憂いて陰を帯びる姿など見たくない。  
どうか、以前のように元気でいて。  
そのためならどんなことでもしよう。  
たとえ、自分が怨まれることになろうとも。  
 
 
 
「……スープーちゃーんっ☆」  
 そこにはいつもの風景があった。  
 まだ幼さの残る容貌の仙女が、一部ではカバなどと呼ばれている霊獣に抱きつきじゃれている。  
 空の青はどこまでも遠く澄み渡り、肌を撫でる風が草の匂いをはらんでいた。  
 蓬莱島を仙道の住処にして以来数年が過ぎ、多少は諍いがあったりするも平穏な日々が続いてい  
た。  
「〜〜〜〜喜媚さん、いま仕事中なんッスよ。もういいッスか?」  
 白い霊獣はほとほと困り果てた様子で自分の顔にキスの雨を降らしている仙女に言う。  
「え〜? 喜媚もっとスープーちゃんとベタベタしたいのに〜☆」  
 唇をとがらせ、ぷーっと頬を膨らます様が外見に見合ってかわいらしい。  
 霊獣・四不象は諦めぎみに溜息を一つついた後、にっこりと笑った。  
「今日は早く終わると思うッスから、そのあとなら時間あるッスよ」  
 とたんに彼女の顔が明るくなる。  
「えっ☆じゃあ一緒に遊べり? じゃあねぇんとねぇ…喜媚花火がしたいっ☆」  
「そうッスねぇ……じゃあ太乙さんあたりに協力してもらうッスか? あの人なら打ち上げなんか  
も好きで作りそうッスから」  
「喜媚派手なの大好き☆今日は花火大会を開き☆スープーちゃん、皆にも声かけてきていい?」  
「もちろんッスよ」  
「わぁーい☆じゃあ喜媚がんばって宣伝しっ☆ ねっ☆貴人ちゃんも――」  
 ぴょんぴょん飛び跳ねながら喜媚はいつも一緒に行動している――というよりは喜媚が半ば強引  
に付き合わせているのだが――義妹のいる後方を振り返った。  
 目に飛び込んできたのはその妹が草の上に座り、立てた片膝に肘をついてどこか遠くを見つめて  
いる姿。  
 
 かの瞳に覇気はなくその横顔は虚ろげで、こちらの声など全く届いていないようだった。  
「ここに移ってきてから貴人さんが笑ってるところって僕見たことないッス……」  
 喜媚につられて貴人に視線を向けたスープーがぽつりと呟いた。  
「喜媚も……」  
 ときどき笑ってくれることはあった。仮面のような笑顔。喜媚のために作られた微笑み。  
 そんな表情しかここ数年見たことがなかった。  
「花火、貴人さんも楽しんでくれるといいッスね」  
「……うん☆」  
 心情を察して言葉をかけてくれたことが嬉しくて、喜媚はまた四不象に抱きついた。  
 
 風を切る高い音、宵闇を晴らす一瞬の閃光――。  
「まさか本当にその日のうちに花火大会なんてやるなんて、よっぽど暇人ばっかりなのね」  
 貴人は自室で誰に聞かせるわけでもない憎まれ口を叩いた。  
 姉妹の家は森の中に一軒ぽつんと建っている。メルヘンチックなものが趣味の姉の意見に全面的  
に従ったからだ。  
 かつて住んでいた禁城とはくらべるべくもなく小さく粗末であるが、2人で暮らすには充分では  
あるし、なにより外との接触が少ないことで気が楽であった。  
 崑崙はもちろん、妲己とともに金鰲を抜けた身で親しい者など姉くらいしかいない。  
 パァーンッ……  
 また夜空に光の粒が飛び散る。  
 喜媚姉様は今頃あのカバと、それから暢気な崑崙の奴らと一緒に花火を楽しんでいるだろう。  
 一緒に行かない、と言った時には自分も残ると言ってくれたけど。せっかくだから行ってきてく  
ださいと送りだした。  
 その時の少し悲し気な顔が胸に痛かった。  
 申し訳なく思いつつも自分には応えるだけの気持ちの余裕がなかった。  
 誰とも関わりたくない。1人になりたい。  
「許してください……姉様」  
 こんな、自分勝手で我が侭な妹を――。  
 灯りのない部屋の中で貴人は膝を抱えて下を向き縮こまった。  
 
 ひゅるるるる……  
 花火の弾ける音がした。  
 そして、奇妙なことに気付く。  
 光が、床を照らしていない。暗闇のままだ。  
 顔をあげると窓の前に人影があった。  
「え……?」  
 貴人は己の目を疑った。  
 自分しかいない暗がりに誰かがいたからではない。  
 そこにいた人物があまりに想定外で、とても信じられなかったからだ。  
 “彼”は闇に融けてしまいそうな黒を基調にした衣装をまとっていた。  
 自分は直接見たことはない、人づてに聞いた姿。  
 表情はよく見えない。けれど貴人は目の前の人物が笑った気がした。  
 “彼”は貴人の方へ歩み寄り、目線の高さが揃うようにしゃがみ込んだ。  
 花火があがる。  
 窓から差し込む刹那の光に、その顔が照らされた。  
「久しぶりだのう」  
「……太公望」  
 その声は紛うことなく、彼女の天敵のものだった。  
 
 風のない日だったので木々のざわめきすら聞こえない。  
 夜空に次々と大きな花が咲いては消える。  
 ただ、その音だけが部屋の中に響いた。  
 喉仏の出ていない少年のような首に、糸が何重にも巻き付く。  
 彼はそんなことなど意にも介さず喋り始めた。  
「元気にしておったか」  
「……あんたにそんなこと心配される筋合いはない」  
 太公望を睨み、糸を握りしめたまま貴人はぶっきらぼうに答える。  
「あんたこそどこにいってたのよ」  
「どこというわけでもない。ぶらぶらしておった。ここにおったら働かされてしまうからのう」  
「ハッ、そんなこと言って、怖かっただけじゃないの?」  
 
 貴人の問いに彼は答えなかった。  
「図星? 今まで逃げ回ってた腰抜けが、よくまあのこのこと現れたものね。都合がいいわ。積年  
の恨み、いまここで晴らしてやる!」  
 太公望の口の端があがる。  
 貴人にはそれが自分を嘲っているように感じた。  
「――っ!!」  
 彼女は立ち上がって糸を引き寄せた。釣り上げるようにして太公望を立たせる。  
 貴人がつかみかかっているように見えるほど2人の距離は近い。  
 彼の首の、糸が食い込んでいる箇所にうっすらと血がにじむ。  
「馬鹿にしているのっ!?」  
「いや……それもいいかと思ってのう」  
「ふざけないでよ! 何よ私じゃあんたを倒せないとでも思ってるわけ? なめんじゃないわよ。  
もう絶対あんたの卑怯な手になんかのせられないんだから。あんたが何かするより早く糸を締め上  
げて、首を刎ねることだってできるのよ!」  
「わしは大真面目だが?」  
 太公望の表情は笑ったまま。その態度が余計に貴人の癪にさわった。  
 ぎりっ…と奥歯を鳴らし、彼女は叫んだ。  
「何なのよ! 『計画通り導からはずれることができました。自分の目標は達しました。だから哀  
れな女に付き合って死んでもいいです』とでも言いたいの!? あんたのそういう所が嫌いなのよ、  
余裕ぶって、人のコト見下して振り回して、全部わかってますっていうような澄ました顔しちゃっ  
て、私がどれだけ屈辱を味わったかわかる!? なんで私ばかり貧乏くじ引かなきゃならないのよ、  
いつだってそうよ、くっだらない負け方して原形に戻るし、最後の戦いでだって原形のままで、雑  
魚道士ですら力の一端となったのに私だけ除け者で、妲己姉様のコトだってっ……」  
 ぱた……。  
 糸を握りしめる手に雫が落ちた。  
「妲己は……おぬしにはああなることを話しておらんかったのだな」  
 貴人は返事をすることも、首を縦に振ることもしなかった。  
 ただただ、涙を流すだけで。  
 太公望の首に絡んでいた糸がいつの間にか床に全て落ちていた。  
 
 それから、貴人は少しの間泣いていた。太公望の目の前に座り込んで、声をあげることなく。  
 そんな彼女を太公望は抱き締めてやったり、涙を拭いてやったりはしなかったが、一度も目を逸  
らすことなく彼女の涙が止まるまでその場から動くこともなかった。  
「屈辱だわ……こんな姿をあんたに見せるなんて」  
 頬に残る一筋の跡を指で擦りながら貴人は太公望を睨む。  
「少しは落ち着いたようだな」  
「何安心したような顔してんのよ。こうなった以上あんたには……」  
「死んでもらう、か? だが、わしが死んだとしてその後おぬしはどうするつもりなのだ?」  
 彼女は大きく目を見開き硬直した。  
 その瞳には、それまで終始笑顔だった彼の真摯な目が映っていた。  
「やはり何も考えておらんか。先ほどから何度も機会はあったというのに結局はそれが不安で」  
「違うっ!! 私は躊躇ったりなどっ!!!」  
「したであろう」  
「違うわよ! ただ、殺すだけじゃ私の気がすまないからどうやって苦しめてやろうか考えていた  
だけで!」  
「では、その考えとやらは決まったのか?」  
「それは……」  
 決まっていない、と言えば結局復讐する気はないのかと嘲られてしまうのがオチだ。  
 それだけは、嫌だ。  
 そう考えて貴人はとっさにこう言ってしまった。  
「あんたを私の虜にして、なんでも言うことを聞くようにしてやるわよ」  
 今度は、太公望が驚く番だ。彼はきょとんとして首を傾げ、訊き返す。  
「って、どうやって……」  
「こうするのよ」  
 それまで重力に従い床で黙していた糸が生き物のように素早く動き、太公望の両手首をがっちりと  
固定した。  
 貴人は太公望に近づき、彼の股間に手を当てた。  
「おいっ! おぬし何を……」  
「決まってんでしょ。あんたの体に叩き込んでやるのよ。私に逆らえないってこと」  
「ちょ…ちょい待ち! おぬし引っ込みがつかなくなっておるだけでは……」  
「うっさい黙れ」  
 太公望の言葉をばっさり切り捨て、布地の上から彼の物を掴んだ。  
「……く」  
 かれの小さな呻きと共に、物が段々と固くなっていくのを貴人は感じ、ほくそ笑む。  
 
「枯れたなんて言っておきながら敏感なのね」  
「……自分で言ったわけじゃないっつーの」  
 貴人の手によってスラックスと下履きが下ろされ、自らの分身がさらされるのを溜息をつきながら  
も太公望は仕方のないことと割り切り受け入れた。  
「可もなく不可もなくってとこね」  
 はんっ、と一笑すると貴人は自らのタートルネックのトップスをめくりあげた。戒めを解かれたた  
わわな双丘がシャボン玉のように柔らかに形を変えながら上下に弾む。  
 彼女は四つん這いになり、一度彼の先端に口づけると棹の根元から舌を這わせた。角度を変え、何  
度も自分の唾液を絡ませていく。時折彼女の鼻から漏れる生暖かい空気が太公望の下腹をくすぐった。  
「さて……と」  
 太公望の棹を充分に濡らし終えると彼女は口からひいている糸を拭って、彼を押し倒した。  
 かぶさるようにして前のめりになり、脇から両手を添え豊かな乳房で彼自身を包み込むと、ゆっく  
りと前後に揺すり始めた。  
「っ!」  
 さながら温かな湯が水圧を変えて攻めてくるような感覚に太公望は身じろぐ。  
「ふふん、気持ちイイならイイって言えば? 随分苦しそうな顔してるけど」  
「たわけが……それが目的でやってるんだろうが」  
「強情ね。ではこれならどう?」  
 二つの球体の動かしつつ、彼の剛直の先端を舐めた。苦味が貴人の口の中を広がる。  
「んっくぅ……」  
 にじみ出ていた汁を丹念に舐めとると、貴人は彼を胸で挟むのをやめて今度はその口の中に飲み込んでいった。唇を密着させ、汁を吸い上げるようにしながら頭を上下に振る。  
 先端へと離れる時はゆっくりと。付け根に戻る時は早めに。一定の調子で繰り返していく。  
 細い指先は太公望の陰嚢を弄び、自由となった大きな房は前後に揺れる。  
 カリ首に貴人が歯をたてると太公望の体が反射してびくっとはねた。  
 執拗な攻めに肩で息をしながらたまらず声をあげた。  
「待てっ! こ…これ以上は…はっ……ちとまず……ぃ……」  
「じゃあ負けを認めれば? 私の下僕になると誓えば考えてあげないこともないわよ?」  
「誰が……くぁあっ!」  
 言い終わらないうちに、べとべとに濡れた彼の物を貴人は手でしごきだした。  
「とっとと降服しなさいよ。欲望にまけましたってね」  
 瞳に涙を浮かべ切な気に喘ぐ彼の姿を見て貴人は優越感を覚え始めていた。  
 それが、隙を与えてしまうことになる。  
 
 何が起こったのか、貴人はわからなかった。  
 気がつけば床に頬をつけていたのだ。冷たくはない。つい先程まで太公望の体のあった場所なの  
だから。  
「ふぅ、危ういところだったのう」  
 後方上部から声が聞こえた。起き上がろうとするも、背を押さえ付けられている。  
 貴人は首を目一杯横に向けていつのまにか後ろにいる彼を睨み付けた。  
「あんた、また人のことからかったわね! 捕まったフリなんかするんじゃないわよ!」  
 太公望は空間宝貝を使える。王天君と同化したことは話に聞いていたから考えてみれば当然のこと  
だろう。思い至らなかったことに臍を噛む。  
 形勢が逆転したからか、それとも攻めの手が止まったためなのか、太公望は余裕綽々の笑みで貴人  
を見下ろしていた。  
「なかなかに良かったが、おぬし少しばかり遊びがすぎたようだのう。この礼はたっぷりとさせても  
らわねばならんな」  
「じょっ冗談じゃないわよ誰があんたなんかにっ!」  
 前方に突っ伏した体勢のまま糸で再度太公望を捕らえようとする。が、彼に届く前に細かく切られ、  
屑が重力に抗うことなく落下していった。  
「縛りはわしの好みではない」  
 風を操る宝貝を片手に彼は言った。  
 羽衣は3メートル離れた場所にあって届かない。仮に使えたとしてもきっとこの男には通じないだ  
ろう。  
 
 事態は完全に太公望の掌中に収まってしまった。  
 
 悔しさと腹立たしさで顔を真っ赤にして、「離せ」と叫びながら逃れようと必死でもがく。  
「そうやすやすとは離さんよ。おぬしだって――」  
 太公望は手袋を外し、スカートの中に左手を潜入させ、彼女の股の中心に指を這わせた。  
「やっ……!」  
「――ほれ、下履きがもう濡れておるではないか。わしの逸物を舐めながら感じておったのか?」  
「そっそんなこと……きゃあ!?」  
 貴人が答えきるのを待たず、太公望の指は下着を端に避け、花弁の表面を直接撫でた。びっくりし  
た様子で目を丸くし、悲鳴にも似たかん高い声をあげる。  
「答えずともよい。体に直接訊くからのう」  
 
「ひぁんっ」  
 くちゅり、と下腹部の方で粘っこい水音がした。愛液を纏った太公望の指が柔らかな肉襞を掻き分  
けぬるぬると前後に動く。  
 充分すぎるほどに濡れそぼったそこは摩擦による痛みは全くなく、快感だけを知覚している。  
 だが彼は無茶な攻め方はしなかった。優しく、優しく、繊細な硝子細工を扱うかのようにゆっくり  
と撫でる。  
 達するには、あまりにも弱い刺激。  
 労られているのか、それとも試されているのか本当のところは貴人にはわからない。  
 ただわかっているのは、どんなに理性で否定しようとしても、本能が彼にもっとして欲しいと願っ  
ていること。  
 煮え切らない愛撫がじれったく、自分から腰を動かしたい衝動に何度も駆られながら必死で耐えて  
いたが、甘ったるい声がどうしても漏れてしまう。  
 あまりの恥ずかしさに目が潤む。  
「どこか痛むか?」  
 次第に大きくなる水音に混じり、そんなセリフが耳に入ってきた。  
「私の……自尊心が」  
 禅問答のように切り返す。  
 いっそ激しく犯されれば。なぶられるならまだしも、情けをかけられてはたまったものではない。  
 惨めさに拍車がかかるだけだ。  
「すまぬな。これがわしのやりかたなのだ」  
 謝ってから、彼は中指を彼女の蜜壺にゆっくりとうずめていった。  
「あっあぁぁん!」  
「ふむ、これだけ準備が整っておるのなら、無駄に長引かせる必要もないか」  
 左手を引き抜き、掌に垂れ落ちる愛蜜を舐めとってから太公望は貴人のスカートを捲り、両腕で彼  
女の腰を引っぱりあげた。胸を床に付けたまま膝を立てた格好だ。  
 先ほど口に含んでいた彼の化身は衰えることなくその強度を保ったまま、今度は下の口へとあてが  
われる。  
 
「あっ……」  
 電撃にも似たものがゾクリと背を駆け抜けた。泉から新しく水が湧き、それが彼のものを濡らす。  
「よいな? 挿れても……」  
 その言葉から一呼吸おき、彼の陽根は彼女の中へと潜っていった。  
「んぁっ! あ……やぁあ……」  
 ゴリゴリとこじ開けるようにして亀頭が入ってくる。太公望はゆっくり貴人の呼吸に合わせて腰を  
沈めていく。そして、自身が半分ほど入った辺りで一気に彼女を貫いた。  
「んぅ! くぅぅ……」  
 異物の挿入による不快感と敏感な部分への刺激からの快感が同時に襲ってきて貴人は身を悶えさせ  
た。  
 太公望は貴人に覆いかぶさるように前のめりになり、眼前の白い背の中心に、つ……と舌を這わせ  
る。貴人の体がぴくんと小さく震え、その拍子に膣がきゅうと縮まった。体内にある彼が、より一層  
大きく感じられる。  
「あ、やっ……あぁん」  
 スローペースな抽送が繰り返される間、彼は手を彼女の胸に添えて形の変化を楽しみ、また届く範  
囲で、首筋や脇の下の辺りまで口づけの痕を残していった。  
「これでは明日露出は控えねばのう」  
「なっ! バッ……誰の、せい……でっ! あぁあ!」  
 愛撫の手が、結合部の傍にあるすっかり膨れ上がった蕾へとのび、指の腹で転がし、擦り、摘まみ  
上げて貴人の劣情に火をくべていく。太公望の腰が動く度に甘い蜜が掻き出され、太腿をつたって床  
に小さな水たまりを作っていた。  
 腹部も胸も頭の中も、わけのわからない何かに満たされ、窮屈で苦しくて全部吐き出してしまいた  
いのに表に出せるのは体液と嬌声くらいで、快感の波はなおも襲ってくる。  
 その波が次第に理性も、つまらない意地も飲み込んで溶かしていくようだと貴人は思った。  
「ねぇ、カオっ! ……見せてぇっ。あっ……このままは……や」  
 口角から垂れ落ちる唾液を拭うこともせずに太公望を振り返り、乱れた呼吸の中でそう訴えた。  
 それに答える代わりに彼は微笑み、彼女の片足を掴むと繋がったまま彼女の体を半回転させる。  
「やぁん……! 中……こすれるっ!」  
 今までになかった動きに戸惑い、達しそうになりながらも必死でこらえようと瞼を強く閉じる。完 
全にひっくり返ったのち、そっと目を開けると正面には蒼の瞳を持つ少年のような容姿の男。  
 空よりも澄み、海よりも深い、蒼。  
 この暗闇では見えるはずがない。  
 だからそれは自分の持つ記憶の色だ。鮮明に褪せることなく目に焼き付いていた色だ。  
 
 貴人の艶やかな唇が彼の名を形どる。それを合図にして抽送が再開された。  
「……ねぇ」  
「ん?」  
 全身を巡る快楽に涙を流しながら問いかけをした。  
「前……妲己姉様を見た時……言ったわよね『王貴人もあんなもんではなかったか』――」  
「言ったのう」  
「今でも……んっ……そう思う?」  
 差はないと、そう言えるだろうか。  
 あの、全てを超越した存在となった姉と。  
 手の届かない遠い所へと行ってしまったあの人と。  
「……いなくなった者とは比べられんよ」  
 しばし考えてから彼はぽつりと言った。  
「おぬしにはおぬしの生き方があろう。生き方次第で、同じどころか超えることだってできる。悔し  
い気持ちがあるならそれをバネにして伸びていけばよい。おぬしの前にはいくらだって道はあるのだ」  
「でもっ! 私、また勝てなかった」  
 組み敷かれていいようにされて歓喜の声をあげ、挙句弱音を吐いている。  
 姉様なら、絶対にこんなことにはならないのに。  
 熱い涙が目から次々とこぼれ落ちる。彼は口付けるようにその雫を吸い上げた。  
「今日は引き分けだ。わしも結局こうして流されてしまっておるのだから……おぬしの体、ものすご  
くよいのだが」  
「あ、当り前でしょ! そんじゃそこらの小娘とは違うのよ!」  
 急に褒められて顔を赤く染める。  
 彼はぷっと吹き出すと貴人に一つ質問をした。  
「次に勝つのはどちらかのう?」  
 貴人はもう迷いのない、鋭い光を宿した瞳で彼を見つめ、  
「もちろん、私よ」  
と、答えた。  
 
 その後、一時立場のことなど忘れ去り2人は互いに貪りあった。  
 何度も何度も激しく腰をぶつけ合い、何の液だかわからない水滴が宙に飛び散る。  
「あぁっ! すごっ……いいのっソコいいのぉっ……! も……っと、もっとしてぇっ! あっあっ  
ダメェ……イッちゃうっ! やっ……あ、あぁっ!」  
 イヤイヤをするように首を横に振り、生涯の敵にしがみついてあられもない格好で彼女はかわいら  
しい高い声で鳴いていた。  
 突き入れる度に逃すまいとでもしているかのようにきつく締め付けてくる。  
 我慢は限界に達していた。  
「……っく」  
 渾身の力を込めて深奥を叩く。  
「あっ!? あぁぁぁぁん!!!」  
 今までで一番強い締め付けを感じた瞬間、自身の昂りを勢いよく彼女の中に流し込んだ。  
 
 情事の後はただただ静かだった。  
 貴人はだるそうに背を寝台の淵に預けている。  
「平気か?」  
「何が?」  
「いろいろと」  
「……ええ」  
「そうか。では、な」  
 貴人の様子から、嘘はなさそうだと判断し、ほっとして踵を返す。  
 部屋の出口に向かって一歩を踏み出した、その時だった。  
「花火……終わってしまっていたのね」  
 窓の外を眺めながら貴人が独り言のように呟いた。  
 そして、こう続けたのだ。  
 
「カバと約束していたのでしょう? ごめんなさい……姉様」  
 
 黒衣の男は驚いて振り向き、一瞬の後、少女の姿へと変わった。  
 その姿は紛れもなく、愛らしい2番目の姉であった。  
「……いつから気付いてり?」  
 小さな鈴が転がるような声で喜媚は妹に訊いた。  
 貴人は少し困った風な笑みを浮かべた。  
「お恥ずかしながら、全てが済んでからです。だってどう考えてもおかしいでしょう? あいつがわ  
ざわざ私を訪ねてくるなんて。それに……」  
 一度主導権を握り追い詰めようとしたその瞬間。  
 かの空間宝貝は見受けられなかった。  
「気が動転していたとはいえ、気付かないわけはないんです。姉様、あの時変化を使ったでしょう?」  
「慌ててつい慣れた方法で逃れちゃったから……☆誤魔化してみたけどやっぱり通じなかったか☆」  
 静寂が姉妹を包む。  
 その間一分そこらだったろう。  
 けれどもたった一分が、長く感じられた。  
 
 時とともに重苦しくなっていく沈黙を破ったのは貴人だった。  
「姉様……私、今とてもスッキリした気分です。気持ちを全部吐き出すことができたから」  
 疲労で思うようにならない体で、ゆっくりと立ち上がって貴人は姉の傍に歩み寄っていった。  
「だからどうか、自分を責めないで。そんな、申し訳なさそうな顔をなさらないでください」  
 喜媚の正面で貴人は膝を折り、彼女の手をとって見上げた。  
 まるで、子供をあやす母親のように。  
「ありがとうございます姉様」  
 その言葉に、愛しい気持ちと満面の笑みを付して。  
「貴人ちゃ……っ!」  
 胸が一杯で、それ以上声にはならなかった。その代わりに、透明な雫がぽろぽろと目から零れた。  
 
 どんなに怨まれても蔑まれてもいいと思った。  
 ただ、その笑顔が見たかった。  
 感謝の言葉など聞けるとは幾許も考えていなかった。  
 
 貴人にそっと抱きしめられ、ぽんぽんと軽く背を叩かれる。  
「今度は皆で花火観ましょうね」  
 囁やかれた彼女の言葉が優しく耳の中でこだました。  
 
 姉様――これでよかったのかな――?  
 心の中で、訊いた。  
 そこにはいないはずの美しき長女が、笑ったような気がした。  
 
 
=了=  
 

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