「うゎ……っち」  
 
冷房の効いた車内から一歩出ると、むわっとした空気がまとわりつく。  
冬ならばもう日の暮れようとする時間だが、残暑厳しいこの頃、昼間よりは幾分やわらかになったとはいえ、太陽はまだまだとばかりにオレンジの光を投げかけている。  
暑さには比較的慣れているとはいえ、疲れている体には荷物が重い。  
 
それでも。  
 
タクシーを使うなどという選択肢は高校生にとっては罪悪に等しい。小遣いに余裕もない事だし、歩きださなければ家にはたどり着けない。  
 
「よっ…せっ……と」  
 
泉水はバッグを肩に引っ掛けると、覚悟を決めて日向の道を歩き始めた。  
もとい、歩き出そうとした。  
とたん。  
 
RRRRRR RRRRR  
 
初期設定そのままの、そっけない着信音が鳴った。泉水の携帯だ。  
「はい」  
着信画面を見もせずに携帯に出るのもいつものことだ。  
 
『あ、泉水ちゃん。私、かおりかおり』  
「よ、よお、どうした?なんか用か?」  
 
相手は女子の中では仲の良いといえるかおりだった。そう認識したとたん、心臓が一つだけ大きく鳴った。そっけない言い草になってしまったが、彼女のほうもそんな泉水には慣れたもの。早速話題に入る。  
 
『今何処? もう駅に着いた?』  
「おお、今着いた」  
 
肩の荷物を背負い直しながら泉水は応えた。嬉しそうな声で「そっか」とかおりが呟く。  
 
『私、今公園にいるんだけど、ちょっと寄ってかない?』  
「はぁ?公園?」  
 
この暑いのに公園などに出てきているとは、かおりも物好きな、と思ったもののどこかで彼女と話したいと思っていたこともあったので、泉水は不承不承という態度をとりながらも受諾した。  
 
「…しゃぁねぇな。冷たいモンでも奢れよ」  
 
とにかくカッコつけたい年頃なのだ。  
 
『OK。ジュースでいいよね?』  
「ん。今から行くから、ちょっと待ってろよ」  
 
通話終了ボタンを押したあとの足取りは、その前よりかなり軽くなっていたことに泉水はいまだ気付かないでいる。  
 
※※※※※  
 
「あ、泉水ちゃん!お勤めご苦労様でした!」  
「お勤めって…おまえなぁ、俺がどこに行ってたと思ってんだ?」  
 
かおりが待っているという公園について彼女と目が合ったとたん、スポーツドリンクの缶が泉水に渡された。それを片手で受け取りながら、あきれたようにつぶやく。  
 
「どこって……厳寒の網走刑務所」  
「…オイ」  
「だってめぐみが、泉水ちゃんは下着を盗んだ罪で掴まって、網走行きになったって言ってたから…」  
「バッ、だ、誰が下着なんか盗むかよ!んなわけねぇだろ!」  
 
瞬間的にアタマに血が上る。こういう反応をするからめぐみが面白がって泉水をからかうのだが、本人はそこまで思い至らないようだ。  
 
「だから、ムショ帰りの泉水ちゃんに、久々のシャバの楽しみを、って思って」  
「だから、だれがムショ帰りだ…って……あ? 花火?」  
 
かおりが差し出したのは小さな袋に入った花火セット。聞けば、商店街の福引で貰ったものらしい。  
 
「ね、一緒にやろうよ」  
 
そう言って見つめてくるかおりの笑顔に目を逸らしながら「おう」と短く返すのが泉水の精一杯だった。  
 
※※※※※  
 
パチパチと花火の爆ぜる音。火薬の匂いと煙。  
いい具合に暮れてきた公園にたちまち光の輪が出来た。  
 
「大きな打ち上げ花火も綺麗だけど、こういうのもキレイだよね」  
 
かおりが楽しそうに歓声を上げる。  
 
「それで、どうだった?今年の合宿」  
 
花火を見つめたままそう聞いたかおりのセリフに、泉水はうん、と頷いた。  
 
「まぁ、キツかったけど……楽しかった、かな」  
 
いつものようにそっけない表情。そんな泉水を嬉しそうに笑いながら見た後、かおりは新しい花火に火をつけて、すっと泉水から少し離れた。  
 
「見てて!泉水ちゃん!」  
 
そう言うと花火を大きく動かし始める。  
 
「なんだ?……『お』?」  
「当たり! じゃ、次は?」  
 
どうやらかおりは花火で文字を書きたいらしい。一筆書きのようになって分かりづらいが、それでもなんとか読めた。  
 
「『か』?」  
「うん。これは?分かる?」  
 
かおりはそのあと2つの字を空中に書いた。  
 
 
『お』『か』『え』『り』  
 
 
急に泉水はくすぐったい感覚に襲われた。自分がどこに行ってもなにをしても、帰ってくればいつでもかおりが『お帰りなさい』と言ってくれるような気がしたのだ。  
かおりがいるところが自分の帰る場所なのかもしれないと思った。  
 
「…ただいま」  
 
まだまだ漠然とした思いだったので、相手に聞こえるかどうかの小さな声でそういうのも照れくさいくらいだったけれども。  
 
「あ、あと残ってるのは線香花火だね。どっちが長く落とさないでいられるか、競争しよう!」  
 
かおりも照れたようにいきなり話題を変えた。  
 
「おう、負けた方がアイス奢りな」  
 
泉水には、赤くなった顔を隠しながら線香花火を袋から取り出すことがやっとだった。  
 
※※※※※  
 
「おまっ…人を笑わすなんて卑怯だぞ!」  
「泉水ちゃんのほうが先に揺らしたんじゃない!」  
「うわっ、落ちちまった!もう1回だ!」  
「何度やっても無駄だと思うけど」  
「なにをっ!次は勝つ!」  
 
次から次へと点火していったので、線香花火はあっという間に無くなってしまった。  
 
楽しかった今年の夏も、線香花火とともに終わりを告げようとしている。  
 
※※※※※  
 
「泉水ちゃん、見ててね!」  
 
かおりが最後に残った1本の吹出花火に点火すると、また文字を書き始めた。  
 
「『い』?」  
「そう!…これは?」  
「す?…いや『ず』」  
「正解!じゃ…」  
「『み』『ち』『ゃ』『ん』?…俺がどうしたって?」  
 
『バカ』などと書いたらどうしてやろうか、そんなことを考えながら次の文字を待つ。描かれた文字は……『ス』  
 
 
いずみちゃんス―――光の文字はそこで度切れた。  
 
 
「あ〜、終わっちゃった」  
 
かおりは残念そうに呟くと、消えた花火を水の張ったバケツに浸した。  
ジュっと小さな音をたてて、残り火が消える。  
それにしても―――それをぼんやりと見ながら、泉水は考えた。  
 
「……『いずみちゃんス』ってなんだよ」  
「んー? さあ?」  
「さあ?っておまえなぁ……」  
「気になる?」  
「…あたりまえだろ。途中でいいかけたこと止められたみてぇで、気持ちワリィ」  
 
いや、気持ち悪いどころの話じゃない。そのあとどんな言葉が続くかで、もしかしたら泉水の生活が一変することになるかもしれないのだ。気になって仕方ない。  
 
「ん〜、でも花火終わっちゃったし」  
 
実際、その夜泉水は眠れなくなった。ニッコリと笑って言ったかおりのこの一言で。  
 
 
「続きはまた来年。ね」  
 
 
 
楽しかった今年の夏は、線香花火とともに終わりを告げた。  
 
願わくば、どうか来年の夏も。  
 
笑顔の君と一緒に。  
 
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