すっかり日の暮れた街の中で、ハウルはソフィーを探し続けていた。  
辺りは闇が濃く、靄もかかっている。  
もう夜だというのに、ソフィーが家に帰ってこない。午後に出かけていったきりだと、  
マルクルもカルシファーは心配顔で言っていた。  
ひどく思いつめたような顔だった、とも。  
終戦に向かっているとはいえ、街の中は未だ騒がしい。軍人達や兵隊崩れの  
男達が、我が物顔で闊歩しているのだ。  
そんな中を、若い娘―――しかも、あんなに目立つ色の髪をした―――が  
歩き回る事など、あってはいけないことだ。  
焦りに顔を強張らせながら、ハウルは早足に通りを歩く。彼女の行きそうな所には  
大体足を運んだのだが、見つからない。  
「あのっ!」  
偶然に通りを歩いていた若い娘を呼び止めた。彼女は驚いたような顔をして、  
それから傍らの恋人の裾を引いた。二人が一斉にハウルを見つめる。  
「女の子、見ませんでしたか?18,9位で、星色の髪に茶色い目をした!」  
「さぁ……?見かけませんでしたけれど」  
二人は首を傾げ、申し訳なさそうに笑った。路肩に座り込んでいた老婆が、  
ふっと顔を上げる。  
「それは、黒い服を着た娘さんかい?」  
 
老婆がハウルに声をかけた。神妙な面持ちで、彼が頷く。  
「なら見たよ。綺麗な娘さんだったから覚えているよ」  
「彼女は、どこに?」  
老婆が立ち上がり、すいと北の方角を指差した。  
「あっちへ。多分、墓地跡に。白百合を買っていったからね」  
よく見れば、彼女は花を売っているらしく、道端に引かれた布の上には花が  
いけられたバケツが並べてあった。  
「ありがとうございます。感謝します」  
早口に礼を言うと、ハウルは殆ど駆け出すようにして言われた方向へ進んだ。  
恋人達が不意に空を見上げ、老婆も同じように顔をあげる。  
重く立ち込めていた雲から、いよいよ雫がこぼれはじめた。  
 
墓地跡、と老婆が言った意味を、ハウルはようやっと理解した。  
そこは、瓦礫と焼け爛れた土のある広大な土地だった。  
空襲で焼けてしまったのか、何本もの大木が炭となって立っている。  
そのちょうど真ん中辺りに、ソフィーは一人立ち尽くしていた。  
その姿は一種神々しいほどで、ハウルは思わず見蕩れた。  
降り注ぐ雨をも厭わない彼女の姿は、絶望と悲しみで彩られていた。  
「ソフィー」  
黒い服、というのはどうやら喪服らしい。しかし、ソフィーはその服にも手にも、  
おまけに頬にまで煤やら泥汚れやらをつけていた。  
「ソフィー?」  
少し声を張り上げると、彼女はようやく振り返った。  
小さく息を呑む彼女の手を、ハウルは強引にとった。  
「どうしたの、こんな所で」  
なるだけ明るい調子を心がけてハウルは声をかけた。  
ソフィーはふわりと微笑み、視線を足元に落とした。  
 
「見て」  
彼女の足元には、粉砕された墓石がジグソーパズルか何かの様に並べてあった。  
艶のあるはずの御影石も、すすけてしまっている。  
「これは……」  
「紹介するわ。私の両親よ」  
墓石はいくつかの欠片がなくなっているのか、不恰好な形をしていた。  
しかし、名前や没年が読めないほどにかけているわけではない。  
「これを、ずっと?」  
驚きに声を上ずらせるハウルに、ソフィーは軽く背いて見せた。  
彼女はひっそりと笑い、それから彼の顔を見上げた。  
「もう、どこに何があるのか解らなくて―――随分かかっちゃった」  
相変わらずぐずでしょう、とソフィーは微苦笑する。ハウルは言葉を失い、  
呆然と彼女を見つめていた。  
「でも、ほら……眠る場所を失う事ほど、悲しい事はないでしょうから」  
小さな声での呟きは、悲痛に満ちていた。ハウルは目を伏せ、ソフィーはまた  
ひっそりとした笑いを浮かべた。  
「よかった」  
 
帰りましょうか、とハウルに向き直ったソフィーは、次の瞬間には  
彼の腕の中に閉じ込められていた。驚きにうろたえる少女を、  
彼はきつくきつく抱きしめた。  
「ハウル?あの、苦しいわ……」  
小さく抵抗する彼女をますます強く抱きすくめながら、ハウルはその耳に  
唇を寄せた。ぴくん、とソフィーのか細い体が跳ねる。  
「なっ……」  
「どうして、そんな風なの?」  
ハウルが囁いた。ソフィーが驚きに目を見開く。  
「どうして、って……」  
「辛いのを、どうして隠すの?」  
言葉につまったソフィーを見、ハウルが畳み掛けるように訊ねた。  
彼女は思わず口をつぐんでしまう。  
「隠してないわ」  
冷たい雨にか、あるいはハウルの抱擁にか頬を赤く染めたソフィーがそう反論した。  
「辛いなら泣けばいい。ねぇ、君はどうして僕にまで強がって見せるの?」  
 
ハウルの囁きはどこか悲しげだった。ソフィーが戸惑ったように視線を揺らす。  
それから、拗ねた子供のように唇を尖らせると大きく首を振った。  
「強がってないわ。大丈夫よ、辛い事なんてないわ」  
得意そうに言い、ソフィーはにっこりと笑って見せた。  
ハウルがぎゅっと眉を寄せ、彼女の唇を強引に塞いだ。  
「……っ、あ!」  
ソフィーが驚いて身をよじった。しかし、キスはやまない。  
それどころか、だんだんと深くなっていく。唇の線を舌でなぞられ、  
やがてゆるゆるとした動きでこじ開けられる。丹念に口内を愛撫されるうちに、  
彼女の体から力が抜けた。大きな瞳に、わずかに涙が滲む。  
「何するの?」  
唇が離れたあと、呆然と問い掛けるソフィーの首筋に顔を埋め、  
ハウルが大きく息を吐いた。がちがちに固まってしまう  
少女の背を撫でながら、彼が囁く。  
 
「………辛いなら、泣いてよ。いいんだよ、気を張らなくても。  
弱音なら吐けばいいし、泣きたいなら大声を上げればいい。  
大丈夫、全部聞いていて上げるから」  
「あのね、ハウル」  
ハウルの肩を押しやりながら、ソフィーが笑った。  
「大丈夫だって言っているでしょう?私、そんなに……」  
弱くない、と続けようとした喉がきゅうと締まり、ソフィーの顔が歪んだ。  
瞳からはぼろぼろと涙がこぼれ、彼女は口元を手で覆った。  
「……ひっ……ぅ」  
涙を堪えようと震える華奢な肩を、ハウルは包み込むようにして抱いた。  
ソフィーにはもはやなす術もなく、彼女はひくひくと押し殺した嗚咽を洩らした。  
「泣いていいから。大丈夫だから」  
雨のせいでしっとりと濡れたドレスの背に掌を滑らせながら、  
ハウルがことさら優しく囁いた。そう言われてたがが外れてしまったのか、  
ソフィーが彼にしがみついてきた。  
「どうしてぇっ……?」  
 
ソフィーが悲痛な声をあげた。闇を劈くような声音に、  
ハウルが悲しげな表情になる。  
「どうして?どうして戦争なんてあるの?どうしてお墓まで壊してしまったの?」  
甲高い悲鳴は、やむ事がない。ハウルはソフィーの身体を、  
さらにきつく抱きしめた。  
「ここに人が眠っている事くらい、爆弾を落とした人にだって解っているはずよ?  
なのに、どうして?どうしてそんな酷い事をしたの?」  
「そうだね」  
「こんな事じゃ……お父さんもお母さんも……眠っている人たちは一体どうなるの?」  
子供みたいに大声を上げて、ソフィーはそれからずっと泣いていた。  
ハウルはただ静かに彼女を抱きしめ、濡れた髪を撫で続けた。  
雨は、弱まる事もなくしとしとと降り続く。  
 
「ハウル……」  
泣きすぎて掠れた声で、ソフィーは弱弱しく青年の名を呼んだ。  
「何?」  
「お願い、このまま抱きしめていて……」  
そういうとソフィーはまた彼の胸に顔を埋め、肩を震わせた。  
ハウルは何も言わず、彼女を抱きとめていた。  
「大丈夫。傍にいるよ」  
囁きに呼応するように、ソフィーがハウルの服を握った。  
彼女が伺うように顔を上げる。彼は柔らかく微笑むと、  
顔を少女のほうにそっと近づけた。そのまま唇が重なる。  
「………おねがいが、あるの」  
 
口付けの後に、ソフィーがか細い声で呟いた。  
「なに?」  
「そばにいて」  
冴え冴えとした暗闇の中に、彼女の声が響いた。  
その様が余りにも美しくて、ハウルはかすかに息を呑む。  
「傍にいて……慰めてほしいの」  
 
雨が、強くなったようだ。  
 
濡れ鼠になった二人が家に帰った頃には、他の住人達はもうすっかり眠る支度を  
終えていた。マルクルは驚いたように声を上げたが、なんでもないと二人に  
穏やかに言われてしまってはそれ以上何も言えなかった。魔女も目を瞠ったが、  
すぐに小さな微笑へとすりかえた。  
ソフィーに先に湯を使わせいる間、ハウルは悩んでいた。慰めて欲しい、と  
いうのは一体どういう意味なのだろうか。  
ソフィーとハウルは恋人同士でありながら、実に微妙な線を渡り歩いている  
状態だった。キスをしたり、抱きしめあったりはしているけれど、褥を共に  
した事はない。彼女は真面目なしっかり者だ。貞操観念もなかなかに  
強固なものであって、たまに下世話な冗談を吹っかけたならば、かんかんに  
怒ってしまう。  
しかし、今夜のソフィーはいつもと違った。脆く、儚く、そして弱弱しかった。  
おそらく、両親の墓を壊されていた事のショックで精神的にまいって  
しまったのだろう。そんな上で、彼女は人間の温もりを欲した。  
それが自分に向いていてくれることを嬉しいと思う反面、どう応えていいか  
解らないと言うのも本心であった。  
 
 
風呂から上がってからも、ソフィーの顔色は晴れなかった。  
入れ違いに浴室へ向かおうとしたハウルの腕を捕らえ、もの言いたげに  
じっと見つめたりする。  
「何?」  
冗談めした態度でハウルが聞いた。しかし、顔が強張ってしまっているので  
みっともなく響く。ソフィーは思いつめたような表情で彼を見上げると、  
首を振った。  
「いいえ……早く、出てきてね」  
全身の毛が逆立つような感覚を覚え、ハウルは唇を噛み締めた。  
ソフィーはすいと視線をそらすと、彼の傍をすりぬけるようにして消えた。  
 
今夜、二人は一線を越えるだろう。その事は嬉しいし、望んでいないと言えば  
嘘になる。しかし、悲しみで自暴自棄になった状態で男と寝たりして、  
ソフィーは傷つかないのだろうか。間違いなく今夜初めて男を知るであろう  
彼女を、穢れきった自分が抱いてしまってもいいのだろうか。  
自問自答しながら、ハウルはシャワーを浴びた。本当は、二人の気持ちがぴたりと  
あった状態ではじめてを迎えたかった。だけど、そう言ったところで、  
もうどうにもならないのだ。  
ざぁざぁと降り注ぐシャワーが、未だ降り続く雨に重なった。  
 
「ソフィーは、これでいいの?」  
寝室にソフィーを招きいれながら、ハウルが静かに問い掛けた。  
ソフィーは目を瞠り、それから静かに微笑んだ。  
「………あなただから、いいの」  
言われ、ハウルは困ったように曖昧な顔をした。ソフィーの言葉に嘘はない。  
 
今朝、初めて墓地が空襲に巻き込まれて跡形もなく壊れたという話を聞いた。  
慌てて行ってみれば、墓石は吹き飛ばされ、どこに誰の墓があるかも解らなかった。  
自分の肉親を本当に失ってしまった悲しみで狂いそうだった時に、  
彼は現れてくれた。かつて、灰色の日々から自分を救い出してくれたように、  
この苦しみからも救ってくれた。泣いてもいいと言って、抱きしめてくれた。  
この世に自分を繋いでいてくれる理由が彼であってくれるなら、  
それはなんて素晴らしい事なのだろう、と抱かれた腕の中で思った。  
 
自分を幸福に出来るのは、この世の中にこの人しかないのだ。  
 
「でも、ソフィー。そんなに簡単に決めていいことじゃないと思うんだ」  
焦ったのか早口に畳み掛けてくるハウルに、ソフィーは小さく首を振った。  
「それは、私もそう思う。でも、あなただからいいの。あなたなら、  
きっと私を幸せにしてくれるから。だから、いいの」  
ソフィーの言葉に迷いはなかった。ハウルは小さく息を吐くと、  
彼女をぎゅうっと抱きしめた。  
「もう、知らないよ?やめたいって言っても、止めないよ?」  
最終警告のつもりだろうか、おずおずと言われた言葉にソフィーは吹き出した。  
くすくすと笑いながら、少女は青年の頬にキスをする。  
「いつも、心の奥で夢見ていたの―――あなたの腕の中で眠れることを」  
 
 

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