「あらしー。電話。」
「は?家電に?誰?」
「知らん。女。」
「・・・・・・」
心当たりはあるらしい。
泉水から素直に子機を受け取ると、嵐士は自室へと消えた。
ベッドに腰かけ、保留になったままの子機を見つめる。
見当はつく。
『別れよう』と。
自分の気持ちだけを伝えて通話を切った、元彼女。
そのまま携帯の電源をオフにしたのだ。
それが昨日の話。
いつまでも保留の音楽を相手に聞かせておくわけにもいかず、嵐士は重い指先で保留ボタンを押した。
「・・・もしもし?」
『あらしくん!?どういうつもり!?ちょっと一方的過ぎない!?』
予想通り。
むしろそれ以上のテンションで、浮かべていた声が聞こえてきた。
ぎゃんぎゃんと喚く声が、もはや言葉ではなくただの音にしか聞こえない。
ああ、自分最悪。
と、電話の向こうの女性を無視して。
うわの空で自分を見つめていること自体が最悪であることに、嵐士は気付けていない。
『聞いてるの!?あらしくんてば!』
「うっせー女だな」
「!?」
後方から声。
ドアを振り向けばめぐみ。
突然の登場に呆気にとられる嵐士を無視し、スタスタと近寄ってくる。
そのまま当然のように、嵐士の手から子機を奪った。
「え、ちょ、めぐ――」
「もしもし誰チャン?声すっごいよ。電話から離れててもガンガン。」
『ちょっと、誰よアンタ。』
「妹でっす☆とか言っときゃ満足?」
『・・・・・ふざけないでくれる?アタシはあらしくんに話があんのよ。』
もはやそうではないのが真実だろう。
電話の向こうの彼女の怒りのジャンルは、先ほどとは既に変化しているはずだ。
急に告げられた別れの言葉への怒りから。
急に現れた、『女』への怒り。
傷つけられる対象も、心ではなくプライドに変わった。
「あらしはもう話すことないって言ってんじゃないの?だから着拒されてんでしょ?」
「してない、してないぞそこまでは。」
「は、してないの?なんだぬるいな。拒否るならもっときっちり拒否れよ。」
『だからどうでも良いから代わりなさいよ本人に!!』
「あーもうあんたはあんたでウルサイな。そんなだから捨てられんだろ。」
熱くなる相手への最大の攻撃。
それはこちらが冷静にな態度を示すこと。
めぐみはそれを知っていて、あえて冷めた口調で相手を攻める。
「だいたい『本人に代われ』?」
皮肉めいためぐみの口調に、相手の女性は更に苛立つ。
『・・・それが何よ』
「残念だけど、アンタあたしの代わりなわけサ。」
『どういう意味よ!!』
「そういう意味ヨ。・・・そんな逆上するってことは自覚あったんじゃないの?オネーサン。」
『ッ!!アンタなに――』
カナギリ声をあげ始めた相手を置いて、めぐみは早々に通話を切った。
ぽいとベッドに放り投げた子機は、もう騒ぐことはない。
嵐士は『やれやれ』という書き文字がぴったりとくるため息を溢す。
「・・・めぐみ。」
「何さ。」
「勝手なコトするなって言っても聞かないだろうから、せめてもう少し穏便に。」
「バカじゃん。すっきりフッてやった方が相手のためでしょ。」
「フるかフラないかはお前の関知するところじゃないよ。だいたい今日は何。何の用?ああ、また荷物持ち?」
ベッドに腰を降ろしたまま。
めぐみを視界に入れないように、嵐士が問う。
「・・・」
「めぐみ?」
何の反応もないめぐみを不審に思い、少々俯き加減のめぐみを下から覗きこむ。
「・・・なんかあった、の?」
「何もねーよ。おせっかいめ。」
「あそ。」
仕方ない。
何かはあったのだろう。多分。
しかし、めぐみは滅多のことでは素直にならない。
よく言えば、弱音を吐かない。
こういう場合、常に嵐士は一歩引いてめぐみを甘やかしてやる。
「おいで。」
ぽんと、自分の腰かける隣りを叩く。
更に角度を深くしていくめぐみの首。
もう一つため息を吐いてから、嵐士はめぐみの手首を握り、軽く引き寄せた。
引かれるままに、逆らうことなく嵐士の横に座りこむ。
本当に素直でない。
一度嵐士が離した手を、ひとまわり以上ちいさなめぐみの手が追う。
そのまま手の甲から指を絡め、めぐみは額を嵐士の鎖骨の辺りに寄せる。
「あらしはあたしのでしょ。」
「はいはい。」
「だからあらしの女はあたしの女でしょ。」
「・・・その理論はおかしいだろ。」
「だからあたしが切っちゃっても問題ないだろ!!」
「・・・はいはい。問題ないよ。」
諦めたようにめぐみの頭を撫でてやる。
そうすると、更に強く嵐士に擦り寄る。
昔から変わらない、この慰め方。
変わったのは。
「・・・ちょっとコラ。めぐみ。」
「いいじゃん、カマトトぶんなよ。」
「バカじゃないの。投げ飛ばすよ。」
するりと嵐士のシャツの下に滑り込むめぐみの手。
それを服の上から制止する嵐士の手。
「慰め役はあらしでしょ。」
「・・・それは政宗先輩にお譲りしました。」
「勝手に譲んな。」
確かにめぐみが政宗と付き合うようになってからも、数えきれる程度ではあるが嵐士とめぐみは肌を重ねた。
それはめぐみが異様にヘコんでいた時であったり。
嵐士が酒に呑まれた時であったり。
つまり、甘い雰囲気のもとでいたした、というパターンはない。
それはめぐみと政宗が付き合い出す前から言えることだ。
「あらしだって溜まってんでしょ、」
「お前抱くほど切羽詰っちゃイマセン。」
「コノヤロ。てかさっき彼女と別れたんならこの先溜まる一方だろ、ヤらせろ!」
「だからお前に手ぇ出すほど飢える予定はない!」
「しつれーだな!!」
どちらも必死の攻防戦。
ゼェハァと、均衡状態を保ったままお互い様子見の段階に突入。
しばし睨み合った後、めぐみがふぅと目をそらした。
「分かった。ちゅーでいいや。」
「・・・どんな妥協案だ。」
「良いじゃんそれくらいなら。ケチケチせんと。」
今度は嵐士が目をそらす番。
ああ、と、諦めたような呟きを残してめぐみに向き直る。
「キスだけね。」
「イタダキマス。」
「・・・はい、どーぞ。」
肩に手をかけ、体重を預ける。
それを受け止めるでもなく拒否するわけでもなく、嵐士はやんわりとめぐみの腰を抱く。
静かに始まった口づけは、しばらくその静けさを保った。
「・・・」
「・・・」
そのままゆっくりとめぐみが離れる。
「あー、あらしとちゅーすんの久々。」
「そーデスネ。」
「あらしのくちびるってさ、ふにふにしててキモチーよね。女の子にも引けを取らないやわらかさだよ。」
「・・・そりゃどーも。」
「もっかいイイ?」
「もうついでだから。」
ご自由にどうぞ状態の嵐士に調子付き、めぐみはその方膝の上に跨る。
首に腕を絡め、再び唇を重ねた。
啄ばむようにしながら、徐々に深くしてゆく。
あー、このまま喰われそう。
頭の隅でそんなことを思ったが、それでもまぁいいかと思ったことも事実だった。
どんなに抵抗しても、最終的にめぐみを甘やかす自分を自覚している。
「コノ。」
「痛て。」
ペチっと額を叩かれる。
何事かと、かなり至近距離にあるめぐみを迷惑そうに見据えた。
「今度は何。」
「なんか考えてたでしょ今。」
「は?」
「このあたしがこんだけ誘ってんのに。ノれよ。」
そんな横柄な誘いっぷりじゃ誰もノらないだろ。
そう突っ込みたかったが、めぐみにおいては成立してしまうのが苛立たしい。
微妙に反応する体。
悔しいが、やっぱりめぐみは可愛いと思う。
「・・・あのさぁ。もっとさぁ。お前の本性知らない優しーいオトコノコ誑かして、ベタベタに甘やかして貰ったら?」
それは本心だ。
紛うことなき本音だった。
いつまでもいつまでも。
こんな世話の焼けるイトコのお守りはまっぴらごめんだ。
「それじゃ意味ないでしょ。わかってるクセに、あらしイジワルだ。」
自覚はある。
めぐみは自分に甘えたいのだと。
猫なで声でしなを作りすり寄れば、大抵の男はめぐみを甘やかすだろう。
しかしそういった計算でなく、ただ単純に甘えたいとき。
めぐみは必ず嵐士を選ぶ。
そこに暗い欲望が満たされることを自覚していて、嵐士は今日何度目かのため息をつく。
「・・・まいったなぁ。」
耳元を擽るめぐみの艶めいた浅い吐息を、面倒だなと思う。
しかし同時に胸を締め付けるワケの分からない感情があるのも事実だ。
「あらし」
「んー」
「あらしが今のパパと同い年になっても結婚してなかったらめぐみがお婿にもらってあげるからね」
「・・・は」
柔い肉にうずまりながら、とりあえず30まではひとりでいてみようかと思った自分に吐き気がした。
「それじゃめぐみ幸せになれないよ、きっと。」
「あ、ん、だ から結婚し・・・ないでね、あらし・・・」
すでに嵐士の声が届かないでいる不特定多数の誰かのモノであるめぐみは、誰のものにもなるな、と嵐士の腰に脚を絡めた。