プラハのアメリカ大使館では、テロリストの内通者として逮捕されたリトヴィネンコ『前』国家警察局々長が尋問を受けている。  
 
彼女は先ほど怒れる大統領と謁見したばかりでスッカリ憔悴しきっていた。  
彼の叱責が原因ではない。  
傍らで『裏切り者』と悪態をついたエドナの姿を見たからであった…。  
あの『影武者』をそれと見抜けなかった己の粗忽さを恨んだ…。  
 
「君から聞き出したいことなど…何一つないんだ…」  
 
正面に座る尋問担当のCIA局員が冷たい視線を投げて言った。  
 
「君が協力すれば…我が国の証人保護計画の恩恵が受けられる かもしれない…」  
「だが…、何もしなければ君は一生祖国の刑務所を出られない…間違いなく…」  
 
「刑務所がふさわしいのはゴスコフの方よ!」  
 
いきなり爆発したかのように怒鳴った…。  
 
「あの男こそ!『独裁者』じゃないの 彼さえいなければ我が民族が冷や飯を食べさせることもなくなるのよ!」  
 
マジックミラーの向こうではその様子をゴスコフが眺めている…。  
気の毒に…そういう表情だった。冷や飯だと?  
だったら何故君が国家警察局長の地位を得られたというのだ?  
 
これ以上見るべきものはない…そう判断したゴスコフは観察室を出る。  
 
残された二人の『Double OH』要員が語り合う。  
 
「どうやら…彼女の協力は得られそうもないな…」  
 
マックスウェルがそう呟くと、荒れ狂うリトヴィネンコを腕組みして見つめている相棒も頷いた。  
 
「さぁて、それじゃぁ〜そろそろ準備にかかるとするか…」  
 
相棒が彼の肩を叩くと(行くぞ)と合図してドアノブを握った。  
使用する『機材』の関係で、二人は一旦ドイツに入国せねばならない。  
 
計画では彼女にテロリストのリーダーを呼び出させ、アジトの指揮系統が手薄になった頃を見計らって作戦決行の予定だった…。  
だが、この程度の『捩れ』は大したことではなかった。  
 
 
カリフォルニア州キャンプ・ペンドルトン。すなわち合衆国海兵隊第1海兵師団の本拠地である。  
 
敷地内を小紫ことケン・タナカ少尉と大隊付きの偵察隊評価担当の海兵中佐が並んで歩いている。  
小紫は海軍のサンディブラウンの夏服に将校帽を被り、中佐は砂漠用迷彩服に略帽姿である。  
大柄の中佐の横で細身な小紫…まるで親子のような感じに見えた。  
 
「朝早くからご苦労、ミスター・タナカ」  
「いえ、早起きは苦になりません、中佐(Sir)…」  
 
中佐は、このハキハキと返答する若造を一目で気に入った。  
 
「ブートキャンプではうちの教官を2人もノシたそうだな…」  
「申し訳ありませんでした…」  
「はは、何を言うか…私は褒めてるんだぞ?少尉…」  
「恐れ入ります…」  
 
小紫は中佐とは眼を合わさず、横に並んでるM1HAエイブラムス戦車の車列に眼を奪われながら返答する。アカデミーを出たばかりの少尉を演じては居ても、心根にはまだ『少年』が残っていた。  
昔、プラモデルで作った、この角ばった特徴的な砲塔のMBTを実車で見るのは初めてだった。(かっこいい〜)そう心中で呟く。  
 
「サンディエゴからワザワザSEALsの君に来てもらったのには、臨時にうちの『スカウト』どもを見てやって貰いたかったからだが…」  
「はい、そう聞いてます…」  
 
スカウト…つまり偵察隊要員の事だ。海兵隊の偵察隊というのは『腕に覚えある』選り抜きの連中が集まる、いわばエリート集団である。  
 
M1戦車の車列が途切れる場所に、6人の海兵隊員が休めの姿勢で並んで待っていた。  
 
中佐と小紫をみとめた一等兵曹が叫ぶ。  
 
「気を〜つけ〜っ!」  
「K中隊第二小隊第3分隊っ6名!命令により出頭いたしましたぁ!」  
 
「やすめぇ!」  
 
中佐が言うと(ざっ)っと従った。足並みが完璧に揃っている。  
 
「紹介しよう! 彼は(小紫を見やる)今日から一週間、君らの特別訓練の指導に当たるSEALsのタナカ少尉だ、任務のため来られなくなったクーパー中尉の代行である…」  
 
一同、各々が小紫を見て噴き出しそうになる…。  
(このガキが?俺達を鍛えるだと?)  
そういう表情だった。その反応を見た中佐が別の意味でにやけた…。  
だから海兵隊員は『チ○ポ頭』とか言われるんだよ、と…。  
 
小紫は分隊長の前に歩み寄ると彼の右胸の名前を見ながら言う。  
 
「ガルニア…兵曹?…何か言いたいらしいな」  
「いいぇ…その、少尉殿が…あまりにも…」  
 
兵曹は眼で嘲笑する…。  
 
「ガキっぽい…か?」  
 
彼は眼で(そうだよオチビのNIPちゃん…)と答えた。  
小紫は再び一歩下がると、顔色一つ変えずに言う。  
 
「戦場で生き残るために必要なこと…それは『眼に見えない敵』をいかに正確かつ迅速に把握できるかである…」  
「諸君にその能力があるか見せて貰う…」  
 
6人は白けた顔で『演説』を聞いている。  
 
「この中で、私をKOした者に…今日のディナーをご馳走しよう」  
「そのかわり、私が勝てば諸君にはこれからフル装備で基地内を10周してもらう」  
「無論分隊責任でだ、ただし…いきなりでは気の毒だから、ハンデをやろう…」  
「…誰でもいい、指一本でも私に触れられたら君らの勝ちとする…」  
 
一同、唖然として彼を見つめる…。  
 
(何言ってやがる…頭オカシイんじゃねぇの?かこのイエローは…)  
ガルニアはまたもニヤける。  
中佐は首を振って(あ〜ぁ…少尉を怒らせたな…)と呆れた。  
 
「んじゃ、遠慮なくいきますかね!」  
 
そういうとガルニアが殴りかかろうと腕を振り被った…  
 
「貰ったぜ!」っと思った瞬間、小紫の顔面を捉えた筈の拳が空振りになる…。  
 
「えええええええ?」  
 
小紫は彼の頭上をおおよそ3m程跳ね上がり、そのまま上空でクルリと後転するとM1戦車の主砲の上に『スタンっ』と立った。  
 
「え?ええええええ〜」  
 
思いっきりの空振りでバランスを崩したガルニアはM1戦車の方に向き直る。が、既に小紫はそこに居なかった。  
 
次の瞬間 背中のある部分に小紫の拳が突かれると、全身に痺れるような衝撃を感じ、身体が言うことをきかなくなった。  
 
「はい、君は死んだ…」  
 
背後から彼の首に肘を巻き付け、奪った銃剣を突きつけると小紫は耳元でそう囁やいた。  
実戦だったらもうガルニアの首は切りつけられ鮮血が吹き出している筈だ。  
 
そこへ黒人の伍長が小紫の背中に隙あり!とばかり踵蹴りを試みると、クルリと反転した小紫がガルニアの顔をそこへ向ける。  
 
慌てるがもう遅い、伍長は(兵曹を殺してしまう)と悟ったが、小紫は少しずらせてガルニアの首の付け根でそれを受けた。  
ガルニアはその衝撃で失神しその場にへたり込む…。  
前後して小紫はガルニアの肩越しに、右手で伍長の足首を掴み、左手をつま先にそえるとそれをグルッっと回した。  
伍長は簡単に背骨を軸に空中を一回転し、そのまま激しく地面に顔面を叩きつけ気絶した。  
 
小紫は残りの者たちに向き直ると、空から降ってきた将校帽を見もせずに左手で受け取り、また被りなおした。  
この間10秒もない。彼は汗一つかかず、瞬時に音もなく大男2人を片づけた。  
 
「次は誰?」  
 
残りの4人は、(昼飯の時間までに基地内をフル装備で10周し終えるだろうか?)と考えるのが関の山で、固唾を飲んで先程と同じ『休め』の姿勢のまま立っているだけだった。  
 
「すっっ げ〜ぇぇぇ 『マトリックス』みてぇだ…」  
 
ニューメキシコ出身の三等兵曹が眼を丸くして感想を漏らすと、隣の同僚に後頭部をひっぱたかれた。  
 
「よ〜し、それまで」  
 
中佐がゲームセットを宣言する。  
 
「二人が目を覚ましたら全員装備を取ってこい…今から基地内10周だ!…解散!」  
 
ウンザリするような表情の分隊員を後に、中佐について歩き小紫が言う。  
 
「2人だけだったから1/3の3周にマケてあげましょうよ…」  
「構わん!いい薬になる…」  
 
そう言って中佐が笑った。  
 
 
地中海。フランス海軍原子力空母シャルル・ド・ゴール。  
艦上に4機のラファールMが爆装を整えて待機中だ…。  
現大統領から再びNATOの実力部隊に参画することになったフランスも今回の秘密作戦に参加している。  
 
艦長は通信士官から電文を受け取ると傍らの提督にそれを見せる。  
 
「ようし…『上空待機命令』発令だ…」  
 
それを受けて艦長が管制室に命令を伝える。  
 
既にカタパルトに装着されたラファールMは甲板士官の合図でフルスロットルにすると瞬く間に甲板を滑るようにして発進していった。  
 
同じ時刻、パキスタン沖のアラビア海でもアメリカ海軍のF/A-18F(通称ライノ)が、そしてトルコのコンヤ空軍基地ではアメリカ空軍のF-15Eとドイツ空軍のトーネードが同じように進空していた。  
 
 
あざみは殺風景な地下室の真ん中に、背凭れの外側に両腕を後ろ手に縛られ、両足首を椅子の脚に縛りつけられた状態にされている。  
時計の針は既に深夜1時を回っていた。そろそろ作戦開始の時刻である。  
 
拉致されて既に半日近く経つのだが、まだ尋問も拷問も受けていない…。段取りの悪い連中だと彼女は思った。  
時間の使い方がまるで成っていなかった。おそらく場当たり的なプランなんだろう。  
 
見張りは一人、正面の壁を背にし、椅子に腰を掛けて彼女を見張っていた。AK47が傍の壁に立てかけてあるが、その手にはしっかりと拳銃が握られていた。  
恐らくドアの向こうにも一人、居る筈だった。  
 
テロリスト…といっても士気は低そうだ…それが証拠に この見張りは度々『船を漕いでいる』。隙だらけだった。  
 
あざみはスーツの袖に仕込んであったステンレス製の『紐鑢』で、先ほどから慎重に手首の縄を切断しにかかっていた。  
間もなくすると縄は数本の糸だけで繋がる頼りない状態になった。  
 
「んンっ」  
 
あざみが咳払いをすると、見張りは頭を振って半眼になっていた眼をしばたたかせ意識を戻した。  
 
「ちょっとぉ…お兄さん…頼みたいことがあるんだけどぉ…」  
 
あざみは苦手のペルシャ語でそこの『髭モジャ』男に話しかける…。  
 
「なんだ?…」  
 
「ちょっと寒いんだけど…靴下直してくんない?」  
 
左の太股を顎で示す。ガーターベルトのクリップが外れ膝のあたりまでずり落ちていた。  
もちろん外したのはあざみ自身だ…。  
 
「ちぇ…」  
 
舌打ちをすると男は拳銃をズボンの腹に挿しあざみの前に膝まづいた。  
彼女はわざと股を開いて、黒いレースの下着がよく見えるようにした。  
男はニヤニヤしながらそこに手を入れて、ショーツのクロッチ部分の前でのたくっていたリボンを取るとその先のクリップに靴下を噛ませた。  
ついでとばかりに太股の内側を揉みしだく…。  
その間、じーっとあざみを見つめて反応を観察している。  
あざみも『満更でもないわよぉ〜』っといった風に笑う。  
 
「へ、オマエさん…言葉、わかんだな…」  
「そうよぉ…」  
 
次の瞬間あざみの手刀が男の喉に飛ぶ。  
呼吸を失って男がひるむ…あざみはすぐさま男の顎と後頭部を掴み、思いっきりグルッっと捻る。  
『グキ』っという鈍い音をたてて首の骨が折れると『髭モジャ』はあっさりと息絶えた。  
 
「私とやりたいってか?…百年早いんだよねぇ…」  
 
そう悪態をつくと素早く脚の縄を解き、男の拳銃を奪う。  
 
「何よコレ〜…せめてグロッグくらい買ってもらいなさいよぉ〜」  
 
銃が粗悪な北朝鮮製68式だと知ると不満を口にした。暫く外の見張りの動向を窺う…  
そいつも寝ているのだろう…誰も来ないと判断するとあざみは部屋を見回す。  
素早く両足のパンプスを脱ぎ、左右それぞれの『かまぼこ型』のヒール部分を90度捻って外し、中から折りたたみ式のヘッドセットと小型無線機を取り出して装着した。再びパンプスを元の『プレタ』に組み立て直しながら、ひまわりに呼び掛けてみた…。  
 
「こちら『子猫2』…、ステップ1終了…そっちはどう?」  
「『子猫1』了解…、現在ステップ2進行中…」  
 
ひまわりの返答にひとまず安心するとあざみは靴を履きなおし、ドアの向こうの見張りを片づけにかかった…。  
 
同じころ、ひまわりは既に音もなく見張り2人を処理し、廊下にある出窓から外に伝い出てシュタっと外の地面に飛び降りていた。  
そして目標の青いバンに向かって急いだ。外の見張りは誰もいなかった。  
 
「なんて杜撰なのかしら…」  
 
思わず感想を漏らす(これなら訓練の方が厳しい)そう思った…。  
 
「なあに?独り言ぉ?」  
 
あざみが現れた。タイミングがピッタリだった。  
二人は眼で合図するとあざみが慎重にバンの中を覗く…。  
 
(クリア!)そう『ハンド・サイン』で伝えると、ひまわりが静かにバンの後部ドアを開けた。  
 
二人は乗り込むとそれぞれブラウスの胸元からブラジャーに手を突っ込んでツールを取り出す。ひまわりは薄い4cm角のアルミ箔のようなものをそこから取り出すと噛みちぎって中からチップを取り出した。  
 
『プラクティス…何分だったっけ?』  
『平均2分18秒です…』  
 
あざみが聞き、ひまわりがそう答えると彼女は腕の時計を見た。  
 
「じゃ、目標2分フラットね!」  
 
そう言うと、ピックのような形をした超小型ドライバーを使って通信装置の裏ぶたを開けにかかった。  
あざみが手際よく左から3枚目のプリント基板を抜き出すと、そこに付いた小さなスロットからマイクロメモリーカードのようなものを抜き、ひまわりに渡す。  
既に待機していたひまわりが先程ブラジャーから取り出したチップを渡すとあざみはそれに差し替えた。  
そして元通りに裏蓋を閉じる。  
 
「1分47秒…」  
 
あざみが勝ち誇ったように笑う。  
プラクティスで手を抜いていたわけではない、手順を間違えなく覚えるのを優先したためである。素早くできてもチップを逆に挿入したのでは意味がないのだから…。  
 
「行きますよぉ!」  
 
ひまわりはそういうと、また改めて(連中から奪った)コルト・ガバメントの装弾を確認し車外に出た。  
あざみが(イイナーそれ)っといった目線をひまわりの銃に送った…。  
 
 
 
ドイツ・チェコ国境上空。漆黒の闇を2機のMH-60Gがプラハ再開発区に向けて飛んでいる。ドレスデンで拾った2人の要員を乗せ、今まさにひまわり達を回収するために向かっていたのだった。  
 
「これで何回目〜〜〜?」  
 
大声で相棒が問うた。  
 
「さぁ〜ね…いちいち数えてないからなぁ〜〜〜」  
 
マックスウェルが手にしたM4カービンを調整しながらやはり大声で答える。  
奴と組んだ回数なんかのことよりも、とにかく彼女達が心配だった…。  
まだ20歳にも満たない『子供』を作戦に使っている…その罪悪感で胸が張り裂けそうだった。  
 

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