濃く匂う、花のような石鹸の香り。もくもくと立つ湯気で少しばかり息苦しい。  
しかし、ハウルは満面の笑みを浮かべながら湯を張ったバスタブの中に居た。  
足の間には、銀色の髪の少女がちょこんと座っている。  
「熱くない?」  
「ん……大丈夫」  
囁くと、ソフィーは笑いながら首を振った。洗い立ての髪から水滴が零れる。  
その香りにうっとりとしていると、彼女が振り返った。  
「なぁに?そんなに嬉しそうで」  
ソフィーは不思議そうな顔で恋人を見上げている。もうすでに一度交わって  
いるからだろうか、彼女はおっとりと大人しい。普段なら恥ずかしがって  
絶対に一緒に風呂になんて入ってくれないのに、今晩は一緒に湯船につかり、  
しかもハウルの腕の中にいる。  
「何でもない……ただ、幸せだなぁと思って」  
囁きかけると、ソフィーが頬をばら色に染めた。それから可笑しそうに  
くすくすと笑う。  
「変なハウル」  
そう言いつつも、ソフィーはとても嬉しそうだった。ぴしゃぴしゃと手のひらで  
水面を叩いている。小さな子供のような彼女を、ハウルは一際力をこめて  
抱きしめた。  
「ハウル」  
そんなにくっつくと、さすがに暑いわ、とソフィーがたしなめた。しかしハウルは  
答えず、彼女の首筋に顔を埋めている。  
離れようとしないハウルに焦れたのか、ソフィーは彼の手をとった。  
引き剥がそうとして、ふと動きを止める。  
「どうしたの?」  
手を持ち上げたまま固まっているソフィーを不思議に思ったのか、ハウルが  
声を掛けてきた。彼女はぼんやりと恋人の手に見入っている。  
「ソフィー?」  
 
「あ、ああ。いえ、あのね」  
そこまでいうと、ソフィーは彼の指に自分の指を絡めた。愛撫をするように  
するすると撫で回しながら、うっとり微笑む。  
「きれいだなぁ、って思ったの。私の手も、こんな風なら良いのに」  
確かに、ハウルの手は傷一つなく滑らかで綺麗だ。さすがに男の人らしく、  
大きく骨ばっているが、指はすんなりと長くて節々も目立たない。  
「そうかなぁ?結構傷も多いよ」  
ほら、といって彼は中指を動かした。見れば、付け根のところに  
白っぽい傷跡が見える。  
「それでも、私のよりずっと綺麗だわ」  
諦めとも羨望ともつかぬやり方で、ソフィーは眉を持ち上げた。  
彼女の手は家事を一手に引き受け、花屋を切り盛りする手だ。  
細かい傷は絶えず付いていて、爪も短く切りそろえられていて、優雅さに掛ける。  
「あなたの体はどこでも綺麗だけど、手もとても綺麗ね  
……ねぇ、やっぱり魔法使いは綺麗な人の方がいいの?」  
ソフィーが純粋な好奇心でかそう訊ねてきた。ハウルは少しだけ  
悲しそうな顔をしている。それでも、彼女は気付かず彼の掌を指でなぞっていた。  
「……そりゃ、美しいものには魔が宿るからね。力を持とうとするなら、  
美しいに越した事はないよ」  
「魔法だから、綺麗じゃないのね?」  
「どっちかって言えば、綺麗だから魔法、じゃないかな」  
 
ふぅん、とソフィーはハウルの胸元に倒れ込んできた。肩の窪みに頭を乗せ、  
上目遣いに彼を見上げる。  
「じゃあ、ハウルが力の強い魔法使いなのも納得だわ」  
ソフィーは微笑んでいた。でも、ハウルは険しい顔をしている。  
「どうしたの?」  
「……どうして、笑うの?」  
不思議そうなソフィーに、ハウルはきつい調子で訊ね返した。へ、と間抜けた  
返事をしてから、彼女は苦笑を浮かべる。  
「何で怒るの?笑うのはね、嬉しいからよ。ハウルがとっても綺麗だから、  
誇らしいの」  
「ソフィー」  
ハウルがたしなめるように名前を呼んだ。ソフィーはばつが悪そうに視線を下げる。  
「……調子に乗りすぎた?」  
確かに、今までの言い草はハウルのかつての恋人  
―――最も、誰も皆一晩限りの相手に過ぎなかったが―――の  
戯言と似通っていた。  
ただ、彼女達と違い、ソフィーの言葉には深い諦めと純粋な尊敬が浮かんでいた。  
自分は綺麗じゃないけど、恋人は綺麗で嬉しい。  
何故、年若い少女がそこまで言わなきゃいけないのだろう、とハウルは悲しく思う。  
ソフィー位の年頃なら、もっと自惚れていてもおかしくないはずなのに。  
 
「気に障ったなら、謝るわ……」  
子供のように頼りない調子で囁きかけてきたソフィーの唇を、  
ハウルは乱暴にふさいだ。彼女は驚いて目を見開いている。  
口付けはどんどん深まっていき、耐えられずに彼女は目を伏せた。  
彼女を抱きこんでいる腕は、きつく締まっていく。彼女の細い体は  
いつのまにか反転させられ、今は向かい合う形で抱きしめられている。  
「そんな事、言わないで……」  
長い口付けの後、ハウルがぽつりと洩らした。ぐったりとしていたソフィーが、  
視線だけで彼を捉える。  
「ソフィーは綺麗だよ。靭くて優しくて、とっても綺麗だ」  
それにね、とハウルがソフィーの手をとり、そこに軽く口付けた。  
それが御伽噺の王子様の様に見えて、ソフィーはただただ見蕩れていた。  
「この手は、暖かくて、優しくてつよい手だよ。僕を支え、助けてくれる大切な手だ。僕はね、この手よりも綺麗な手を見たことがない」  
ハウルの囁きは優しく、もう先ほどまでの剣幕はない。ソフィーはぼんやりと  
その言葉を貰った後、蕩けたような極上の笑みを湛えて彼に縋った。  
二人はきつく抱き合い、唇を重ねあった。花のような石鹸の匂いが濃く、  
白い湯気の立ち込める浴室に、密やかで甘い嬌声が滲み始めた。  
 

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