  
まだいろいろとくすぶっているものはあるにしろ、確かに見上げた先に敵国の軍艦が飛ぶような  
状況ではなくなった。  
 町も人も、戦争が終わった事を知ってぐいぐいともとの姿に戻ろうとしている。  
 ソフィーはため息をついて、短くなった自分の髪にそっと触れた。  
「ソフィー?」  
「ああ、ごめんなさい、ハウル。なんでもないの」  
「ほんとに? やっぱり仕事で疲れていたんじゃない?」  
 気分が悪いなら戻ろうか? と、案じる声音に少女は慌てて首を振った。  
「大丈夫。ほんとうよ? 二人で歩くなんて久しぶりだから少し緊張してるみたい」  
「―――――そう」  
 呟く魔法使いの表情に、ソフィーは一瞬目を瞠った。少女の緊張しているという言葉に、ハウルは  
顔をしかめたようだったのだ。  
 けれども見間違いだったのか、にっこりと笑った青年はそれじゃあ、と足取り軽くソフィーを誘導する。  
「幸いこっちの街はお天気だし、海の側まで行ってみない?」  
「すてきね」  
「だろう?」  
 文句なしの美青年に肩を抱かれ、楽しげに歩いていくソフィーの姿を行きかう人々はちらちらと  
振り返る。足を止める女性たちの目に、ソフィーに対する嫉妬が浮かんでいると思うのは彼女の  
気のせいではないだろう。  
 いろとりどりの商品を並べている店先を二人で冷やかしてゆきながら、ソフィーはそっと間近に  
あるハウルの横顔を見上げた。  
 赤と灰色の服を纏ったハウルは誰が見ても魅力的で、美しい。  
 カルシファーとの契約を解いて自分の心臓を取り戻してから、ハウルの目は少しだけ色が濃く  
なった。青くて深い眼差しに見詰められると、少女の心臓はいつもドキドキと鳴る。  
「ほら、ソフィー。あっちでジュースを売っているよ。なにが飲みたい?」  
「あっ、わ、わたし? わたしはハウルと同じでいいわ」  
 見詰めていた横顔に急に振り返られて、ソフィーはびくん、と体を硬くした。  
 
「…じゃあ、オレンジジュースでいいかな?」  
「ええ」  
 一瞬の間に首をかしげながらソフィーがうなずくと、待っててね、と言い残してハウルは港の片隅に  
店を出しているジュース屋へと歩いていった。  
 その後姿を見詰めながらほっと息をつく。  
 ハウルと外出するのは、楽しい。こうして、本当に二人きりで過ごすのはハウルが心臓を取り戻  
してからはじめてに近かったから、とても楽しかったのだけれど、でもとても緊張してしまっていた。  
 
 ―――――――こんなに、ドキドキしてるのはわたしだけかしら。  
 
 ジュース屋の店主となにやら楽しげに話しながらカップを受け取っているハウルを見ながらぼうっと思う。  
 ハウルには少しも緊張している様子も――――ソフィーにドキドキしている様子もない。  
 確かにソフィーと街を歩くのは楽しそうだったけれど、これは相手がマルクルでも同じように振舞  
うのではないだろうか、と少女は思った。  
 大切にはされている。  
 でも、ハウルの「大切」と、自分の「大切」は一緒のものなのだろうか…?  
「ソフィー?」  
 自分の考えに沈んでしまっていた少女は上からかかってくる声に肩を震わせる。  
「あ、ハウル」  
「ねえソフィー。気分は本当に大丈夫? 疲れたならちゃんとそういわないとダメだよ?」  
「いやだ。本当に大丈夫よ。海が綺麗だから、ちょっとぼうっとしていただけなの」  
 心配そうなハウルにそう笑って誤魔化す。  
 確かに夏を迎えたばかりの海は太陽の光を反射してきらきらと輝いていて、とても美しかったか  
ら、ハウルはそう、とうなずいて納得したようだった。  
 
「はい、ジュース」  
「ありがとう。あら、コップは一つだけ? ハウルの分は?」  
「コップなんて一つあれば充分だろう?」  
 にやっと笑ったハウルのいたずらっぽい表情に、ソフィーはきょとんとして、それから意味がわかっ  
てみるみる赤くなった。  
 カップにはストローが二本刺さっている。  
「ぼくはこっち飲むから、ソフィーはピンクのストローのほうだね」  
 うきうきという魔法使いは、その優れた容姿で周囲の注目を集めている。  
 この衆人環視の中で。  
 一つのコップからジュースを飲む。  
 想像しただけで、少女の頭はボン、と破裂しそうになる。  
「い、いいわ。わたし、のどかわいてないから!」  
 差し出されたカップを必死になって押し返しながらソフィーはあとずさった。  
「どうして? 楽しいよ?」  
「わわ、わたしはあんまりそういうの楽しいと思わないの…っ!」  
 わかって、お願い、と必死になってハウルを見詰めると、今まで底抜けに楽しげだった美貌から  
すとんと表情が消えた。  
「は、ハウル…?」  
 怒らせてしまったのだろうか、と少女は息を呑む。  
 眉を寄せた少女の顔を苦しそうに見やって、ハウルはそっと唇を開いた。  
「ねえ……ソフィーは本当に、ぼくのこと、好きなの?」  
 
「え?」  
 いわれた言葉の意味がわからなくて、ソフィーはハウルの真剣な顔を見返した。  
 思考の止まった頭に、じわじわと愛しい魔法使いの言葉がしみてくる。  
「わたしが、ハウルの事を好きかですって……?」  
 好きに決まっているじゃないの、と、いつものように明るく言うことが出来ない。  
 唇を引き結んで自分を見つめているハウルが求めているのはそういう言葉ではないような気が  
して、ソフィーはものいいたげに唇を開いたまま固まってしまっていた。  
 
 ――――――ハウルは、わたしにどうして欲しいの?  
 
 恐慌状態に陥った頭で、ソフィーは必死に考えた。  
 好きかどうか?  
 どう考えたら、好きという以外の答えが出てくるというのだろう。  
 毎日ともに暮らしているだけではダメなのだろうか?  
 言葉にして伝えなければいけないのだろうか?  
 ハウルに好き、というのは…少しだけ恥ずかしい気もするけれど、イヤなことじゃない。むしろ、  
日に何度かは繰り返している。  
 なのに、ハウルは『本当に自分の事が好きなのか』と聞いてきた。  
 ―――本当に、と確かめてきたということは、今まで繰り返した好きの言葉は、ハウルにちっとも  
届いていなかったということなのではないのだろうか。  
 そのことに気づいた途端、ソフィーは頭から血の気が引いて、次の瞬間老婆だったときのように  
かっとなった。  
「ハウル、わたし、何度も言ったわ。あなたのことが好きって言ったわ。なのに、あなたは信じてくれ  
ないの!?」  
 じん、と目の奥が熱くなる。  
 立ち上がってハウルを見下ろしていたソフィーはいけない、と慌てて顔を背けた。  
 
 こんなことで泣き出してしまうような、弱いところをハウルに見られたくはなかった。  
「ソフィー」  
 突然怒鳴ったソフィーを呆然と見ていたハウルは少女の表情に気づいてうろたえる。  
「いや、ぼくは、そんなつもりは…」  
「じゃあ、どういうつもりだったの!」  
「それ、は」  
 言いよどむ魔法使いに再度怒りがかきたてられて、ソフィーは一口も飲まれていないジュースの  
コップを掴む。その中身を思い切りよくハウルの頭の上にひっくり返して叫んだ。  
「ソフィーッ?」  
「わたしのこと、好きじゃないのはハウルのほうでしょう!?」  
「な!?」  
「心臓を取り戻しちゃったから、ハウルの好きが、男の人が女の人を好きになる好きじゃなかったっ  
て気づいちゃったんでしょう!? だから。でも、あなた、優しいから。だから、もう他にいく場所ない  
わたしのこと、家族扱い、して、くれてッ。でも、もう恋人のふりとかしているのがしんどくなっちゃっ  
たん…でしょう!?」  
 言ってはいけない。  
 思うのに、一度あふれ出した言葉は止まらなくて、心の底でずっとくすぶっていた不安がどんどん  
形になっていく。  
 髪をべとべとに濡らすジュースの雫を払ってソフィーを見上げた魔法使いは、なにかを言うため  
に形のいい唇を開きかけた。  
 ぼろぼろと泣きながら思っていた事を全部吐き出してしまった少女は、ハウルのその仕種にびく  
りと身を引いた。  
 怖い。  
 きっと、待っているのはソフィーの言葉に対する肯定のセリフなのだろうけれど。  
 
 ―――――――そんなもの聞きたくない!  
 
「ソ……」  
 名前を呼ぶ声を振り切って駆け出す。  
「ソフィー!」  
「イヤ!」  
 ハウルがなにを言いかけたのか、聞こえないよう耳をふさいで少女は駆けた。  
 
 まっすぐ城に駆け戻った少女は、おかえり、といいかけた少年が自分の表情に目を丸くするの  
にもかまわずまっしぐらにキッチンにこもった。  
「ソフィー、ソフィー、どうしたの? 目が真っ赤だよ! ハウルさんは??」  
「ごめんね、なんでもないのよ、マルクル」  
 猛烈な勢いで夕食の下ごしらえを済まし、どうしたんだよお、と心配そうな火の悪魔の上にがん、  
と大鍋を置く。  
「カルシファー、シチューだから、中火でね。焦げないように」  
「ちょっとちょっと、いやソレはいいんだけどさぁ。ハウルはどうしたんだよ、ソフィー」  
「お願いね」  
 心配そうな二人に有無を言わさず言い切って、ハウルはソファーでゆっくりと舟をこいでいる元  
魔女を見やった。  
「おばあちゃん」  
「……ん? あら、ソフィー。もう帰ったの?」  
「ええ。夕食、ここに用意しておくから、ハウルが帰ってきたらよそってもらってね」  
「その様子じゃ、ハウルはまた青臭いことやらかしちゃったみたいだねェ。……いいよ、いいよ、女  
は男を困らせていくらなんだから」  
 どこまでわかっているのか、とぼけた風情でそんな事を言う元魔女に困ったように微笑んで、ソ  
フィーはエプロンを取り払う。  
 そうして、ようやく自分の部屋に戻れた。  
 ハウルが帰ってくる前に部屋に戻れたことにホッと息をつく。  
 後ろ手にドアを閉め、一歩進む。ふと横を見ると、鏡台にひどい顔をした女の子が映っていた。  
 真っ青になって、目と鼻の頭ばかりが赤くて。  
 
 ――――――――こんな顔してたら、カルシファーたちじゃなくても心配するわよね。  
 
「ひどい顔」  
 そう自分で言って笑って見たけれど、鏡に映る顔はどうしたって笑顔に似たなにかにしかならなかった。  
 白い卵型の顔を、流れ星の色に染まった髪が覆っている。  
 冷たい鏡面に手を触れ、ゆっくりと自分の顔の輪郭をなぞった。  
 ここに映っているのはソフィー・ハッターじゃない。  
 赤錆色の髪と、疲れた顔と、いつも寂しさに包まれていたあの少女じゃない。  
 けれど、では、誰なんだろう?  
 この城の主の恋人だと、そう思っていた。  
 住んでいる家族の一人だと、そう思っていた。  
 でも今はその自信がない。  
 恋の熱情を持っていたのは自分だけで、ハウルが寄せてきたのは家族に対するような暖かい愛情だけで。  
「でも、それも―――――あんなこと言っちゃったから、もうあるかどうかわかんないわよね…」  
 鏡の上で拳を握る。  
 今更ながらに後悔がひたひたと押し寄せて、ソフィーは唇を噛んだ。  
 ハウルの側にいられなくなるなんて、その家族から放り出されるなんて、考えることも出来ない  
くらい、いやだ。  
 だけど辛かった。  
 自分だけが、ハウルに恋し続けているのは、隣にいるのに、想いの返ってこない人を想い続ける  
のは、辛かった。  
「違うわ。ハウルは、わたしにちゃんと愛情をくれたもの……わたしが欲張りだから、それだけじゃ  
我慢できなかっただけ……」  
 バカなソフィー。  
 鏡に映る少女をなじる。  
 ワガママで、バカで、欲張りで、あなたみたいな女の子、あんなに素敵なハウルがずっと好きで  
いてくれるはずがない。  
 言い続けるたびに、鏡の中でソフィーの姿がどんどんくすんでいく。  
 流れ星の色だった髪が、ただの、灰色の白茶けた髪になってしまったのを見て、ソフィーはとうと  
う鏡から視線を逸らした。  
 泣きながらベッドに突っ伏す。  
 全身の水分が無くなってしまうほど泣いて、そのままうとうとと眠りについた。  
 目が覚めた後のことは、考えたくなかった。  
 
 
 耳元でさらさらと音がする。  
 ぼんやりと目を開けると、視界の端を精緻な細工の指輪を嵌めた長い指が掠めていった。  
 ああ、あの指がわたしの髪をすいていた音か、と少女はおもった。  
「目が覚めた?」  
 潜められた声に頭を傾ける。  
 振り仰いだ先で、窓から差し込む青い月光に浮かび上がる白い顔が見えた。  
「ハウル」  
 そう呼んだ自分の声がひどくかすれていて、ソフィーは眉をしかめる。  
 どうしたのだろう。喉と、頭の奥が痛い。  
「はい、お水」  
「ありがとう」  
 起き上がって、ハウルが差し出したコップをありがたく受け取る。  
 一気に飲み干した水は冬の朝に汲んだもののように冷たく、少女の乾いた体を潤した。  
「どうして、こんなに喉が渇いているのかしら…」  
 ベッドの上に座り込んだまま、独り言のように呟くと、その横に座った魔法使いから小さく笑う気配  
が伝わってくる。  
「いっぱい、泣いちゃったからじゃない?」  
「泣いて……?」  
 どうして、と寝ぼけた頭のまま首を傾げて、次の瞬間はっとする。  
「ど、どうして、あなたがここにいるの!?」  
 鍵はかけていたはずよ、と、身を引きながら叫ぶ少女に魔法使いは薄暗がりの中で沁み入るよ  
うな笑みを浮かべた。  
 ここはぼくの城で、ぼくは魔法使いだよ、と低い声が告げる。  
「だからって…!」  
 うろたえるソフィーにハウルは小さくごめん、と言った。  
 
「でも、今じゃなきゃダメだったんだ。後からじゃ遅いのは判ってるから、だから……ソフィー。聞か  
せて」  
 ずい、と身を寄せて、ハウルは逃げかけるソフィーの手を掴む。  
「本当に、ぼくが、好き?」  
 俯いたまま尋ねるハウルに、まだそんな事を言うのか、と少女はかっとしかけた。  
 けれども気づく。  
 自分を捕らえる魔法使いの腕から伝わってくる、小さな震えに。  
「ハウル…?」  
 恐る恐る名を呼ぶソフィーの声にも微動だにせず、相変わらず俯いたまま、聞かせて欲しいん  
だ、と魔法使いは言った。  
「どうして?」  
「それがぼくには大事なことだから」  
「―――――だいじ?」  
「この世のなによりも、一番大事だよ。だって、ぼくは臆病な人間だから…」  
 だから教えて。  
 吐息だけで囁くような声にくらりとする。  
 縋るようなその響きが、少女の心の鎧を解いたのかもしれない。  
「好きよ」  
 飾るもののない声音で少女は告白した。  
「ハウルが、好き」  
「ソレは、恋する相手として?」  
 間髪いれず返ってくる声にうなずいて、俯いたままのハウルにこれでは伝わらないと掴まれた  
手をきゅっと握り返す。  
「ええ、もちろん。あなたのことが、男の人として好きなの」  
「ぼくが君の事を壊してしまいかけた、どうしようもない男でも?」  
「それでも」  
 少女がそう言った途端、ハウルはゆっくりと顔を上げる。  
 ざんばらな髪の間から覗く、ぎらぎらと光る青い瞳に一瞬身が竦んだけれど、ソフィーは魔法  
使いに伝わるよう、はっきりとうなずいて、ぎこちない笑みを浮かべた。  
 
「ハウルがいちばん好き。ハウルは? わたしのこと、好―――――」  
 きか、と、ソフィーは最後まで尋ねることが出来なかった。  
 嵐のように襲ってきた二本の腕が、少女の細い体を痛いほどに抱きしめたから。  
「ソフィー、ソフィー。ぼくが、君の事を好きかだって? 好きに決まってる! 頭がおかしくなっちゃ  
いそうなくらい、君の事が好きで好きでたまらないんだよ」  
 熱のこもった声でかき口説かれ、少女の心臓は早鐘をうった。  
「でも……じゃあ、どうしてわたしに……」  
 触れなかったの、といいかけたところで今更ながらに羞恥心を思い出し、ソフィーは口ごもる。  
「怖かったんだ」  
 吐き出すようにハウルが言った。  
「こわい? なにが?」  
 抱きしめたソフィーの首筋に顔を埋め、ハウルは呟き続ける。  
「心臓を取り戻した後、あんまり心っていうものが重くて、怖くなったんだ」  
「それ、は……わたしの事を愛しているって言ったのが、本当は違うものだったから、とか……?」  
 恐る恐る尋ねる少女に魔法使いはくすっと笑った。  
「完全に、逆」  
「?」  
 強くしがみつかれたままで、少女は魔法使いがどんな顔をしてその言葉を言っているのか判らない。  
 もぞもぞと身を動かすソフィーを逃がさないとばかりに抱きしめなおしてから、ハウルは続けた。  
「心のないときから。ううん、あの星の原で君に逢った時から、ぼくには君が一番大切だよ。心臓  
が戻る前だって、もう限界までぼくは君の事が好きなんだって思ってたのに、戻ってからは、こん  
なに重くて厄介なものを君に押し付けてもいいものか、わかんなくなっちゃったんだ」  
「そんなの。そんなの……わたし、あなたの事を愛しているといったじゃない? 伝えてもらったら  
嬉しいに決まってるわ!」  
 身勝手なハウルの言い分に腹が立ってソフィーは手を伸ばしたところにある黒い髪を一束引っ  
張った。  
「あいたっ」  
 
「ハウル、心臓取り戻してから、急に優しいばっかりになっちゃったから、わたしがどれだけ不安に  
思ったことか……!」  
 鼻の奥がつんとしてくる。  
 また、泣き出しそうになって、ソフィーはぎゅっと目を閉じた。  
「ぼくだって同じだよ。不安で怖かったよ。ソフィーは気づいてなかった? 君はね、ぼくが触れよ  
うとすると、そのたびにいつも身を竦ませていたんだ」  
「え…」  
 慌てて目を開けると、鼻の頭がくっつきそうなほど間近でハウルはソフィーの顔を覗き込んでいた。  
「そん、なこと……」  
「うん、自分では気づかなかったかもしれないけど。君は―――ぼくに、怯えていたよ。ああ、そん  
な顔、しないで。悪いのはぼくだってわかってる。でも、ぼくも、君は優しいから、もうぼくに愛想を  
尽かしてしまっても恋人の振りをしてくれてるだけなんじゃないかって、怖かったんだ」  
「ハウルが好きよ。本当よ」  
 かすかに曇るハウルの眼差しにソフィーはいそいで言う。今度は、ヘンな誤解もなにもされたく  
はなかったから。  
 ソフィーの告白に、ハウルははにかんだ笑みを見せた。  
「ありがとう」  
「そんな、お礼言われるようなことじゃ……」  
「いや、きみは、その言葉がどれくらいぼくを幸せにしてくれるか知らないだろう?」  
 輝くような笑顔に少しだけ黙り込んで、ソフィーは掴んだままだったハウルの髪をもう一度、そっ  
と引っ張る。  
「……あなたも、わたしのこと同じくらい幸せに出来ると思う」  
 言った後で恥ずかしくなって少女は頬を赤らめて俯いた。  
 驚いたように一瞬目を見開いたハウルは少女のそんな仕種にゆっくりと笑う。嬉しさと、それ以外  
のなにかを少し含めて。  
 
「愛してるよ、ソフィー」  
 貝殻のような少女の耳元で魔法使いは静かに囁いた。  
「君が欲しくて欲しくて、仕方がないくらい、愛してる」  
 囁かれた言葉にソフィーの体はびくんと反応した。  
 魔法使いがその言葉にどういう意味を込めたのか、ここでわからないと言い張るほどソフィーも  
鈍くはない。  
 恥ずかしさに逃げ出したい気持ちにはなったけれど、それは確かに待ち焦がれていた言葉でも  
あったから。  
 おずおずと顔を上げ、髪をつかんでいた手を解く。  
「わたしもハウルが欲しいわ……」  
「ソフィー」  
「その……怖くないかっていわれたら、それは、確かに、わたしもまだちょっと怖いと思うの。でも、  
でもね。ハウルだったらいいし、ハウルだったら……嬉しいの」  
 こういう時に、どういう仕種や言葉で男性を誘えばいいのか、18年間を地味に過ごしてきたソフィー  
には判らない。  
 特にハウルはソフィーが噂で知る限りでも多くの女性ハートを奪ってきたようだし、彼の美に対す  
る執着を思えばその女性たちは美しく、こういった場面にも機知に富んだ手馴れた反応を見せたこ  
とだろう。おそらくは。  
 いくらソフィーが背伸びをしたところでいきなり手練手管が使えるようになるわけもない。  
 だから素直に自分が思っている事を伝える程度のことしかソフィーには出来ない。  
「ハウル」  
 万感の想いを込めて少女は愛する人の名前を呼んだ。  
「ソフィー」  
 少女の琥珀色の眼差しにハウルは眉を引き絞る。  
 ゆっくりとその美しい顔が近づいてきてソフィーは目を閉じた。唇が重なり合う寸前に、ほのかに  
ヒヤシンスの香りがした。  
 
 触れてきた魔法使いの唇は、かすかな震えを少女に伝えてきた。  
 胸にこみ上げる喜びと切なさにこれが恋なのだろうとソフィーは思う。  
 軽く重ねられるだけだった唇が食むように少女の下唇を捕らえる。目を閉じているとひどくリアル  
に感じるその熱にソフィーの肩が揺れた。  
「ごめん、……怖い?」  
 はっとしたように体を放すハウルにソフィーはふるふると首を振る。  
「え、あの、こわいっていう訳じゃないわ。わたし、その、慣れてないから……」  
 言いながら情けなくなってきて少女はうつむいてしまう。  
 生まれたばかりの子犬でもあるまいし、ちょっとのことでいちいちびくついていてはハウルも「ソ  
ノ気」になどなってくれないだろう。自分から「触れてこないから不安になった」と申告しておいてこ  
れはないと思う。  
「無理はしなくてもいいんだよ?」  
「無理なんてしてないわ! ただ、どうしていいかわからないっていうか、ええと、だから――――」  
 続けて欲しい、と、簡単な一言ではあるのだけれど、なぜかそれが口に出せない。  
 混乱したまま、前の事を思い出す。  
 たった一度ハウルと肌を重ねたその時。自分はどうしたのだろう。  
 どうやって、ああいう雰囲気になったのだろう。  
 あの時は、ハウルがどこかに行ってしまうんじゃないかと必死だった。置いていかれたくなくて、  
なにもかもを投げ出して取りすがった。  
 
 命を寄越せ、といわれたら、考えることもなくうなずいていた事だろう。  
 求められるままに、体を開いて―――――そこで具体的になにがあった思い出してソフィーの  
全身は茹蛸のように赤く染まった。  
「ソフィー!?」  
 突然くたくたと体から力が抜けた少女をハウルは慌てて抱きとめる。  
「ごめ……ごめんなさい。やだ、わたし」  
「大丈夫? 熱があるんじゃない?」  
「熱ね、ええ。ええと、あるかもしれないけれど―――そうじゃなくて」  
 紳士的にベッドの上へと誘導され、座り込みながらソフィーは赤く染まった頬に手を当てた。  
「ソフィー?」  
 訝しげに顔を覗き込んでくるハウルと視線が合わせられなくて、ぱっと下を向く。  
「やっぱり……」  
「待って! イヤじゃないの。ただ、あの、あのね。あのときみたいな事をするんだなって思ったら、  
ちょっと恥ずかしくなっちゃって……」  
 ごにょごにょと言い訳をしながら余計に困ってしまう。  
 はじめてではない、ということは、これからどういうことが起こるかわかっているわけで、判って  
いても前の経験はあまりにも切羽詰った状況過ぎて詳しく覚えていない、というか慣れる暇もなか  
った、というか――――とにかく、どうしていいのかわからない。  
 
 ――――――服、脱いだほうがいいのかしら。でも自分でいきなり脱ぎ出す女の子って、ハウ  
ルはどう思うんだろう……  
 
 襟元に手をかけたまま、あれこれと思い悩み始めたソフィーは自分の頭の上でハウルが少し驚  
いたように目を瞠ったことも、次の瞬間嬉しそうに微笑んだこともわからない。  
 肩に手をかけられて、はじめてはっと顔を上げた。  
「いやじゃないんだよね」  
 確認するようなハウルの言葉にこくこくとうなずいて、ええ、と答える。  
「イヤじゃないわ」  
「ぼくのことが好きなんだよね?」  
 畳み掛けるように続けられた問いに、今度も素直にうなずく。  
 
「好きよ」  
「信じるからね」  
「しん…じて」  
 吸い込まれそうなほど青い瞳に見つめられ、ソフィーは酔ったように赤い頬で呟いた。  
「ハウルが好き。愛してるの」  
「ぼくもだ」  
 ちゅ、と濡れた音がする。目を開けたままキスをするのは初めてで、いそいで目を閉じようとした  
ソフィーを笑うように細められた目が止めた。このほうがお互いの気持ちがわかるだろう? と、  
声にならない声が伝わってくる。  
「ん……ッ」  
 暖かな舌が少女のつぐんだ唇をゆっくりとなぞる。  
 伏せられた眼差しと、長いまつげが目元に落とす影が少女の心臓の鼓動を早めていった。  
 あまりにドキドキして、口の中が乾く。息を吐こうと少しだけ唇を開いた途端、暖かいモノが急に  
滑り込んできて少女は体を硬直させる。  
「んんっ」  
 ソフィーが反射的に腕を突っぱねても、ハウルは抱きしめた手を放そうとはしなかった。どころか  
ますます強く抱き竦められる。不安げに視線を上げるソフィーに魔法使いは蕩けるような笑みを  
見せた。  
「大丈夫、ぼくの舌だよ」  
 はふ、と息をする一瞬の間に早口にそういって、ハウルは再び深い口付けを落とす。  
 滑り込んできた舌が少女の口腔をなぞっていった。白い歯の上を辿り、唇を内側からくすぐり、  
恐る恐る様子を伺うソフィーの舌を見つけると同時に捕らえ、強く絡める。  
 くちゅりと濡れた音が響いた。  
「ふぁ……ぁッ」  
 頭の奥がジンと痺れてきて、少女はなんだか泣きたくなった。たった一箇所が深く触れ合ってい  
るだけのはずなのに、全身が熱い。  
「いやじゃないって、いったよね?」  
 どこか笑いを含んだような余裕のある声とは裏腹に、ソフィーの服にかかった魔法使いの手は  
せわしなかった。  
 長い指が踊るように動き、少女の襟元をはだけていく。下着に隠された白い胸元が露になると、  
少女は確かに、ごくりという唾を飲む音を聞いた、と思った。  
 
 嬉しい。  
 そう、思う。  
 こういう風に、求められることが嬉しい。  
 体は以前の体験を思い出して勝手に竦み上がる事があるけれど、それでもハウルが手を止め  
ないことが嬉しい。  
 ズロースを脱ぎ捨て、キャミソールを抜き取るハウルに協力して腕を上げる。  
 窓から差し込む月明かりが思っているよりも明るくて、あまり豊かとはいえない自分の体が晒さ  
れてしまうのは恥ずかしいのだけれど……と、そこまでぼうっと思ってソフィーは自分の胸に手を  
伸ばしてきたハウルを睨みつけた。  
「ソフィー?」  
「ハウルも脱いで。わたしばっかりずるいわ」  
 ハウルの白いシャツに手をかけて、そんな事を言う少女にハウルは驚いたように目を丸くして、  
また、嬉しそうに笑った。  
「そうだね。素肌で抱き合ったほうが気持ちがいい」  
「わ、たしはっ、別にそんなつもりじゃ……!」  
 絶句する少女にちょっと待っててね、と軽いキスを落とし、ハウルはいったんベッドから降りた。  
 胸元のボタンを二・三個はずしてから一気にシャツを脱ぎ去り、ズボンに手をかける。  
 見るともなしにその仕種を目で追っていたソフィーは赤くなって視線を逸らした。  
 
 ――――――ハウルってもっと細いかと思ってた。  
 
 いつもシャツは風を孕んで余裕があるようだったし、でも、考えてみれば自分を抱きとめた腕は  
いつも力強かったような……  
 そんな事を考えていた所為で、魔法使いがさっさと全裸になってベッドに上がってきても、少女  
はなかなか気づかなかった。  
「ひどいな。こういうときにほかのコト考えるのってルール違反だよ?」  
「きゃあっ」  
 後ろから抱きすくめられてソフィーは黄色い悲鳴を上げる。  
 布越しではなく、直接に感じる他人の体温はもともと早くなっている鼓動をさらに早め、爆発して  
しまいそうな気分にさせた。  
「なにを考えてたの?」  
「な、なにって…! こう、こういう状況で、ハウルのこと以外のなにを考えるって…言うの…?」  
 腕の中の体が全身を赤くしてもぞもぞと逃れようとする仕種にハウルは唇の端を吊り上げた。  
が、もちろん後ろ向きに抱きしめられているソフィーにハウルのそんな表情が見えるわけもない。  
「そうだね。でもぼくはここにいるんだから、ぼくのほうを見てよ」  
 耳元でそう囁かれ、流し込まれた声の艶やかさに少女の体温がさらに上がる。  
 抱きすくめられたまま肩口に軽く歯を立てられ、ソフィーは熱い吐息を零した。  
 
 少しざらりとした舌が少女の青白い肌を這う。  
「……ン」  
 後ろから回した手のひらがソフィーの胸を包み込んだ。  
「ッ!」  
「やわらかくて気持ちいいね、ソフィーのおっぱい」  
「やだ、や…」  
 やんわりともみしだく動きに少女は首を横に振る。赤く染まった耳にふふ、と少しだけ笑い、ハウ  
ルは親指をのばして朱鷺色の果実を軽く引っかいた。  
「ひゃっ!」  
「いやって言うワリには、気持ちよさそうな声だね?」  
「ダメ……ッ! わ、たし…胸、そんなにおっきくないし……っ!」  
 後ろから聞こえてくる声に、少女はイヤイヤと首をふり続ける。少し涙の滲むような声音にハウ  
ルはそうかな、と肩越しに少女の胸元を覗き込んだ。  
「そんなことないよ。綺麗だし形がいいし―――揉みがいだって十分に、ある」  
「やあ…」  
 ハウルの言葉にソフィーは両手で顔を覆って小さく声を上げた。  
 恥ずかしい。  
「だってだって、ハウルの手の中にすっぽり、入っちゃうし…ッ!」  
「うん、ちょうどぴったり」  
「ち、小さいわよね?」  
「だからそんなことはないってば。ぴったりだよ」  
 くすくすと笑いながらちゅっと耳たぶにキスをされて、恥ずかしさが頂点に来る。身をよじる少女  
を相変わらず笑いながらハウルはやんわりと抱きとめた。  
 
「ほら、こうやって抱きしめてるとね、まるで君の全部がぼくのために出来てるんじゃないかって錯  
覚しちゃうくらい、ぴったりでしょ?」  
 汗ばんだ胸から手を放し、魔法使いはつうっと優しい曲線を描く少女の体の輪郭をなぞっていく。  
「ふ、ぅんっぁあ」  
 肩から腹へ、そして下半身へと、きわどいところを掠められ、ソフィーはたまらずびくんと背を逸  
らす。のけぞった拍子に視界に入ったハウルの顔は唇だけは笑っていたけれどひどく真剣な眼差  
しで、その鋭さに体の奥がぞくぞくした。  
「ぼくの、だよね」  
 魅入られたような少女の琥珀色の瞳に、魔法使いはそっと目を細めて尋ねた。  
「ええ」  
 頷く以外、その時なにが出来たというのだろう。  
 心と体のうねりに突き動かされて、ソフィーは夢中で頷いた。  
「あなたのだわ。わたしは、あなたのだ、わ…ッ」  
 ソフィーの言葉にハウルは一瞬目を閉じる。一瞬のうちに体をベッドに横たえられ、強く強く抱き  
しめられた。  
 嵐のような激しさに怖いと思う。以前の痛みを思い出す。けれどそれ以上に嬉しい。  
「ハウル…ッ!」  
 腕を伸ばして抱き返しながら襲い掛かるような口付けを受け止めた。  
 潜り込んできた舌に自分のそれを絡める。くちゅ、くちゅという音が頭の中に直接響いて少女の  
思考を麻痺させていった。  
「んはァ…っ」  
「息はね、鼻でするんだよ」  
 涙目になって唇が離れた隙に肩で荒い息をするソフィーにハウルはどこか嬉しげにそう囁く。  
 慣れていないのが判って恥ずかしいとか、そういう事を考える余裕なんかもうなくて、ソフィーは  
教えられるままにくすんと鼻を鳴らして息をした。  
「いい子だ」  
 再び、今度は両手で胸を揉みしだかれ、少女の全身が薄いピンク色に染まっていく。  
 頭の奥がふわふわして、かり、と乳首に歯を立てられてももうそれが痛みだと認識できなかった。  
「きゃう!」  
 
 電流のような感覚に体が跳ねる。ざらざらとした舌に嘗め回され、やんわりと噛まれ、また舌で  
つつきまわされるたびに唇からぽろぽろと嬌声が零れ落ちる。  
「ハ、ウル……ゥッ!」  
「綺麗だよ。ソフィー。本当に綺麗だ」  
 はあはあと荒い息はもうどちらのものかわからない。  
 全身をくまなく触られ、浮いた汗が再び肌へ塗りこめられていく。  
「あ、そ、そんなとこ…ッ!」  
 可愛らしく穿たれたへそを舐められて少女が驚いたように顔を上げた。  
「ここはいや? じゃあ……」  
 にやりと顔を上げたハウルが、次に顔を埋めたところにソフィーの目は今度こそ驚愕に見開かれた。  
「ハウル!」  
 悲鳴じみた声に、少女の叢に顔を寄せた魔法使いはふっと息を吐いて柔らかな繁みを揺らす。  
「前は夢中で気づかなかったけれど、こっちも星の色になっているんだね」  
「いやあっ!!」  
 ダメよ、そんなところ、と、泣き出しそうな声で制止するソフィーの言葉をきかず、ハウルは丁寧  
に、けれども逆らう事を許さない力強さで少女の足を割り開き間に潜り込んだ。  
「だめ、ダメ! 汚いッ!」  
「ソフィーに汚いところなんてないよ」  
「イヤ、おねが…ハウル、いやァ…」  
 子供のように頭を振り続ける少女に、だめ、と魔法使いは残酷な声で告げた。  
「さっき、君は全部ぼくのものだって言ったでしょう?」  
「それと、これとは……ぁァああ!?」  
 ぐちり、と湿った音がする。  
 潤む蜜壷を長い指が形を辿るようになぞっていた。  
「ふああっ!」  
「大丈夫。気持ちよくなれるから、ね。前みたいなことはないよ…」  
 くぐもった声が下から響いて、敏感になった花びらにひどく暖かい…いや、熱くて柔らかなもの  
が触れた。  
 
 ―――――!!!!!!!  
 
 頭の奥は爆発しそうだった。  
 自分でも見たことがないような場所を世界中で一番大好きで大切な相手に見られて、なおかつ  
舐め…られている。羞恥で体に火がつきそうで、心臓が口から飛び出してしまいそうなほど激しく  
鼓動する。  
「あ、あ、あ……ッ!」  
 快感よりもショックに身を震わせる少女に気を使ってか、ハウルはしばらくそのまま動かなかっ  
た。それでも少女が少しだけ気を落ち着けたのを認めると、指で入口を優しくなぞりながら赤く色  
づく花びらをねぶり、あふれる蜜をじゅっと啜る。  
「ひっ、んんあ、ああああああっ!」  
 慣れていないどころか、正真正銘生まれて始めてされる行為にソフィーは高い声を上げてがく  
がくと体を震わせた。  
「いや…あぁっ、おかしく、おかしくなっちゃう…ッ」  
「なってもいいよ」  
 少女の愛液で口元をてかてかと光らせながら魔法使いは呟く。  
「ぼくにおかしくなっちゃいなさい」  
「ひぃっ」  
 花びらに隠れるように埋もれていた陰核を押しつぶすように舌が動く。その衝撃は熱い泥を一気  
にかぶったかのようでソフィーはまともな悲鳴も上げられず口をあけて荒い息をつく。  
「怖い、怖い…ッ」  
 うわごとの様に呟く少女の声が耳に入っても、ハウルは愛撫の手を止めなかった。たぶん、とめ  
られなかったというのが正しいのだろう。  
「んくっ、あ、あ、ハ…ウル…だめ、だめェ……ッ、も、わたし…ッ!」  
 一気に駆け上がっていくソフィーの声の高さに少女の限界を知り、だらだらと蜜をこぼし続ける  
泉にハウルは舌だけでなく指も潜り込ませた。浅い位置への愛撫と、熱くやわらかくなっていく内  
部への二つの刺激に少女の脳裏が白くなる。  
「ぁぁぁああああああ!!!!」  
 歌うような声を上げて少女は絶頂に達した。  
 息も絶え絶えな少女の中をもう一度、確かめるように馴染ませてからハウルは指を引き抜く。  
「ハウ、ル……」  
 
 呆然と少女は愛する魔法使いを見上げた。  
 目元に光る涙を親指の腹でぬぐってハウルは微笑む。  
「気持ちよかった?」  
 ぺろり、と自分の蜜に濡れた唇を舐める舌の動きを目で追いながら、少女はわけも判らないまま  
こくりと首をふった。  
「よく、わから…なかったけれど……ま、真っ白になっちゃう感じ、で…」  
 弛緩しきった体を魔法使いはそっと抱えなおす。  
「じゃあ、今度は二人で気持ちよくなろう」  
 力強い腕に支えられて少女の腰が浮く。  
 ひざ立ちになった魔法使いの昂ぶりが熱く融ける蜜壷に触れた。  
「ふ…あ」  
「大丈夫……ゆっくりするから、ね」  
 かすかに上ずった声でゆっくりとハウルが身を進めていく。ハウルのものから零れる先走りと  
ソフィーから溢れる愛液がシーツに黒いしみを作っていた。  
 小さな入口が熱く硬いものに押し広げられていくのが感じられてソフィーはぎゅっと目を瞑る。  
 さきほど一度達したおかげか、それともハウルがこれ以上はないくらい慎重にコトを進めている  
せいか、はじめての時ほど痛みは感じない。それでもその所為で余計に自分の中に入ってくるハ  
ウルを感じてソフィーはいたたまれなさに泣きそうになった。  
「痛い?」  
 涙ぐむ少女に頭だけを入れたところでハウルは動きを止める。  
「ち、ちが……ッ。痛く、ないわけじゃ、ない、けど…大丈夫」  
 心配そうな魔法使いの首にしがみついて、ソフィーはその耳元で続けて、と囁く。  
 少女の吐息がハウルの髪を揺らし、魔法使いの全身の筋肉にぴくりとさざなみが揺れた。  
「ソフィー……あんまり、ぼくを挑発しないでね……」  
「え? ちょうは…? きゃっ」  
 さきほどまでと異なる性急さでハウルが昂ぶりを沈めていく。潜り込むものに内壁を擦られて、  
少女はくう、と息を殺した。じりじりとそのまま侵して来る質量を、ただ受け止める。  
 
 ―――――わたしと、ハウル、一つに…なってる。  
 
 痛みと、違和感と、かすかな快感がもたらす実感にひどく幸せな気分になって少女は息を吐き  
出した。  
「あったかいね……ソフィー」  
 ようやくすべてをおさめきったのか、ソフィーの白い胸に顔を埋めたハウルが呟く。  
「動く、よ」  
「うん」  
 魔法使いの言葉に少女は頷いた。  
 軽く引き抜いては戻すその動きに全身に鳥肌が立つ。  
 どう言葉で表現すればいいのかわからない感覚に少女はこらえることもなく声を上げた。  
「ハウル…ッ! ふぁぁ、ん、っは、ハウ、ル…ッ!」  
 熱い。  
 ぐちゅぐちゅとかき回されるたびに下肢で泡立つ音がする。  
 指の硬さとは違う硬さと質量。そして、体の中で響くハウルの鼓動。  
 充血したしこりを擦るように穿たれてさきほどとは違う波がソフィーを飲み込もうとしていた。  
「あ、つ、い…ッ!」  
「気持ち、いい? ソフィー…ッ?」  
 尋ねる声に言葉で返すことも出来ず、ただ夢中になって首をふる。  
 愛する人に求められて、自分も求めて。  
 怖いくらいに幸せで痺れてしまいそうに気持ちがよかった。  
「イイの…ッ! 気持ち、いい…ッ!」  
「ぼくもだ!」  
 ハウルの動きが激しくなる。深く沈められ、浅く突かれ、止められない嬌声がただ高く部屋を満  
たした。  
「ああ、あああぁぁああっ! ふっ、は、あああぁーっ!」  
 体の中でハウルの昂ぶりがさらに大きくなっていくのが判る。これ以上はないほど押し広げられ、  
深く、深く穿たれ、少女は絶頂に身をのけぞらせた。  
「――――――――ッ!!!!!」  
「く…ッ」  
 胎の奥深くに熱い飛沫を感じる。  
 全身を満たしていくその熱に溺れて、ソフィーはゆっくりと意識を手放した。  
 
 目を覚ますと空気はしんと冷えていて、全身に残り火のような熱さがあった。  
「……?」  
「ソフィー。目が覚めた?」  
 いつもより少しだけ低いききなれた声が耳元でして、少女はぼんやりと首をめぐらせる。そこで  
真横にうっすらと笑う魔法使いの美貌を見つけ、少女は慌てて体を起こした。  
「ハ、ハウル!? あ、つっ」  
 距離をとろうとして体に、主に下半身の辺りに疼く鈍い痛みを感じてソフィーは顔をしかめる。  
「な、なんで…」  
 痛みの原因に思いを馳せてすぐ、見つかった答えに全身が熱くなった。  
「わ、わわわわ、わたし、ハウルとっ!?」  
「うん、ぼくと寝たんだけれど。……と言うか、ソフィーとしてはその格好はいいの? ぼくとしては  
かなり眼福なんだけれど」  
「眼福?」  
 ベッドの上でひじをついてニヤニヤと笑うハウルの視線を辿って全裸のまま体を起こしている自  
分に気づき、少女は再度悲鳴を上げた。  
「いやーっ」  
 慌ててシーツをかぶる少女に魔法使いは朗らかな笑い声を立てる。  
「わ、笑うなんてひどいわっ」  
 シーツから頭だけ出した状態で抗議するソフィーに笑いを殺しきれていない声でハウルはごめ  
んと謝る。  
「ごめんごめん、あんまり、ソフィーがかわいくて!」  
「面白がっているようにしか聞こえないわ……」  
 ぼやきながら、ソフィーはなんだか情けなくなってきて涙ぐんだ。  
 少女にはこういうことの経験はハウルとのもの以外にないけれども、こういう反応は世間一般の  
恋人たちの事後とは違うと思う。たぶん。きっと。絶対に。  
 
「ちょ、ちょっと、ソフィー、なに泣いてるの!?」  
「だって、ハウルったらわたしのこと見て笑っているし、わたしはわたしでなんだかバカみたいだし…」  
「笑って…って、いや、これは、幸せだなあって浸ってただけだよ!?」  
「その必死さが怪しいわ」  
「ちょっと待って。なんで愛を確かめ合った後にこういう詰まんないことで言い合いしなきゃいけな  
いのさ!」  
「そんなの、ハウルが笑うからだわ」  
「――――――いや、なんだか、こういうやり取り、前もやったような気がするよ?」  
 あの時は君、ぼくが落ち込んでるからって文句を言ったけど。  
 言われて、ソフィーは前回の事を思い出した。思い出したけれども確信を持って言い切る。  
「前も今回もあなたが悪いんじゃないの」  
「……確かにその通りです。はい。ごめんなさい」  
 降参、といいたげに軽く両手を挙げて魔法使いは言った。  
「わかってくれればいいわ」  
 つん、と顔をそらしたソフィーも肩が笑いで小刻みに揺れている。  
「まったく、君は本当に素敵で最高なお嬢さんだね!」  
 シーツに包まったままの恋人を胸元に抱き寄せて、ぼやくようにハウルは惚気を呟いた。  
「そういうあなただって、素敵で最高よ」  
「じゃあ、ぼくたちって、これからも一緒に末永く幸せに暮らすべきなんじゃない?」  
 え、とソフィーは魔法使いを振り仰ぐ。  
 そこには言葉の軽やかさとは正反対なくらい真剣な表情をしたハウルの顔があった。  
「それ、って…」  
 目を見開くソフィーの問いには直接答えず、ハウルは流れ星の色をした少女の髪をサラリと梳く。  
「それってとてもぞくぞくするような暮らしになると思うよ」  
「ハウル」  
 魔法使いの顔を見つめたまま、少女は呆然とその名前を呟く。  
「それって…」  
「ソフィー」  
 
 ハウルは少女を抱きしめたまま身を起こし、ベールのようにシーツをかぶったソフィーの手を厳  
かにとった。  
「ソフィー・ハッター。ぼくと、結婚してくれませんか」  
「ハウル」  
「順番、かなりおかしくなっちゃったけど。ぼくは、ソフィーに「ぼくのソフィー」になって欲しいんだ」  
「ハウル、ハウル…ッ!」  
 泣きじゃくり始めたソフィーの涙を魔法使いは唇でそっと拭う。  
「返事は?」  
「そんなの…はい以外にないじゃないの……ッ!」  
 しがみつく少女の細い体をしっかりと抱きとめて、魔法使いは安堵の息をこぼした。  
「ああ、よかった! 断られたらどうしようかと思った」  
「断るなんてありえないわ。だって、わたし、ずっとその言葉が欲しかったんですもの!」  
 赤錆色ではなくなった髪。  
 失った三つ編み。  
 そのすべてを後悔はしていないけれど、どこに立っていればいいのか判らなくなっていた不安  
感が見る見るうちに埋められていく。  
 ハウルの申し出が、義務感からではなく愛情からのものだと、素直に信じることが出来る今は  
なおさら。  
「嬉しい」  
 そう呟いてソフィーは泣きながら微笑んだ。  
 美しいその微笑みに、ハウルもゆったりと笑う。  
「愛しているよ、ぼくの奥さん」  
「愛しているわ、わたしの旦那さま……」  
 
 
 二人だけで交わした誓いの口付けは、涙と幸せの味がした。  
   
 
 
おしまい  
 

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