「ちゃんと、守ってよね」
赤城に体を寄せながら言えたのはその一言だけ。
帆夏が見上げるとすぐそこに是光の顔がある。今までこんなに近づいたこともないし、こんなふうに触れたこともない。
(もう、なにも言えないよ〜)
二人以外は誰もいない、静かな夜のプールとは裏腹に、帆夏の心臓は、いつまでも鼓動をドクンドクンと鳴らしていて、その恥ずかしさにぎゅっと胸を押さえていた。
(こ、こんなにどきどきしてるの赤城にばれてない?ばれてないよね!?)
「おい、大丈夫か?寒くなったのか?」
「う、ううん。大丈夫、大丈夫だから」
小さくなっていく声とともに帆夏の顔がだんだんと俯いていく。恥ずかしさと嬉しさが同時に込み上げてきて、身体中が熱くなって、頭から湯気かでてしまいそうだった。
「そ、そろそろでるか。人が来ても困るしな」
「ま、待って!」
離れようとした是光に帆夏がぎゅっと抱きつく。
「お、おい」
とっさのことに是光が反応できないでいると
「い、今離れたら見えちゃうから……!」
(自分からこんなとこに飛び込んだくせに!あたし、ホントなにいってるの)
「お、俺は見ねーから!目、瞑るから」
「み、見てもいい!よ、よくないけど!ち、ちょっと待って。心の準備をさせて!」
落ち着いて、一度だけ深呼吸をする。
是光の大きな身体、それを帆夏は全身で感じていた。大きな背中に腕をまわして少しだけ力をいれて抱き締める。
緊張して失敗しそうな自分を必死に抑えて、気持ちを整えた。そんな帆夏を是光はただ黙って見守ってくれていて……
「ねぇ」
「お、おう」
是光のことを見上げる。
「……い、一度だけ。一度だけでいいから。あたしのこと……抱き締めて、くれる?」
「俺でいいのか?」
少し困惑した是光の眼を帆夏はしっかりと見つめた。
「……うん。お願い、します」
「わかった」
是光のたくましい腕が帆夏の背中にそっと触れる。少しだけ乱暴に力強く、でも冬の日向のように優しく包んでくれる。
帆夏にとっては、間違いなくいままでで一番嬉しくて最高の瞬間。好きな人の鼓動も体温もその吐息も全部感じることができる。
(この時間がずっと続いてくれたらいいのに……)
「これで、いいか?」
すぐ近くに聞こえるくすぐったい声。返事の代わりに帆夏ももう一度是光を抱き締めた。それに答えるように是光の腕にも力が入る。
夢のような時間。そのわずかな時間はもうすぐ終わってしまう。
だから、その前にもうひとつだけ。
「あとひとつだけ、お願い……」
「ここまできたらなんだって聞いてやるよ」
「帆夏って、今だけでもいいから、名前で、呼んで」
「それだけでいいのか?」
「うん」
たったそれだけでも嬉しいから。だから――
「……お願い」
「よし、わかった」
一瞬でも聞き漏らさないように是光の紡ぐ一言をただじっと待つ。
「帆夏」
一言を心のなかで何度も何度も反芻して、幸福を精一杯感じていた。
嬉しさで泣いてしまいそうな顔をそっと是光に押し付ける。
うん、あたしって本当にチョロい。