「何でいる…!」
「どうして本当のことを言わなかったんですか」
「君さっき出てった筈じゃ…」
「どうして本当は君を失いたくないって言わなかったんですか。
どうして今でも好きだって言わなかったんですか!」
「離婚したんだよ」
「…え?」
「君には言ってなかったけど、正式に離婚した」
「え?」
「やり直すことはできなかった」
「でも、部長は今でも奥さんの事を…」
「好きだからって乗り越えられないことがある」
「そうかな…本当に好きだったら乗り越えられるんじゃないかな。
部長は、頑張って乗り越えようとしなかったんじゃないかな」
「君に何がわかる。何も知らないくせに」
「何も話してくれないからです!」
「話してどうなる。君はただの部下だ。私とって君は、何でもない
ただの同居人だ。早く手嶋のところに行け」
高野は玄関の方を指差した。
「嫌です」
「何を言ってる…」
「嫌です!」
「早く行けったら!」
「今出かけたら部長も奥さんを追いかけていっちゃいます!」
「なっ…!」
「今ならまだ追いついてしまいます!そしたら部長は『君が好き
だもん、別れたくないもん』って言うんでしょう?!」
「離婚したって言ったろう」
「再婚だってできます。奥さんだってきっと部長のことがまだ
好きな筈です!頑張れば何だって乗り越えられます!
そしたら元に戻れます!」
「さっきから何を言ってる?」
「行かないで下さい…奥さんを、追いかけないで下さい…私は……
部長のことが好きなんです…!」
蛍の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
高野はあまりのことに言葉を失った。
「今わかったんです…私…今まで奥さんの話を聞いても何とも
思わなかったんですけど、あ、何ともっていうのは悪い意味じゃなくて
会ったことなかった人だし…その…うまく言えないんですけど…でも、
さっき初めてお会いした時に、奥さんが『あなた』って言ってそれで
ぶちょおが『深雪』って言った時になんかこう、モヤモヤ〜っとした
感じがして、何でそんなこと感じるのかなってよくわからなくて…」
「それは嫉妬だと言いたいのか?」
高野はため息をつきながら言った。
「たぶん…そうです。マコトさんと優華さんが二人で話してる時も同じ
感じがしました。でも今の方がもっと強くて苦しいんです。
今出て行けば部長は奥さんを追いかけて行っちゃうって思ったら
私もう、訳がわからなくなってしまって…それに奥さんは
私の知らない部長をたくさん知ってるんだって。今は私と一緒に
いるのに私は部長のことを何もわかってない。ぶちょおはこんなに私の
ことをわかってくれてるのに…!」
「それは嫉妬じゃない。ブラコンとかファザコンとかそんなのに
近い感覚だ。兄弟が彼女を連れてきた時の気持ちと勘違いして
いるんだろう」
高野は自分に言い聞かせるようにゆっくり話した。
「違います。そんなんじゃありません。どうしたらわかって
もらえるんですか?」
「自分で考えろ」
蛍は意を決して高野に近づいた。そして高野の頭を鷲掴みにすると
その唇に自分の唇を重ねた。
「これで、わかってもらえましたか」
さすがに恥ずかしいのか真っ赤になった顔を背けながら尋ねる。
(今何をした…?自分のしたことをわかってるのか…!)
何も答えない高野に蛍はまた泣きそうな顔になっていた。
「まだわかってもらえませんか」
蛍は高野の手を握り、強引に高野の部屋へ連れ込んだ。
ベッドの横に立つと無言でワンピースのボタンを外し始めた。
「やめろ!わかった!君の気持ちはわかった」
高野は蛍の手を掴んで下に降ろし、はだけた胸元を閉じた。
(…もう自分の気持ちを誤魔化すことはできない…)
「雨宮…私はもう妻のことはもう過去のことだと思っている。いや、
正直言って妻のことを考えるとまだ胸が痛む時があるがな。今もまだ
少し動揺している」
蛍はうつむいて部屋を出ようとした。が、高野に阻まれた。
「だが、君がいたから乗り越えられた。君といると妻のことを
考えすぎないでいられた。君と話していると元気になれた。
心が安らいだ。いつの間にか妻より君のことを考えている自分がいた。
本当はいつでもここを出て行けたのにできなかった。君といるのが
楽しかったから、離れられなかった」
蛍がゆっくり顔を上げた。
「それは…本当ですか?」
「ああ。本当だ。私も君が好きだ」
「部長!」
蛍は高野に抱きついた。高野もまた、蛍を強く抱きしめた。
「私、ここを出て行きたくないです。部長のそばを離れたくないです」
高野を見上げる蛍の顔は涙で濡れていた。
二人は再び唇を重ねた。今まで告げられなかった思いを、気付くことが
できなかった思いをぶつけあうかのように激しく求め合った。
(キスってこんなにしょっぱかったっけ…)
蛍は頭の隅でそんなことを考えていた。
その時、廊下に置いたままの蛍のバッグから携帯が鳴った。
二人ははじかれたように身体を離した。
「マコトさん…」
「どうするんだ」
「もう、迷いはありません。全てを話してお別れします。部長は
待ってて下さい」
蛍は出かけて行った。先ほどまでよく晴れていた空は今にも雨が降り
そうな雲行きに変わっていた。
蛍から一方的に別れを告げられたマコトは呆然としていた。
公園に呼び出され、「他に好きな人ができた。自分が悪い、
ごめんなさい」と繰り返すのみでマコトの疑問に一つも答えない蛍に
怒りの感情が沸き起こってきた。
結局蛍はごめんなさいの一点張りで帰ってしまった。
訳のわからぬまま一度は帰宅したものの、居ても経ってもいられず、
また、ずっと心の中から消えなかった疑いを晴らすべく蛍の家に
向かっていた。
降り出した雨の中、マコトは蛍の家の前にいた。意気込んで家まで来た
ものの怖じ気づいてしまい、門の前でためらっていた。
玄関のドアが開いた。マコトは慌てて曲がり角まで戻って身を隠した。
白いシャツに黒のパンツを穿いた背の高い男性が出て来た。
(やっぱりオタカさんは男だったんだ…!)
傘で顔が隠れて見えないが、なぜか見覚えがあるような気がした。
その時、蛍が戻って来た。傘を持っていなかったせいでずぶ濡れで
とぼとぼと歩いて来た。
(蛍さん…!)
「雨宮!」
男性がさしていた傘を放り出して蛍に駆け寄って抱きしめた。
(高野部長…!!)
「やっぱり部長だった…」
マコトは自分が呟いた言葉に驚いた。同居相手が男性だったことは
予想がついていたが、相手が高野だったなどとはわからなかった筈
なのに。
(今にして思えばおかしなことがいくつもあった…どうして資料を
受け取りに行った時に部長に会った?どうして部長はあの後来た道を戻ったんだ?どうして電話で蛍さんは『部長』と口走った?どうして
部長と飲んでた筈なのに目が覚めたら蛍さんがいた?同居相手が部長
なら全て説明がつくことじゃないか…)
マコトはその場にずるずるとへたり込んだ。
「雨宮!ずぶ濡れじゃないか!早く入りなさい、風邪をひく!」
「ぶちょお…濡れちゃいます…」
「そんなのはどうでもいいから!」
抱きしめた蛍の頬と頬が触れあった瞬間、高野はその熱さに驚いた。
「熱があるじゃないか…」
高野は蛍の額に手を当てた。
「傘を持ってなかったから…歩いて帰って来ました…」
「早く入れ。着替えなさい」
肩を抱くと蛍はがくっと頽れた。
「雨宮!」
蛍が目を覚ますともう夜だった。雨はもう止んでおり、月が出ていた。
高野が心配そうな顔で覗き込んでいた。
「ぶちょお…?」
「目が覚めたか。気分はどうだ?」
「あの、私…あれっ」
起き上がろうとするも、頭がふらついて起き上がれなかった。
「やっと熱が下がったところだ。無理に起きるな。何か飲むか?
何がいい?」
「はい…あの…ぶちょおが前に風邪ひいた時に作ってたジュースが
飲みたいです」
「りんごをすりおろして搾った中にフランス産の蜂蜜を5グラムと
国産のレモンを2ミリの輪切りにして2枚と半分入れて作った
ジュースか?」
「はい」
(あれを覚えていたのか…)
高野が微笑んだ。つられて蛍も微笑んだ。
「わかった。作ってくるからちょっと待ってなさい」
「はい。あの…ぶちょお、ずっとついててくれたんですか?」
「心配だったからな。汗も随分かいてたし」
それだけ言うと高野は蛍の部屋を出た。
(汗…ってそういえば私びしょ濡れになって帰って来たのにいつの
間にかジャージとTシャツに着替えてる!ってことはぶちょおが
着替えさせてくれた?つまりハダカを見られた?!ムダ毛処理
しといて良かった〜って違う!!恥ずかしいっっ!
どどどどうしようっっ)
蛍はタオルケットを頭からかぶってうろたえた。
「雨宮、できたぞ…ってさなぎ女?!」
「う〜〜、う〜〜〜〜」
「どうしたんだ?気分が悪くなったのか?」
「見ないで下さいっ。ぶちょおにハダカ見られたなんて恥ずかしくて
死にそうですっ!」
「びしょ濡れだったんだから仕方ないだろう。まさかそのまま寝かせる
わけにはいかないし。随分汗もかいたから着替えさせないわけにも
いかなかったからな」
「でもっ、でもっ」
「看病してる時に変な気なんか起こすか。風邪ひいてる私のベッドに
もぐり込んできた君じゃあるまいし」
「あれはその…!あ…」
蛍はがばっと起き上がったがまた倒れそうになり、手で身体を支えた。
「無理して起き上がろうとするな。ほら喉が渇いてるんだろう?
まずはこれを飲め」
「はい…」
高野は蛍の身体を支えてジュースを渡した。
「美味しい…!」
「当たり前だ。私の特製ジュースだからな」
蛍は一息に飲み干した。
「おかわり下さい」
「元気が出てきたようだな。たくさん作ったからどんどん飲め。
脱水症状を起こしたら大変だからな」
蛍はさらに2杯ジュースを飲み干した。
「落ち着いたか?何か食べられそうか?」
「もうこれで十分です。ありがとうございました」
「そうか。じゃ、もう寝なさい。風邪の時は寝るのが一番だから」
「はい」
蛍は横になった。
「じゃ、時々様子を見に来るから。おやすみ」
「ついててくれないんですか?」
「もう熱も下がったし、大丈夫だろ?時々見に来てやるから」
「そばについててくれなきゃ眠れません」
「なに甘えてるんだ」
「お願いです…」
「仕方ないな…だが絵本は読まないぞ」
仕方ないと言いつつお願いする蛍の可愛らしさについ口元が緩んで
しまう高野であった。
「ここに寝て下さい」
「え?!」
蛍は端に寄った。
「一緒に寝ましょう!」
「な…何を…風邪がうつるだろうが!」
「もう熱下がったから大丈夫ですよー。添い寝してくれなきゃ
眠れません」
「わかった。眠るまでな」
「やった!」
高野は手枕で横になった。蛍はにっこり微笑むとおやすみなさい、と
呟いて目を閉じた。
しばらくすると規則正しい寝息が聞こえてきたので高野は部屋を
出なければと思ったが、蛍の寝顔を見ていると愛しい思いの方が勝って
しまい、離れ難くなってしまった。
更に時間が経ち、手枕をしていた腕が痺れてきたので身体の向きを
変えようと蛍に背を向けた。
「…ううん…」
蛍が高野を後ろからぎゅっと抱きしめてきた。
「雨宮?」
びっくりして振り返ったみたが、蛍は眠っていた。
(抱き枕と間違えてるな…)
再び横になって高野はあることに気付いた。
(背中に当たっているのは…)
マシュマロのような柔らかい物が背中に当たっている。
(落ち着け、落ち着くんだ。こんなシチュエーションは別に初めての
ことじゃないだろう。しかも相手は病み上がりだ。抱き枕と勘違いして
しがみついてるだけなんだ。病人相手に変な気を起こしたアホ宮じゃ
あるまいし、私は一体何を考えてるんだ)
必死に打ち消そうとする理性とは裏腹に、高野の脳裏には帰宅して
からの蛍の様子がまざまざと甦ってきた。
雨に濡れた髪…荒い息づかい…指に吸い付くような白い肌…
熱い身体…。
身体に巻き付けられた腕を解いて蛍の方に身体を向けると、彼女の
身体は仰向けになった。月明かりに照らされた蛍の顔を見ていると、
もう抑えきれないほどの切なさが込み上げてきた。
「雨宮…本当に私でいいのか…?」
高野は蛍に口づけた。昼間にしたような激しさは欠片もなく、
こわれものに触れるかのように優しくキスをした。
「ぶちょお…」
唇を離すと蛍はぱっちりと目を開けていた。
「起きてたのか!」
「いえ…なんかぶちょおにちゅーされる夢みて、すごくどきどきして
目が覚めたらぶちょおが…」
「いや…その…」
蛍の手が高野の頬を愛おしむように包んだ。
「もう一度して下さい」
二人は再び唇を重ねた。わずかに開いた唇の隙間から高野は舌を滑り
込ませた。昼間は気付かなかったが、おずおずと舌をからませてくる
蛍に微かな違和感を
感じた。高野は慣れた手つきで蛍の服を脱がせた。
「恥ずかしいです…」
「暗くてよく見えないから安心しろ」
そうは言ったものの、蛍の部屋には満月の光がまっすぐ差し込んで
いて、彼女の身体を照らしていた。月明かりに彩られた蛍はこの上なく妖しく美しく、まるでこの世の者ではないかのような錯覚を覚えた。
(綺麗だ…)
高野の唇が蛍の首筋をなぞった。その手は触れるか触れないかの
ような、まるで羽毛でなでられるような感触で蛍の身体を撫でた。
くすぐったさと快感が入り交じったような不思議な感覚に蛍は
酔いしれた。
まだ肝心な部分には触れられてもいないのに、二つの蕾は色づいて
固くなり、身体の芯が熱くなってくるのを感じた。
「あっ…ぶちょお…へんな感じ…」
「もう少し素直な表現をしてもらいたいね」
高野は柔らかなふくらみを撫で、その頂きに舌を這わせた。
「いやぁ…あぁっ…」
高野の手は次第に下の方へと移動し、敏感な部分に触れた。熱い蜜で
満たされた花弁は指の刺激に耐えきれず、シーツを濡らすほどに
あふれさせた。
「結構敏感なんだな。意外だ」
高野は蛍の耳許で囁いた。
「あん…もう…ヒドイですよ…」
憎らしいほどに余裕たっぷりな高野に蛍は腹が立ってきたがすぐに
押し寄せる快楽の波にその思考は押し流されてしまった。
気がつくと高野の頭は蛍の足の間に移動していた。止める間もなく
その中心の最も敏感な部分に高野の舌が滑り込んだ。
「やめて下さい…!そんな汚い…お風呂にも入ってないのにっ…!」
更に強く押し寄せる快感に蛍は気を失いそうだったが、かろうじて
意識を保って高野に懇願した。
「汚くなんかない。それに本当にやめちゃっていいの?」
ニヤリと笑う高野に組み敷かれ、快楽の虜にされた蛍にはもうなす
術がなく、こう答えるのが精一杯だった。
「ぶちょおのイジワル…大キライ…」
「それはどうも。準備ができたようだな。いくぞ」
高野は蛍の中に侵入した。
「…痛い…!」
「大丈夫か?すまない。少し急ぎすぎたか」
「そうじゃないんです…だって…あの…」
蛍は言い淀んだ。
「すごく…久しぶりだから…」
高野はさっき感じた違和感の理由がわかった。
(そうか、あのぎこちない感じは久しぶりだったからか。手嶋とは
殆ど何もなかったのか…)
手嶋と身体の関係がなかったのだとわかると、高野はほっとすると
同時に自分が彼に嫉妬していたことを自覚して少し驚いた。
「痛みがやわらぐまでこうしているから」
自分の感情を悟られまいと高野は蛍を抱きしめ、手嶋の痕跡を拭い去る
かのように何度もキスをした。
ふと目を開けると蛍の目から涙が滲んでいた。
「まだ痛むか?やめようか?」
「違います。やめないで下さい。私嬉しいんです。ぶちょおとひとつに
なれたんだなあって。もっとぶちょおを私の中に感じていたいんです。
だからこのままでいて下さい。もう殆ど痛くないですから」
「そうか。じゃ、動くぞ。辛かったら言え」
「はい」
高野はゆっくり腰を動かした。蛍の身体から強張りが消え、高野の
動きに合わせてまた切なく甘い声を漏らし始めた。
「ぶちょお…もうダメです…離さないで…」
蛍は身体が溶けてしまいそうな、意識がどこかへ飛んで行ってしまう
ような感覚に襲われた。高野の息が荒くなり、やがて蛍の身体の上に
崩れ落ちた。
月は天高く昇ったようで、蛍の部屋の中は先ほどより随分暗くなって
いた。
「あの…」
蛍は高野の腕の中にいた。
「ん?」
「私、ぶちょおがいいんです」
「急に何だ?」
「さっきの質問の答え。私でいいのかって聞いたでしょ?」
「寝てたんじゃなかったのか!」
「ぶちょおが私に背中向けた時に目が覚めました。どっか
行っちゃうんじゃないかと思って咄嗟に抱きついちゃいました」
いたずらっぽく蛍が笑った。
「なんて奴だ…!騙したな?」
高野は自分の顔がかっと熱くなるのを感じた。
(部屋の中が暗くて助かった…)
「ぶちょお、顔真っ赤ですよ。うふふ」
「暗いんだから見えるわけないだろっ」
「やっぱり赤いんだ」
「貴様…!」
高野は起き上がって蛍をまた組み敷いた。
「ぶちょお…大好きです…」
蛍の腕がするりと伸びて高野の首にからみついてキスをした。
このままずっと二人きりの甘い時間が続くよう願いながら…
end