「九峪様……」  
 背後からポツリとした声が聞こえてきた。  
 呼ばれて、筆を持つ手をとめ、振り返る。  
「星華……か?」  
 部屋の戸は閉められている。が、その声を聞けば姿を見ずとも特定は容易であった。  
 九峪がこの世界に来て初めてではないにしても、早期に出会った彼女の声を間違えることはない。  
「入ってもよろしいでしょうか?」  
「ん、ああ、かまわないよ」  
 今は夜の11時を少し回ったころだった。  
 九峪の世界ではさほど遅いというわけではないが、こちらではすでに深夜と言ってもいい時間だ。  
 が、九峪もこちらの世界の生活はそれなりに長かったりする。亜衣に妙な仕事を頼まれなければすでに寝ていたかもしれなかった。  
「お仕事中でしたか?」  
 しずしずと戸を開けて部屋に入ってきた星華がこちらを窺いながらそう訊ねてきた。  
「まあ、な。事務関係は亜衣の領分なんだが、神の遣いの書名が必要なものがあるんだと」  
「お忙しいようでしたらまた日を改めましょうか」  
 ──日を改める?  
 おかしな物言いをするとは思ったが、特に気にとめる必要もないだろう。  
「ん? 別に気にしなくていいさ。急ぎってわけじゃないからな」  
「本当ですか? 亜衣を怒らせるとあとあと厄介ですよ?」  
「あー、そりゃそうだな……って、本当にいいんだって。で、なにか用があるんじゃないのか?」  
 それまで不安そうだった星華の顔がぱっとほころぶ。  
「そうですか。実は九谷様にお願いがあるのですが」  
 
「お願い? なんだ、言ってみなよ」  
「はい。実は……」  
 星華はそこで言葉を切ると、急に顔を伏せてしまった。同時に身体がぷるぷると小刻みに揺れだした。  
 彼女の態度に九峪は頭の中に疑問符を浮かべた。いつもはきはきとしている星華らしからぬ行動だった。  
「? なにか言いにくいことなのか?」  
「はい……その」  
「……?」  
「と……伽を……。私に九峪様の伽を務めさせてもらえないでしょうか?」  
「は? とぎ? ……とぎって──」  
 聞きなれない言葉を耳にしてしばし記憶を探る。  
 こちらの世界では普段九峪が使っていたような砕けた日本語はほとんど通用しないからこういうこともたまにあった。  
(とぎトギ研ぎ? なわけねーよな。んー…………あ)  
「とぎって──伽……か?」  
「……はい」  
「つまり、セックスってこと?」  
「は? せっく、すとは?」  
「え──えええぇええええっぇっぇえぇぇぇぇぇぇええッ!?」  
 彼女のその言葉の意味するところに思い至ったそのときには、九峪はそう声を上げてしまっていた。  
 
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