ある公務で彼はこの町を訪れた。わずか二日間の滞在に空き時間など無かったが、無茶苦茶な言い訳をして抜け出した。常日頃真面目な王子の珍しい行動に従者も驚き、渋々ながら車を出した。  
 
 復興しつつある町の、前と同じ場所に店を再建したともらった手紙には書いてあった。――再建と言っても魔法でやったのだろうけど。その魔法使いをはじめ、‘家族’の顔触れを思い浮かべて王子の顔は自然とほころんだ。  
前と同じ住所と言われても、呪いのかかったカカシだった彼は住居には入れなかったから、住所云々以前に店を訪れるの自体初めてだ。だから車が到着したのも彼にとっては不意で、まだ心の準備が出来ていなかった。  
 
 やや扉の前で逡巡し、ようやく手をかけ開けようとしたそのとき、扉が内側から大きく開き、聞き覚えのある快活な男の声が頭の上から降ってきた。  
「いらっしゃい!  
 お久しぶりです、王子様。」  
「… ――どうぞ、以前のようにカブと呼んでください。」  
「そんな!僕ら家族の命の恩人に向かって!」  
一瞬の後、互いに堪えきれず大きく笑い合いながら抱き合った。  
 
 
「ソフィー! ソフィー!! 王子だよ!カブ王子のご到着だ!」  
ハウルが店の奥に声を掛けると、やや間があって慌ただしい足音が聞こえ、あの愛しい少女が息急き切って姿を見せた。  
「カブ!!!…あ、王子様!」  
慌てたせいか紅潮した頬がいっそう可愛らしい。  
「カブ、です。  
 今までどおりに呼んでください。」  
にこやかに笑うつもりが、ついつい、満面の笑みになってしまうのが自分でもわかった。  
 
 今日は時間が無い、挨拶だけで暇すると言うと、ソフィーはひどく残念がり傍らの恋人を見上げた。  
「王子が長居したくないと言うのならしょうがないけど、もしそんなことないのなら、僕にちょっと任せてくれないかな?」  
どうやら表で待つ従者にイタズラをしかけてくれるらしい。  
「マルクルも、もうすぐお遣いから帰ってくるの。ね?カブ、少しだけ。」  
ソフィーにそう言われて、断ることができようか。  
「ソフィー、庭に案内してあげたら? 店は僕がいるから」  
「ええ、そうね。ハウル、お願い」  
――ちゅっ。  
 少女が恋人の頬にキスする様はあまりに自然だった。どうやら妬く暇すら与えてくれないらしい。そう思って、くすりと嘲った。  
 
 少女に導かれて階段を上がる。と、初夏の匂いの風が脇を吹き抜けていった。こじんまりとした居心地のよさそうな居間の向こう、青く澄み切った空と遥か遠くにそびえる山々が目に飛び込んできた。  
「素敵でしょ?ハウルが作ってくれたの」  
彼女が言わんとするのはこの、テラスにはちょっと広い芝を張った庭。ちょっとした屋上庭園だ。  
「えぇ――すばらしいですね」  
普段の自分には縁遠い、うつくしい景色に目を細め、深く空気を吸い込んだ。  
 
「ふふ。カブとこうして話すの、変な感じね」  
少女はテーブルの上にティーカップを置くと、王子の向かいに座った。  
「そもそも、私はしゃべれませんでしたからね」  
「そうだったわ!カカシだったんだもの!」  
 そうして二人して笑い合い、他愛無い話をし、紅茶を啜った。  
 
 話が途切れ、ソフィーがうーん、と小さく呻きながら伸びをした。風を感じているかのように、両手をのばしたまま目を閉じ天を仰ぐ。  
 
 その表情は愛らしく、透明で。どうあがいても自分の手は届かないと思い知らされるほどに清らかな――  
見つめる王子の胸は、甘やかで鈍い痛みに疼いた。  
 
呪いを受けて老婆だった彼女に自分が感じたのは、母性だったか? 孤独な自分に目を向けてくれたし命の恩人でもあるのだから、彼女を救ってやりたかった。  
それは無理としても、なにかしら力になりたくて…何より、彼女の人柄が自分を引き付けてやまなかった。  
――いつからだろうか、可憐な少女の‘彼女’への恋慕に気持ちが変化してしまったのは。  
 
 今、目の前の彼女に老婆の面影はない。いや、くるくると動くちゃめっけたっぷりの瞳は同じだけれど。  
 化粧をしているわけでもないのに、頬は白桃のようにほんのり紅く、唇はつややかで。  
淡い色のドレスを着た彼女は、陽光の中、背にした木の満開の花に溶け込むように、薄紅色に輝いて見えた。  
 眩しかった。  
 まともに見ていられなくて、目を細めた。  
 彼女を美しくしているのは、まちがいなく、――  
 
自らその答えに気づかないふりをしていながら、結局思い至るのはそこか。王子は思わず苦笑した。  
 
美しく、愛らしく輝く彼女。きっと傍にいるのが自分では、彼女を同じようには輝かせられない。  
それはとても口惜しくて切ないことだったが、輝く彼女を見りことでこの胸に溢れる甘やかな想いもまた、幸せなのだと思い知った。  
「な、なに?カブ。」  
王子が微笑みながら自分を見つめているのに気づき、ソフィーは顔を赤らめた。  
「いえ、…幸せなんですね、と思って。」  
 
貴女が、幸せでありますように。 いつの世も。 何年たっても、百年先までも。 いつまでも、幸せでありますように――  
 
その願いを、祈りで終わらせはしない。  
この願いを現実にできるちからが、自分にはある。  
そのための、あの居場所なのだろう。  
 
 その考えに思い至ると、さっきまでの切なさとはうってかわった何かが胸の内に湧きあがり、弾かれるようにして立ちあがった。  
「さて。お暇します。公務が大事だってこと、思い出した。」そう言って一度、片目を瞑った。  
「また、お茶をご馳走して下さいね、ソフィー」  
 
 ‐ ‐ ‐  
 
 ちょうど帰ってきたマルクル(とヒン)とも再会を果たし、王子は去った。出掛けていた荒地の魔女だけが残念がった。  
「あらぁー、見たかったわぁ、ハウルと王子とのご対面。」  
 きょとんとする一同。  
「あら、ソフィーを口説きにきたんじゃなかったの?あたしゃてっきり…」  
「マダム!そそそそれはどういうことですか!?ソフィーっ?!」  
「知らないわ、なんでもないわよ」  
「…なんということだ!  
 最悪だ!!この世の終わりだ…!」  
「きゃーっ!ハウル!やめて!」  
「やめろ、ハウル!!やめてくれーーーっ」  
 
END  
 
 

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