天の青さの下。
そこには目も眩むような豊穣の大地も煌びやかな宮殿も、まして酒池肉林などといった陳腐な楽園の姿は欠片も無い。
吹き渡る風。ぐっと近く見える太陽に照らされて立ち上る草いきれ。風景自体は地上でも眺められるものだが、しかしここは地上とは違っていた。
ここの住人には争いが無い。ただ穏やかに羊を飼い、作物の世話をし、外の世界を知ることなく土に返っていく。
世の中から逸脱した、蒼穹の向こうの、雲に包まれた霊峰。その自若を丸ごと体現したような天涯の主を求め、ひとりのまれびとが岩間に降り立った。
「まだ、このような場所が残っていたのか……」
まれびとは仙人であった。
いつも碧空に漂っていた崑崙山の浄室、常にその中で過ごしてきたまれびとをして感嘆せしめるほど、汚濁とは無縁の天地が広がっている。
思えばまれびとがその身をまっさらの外気に曝した事など、既に絶えて久しかった。
穢れを極度に嫌う血のせいで、水の幕越しに感じる世界のみが日常であった。
別に香を焚きつめた浄室が身体に毒というわけではない。しかしそこは決して開かれることの無い空間だった。
そんな閉鎖的な暮らしに倦んでいたせいか、しばし目の前の広大さに心を奪われる。
「お客様ですか?」
近くから声がする。烏羽色の髪に切れ長の目。ともすれば霧杳の中に埋もれてしまいそうな姿には、見覚えがあった。
「私をも試すというのか、ここの主は」
「……起きるのが面倒くさい、だそうです」
水先案内人の姿が自分と瓜二つというのも、伝え聞いたことだった。流石にその言葉には呆れたが。
まれびとの名は竜吉公主。水の仙女と名高き、仙界屈指の実力者。
穢れを嫌う彼女の血も単なる虚弱体質ではなく、そこらの仙道や、かつて同じ場所を訪れた太公望とは比較にもならない高貴なもの。
さらに元々外出をしないため、このような門前払いの扱いなど受けたことが無かった。
「案内には及ばぬ。そもそも私に落ちる道はあるまい」
風に吹かれるように公主は近づき、もうひとりの自分の姿に手を伸ばす。感触も何も無い。
そのまま、広がる緑と山の先へ進んでいった。雲がそれを覆い隠す。
名残さえ遺さず、桃源郷はそこに在り続ける。
(まさか、何の手掛かりも得られないとは……)
秘境に足を踏み入れて数時、早くも公主は途方に暮れていた。誰も彼も、太上老君の名前さえ知らないのだ。
最初はシラを切られているのかと疑いもした。が、挙措には何の悪意も感じない。
太公望の話によれば、太上老君は羌族の村の中に紛れているらしい。
草原を転転とする遊牧民を当ても無く探しても、見つかる望みは薄い。
手掛かりを求めて遂にゆかりの地の桃源郷に至るも、そこでさえ彼の情報は皆無だった。
邑姜が取り仕切っていた頃であれば居場所ぐらいは突き止められたかもしれないが、今は彼女は周で辣腕を振るっている。
どこに居るかも分からない、よしんば巡り合えてもどのように接触を図ればいいのだろう。
太公望ですら、太上老君とまともな話が出来るようになるまで半年もかかったことを考えると、見通しは絶望的でさえある。
ふと目を上げれば、人間界のそれより遙かに眩しい空が全てを包んでいた。
思わず溜息。考えただけで気が遠くなる。かと言ってここまで来てしまっては後戻りも叶わない。
「何かお困りですか?」
突然穏やかな静寂が破られる。咄嗟に公主は声のした方――真後ろへ振り返る。ひとりの仙道と一匹の霊獣が目に入った。
「おぬし……申公豹か!」
「言われずとも自分の名前ぐらい知っていますよ。ねえ黒点虎」
「そういう意味じゃないと思うけどなぁ……」
奇抜な装いに、能面のような顔。手には名にし負うスーパー宝貝の頂点に立つ雷公鞭。
仙界最強とさえ呼ばれる力と全く行動の読めないところなどは、ある意味宿敵の妲己らを上回る厄介さかも知れない。
「私に何のようじゃ」
「特には。ただ、桃源郷に客人が来ることがとても珍しかったもので」
「ボクの千里眼にたまたま引っ掛かっただけなんだけどね。要はヒマ潰し」
「私はおぬしらに付き合う時間など無いぞ」
「いえ、時間は取らせません。太上老君に会いたいのでしょう?」
公主は答えなかった。図星を突かれるというのはあまり良い気分ではない。厄介者相手なら尚更だ。
太公望が毛嫌いしつつも一目置く申公豹の来訪。いったい何を意味するのだろうか。
確かに彼は以前からの宣言どおり中立を保ち続けている。むしろ仙界大戦の危急を聞仲の襲来に先んじて崑崙に伝えたところなど、こちら側によっている気もする。
(かつて彼がある道士をそそのかして崑崙に反旗を翻させたこともあるが、それは公主の与り知らぬことだった)
太上老君の唯一の弟子でもある。黒点虎の千里眼を用いれば位置を把握することも簡単。何より……初めての手掛かり。
「おぬしは、何をしに来たのだ」
「僭越ながら一言だけ助言を。……眠りなさい。そして、夢を見るのです」
「夢?」
「ええ。夢には、人の望みが映るものです。太上老君は世を捨てたとはいえ、夢の世界まで捨てることは出来ません」
「…………」
申公豹の言葉は期待外れもいいところだった。思わず公主が渋い顔をすると、彼は笑って続けた。
「どうせ貴女に老子を引き合わせても、彼を起こすことは出来ないでしょう?」
「確かに……」
三大仙人の重要な会議ですら居眠りして、決して目を覚まさなかったと言われている太上老君。
養女の邑姜にさえ滅多に起きた姿を見せなかったと話を聞いた事を思い出す。今まで顔も合わせた事が無い者が起こせるだろうか。
「では、私は失礼しますよ」
「もう? 申公豹はまったく気まぐれなんだから……」
小さくなる白い影を公主は黙って見送った。得られた情報はたったの一言。
半ば諦めが頭をもたげてきていた。またかすかな溜息が草間に流されていく。眠って夢を見れば済むのなら、わざわざこんな辺境にまで来たりはしない。
所詮は道化の戯言、と公主は申公豹の言葉を頭から切り捨てようとする。
「しかし……」
彼らが飛び去った空。目を射る陽光は既に傾いている。村人たちに太上老君のことを聞きまわっていたのが思いのほか時間を食ったらしい。
(どうせ、たまの遠出だ)
最初に訪れた、桃源郷の長老の家らしき館に宿を請う。妙なオーラを出していたが仙気はさっぱり感じない。
無機質なのに冷たい印象の無い、不思議な境涯。探し人のことを別にすれば、公主はここを気に入っていたようだ。
桃源郷の空は日が落ちても澄んでいた。思えば崑崙山が墜落してからは前にも増して浄室に籠りきりで、月の光さえ碌に目にしていなかった。
簡素な牀に腰かけ、窓からの眺望を味わう。が、それも唐突に現れた睡魔の囁きで途切れる。
外出の疲れが出たのだろうと、深く考えずに公主は眠りに落ちていった。
「誰――――誰?」
霞がかかった視界。いや、それは紛れも無くこの空気を取り巻いている。硬い岩肌。澄んだ空気。
何もかもがかつてあったもの。そして今は無いはずのもの。
「鳳凰山……?」
彼女が最も多くの時を過ごした場所。かの仙界大戦で崑崙山脈もろとも地に落ちたかつてのそこに、公主は立っていた。
「私を呼びつけたのは、誰?」
抑揚に乏しい、しかし妙に耳に残る声が聞こえてくる。直感による確信があった。
振り返れば、空気の白さに呑み込まれそうな人影。伸び放題の淡い緑髪は、どこか桃源郷の草原を思わせる。
「おぬしが、太上老君――――老子じゃな」
公主の問いに、老子は黙って視線を向ける。金色の瞳からはわずかな移ろいのきざしさえ窺えない。まるで人形と話しているようだ。
「誰? 勝手にあなたの夢に引きずり込まないで欲しいのだけど」
「私は竜吉公主と申すもの。故あっておぬしの――」
「どうして私がここにいるのか。申公豹は、割と嘘はつかない」
口に出そうとしたことを先んじて言われ、公主は目を丸くする。
けれど老子は、大したことも無いとでも言いたげに表情を変えない。
「ここはどこか。ここは夢の世界。あなたの夢の中。夢の世界は当人にとって最も深い記憶のあるところから始まる。丁度、太公望にとっての羌の集落のように」
開いているかどうかも疑わしい口唇から滔々と言葉が紡ぎ出される。その声に縛り付けられたかのように、何の反応も出来ない。
「あなたの言いたいことは、全て分かっている」
目の前の気配は、明らかに何かから逸脱していた。現実ではないはずなのに、確かに存在する。
公主は知らず身を硬くした。
「私があなたに力を貸すか? 否、それは無駄だから」
「無駄、だと……」
いきなりの完全否定に公主は動揺する。一体何のためにここまで来たのか。話さえ聞かずに、理不尽ではないのか。
「少しでも太公望たちの力になりたい、と。確かに太公望が太極図を使えるようになったのは私のせい。けれど、それだけ。あなたには関係の無いこと」
「私の身に、盤古幡は重過ぎるのか?」
「そうでもない。そもそも、太公望に太極図を渡したのは、彼が本来そうあるべき存在だったからに過ぎない」
邑姜や申公豹が見ていたら驚くだろうか。夢の中とはいえ、コミュニケーション不適応者の彼がいつになく饒舌なことに。
彼の言葉は今、少しばかりの感情を持っていた。
「桃源郷の住人には、皆同じような言葉を返されたはず。そこには、個が無い。どうしてか、分かるかな」
「…………いや」
「私がそれを嫌ったから。幾千、幾万の日月と共にたゆたうのを止めないのも、それゆえ」
いきなり話が飛ぶ。今更ながら、公主はどうにも老子と気質が合わないような気がしてきた。
弟子が弟子なら師匠も師匠。非常識の塊のような彼ら師弟にもどうやら適応されているらしい。
老子は相変わらず勝手に言葉を続ける。
「あなたは確かに強い。盤古幡を持てば聞仲や妲己とも渡り合えた。その心根は真直ぐで、神聖でさえある――しかし、脆い」
「脆い……?」
「ただ待つのは、矜持が許さない。戦いに赴くのは、血気に許されない。これ以上強くなっても結局は無駄なこと。私にはもう分かっているんだ」
「だから、私はおぬしに」
無理を承知で、三大仙人たる老子にそこを何とかしてもらうために、あれほど探し回ったのだ。
既に歴史の道標との戦いの足音が近づいている。おいそれと退く訳には行かなかった。仙人としての実力なら、太公望にそこまで劣っているとは思っていない。
公主は意固地になっていた。けれどそれは、老子の最も厭うところである。やがて老子は気だるげな表情を反らす。
「そんなに戦いたいのなら、私より適任がいるよ。おいで」
声がしてすぐに、どこからともなく明らかに生物の出すものでない、奇妙に耳障りな音が聞こえてくる。
殺風景な鳳凰山の空と霞の風景の中では、ことさらに浮いて聞こえた。
「この子は特訓くん。全てのスーパー宝貝の能力を持っている。それじゃ、がんばってね」
「な、待て! ここまで来て――」
慌てて詰め寄ろうとする公主をすり抜けて、老子は夢の中空へと昇る。その間にぎこちない稼動音を響かせながら特訓くんが立ちはだかる。
「幻影の次は人形の相手か……もうよい、すぐに終わらせてくれる!」
公主の周りに無数の水滴が浮かび上がる。雫に近かったそれはすぐに集束し、横殴りの瀑布と化して襲い掛かる。
霧露乾坤網。混元珠と同じく水を操る宝貝だが、こちらは水の供給を仙人界に依存しないものだ。
水は流れとなり、流れは宝貝合金をも砕く勢いのままで一気に特訓くんに衝突した。
「その程度なのかな、あなたは」
並みの道士であれば間違いなく叩き潰されていたはずの一撃は、特訓くんを覆い隠す黒い布に阻まれていた。
「! 六魂幡だと……」
「太公望だってこの子には結局夢から覚めるまで勝てなかったんだ。甘く見ないで。それじゃ、今度はこっちから」
老子が言い終わるか言い終わらないかの内に、黒い布の内側から万億の閃きが溢れ出る。
極彩色の稲妻は瞬く間に水の幕に激突し、身体を骨から灼かれるような衝撃に公主は音も無くくず折れた。
「雷公鞭……流石に彼の一撃には及ばないけどね」
嘲りとも失望ともとれる呟き。あるいはその両方か。公主は降ってくる声をただ浴びるだけだった。
何より公主自身が一番驚いていた。ただの一撃で自分が膝を突く?
「何を呆けているの」
朱い残影が視界を舞う。我に返った公主は今度は障壁を張らずに地面を転がった。すぐそばで山肌が抉られ、振動だけで吹き飛ばされる。
「くっ……今度は聞仲の……」
記憶に焼き付いていた鳳凰山が禁鞭により粉砕されていく。まるでその様は崑崙最後の時を彷彿とさせた。
(そうじゃ……あの時の、あの時の何も出来ない私では、いけない)
水の本流に再び意思が通る。露の網が禁鞭を止めようとして弾かれる。
「まだじゃ!」
スーパー宝貝とまともに打ち合えばこちらの攻撃などただ打ち消されるだけ。しかし軌道さえ読めれば攻撃は避けられる。
霧に煙る中に巡らされた霧露乾坤網が、遂に禁鞭の動きを捉えた。
「戯れは、もう終わりかな」
特訓くんから縦横無尽に躍る禁鞭は空を撫でる。全てが空振りに終わってから次の攻撃が始まるまでの隙。公主はそれを見切っていた。
「ああ、その通りじゃ」
一瞬の空白を縫う、初手と対照的な細く鋭い水の矢が直線を描く。その延長線上には不恰好な特訓くんの姿。
水の矢は狙い違わず特訓くんを貫く――――寸前で、果てた。
「なっ、そんなことが!」
一瞬、目の前の光景を疑いながら尚も水の矢を繰り出そうとして、公主は戦慄した。水が応じない。
「宝貝はもう封じたよ。太極図だってスーパー宝貝のひとつだしね」
宝貝を動かせず立ち尽くす公主の前に老子は降り立った。赤子に諭すように公主に向き合う。
「目覚めなさい。私にあなたと付き合う時間は無いの。眠いから。私の安眠を妨害しないで」
「お、おぬしの安眠など知らぬ! そもそもここは夢の世界ではないのか」
「……そう。聞き分けの無いあなたには、お仕置きが必要みたいね。もう二度と私を呼びつけようなんて考えないように」
きっとどんな鈍い人間にも感じ取れるぐらい倦怠感も露わな老子。しかしそのせいで一見して危ない言葉がなんとも緩く聞こえる。
しかし、彼は自分の安眠を妨害する存在には容赦しない。
「一体何を……?」
「そんなの直に分かること。特訓くん、適当にやっちゃって」
あまりにあっさりした声音。その意味を理解する前に公主は六魂幡に絡めとられていた。細く紐のように伸びた黒い布に身体を拘束される。
「なっ、離せ、離すのじゃ!」
「まだ使ってないものが残ってたね。まずはそれで」
特訓くんから今度は七色の光が立ち上る。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。それらはたちまちに分かれ、現れたのは見目も鮮やかな七匹の竜。
剪の両刃が合わせられ、解き放たれた竜達がおぞましい速さで公主に殺到する。
迫り来る一撃の姿はとても直視に堪えない。開いてしまった口から悲鳴すら出ない。夢の中、それを忘れさせるリアルな死地。寒い。
甲高い竜の咆哮に、公主は呑み込まれて――――
(……な……痛く、ない……)
「そりゃただ痛めつけても芸が無いよね。うん、流石は仙界でも有名だけあって、服の下も美女なのかな」
「は……?」
たまらず目を開けた公主の視界に飛び込んできたの竜は、あろうことか仙界二位の破壊力を使わずに公主の服を食い破っていた。
「なっ、や、やめろ、今すぐやめるのじゃっ!」
「しかしそれも虚弱体質ゆえに人目にさらされない……美しきは儚いとも言うけど」
高貴な血筋の公主は当然、衣服を破られるなどという辱めを受けたことなど無い。あまりの羞恥に頭が真っ白になる。
時折、竜に触れられた肌がじんわりと熱くなった。
徐々に露わになっていく裸身は、煌くばかりの美しさは、匂い立つほどの貴なる芳香を纏っている。
どれだけの仙人、道士が、それに憧れただろうか。逐一その美貌を賞賛する老子の言葉に、公主は唇を噛みしめる。
「……まさしくこれが柳腰というんだろうね。肌も、とても綺麗。……ところで、ご気分はいかが?」
「良いわけ無いじゃろうがっ」
身動きの取れないほど縛られてあちこちを竜に這いずり回られている中でも、気丈な態度は崩さない。
けれど相手が相手では、その声も虚しく響くだけ。
「良かった。もしも悦ばれたりしたら別の方法を考えないといけないからね。あんまり長い間脳を働かせるの、嫌だし」
「うっ……」
「金蛟剪、いったん戻って。せっかく綺麗なんだから、もっとちゃんと見てあげないと」
声と共に竜は退き、無残な公主の姿だけが残される。
服はほとんど食い破られて童子の身体さえ隠すには足らないほど、申し訳のようにまとわりついてるだけ。
紅潮する素肌は急峻なラインを描き豊かな双丘で結ばれる。呼吸に合わせて少しく上下する頂は桜色。
宝貝の責めから逃れようとして乱れた濡れ烏の髪が、ひどく扇情的だった。
「さて次は……うん、同じ鞭でも、こっちの方がこういう用途には役に立つかな」
三つの飾り帯、雷公鞭が白い肢体ににじり寄る。今度は何をするつもりか――身構えた公主は、
「ふはぁ……ひ、ひゃ……まさか」
声を押し止める事は叶わなかった。公主のくびれや臍(へそ)近くをまるでくすぐるように蠢いている。
「ふ、ひゃ、はっ……そ、そこはっ……」
「ふーん。こっちなんてどうだろうね……あとうるさいから少し黙って」
公主を捕らえていた六魂幡がさらに伸びてその口を塞ぐ。それでもくぐもった声を殺しきれていない。
要所は解けないようにがっちりと固めたまま、黒い布の滑る肌触りがあちこちを駆け抜ける。
少し冷やりとしたこそばゆい責め。どれだけ身体を暴れさせても、玩ぶ凶手からは逃れられない。蜘蛛の巣に落ちた蝶のごとく、追い詰められていく。
「うぐ、ぐぅっ……あっ……」
「どうしたのかな。それじゃ聞こえないよ」
強制的に呼吸を乱されて息を荒げていても、公主の目は矜持を保っていた。
藍色の瞳。公主も老子も意識していないことだったが、六魂幡の一挙一動に悶えながら向けられる憤然とした目、
そこに不意の責めが入って形のいい眉が歪められるさまはひどく支配欲を刺激する。
指一本も使われずにいいように転がされる屈辱、今まで会った事も無い他人に裸身を晒す羞恥、歯痒い苦痛。
さっきから朱を散らしたようなかんばせでいるのは、果たしてそれらだけの所為だろうか。
「どうかな、もう諦める気になった?」
「ふはっ……はぁ、は……これしきっ、あの戦場に比べれば……!」
「――そうまでして強くなりたいの。じゃあ、少し気を入れてやろうか。……まったく、夢の中といっても宝貝2つ3つ同時に動かすのは楽じゃないよ」
再び老子は雷公鞭を手に取った。前と同じように飾り帯が迫る。
黒衣が公主の肩甲骨から背中を撫で、白磁にも似た肢体を一際震わせた。そして、
「ひぐぁぁああああっ!!」
「……あ、ごめんね。少し力んじゃったみたいだ」
触れた瞬間に青白い火花が散った。無論わざとであり、手加減もしてある。しかし加減といっても仙界最高出力での話。
戦い初めに食らったあの閃光がフラッシュバックする。
「ひあっ! あうっ、ああああっ!」
鞭はぱしん、ぱしんと軽い音を立てながら公主に楔を打ち込んでいく。刹那の中、貫かれる痛みと熱さ。
それも特訓くんとの一糸乱れぬ連携でいちいち敏感なところを狙ってくる。脳漿が沸きそうなほどの刺激にたまらず悲鳴を上げる。
汗の浮き出た首筋をそろそろと忍ぶようになぞり、鎖骨を這っていく。小さな破裂音の度に公主は身体を軋ませ、切れ切れの声を吐き出す。
涙とも汗とも唾液ともとれる液体が弾ける。豊かな胸がふるふると揺れる。長い艶の浮いた髪が振り乱される。何度も、何度も。
永久に続くかと思われた責めは、いきなり止まった。
「……やめて欲しい?」
「はぁ……ふあ……は……っ……」
「ねえ、聞いている?」
朦朧を打ち払う雷公鞭の一撃。
「ぎぅあぁぁああっ! ……や、やめ……やめるのじゃっ……!」
「仕方ないね」
今まで執拗に公主を弄くりまわしていたのが嘘のように、老子は鞭を下ろした。
同時に六魂幡からも身体を縛る以外の反応が消える。
「あ……えっ……?」
「何って、やめろと言ったからやめてみたの。それにしてもあなたのここ、すごく濡れてる」
「な、何を馬鹿な……ぁぁあんっ!」
六魂幡を操らせて公主の肉体を目前まで引き寄せると、確かめるようにその蜜壷を細長い指で開く。
ぬらぬらと光る花芯を擦りあげ軽く弾くと、さっきとは別の感覚が公主を襲った。
「いくら水の仙女の二つ名を持っているからって、こうまで濡らさなくてもいいのに。それともあなたはああいったのが好みとか」
「――――――っ」
引き抜いた指。濡れて引く糸を見せびらかされ公主は言葉に詰まった。
限りなく現実に近い夢の中、ただ老子は無表情のまま公主を見つめ続ける。
「い……一体今度は……」
「いずれ分かること」
それきり老子は黙りこくった。目視は公主の広げられた蜜壷に向けられたまま。そのまま幾ばくかの時間が経って、
(う……ぅ……あん……ぁ……こ、これは……)
まるで夢の始まりのように静かだった二人(と特訓くん)の間に、いつからか荒い呼吸音が滲み出ていた。
老子も特訓くんも微動だにしていない。音の主はひとり。
雷公鞭の時の、外からの激しく瞬間的な熱。それとは異質の、内から立ち昇る煙のようなじわじわとした熱。
潮が満ちるように、徐々にそれは公主を焦らせていく。気を抜いたせいで悩ましい吐息がまた溢れ出る。声を出さないようにするだけでも必死だった。
「……ぃ……ぁ……」
「あなたは見られるだけでも感じるの」
「うぁっ、そ……そんなこと」
「じゃあ、ここからぼたぼた垂れて止まらないものは?」
言いつつ老子は公主の、今はだらしなく口を開けた蜜壷に息を吹きかけた。
「ふぅ……くぁ、ああっ……」
「だって、さっきはこんなのじゃ感じなかったよね」
本当に老子は一切の手出しを止めたはずなのに、公主の身体は細かく震えていた。乳首は痛々しいぐらいに立ち上がり、
乳房全体が目で見て取れるほど上下している。最早濡れていないところが見つけられない肌は鮮やかな赧。
「わ、私に何をした……」
「言ったんだけどな。特訓くんは全てのスーパー宝貝の能力を持っているって。そろそろ効いてきたでしょう。傾城元禳」
こともなげに言い放つと、老子は妙な棒状の物体を手品のように取り出す。
(公主は知らなかったが、それはかつて太公望を殴り飛ばした一発覚醒くんハイパーだった)
「お仕置きもそろそろ大詰め。これからしばらくは寝るたびにうなされると思うけど、自業自得だから諦めて」
とても凶悪な陵辱者とは思えない沈痛な面差し。世を捨てたものの突き放した言葉。
無機的で、それこそ一陣の風のように消えてしまいそうな姿。けれどもそれが今まで、そしてこれから公主を嬲り尽くすのだ。
「グッバイ、竜吉公主」
老子は槌の部分を持ち、柄の先端を蜜壷に向ける。文字通り悪夢のような想像が脳裏を過ぎり、
「永久に――――――」
恐怖を感じる前に、全ては律動に支配された。
「うぐ、うぁぁあ、ぐうあああぁぁっ!」
何の遠慮呵責も無い抽送が公主の内壁を蹂躙する。ごつごつと角ばった異物感。身を裂かれるような激痛さえ、傾城元禳に侵された肉体は快楽と認識する。
暴力的に感覚と精神を征服していく侵入者の攻撃から少しでも逃れようと腰を動かすも、それを嘲笑うかのように内奥に突き込み、
横にずらし、強く振動させ、休むことも許さない。柄が抜け出ようとするたびに魂魄ごと持っていかれそうになり、
子宮を叩くたびに持っていたはずの矜持が崩れて消し飛ばされていく。
「ぎゃっ、ひぅ、ふぐぁっ……! こ、壊れ、こわれるっ……あぁっ!」
何も考えられない。何も抵抗出来ない。折れそうなほど身を躍らせても、六魂幡の締め付けはますますきつくなる。
豊満な胸を強調するように突き出させると、そこに再び雷公鞭が襲い掛かる。
「ぐぁああぅああぅああっっ!!」
一瞬だけかき消えた意識も、覚醒くんの往来によってすぐに煉獄に引き戻される。
ぐちゃぐちゃと奏でられる水音は、もう人が出しているとは思えない大きさだった。抽送が一層速さを増す。
獣のように髪を振り乱しのたうつ公主には、既に何も残っていなかった。
あまりの快楽と苦痛に息さえ出来ない。一際強く、深く老子が覚醒くんを押し入れたとき、全身がばらばらに砕けるような錯覚と共に、目の前は闇に包まれた。
「んああっ」
鈍痛がする。身体に硬い何かが触れている。まだどんよりと重い頭を持ち上げて、公主は自分が拘束されてないことに気づいた。
目を開ける。そこは懐かしい、月の見える一室。どうやら寝入った牀から落ちてしまったようだ。老子との邂逅は終わっていた。
「……夢……だったのか……?」
脱力している身体に鞭打ち、とりあえず床から牀の上に戻ろうとして、公主はそれ以上の言葉を口から出せなかった。
下半身の違和感――まるであれがただの悪夢でなかったと主張するように、彼女の蜜壷は服をしとどに濡らし切っていた。
「ねえ、申公豹」
そんな様子を遥か遠くから覗く、ひとりと一匹。
「なんですか?」
「結局、あれって何だったの?」
「……夢ですよ、夢」
そう言って、申公豹はただ笑った。
“夢には人の望みが映るものです――――”
(おしまい)