「戦争の後処理の為に、しばらく戦地に赴くことになった」  
帰ってきて早々、思いつめたような顔でハウルが言った。上着を受け取った  
ソフィーは凍りついたようにその場に立ちすくむ。  
「それって、危ないんじゃないの……?」  
震える声でソフィーが尋ねた。ハウルはぞっとするくらい冷えた色の瞳を伏せ、  
軽く頷いた。  
「多分ね」  
「行かないで!」  
ソフィーがハウルにすがりつきながら叫んだ。子供のような声音に彼は  
微かな苦笑を漏らす。  
「無理だよ。もう、決まったことだったから」  
ハウルが穏やかにいい、それがソフィーを戦慄させた。彼女はそれしか言葉を  
知らないのかの様に、行かないで、を繰り返す。顔を押し付けた彼の背に、  
じわりと涙がにじんだ。  
「……別れようか」  
ソフィーを分の腕の中に収めながら、ハウルは囁いた。彼女をあやすように背中を  
撫で、唇で髪に触れる。彼女はすすり泣き、ただ首を振った。  
「でも、君はまだ若い。やり直しが出来る」  
「………私たちが間違ってるみたいに言わないで……」  
激しい嗚咽の隙間から、ソフィーが低く吐き捨てた。ハウルは困ったように微笑み、  
そうだね、とだけ答える。  
「でも、君のためにも、それが最良だと思う」  
ハウルの言葉に、ソフィーが顔をあげた。ほとんど睨み付けるように彼の目を射抜き、  
駄々をこねる子供のような声で叫んだ。  
「絶対に嫌!絶対、別れない!」  
「……そう」  
ソフィーはわんわんと大声をあげて泣いていた。ハウルはただ静かに彼女の髪を  
撫でていた。二人はそのまま、微動だにしなかった。  
 
 ハウルが戦地に行ってから、もう二か月になる。彼はまだ帰ってこない。  
 
「じゃあ、次は来週にでも。旦那さんは?」  
眼鏡をかけた年寄りの医者に言われ、ソフィーは悔しさに身を焦がしながら  
首を振った。  
「……そうかい……堕ろすつもりは?」   
医者がさらりと尋ね、ソフィーは真っ青になりながらまさか、と答えた。  
それから、軽く笑って言う。  
「夫は今、戦地にいるんです。帰ってきたときに、子供がいると知ったら喜びますわ」  
その言葉に、医者の顔色が代わった。ひどく同情的な目でソフィーを見、うな垂れる。  
「……戦地に赴いたって事は、あんたの旦那さんは軍部の精鋭だね。  
言いたかないけど奥さん……昨日、軍の連絡が途絶えたそうだ」  
薄く開かれた唇は桜色。何か驚くと口を開いたまま固まってしまうソフィーの癖は、  
いつでもハウルを笑わせた。  
すまなかったね、と医者は呟き、カルテをしまった。来週またおいで、今日の分の  
お金はいいから、と幾分優しい調子で彼はいい、ソフィーを送り出した。  
 
自分の体に張り付く水の重みと冷たさを感じ、ソフィーは雨が降っていることを  
知った。ここはどこだろう、と周りを見回して、がやがや町の橋の上だと気付く。  
あたりは暗く、もう夜になっていた。  
「……つめたい」  
傘一つ持っていないことに気付き、ソフィーはため息をついた。錯乱していたから  
だろうか、昼間あの医者のところに行ってから今までの記憶がない。  
「何してるんだろう、私」  
呟いて嘲るように笑うと、ひどく惨めな気分になってきた。  
どうも、自分は妊娠しているらしい。今三ヶ月、だということは彼が出て行く前、  
いつかの夜の結果だろう。そうかも知れない、と可能性に気付いたときは喜びに  
震えた。彼の子が宿っている。確かな絆を得たことに、浮かれた。   
だが、昨日軍からの連絡が途絶えた、という事は、この子は父親のいない子に  
なるということだろう。彼が戻ってくる可能性は薄い。  
自分はどうやって生きていこう。自分には残された家族がいる。マルクル、  
カルシファー、おばあちゃん、それにヒン。残してくれた花屋もある。子供を  
育てていけないわけでもない。だけど、父親のない子を産んで育てて守って  
……ぞっとした。  
自分はまだたったの18だ。そんな重圧に耐えられない。自分を支え、守り、  
包んでくれるあの腕がないなら、きっと―――。  
 
自分の体に張り付く水の重みと冷たさを感じ、ソフィーは雨が降っていることを  
知った。ここはどこだろう、と周りを見回して、がやがや町の橋の上だと気付く。  
あたりは暗く、もう夜になっていた。  
「……つめたい」  
傘一つ持っていないことに気付き、ソフィーはため息をついた。錯乱していたから  
だろうか、昼間あの医者のところに行ってから今までの記憶がない。  
「何してるんだろう、私」  
呟いて嘲るように笑うと、ひどく惨めな気分になってきた。  
どうも、自分は妊娠しているらしい。今三ヶ月、だということは彼が出て行く前、  
いつかの夜の結果だろう。そうかも知れない、と可能性に気付いたときは喜びに  
震えた。彼の子が宿っている。確かな絆を得たことに、浮かれた。   
だが、昨日軍からの連絡が途絶えた、という事は、この子は父親のいない子に  
なるということだろう。彼が戻ってくる可能性は薄い。  
自分はどうやって生きていこう。自分には残された家族がいる。マルクル、  
カルシファー、おばあちゃん、それにヒン。残してくれた花屋もある。子供を  
育てていけないわけでもない。だけど、父親のない子を産んで育てて守って  
……ぞっとした。  
自分はまだたったの18だ。そんな重圧に耐えられない。自分を支え、守り、  
包んでくれるあの腕がないなら、きっと―――。  
「……ハウル……」  
 
声にした途端、暖かさが胸いっぱいに広がった。世界が急に色づいてみえる。  
舗道に降り続く銀の雨。冷ややかで気高いそれを美しいといったのは、  
自分だったろうか彼だったろうか。ふと川を見れば、増水してごうごうと蠢いている。  
霧があふれ返り、妖しくも美しい。あの霧を切り取ってショールに出来るなら、  
君にあげるのにね、と言われたのは一体いつのことだったろうか。そんなの  
要らないわ、なんて言わないでありがとうと返しておけばよかったと、途端に  
後悔に駆られる。木々の間から零れる星明り。雨はいつのまにか弱まり、雲間から  
星も月ものぞいている。  
何てことのないものを、特別に見せるのは彼の才能だった。それは自分を楽しくさせ、  
心を暖めてくれた。  
「………あの人、何も知らない…」  
まだ膨らんではいない腹部に手を当てる。幸せだと思った。泣きたいくらいに。  
でも、同じだけ不幸だと思う。   
川面に、彼の面影を見た気がして、思わず手を伸ばした。ぐらりと傾ぐ世界。  
慌てて桟をつかんだ。スカーフがひらりと落ち、ゆらりゆらりと飛んで川面に  
着水した。  
「あ……」  
藤色の、気に入りのだったのに。とても似合うって、言ってくれたのに。  
涙は際限なくあふれ、頬を焼いては落ちていく。ぬぐってくれる手が欲しい。  
慰めてくれる声が欲しい。抱きしめてくれる体温が欲しい。  
「ねぇ、君、どうしたの?」  
泣いていると、若い男性が声をかけてきた。思わず彼に似ているところを探し、  
どこにもそれがないことに気付いてまた悲しくなった。たっと駆け出す。  
 
雨がまたひどくなってきた。路地裏はもっと冷たく、息があがった。こんなことを  
して、とお腹に手をやって申し訳ない気分になった。  
「大丈夫よ、まだ道はあるから」  
呟きに、悲しみと苦しみと、そして力強さがにじんだ。  
 
家路を急ぐ足。ブーツの先が雨水で黒く濡れている。白黒の世界を駆け巡る足。  
彼のいない世界は、無色で、冷たくて、優しくない。  
自分の世界は彼なしには回らない。彼がいないなら、川も、木も、雨も、みんな  
ただのものに過ぎないのだ。そんな簡単なことを思い知りながら、足を進める。  
愛している。愛している。愛している。  
でも、それは自分だけだったのかもしれない。  
 
扉に手をかけ、ソフィーはため息をついた。もしかしたらこの先に、彼がいるかも  
しれないと、もう何度期待しては裏切られただろう。  
「あの人の世界は私なしでも変わっていく。変われないのは私一人。私、一人だけ」  
呟いて扉を開けた。次の瞬間、ざぁざぁという雨の音の中、ソフィーは立ちすくんだ。  
そして、そのままへたり込み、泣き崩れた。  
手を離された扉が、ばたりと音を立ててしまった。  
 

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