「はぁ……」
しきみは悩んでいた。
温泉での一件以来、あざみの顔がまともに見れず、会話もままならなくなってしまったからだ。
自分の馬鹿な勘違いが元なので素直に謝りたいと思ってはいるが、あざみの顔を見ると、どうしてもあの時の感触と表情が脳裏をよぎり、何も言えなくなってしまっていた。
「悩んでいてもしょうがないか……」
考えるだけでは何も変わりはしない。自分が照れを捨てればいいだけの話で、そうすれば、あざみならいつものように接してくれる。それは理解している。
(でも……そんな簡単に意識を変えられるものなら、最初から悩みなんてしない。ナナフシの時だってそうだ)
ともかく考え込んでいても気が滅入るだけなので、しきみは自室を出て、山へと向かった。
こういう時は学園でじっとしているよりも、外で何かをしていた方が、余計なことを考えないで済むと思ったからだ。
学園周辺の山々は、しきみにとって勝手知ったる、いわば庭のようなものなので、何処がどんな薬草の生育条件を満たしているのかは、概ね熟知している。
だから手持ちの薬草が切れそうになれば、何処に行けば何が補充できるのかは分かっているし、貴重な薬草が生えていそうな場所も把握していて、今回は後者を目的とした。
自室にある薬草等のストック管理は、普段から怠っていないので、特に補充が必要なものはないが、貴重な薬草やキノコなら、いくらあっても困ることはない。
そういったものは、意図的にストック量を操作することが難しいということもあるが、何より薬師としての探究心が欲しているのだ。
しきみは、貴重な薬草が生えている可能性のあるエリアを、次々とあたっていく。だが、まるで収穫がない。
特別に期待をしていた訳ではないので、それで落胆するようなことはないが、何も無いと流れ作業的になりがちで、気が抜けてつい余計な思考が顔を出し初めてしまう。
それでは山に出た意味がない。余計な思考を振り切り集中しようと、散策に精を出す。そして気がつけば、見覚えのある景色に囲まれていた。
見覚えのある場所なんてここに限った話ではないが、この場所にしきみは、単なる既視感とは違った感覚を覚えていた。
そこは岩壁に挟まれた、所々に岩石の転がる渓谷で、奥には緑も見受けられる。かつて星屑草を見つけ、ナナフシと初めて出逢った、しきみにとって特別な場所だ。
星屑草を見つけた場所だけあって、しきみはあれ以来もここに何度か足を運んでいた。
いつも収穫など何も無かったが、ここに来ると心が温まるような、何か不思議な感覚になれるのが心地よく、何も無いと分かっていながらも、つい何度も訪れてしまっていたのだ。
その所為で習慣化してしまっていたのか、無意識の内に足が向いていたようだ。
やはり今回も星屑草は生えていないだろうが、折角来たのだからと、しきみは奥へと進む。
奥へ行くに従って通路が拡がり、幾つかでこぼことした岩が点在している。その隙間や表面からは逞しく緑が育っており、薬草として使えるものも多少見受けられた。
ナナフシの居た縦穴付近まで到達すると、しきみの脳裏にあの時の記憶が鮮明に蘇えり、胸の奥が熱くなって、顔が火照っていくのが感じられた。
(ここに来る度にいつもこんな気持ちになって……未練がましいったら無い……)
そう思いながらも、穴の前で立ち止まり中を覗くしきみ。深さ4メートル程度。当たり前だがナナフシの姿などない。
(馬鹿馬鹿しい……。何やってんだろ、私……)
ひょいと穴を飛び越え、薬草狩りを再開しようとする。だが着地した瞬間、足場が崩れ、しきみの身体は後方の穴へと投げ出されてしまう。
(なっ!?)
気を抜きすぎていたのか、穴の淵、しかもヒビの入ったところへ着地してしまったようで、虚を衝かれる形となったしきみは、反応できずに背中から落下していく。
それでも滞空中に何とかしようと、鉤縄を近くの岩石へと絡ませる。しかし天はしきみに味方せず。岩石は脆くも崩れ落ち、しきみの身体を一瞬繋ぎ止めるだけに終る。
「くッ……!」
さほど深い穴ではないので、もう落下中に体勢を立て直す余裕などない。衝突に備えて受身を構える。
「――!」
途中、鉤縄がワンクッションになったとは言え、背中から落ちて、何ともないような高さではない。
しかも、衝突のタイミングが思っていたよりも早かったために、受身のタイミングも逸してしまった。
にも拘らず、痛みはなかった。
(いったいどうなっ……)
そう思いしきみは、いつの間にか瞑っていた目を開ける。
「大丈夫か?」
そこには、先程まで思い浮かべていた顔があった。
「な、ナナフシ……!」
驚いて目を見開くしきみ。
「どうして……?」
「それは拙者のほうが聞きたいくらいだ。お前らしくないのではないか?」
落下したことを言っているのだろう。いつものしきみならば、このようなヘマはまずしない。それは本人も十分に理解している。
だが今のしきみには、そんなことはどうでも良かった。
「私にだって、こんな時もあるわ……。それよりなぜここに?」
ナナフシが目の前に居ることが信じられないしきみは、改めて訪ねる。
「たまたま通りかかったのだ。そしたらお前の姿が見えてな……。いきなり落下したから驚いたぞ」
「そう……。ごめんなさい……」
微笑を浮かべながらナナフシが答えると、迷惑を掛けたと思い、しきみが俯いて謝る。
「謝る必要などない。お前は何も悪くはない」
冷静な口調の中にも優しさの篭った声で、ナナフシが諭す。
「……ありがとう」
しきみは俯いたまま視線を逸らし、照れながら一言、感謝の意を述べた。
「折角こうして逢えたのだ。少し話でもしないか? この中なら、まず人目につかないだろう」
確かにこの縦穴の中を窺うには、淵に立って覗くしかなく、余程の術者でもない限り、他に覗く術はなさそうであった。
そんなことが出来る術者が、こんな穴をわざわざ覗く理由もないだろうということで、しきみはナナフシの提案を受けることにした。
「そうね。それじゃあまずは、降ろしてくれない?」
ナナフシは衝突寸前のしきみを抱き止めた。だからしきみは、いわゆるお姫様抱っこされている状態になっていた。
好きな相手に抱かれて嬉しくない訳はないが、久しぶりに会ったせいか、気恥ずかしさのほうが大きく、しきみは降ろすように催促してしまう。
「ああ」
ナナフシがしきみを腕から降ろす。そしておもむろに地面へ腰掛けた。
しきみも地面に腰を下ろし、岩壁を背もたれにして、ナナフシの右隣に座る。
「元気にしていたか?」
ナナフシが先に口を開いた。
「ええ、まあ。貴方は?」
本当は体調を崩したこともあったし、今も悩み事はあるが、心配を掛けさせまいと、しきみは曖昧な返事を返した。
「見ての通りだ。そういえば、お前の方こそどうしてここに?」
ナナフシは、しきみが以前体調を崩していたことを、あざみから聞いて知っていた。
本心としては、なんとか聴き出したいところではあるが、しきみの気持ちも解るし、あざみの正体がバレてはいけない。
そう考えたナナフシは、あえて話題を変えた。
「多分、貴方と同じよ。星屑草があった場所だもの。来てみたくもなるわ」
先程ナナフシは「たまたま」と答えてはいたが、同じ趣味を持つしきみには、ナナフシがここに来た理由など、本当は聞かずとも解っていた。
「俺は……それだけの理由ではないのだがな」
「? どういう……?」
「……こういうことだ」
不意にナナフシがしきみを抱き締める。
「え、ナナフシ?」
(え? ええ?! いったい何が?! え? どうして?!)
ナナフシの突然の行動に、しきみの思考は激しく混乱する。
「俺は、しきみに逢いたかった。またお前の顔が見たかった、声が聞きたかった。……だからここに来た。また逢えるのではと思ったから」
絞り出すように、囁くようにして、しきみの耳元で、ナナフシがその想いを吐き出した。
ナナフシにこのような感情を、初めて直接的な行動と台詞でぶつけられたしきみは、胸が締め付けられるような感覚に囚われる。
「実は……私も……」
しきみはナナフシの背中に腕を回し、自分も同じ気持ちであったことを、行動で示す。
「……しきみ……」
ナナフシがしきみから身体を少し離し、その瞳をじっと見つめる。しきみもまた、視線を泳がせながらも、なんとか見つめ返していた。
ゆっくりとナナフシの、その整った顔を近づく。意図を察したしきみは、戸惑いながらも瞼を閉じる。次第に互いの吐息が感じられる距離にまで達し、ナナフシも瞼を閉じた。
――
初めての接吻。どうしたらよいのか分からないしきみは、唇を固く閉じ、緊張の余り少し震えていた。
それは互いの唇を重ね合うだけの、文字通りの"口付け"であったが、気持ちを確認しあうには十分過ぎるほどの温もりが篭っていた。
唇を離し、再び見つめ合う二人。しきみは相変わらず、気恥ずかしさから、真っ直ぐには相手の目を見られない。
そんな仕草を微笑ましく感じながら、ナナフシは両手でしきみの右手を取った。そして、自らの胸、心臓の辺りにその手を当てる。
「聞こえるか? 俺の心音が……。お前に再会できたことで、速まっている鼓動が……」
そう言われてしきみは、手先に伝わる僅かな振動に集中する。確かに、トクトクと短いリズムで、脈打つ鼓動が聴こえる。
「ええ、聴こえるわ。見かけによらず、緊張でもしているのかしら?」
自分も緊張しているにも拘らず、ワザとらしく皮肉っぽい口調で尋ねる。
「ああ。こういう経験は乏しいからな。お前と同じで」
対してナナフシもまた、やや皮肉っぽく、からかうようにして答えた。
「私はっ、こういうことに、興味がなかったからっ……!」
別に隠していた訳ではないが、しっかりと見抜かれていたことが妙に恥ずかしく感じ、しきみは必死に言い訳をしようとする。
「とは言え、お前よりは知識を持っているつもりだ。俺がリードをしなくてはな」
「り、リードって……」
何の? と聞きたいところだが、聞くまでもない。それに聞いたら恥ずかしさの余り、余計に動揺してしまうだけだと分かっていた。
「……」
ナナフシが手を放し、瞳を見つめたまま、右手をしきみの腰へと回す。そして左手を右頬に添えた。
しきみは顔を紅潮させ、潤んだ瞳で、今度はしっかりと見つめ返し、やがて目を瞑る。
ナナフシはしきみの腰を引き寄せ、覆いかぶさるようにして、再び口付ける。
「……ん……」
しかし今度は先程のものとは違う。
緊張が解けてきたのか、緩んだしきみの唇を押し分け、ナナフシが舌を挿入する。
「……ン、んん……」
口内に入り込んだ異物の存在に戸惑いながらも、しきみは何とかしようと、稚拙に舌を動かす。
しかし、先程の言葉とは裏腹に、ナナフシは巧みに舌を動かし、しきみに自由を与えない。
うねうねと舌に絡みつき、口内で蠢く軟体に快感を覚えたしきみは、夢中でしゃぶりつき始める。
「ん、ん、ンン……ん、んはぁ……ン……」
狭い空洞に湿った音を響かせながら、口の端から雫が零れるのも気にせず、互いの唇を、舌を求め合った。