月のない夜だった。
月はないが、その分空一面に星が散り、草原は充分に明るかった。遠く、梟が鳴いていた。
太公望は、一人、山中で木を背に横たわっていた。
こんな夜は、決まって夢を見る。
否、それが夢なのか、太公望には判然としなかった。
現なのかもしれない、と思うたび、現であると望んでいるのかと問う声が聞こえ、
夢に違いないと思う。その繰り返しだった。
夢は、妲己の形をしていた。
「太公望ちゃん……」
月のない、けれど明るい夜。
夢は、当然のように忍び寄ってきた。
「おひさしぶりねん」
頬に触れる妲己の手は、薄い燐光を纏い透けていた。
着衣は、初めて会ったときの黒い装束のようにも、最後に見たときのようにも、
また王天君として会った狐のようにも見えた。
纏った衣類ごと体が透けて、地面でそよぐ草の様子が見て取れた。
「あらん? 今日は伏儀ちゃんじゃないのねん」
太公望の目の下をなぞり、妲己が笑う。
諦めたのん?
語りかける目を無視し、太公望はただただ視線を前方に投げかけた。
そこに、妲己など存在しないかのように。
頑なな太公望に、けれど妲己は笑った。
楽しくてしかたない。可愛らしくてしようがない。……愛しくて堪らない、というように。
妲己の笑う気配に、太公望は苛立った。苛立つ自分を悟られないよう努力した。
戦いが終わり、覚悟した死から助けられ、突如開けた明日に、初めは呆然とした。
歴史を変えた、しるべを失った。開放感と喪失感、爽快と恐怖を抱え、惑うままに姿を隠した。
飄々と流れるように過ごしながら、けれど適応するのも早かった。
これからは面白おかしく生きよう。そう生きれるのだから。
そう考えられるのに、一月とかからなかった。これは太公望の天性だろう。
さて、どんな風に登場すれば皆は仰天するだろう。
桃を囓りながら肩を震わせていた頃に、新月はやってきた。
透ける妲己は、驚き慌てる太公望に童女のように無邪気に笑い、触れてきた。
太公望の質問をはぐらかし、追求をかわし、真剣な様子をからかった。
そして、そして……。
太公望は、きっと奥歯を噛みしめた。
あの再会の夜以来、彼は彼女を退ける有りとあらゆる努力をし続けてきた。
時に伏儀として能力の限りを尽くし、時に街人に紛れて一晩を騒ぎ明かそうとした。
けれど、どれも徒労に終わった。過ぎた努力を思い出したのか、妲己が唇端をつり上げた。
「もぉ、街にはいかないのん……?」
声は、蜜のように甘い。
鼓膜から毒を流し込まれたように、太公望の体が小さく跳ねた。反応する自身の体を、
太公望は恥じた。
それは先の新月の夜だった。
太公望は、わざと昼のうちに街に立ち寄った。人の多い、けれど団結力の強い騒がしい街。
薬を売り、病を治し、天気を占い。街人は太公望を歓待した。酒に踊りに肴に桃。
赤々燃えるたき火の炎。
それでも、妲己を払うことは出来なかった。
やはり妲己は現れた。薄く透けた体で笑い、燐光を纏う腕を太公望に這わせ、唇で−−。
浮かれ騒ぐ人々の喧噪の中で、踊る娘達の前で、感涙にむせぶ老人の前で。
ギリ、と更に強く奥歯に力を込めた。
けれどそんな努力をあざ笑うように、首に柔らかく腕を巻き付け、妲己は耳元で囁くのだ。
「わらわはとっても興奮したわん。羞恥に悶える太公望ちゃん……」
瞬時に脳裏に情景が蘇る。脳が煮えるかと思った。
祭りの囃しに紛れるように、いつの間にか背後から回された両腕。
誰にも見えないわん、と囁く声。太公望ちゃんだけよん。
振り払おうとしても無駄だった。腕は、服の上から全身を撫でさすり、首筋を擽り、
両の耳を愛撫した。
服の隙間から浸入する指から逃れようと身を捩る太公望に、街の者達は無邪気な目を向けるばかり。
虫が入ったのだ。もう問題ない。そう誤魔化す間も、妲己の唇がうなじに吸い付く。
わらわの方が、ずっと楽しませてあげるわん
そう囁いて、着衣のままの太公望の前に跪き、大きく口を開いて。
炎に光る濡れた舌まで思いだし、太公望は唇に歯を立てた。その唇を、妲己の指がなぞる。
「あん、だめねぇん、太公望ちゃん。自分に傷をつけちゃぁん」
五月蠅い、狐。わしが自分をどうしようと−−
「太公望ちゃんを傷つけるのは、太公望ちゃん自身でも許さないわん」
頑なに妲己から視線を外し、口を開かない太公望に、妲己は笑った。
笑うまま、顔の輪郭をなぞるように唇を這わせる。
「太公望ちゃんは、わらわが傷つけてあげる。傷つけて、ボロボロのぐしゃぐしゃにして
あげるわん」
びく、と大きく震えたそれが、妲己の頬を叩く。わずか跳びちった汁を、妲己は舌で舐め取った。
「だめよぉん、太公望ちゃん。もっとお行儀よくしなきゃぁん」
太公望は、変わることなく前方を見据えていた。
けれどその両目は潤み、頬は上気し、呼吸はうわずり乱れていた。
太公望の衣類は、大きくはだけられていた。抵抗はしなかった。しても無駄なことを、太公望はすでに思い知っていた。
妲己は、実体を持っているかのように太公望に触れられたが、太公望から触れることは決して出来なかった。
爪一枚まで完璧に美しい光の女は、太公望に口づけながらその衣類を脱がし、あらゆる場所に口づけた。ぬらぬらと光る舌で全身を愛撫した。
そして、その舌は、いま太公望の肉棒にまとわりついている。
「……っく」
裏筋を広げた舌でざらりと舐め上げられ、堪らず喉が鳴る。思わず目を瞑ると、
性感が増した瞬間を狙いすますように、爪が先端の穴を穿った。
「……はっ、……く、ぁ」
「もっと声を出していいのよん、太公望ちゃん? そうした方がもっと悦くってよん?」
肉棒に舌を這わせながら、妲己は言った。爪を先端の穴に痛むほど差し込み、
溢れてくる液をすすっては「おいしぃん」と陶然とした声を上げる。
竿の下についた二つの袋をやわやわと片手で揉み、もう一方の手で根本を扱きながら、妲己は唇を淫靡に舐め上げた。
「でもぉん。そうやって耐える太公望ちゃん、とっても素敵よぉん。
どこまで耐えられるのか、わらわに見せてぇん」
吐息に溶かすように囁いた唇が、肉棒の先端をずるりと飲み込んだ。
「くっ、っは……」
太公望の喉が鳴る。堪らず顔が天を仰ぐ。
先端を締められ、吸い上げられる。刺激に腰が浮く。タイミングを見計らったように、
喉の奥まで飲み込まれる。
舌が絡みついて浮き上がった血管をなぞる。睾丸を指で転がされる。陰毛を擽られる。
先端が喉に当たり、飲み込まれ、締め付けられた瞬間、急激な射精感に飲み込まれた。
だが。
「だめよん」
ぎゅっときつく、妲己の指が肉棒の根本を握った。痛みに、快楽が一瞬遠のく。
だが、先端を飴のようになめ回されると、快楽はまた怒濤のように蘇った。射精を
せき止められ、出口のない快感がマグマのように暴れ回る。
「まだイっちゃだめん。わらわにもっと悦い顔を見せてぇん」
膨れあがり、小さな穴がぱくぱくと開いてさえいる先端に口づけながら、妲己は無情に
言い放つ。太公望は、思わず顔を下向け、妲己の顔を間近に見返した。
初めて合わさった視線に、妲己は満足そうに微笑んだ。
「そうよぉん、太公望ちゃん。よぉく見ててぇん。わらわが、太公望ちゃんを飲み込む
トコロ」
目を伏せ、唇を大きく開き、妲己が顔を沈める。半透明な唇、口、頭、顔を通して、飲み
込まれた肉棒が太公望の目に映った。
暖かい妲己の口中で、生き物の様にあばれる生々しい肉棒が、舌で上顎に押しつけられる。
すぼめた両頬に挟まれて、扱かれ、先端から汁をこぼす。
こぼした汁が舌を伝って喉の奥に飲み込まれる。
全て、余すことなく見せつけられた。一度見てしまうと、もう目をそらせなかった。
透けて光る妲己ごしに見る男根は帳ごしに見る景色のように不確かに見え、
けれど与えられる快楽は圧倒的に現実的で頭が混乱する。
「太公望ちゃん、欲しい、って言ってぇん。そうしたら、わらわが最高の快楽をあげるわん」
根本をきつく戒めたまま、妲己が股間で囁く。唾液と汁で濡れそぼった男根に吐息が触れ、
震え上がるほど快かった。
「ねぇん。たった一言言うだけよぉん? 簡単でしょぉん」
裏筋を尖らせた舌でなぞり上げながら、妲己が太公望を見上げる。わざと視線を合わせた
まま、微笑んで先端だけを飲み込み、窄ませた頬でしごく。
出口をなくした精子が、頭の方まで昇ってきて暴れ回っているような気がする。
耳元でドクドクと血流が渦巻いて五月蠅い。
快楽の余り、気が狂ってしまいそうだ。狂ったらもっと悦くなれるだろうか。
出したい。
「言ってくれたら、ぜぇんぶ飲んであげるわん……」
たった一言。
一言でいい。
「わらわを欲しがってぇん、太公望ちゃん」
解放される。
太公望は目をきつく、痛みを感じるほどに瞑った。奥歯を噛みしめ、両目を開く。
「おぬしは、何を欲しがっておる、妲己」
震え、掠れた声で、太公望は聞き返した。
「わしの元へ現れ、おぬしは何を望むのだ」
肉棒から口を外し、妲己は口角を上げた。
「わらわを欲しがってはくれないのねん、太公望ちゃん」
きつく締められていた指が外れる。膝立ちに立ち上がり、両手を太公望の首に回す。
「わらわを手に入れたら、太公望ちゃんに出来ないことはもう何もなくなるわん」
耳に柔らかく歯を立てられ、太公望の背筋が震える。
「でも、それを望まない太公望ちゃんだから、わらわは貴方が大好きなのよん……」
声は吐息に溶かされ、耳から入って脳をとろかすように響いた。
「妲己……」
思わず腕を上げかけ、けれど妲己に触れることなく下ろす。
太公望に抱きついたまま、その動きの逐一を悟った妲己は、物も言わず太公望の体を跨いだ。
腰を、太公望に近づける。太公望の肩に手をかけ、上体を起こす。
「わらわが欲しいのは太公望ちゃんよん」
腕一本分の距離から太公望を見つめ、妲己は唇を舐めた。
「だから、もらう事にするわん」
そしてゆっくりと、見せつけるように腰を落とす。
衣類を纏っているようにも見える妲己の胎内に、けれど男根は何の抵抗もなくズブズブと沈んだ。
「うぅ、……く、ぁっ」
熟れきった果実にナイフが埋まるように、自身の分身が柔らかな内部に包まれていく。
脳内に熱湯を注ぎ込まれるような快楽に、太公望は背をのけぞらせた。
全てを飲み込まれた衝撃に、堪らず欲望が爆発した。
「あぁん、いいわぁ、ん……。熱いぃん」
指を噛みながら、妲己が歓喜のため息をこぼす。快楽に震える腹に、
内側から白い飛沫が飛び散って広がる。
「ぁぁ、ぁ、ぁん……とっても美味しいわよん、太公望ちゃん……」
腰を前後に揺らしながら、妲己が囁く。
飲み込まれるように、腹中に広がっていた白いもやが霧散して消えていく。
自分の子種を妲己が飲み込んだのだ。文字通り、体中で。
そう考えた瞬間、ドクンと再び肉棒に血が集まる。妲己が、ぁん、と小さく喘いだ。
「すごいん、太公望ちゃん。もっと大きくしてぇん」
自分の中に埋め込まれた男根を見せつけるように、妲己が体をのけぞらせる。
後ろに手をついて、腰を前後左右に揺らし、膣全体で締め付けてしごき上げる。
痛いほどに締め付けられ、ふっと緩まされた瞬間、とうとう我慢の糸が切れた。
「あぁんっ!」
妲己が高く鳴く程に、腰を強く打ち付ける。ぐちゅぐちゅと濡れた音が立つ。
豊満な胸がゆさゆさと揺れる。もう無我夢中で太公望は男根を突き上げた。
「あん、あん、あぁんっ。大きいん、大きいわぁん。もっと、もっと奥までぇん」
奔放に喘ぎながら、太公望を煽る妲己に脳が沸く。余裕をはぎ取って哀願させたいと思う。
けれどそれが叶ったことは一度もなかった。
「太公望ちゃん、もっとぐちゅぐちゅにしてぇん」
淫らに腰を踊らせた妲己に飲み込まれそうになる。快楽のあまり腰がガクガクと震える。
あっと言う間に復活させられた肉棒は、早くも限界を迎えようとしていた。
余裕もなくただガンガンと突き入れ、妲己の体を使って男根を扱き上げるような動きしか
出来なくなった太公望に、妲己が上半身を起こす。
「あふぅん……」
角度が変わり、当たる場所が変わって新しい快楽の吐息を吐きながら、細い肢体が抱きついてくる。
豊かな胸が押しつけられて柔らかく潰れる。
「太公望ちゃん……わらわに出して」
情事の最中に似つかわしくない、静かな水のような声で、妲己はねだった。
太公望はきつく奥歯を噛みしめ、ぐっと力を込めた腰を妲己の中へと突き入れた。
「あん、あぁんっ! もっとぉ、もっとずんってしてぇんっ」
耳元で喘ぐ声に引きずられ、腰を乱暴に打ち付ける。ぱんぱんと乾いた音が高く響く。
呼吸が乱れる。腰を押しつけ合うタイミングが合い、乱れ、また合わさる。
深く深くねじ込もうと、太公望の手が妲己の腰へと回される。
だが、両手は柔肌を掴むことなく、むなしく空中を掻いた。
つかみ損ねた両手を、思わず見つめる。耳に、妲己が唇を寄せた。
「駄目よん、太公望ちゃん……今は、何も考えては駄目ん」
引き絞るように膣に力を込め、
「あぁん、いい、いいぃん!」
我を忘れたように淫らに嬌声を上げる。それから目をそらすように、太公望は両目を強く瞑った。
その顔は、快楽に歪んでいるようにも、苦行を堪え忍んでいるようにも見えた。
それを確かめ、妲己の顔が笑みに歪む。
「あ、あ、あっ。だし、出してぇ、わらわに出してぇんっ!」
ひときわ激しく踊った腰に、太公望の眉根が寄った。男根から白濁が飛び散る。
びくびくと激しく痙攣した肢体が、やがてくたりと太公望に寄り添う。
二つの荒れた吐息が夜に吸い込まれる。
時間をかけて、吐息は徐々に収まっていった。体の熱も。そして。
「……おぬしの、望みはなんだ」
真摯な眼差しが、妲己を真っ直ぐに見つめた。
「おぬしは何を望む、妲己」
視線の先で、とろけきった表情を消し去った妲己が、ただ婉然と微笑んだ。
「女の秘密を知りたがるなんて、野暮ねぇん、太公望ちゃん」
その笑みが、儚く薄まった。太公望が吐き出した白濁に染まるように、妲己の体がぼやけ始めた。
「また逢いに来るわん、太公望ちゃん。その時には、わらわのものになってねん」
消えゆく妲己に、太公望は言葉をかけなかった。かけても無駄であることを、太公望は既に知っていた。
ただ、一度として妲己に触れることの叶わなかった手を、爪が食い込むほど強く握った。
翌朝、太陽と共に目覚めたとき、太公望の周りに昨夜の痕跡は何一つなかった。
はだけられたまま直した覚えのない服は、眠りについたときと同様きっちり着込まれたままだった。
夢の残滓を追うように、太公望はしばし動かず、体の隅々を探った。
どこかに、妲己の痕跡がないか。傷の一つ、痕の一つでも良い、残されていないか。
だが、それはやはり徒労に終わった。
そして太公望は立ち上がり、思うのだ。あれは、夢に違いない、と。
現であれば、今度こそ、自分が妲己を取り逃がすはずはない。
最後に伸ばした手が、再び彼女に届かぬはずはない、と。
自分に言い聞かせるように、思うのだった。
終