その日、ハウルが城に帰り着くと、そこには既に彼の妻も戻って来ていた。夏の、幾日か  
続いた暑い午後だった。  
「おかえりなさい。早かったのね」  
 微笑んで出迎えたソフィーの背を片手で抱いて、ハウルは唇を彼女のこめかみに掠めさせた。  
「ただいま。ソフィーも今日は早いね」  
 普段なら、彼女はまだ花屋にいる時間だった。手伝うという口実で彼女の所に行こうかと  
思っていたハウルは、思いがけず出迎えてもらえたことが嬉しかった。  
 マルクルが乳鉢を持ったまま、おかえりなさい、と飛び出してくる。それに微笑みかけて  
応えてから、ハウルはソフィーの顔を覗き込んだ。  
「今日はもうお終い?」  
 ソフィーは「ええ」と返事をして、ハウルの腕を離れ、ちょうど沸いたばかりのお湯を  
使って人数分のお茶を淹れた。風通しのいい中庭で昼寝と読書の間を行ったり来たりして  
いる元魔女のところへ、お茶を運ぶとすぐ戻ってくる。スカートを閃かせて軽やかに働く  
彼女を、椅子に座ったハウルは心地良く眺めている。  
「――今日はもう花が売りきれてしまったの。時間が余っているので、ゆっくり買い物に  
行けるわ。マルクルが港町へ届け物に出掛けるので、その時に一緒に出るわね」  
 ソフィーはマルクルを振り返り、マルクルは頷く。どこかへまじないを届ける約束を  
したのだろう。先ほどの乳鉢の中身が入った小袋が、テーブルの上に置かれている。  
「ぼくも行くよ。ここでぼんやりしててもつまらないし」  
 ハウルの言葉にソフィーは微笑んだ。  
「じゃあ、重たいものは全部ハウルに持ってもらおうかしら」  
 悪戯っぽい口調で言う。ハウルはソフィーの前に立ち、恭しく礼を取った。  
「仰せのままに。どんなことでもお申しつけ下さい」  
 そして、ほんの少し赤くなったソフィーの頬を確認すると、声を上げて笑った。  
 
 
 港町のドアから通りへ出ると、風がさっと頬を撫でた。凪になるまでまだ時間がある。  
強い海風が汐の匂いを運ぶ。ソフィーがこの町から見える海が好きだと言っていたので、  
ハウルはこの町に再び城の出口を繋げた。朝早く捕れたての魚を買いに来ていた老婆の  
代わりに、不思議な色合いの銀の髪の若い奥さんが見掛けられるようになったのは、それ  
からである。  
 三人は、坂道をゆっくり下って行った。道々でソフィーは町の人に声を掛けられては、  
挨拶を交わす。「ご亭主かい」と問いかけられて、まだ初々しい若妻が恥ずかしそうに  
夫を紹介するのに合わせて、微笑みと会釈を返すハウルは、それを、穏やかで幸せな光景  
だと思った。そこに当たり前のように自分が含まれていることが、不思議なことに感じる。  
偽名を使ってこの町でまじないを売っていたのは、そう昔のことではないのに。  
 通りがけに小さな買い物をしながら坂を下りきると、少し開けた広場に出た。港と海が  
間近に見渡せ、ベンチで休む老人や、追いかけっこをしている子どもたちがいる。賑やか  
ではあるが、落ち着いた雰囲気があった。ここで別れるマルクルをハウルは呼び止め、  
小銭を渡しながら、広場に面した一軒の店を示した。  
「一休みしようよ」  
 そう言って、ソフィーを木陰のベンチへ座らせる。しばらくして、店の窓からマルクルの  
顔が覗く。ハウルはソフィーに「ちょっと待ってて」と言い置いて、店の方へ歩き去った。  
店の中に入り、入り口のドアが閉じる直前に振り返ると、海を眺めるソフィーの星色の髪が  
潮風に揺れて煌めくのが見えた。  
 
 
「ソフィー」  
 振り向いたソフィーに、ハウルは片手に持ったものを差し出した。彼女に受け取らせると、  
隣に腰を下ろす。通りでアイスクリームを片手に手を振るマルクルに、手を挙げて応えると  
自分は飲み物のコップに口を付けた。  
「アイスクリームってさ、デートっぽいよね」  
「……ありがとう」  
 ソフィーははにかんで礼を言うと、三角のコーンの上に盛られた冷たい甘味に口を寄せる。  
唇と唇の間から覗いたピンクの小さな舌先の動きを、よく知っているように思えて、ハウルは  
首を傾げた。柔らかく押し当て、ペロリと舐め上げる。――何だったっけ?  
「ずっと不思議に思ってたことがあるの」  
「何?」  
「アイスクリーム。こんなに暑いのに、どうやって冷たくしてるのかしら。ねえ、物を  
冷やす魔法ってあるの?」  
 軟らかくなった部分を、溢さないように大きく舌で舐めとる。  
「あることはあるけど、継続して冷やすのは大変かな。魔法を使うのを休むと溶けてしまう  
から。――アイスを作る場合、温度を下げるのには氷を使う。でも、魔法もあれば便利だね。  
ソフィーもよく知ってる魔法だよ」  
 溶けかかって、丸みをおびた頂点の部分に、直に唇を付けて吸う。  
「よく知ってるの?魔法使いじゃなくても使える魔法?……何か魔法のかかった道具なのね」  
「そう。今日も使った。だから港町まで簡単に買い物に来られる」  
 唇についた甘さを舌で舐める。  
「わかったわ。扉ね」  
 
「うん。高い山から氷を切り出してくるんだ。本当ならすごく大変なんだけど、氷室に  
運び入れる時に魔法で空間を繋いでしまえば、楽に持って来られる。氷室の氷もわざわざ  
暑い街まで持ってこなくてもいいんだ、店と氷室を扉で繋げばいい」  
「あのお店で、魔法使いが働いているの?」  
「うん。キングスベリーにも同じ店があるよ。あそこはね――」  
 ハウルは声をひそめた。  
「サリマン先生がオーナーなんだ」  
「え?」  
「人にまかせっきりらしいけどね」  
 目を丸くしたをソフィーを見て、ハウルは微笑んだ。今、キスしたらすごく甘いだろうな、  
と考える。彼女の唇と舌の柔らかさは、いくら味わっても飽きることはなかった。この前の  
時など、ハウルの身体の一番敏感な部分で、それを教えてもらったことだし――。  
「あ!」  
「どうしたの?」  
 突然思い至ってしまい、思わずハウルは声を上げた。アイスクリームを舐める舌の動きを、  
知ってるような気がするのは当然だった。彼はそれを身をもって知っていたのだし、そもそも  
彼女にそういったことを手ほどきしたのは、彼だったのだ。  
「ハウル?」  
「いや――あの、何でもないんだ」  
「そうなの?――あ!」  
 今度はソフィーが声を上げた。  
「何?!」  
「やだ、溶けちゃう!」  
 
 ソフィーの手元で、アイスクリームが崩れかかっていた。ハウルはカーッと顔が熱く  
なるのを感じた。この前の夜、同じセリフを言われた。その時の彼女は、切なげに瞳を  
潤ませて、とても可愛らしかった。  
(こんなところで思い出しちゃダメだ!)  
 ハウルはどうにか、頭の中に溢れてくる記憶を押し留めようとした。――と。  
「ああ!」  
 ハウルはビクリとして、思わず声を上げた。溶けかけたアイスクリームを、ソフィーが  
ぱくっと咥えたのだ。そのまま、声を上げたハウルを上目づかいで見て、「どうしたの?」  
と瞳で問いかける。  
「――っ、な、何でもないんだ、ごめんね。えーと、溶け落ちそうだなって……」  
 顔が熱い。掌が汗ばむのを感じる。ソフィーの顔を、まともに見られない。カリ、と  
コーンの端を齧る音がした。  
「ハウル」  
 ソフィーがハウルを呼ぶ声と同時に、コーンを持った手をふっと突き出される。コーンの  
中には、まだアイスクリームがたっぷりと残っており、齧り取った部分から剥き出しに覗いていた。  
「食べたいの?」  
「…………」  
「どうぞ」  
 ハウルは、ソフィーの手首を包み込むように掴んだ。彼女の顔を見ないように軽く瞳を  
伏せて、誘われるままに柔らかなアイスクリームを唇で食んだ。食べたいと思ったのは、  
アイスクリームではないのだけれど。  
 
「……ぁ」  
 ソフィーが小さく、驚いたような声を発した。ハウルは思わず彼女の顔をふと見て、  
指先にツキンと冷たく甘い緊張が走るのを感じた。  
「――あ、暑いわね!やっぱり。早く買い物を済ませて、帰らなくちゃ!」  
 ハウルの手から脱け出してくるりと背を向けてしまったソフィーの、髪から覗く耳が  
赤くなっているのを、ハウルは見逃さなかった。残ったコーンを齧りながら、そのまま  
足早に歩き出してしまったソフィーの背を、追いかける。顔の熱りはまだ引かないが、  
暑さのせいにしてしまってもいいだろう。ソフィーだってそうしたのだから。  
 スタスタと極端に早く歩く、ソフィーの足取りが愛しかった。それは彼女が照れている  
ことを表していたから。港の方へ向かうソフィーは、風に向かって歩いて行く。風はいつも、  
彼女の方からふいてきていた。  
 
 
 ハウルは熱い風を思いきり吸い込んで、ソフィーの横に追いつく。気付いた彼女が歩調を  
緩めるのに合わせて、一緒に歩き出した。  
 
 
<了>  
 

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