図書室での用事を済ませたしきみは心配になってひまわりの様子を窺うために彼女の部屋を訪ねた。薄暗い中でスポットライトのように僅かの照明のついた部屋の真ん中にポツンと座っているひまわり。
傍らに開いた状態でトランクが置かれていた。彼女は死人のような表情で丁寧に衣類を纏めてそこに詰めていた。
「ひまわり、あなた何してるのよ・・・」
立ち竦み、震える小声でしきみが言う。
ひまわりは薄ら笑いをひきつらせたような顔で振り返ると、また、荷造りを始めた。
「何してるのって、聞いてるのよっ!」
今度は怒鳴るようにして言い、ひまわりに詰め寄ると肩を掴んで大きく揺すって怒るようにして続けた!
ひまわりは俯いて眼を合わせようとしない。
「今度はひまわり?、アナタまで消えるつもりなの?」
そこまで言うとしきみは大粒の涙を溢れさせてさらに怒鳴る。
「アナタまで消えちゃって、一人ぼっちになったらワタシは、一体どうすればいいのよっ!」
ひまわりはそれを聞くと乾いていた涙をまた溢れさせ、しきみに向き合うとまた号泣し始めた、しきみももう我慢の限界を悟り、同じように号泣した。
二人はその晩涙が枯れるまで泣き明かした。
アザミはエンジンをかけ、状態を確かめるように静かにアクセルを吹かし、ゆっくりゆっくりと回転を上げていった。
『ブオォォォン、ブオォォォン、ブオォォォン』
エンジンは異音を発することなく吹けた、死んでるシリンダーはない。
マフラーが一つ外れてた所為でかなり音がうるさいが、エンジンの診断をするにはむしろその方が都合がよかった。
車重が変わるのを嫌ったアザミは拾ってきたマフラーとサイドミラーの残骸は後部座席に乗せておいていた。
チェンジレバーをニュートラルから2ndレンジに変えるとゆっくりと道路に出す…。
「OK〜、じゃ、行くわよ」
助手席のハヤトがうなずく。
リアセクションをトランクの半分までクシャクシャにした車を山頂に向けて走らせる。
スピードが乗ったところでDレンジに固定すると、アザミは後で下ることになる予定の道路を確かめるように観察しながら運転した。
途中『あの小鹿』が飛び出したストレートにさしかかる。
「なんか、目印とか置いておかなくて大丈夫か?」
不敵な笑いを浮かべてアザミは彼の顔を見ずに応えた。
「大丈夫よ、私の記憶力を甘く見ないで…」
悲しい事に彼女の記憶力は、ハヤトと『一緒に過ごした数日』についても同様にはたらく…。
コーナリングがきつくなる中腹にさしかかったところで再び2ndレンジでの高トルク運転に変える、いよいよスタート地点のドライブインにさしかかるころ、聞き覚えのある轟音を伴って上空を緑色のヘリコプターが追い抜いて行った。
「やばい!昨日の戦闘ヘリだ!」
「んっもう! こんな時にぃ〜」
アザミは悪態をつくと急いで『スターティンググリッドが設けられていた場所』に車を止め、髪止めを外して窓から投げ捨て、ヘルメットを被った。
ハヤトもそれに続く、彼女が落ち着いていたのは『陸上自衛隊』のヘリだと判っていたからだった。
知る限り『実戦経験がない』世界で最も見かけ倒しの軍隊…、そういう認識だった。
「あ、そうだ!」
アザミは思い出したようにポケットから町の運動具屋で入手したマウスピースを取り出すと、ハヤトに突き出して
「これ、はめて…」
なぬ?っといった顔でハヤトが口を開けた時、アザミはそこにマウスピースを押し込んだ。
「せっかく戻れても、舌噛んで死なれたら意味ないでしょ?」
そういうとハヤトのヘルメットを小突いて笑った。
「さぁ〜出発よっ」
思いきりアクセルを蹴飛ばすと、傷だらけのルノー406は『あの朝』と同じように軽く前輪を空転させ、テイルを引っ張り回すようにスイングさせながら道路に飛び出した。
『そこの乗用車に告ぐ、今すぐ停車させて待機せよ』
旋回して戻ってきたAH-64が拡声器で呼び掛ける。通常、ヘリの使う拡声器はかなり音が大き目である。
「おおい、なんか言ってやがるぜ」
『繰り返す、そこの乗用車の運転者に告ぐ、即刻停止しなさい、我々は陸上自衛隊所属の…』
「無視無視!」
そう言ってアザミは巧みにヘアピンをすり抜けていく、速い、速い、その時だ
バリバリバリと乾いた連射音とともに30mm機銃弾が彼らの鼻先の崖面に降り注いだ。
「あわわわわ〜うう、撃ってきたぞ〜〜〜」
「威嚇だよ!当たりゃしないって!」
練度の低い技術で空中を飛びながら旋回機銃を使い、走ってる(しかも曲がりくねった山道を)クルマを狙うのがどれ程難しいか、アザミは知っていたから威嚇にもならないのだが…。
そろそろ例のポイントだ…
「行くよ〜〜〜〜」
アザミは慎重にサイドブレーキに手をかけた。
その日は志能備学園の、年に一度行われる3,4年生合同の「運転技術試験」日だった。
1,2年生たちはボランティアでコースマーシャルとして拠点拠点で安全管理の責務を負うことになっている。
みな、先輩たちのドライビング・テクニックが見られるとあって真剣に任にあたっていた。
そのコーナー脇に待機していた2年生の小村果絵梨は、物凄い勢いで駆け下りてくるゼッケン4番の白いルノーが迫ってくるのを見て(すげ〜)と声を上げそうになる。
間もなく耳に挿したイヤホーンに、万里小路の声で『こちら4号車〜現在前方の3号車に接近しつつあり〜注意を要す〜以上』と入った。
「あの分じゃ〜ゴール手前で追い抜くわね〜」果絵梨は呟いた。
と、その時だった、道路に小鹿が飛び出したのを発見すると
「ああ、いけないっ」
そう叫んで無線機の送波ボタンを押し危険を告げようとしたが間に合うわけもなく、次の瞬間そのクルマがけたたましいブレーキ音を上げてスピンターンすると、
そのまま次のコーナーに車体後部から突っ込んでいくのを見届けるのが精いっぱいだった。
瞬間白い光を見たかと思うと車は一瞬消えたように感じた…時間にして1秒あるかないかといった程度だったがすぐに眼の錯覚だと感じた。
車はそのまま谷の雑木林に飛び出し、ガサガサと枝を折り散らかしながら谷側へ滑るように転落していったのを確認したからだ。
「コードレッド!コードレッド!4号車コースアウトです、繰り返します!
こちら第二セクター、ポイントNo.1、コードレッド!、コードレッド!4号車コースアウト!」
「うふぅ〜いってぇ〜〜〜〜〜 」
背中で受けた衝撃のため、鈍痛を感じながら呻くハヤト。
クルマは雑木林を縫って坂を30m程バックで走り抜け、下の道路の手前まで来て止まった。アザミが自走して出し、今さっきまで修理を行っていた場所のすぐそばだった。
「大丈夫か?」
ハヤトはマウスピースを吐きだすと、運転席のアザミを見た。今度は口の中を噛まずに済んだ。
「だ、大丈夫・・・それより・・・」
そこまで言うと周りを見渡して、木に青々と針葉が茂っているのを確認すると
「やった、成功したみたい・・・」
『コードレッド!コードレッド!』無線機から音声が聞こえる。
ハヤトは『信じられない』っといった顔でアザミを見つめた…。
「あは、ははははは、」
「ハハッ ハハハハっ」
二人は何とも言いようがなく、事情を知らぬものが見たら気が違ってしまったのかと誤解されそうなくらい笑いあった。
「だ、大丈夫ですか?」
窓から中を覗き込むコースマーシャルの下級生たちが心配そうに二人を見つめている。
『アザミが事故った』しきみはそう聞いて少し胸が掻き毟られる想いがした、
「で、現場はどこ?」
「中腹の第2セクターに差し掛かったところでありんす…。いま縄跳達が向かってるようでありんす。わらわたちも行くでありんすか?」
「あたりまえじゃない!」
しきみはそう吐き捨てると、ひまわり、ヒメジ、を伴ってマーシャルカーに徴用されていたヒメジの360モデナに乗り込んだ。2シーターなのでひまわりと抱きあって助手席に座るしきみ…。
「ちょっと窮屈だけどすぐそこだから我慢するでありんす」
「いいから出して!」
語気を少々荒めていうしきみ。
「行くでありんすっ!」
そう言うとヒメジは2ndギア発進で360をコースに向けた。
現場にさしかかると、100mほど先にハヤトとアザミがガードレールに腰を掛けて休んでる姿が目に入った。ハヤトは縄跳からペットボトルを受け取りゴクゴクとそれを飲んでいた。
「どうやら、無事でありんすね〜」
そういうとヒメジは滑るように路肩にモデナを寄せると事故現場のすぐそばに停車させた。
「アザミ〜〜〜」
「ハヤト殿ぉぉぉぉ〜」
しきみとひまわりが飛び出すようにして車を降り、二人の元に駆け寄った。
ひまわりを見てハヤトが笑って出迎えた、彼に触れて無事を喜ぶひまわり。
アザミはわざと眼をそらしてその光景を見ないようにした。
「大丈夫だ、何ともないよ、アザミの緊急回避能力のおかげだ…」
ハヤトは彼女を気遣い、ひまわり手をそっと払いのけるようにして身体を離すとアザミの方を見やった。
それを聞いてひまわりはアザミの方を振り向くと一礼して
「アザミちゃん、ご主人さまを庇っていただいて、どうもありがとうございます。あ、それより怪我はない?」
といった…。
「うん、 大丈夫…(身体はね…心はズタズタ…)」
そういうと、ばつの悪そうな眼でひまわりを見た。
「一体、何があったの?」しきみが腕を組んで訝しがる。
「 なんか急にバンビちゃんが出てきちゃって… 」
「ゆすらの事前告知…里の全動物には行き届かなかったでありんすねぇ〜」
紫色のツナギを着たヒメジは、クルマを降りずにドアに腰を掛けルーフに身を乗り出した恰好で笑いながら言った。
「そんなの… 最初っからアテになんかなるわけないじゃないの〜」
眉をひそめてしきみが続けた。
「それより〜 アザミ、髷はどうしちゃったの?」
顔も汚れてるし…、しかも何でオイル汚れ?…しきみはハンカチでアザミの顔を拭ってやった。
「えぇ?あ、(慌てて頭を触って)と、とれちゃったのかな?」
「そういえば〜、ハヤトどのぉ、その髭〜」
「なんか変でありんす…さっきはそんなに伸びてなかったような気が〜」
「ばばばばば、バカ言うな今日は寝坊して剃り忘れたんだって!お前ら気づくのが遅いんだよぉ!」
「そぉ〜ですかぁ〜」
何となく腑に落ちないっといった印象は残ったものの、何とかその場は切り抜けた。
ハヤトとアザミはやれやれといった表情で顔を見合せた。
二人が消えてから大きく影響を受けたタイムラインは完全に修復された…。
2時間の中止があったが、検定走行は全て最初からやり直して無事全員がセッションを終えた。
学年区別なく総合優勝はひまわり、僅か3秒遅れで2位がしきみ、さらに23秒遅れで3位はヒメジが獲得した。
5人のうちで何と最下位は総合6位のアザミだった。
ハヤトは軽い背中の痛みを訴えていたので同乗試験官をちょろぎに代わってもらい医務室で検査を受けた。
様子を見るためにその日は医務室泊まりになった。
「やったなぁ、ひまわり、おめでとう」
「ありがとうございます!ハヤト殿〜」
ひまわりが優勝トロフィーを見せに医務室のハヤトを訪ねてきていた、屈託のない笑顔で一生懸命話をするひまわり…。ハヤトはやっぱりこの少女の笑顔に一番癒される。そう思うと『戻れた』ことに感謝した…。
ふと気がつくと、入口に寄りかかり腕組みをしてアザミが二人を眺めるように立っている。
「アザミ・・・」
「アザミちゃん…」
「ひまわり何やってんのよ〜祝勝パーティーの主役が居ないって、みんな騒いでるわよ〜」
「あ、ごめん、ごめん…(ハヤトに振り向き)じゃハヤト殿〜また、後で来ますね」
そういうとペコリとお辞儀をして医務室を出る。
アザミは同じ姿勢でひまわりが去るのを見届けると、ゆっくりと中に入ってベッドの傍らにある先ほどまでひまわりが座っていた椅子に、背凭れを反対にして腰かける。
「・・・背中…どう? 」
例の掠れがちの声で優しく問いかける。
「単なる打ち身だ…もうだいぶ良くなったよ…」
それは良かった と表情で示すと、暫く俯いて思索を巡らせるアザミ。
顔を上げてハヤトの顔を見ないで言う…。
「ちゃんと、 戻れたね…」
少し寂しそうな表情に見えた。
「そ、そうだな…信じられないけど…本当に…」
「アタシ、タイムラインが戻ったら、記憶は無くなっちゃうって思ってたんだけど・・・」
「・・・ちゃんと覚えてるな・・・」
「うん」
二人は瞬間、あの激しく『愛し合った』光景を同時に反芻した…。そう、確かに間違いなく互いに愛し合っていた時間がそこにあった。
暫く無言が続いた。アザミは下を見てグルングルンと椅子を左右に振っている。
「検定…残念だったな」
「はは、聞いた? アタシ ゆすらや椿より遅かったんだよ…やんなっちゃう…ハハハ」
「事故の所為だ、気にするな…来年挽回すればいいさ・・・」
だけど総合六位なんだから充分じゃないか…などと言えるわけはなかった。
会話が途絶える。
「…なんだか…ややこしい関係になりそうだね…」
「悪かった、俺が無配慮だった…本当に…」
「違う!興味本位で挑発したの 私だし…私がバカだった・・・なんか男扱いされて、意地になっちゃって…ホント、バカ・・・」
ハヤトは返してあげられる言葉が見つからない…。
「じゃ、もう行くね」
そういうと立ち上がってハヤトを見つめる…、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「・・・ああ、わざわざ…ありがとう な」
ハヤトは『話せて良かった』っと続けるのは止めた。
アザミは返事を返す代わりにハヤトの唇にキスをし、駆け足で出て行った。
食堂での祝勝会も早々に抜け出し、しきみは部屋で今日の検定走行の問題点を整理し、PCにデータを入力していた。
3秒落ちの二位なら充分じゃないかと凡人なら思うだろうに、どこまでもクソ真面目な優等生だった。
遠く食堂からはみんなの笑い声が聞こえる。
一息つくと、時計を見て、そろそろアザミが尋ねに来てもいい頃なのに…と考える。
週末はだいたいそんな風にして夜を供にすることが多かったからだ…。
肌を合わすこともあるが、しきみには彼女とお喋りし、添い寝をするだけでも楽しい時間…、アザミの方もそう思っていた筈だった。
しきみはそっとアザミの部屋のドアを開け、中を覗いてみた。
部屋は真っ暗で、彼女はベッドに横になっていた。
「アザミ? もう寝ちゃったの?」
タオルケットを抱きかかえるようにして丸まって寝ている彼女の顔を覗きこむ。
アザミはニキビひとつない綺麗な横顔を見せスヤスヤと寝息を立てていた。
「あらあら、今日は疲れちゃったのかな?」
事故のこともあるしね…しきみはそう思うと苦笑いして、捲れてるナイトシャツを整えてあげた、
珍しく女の子っぽい恰好で寝ていたのでつい見とれてしまう、暫くしていけない、いけないっといった感じにそっと部屋を出た。
「 しきみ・・・ゴメンね・・・」
寝たふりをきめていたアザミは、ドアが閉まる音を聞いた後にそう呟いた。
次の日、日曜の早朝、誰もいない第二校舎。
バルコニーに続く階段を駆け上がるアザミ。あの日、ハヤトと手をつないで降りた階段だ…。
激しく後ろからハヤトに突かれ快感の漣に身を浸した場所には、その時と全く同じようにテーブルとパイプ椅子が並んでる。
思い出すと耳が熱くなる、その思い出を振り払うようにして駆け足で図書室に向かった。
いつものように例の縮刷版を手にすると、アザミはスカートのポケットから、あの黄ばんだ紙片を取り出した、暫くそれを見つめながら考え込んでいたが、意を決するとそれを『取り出した場所』に戻した。
「しきみにはもうここを使わないように言っておかなきゃね」
そう呟くとパタンと本を閉じ、胸にひしっと抱きかかえる。
好きな歌のフレーズが口をついた・・・
『こんな素敵な毎日が〜この世界にあるぅってことぉ…』
『そっと教えてくれたのは〜 私の一番 好きなひ と 』
小声で歌いだす。
『ふったぁり 一ぃ緒ならば〜 どんな時も笑 え る の ・・・(涙があふれる)』
『だっから〜 となりに い〜て〜ぇぇぇ 私を見ていてねぇぇぇ・・・』
掠れ声でそこまで歌うと小刻みに肩がふるえる。
アザミはあふれる涙を必死で堪えるが、一筋の線を引いてそれは零れ落ちた。
彼女の静かにすすり泣く声だけが、誰もいない図書室の奥に響いていた。
----- 終 ------