アフガニスタン…。遠く北方にトルクメニスタン共和国を望む高地。人里離れたその山脈に『主宰』の本拠地が隠されていた。辺り一面に天然の牧草が生え、4〜50頭のヤギ達が呑気にそれを啄んでいる。
女達が井戸から水をくみ出し、朝食の支度に勤しんでいた。
その傍らでは子供たちがヤギ相手に無邪気に遊んでいる…。
『主宰』は天然の洞窟を利用してここに地下基地を築き、そこで暮らしていた。
単なるアジトではない。100人からなるテロリスト達の養成施設でもあった。
みな家族とここで暮らしていた。
ナジムとの不愉快なやり取りの後、イライラして寝付けなかった『主宰』は気分を変えるために外に出てきていた。
明けたばかりの朝…太陽がまぶしい…、今日もいい天気になりそうだった。
傍を5歳ぐらいの男の子がイッパシのテロリストを気取り、機関銃に見立てた木の枝で彼を撃つマネをする。
『わ〜やられたぁ〜』っといって『主宰』は撃たれた真似をすると、男の子はキャッキャと笑う。
しゃがんで男の子の頭を笑いながら撫でている時だった…。遠く『ひゅ〜〜〜〜〜』っと口笛を吹く様な音が近づいてくるのに気がついた。
悪い予感に(はっ)として立ち上がった時には、彼はもう『この世』の存在ではなくなった…。
ロンドン。MI-6のオペレーションセンター。
標準時で午前1時を過ぎていた。
イギリスの偵察衛星が西側各国の情報機関へ配信している映像が、今センタースクリーンに映し出されている。
まだ現地は明方のため赤外線映像だが、角度の関係でそこに居る人物達の姿形が手に取るように分かった。女、子供達が居ることも全て判かっていた。
Mは顔色一つ変えないでその映像を睨んでいる。
次の瞬間、4機のF/A-18Fがそれぞれ4発づつ投下したJDAM弾が着弾する瞬間が訪れると画像は激しい爆発の閃光でホワイトアウト状態になる。
暫くすると映像が復活し、夥しい破壊の惨状を伝えてきた…。
そこにあった山腹の草原は『大きなクレータ』に変わっていた。
生存者らしき者はどこにも見えなかった…。
ヤギの半身らしき『肉塊』が転がっているのが見える…。
『主よ、汝が過てる子羊を許し給え…』
Mはそう胸の内で呟くと踵を返し仮眠をとるために自分の執務室に向かった…。
23分後、さらにF-15Eとトーネードが『バンカーバスター弾』で止めを刺すことになっていた。
ウィーンではロンドンと同じ映像をしきみやナナフシ達が見つめていた。作戦は大成功に終わった…。
だが手放しで喜べるような画像ではない…。作戦は女子供にも容赦がなかった…。
ただ『テロリストと一緒に暮らしていた』それだけの理由で大勢の罪もない人間が死んだのだ…。
「慣れておけ…。これが『実戦』だ…」
アンダーソンがスクリーンから眼を離せないで居る二人の肩を叩き、そう言った。
後方で分析官が受話器を抑えて彼を呼ぶ。
アンダーソンが向き直って(こっちに回せ)と合図し、受話器を取った。
しきみは振り向くと、彼の表情から『良くない知らせ』だとハッキリ悟った…。
「そうか…、了解した…」
そう言って電話を置くと、両手をコンソールに突いたまま俯く…。
暫くしてしきみ達の方に顔をあげて言う…。
「ウインタース少尉が脱出に失敗した…」
しきみとナナフシは言葉が見つからなかった。
ひまわり達がヘリを降りた、ちょうど反対側の森林公園のフェンスに沿った道路に、スカニアR143トレーラーが待機している。運転席に座ったナジムがステアリング・ホイールの上に両腕を組み突っ伏していた。闇夜に二つの『目玉焼き』が光っている。
一度は逃げようと思っていた彼だったが、部下達から2人のうち護衛官を捕まえたと連絡を受け、その前に『一仕事』試みるつもりだった。
既に『主宰』はこの世には居ないという事実を知らなかった彼は、一縷の望みをかけて『名誉挽回』の策を練っていたのだった。
トレーラーの下に隠されたマンホールの蓋が開く。そこから浅黒い顔の男が注意深く周囲を見渡す。トレーラーのフェンダーの陰で待っていたスキンヘッドの男が合図を送ると、男はそこを這いあがってきた。
サイドミラーに写ったナジムに向け、スキンヘッドが合図する。男が次々と現れると最後の一人があざみを後ろから追いたてるようにして上がってきた。あざみの腹にはC4が巻きつけてあった。逃げたら無線起爆装置でドカン…それで終わりだ。
車を降りたナジムは、あざみの細い首を掴むと、あらん限りの力で彼女をコンテナに押しつける。苦しみで顔が歪む。
「きさまぁ〜〜〜。よくもこの俺の顔に泥を塗ってくれたなぁぁぁぁぁ〜」
減らず口を叩き返したいが苦しくて声が出ない…。
「兄弟の恨みは貴様で晴らす…。だが、今一つお前には聞きたいことがあるんでな…」
まだ殺さない…そういう意味だった。
ハヤトは本当にこれからヨーロッパに行くのか?っといった軽装で、成田国際空港のチェックインカウンターに並んでいた。
平日、しかも旅行シーズンではないので空港は空いていた。
「お荷物は?」
「い、いえ…ありません、これだけ…」
彼は手荷物を見せると預け入れの物はないとカウンターの女性に告げた。
彼女は訝しげに微かに首を捻ったが、テキパキと端末を叩き、左手にある専用ディスペンサーにボーディングチケットを吐き出させる。一緒に吐き出されたバゲージクレームのタグはそのままゴミ箱に投げ捨てられた。
「第一ターミナル南ウィングのこのゲート番号になります。出発時刻30分前までには搭乗ゲートにいらしてください」
「あ、ありがとう…」
型どおりの説明を受け、ハヤトは引き攣った笑顔を返すとすぐさまゲートに向かった。
何しろ5年ぶりくらいの成田だったので手順を思い出すのに一苦労だ…。
案の定、持っていたエビアンのペットボトルをセキュリティで没収されて苦笑いする羽目に陥った。入口の注意書きをしっかり読んでいればいいだけの話である…。
「ったく、これで生徒に『一般教養』を教えてるってんだから笑っちゃうよ…」
ハヤトは悪態をつくとイミグレーション・フロアーに急いだ。
ひまわりはまるでGPライダーのようにドゥカティを飛ばす。霞の里に来るまでバイクに触ったこともなかった少女が、今やこの警察仕様のイタリア製怪物バイクを自由自在に駆っているのだから驚きである。しかも完璧に…。
彼女は碁盤の目のような再開発区を縫うように走り、瞬く間にあざみを見失った現場に辿り着いた。その土地勘も驚異的だった。
「Policie」と大きく書かれてるバイクを降りて荒々しくこちらに近づいてくるピンクのスカートを履いた女を見て、現場警備についていたSWAT隊員が警戒感を強めて眺めている。
「君!彼女は良いんだ…通してやってくれ…」
既に顔見知りのCIA局員が警官に告げた。
「ご苦労様です…現場保存は?」
「完璧だ…誰も入れてないよ…じきに『CSI』がくる…」
CSIとは科学捜査チームにフォーカスした有名なTVドラマの事だ。
「すみません…着替えたいんですけど、なんかありますか?」
ひまわりはバイクに跨ってる間、パールピンクのショーツとガーターベルトを剥き出しで走っていて、いい加減ウンザリしていた。
恥ずかしいのではなく、迎え来る疾風を股間と脚で受けて凍える思いだったからだ。
4月とはいえプラハの夜はまだまだ寒い。
「おい君!(傍らのSWAT要員を呼び寄せる)」
「少尉に、なにか服を貸してあげてくれ…」
警官は頷くと彼女をSWAT隊のバンに案内した。
その途中思い出したように彼女は変装用のカラーコンタクトを外しポケットに入れた。
ウィーン、アメリカ大使館…。作戦成功でチームは一時解散となり、必要最低限の要員だけを残しオペレーションルームは静寂が支配している。
しきみとナナフシはまだ席に座ったままだ…。
「ミスター・サイトウ…少しでいいから今の内に寝ておいた方が良くてよ…これから長丁場になるワ」
しきみは英語で彼の『芸名』を口にして優しく言った。
「わかった…そうする…」
彼は素直に従って立ち上がる。ここ24時間ろくに眠っていなかった。
「何かあったら…直ぐ起こしてくれ…」
そう言って部屋を出た。
奥のコマンダーズ・ルームから微かにアンダーソンの声が漏れていた。
何やら電話の相手に喚いているらしい。
しきみは少しその様子を気にしながら、早くも『あざみ救出作戦』に関し、自分なりにいろいろと思索を巡らしていた。
成田空港の第一ターミナル南ウィング。
ボーディングまでの時間、ハヤトは何もすることがなくまだ誰も居ない待合ブースのTVの正面に陣取ってNHKを見ていた。料理番組で口やかましいおばさんが何やら料理を作っている。すると(ポーン、ポーン)っというチャイム音に続いて画面上部にテロップが流れた。
『プラハ誘拐事件。人質のパルティメニスタン大統領令嬢エドナさんを無事保護。犯人グループは1名を除き全員射殺』
と繰り返し2回流れた。
「や、やった〜〜〜〜」
思わず立ちあがって叫ぶ。
ハヤトは安堵した。
愛するひまわりは無事なのだ…、だが待てよ…。
あざみはどうなったんだろう?一緒に助け出されたんだろうか?…。
2分後に料理番組が打ち切られ、報道センターのアナウンサーが映る画面に切り替わった。
ひまわりはSWATのバンの中で警官の用意してくれた黒のジャンパースーツに着替えた。
『マイアミバイス』で主人公が愛用してたのと同じアッパーバレル式のホルスターを下げると、同じく貸してくれた拳銃を手に取った。
あざみの愛用しているものと同じSIGのP220だった…。
暫く銃を眺めながらあざみの顔を思い浮かべ、物思いに耽りかけるが(はっ)っとして我に返り、マガジンと装弾を確認するとハンマーを軽くコックさせてセーフティを掛ける。
ひまわりは目線を遠くに見つめながら、ホルスターに銃を収め、しっかりとホックを掛けた。
感傷に浸るにはまだ早い。今はするべき事をするだけだ…。
以前の涙もろい彼女はすっかり影を潜めていた。
ひまわりは改めて決意を決めるとマガジン4本を手にしてバンを降りた。
ちょうどそこに『科学分析チーム』が到着してきた。
ひまわりは許可を取り、立ち合せて貰うことにした。
東の空が微かに白んでいた。もう直ぐ夜が明ける…。
成田国際空港。プレミアム/ビジネスクラスの搭乗が終わり、ハヤトはソファーを立つと改札ゲートに向かった。可愛らしい顔の係員がハヤトのチケットをレジストレーションマシンに潜らせて座席番号の入った半券を返してくれる。
搭乗口で中年のキャビンアテンダントがその紙片を見て
綺麗な日本語で(こちらです)と笑顔で通路を教えてくれた。
いそいそと中に急ぐと、ハヤトは身体が固まった…。
(んな、まさかぁ〜)ハヤトは笑いながらそんなことがあるわけがないと否定する。
だが、どうしてもそれが『確実にそうではない』ことを確かめずにはいられずに、次々と押し寄せる後続の客達に詫びを入れながら、ビジネスクラスのデッキに戻る。
やはり、勘は正しかった。
「つ、つきよ姫ぇぇ〜〜〜〜〜〜ぇっ????」
いつもとは違う服装でいたからすぐに気がつかなかったが、何といっても味噌汁の香りがハヤトにそれを気付かせたのだ…。
「 公 衆 の 面 前 で … 」
「 大 き な 声 を 上 げ る で な い … 」
そう呟くと、CAから持ってこさせたお湯の入った紙コップに茶色い粉末を入れて割りばしでかき混ぜる。
「な、なんでお前がぁ、ここにいんだよ…?」
つきよ姫は頭に黒のバンダナを巻き、巧みに耳の形を隠している。スタートレックのMrスポックが映画でそんな風にしていたのを思い出した…。
一緒に温泉に浸かったときのバスタオル姿を除けば、大仰な着物姿以外の彼女を見るのは初めてだった。
薄紫のタンクトップに白のジャケットを羽織り、黒いスウェードのミニスカートから伸びた綺麗な生脚の先にシルバーのミュールをひっかけていた。
「 一 度 、 ビ ジ ネ ス ク ラ ス の 機 内 食 を … 」
「 食 し て み た い と 思 っ て い た の で な … 」
そう言って味噌汁を啜るのだった…。
それを聞くとバカらしくなってハヤトは自分の席に引き返した。
「 ん 〜 た ま に は イ ン ス タ ン ト も 良 い … 」
そのやり取りを反対側のビジネスクラスのシートで新聞を広げながら窺っている男がいた。
他でもない武智吾郎である。
あざみは目隠しをされたまま車から降ろされると、またしてもどこかの地下室に連れ込まれた。
トレーラーにはおおよそ30分ほど揺られていたろうか?それから別のクルマに乗り換え、さらに同じくらい走った。
だが正確な時間と車のスピードが分らなかったために全く居場所の手掛かりになる情報が揃わなかった。
目隠しをされたまま、あざみは両手両足を縛られ、壁に「大の字」に貼り付けにされた。
何も見えないため不安感が募る。
やがて男達は立ち去ると鉄の扉が閉まるような音が聞こえた。続いて、明らかに施錠していると思しき音がすると、それを最後に静寂が訪れた。
(アタシ、どうなっちゃうんだろ…?)
そう思うと、あざみは正直に『恐怖感』を受け入れた…。
着ている服には、もう脱出用のツールは何も残っていなかった…。
物凄く水が飲みたい…。
手掛かりを求め、科学分析チームのメンバーが注意深く現場を探っている。
ひまわり達が監禁されていた廃屋にも同じ対応がなされている筈だった。
だが、ひまわりには『あざみが最後に居た』この場所が最優先だった。
なぜならあざみの事だ、絶対に何かの痕跡を残しておいてくれていることは間違いないからだった。
ひまわりはあの製薬会社の『空母』に侵入したときのことを思い出した…。あざみが先行して侵入し、彼女がリセットしたドアの暗号ナンバーを言い当てたのは他ならぬ自分だった。あのとき以来、彼女とは何でも以心伝心だった。
「ライト少尉!」
ひまわりを呼ぶ声の方に足早で向かう。
「これを…」
係官が指差す地面には、恐らくパンプスの先でなぞって書いたのだろう、『->』と矢印がハッキリ書かれていた。
その示す先に下水道につながっているマンホールの蓋が見えた…。
現場捜索開始から4時間…。やっと『目的のモノ』を発見した。
ひまわりはしゃがみ込んで暫く矢印を見つめていたが、係官に撮影を願うと立ちあがり、ポケットから情報部員だけが持ち歩くことが可能なノキア製高性能携帯電話を取り出した。
『ピリピリピリ〜〜〜〜』っという耳障りな音でしきみは眼を覚ました。
(いっけない…)つい眠ってしまっていた…。
時計の針はウィーン標準時で05:21を示していた。
ちなみにオーストリアとチェコに時差はない。
携帯の受話ボタンを押すと聞き覚えのある声が流れてきた。
『しきみさん!ひまわりです!』
「(しょうがないわねぇ〜とばかりに)this is Mitsui speaking…」と応じた。
ひまわりは(ああ、しまった〜)とばかりに『英語モード』に切り替えた。
『現場で手掛かりを発見しました…あざ…いえ、ウィンタース少尉が現場にサインを残してくれて、連中は恐らく下水道を使って脱出したと考えられます…』
「ちょっと待って」
しきみは色めき立って、モニターにプラハ再開発区の地図を表示させ、さらにそこからマンホールをルックアップするように操作をする。
「今確認したわ…半径6キロ以内に…ざっとみて300個はある…」
ひまわりが続ける。
『今、アメリカの衛星はここをモニターできるんですよね?だったらウィンタース少尉が消えた時刻、ここら一体の画像をかき集めれば、マンホールの位置に近い場所に停車してる車両や家屋の存在が軒並み洗い出せませんか?』
それを聞いてしきみは一気に眼が覚めた。
車両どころか上手くすれば連中の姿が映ってる映像だって見つかるかも知れなかった…。
「言いたいことは解かったわ!(流石よひまわり…)」
『よろしくお願いします…』
ひまわりはそういうと電話を切った。