その日は、朝からゴスコフ大統領がチェコ陸軍士官学校の閲兵式に、エドナ令嬢が午後から市内の養護福祉施設の子供たちを訪れる公式日程だった。  
 
「お父様、行ってらっしゃいませ…」  
 
ひまわりは丁寧に『父親』を送り出す。傍らにはぴたりと『ウィンタース護衛官』が寄り添っている。  
 
ゴスコフのロールスロイスを見送るとひまわりは澄ました顔で言う。  
 
「ウインタース少尉…、たまには同世代の女同士、お茶でもご一緒していただけなくて?」  
 
少し離れた所に立つ男性護衛官は振り向くとあざみに向かって頷いた。  
 
「ええ、喜んで…」  
 
あざみはそういうとひまわりの後に続き奥に向かう。  
 
ひまわり…いやエドナに割り当てられた部屋に入るやいなや、あざみはクローゼットのルイ・ヴィトン製ラージトランクを開け、ブローニングを取り出すとマガジン2本と一緒にひまわりに投げる。  
ひまわりはベッドの上に脚を乗せるとスカートを託し上げ、太股にホルスターを巻きあざみの投げてよこした銃をそこに滑り込ませる。  
 
「いい、それは万一失敗した時の護身用だからね、段取り通りなら捨てるんだよ」  
「了解…」  
 
あざみはひまわりの返事に頷くと(はいこれ)とばかり極薄防弾チョッキを渡す。  
ひまわりは急いでブラウスを脱ぐとブラジャー一枚になった上半身にそれを被せようとする…。  
 
「ちょっと待って!」  
 
あざみは(それが先…)とばかりにベッドの上に置いたブラジャーを顎で示す。  
ひまわりは(いっけない…)とばかり今つけているブラを外しそれに付け替え、改めて防弾チョッキを被る。  
 
「9mmや38口径くらいなら至近距離でも大丈夫…よく出来てるよね…」  
 
あざみはそう言って自分もブラウスを脱いだ。  
 
「急いで…『彼女』が来るワ…」  
 
ひまわりが戸の向こうの気配を悟って言った。  
 
あざみは頷くと、同じチョッキを着込んですぐまたブラウスの袖に腕を通した。  
 
コンコンっとノックがする。  
 
「どなた?」ひまわりが言うと  
 
「リトヴィネンコです…」  
 
ドアの向こうで応えがあった。  
 
「あぁ〜ナターシャね?どうぞ、入って」  
 
いかにも公人の令嬢っといった声で入室を促した。  
 
「失礼します…」  
 
あざみとひまわりは先ほどまでの、慌ただしさの気配も見せずにテラスの前のテーブルで紅茶を飲んでいる。  
 
「ナターシャ…こちらは新しい私の護衛官でイギリス海軍のウインタース少尉…」  
あざみが軽く会釈する。  
 
「少尉…こちらは祖国の『国家警察局々長』のミセス・リトビネンコ…」  
「よろしく…少尉…」  
「女性だてらに『やり手』で通ってますのよ」  
皮肉っぽくひまわりが言う。まるで10年前からの旧知の仲といった風だ。演技が真に迫っていた。  
 
「エドナお嬢様…早速ですが、コースの確認を…」  
ひまわりは差し出された書類を手にしながら  
 
「いやぁね…いつものように『エドナ』でいいのよ…」  
そう言って暫く眺めた。目的地までのコースがプラハ市内の地図に書かれている。  
 
「そうねぇ〜どうだったかしら…ちょっと見てくれない?」  
紙片をあざみに渡す。  
 
「間違いありません…」  
あざみはそう言って彼女に返した。  
 
「あなたも一緒に来てくれるんでしょう?」  
既に返事は判っている質問をあえてするひまわり…。  
 
「いえ、私はちょっと局の者と2〜3電話で打ち合わせする用事がございますので…」  
「あら、そうなの…残念だわ…」  
 
そう言って彼女の顔を見上げると笑った。  
 
「それでは…失礼いたします…」  
 
リトヴィネンコが退室してドアが閉じられると  
(調子に乗りすぎでしょ〜)とばかり、あざみはひまわりを小突いた。  
 
ゴスコフの側近でさえ全く気が付かない…。  
トルコでの2日間、エドナ本人につきっきりで取材した成果だった。  
 
 
軽く昼食を済ませた後、ひまわりは車寄せに滑り込んできたメルセデスに乗り込む。助手席に乗り込むあざみ。それを挟むようにして停まっているチェコ警護隊のジープと、シークレットサービスのBMW530にもそれぞれ警護官が乗り込む。  
見送りに出たリトヴィネンコだけがそこに残った。  
 
あざみがジャケットの襟にあるマイクに向け『出発して』というと、車列が静かに動き出した。  
 
3台の車が門を出るのを見届けたあと、リトヴィネンコは携帯を取り出すと通話履歴から番号を選びそこに掛けた。  
 
「今出たワ…そう、コースは3番目…間違えないでね…」  
 
そういうと電話を切った。  
 
次の瞬間背中に覚えた感触で彼女の顔が強張った…。  
彼女には経験からそこへ突きつけられているのは拳銃であることがすぐ分かったのだ。  
 
言われるまま手を上げて頭にのせると、さらに別の男が2人現れて彼女の右手から携帯を奪った。  
 
「パルティメニスタン政府の要請であなたの身柄を拘束する…」  
 
男はそういうとCIAの身分証明書を見せた。左手に手錠が嵌められる…。  
 
リトヴィネンコは体中の血の気が消失するのを感じた…。  
男社会で遮二無二働いてここまで築き上げてきた彼女のキャリアは、たった今、終焉を迎えた。  
 
 
ひまわり達を乗せたメルセデス他2台はヴァルタヴァ川に沿った車道を順調に走行していた。  
 
「来た…」  
 
あざみがいち早く気づく…。ひまわりが眼をやるころにはボルボの大型トラックが前を走るBMWの横腹に突っ込んでいた。  
轟音を上げながらBMWのボンネットに乗り上げるとそのままガードレールを破壊して停止した。  
メルセデスもその脇に滑り込むようにして止める。そこしか行き場がなかった。  
 
そこへ2台のアウディが飛び込んでくると、UZIやMP5を携えたアラブ人達が次々とそれらを乱射しながら降りてきた。  
 
各車から護衛官が出て来るが次々となぎ倒される。あざみは助手席から降り、ひまわりを後部座席から引っ張りだす。  
背後はヴァルタヴァ川…逃げ場はなかった。  
 
ほとんどの護衛官が倒されたところで、もはやこれまでとあざみは手を上げて立ち上がった。  
 
「ひまわり!」  
 
あざみが促すと、彼女は太股のホルスターを外し、ガードレール越しにそれを川に投げ込んだ。  
 
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。  
 
「何してる!早く連れてこい!その女もだ!」  
 
眼を文字通り『目玉焼き』のように見開いてナジムがアウディの運転席から身を乗り出して怒鳴る。  
 
男達はひまわりとあざみを荒々しく抱えて車に押し込むと、けたたましいホイールスピンの音と供に2台のアウディが走り去っていく。  
 
プラハ警察のBMW320が数台到着する頃、血まみれになっていた護衛官達が次々と起き出した。死んだふりも命がけだ…。  
 
ボンネットをグシャグシャにされたBMWの運転席で、衝突で受けた鈍痛に耐えながら護衛官は無線機のマイクを手にする。  
 
「こちら『王立劇団』…。作戦成功…」  
 
 
世界中のメディアが色めきたった。  
 
『今日の午後、普段ならば静寂で古式ゆかしい歴史ある街ここプラハにおいて、想像を絶する拉致事件が発生しました』  
 
レポーターの声に乗せて、偶然居合わせた旅行者の撮影したと思しきホームビデオ映像が被される。  
 
『…大胆なことに犯人グループは昼日中にゴスコフ大統領の御令嬢が乗る車を襲撃し、令嬢と一名の護衛官を連れ去ったのです』  
 
現場には11名の護衛官が射殺体で残され、連れ去られた2名はエドナさんとその専属だった女性警護官とみられ、いずれも現在消息不明という事態です…プラハ警察当局は…』  
 
街のラーメン屋『草喜軒』でTVを見ていたハヤトは唖然となって箸が止まった。  
 
『アルジャジーラの報道では、いずれのテロ組織も犯行声明を上げておらず、この拉致事件へのイスラム原理主義者の関与については否定的見解ですが…』  
 
「あれが…あざみとひまわりなら…」  
 
ハヤトは目が回るのを感じた…(大変だぁ〜〜〜)  
 
まだ1/3も食べていないラーメンを残し、ハヤトは慌てて店を出た。  
 
釣銭を受け取らずに店を出たハヤトの様子を怪訝そうにして店主がTVを見上げる…。  
 
『喧騒冷めやらぬここプラハからCNNのジェフリー・ハンターがお伝えいたしました…』  
 
 
プラハ郊外にある再開発予定地には、近く取り壊される予定のビルが立ち並んでいる。東西冷戦時代の遺物ばかりで既に耐用年数もとうに過ぎ、まさに廃墟…であった。  
その誰も居ない『ゴースト・タウン』に40ft海上コンテナをけん引する1台のスカニアR143トレーラーが現れる、暫く走ると角に立っている10階建てのビルの前で静かに停止した。  
 
コンテナの中は明るい照明がつけられており、そこに先ほど襲撃に使われたアウディが2台並んでいる…。  
 
先頭の後部座席ではひまわりがブルブルと震えて涙を流していた。あざみが肩を抱くようにして寄り添っている。隣に大男がAK47を突きつけていた。  
 
「お父様ぁ〜〜〜」  
 
そういうと声を上げて泣き出した。もちろん演技である。  
 
「あなた達!いったい何者なの?私達をどうするつもりです?」  
 
あざみも半泣き顔を装って『虚勢を張る女護衛官』を演じる。  
 
運転席のナジムは振り返りもせず、人差し指を立てた右手を後席から見える位置に突きだす。  
 
「…今度…何か言ったら…お前は殺して川に捨てるぞ…」  
 
そう言って凄んだ。  
 
スキンヘッドのトレーラーの運転手は、工事現場特有の大きな扉が開けられ中の男が手引きするのに従い、その中に向けて再び車を動かした。  
トレーラーが止まると、そこでコンテナの扉が開放された。  
二台のアウディは次々にバックでそこを降りる。荷物を下ろしたトレーラーは再びどこかに向けて走り去った。  
 
荒々しく降ろされたひまわりとあざみは抱き合って怯えた女を演じながら男達の人数をカウントしそれぞれの特徴を記憶する。  
停められた車の場所、さらにもう一台青いフォルクスワーゲンT2を確認、今入った扉が南の道路に面し、先に降りた男達がこれから向かう建物との間の距離を測る…。  
 
「女を監禁しろ!」  
「いや待て!、そいつらは別々にしておけ…こいつは地下室だ!」  
 
ナジムはそう言ってあざみをUZIの銃身で指した。  
 
「やめて〜〜〜ひとりはイヤ〜〜〜〜」  
 
ひまわりは泣き叫んだが、これも演技でむしろ別々に監禁される方が都合が良かった。  
 
「黙れぇ!(傍らの部下に向かい)さっさと連れていくんだ!」  
 
またも両目を見開いてナジムが怒鳴った。二人は彼に『目玉焼き』という暗号名を付した。  
 
「私は『主宰』殿に連絡を入れる…」  
 
そう言って青いバンに向かって歩き出した。  
あざみとひまわりはそれを見届けると、二人して静かにほくそ笑んだ。  
 
 
志能備学園校長室。晩飯のラーメンを食いそびれたハヤトが、やつがしらに直談判にやってきていた。もちろん今からチェコに出向こうという魂胆だ…。  
 
「なりませぬ…」  
「それが確かにひまわりさんやあざみさんだという確たる証拠もない上に…第一、シロウト同然の貴方に、一体何ができるというのです?」  
 
「んがぁぁぁぁ〜! 言いにくい事をハッキリと言ってくれちゃっても〜〜〜〜〜っ」  
 
やつがしらの言い分は非の打ちどころがない。  
 
「それにです…、お金もない貴方が…どうして航空券を購入できますか?」  
 
「だ、だからぁ〜」  
 
当然、校長に借りるかボーナスの前借りを願い出るつもりだった。  
 
「彼女等は海外研修に出たときから、もう学園とは手が切れたのです…例え一時的にせよ…」  
「これからは何が起ころうと、我々は手を出せません…。全ては彼女等自らの力で乗り越えなければならぬのです」  
「それが、この志能備学園の教育方針…お解かりですね?万里小路先生ぇ」  
 
「は〜ぃ…わかりましたよぅ もぉ…」  
 
ガックリと項垂れてハヤトは校長室を出た。  
 
「もちろん…貴方のお気持ちは充分に理解できますよ…」  
 
やつがしらは彼が出た後で そう一人語散るとプーアール茶を一口啜った…。  
 
 
ウィーン。アメリカ大使館。  
 
「信号が入りました…」  
 
ヘッドセットに手を添えながら、慎重に装置を扱いナナフシが言った。  
 
「現在位置…特定…再開発区です…」  
 
次の瞬間フロアー正面のメインスクリーンにその場所がポイントされた地図が映し出された。  
アンダーソンは受話器をとる。  
 
「私だ…、支援チームを送れ…」  
 
しきみも同行したい気持に駆られる…だがここはウィーン…プラハは200km北だった。  
 
「そう焦るな…君の出番は じき訪れる…」  
 
アンダーソンは見透かしたように言うとしきみの顔を見上げて微笑み、コーヒーを一口啜った。  
 
 
ハヤトは自室に戻ると、学生時代に作った赤いパスポートを探し、やっとの思いで引き出しの奥からそれを見つける。  
卒業旅行で使ったきり、新しいイミグレーションスタンプは押されていない。  
ベッドの上に貯金通帳も置かれていた。  
 
「こんなんじゃ〜とてもいけないよなぁ〜」  
 
残高は\53,675-と印字されていた…。じきに公共料金の引き落としがあるからこれに手をつけるわけにいかなかった。  
情けなかった…。  
 
ため息とともに後ろ手に頭をかかえてベッドにひっくり返る。  
そこに(コンコン)とノックがした…。  
 
「ハヤト…、入るぞ?」  
 
武智だった…。  
 
「どぉ〜ぞ〜」  
 
ぶっきら棒にハヤトが答える前に既に彼は入ってきていた。  
武智は手にした書類袋をハヤトの顔の上に投げる。  
 
「ぶわっ・・・・な、何だよ?もう〜」  
 
起き上って鼻を押さえながら怒った。  
 
「それが必要なんだろう?ワザワザ持ってきてやったんだ感謝しろ…」  
「え?ええ?」  
 
慌てて袋の中を見ると(はっ!)として中の物をベッドに広げた。  
オーストリア航空と書かれたボーディングパスにパスポート、ホテルのバウチャーなど旅行に必要な資料一式だった。  
 
「OS52便、明日一番のウィーン直行だ…11時間で着く…」  
「絶対に寝過ごすなよ…」  
 
毎朝の特訓に突き合わされている彼だったが、ハヤトの遅刻癖には辟易していた。  
立ち去ろうとする武智の背中に向かってハヤトが問う  
 
「こ、こんなもんどうしたんだ? そ、それに俺…金なんかないぞ?」  
「気にするな…」  
 
「それに〜これは何だ?」  
 
ハヤトは入っていたパスポートを掴み見せて言った。  
(パスポートくらい持ってるぞ?)  
 
「いちいち察しの悪い奴だな…」  
 
そういうと天を仰いだ。  
 
「偽造パスポートに決まってるだろうが?」  
「そのパスポートナンバーの1,4,7桁目の組み合わせはイミグレーションの時に『別のデータベース』に照合に行く番号だ…」  
 
(はぁ?)  
 
「それだけ言えば解かろうが?」  
 
そう言い残して帰って行った…。  
 

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