女禍は常に自らを中心だと考える。  
そして、それが当然であることを周囲にも強要する。  
心底うんざりしていたのだ。その事に。  
たとえその女禍が、妻であり、実の妹であったとしても。  
 
地球に降り立った時に女禍が口にしたこと。  
この星を滅ぼし、故郷の星を再び作り上げると。  
馬鹿げていると思った。  
そのようなことに、何の意味があるのか。  
どこまで無意味な行為を繰り返せば気が済むというのか。  
吐き気がするほどの嫌悪を感じる―――あまりにも、自身に似過ぎていて。  
 
だからなのかもしれない。  
女禍を封印することに微塵の躊躇も覚えなかったのは。  
殺せるものなら殺してもいい。そこまで考えていたのだ。  
そうすることで、己自身の抱える闇も封じられると、そう思えたのだ。  
   
それに。  
   
隣に立つ彼女が、泣いていたのだ。  
   
それだけでも、十分な理由になりえたのかもしれない。  
   
何故、このようなことになったのだろう。  
何が間違っていたのだろう。  
繰り返される自問。  
けれども、答えは出ない。  
誰に聞いても、きっと答えなど出ないのだろう。  
   
この世界を破壊すると言いきった女禍。  
彼女を止めるには、封印するしかなかった。  
   
涙が、止まらなかった。  
   
何故、女禍はわかってくれないのだろう。  
何故、他に彼女を止める手立てを知らないのだろう。  
何故、伏羲は顔色一つ変えないのだろう。  
   
何もかもがわからなくて、涙が止まらなかった。  
しかし。  
   
何より厭わしかったのは、  
女禍を封印して心の何処かで安堵し、喜んでいた自分の本心だった―――  
 
荒れ果てた大地。  
それはどこか、消滅した故郷の星を思い起こさせる。  
元あったはずの緑は、女禍の力によって消えてなくなっていた。  
そこに4つの人影。  
しかしやがて、そのうちの二人は、この星の生物、鉱物と同化し、消える。  
後に残されたのは、二つの人影。  
   
「――…本当に、一人で…大丈夫、なの…?」  
その言葉に、伏羲は頷くしかない。  
でなければ、神農は自分も残ると言い出しかねない。  
そんなことは不可能だと、わかっているのに。  
自分たちの強大な力は、何もしなくともこの星に害を成す。  
何より女禍の一件は、彼女には負担がかかりすぎたのだ。  
女禍を封印するために力を使い果たし。  
同郷の仲間を封印してしまった後ろめたさから、精神的にも負担を抱え。  
ただでさえ故郷を失って参っていた神農に、決定的なダメージとなったのだ。  
腰に届くほどに長い栗色の髪が、風になびき。  
病的なまでに白い肌が、余計に神農を儚げに見せている。  
彼女自身は気丈に振舞おうとしてはいるが、  
傍から見れば、今にも倒れかねない状態なのは明らかであった。  
   
「――…ごめんね…本当に……ごめん、なさい……」  
何を謝ることがあるのかと、伏羲は眉をひそめた。  
神農の胸中は如何なものであったのか。  
伏羲を一人残してしまうこと。  
後の始末をすべて押し付けてしまうこと。  
そして――女禍の封印に、喜んでしまったこと。  
謝り尽くしても足りない気さえした。  
これからこの星の大地と融合しようとしている自分が、ひどく卑怯な存在に思えたのだ。  
堪えきれず、神農の瞳から涙が零れ落ちた。  
泣いてもどうしようもない。  
そうわかっていてもなお、止めようと思えば思うほどに、堰を切ったように涙が溢れてくる。  
そんな神農を、伏羲は無言のまま見つめていた。  
 
――よく泣く女だ。  
泣き出した神農を見て、幾度目になるかわからない感想を伏羲は抱いた。  
故郷の星にいた頃、周囲の者は揃って「神農はいつも笑顔でいてくれる」と言っていた。  
が、伏羲にとっては違っていた。  
彼の前にいる時の神農は、笑ったり怒ったりとくるくると表情を変え――そして、よく泣いていた。  
誰の前でも泣かないはずの神農。  
それが何故、伏羲の前でだけは泣くのか。  
そんなことを考えたことはなかった。  
ただ、それがひどく特別なことのように思えたのは確かだ。  
少なくとも伏羲にとって、神農は特別な存在となっていた。  
   
泣き続ける神農を、伏羲は無言のまま引き寄せる。  
そして、その大きな瞳から、涙をぬぐってやる。  
そのまま、更に引き寄せ――口吻けた。  
   
   
   
泣いている神農をあやすかのように抱くのは、  
伏羲にとってはもはや狂おしいまでに望む行為であった。  
たとえそれが幾度となく繰り返されようとも、決して飽きることのない……  
 
 
   
始めは、口唇を重ねるだけの口吻けだった。  
やがてそれは、徐々に深いものへと変わっていく。  
ゆっくりと味わうかのような口吻けは、ひどく甘美に感じられる。  
神農もまた、そのまま快楽の波に飲まれようとした。  
そうすれば、忘れられるから。  
たとえ一時にせよ、快楽に溺れてしまえば。  
何もかもを忘れてしまうことができるから。  
――伏羲に「愛してる」の一言も言えない、現実ですら。  
彼が、どんなつもりで神農を抱くのか。  
それを知ろうとは思わない。知りたくもない。  
それでも抱かれていたいのだ。  
この瞬間だけは、伏羲は自分のものなのだ。  
彼の妻である女禍の存在も、忘れて。  
……いや、もう彼女はいないのだ。封印されて、冷たく眠り続け―――   
   
「―――いやぁっ!!」  
叫び声と共に、神農が伏羲を突き放した。  
突然のことであえなくなすがままになる伏羲。  
「…だ、駄目…なの……ごめん…駄目……」  
女禍がいなくなったことを喜んでしまった。  
これで伏羲は私のことだけ見てくれると。  
一瞬でも、いや、一瞬どころでなく、そう思ってしまったのだ。  
卑怯だ、と思う。  
こんな自分は、伏羲に抱かれる資格などありはしないのだ。  
与えられるはずのない愛情など求めず、さっさと消えてしまいたい。  
あまりにも自分が情けなくて。  
神農は溢れ続ける涙を止めることができなかった。  
 
突然の拒絶に、驚いたのは伏羲である。  
しかし驚愕は一瞬にすぎなかった。  
次第に湧いてきたのは、苛立ちの念。  
   
何故、拒絶するのか。  
   
泣いている神農を見ることができるのは、自分だけだった。  
それはつまり、彼女をあやすことができるのも、自分だけだということだ。  
他のどの男にも、元の恋人にすらできない行為。  
彼女への想いが募るほどに、その特権を盾に、神農を抱く。  
自分のような愛想もなく性格もよいとは言えない男を、誰が愛すると言うのだろうか。  
だからこそ、知らず与えられた特権を利用しないことはなかった。  
生涯でただ一人、心底から惚れてしまった女を抱くために。  
   
その特権を。  
ここにきて、奪い上げようと言うのか。  
   
黙っていることなど、できなかった。  
 
泣きじゃくるばかりの神農を、伏羲は再度引き寄せて口吻ける。  
先程までとはうってかわって、貪るように。  
濡れた口唇を強引に割って舌が侵入し、その口内を蹂躙する。  
反射的に逃げようとした神農の頭を押さえつけ、なおも犯し続け。  
もう一方の手で背筋を撫で上げると、神農の身体がびくんと跳ね上がった。  
   
幾度となく抱いた身体なのだ。  
どうすれば反応が返ってくるかなど、考えずともわかる。  
   
存分にその口内を味わいながら、伏羲は神農の服をはだけていく。  
何とかその腕から逃れようとしていた神農も、徐々に抵抗する力が弱くなっていた。  
その最後の力すら奪おうと、伏羲はあらわになった神農の胸に触れる。  
「……っはぁ…んっ…」  
口吻けの合間に洩れる吐息。  
明らかに硬さを帯びてきている胸の突起。  
すでに神農が感じているのは、明らかだった。まだ口吻けだけだと言うのに。  
微かに笑みを浮かべ、伏羲は神農の耳元に口を寄せる。  
「…感じているのだろう? 素直になったらどうだ…?」  
「やぁ……っぁん…」  
耳元で囁かれた声、更にそこを舌で弄ばれ、  
身を捩って逃れようとしていた神農の身体から途端に力が抜ける。  
伏羲の思惑通りに。  
神農は完全に抵抗する力を失ってしまった。  
 
地面に横たえた神農にもう一度口吻けた伏羲の口唇は、  
首筋をたどり、胸元にたどりつく。  
片方の胸を手で揉みしだき、白い肌に口吻けて所有の痕を残していく。  
が、敏感なその先端には決して触れようとしない。  
焦らされ、気が狂わんばかりになりながら、  
それでも神農は、女禍に対する後ろめたさを捨てきれなかった。  
何をどう言い訳しても、女禍の封印を喜んだことに変わりはない。  
それが罪悪感となって神農を責め立てる。  
わかっているのに、けれども身体は伏羲の愛撫に反応してしまう。  
もっと彼が欲しいと、訴えてしまう。  
何を誰にどう詫びればいいのか。  
わからないが故に、謝り続けるしかない。  
ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい…―――  
   
不意に神農の瞳から流れ落ちた一粒の涙を、伏羲は見逃さなかった。  
「……今、何を考えていた……?」  
答えを聞かずとも、それが自分のことでないということだけは確かだ。  
少なくとも今この時だけは、神農は自分のものであるはずなのに。  
伏羲の中で、苛立ちが増してくる。  
愛されることなど、始めから望んではいない。  
それでもこの瞬間は、自分以外のことなど考えさせたくはない。  
何かに急かされるかのように神農が身につけている下衣の裾を捲り上げると、  
すでに潤っている秘所が露わになる。  
伏羲はそこへ指を這わせると、敏感な突起を擦り上げた。  
「ぁあんっ! ……はぁ…っぁあっ…」  
嬌声を上げ、腰を浮かせる神農。  
   
―――ごめんなさい…許して………これが、最後だから………  
   
辛うじて残っていた理性で誰にともなく謝ると。  
その理性もかなぐり捨てて、神農は与えられる快楽へと身を委ねていった。  
 
神農の反応に満足し、伏羲は愛撫を続ける。  
胸元に口吻けて紅い痕を残し、時には舐めあげ。それでも決してその頂には触れず。  
指先はその身体の線を殊更ゆっくりと撫で上げる。  
焦れたように神農が身体を揺らしても、伏羲は気にも留めない。  
更に焦らすように、口唇と手による愛撫を胸に与え続け。  
不意に、その頂を指で摘み上げた。  
「…ぁあっ…ん……っはぁんっ…」  
待ち焦がれていた刺激に、神農が嬌声をあげる。  
幼さの残る顔は情欲に火照り。  
更なる快楽を求め、身を捩り艶めいた声をあげ。  
これを見、そして聞きたいがために、伏羲はただ焦らし続けるのだ。  
自分を欲させたくて。  
そこに愛情などなくてもいい。  
情欲からでも、快楽のためだけであっても、それでも欲してくれるのならば。  
「あっん……んん…っ」  
胸の頂を舌で転がし、時には吸い上げ、それを繰り返す。  
次第に堪らなくなったのか、神農は内股を擦り合わせながら身を捩りだした。  
一糸纏わぬ姿よりも、服を肌蹴られたまま快楽に悶えるその姿は、より一層淫らに思わせる。  
だが、更にその淫らな姿を曝け出してやりたい。  
そう思わずにいられない。  
以前に神農を抱いた他の男たちすら知らない彼女の姿を見てやりたい、  
そうすることで、そんな彼女を自分だけのものにしたいのだと。  
そんな子供じみた独占欲が起こさせる思いなのかもしれない。  
 
内股が合わさっているといっても、ほっそりとした脚では完全に合わさることなどない。  
脚の付け根を撫で下ろしながら、伏羲の指は隙間から神農の秘所へと到達する。  
蜜が溢れんばかりとなっているそこは、難なく指を受け入れた。  
「ぁんっ! や…やぁ…っ…んん…っ」  
神農は恥らうように顔をそむけ、伏羲の指を追い出そうとするかのように脚を擦り合わせる。  
一体、どれだけの男にどれほど抱かれてきたのかは知らないが。  
それでもなお恥らう姿を見せるのは、伏羲にとっては嗜虐心が煽られるだけであった。  
脚の間に強引に身体を割り込ませ、脚を閉じられないようにする。  
「っや…ぁ……」  
「嫌ではないだろう? これだけ感じておいて……」  
そう言いながら、伏羲は更にもう一本の指を秘所へと侵入させる。  
…ぐちゅん……くちゅ……くちゅ…  
二本の指で締めつけてくる中をかき回すと、更に蜜が溢れ、卑猥な水音が耳に届く。  
「くぅ…ん……あぁ…っぁん……ふぅ…っん……」  
指の動きに合わせて喘ぐ神農の耳元に、伏羲は口を寄せた。  
「またえらく濡らしてるじゃないか……淫乱だな」  
「ち、ちが……ぁうん…っ…ぁああっ」  
伏羲の指が秘所の突起を擦ると、途端に神農の口からあられもない嬌声があがる。  
羞恥にまみれ、それでも快感を与えられれば素直に反応してしまう。  
全身に巡る快感を何とかしようと、神農は無意識に腰を揺らす。  
早く来て欲しいと、それは無言の催促である。  
けれども伏羲は、その訴えを無視する。  
相変わらず秘所を二本の指で弄びながら、舌で胸を愛撫し始めた。  
 
繰り返される快感の波。  
何度も絶頂に近づきながら、達しそうになると伏羲は愛撫の手を緩めてしまう。  
自分が、次々と襲いくる快感の波にただ弄ばれる木の葉になったようで。  
それがもどかしくて伏羲の名を呼んでも、  
「どうした?」と、皮肉ったような薄い笑みを浮かべるだけなのである。  
伏羲に抱かれる時は焦らされることが多いけれども、  
しかしここまで焦らされたことなど無かった。  
視界は霞がかかったよう、気は狂う寸前かもしれない。  
「―――どうして欲しいか、言ったらどうだ?」  
ひどく遠くから、その声が聞こえてきたような気がする。  
思考能力など無くなっているに等しい神農に、羞恥心はもはや残っていなかった。  
あるのは、快楽を求める本能のみ。  
「…っ…ねが…っ……ぁん……って……ぇ」  
「……もっとはっきりと言ったらどうだ」  
秘所はすでに三本の指を呑み込み、その蠢きは確実に快感を全身に送り出す。  
更に胸の頂を噛まれ、神農は思わず「あぁぁんっ!」と嬌声を洩らした。  
「どうした? それでは…わからんが……?」  
余裕ぶった言葉を発するも、しかし伏羲も限界は近かった。  
それでも、どうしても言わせたいのだ。  
神農の口から、自分を、他の誰でもない、伏羲自身を求める言葉を。  
何もかもがこれで最後ならば。  
せめて最後だけでも、求められたい。求められて、神農を自分のものとしたい―――  
「……ぁん……っ…おねが…い…っ……っしいの…っ」  
途切れ途切れに神農の口から洩れる言葉には、切なさすら混じっていて。  
「…ふ…っき……きて…っ……ほしい…の…っ」  
―――とうとう、望んだものを得た。  
秘所から指を抜き取ると、指に絡み付く滴り落ちるほどの蜜を舐めあげる。  
そして神農の両足を高く掲げて自分の肩に乗せると、限界に来ていた自身を下衣から取りだし、  
一気にその秘所を貫いた。  
 
「あああぁぁんっ!」  
指とは明らかに違う質量と熱を持ったものが、唐突に神農の内部に侵入してくる。  
軽い傷みを感じると同時に、神農はそれが望んだ快楽をもたらすものだということもわかっていた。  
ゆっくりと、次第に激しくなる抽送に翻弄されながら、  
それでも貪欲に快楽を得ようと、神農は腰を振る。  
形が変わるかと思うほど強く胸を揉みしだかれ、  
互いの唾液が交じり合うほどに深い口吻けを繰り返し。  
それでもまだ物足りないかのように、神農は腕を回して伏羲を引き寄せる。  
―――愛されなくても構わない。  
―――ただこの瞬間だけは、あなたは私のもの。  
―――私を壊して、滅茶苦茶にして。あなたの手で……  
「…ん…っふぁ……ふっ…き……ぁあん…っ!」  
切れ切れに名前を呼ばれ、焦点の合っていない潤んだ瞳には、それでも自分の姿だけが映り。  
それで、満足だった。  
それが、至福だった。  
絶頂は近い。  
「く……っ神…農……っ!」  
「んん…っやぁ…っああああっ!!」  
同時に快楽の絶頂に達し。  
二人は崩れるようにその場に倒れ込んだ。  
 
どれほどの時間が経った頃か。  
荒れ果てた大地に立つ二人。  
着衣を整え、すでに情欲の名残はない。  
それでも、二人の間に存在した時間が幻想だったわけではないのだ。  
   
   
――愛してる。誰よりも。  
そう言えたならば。  
「――…ごめん、ね……」  
しかし神農の口から発せられたのは、謝罪の言葉だった。  
伏羲を一人残してしまうことに、どうしても罪悪感が残ってしまう。  
けれども、神農にはこの星と同化しなければならない理由がある。  
女禍によって荒廃したこの星に、再び生命力を与えること。  
この星の未来を自分たちが奪い上げないこと。  
同化することでしか、それを成すことはできないのだ。  
それに……一人残る伏羲に、こんな感情は押しつけられない。  
もう、口吻けることも、抱きしめあうことも―――触れることすら、できなくなるのに。  
一方的にこの感情だけ押しつけてしまっては、その想いの行き場はどうなってしまうのだろう。  
だから、言わないのだ。言えないのだ。絶対に。  
それでも、愛してるから。  
それは、決して言葉にできない想い―――  
 
引きとめたかった。  
引きとめ、自分の腕の中に残し、誰に憚ることなく抱いていたかった。  
しかしそれは、神農の死と同義なのだ。  
弱りきっている彼女の身体は、長くはもたないだろう。  
この星と融合すれば、彼女の意識は生き長らえることができるのだ。  
それこそ、この星が存在する限り。  
―――それでいい。そう思う。  
愛しているからこそ、そう思うのだ。  
まさか自分が他人を愛するなど考えたこともなかったが。  
 
二人の目が合う。  
   
もう一度、抱きしめたい。  
もう一度、抱きしめられたい。  
もう一度、口吻けたい。  
もう一度、口吻けられたい。  
   
しかし、それをしたら。  
   
二度と、離せなくなる。  
二度と、離れられなくなる。  
   
だから、二人は寄り添わない。  
   
   
「――…ありがとう……さよなら」  
それだけ言って。  
神農の姿は、大気中に溶けるかのように消えた。  
   
   
最期に切なげに微笑んだ彼女の姿は。  
今まで見たどの彼女よりも、美しく。  
伏羲の頬を、一筋の雫が伝った。  
 
   
   
懸念していた通り、女禍の封印は完全ではなかった。  
女禍の目を欺くために、名を変え姿を変え。  
伏羲は幾度となく世界の滅びを見てきた。  
そのたびに、この星が―――神農が泣いているような、そんな気すらした。  
だからこそ。  
   
   
   
「それは正義と言えるのか!!!」  
燃燈道人の言葉を、王奕という名の伏羲はあっさりと否定する。  
「正義である必要などない」  
薄っぺらな建前など、なんの役にも立ちはしない。  
すべては神農のため。  
今やこの星そのものである彼女。  
この自分の為に最期まで泣いてくれた。微笑んでくれた。  
そんな神農のために。  
そのためだけに、今、ここに存在しているのだ。  
正義であろうとなかろうと。たとえ罵られようとも。  
この星の未来を、神農を救うことができるのならば、自分はどう呼ばれても構わない。  
 
「……この計画は女禍に気付かれぬよう極秘とする。  
 私も元始天尊の弟子という事にしよう」  
計画の一端を話しながら、伏羲は別のことを考えていた。  
計画通りに進めば、自分はこれから自身のこれまでの記憶を消すことになる。  
女禍の目を欺くため。元始天尊の弟子に成りすますため。  
   
……それでも、ありえないとわかっていても。   
もし神農に再会できたとしたならば。  
その時は彼女のことを覚えていたいと、似合わぬ感傷が胸中をよぎる。  
   
そんな感傷を振り払うかのように、伏羲は軽く頭を振り。  
そして。  
   
   
   
「計画の実行はおよそ2000年後……歴史が殷から周に変わる時。  
 ―――これを封神計画と名づける」  
   
すべてが、始まる。  
すべては、唯一愛した存在のために―――  
   
   
‐了‐  
 

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