◆◇◆◇◆◇  晴幸  ◆◇◆◇◆◇  
 
 隅にあるほとんど肉片と化して積み重なった死体から流れる血で  
半分以上床が見えなくなっている踊り場まで降りてきて、俺と堀の足はそこで止まってしまった。  
 いや、立ち止まざるをえなかった。  
 一階の廊下に、思わず眉をひそめてしまうほどの数の〈奴ら〉が、  
それこそ林立するように集まっていたからだ。  
 体操服姿もやけに多く、懐かしいものさえ感じてしまった。  
「あれは……俺を追ってた奴らか……?」  
「ここで私たちを見失ってたのね」  
 音さえ立てなければ気付かれないと分かっていても、  
俺達は階段の手すりの蔭に隠れながら下を見つめた。  
 隙間を抜けようにも、躰を横にしても通れなさそうな箇所すらあった。  
「満員電車じゃねえんだから……」  
「どうするの?」  
「こっちが教えて貰いたい気分だ」  
 俺は普段使わない頭を必死に巡らせた。  
 階段はここ中央の他にもう一つある。生徒用玄関に直接通じる東側の階段だ。  
 春佳が通ったこの路をまっすぐ進みたかったが、急がば回れの方が結局は早いかもしれない。  
 俺がその考えを堀に伝えると、彼女も頷いてくれた。  
 ただ、校舎がやけに静まり返っているため、今まで以上に慎重を期する必要があった。  
 嫌な静けさだった。  
 窓から眩しく射し込む橙色の夕陽が、もうすぐ訪れる闇の時刻を知らせ、  
 この静寂と相まって死が支配する亡者の国に飲み込まれていくような感覚を与えた。  
 と、その時。  
 そう遠くない場所から、  
 
 カーン  
 
と、軽い金属同士が打ち合うような音がした。  
 静まり返っている校舎にそれはやけに響き渡り、  
階下にいた〈奴ら〉がこぞって同じ方向──生徒用玄関の方を向いた。  
 
「走れー!」  
 
 そんな声が聞こえる。  
 生き残り組が脱出を図っている──誰が聞いてもそう思うだろう事態だった。  
 
 すし詰めの〈奴ら〉が動き始めた。ぞろぞろと玄関の方へと。  
 誰だかは分からないが、俺にとってはチャンスであった。  
「奴らがはけたら進もう」  
「ええ──」  
「危ない!」  
 瞬間、俺は堀の腕を引っ張っていた。  
 いつの間にか二階から小柄な女子の〈奴ら〉が降りてきていて、彼女のすぐ後ろで  
噛み付こうとしていたのだ。  
 すんでの所で空を来る歯牙。  
 下ばかり気にしていて階上の注意が疎かになっていた、  
という後悔をする暇もなく、足が滑り体幹のバランスを失う感覚。  
「しまっ──」  
 とっさのことで足元が血の海であることを忘れていた。  
 堀を抱き止めながら、ぐらついた俺の躰は一階へ続く階段を落ちていた。  
 
 ドタドタ、ドタッ!  
 
 幸いなことに、2、3段落ちた程度で止まった。  
「本城君!」  
 俺の上にいた堀がすぐに立ち上がる。無事らしかった。  
「だいじょ──ぐああッ!!」  
 腕や背中など打ったが大して痛くないと、遅れて立ち上がろうとした俺は、  
左膝から全身に駆け巡った激痛に悶絶した。  
 階段に座り込み、左足を押さえる。  
 転倒時に捻ったか堀の体重が乗ったか打ち所が悪かったか、あるいは全部か、  
原因はもはや分からなかったが、膝の関節がずれている感触があった。  
しかも触っただけで明らかに判別できるほどのズレ。皿も割れているかもしれない。  
 だがもうすぐそこまで今のが来ている。下の〈奴ら〉も俺達に気付き、  
向きを変えて階段を上がり始めていた。  
「本城君!?」  
「ぐうう……いいからそいつを……!」  
 堀は後ろを向き、腕を伸ばして襲いかかってきた〈奴ら〉にバットを振るおうとしたが、  
もはや間合いの内に入られていた。  
「きゃああ!!」  
 噛み付かれる寸前にとっさにバットを横に持ち替え、辛うじて歯を防ぐことが出来たが、  
押されるままに血の海の中へ倒れてしまった。  
 びちゃっと俺の顔にもどす黒い飛沫が降りかかる。  
「堀ッ!」  
 
 俺より数段下に転がっていたモップ束に手を伸ばして握り直し、それを支えにして立ち上がると、  
左足の痛みを気合いで無視し、  
「どけ……!」  
と、そいつの脇腹に先端を当てて突き押した。躰の小ささは春佳に似ていたが、  
そんなことを気にしている余裕などなかった。  
 〈それ〉はあっけなく堀の躰の上から転がり落ち、  
再び噛み付こうとする前にその頭にモップ束を振り下ろした。  
「ぐああ……!」  
 俺は呻いた。力点は右足に置いていたのだが、左足にちょっとでも力が入ると、  
万本の針を膝に深々と突き刺されたような熱い痛みが走った。  
 〈それ〉が動かなくなると俺は歯を食いしばりながら、堀が立ち上がるのに手を貸し、  
上と下に目をやった。  
 下はもう階段の半分まで迫っており、上も何体か姿を現していた。  
「本城君、足……!?」  
 格好だけなら俺より堀の方が酷かった。白い制服が今や真っ黒だ。  
前面は返り血だらけ、後ろも一面が血に浸かって可哀想なほどの状態になっていた。  
「折れてない、と思う……!」  
 左足にちょっとでも重心を分けると途端に発火する痛みは、  
さすがに平然とした顔ではいられなかったが、歯を食いしばって言った。  
「二階に行こう」  
 左に体重をかけないようにヒョコヒョコと歩くと、  
上から降りてきた奴に右足を固定したままモップ束を振るった。  
 腰の入らない情けないスイングだったが、それでも強引に腕力だけで振り抜いた。  
そいつは手すりから下に落ち、登ってきていた〈奴ら〉を巻き込んだ。  
 だが、それほどの打撃をするためにはやはり左足の力点を完全に殺すことは出来ず、  
地獄の鬼の金棒で乱打されるような痛みに悶絶し、動きたくても動けなくなった。  
こんな大怪我、今まで経験したことがなかった。  
 
「うぐぐぐ……!」  
 前後不覚になりそうなほど戦慄く俺の躰を、堀が支えてくれた。  
「本城君しっかりして……!」  
「すまない……まだいる、離れてくれ」  
 作戦を変え、最期の1体は足を払って倒れたところでガンガンと頭を突いた。  
 障害となるものが無くなったところで手すりも使って二階に登ると、  
俺と堀はまた立ち止まってしまった。  
 先ほどと同じだ。廊下、連絡通路、三階への階段──  
 どこもうじゃうじゃと、すべての逃げ道が〈奴ら〉で塞がっていた。  
どの方向も突破できる望みは薄そうであった。  
 こんな状態では。  
「つっ、う……」  
 左膝の痛みが強くなりつつある。  
「隠れましょう」  
「どこに……」  
「あそこ」  
 堀は西側廊下にあるトイレを指した。  
「そっちは……袋小路だ……ぐうぅ……!」  
「でもこのままじゃここで死んじゃう」  
と、堀がまた俺の躰を支えに入ってくれた。  
「それだとコツコツ音が出ちゃうわ、使わないで」  
「悪い……」  
 俺は堀に体重を預けながら片足で歩き、女子トイレにという言葉に従った。  
 奥へ四個並んでいる個室。堀は手前から二番目を選んで中に入ると、  
蓋を閉じた便器に俺を座らせ、左足には触れないよう自分も腰掛けた。  
「ごめんなさい本城君、私のせいで……」  
 耳元でそう囁く堀に、俺は首を振った。  
「違う……二人だったから、死なずに済んだんだ。  
 それに、謝るのは俺の方だ。やっぱり、お前を道連れにしちまいそうだ」  
「本城君……」  
 休んだ体勢になると痛みも途端に耐え難くなってゆき、  
俺は左足を押さえながら奥歯が折れそうなほど食いしばった。  
「くそ……痛みで声が漏れる……」  
 俺はズボンのポケットを探り、ハンカチを捻ってそれを口に咥えた。  
 堀は何を思ったのか上履きを両方とも脱いで手に持つと、いきなり抱きついてきて、  
胸を俺の顔に押し付けた。  
「!?」  
 ブラジャーの固さと、その中にある柔らかいものの感触。  
噎せるような血の匂いに混じって、胸元から漂う甘い体臭が鼻をくすぐった。  
「しっ」  
 ア"ー……  
 バン、とドアを押し開け、〈奴ら〉が入ってきた。  
 
 息を潜める俺と堀。  
 痛みでガンガンと響く頭の中で、最期、という文字がちらつく。  
 疲労も限界に近かった。一秒でも早く春佳を助けたいと思うあまり、ここまで飛ばし過ぎた。  
躰がだるい。重いモップ束をさんざん振り回したせいで腕の筋肉はとうに悲鳴を上げていた。  
こめかみは痛いぐらい脈打っているのに、痛み以外にも頭が白く、  
意識が薄れかけていくような感じ。興奮が醒めて血が引いていっている。  
 さっき見た〈奴ら〉は、今の状態では一方向でも相手にしきれる数ではなかった。  
 それが全て、ここへやって来ているのだ。  
 個室の側壁が入り口正面にあるため、そこに当たった〈奴ら〉が壁を押し、  
個室全体が揺れた。  
 俺は目を閉じた。  
 我ながらよく頑張った……よな。  
 野球をもっとやりたかった。部活頑張りたかった。  
レギュラーを目指して、できれば夏の甲子園も行きたかった。  
仲間達と遊びたかった。春佳ともっと一緒に過ごしたかった。  
(吉田、すまん……)  
 学校の人間はもうほとんど死んでしまったのだろう。俺達もこれが運命なら、しょうがない。  
(春佳、ごめん……)  
 春佳を助けられなかったことだけが猛烈な後悔を生んだ。あと堀も。  
 トイレの奥まで満ちると、他の個室の中まで入り込む〈奴ら〉。  
 すると、堀は手に持っていた上履きを片方、入り口の方に放り投げた。  
 タン、と、壁に当たる軽い音がする。  
 〈奴ら〉が反応し、入り口の方に向かって歩き出したが、  
しばらくするとそれを忘れたように戻ってくる。  
 また堀の上履きが楕円を描いて投げられ、同じ事が起こる。  
 俺は首を振り、諦めろという意思を伝えた。  
 堀の今にも泣き崩れそうな顔。彼女は俺の頭を再びぎゅっと胸に抱き締めた。  
 メリメリ、バリバリという音が立った。一つ目の個室の壁が叩き壊されらしく、  
その拍子に倒れでもしたのかガコンと便器に当たる固い音が隣から響いた。  
 
 ドン、ドン  
 
 ついに、ここのドアが叩かれ出した。  
 次いで両側の個室からも。  
 
 堀の腕に力が籠もる。  
 〈奴ら〉は本当に目が見えないのか。聴覚だけを頼りに動いているのか。  
 ──今さらそんなことを思い巡らせたって何にもならないが。  
 モップ束をぎゅっと掴む。  
 堀を立たせて奥に押しやり、タンクの隙間に詰めさせる。  
 最後の俺の行動はこうか、と、我ながら他人のような冷めた目で自分を見る自分がいた。  
つまり、俺っていう人間は、諦めが悪いタイプか。  
もうどうしようもないのに、何をしたって状況は変わりはしないのに、  
目の前の現実を受け入れず、無駄な足掻きを最後の最後まで続ける。  
チクショウなんて叫びながら格好悪く殺されるチンピラのような人間。  
 いいじゃねえか。上等だ。  
 痛みはまったく引いてなかったが、闘争心が再び燃え上がり始めていた。  
 1体でも多く道連れにしてやる、この野郎が。  
 ドアがメリッという音を立て、蝶番が軋み、叩かれている箇所に裂け目ができ始める。  
 いつでも刺突できるよう重い腕でモップ束を構えていると、  
突然、外から、ドン、ドオーンという華火が打ち上がったような大きな音がした。  
 
 〈奴ら〉の動きが止まった。  
「………………」  
 俺も堀も、息が止まったかのように微動だにしなくなった。  
 死が満ちる静寂。  
 左膝が裂け爆ぜてしまいそうなほど痛い。  
それをピクリとも動かさないでいるのは恐ろしいまでの忍耐と集中力が必要だった。  
脂汗が額を伝い、歯が砕けそうなほどハンカチを噛みしめる。  
 
 〈奴ら〉が再び動き始めた。  
 ──入り口に向かって。  
 
 まるで潮が引くように〈奴ら〉はトイレから出てゆき、  
どこか──さっきの音がした方向だろう──へ去っていってしまった。  
 
 〈奴ら〉の呻き声が聞こえなくなるまで、俺達は動かなかった。  
 動けなかった。  
 ──やがて、俺に目配せした堀がおそるおそる個室の外に出て、  
トイレから一体も居なくなったのを直に確かめると、個室の前でくずおれるように尻餅をついた。  
 俺もモップ束を杖突き、口に咥えたハンカチを落として安堵の溜め息を吐いた。  
「……助かった……?」  
「ああ……ぐうぅ」  
 まるでその実感が湧かなかったが、  
左膝の痛みが何よりも生きているということを思い出させてくれた。  
 はっとしたように、  
「本城君、大丈夫!?」  
と、堀が飛びつくように俺を気遣う。  
 大丈夫、と返したいところだったが、激痛がそれを阻止した。  
 たかが片足だろう、くそったれ、と思いながらズボンをずり上げると、  
膝が真っ赤に腫れ上がっていた。  
 堀が手で口を覆う。  
「これは、ちっと、痛みが引きそうに、ないな……!」  
「保健室……はもう校医さんいないよね。病院に行かなきゃ……!」  
「はは……痛いってことは、まだッ、神経が、生きてるってこと、だ……!  
 何も感じないより、遙かに、マシ……堀」  
「なに?」  
「お前一人だけで、逃げろ」  
 堀が呆気にとらわれた顔をする。  
 俺は大きく息を吸い込み、痛みを我慢して喋った。  
「まだ春佳を見つけてもないのに、病院には行けない。  
〈奴ら〉の気が逸れてる今がチャンスだ。まだ明るいうちに、お前だけでも逃げろ」  
「そんな……できないよ……!」  
「だめだ、これ以上俺といたんじゃ、死んじまう、だけ、だ……くう!」  
「いや……!」  
「俺はこれじゃだめだ……。疲れ過ぎてて、怪我の痛みで意識が朦朧としはじめてる。  
まあ、まだ片足残ってるから、上手く物音立てないように春佳を探すさ」  
 堀は唇を結びながら俺の言葉を聞いていたが、ぶんぶんと頭(かぶり)を振った。  
ついに涙がこぼれ始めていた。  
「だめ……だめ」  
 
「勘違いするな、諦めちゃいない。もう俺にお前を助ける余力がないだけだ。  
むしろ俺が足手まといになる」  
「それでもだめだよ……!」  
 俺はイライラしてきた。堀が行かない理由がわからなかった。  
一人じゃ怖いからだろうか。そりゃそうだろうが──  
「堀……独りきりになるのは怖いと思う。でも、生きるためにはもう、そうするしかない。  
 音さえ立てずに街に向かえば、きっとどこかに生き残りが──」  
「だめ!」  
「堀……」  
 彼女は俯くと、俺に見せるように手首を差し出した。  
「私ね、死のうとしたことがあるの」  
と、袖をめくると、はめていたリストバンドを外した。  
 手首のほとんどを横断する痛々しいまでの傷。  
「どうしたんだそれ……」  
「悪い奴らと出会っちゃったの。私もあの頃はどうかしてた。  
そいつらに妊娠させられて、堕ろしたの……半年ぐらい前の話」  
「マジかよ……」  
「ええ……親も出てきて、結局は示談になったけど、  
最初にあいつらに相談した時、悪びれもなく、『堕ろせばいいじゃん』って……。  
その時、私、どれだけ最低な奴らと付き合ってるのか分かった。  
絶望した。……だから……」  
 しばしの沈黙の後、堀は顔を上げた。  
「新学期になってからまた学校に来はじめたけど、あいつらに会うのも怖かったし、  
何もやる気が起きなかった。転校も周囲が勘ぐるからって親が止めたの。  
 正直、また死のうかとさえ思ってた。  
 ……だけど、こんな目に遭って、必死に逃げてる自分がいた。  
そして、本城君に出会って、必死に恋人を探すあなたを見ていたら……。  
 私、今、すごく、死にたくないって思ってるの」  
 そのキラキラとした目は、どこかで見たような気がした。  
「じゃあ、尚更──」  
「だめ。あなたを置いてったら絶対に後悔する。それに」  
 そう言うと、堀は俺の手を両手で握りしめた。しっかりと強く。  
 その時の堀の表情は、よく分からなかった。  
 悲しそう? いや──強いて言えば、申し訳ない、といった感じだろうか。  
 だからこそよく分からなかった。  
「本当にごめんなさい……私……償うから」  
「償う……? 何を……?」  
「……私、黙ってたことがあるの。あいつらが怖くて」  
「あいつら……?」  
「待ってて。一つだけ助かる方法があるかもしれないから」  
 
◆◇◆◇◆◇  春佳  ◆◇◆◇◆◇  
 
 用意が整うと冷蔵庫を除け、四人は部屋の外へと出た。  
 春佳が最後にそっと閉めたドアには、『用務員室』というプレートが掲げられていた。  
 第二管理棟の一階廊下。そこに人影はなかったが、窓の向こうに〈奴ら〉が歩いていた。  
 連絡通路で繋がっている教室棟と管理棟だが、  
その通路は階段となって正門に至る道にまで繋がっており、  
そのせいで一階部分はだいぶ影に覆われて薄暗い。  
それでも建物内にいる四人の姿ははっきりと見えているというのに、気付く素振りすらなかった。  
「なんだあいつら……俺達が見えてねえのか?」  
「……かもしれねえな……」  
 カツヤが窓に近付き、ちょうど目の前を横切る〈奴ら〉に向かってギターを左右に振った。  
 それは何の反応もなく窓の外を通り過ぎていく。  
「なんだよこりゃ……」  
「もしかして、音さえ出さなきゃ……気付かれねーのか……?」  
「……試してみっか……」  
 四人は音を立てないよう慎重に歩き、第二管理棟から出るガラス扉を開けようとした。  
 その時だった。  
 
 ブオオオオオー  
 
 ギュルルルルッ  
 
 ドーン! ドオオーン!  
 
と、エンジンの唸り声やタイヤがスリップする音などの後に、  
聞いたこともないような激しい衝突音が夕暮れ迫る空に打ち響いた。  
「!?」  
 外を彷徨っていた〈奴ら〉が一斉に同じ方角を向き、そちらに向かい始める。  
 正門の方であった。駐車場もある場所。  
「今のってクルマか? 誰かが脱出したのか?」  
「チッ、まずいな。今のであいつらが集まってきやがった」  
 外にいる〈奴ら〉だけでなく、校舎や階段からも続々と姿を見せ始めた。  
「おいおい……どんだけいんだよ……」  
 四人は戦慄に捕らわれながら、唖然として外を眺めた。  
 
 10体や20体どころの話ではなかった。見える限りのあらゆる出入り口から現れ、  
夢遊病者のように、統一性のない群れとなって、まるで見えない糸で手繰り寄せられるかのように、  
無数の死人達がひとつの方向へ進んでいくのだ。   
 間の抜けたほどゆっくりした亡者の行進。  
 奇妙な光景であった。  
 安全な所から眺めれば、その不揃い極まりない行進と一人一人の壊れたロボットのような動きに、  
笑いさえ浮かんでしまうかもしれない。  
 だが──  
 春佳の肌は粟立った。  
 死よりもおぞましいものを振りまく彼らは、ほんの少し前まで、ごく普通の人間だったのだ。  
 彼女と同じぐらい、あるいは同じ年だったのだ。  
 この全寮制の学校で誰の目を引くこともない生活を送っていた。ここは変わらない日常の舞台だった。  
 それが、たったの数時間で。  
 狂気と悪夢──それを体現した光景に。  
(ハル君……)  
 春佳はショックの抜けきらない目で必死に彼らの中に見知った顔を探した。  
 大抵はおぞましく変貌し、遠くてよく判別つかないものもあったが、  
見ている限りはドキッとしてしまう顔形やそれらしい体型は見当たらなかった。  
 もし、この中にいたら。  
(……)  
 翳っていた春佳の顔が、さらに暗澹と落ち込む。  
 まだ見つかったわけじゃない、と頭を振っても、考えがどんどん悪い方へと行ってしまう。  
この先もずっとこの人達から逃れられなかったら。ずっと弄ばれたら。  
 脚がカクカクと震える。  
 あんなコトをずっと堪えられるとは思えなかった。  
 こんな風になってしまった世界で、この人達といたら、きっと、私、変わっちゃう……。  
 アソコから何かが垂れてくるような気がした。  
(助けて……ハル君、助けて……)  
 念じるように、春佳はキュッと股を締めた。  
 
 四人は出ようにも出られず、その場で待ち惚けるしかなかった。  
 十分ほどもすると、元々人の少なかった第二管理棟の周りに〈奴ら〉は見当たらなくなったものの、  
教室棟や管理棟からの流出は終わりが見えなかった。  
「どんだけいんだよ…………」  
「……これじゃ上はもっと酷かったりな」  
 第二管理棟の前はちょうど大階段の影となっていて視界がかなり遮られており、  
二階に移りでもしなければ上部通路や階段の様子はまったく分からない。  
「戻ってあと少し時間潰すか?」  
「そうするか……」  
 少年達がそう囁き合っている時、春佳はふと、視界の隅に違和感を覚え、  
その次にははっきりと視認していた。  
「……あ……!」  
「ん、……おい」  
 三人も気付く。  
「俊美じゃねーか、あれ」  
 〈奴ら〉の影がほとんど無くなった連絡通路を踏みしめ、時折すれ違いながらも、  
血のこびりついたバットを握った一人の少女がこちらへとやって来ていた。  
春佳と同じく素足を剥き出した体操着姿であった。  
 途中で歩みの遅い一体と交差した。少女は蒼ざめた顔で微動だにせず立ち尽くし、  
それが目の前を通り過ぎていくと、また何事もなかったかのように歩き出した。  
 目だけが四人の方を向いていた。  
 正面口の前まで来ると、ガラス扉を静かに開き、  
「……久しぶりね」  
と、カツヤを見上げた。  
 カツヤは手振りで中に入るようジェスチャーをし、俊美がくぐると扉を閉めながら、  
「よお。……生きてたのか」  
と、他の二人とともに薄ら笑いを浮かべた。  
「ええ、お陰様で。……昔の誼で助けて貰いたいの」  
「あァ、別にいいぜ。一緒に来いよ」  
 眼前の少女の胸や脚を飛び渡る好色そうな目つきを隠しもせず、カツヤは頷いた。  
 すごい綺麗な人、というのが春佳の第一印象であった。  
 均整が取れくっきりした顔立ちと流れるようなストレートのミディアム。  
甲子園の応援席にいれば間違いなく中継で映されるであろう美人だった。   
 だが俊美は首を振り、訴えるような眼差しになった。  
「違うの、助けて欲しい人がいるの」  
「あぁん?」  
「足を怪我して動けないの。そんなに離れてない場所だから」  
「男か?」  
「ええ……」  
 三人は顔を見合わせた。  
 春佳は今でこそわかった。自分が吉田を助けてと言った時にも見せた、彼らのこの顔。  
彼らは進んで人助けをしたのではない。他人の命なんて知ったことではないのだ。  
 自分を助けたのもたまたま女だったからだろう。  
 なんて人達なんだろう……。  
 
「いーけどよ。その代わり、久々にやらせろよ」  
「……!!」  
 俊美の顔に怒りの朱が差した。  
「あん? どした? もしかしてヤレないカラダにでもなっちゃった?」  
 ヘラヘラとした態度で三人は俊美を見下ろした。  
「アンタ達って……!」  
 悲しみとも悔しさともつかない感情に歪む俊美。  
「あんなのがうろついてる中で、動けなくなった生存者が  
 たった一人で助けを待ってるのよ……?  
 なのに、なんでそんなコト言うの……!?」  
「なんだとこのクソアマ」  
 ヒデがドスを効かせるように言い返した。  
「俺達に助ける義理があんのか。あ? 俺達だって命懸けだぜ。  
 なんで赤の他人のために危ない目に遭わねーといけねーんだ?  
 んだったらテメェ独りで何とかしろや。  
 あんま調子こいてっとあん中に放り込んでやるぞ」  
と、向こう正面の左右に分かれた階段を上がり、正門へ向かっている亡者の群れを指した。  
だいぶ数ははけていたが、それでもまだ優に数十は残っていた。  
「それキチーってヒデちゃん」  
と仲間は笑っていた。  
 俊美は後ろを見てまた顔を戻し、下唇を噛んで俯いたが、  
「……ごめんなさい……」  
と謝った。  
「私は……私はどうにでもして……。だからお願い。先に彼を助けてちょうだい!」  
「……どーするよ」  
と、俊美の必死さとは雲泥の差の温度で、ヒデはカツヤに顔を向けた。  
 カツヤはニヤニヤと笑いながら、  
「いーけどよ、条件はまず先に一人一発な。そんで後でもたっぷりとヤラせること」  
「……!」  
「うは、カッちゃんマジ鬼畜」  
 仲間が楽しそうに笑い合う。  
「だから時間が……!」  
「時間はそっちの都合だろ。嫌ならいいんだぜ。この話は無し。  
 俺たちゃちょうど脱出する所だったんだ。  
 〈奴ら〉もいい感じに減って来たし、お前ともここでお別れだな」  
「ま、待って。どうやって出て行くのよ。すごい数が門の方に行ったのに」  
「リエちゃんのクルマ使うんだよ」  
 カツヤはズボンのポケットを叩き、クルマのキーを軽く鳴らしてみせた。  
「で、どーすんの? 時間ないんじゃなかったっけ?」  
 俊美は少しの間、ギュッと瞼を閉じると、再びカツヤを見上げた。  
「……どこでするの。早く済ませて……」  
と、心を決めたように言った。  
 
◆◇◆◇◆◇  俊美 春佳  ◆◇◆◇◆◇  
 
 用務員室に戻ると、カツヤとヒデが早速、俊美を前後から挟み込んだ。  
 テツキだけが春佳につき、そのからだを後ろから押さえるようにまさぐると、  
「ねえ、その子はやめて……私だけにして」  
と、俊美が懇願した。  
 三人とも、「は?」という顔をする。  
「なに、知り合い?」  
 俊美は首を振り、  
「私、さっき、あなた達の姿を見かけたの。  
 その時、あなた達にやられちゃうんだろうなって薄々分かってた。  
 でも、怖くて後を尾けられなかった……それを後悔してるの。  
 ね、今は私だけにして」  
 俊美は春佳に申し訳なさそうな顔をしながら言った。  
「んなこと言われてもな」  
 テツキがおどけたように喋る。  
「とっくにやられちゃってるし。ねえ、春佳ちゃん?」  
 春佳、そして俊美の顔も悲しそうに歪んだが、  
男子達は下卑た笑いを浮かべて二人のからだに絡み付いた。  
 今は命が大事──俊美は同じ目に遭っている春佳から目を逸らした。  
「お前も体育中だったのか?」  
と、彼女のからだをまさぐり、徐々に服を脱がせながらカツヤが問う。  
「汚れたから着替えたのよ……」  
 そう答えてそっぽを向く俊美だったが、その頬は羞恥で赤らみ始めていた。  
 彼らは彼女の弱い部分をまだ知っていた。そこを重点的に触り、あるいは弄くってくるのだ。  
「ん、ん……」  
と、声が漏れてきてしまう。  
 どうしたのだろう、と、自身が驚くほど、彼らの愛撫に反応してしまっている自分がいた。  
 こんな奴らに関わるのはもう心底嫌だったはずなのに……。  
「昔より色っぽくなったな、俊美」  
 ブルマの中に手を潜らせ、秘芯を弄くっているカツヤが、少女の首すじに舌を這わせながら言う。  
「それより……ゴムはあるんでしょうね……」  
「ねーよ、全部バッグの中だ」  
「そんな……!」  
 俊美のからだが強張った。またできてしまったら。  
 無機質な手術室。無表情の医師。無慈悲にアソコの奥を掻き回される、あの感覚──。  
 全身麻酔をしていたから本当は感覚なんて無いはずなのに。  
 でも、あれをまた味わうなんて嫌だった。  
 
「気にすんな。どーせ世界は壊れちまったんだから。  
 他の奴らだって、誰がどうなろうと気にゃしねーよ。  
 オメーが孕んだって何も困りゃしねー。  
 つかさ、死んだ分増やす必要があるよな? むしろ喜ばれんじゃねーの?」  
 カツヤが俊美の顔の近くでニヤニヤと笑った。ヒデも同じ表情を浮かべる。  
「違いねえ」  
 可笑しそうに雷同する残り二人。  
 平手打ちしたくなる気持ちを堪えながら俊美は訊ねた。  
「……こわれた……?」  
「そーだよ。こーなったのは、このガッコだけじゃねえんだ。  
 テレビでやってたぜ、マジモンのニュース。なんなら点けようか?  
 日本どころか世界中にこんな事が広がってんだよ。誰も彼もが〈奴ら〉になってんだ。  
 ガッコがそう、街がそう、隣街も、隣の県も、東京も世界も地球上どこもかしこも!  
 ……もうこの世は終わりなんだよ。誰も助けちゃくれねえ。  
 周りは〈奴ら〉だらけ。お前らを守ってくれるものなんてもうどこにもない。  
 俺達だけしかいねえのさ。  
 だからよ、俊美。お前も俺達と一緒に楽しもうぜ……?」  
 だからこいつら──春佳ちゃんも──  
「…………早く済ませて…………」  
 俊美は脱力したように言った。これ以上時間を浪費したくなかった。  
「いいのか、いきなり挿れちまっても」カツヤが指を入れ、中を掻き回すように動かした。  
「まだあんまり濡れてないぜ……?」  
「んっ……!」  
 俊美のからだがビク、ビクと弾む。  
 やだ、なんで。  
 醒めた頭とは異なる下半身の反応に、困惑の顔となる俊美。  
「お……」  
 カツヤが何かを発見したような表情を浮かべ、次いでいやらしい笑みが広がった。  
「俊美も興奮してんのかよ。奥から溢れてきやがったぜ」  
と、指を引き抜き、少女の目の前まで持って来た。  
 二本の指がトロトロと濡れ、透明な橋すら架かっていた。  
「いや……!」  
 俊美は頬を染め、目を閉じ顔を逸らした。興奮しないと出てこない汁だった。  
 どうして……?  
「へっ、なんだかんだ言いながら、カラダはしっかり反応してやがる」  
 ヒデが俊美の脚を開いて躰を割り込ませ、ブルマの股部をずらした。  
「なんだよお前先かよ」  
「カッちゃんはさっき一番だったじゃねえか」  
「そうだけどよ」  
「なに、元カノに未練? さんざん俺達にも食わせたくせに」  
「そ──」  
「おい、合わせようぜ」  
 春佳が連れてこられて一緒に並べられ、カツヤとヒデの会話は打ち切られた。  
 
 二人の美少女はともに体操着をたくし上げられ、乳房を露わにされる。  
 お椀型の春佳に比べ俊美は円錐型で、大きさはやや負けていたが張りは上だった。  
どちらの乳首も美しいピンク色を誇っていた。  
 俊美は隣に顔を向け、  
「ごめんね……」  
と謝った。  
「え……?」  
「私、あなたが酷い目に遭うって想像できてたのに、無視した」  
「そんな……」  
 俊美の上体が起き、その頭部が春佳の耳を口づけするかのように覆った。  
「え──」  
「おい、動くなよ!」  
 ヒデが荒々しく引き剥がし、元の位置に戻させた。  
 そして、二人はいっぺんに貫かれ、「あぁっ!」という吐息を重ねた。  
「オオッ確かにいい濡れ具合だぜ……!」  
「こっちもだいぶほぐれてて最高だ……!」  
 ヒデとテツキは蕩けた声を出しながらひたすら腰を振り、  
ときおり思い出したように少女の乳房を揉みしだく。  
 体操服の美少女二人は耐え忍んでいるような顔をしていたが、  
次第にその喉から濡れた声が漏れ始めていった。  
 犯されている間、春佳の頭の中ではずっと、先ほど囁かれた言葉が渦巻いていた。  
 春佳が隣に目をやると、俊美も気付いて目で頷き返した。  
「なに見つめ合っちゃってんの」  
「キスしろよ、舌も使ってよ」  
 二人は向かい合わせの横臥位にされて太ももを絡ませ、  
お互いバックから突き挿れられながら舌を出し、俊美がリードするかたちで唇を重ねた。  
 もっとはっきりと伝えたい、そう思う俊美だったが、  
こんなことをされながら注視も受けてる中ではなかなか言葉を交わせなかった。  
 そうしているうちに、ヒデの肉棒が自分の中を往来する感触が  
ジンジンと強く無視できないものになってゆき、  
「う……ン……ン……」  
と、頭がボーッとして、声も抑えられなくなる。  
 相変わらず、コレだけは上手い──  
 思い出さないようにしてたのに、と、俊美は意識をしっかり保とうと  
歯を食いしばったが、何度も絶頂と快楽を味あわされた経験がフラッシュバックし、  
彼らに開発されたからだが次第に疼き始めてきてしまっていた。  
 目と鼻の先でトロンと上気している春佳を見ながら、  
自分も同じような顔をしているのか──と、俊美は思った。  
「二人ともしっかり感じてやがるぜ」  
 近くで眺めていたカツヤが面白そうに言うと、  
ヒデとテツキは勢いを得たようにさらに粘質的に腰を振り始めた。  
「あ、あ、あ、あ?!」  
 二人の美少女の声が高まる。  
 ぐちゅぐちゅと猥雑な摩擦音をさせながら、  
春佳と俊美の中にスムーズに出入りするペニス。  
 繋がっている部分だけ見れば、  
とても強姦されているとは思えないほどの濡れようであった。  
 
「へっ何だよ俊美、ヌレヌレじゃねーか」  
「コッチもだ、少し前まで処女だったとは思えねーよ」  
「ちっ違うの」  
 俊美が弱々しく首を振る。  
「何が違うんだよ」  
「カ、カラダがヘンに熱くて……おかしい……こんな……アァ!」  
 敏感なところを擦られ、俊美のからだがビクビクと仰け反った。  
前はそんなに感じなかった箇所なのに、少し擦られただけで善い気持ちになってしまう。  
アソコの反応が以前と違う──前より敏感になってる──  
「それが感じてるってことじゃねーか」  
 だめ、と、俊美の中で本格的に危険信号が点滅し始めたが、  
今さらどうにもならなかった。  
「おい、一緒にイケるか」  
「イクか、おらっマンコ締めろよっ」  
 ヒデとテツキは息も荒く示し合わせ、そのままラストスパートに入った。  
「ああ、ああ、ああ、ああぁッ?!」  
 俊美の指が春佳の手に絡み、ギュッと握り合う。  
 ヒデのペニスはこんなに太くてこんなに奥まで届いたっけ、  
私、いきなりこんなに感じてしまう女だったっけ──などと、  
俊美の頭の中で半ば混乱したようにぐるぐる回ったが、  
「二人とも一緒に中に出してやるからなっ!」  
「仲良く孕めよ!」  
 その言葉に反応したかのように、少女達の膣がキュウゥッと締まった。  
 んおっ、と、呻き声を発する男子。  
 ヒデとテツキの腰がぐっと押し込まれ、  
俊美と春佳の膣孔の奥で彼らの熱い精液が容赦なく噴き出した。  
 先だって何回も放っているというのに、ドクドクと元気よく脈打つ肉茎。  
 その逞しさはまるで追い詰められた獣の躍動のようでもあった。  
「おおお……」  
 射精の快感にへばりつくように、  
射精感が絶えるまで何度も腰を揺らすヒデとテツキ。  
「出る……出るぜぇ…………」  
「おおぉ……気持ち良くてたまらねえ…………」  
 本能が命じているような射精しながらの突き入れに、  
少女達もからだを張り詰めさせ、上擦った声を上げる。  
「あ……あ……あぁ……?」  
 彼らを受け入れる意志などないはずなのに、  
アソコが熱く潤み、締まり、望んでないはずの膣内射精を受け止めてしまう。  
 少女達のからだの奥底から沸き立つ、何かに衝き動かされるような情動。  
 レイプされているのに。望まぬ妊娠をしてしまうかもしれないのに。  
 熱い肉棒を、迸る精液を、この上なくはっきりと感じてしまっていた。  
 春佳も胎内に注ぎ込まれる想い人ではない男のザーメンに反応し、  
からだの疼きを止められないままに肉棒を締め付けながら、  
 
 カレイキテル──  
 
という言葉が、嫌悪とは違う感情に満たされてゆく胸の中でずっと木霊していた。  
 
 一時的ではあっても、それは無意識に吹き出た恐怖からの現実逃避だったのかもしれない。  
 それとも、死に満たされた空間の中で、藻掻くように暴れ狂う若い生命力か。  
 その後も立て続けに、俊美と春佳は相手と体位を変えられて犯された。  
男子達の手慣れた扱いもあり、二人のからだの潤みは彼女達自身が信じられないほど  
増してゆくばかりであった。  
 約束の一人一回が済んでも、まだ満足したりないと、  
男子の指示で全員裸になっての二周目に入った。  
 俊美は抗議したが、聞き入れるような三人ではなかった。  
静かにしてるんなら襲われることはねえだろ、だったら時間はまだあるよな、と、  
彼女の服を脱がせたのだ。  
 真裸になった五人の少年少女が再び肉体を絡め合う。  
 余った男子一人は、休憩がてら残りの四人が繋がっている様子を眺め、  
少女達が強姦されている感じようではないことに口端を歪ませるか、  
春佳か俊美どちらか、あるいは二人一緒にフェラをさせた。  
 途中から抑えられなくなり、声音と反応が変わった二人を  
男子達は昂奮のままにさらに責め上げ、甘く鳴かせながら熱くぬめった胎奥で果てる。  
 少女達も明らかに昂奮を覚えていた。  
 こんな奴らとの行為など望んでいないはずなのに、  
あの男(ひと)がまだ生きているのに──  
と思う裏腹に、彼女達のアソコは熱く火照って濡れてゆき、  
フェラも丁寧になっていくばかりであった。  
 異様な昂奮でじりじりと理性が溶けてゆく。  
 それは各人の意思というより、即物的な熱情の発露と言った方がいいかもしれない。  
 このような状況に陥った肉体がそれを求めているかのような──。  
 俊美も味わったことのない、まるでこの部屋だけ空気が違うような濃密さであった。  
 
 辱めているはずの男達の律動が、からだの芯まで響き届いてしまう。  
「あっ……あっ……?」  
 彼らとの生命を作ってしまう特別な液体が撒き散らされる。  
「んっ……んんっ……?」  
 彼女達の深いところまで彼らの存在が達してしまう時、  
 彼女達が強く想っているはずの、“彼”の姿が、  
 絶対に忘れたくないはずの“彼”の面影が、  
 たとえ一瞬の間だけだったとしても、春佳と俊美の中から掻き消えた。  
 
 そして、そこへ流し込まれる、抗えないほどの肉体的快楽──!  
「アッ……アッ……?!」  
「んぅ、ん、んン……ンン……?」  
 今、この時だけの悦楽。  
 それは耐えようとすればするほど、  
脳が焼け爛れてしまいそうな気持ち良さになってしまった。  
 
 抱かれ続ける春佳と俊美。  
 “彼”を忘れる一瞬が、段々と長くなってゆく──  
 
 狂ってしまったのは、世界だけではないのかもしれない。  
 いつしか春佳も、俊美も、抑え難い媚声を上げ、抵抗を忘れて心地よさに浸り、  
今抱かれている男だけで心身が満たされている時があった。  
 あってしまった。  
 
 得体の知れない肉欲の昂ぶりと飢(かつ)えに導かれるままに、  
必死に何かを満たすように、自分を犯す滾った欲望や熱い脈動を受け入れる。  
 何もかも崩壊した世界に支えとなるものはあまりにも脆く、“それ”には逆らえなかった。  
 そんな少女達の変化を本能で嗅ぎ取り、  
遠慮することなく彼女達の奥深くまで突き挿れ、貪るように掻き回す男子達。  
 その判断の正しさを示すように熱く吸い付いてくるメス肉に、蕩けそうな吐息を漏らした。  
 春佳は、俊美は、乱れてしまう寸前まで追い詰められた。  
 痛いどころか、メチャクチャになりそうな淫惑──!  
 それは同時に、からだが満たされるという安心感であった。  
 いきなり死よりも恐ろしいものが席巻した現実を束の間忘れられる──  
 後々、たとえ彼女達が今この時を忘れたとしても。  
「あっ、あっ、ああっ?」  
「んん、んう、ンン…………?!」  
 激しく貫かれる痛み、苦しみが、すがりつける強さであるかのように、  
春佳と俊美の心はより甘く痺れてしまっていた。  
 
 いつの間にか照明が落とされていた。  
 そこには、恋人同士のように正常位で密着し合って蠢く2つのつがいがあった。  
 盛んに揺れる男。  
 手足を絡みつかせながら受け止める女。  
 いや、春佳と俊美。  
 狭い室内に満ちる、グチュッヌチュッと性器が擦れ合う音。  
 男女の熱い吐息。  
 男子達は熱に浮かされたように、  
女の胎内へ精子を送り込むことしか考えてない突き方であった。  
 そんな抽送を、春佳も俊美も当然のように深く迎え入れてしまい、  
その感触と律動に囚(とら)えられ、腰を擦り付け合う。  
 いつ理性を喪ったかなど、濃縮された快楽に追い詰められている今、考えられようもない。  
 もはや言葉もなく互いを貪り合う男と女。  
 嫌悪しているはずの男達と深く一つになった二人の少女。  
 無理矢理犯されている様子など、とうに消えていた。  
 一つになった場所で、最後の律動の末に男達の種付け射精がぶちまけられると、  
二人の媚肉は我慢できないように踊り始め、射精中の肉棒を絞り上げる。  
 キモチイイ──  
 俊美はここまでに何度も軽くイッてしまっていた。  
 春佳はまだイクことを知らないが、それももうすぐそこまで来ていた。  
 二人とも、こんな自分を抑えたい、でも抑えきれない、イヤ、イヤ、でも──  
そんな惑い声を出し、からだを震わせながら、アソコを締め付けていた。  
 彼女達がどう思っているのであれ。  
 深いところまでこの男子達を感じてしまっているのは、紛れもない事実であった。  
 
 それは、確かに男と女の情交──  
 いや。  
 それは、性交という薄皮一枚まとった生殖であった。  
 
 春佳はカツヤに抱かれていた。  
 前の男が果てた直後にまた正常位で挿入され、  
同じように密着されながら腰を押さえ付けられて激しく中を掻き回され、  
「ああ、ああ、ああ?!」  
と、淫楽に目を瞑って乱れた嬌声を漏らし、  
しっとりとした汗を全身にかきながらアソコをビクビクと締め付けていた。  
 それがイク寸前の兆候であることはカツヤは知り尽くしていた。  
「どこ擦ってもらいたい?」  
「ソコ、ソコ、あぁ、ソコでいいのぉ?!」  
 本人は気付いてないのかもしれない。だが春佳ははっきりとそう口にした。  
 カツヤの首根や腰に回している四肢にギュッと力が籠もる。  
 男に満ちる淫虐の笑み。その腰が速まる。  
「アァッ、ハアッ──アァー────ッ?!!」  
 ひときわ速く深く突き入れられた時、ついに、春佳のからだがビクビクと強く仰け反った。  
 男の躰を絡み取っていた手足が、ペニスを包んでいたアソコが、ギュッと締まる。  
 胸のクッションが押し潰される。  
 キュウキュウと絞られる中、もうひと擦りしてカツヤも放った。  
 初めての絶頂に辿り着いた蜜壺。  
 その奥にドクドクと注がれる熱い白濁液。  
 今日は何発打っても射精の快感や精液の濃さが衰えなかった。  
 何発でも注ぎ込みたくてたまらなかった。  
「──ッ?! ──ッ?!」  
 ビクン、ビクンと何度も波打つ春佳のからだ。  
「おおお……!」  
 カツヤはビクビクと痙攣しうねる蜜肉の中でゆっくりと腰を揺らしながら、  
春佳のヴァギナに密着するほどペニスを根元まで埋(うず)め、  
なおも射精感の命ずるままにぐいぐいと突き押し、膨らんだ膣奥で精液を撒き散らした。  
 味わう度に病みつきになりそうな、半端ない一体感。  
「へへっ……初イキも……俺がいただき……だな……」  
 女がイクと妊娠しやすいと傍耳(かたみみ)に聞いたことがある。  
子宮が精液を吸い込むらしい。だとしたらきっと今頃、この柔らかい腹の中では、  
危険日の子宮が沢山の精子を吸い取っていることだろう。  
(だとしたら、へへ……)  
 カツヤは勝ち誇ったように春佳の恍惚の表情を眺めた。  
 この女ももう、恋人の元には戻れないだろう。  
 こうやって何人もの女を堕とし、弄び、孕んだら堕胎させ、うざくなれば捨ててきた。  
 吸い付くような白い肌。細い肢体に豊かな乳房。  
 菊島春佳。この女も早く従順な肉便器にしたくてたまらなかった。  
 そうするべく、最後の一滴まで春佳の中で出し尽くすと、カツヤは次の男と変わった。  
 イッたばかりの蜜壺に再び漲った肉棒が挿入され、春佳は淫辱に悶えた。  
 
 そして、この狂った世界の中で彼女達の手からこぼれ落ちた事態は、静かに進行していく。  
 
 俊美と春佳の子宮に満ちる、嫌悪を抱いているはずの男達の精子。  
 愛の宿らない精子の群れは育みの準備が整ったベッドの隙間を猛然と泳ぎ抜けてゆく。  
 
 それは、二人がそれぞれの男に腰を密着され、  
鼻声を漏らしながら最期の射精を受け止めている時だった。  
 新しい精子を迎えている中、彼女達自身がそれを許してしまったかのように、  
俊美の卵子、そして春佳の卵子が、ほぼ同時に発見されてしまっていた。  
 
 それからは起こったことは、ごく当たり前の摂理である。  
 誰が願ったわけでもなく生まれた、愛とは呼べない結晶は、滞りなく分裂を繰り返しつつ、  
用意されていた苗床に無事に根を下ろした。  
 彼女達の愛のベッドに着床した受精卵に入った精子の主は、  
ヒデか、テツキか、それともカツヤか。  
 いずれにしろ、二人の少女が一番愛しく思っている男のものでは、  
当然なかったのである。  
 
 その時、春佳も、俊美も、どちらも快感が刻まれた表情を隠せず、  
何とか声が甲高くならないよう抑えるのがやっとで、男の欲棒をしっかりと咥えて絞り上げながら、  
種付けされるままにからだを震わせ、潤みきった膣奥で射精の脈動を味わっていた──  
 
 カツヤが俊美に、テツキが春佳に放出し終わり、  
満足げな溜め息をついて柔らかくなったペニスをそれぞれの少女から引き抜いた。  
 俊美と春佳は秘裂から白濁をゴポゴポと滴らせながら、動こうとしても力が入らず、  
しばらくそのままでからだを──特に尻肉と内腿を──わななかせていた。  
 男子の方が回復が早く、服を着込むと壁に座り、美味そうにタバコをふかし始めた。  
「……こ──これで……文句ないわよね……。た、助けに、行こ──」  
と、ようやく動けるようになった俊美は、  
まだ空白にうつろっているような頭を何とか働かせながら、  
内またを穢す白濁の残滓を手で拭うと体操服を着て、  
まだ震えの止まらない脚で無理に立ち上がった。  
「ちっと休ませろや。ヤッた直後の男は役に立たねーの」  
「あれからもう、一時間以上も経ってる……!」  
と、俊美は壁の時計を見上げた。針はとっくに午後六時を過ぎていた。  
「後は逃げるだけなんでしょ?」  
「だから焦るなってば」  
「そんな……彼はずっと独りなのよ……」  
 遅れて服を着ていた春佳の躰がビクリとし、その顔が上がった。  
「あ、あの──先に……助けに行っていいですか……? 逃げませんから……」  
「えっ」  
 三人は顔を見合わせた。  
「……なんか怪しくね?」  
「そういや、春佳ちゃんって恋人がいるとは聞いてたけど、まさか──」  
とカツヤが春佳を見つめながらゆっくりと言うと、  
春佳の目が明らかな動揺で揺れ、俯いてしまった。  
「──ぽいな」  
「マジかよ」  
 そう呟いたヒデの頭上に、  
「たあーーーッ!!」  
と、バットが振り下ろされ、「ぐおっ!」鈍い音が響いた。  
 驚いた両脇の二人が反射的に飛び退く。  
 俊美だった。  
「二階トイレ! 早く!」  
 目の前の男子達に向けられたものではない言葉を放つと、  
バットをめちゃくちゃに振り回し始めた。  
 ふらつきながら立った春佳が懸命に駆け出す。  
「待てよ!」  
 それぞれ部屋の隅に散った二人が追いかけようとするが、  
俊美がそれをさせなかった。  
 反撃しようにも彼らの武器は入り口の横にある流し台に立て掛けられていた。  
 冷蔵庫も今回はドアを塞いでいない。  
 
「やー! たあー!」  
 俊美は大声を発してブンブンと狭い室内を薙ぎ払いながら、  
春佳がドアを開けて部屋から出て行くのを横目で確認した。  
疲れ切っているからか、バットを振るうその動きにはどこか精彩がなかった。  
 それは男子達も同じだったが、彼らは人数が違った。  
「──のヤロウ!」  
 状況を取り戻したヒデが怒声とともに低く飛びかかった。  
「きゃあ!」  
 脚にタックルを受け、たまらず後ろに倒れる俊美。  
「テッちゃん追え!」  
 そう叫んでカツヤも春佳の後を追い始めた。  
 ヒデは俊美に馬乗りになり、片手でバットを押さえながら、彼女の頬を拳で殴った。  
「うぐっ……!」  
 握る力が弱まったのを逃さずバッドを分捕ると、ヒデは立ち上がり、  
「このクソアマッ!」  
と、そのバットを振り下ろした。  
「きゃああっ!」  
 本能的に俊美は躰を横にして頭をかばった。直後に手の甲にバットが当たり、  
かろうじて頭は守られたが、そのあまりに強い痛みにヒデが本気で力を籠めていることを知り、  
少女の背筋にゾッと怖気が走った。ヒデはキレやすい男だった。  
「クソがッ! 死ねこのボケッ!」  
 ヒデは罵詈を浴びせながら、頭だけでなく脇腹や背などにも何度もバッドを振り下ろした。  
「あぐっ、うっ、ィブグッ」  
 後頭部、続けて額に強い衝撃。腕の隙間から直撃が入った。  
 それでもヒデは殴打を止めなかった。  
 殺される──  
「おいッ!」  
 ヒデに蹴りが入り、よたついた。  
「なにしやがる!」  
 殺気立った目がカツヤに向けられた。  
いつの間にか戻ってきたカツヤがギターを握り怒気を表していた。  
 カツヤの後ろには春佳を羽交い締めにしたテツキがいた。  
「殺す気かヒデッ」  
「ッタリメーだろーが! このクソナメたアマぶっ殺してやンよ!」  
「あんだけヤッてまだそんなに血の気が残ってんのかああ?」  
「やめろよ二人とも、ヒデも落ち着けって」  
 春佳を何とか押さえ込んでいるテツキがなだめるように言った。  
 少しの間、カツヤとヒデは睨み合っていたが、  
「……ケッ」  
とヒデがバットを放り出した。  
 
 カツヤは俊美に目を移した。  
 ぐったりと倒れたままの俊美は鮮血が頭部から流れ、顔を濡らしていた。  
「おい大丈夫か」  
 返事がなく、カツヤはしゃがみ込んで俊美の躰を揺らした。「おい」  
 やはり返事はなく、ピクリとも動かない。  
「……死んだ?」テツキが不安そうに言った。  
「いや、息はしてる。気絶じゃねーかな」  
 カツヤは溜め息をついて立ち上がった。  
「……仕方ねえ、行くか」  
「えっ、置いてくのかよ」  
 テツキが目を丸めた。  
「仕方ねーだろ。反抗的なヤツを二人も運んで行けねえよ」  
「じゃあ殺してもよかったんじゃねえか」  
 カツヤは答えず、  
「今の騒ぎで〈奴ら〉が来る」  
と、キーホルダーを取り出してヒデに投げた。  
「外に逃げる前に捕まえられたが、〈奴ら〉が俺達に気付いた。ここの音でな」  
「……俺が運転かよ?」  
「ヒデちゃんが一番うめーじゃんよ」  
「へっ」  
 緊張がほぐれたようにヒデの顔に笑みが浮かんだ。  
「私も──」  
 ようやく抵抗を諦めたように静かになっていた春佳が口を開いた。  
「私もここに置いてってください……死んでもいいですから……」  
「バーカ」  
 靴を履きベースを掴んだヒデが床に唾を吐いた。  
「せっかくの肉奴隷を誰が逃がすかよ」  
「おねが──」  
 春佳の声が途中で詰まったように凍り付いた。  
 ヒデの手にナイフが煌めき、彼女の喉元に当てられたのだ。  
「今死にたいか、おお? いい加減にマジ息絶えるか」  
「おい、それなら春佳ちゃんのカレシ殺そうぜ」  
 カツヤが言うと、春佳を睨むヒデの唇の端が楽しそうに歪んだ。  
春佳の顔がみるみる蒼ざめ、涙がこぼれて首を振る。  
「やだよな? だったら大人しく俺達についてきな。  
 隠れてんだろソイツ。なら運が良ければ生き延びるかもしれねー。  
 それを祈ってろ」  
 春佳を引きずった三人が廊下に出ると、  
正面口や廊下の窓ガラスを割りながら〈奴ら〉が侵入してくるところであった。  
「チッ、もうきやがった。遠回りするか」  
 四人は廊下の反対側にある裏口へと走った。  
 春佳は腕を引っ張られながらずっと後ろを向いていた。  
 ドアが開けっ放しの用務員室に〈奴ら〉が近付いてくる。  
(堀さん……ハル君……!)  
 
◆◇◆◇◆◇  俊美  ◆◇◆◇◆◇  
 
 俊美が意識を取り戻した時、一瞬、自分がどこにいるか分からなかった。  
何をしているのかも。  
 見知らぬ部屋。見知らぬ灰色のカーペット。  
 なぜか視界が赤く、躰がだるかった。  
「──イタッ!」  
 頭痛、ではない頭の痛み。躰の痛み。それではっと思い出した。  
 春佳ちゃん、本城君。  
 起き上がろうとすると、頭が割れそうなほどの痛みに襲われ、  
「ううう……!」と、俊美はへたり込んで苦痛に呻いた。  
 カーペットにまだ新しい血が滴っていた。自分の頭から。  
 ヒデに殴られた箇所だろう。  
 顔を触ると、血がべっとりと指についた。  
 鏡を見たい──そう思ったとき、後ろで物音がした。  
 振り返って、俊美は凍り付く。  
 部屋に〈奴ら〉が入り込んできていた。  
 廊下にも溢れて返っていた。  
「いやっ……!」  
 窓もない一間の部屋である。逃げ場などなかった。  
 俊美は這い這い、転がっていたバットを拾って部屋の隅まで逃げたが、  
〈奴ら〉は明らかに彼女を狙いを定めていた。  
「やだ……助けて……!」  
 恐怖に力が抜け、立ち上がれない俊美。  
 抵抗する気力は湧いてこなかった。  
 菊島春佳を助ける作戦は失敗した。  
あいつらは私を見捨てて彼女を連れ、クルマに向かったのだろう。  
 これじゃもう本城君のところへも戻れない。  
 私はここで食べられて、〈奴ら〉になっちゃうんだ。  
「ははは……やだなあ」  
 虚ろに笑う俊美。  
「でも、頑張ったよね。私頑張ったよね。本城君、さよなら……」  
 その時、外が騒がしくなった。  
 何かが激しく打たれる音、音、音。  
 ほんの少し前までさんざん聞いていた荒々しい音だった。  
「堀ーッ!! 堀ぃいいいいいい!!!!」  
 俊美の躰に力が戻った。  
 〈奴ら〉が倒れ込むように噛み付いてくるのを間一髪で横に飛び退け、  
バットと壁を支えに立ち上がると、そのすぐ後ろから近付いてきた  
もう1体を、「だあー!!」と殴りつけた。  
 ゴン、と頭に当たり、よろけたところへさらにもう一打。さらに一打。  
「やあッ!! やあッ!!」  
 それは襖をばりばりと突き破きながら押入の中へ倒れて動かなくなった。  
 ざっと見ても室内にまだ5体。  
「堀ーーーッ!!!!」  
 外から大きく呼んでいる懐かしい声。  
「本城君!!」  
 死なない。まだ死んでやらない。  
 死ぬまで粘ってやる!  
 俊美はバットを振りかぶり怒声を放った。  
 
◆◇◆◇◆◇  晴幸  ◆◇◆◇◆◇  
 
 暗くなった校内を一本足で急ぎ降り、左足を引きずりながらやってきた第二管理棟には、  
夥しい数の〈奴ら〉が集まっていた。何かがあったのは一目瞭然であった。  
 先ほどトイレまで届いた聞き覚えのある掛け声。  
 俺はいつのまにか眠っていてしまい、その声でハッと覚醒したのだ。  
「堀!?」  
 その声を耳にしたとき、もうじっとなどしていられず、  
俺は左膝を両手で挟むと、覚悟を決め、  
「フンッ!」  
と力を籠めた。  
 ゴギュッ! という生理的に怖気の走る音と共に全身を駆け巡る猛烈な痛みを、  
「オオオオオオ!!!!!!」  
と咆吼して打ち弾く。  
 新たな熱い痛みが広がる中、膝に触ると、右と同じ位置に戻ったような気がした。  
 モップ束からガムテープをいくらか剥がし、  
悶絶しそうなほどの激痛を堪えて患部に直接巻き付ける。  
 ぐっと力を籠めると状況を忘れてしまうぐらい痛みが発するのは変わらなかったが、  
今はこれで充分だ。  
 俺はモップ束を支えに立ち上がった。  
「待ってろ堀」  
 手洗器でガブガブと水を飲み、第二管理棟の間近までやって来た俺は、  
手近な〈奴ら〉から殴り倒しながら進んでいった。  
「ぐう……!」  
 両足で踏ん張れない打撃の威力は衰えが明らかで、  
振るうごとに顔が歪んで涙がにじむほどの痛みが走ったが、  
そんなことで怯んでいる暇はなかった。  
 一撃で屠れなかったら二回。二回でもだめなら三回ぶっ叩けばいい。  
 もう膝の心配も言葉を選んでいる余裕もなかった。  
 ほんの半日前まではこの学校で同じ時間を過ごしていた学友を、教師を、  
男だろうが、女だろうが、  
「死ねッ」  
と、殺気の籠もった声で頭を殴り飛ばす。  
「死ねッ」  
「死ねッ!」  
「死ねッ!!」  
 いいぞ、いい調子でどんどん狂ってきやがる。  
 多分、今、俺の顔に張り付いているのは凄絶な笑みだろう。  
 第二管理棟内の一階はガラス窓が連なり、  
丸見えの廊下には〈奴ら〉が軽く20体以上は見えていた。  
 
 連絡通路から外れ、建物の壁に近付きながら、  
「堀ーッ!! 堀ぃいいいいいい!!!!」  
と、あらん限りの声で叫び、こちらを向き破れた窓から腕を伸ばしてくる  
〈奴ら〉を渾身の力を籠めて突き殴る。  
「堀ーーーッ!!!!」  
「でりゃー!!」  
 堀の掛け声だった。  
 どうやらドアの開いている用務員室の中かららしかった。  
〈奴ら〉もそこへ入っていっている。  
 もう猶予がなかったが、この足では窓を飛び越えて中に入ることもできなかった。  
 かと言って正面から回っていると、  
〈奴ら〉を何体倒していかねばならないか想像もつかない。  
「堀頑張れーッ!!」  
 そう叫びながら窓に寄る〈奴ら〉を突き殴っていると、  
一直線の廊下の反対側に外と繋がる扉を発見した。しかも開放されている。  
「こっちだー!! こっちに来い!!」  
 俺はまだ砕けていない窓に次々とモップ束を叩きつけて割りながら裏口に向かった。  
 その派手な音に引き付けられ、廊下の〈奴ら〉がゾロゾロとこちらへやって来る。  
 生存確認代わりだった堀の掛け声が、  
「死ねー! 死ねえー!」  
「殺す! 殺す! 殺す!」  
などと、より甲高く真剣な殺気に包まれて物騒なものになっていくのが聞こえた。  
同時にそんなに大声を出しては〈奴ら〉がそっちに行ってしまう、と、気が気ではなかった。  
 裏口から入ると、  
「うおらあああああッッ!!!!」  
と怒気を発して派手に薙ぎ倒し始め、倒れても動く奴の頭を潰し、一歩一歩前に進んでいった。  
 忘れたからといって足が動くようになるわけではないが、  
いつの間にか激痛さえ気にならなくなるほどの興奮に包まれていた。  
 ようやく用務員室の前まで来ると、数体の〈奴ら〉に囲まれ壁際に追い詰められている堀が見えた。  
 懸命にバットを振るって近付く〈奴ら〉を叩きのめしていたが、  
声は掠れ、動きも鈍く、今にも噛まれそうであった。  
 俺はわけのわからない絶叫を上げびっこを引きながら突入した。  
 止まらずに振り返ろうとする〈奴ら〉の1体の頭部に先端を当て、  
反対側を掴み押しながら突き出す。  
 ドンッ! という音を立てて壁に頭がぶち当たって〈それ〉が倒れると、  
振り回せないと判断したモップを手放しながら、  
「堀、バット寄越せ!」  
と叫んだ。  
 魂が抜けたような蒼白の顔で目を瞠っていた堀は、半ば反射的にバットを投げた。  
 
 軌道が低く〈奴ら〉の肩に当たってあらぬ方向に跳ね返ってしまうかと思ったが、  
弾かれたように上にずれてくるくる回りながらこちらへ飛んできた。  
 それをうまくキャッチすると、  
「でりゃああああ!!!!」  
 
 ガン、ガン!  
 
 残りの2体を立て続けに吹き飛ばした。  
 手に馴染む得物だった。  
「大丈夫か堀!」  
 体操服姿に一瞬驚いたが、血で洗ったような制服を思い出してすぐに理解した。  
「本城君! 本城君!」  
 堀は俺にひっしと抱きついてきた。  
「よく頑張ったな」  
 俺は彼女の頭を撫でながらそう言葉をかけた。  
 堀はまるで生まれたての仔犬のように震えながら俺の胸に頭を埋(うず)めた。  
 無事なのが奇跡なぐらいだったことを考えると、何ら不思議ではなかった。  
 突如、ハッと何かを思い出したように顔を上げ、  
「本城君! あいつら、春佳ちゃんを連れて逃げようとしてる……!」  
「なにっ!?」  
「あいつら運転できるの、きっと正門の駐車場よ。  
 ごめんなさい、助けられなかった……!」  
「春佳を助けてくれた奴らじゃなかったのか!?」  
 堀は激しく頭(かぶり)を振った。  
「そんな人間じゃない。最低のクズよ。  
 あんな奴らに春佳ちゃんを連れ去られたらダメ!」  
「……そうか、オーケー……」  
 俺はバットを握りしめ、低く唸った。  
「逃がすかよ……!」  
 まだ見ぬ奴らに対する感謝の念は消え、膝の痛みが遠のくほどの怒りが沸き立ち始めた。  
 振り返る。  
 部屋の入り口に、まだ大量の〈奴ら〉が詰まっていた。  
「てめえらどけよ……」  
 俺はバットを構え、一体、また一体、作業のように殴殺していく。  
 腕が鉛のように重い。膝が灼け砕けるほど痛い。  
 だが春佳が生きている。もうすぐそこにいる。  
 あと少し手を伸ばせば届くところにいる。  
 春佳、春佳、春佳。  
 死ね限界。ちぎれろ手足。  
 死ね、死ね、死ね。  
 俺は休みなく凶器を振るった。  
 そのうちに音が遠くなった。  
 何もかもが遠くなった。  
 途中から思考がちぎれ、何もわからなくなった。  
 
 気付いた時は廊下にいた。  
 
「──るか……!」  
「本城君!」  
 春佳の声じゃない。  
 誰かに運ばれている。  
 〈奴ら〉がいない。  
 出口。  
 外に出ると、いきなり景色がくるっと回転する。  
 いや、倒れた、俺が、地面に。  
「本城君!」  
 堀。声。  
 揺さぶられた。  
 視野が元に戻っていく。でもあまり大差ない。  
 音が頭じゅうにガンガン響く。痛い。  
 膝が痛てえ。こめかみ痛てえ。躰じゅう痛てえ。  
 ああくそ、心臓うるせー。と、立ち上がろうとした。  
 腕が。躰が重い。  
 気持ちわりい。  
 誰かが手を貸してくれた。  
「本城君ッ!」  
 堀。  
「春佳」  
 無意識の呟きだった。  
 
「本城君しっかりして!」  
「ああ」  
 気持ち悪い。吐きそうだ。  
 まだ目が、頭が、感覚がうまく働かない。  
 何かが目の前に落ちていた。  
 棒。俺の武器。  
 俺はそれを拾い上げようとして、膝の痛みに気付き唸った。  
 とっさに堀が支えてくれ、モップ束も拾ってくれた。  
「すまない堀」  
 やばい、目が霞む。思考が飛んでる。  
 モップ束を地面に突いて寄りかかる。  
 腕が、手が、震えていた。握力が出ない。  
 頭が寒い。血の気が感じられなかった。  
 気持ち悪くて吐きそうだ。  
 体力の限界。度を越して動きすぎたか。  
「〈奴ら〉が来るよ!」  
 俺は顔だけ動かした。  
 廊下から〈奴ら〉がやって来る。もういいだろ。飽き飽きだ。  
「しっかりして!」  
「ああ、ああ」  
 だが体力の限界だった。  
 でも動かなければ。  
 俺は棒を杖にしてよろよろと進み始めた。  
「本城君ッ!」なんでそんなに俺を呼ぶんだ。「春佳ちゃんを助けるんでしょ!?」  
 そうだ。  
 躰の奥底に何かが灯った。  
 消えていたことに気付いた。  
「春佳、春佳、春佳」  
 どんどんと萎み、だがめらめらと燃えさかる。  
 そうだ、春佳が連れ去られる。嫌だ。  
 今会えなければ、二度と会えなくなる。そんな気がした。  
 二度と会えなくなる。  
 そんなのは嫌だ……!  
 
「春佳……!」  
 目に力が籠もる。  
 会いたい。春佳に会いたい!  
 グラグラしていた頭がだんだんと落ち着きを取り戻していく。  
気持ち悪さや嘔吐感が収まっていった。  
 そうか、あそこを抜けられたんだ。  
 今さらながらにその事に気付いた。実感が皆無だった。  
「堀、大丈夫か」  
 俺が隣を向くと、堀は泣きそうな顔で頷いた。  
 第二管理棟の角を折れ、二つの建物の間を急ぐ。  
 中央階段の下に出て、  
「うっ」  
と俺は足を止めた。  
 いつの間に集まったのか、そこには想像を絶する数の〈奴ら〉が蠢いていた。  
 しかも、モップ束が地面を鳴らす音を聞きつけたか、こちらを認識して向かって来る。  
 堀が息を呑んで後ずさったが、  
背後からも俺達を追っかけて来る〈奴ら〉が迫っていた。  
「本城君……!」  
 しがみつく堀。  
 日は没し、逢魔が時も過ぎ、夜を迎えようとしていた。  
 それでなくとも建物に挟まれ、広い遮蔽物に覆われた階下は真夜中のように暗い。  
まさしく〈奴ら〉にふさわしい領域だった。  
「こんなに相手できない……」  
と、震えた声が俺の耳元で囁かれる。  
 一瞬、回れ右をして最も薄い背後の集団を突っ切り、  
管理棟の裏手から回って行こうかとも思ったが、そのルートは柵で遮られている記憶があった。  
 だとしたら、この中を通っていくしかない。  
 労苦を軽減できるとしたらただ一つ、すぐそこにある入り口から管理棟の中を通ること。  
 それで少なくとも今ここにいる奴らはやり過ごせる。  
 やれるか。  
 俺は腹の底から湧き上がる炎を感じた。  
 それならまだやれる。  
 頭の天辺まで焦がすような火勢が吹き上がるイメージをする。  
 ザワザワと髪やうなじがちりつく。  
 痛みが、疲れが、引いていく。  
 腕や手首をゴシゴシとマッサージし、モップ束を握り直す。  
 〈奴ら〉が地獄の住人だとしたら。  
「離れてくれ」  
 モップ束が届かないところまで下がった堀は、バットをギュッと握りしめた。  
「本城君がやるなら、地獄の底まで付き合う」  
 頷き、相棒を構えた。  
 俺は地獄の獄卒になってやるよ。  
 全身に異様な力が漲り、百は超えているだろう〈奴ら〉を睨み渡した。  
「高校球児の意地ってやつを見せてやんぜ。  
 甲子園決勝、地獄の千本ノック、やってやんよ」  
 
◆◇◆◇◆◇  ALL  ◆◇◆◇◆◇  
 
 三人は春佳を挟み込んで逃さないようにしながら教室棟の裏手からグラウンドを経由し、  
正門駐車場までやってきた。  
 時間を置いたのが功を奏したのか、駐車場は彼らが予想していたより  
ずっと閑散としていた。  
 見ると門は開かれており、外に〈奴ら〉の姿が確認できた。  
 カツヤが門扉を指した。  
「見ろよ、内側に開ける門が外に出てる。内からクルマで破ったんだろうな」  
「〈奴ら〉もそれについてったわけか……。  
 道路にウジャウジャいやがったら面倒だな」  
「へっ。こいつなら平気だろ」  
と、ヒデはキーのスイッチを押し、そのクルマのロックを解除した。  
 彼らが目の前にしているのはワインカラーのミニバンであった。  
この車種の元祖とも言える輸入タイプでV型6気筒のエンジンを持ち、  
特殊なシートシステムが導入されている。  
国産には珍しいルーフレールが付いていて、車高は低いが、  
そのボディは国産の同型と比べても明らかに雰囲気の違うアメ車特有の重厚感が漂っていた。  
 元々音楽教師の峰岸理江は軽自動車乗りであったが、  
カツヤが親にねだって買い与えたのだ。  
 広い車内は三人で行動している彼らにはぴったりで、  
シートを片付ければさらに広くなり、全員でやれることをやれた。峰岸は勿論、  
校内の女生徒や街でひっかけた女など、山中に連れ込んで車内で乱交したこともある。  
 運転もずっと女に任せているのは格好がつかないので、  
人のいない場所を使って覚えた。ヒデが一番熱心であった。  
 三人は周囲を見渡して近くに〈奴ら〉がいないことを確かめると、  
ヒデが運転席に乗り、残りの二人が春佳を無理矢理中に押し込もうとした。  
「いやっ!」  
 春佳は抵抗し、二人の手から離れようとしたが、  
「大人しく乗れよ」  
 カツヤに静かに恫喝されると、春佳はビクリと躰を震わせた。  
 だがそれでも、  
「やだ……やだ……!」  
と、涙を流して首を振った。  
 
 カツヤが諭すように言った。  
「校内にはきっとまだ〈奴ら〉が残ってるぜ。それにもうこんなに暗い。  
 今さら戻るなんて死ぬって言ってるのと一緒だぞ。  
 クルマに乗りゃあもう大丈夫だ。後は安全な場所へ逃げるだけだろ。  
 ゆっくり休めるんだ」  
「ハル君がまだ生きてるの……! お願い、放して……!」  
「もう生き残ってる奴なんかいねーよ。見ろ」  
 カツヤは文字通り死んだように静まり返った校舎を手で示した。  
「助けを呼ぶ声もねえ。誰一人生き残っちゃいねえんだよ」  
「そんなこと……ない……!」  
「なあ」  
 カツヤは春佳の顎をついっと持ち上げた。  
 優越に満ちた傲慢な笑み。怯える少女の瞳を見つめる。  
「諦めろよ。何遍も言ってんだろ。世界は変わっちまったんだよ。  
 こんな〈奴ら〉がうろつく死と隣り合わせの世界だ」  
と、今度は駐車場にぱらぱらといる〈奴ら〉を指し示した。  
「もう普通じゃねえんだ。生き延びることが最優先だ。  
 ソイツもきっとお前が助かることを願ってると思うぜ」  
 そう言うと強引に春佳を抱きすくめ、彼女の躰をいやらしく撫で回した。  
「ひっ……」  
 硬直する春佳の耳元にカツヤは口を運んだ。  
「なあ、頼むぜ。あんなに愛し合った仲じゃねェか……」  
「あ、愛し合ってなんて……!」  
「あんなに感じてたくせにか」  
 内ももを撫でながらカプリと耳たぶを甘噛み、白いうなじに鼻先と唇を沿わす。  
 春佳の背中や首すじがゾワゾワと震え、あっ──と、熱を帯びた息を吐いた。  
 やだ、なんで──と、春佳は心を奮い立たせようとする。  
「忘れたとは言わせねえぜ。あんなにイイ声で鳴きやがって……。  
 みんな途中から夢中になってたから誰も何も言わなかったけどよ、  
 お前も、俊美も、笑えるほど俺達を受け入れてたんだぜ?  
 自分で気付いてなかったのか? すっかり俺達とのセックスに夢中になってたこと」  
「やめて……言わないで…………」  
 春佳は顔を背けて首を振る。その勢いは弱々しかった。  
「あ……あの時は……どうかしてたんです……」  
「どうかしてた? 違うね。あの時の春佳も、今の春佳も、何も変わんねえよ。  
 春佳はセックスが嫌いじゃないんだよ。でなきゃ、恋人でもない男に犯されて、  
 興奮するわけがないだろ? 俺達の女になる方がお似合いなんだよ」  
「……そ……そんな……そんなことない…………」  
 
「カッちゃんいい加減にしろよ」  
 イライラした様子でヒデがクルマから降りてきた。  
「早く乗らねえとエンジンもふかせねえ」  
「わりいわりい。ほら、怖い奴が出てきたぜ。  
 クルマに乗らねえとまたナイフ突きつけられるぞ」  
 そう言うカツヤの背後でヒデが折り畳みナイフを取り出し、  
春佳を睨み付けながら掌中で弄ぶ。  
「……わかりました…………」  
 身をすくませて怯え、しおらしく頷きクルマに乗り込もうとする春佳に、  
三人はニヤリと笑い合い、彼女を押さえる手が緩んだ。  
 やにわに手をふりほどき春佳が駆け出した。校舎へ。  
「あッヤロッ!」  
 慌てて追いかけるテツキとヒデ。カツヤは走ろうとして一旦止まり、  
開きっぱなしの運転席に上体を潜らせてから二人の後に続いた。  
 先ほどもそうだったが、春佳の足は遅く、駐車場を出る前に楽々と追いつかれてしまった。  
「いやあっ……放して……!」  
 テツキに羽交い締めにされる春佳。  
「ふざけ……ろっ!」  
と、ヒデがパン、パン、と二度春佳の頬を打った。  
「いうっ……」  
「今度やったら、〈奴ら〉の群れの中に放り込むぞ。ここから離れた場所でな」  
「ったく、気付かれたじゃねえか」  
 テツキが周りを見回した。  
 駐車場を彷徨いていた〈奴ら〉が四人に向かって来ていた。  
「おいおい、顔はやめろよ。今夜のお楽しみなのに。  
 罰は暴力じゃなくて、お楽しみの時に与えねーと」  
 遅れてやってきたカツヤがそう言うと、  
「そうだな、ギャハハ!」  
 もう潜める必要もなくなったのか、ヒデが大声で笑ってクルマに戻ろうとした。  
「おい、ヒ──」  
 
      「おい」  
 
 突然、嗄(しゃが)れた声が背後から聞こえた。  
 
 静かだが、はっきりと耳の奥まで届く圧力。  
 四人はハッとしたようにそちらを向く。  
 校舎に繋がる石段の上に、顔半分を血に染めた堀俊美と、  
彼女に躰を支えられ、血塗られた長い棒をつきながら片足を引きずる少年が立っていた。  
「……誰だアイツ」  
 誰ともなしにそう言った三人の顔に凶暴な険しさが浮かぶ。  
 満身創痍の少年の眼光に、彼らに対する溢れ返らんばかりの憤怒が漲っていたからだ。  
「ハル君!」  
 春佳の双眸に一気に光るものが溜まり、堰が切れたようにぼろぼろとこぼれてゆく。  
 駆け出そうとして──その躰を取り押さえていたテツキがそれを阻んだ。  
 ぐっと引き寄せ、春佳を再び羽交い締めにする。「やめて……!」  
「離せよ」  
 まだ20メートルは離れていたが、晴幸の声はまるですぐ目の前で発せられているかのようだった。  
「なんだテメーは。カンケーねーんだよクソが、あっち行け」  
「春佳を離せ」  
 一段一段慎重に降りながら、まるで〈奴ら〉のようにゆっくりと近付いてくる。  
 カツヤは仲間と目を合わせた。  
 どちらも同じような顔しかしていない。  
 なんだあいつは。  
 これが春佳の恋人だというのは言わずとも分かった。  
 だがしかし──  
 険しい山野を身一つで走り抜けてきたのかと思うぐらい薄汚れた格好。  
 上着もズボンもあちこちが破れ、埃や土を被り、遠目にわかるぐらいよれよれであった。  
 血の海に投げ込んだように全体が気味悪いどす黒さに染まっている長棒も異様だった。  
 しかし何より、その表情や動作は疲れ切っているのが一目瞭然なのに、  
そこだけが底なしに爛々と輝いている目。  
 得体の知れない目つきだった。  
 いや──と、カツヤは思い出した。  
 似たような感覚をかつて味わったことがあった。  
 
 一年ほど前、クラブでとっぽいサラリーマンが親子ほども離れた娘と  
テーブルで談笑していた。その女が好みのタイプだったのでちょっかいをかけたら、  
男はヤクザであった。  
 相手の正体に気付いた頃には引っ込みがつかなくなっており、  
「店に迷惑がかかる」と、抑えた声で外に連れ出された。  
相手は一人で、特別大柄でも筋骨逞しいわけでもなかった上、背中を見せて前を歩いていた。  
だが、縄で繋がれているかのように、逃げることも殴りかかることも出来なかった。  
普段は大人など小馬鹿にしきってカツアゲの対象にしていたカツヤ達は、  
店の裏でそのヤクザ一人にボコボコにされ、まるで子供のように泣きながら土下座して詫び、  
それで何とか許された。  
 なめるんじゃねえ、と、優しくも底冷えのする声で一言残し、その男は去っていった。  
 今振り返ってみても、なぜ店を出た時に後ろから殴りかからなかったのか説明できない。  
カツヤ達の方が上背があり、しかも三人もいたのに。  
 ヤクザの報復が怖かったからか。  
 盛り場を遊び回り悪いこともしている三人は、ヤクザとの接点もわずかながらあり、  
彼らの恐ろしい点は聞かされていた。  
 ただ、あの時のヤクザの全身から溢れる威圧感は、ヤクザだからという問題ではなかった。  
 まるで本物の刃物のような凶器だった。  
 殺される、と本気で萎縮しきっていた自分達。這いつくばって地面を舐めたあの屈辱。  
 ヒデが折り畳みナイフを懐に忍ばせるようになったのもそれからだった。  
「……ん……だよっ……!」  
 カツヤは怒りを憶え、「やるぞ」と、ヒデに耳打ちした。  
 ヒデはナイフを手に取り、カツヤはギターを肩に乗せた。  
 〈奴ら〉の足は春佳よりとろいし数も少ない。こいつをぶっ倒す時間はある。  
 石段を降りた晴幸も足を止め、俊美を遠ざけた。  
 カツヤはヒデとともに近付きながら、  
「ひょっとして、春佳ちゃんのカレシ?」  
と、わざとらしく挑発するような調子を籠めて訊いた。  
「ああ」  
 短く答える晴幸に、「はっ」「へっ」と、晴幸に近づくツヤとヒデの口端が吊り上がり、  
憐れむような眼差しとなった。  
 
 あと5メートルほどのところで二人は立ち止まり、晴幸と対峙した。  
「オメーがそうだったのか。残念だったなあ、春佳ちゃんはもうとっくに俺達とイイ仲だからよ」  
「やめてーっ」  
 後ろから春佳が叫んだが、気にも止めない二人。  
「最初の男は俺な」カツヤが舌なめずりする。「春佳ちゃんのヴァージンを生でいただいて、  
たっぷりと中出ししてやったからさ。生の処女マンコ最高に気持ち良かったぜェ」  
「三人でマワしたら、少し慣れただけでもうヒイヒイ悦んでよお」  
「そうそう、初めてイカせたのもこの俺だからな。  
 春佳ちゃんからしっかり抱き付いてよ、危険日のアクメマンコに種付けしといてやったぜ。  
 てめえはもうすぐ死ぬけど、ちゃんと憶えとけよ」  
 嘲笑と侮蔑を籠めた言葉を吐きながら、カツヤはヒデに耳打ちした。  
「あの足じゃあんなデケエの満足に振り回せねえ、一回空振らせろ。  
 後ろ向いたら俺があの棒きれごと奴を押さえるから、その隙にぶっ刺しちまえ」  
 カツヤは左に、ヒデは右にと別れた。  
「憐れだなあ、カレシ君さあ」  
「死にかけは大人しく死んどけよ。あの女は俺達のモノにすっからよ、ギャハハハ!」  
「おい」  
 背を丸めてモップ束に寄りかかり、今にも膝を突きそうな晴幸が、  
二人を順繰りに睨み付け、底割れのする声で遮った。  
「な、なんだよ」  
 一瞬、カツヤの脳裏にあのヤクザがよぎった。  
「来たぞ」  
 クイクイと頭で後ろを示され、二人の視線もつられた。  
 彼らの背後──石段の上に〈奴ら〉が見えた。  
 1体、2体、こちらへ降りてくる。その後ろからも。  
 3、4……6、8……みるみるうちに増えていく。  
 まだこんなに残っていたのかと呆れてしまうほどの団体。  
「バカ丸出しでぎゃーぎゃー喚いてっから気付かねえんだ」  
「っだと!? ぶっ殺してやる!!」  
 ヒデがそう叫ぶと同時にナイフを掲げて晴幸へ襲いかかっていった。  
 俊美と春佳が悲鳴を上げそうになり、息を呑む。  
 カツヤもいつでも駆け出せる体勢になり、晴幸が背を向ける瞬間を待った。  
あんな足じゃ振り向くのもままならないだろう。  
 と──  
 晴幸の躰がゆっくりと沈んだ。  
 一瞬、倒れたのかと思った。  
 少なくとも、カツヤの目にはそれはスローモーションのようにゆっくりと映った。  
 かと思った瞬間、下からのすくい上げるようなスイングがうなりを発した。  
黒いつむじ風のように見えたのは夥しく付着した血のりのせいだろうか。  
 手が空いている方。反射的に上がったヒデの腕だったが、まったく反応が遅れていた。  
 腕のガードは間に合わず、ゴキュッと嫌な音がしてヒデの横顔がひしゃげ、  
躰が浮きながら横回転した。  
 石段にぶつかり、一回、二回、出っ張った段にゴッゴッと頭を打ち、  
             ......  
なおも回転しながら登っていく。  
 
 間抜けなほど長く感じる滞空時間が過ぎ、  
 
 ドサッという音とともに、ヒデの躰は階段のかなり上部でやっと止まった。  
 
「──ッ、ッがッ!!」  
 アブクを吹き出し白目を剥くソフトモヒカン。全身が激しく痙攣し、  
血がみるみると石段を伝い落ちていく。  
「──!! ヒ──ヒデッ!!」カツヤが呆然と瞠目する。「てッ、テメ、足、そんな──!?」  
 晴幸はスイング後にガクンと左に崩れて倒れ、左膝を押さえながら取り乱すほどの苦悶に呻めいたが、  
モップ束を支えにすぐに立ち上がっていた。  
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」  
 ずる、と、左足を引きずりながら、カツヤに向かう。  
「ああ、すげえ痛いぜ。でも痛くねえ。ちっともな」  
 カツヤは後ずさりながら、見開いたままの目を晴幸、〈奴ら〉、ヒデ、また晴幸と素早く移した。  
 ヒデに〈奴ら〉が群がり、  
「がああああああああ!!!!」  
と、ヒデが断末魔の叫びを上げた。  
 想像を遙かに超えたスイングとスピードだった。明らかに振り慣れた姿勢。  
 菊島春佳が野球部のマネージャだったことを今さらながらに思い出した。  
 凶器のように血走った双眼が彼を見据えていた。  
「い、いい、生きてる人間の頭めがけて……フルスイングしやがった……!!  
 こ──この人殺し野郎ッッ!!」  
「てめえらは違うのか」  
 一歩踏み出すごとに喋る晴幸。  
「春佳の、堀の、尊厳を、未来を、希望を、殺しやがって」  
「う、う、うるせえ、未来なんてあるかよッ。てめえ知ってんのか、  
 世界中がこうなっちまってんだぞ!  
 もう終わりなんだよ! この世は! やらねえとやられるんだよ!」  
「おお、てめえら、ぶっ殺してやるよ」  
 まぎれもない殺気が籠もっていた。  
 どうする。カツヤの頭が必死に回転する。  
 奴は走れない。距離は縮められない。  
 自分もナイフを持っていれば良かったとカツヤは後悔した。  
 女に刃物をつきつけられれば──と、チラリと視線を逸らしたカツヤの目がまた見開いた。  
「菊島さんを離しなさい!」  
 テツキの野郎、いつの間にあんなところに──  
 自分だけ逃げようとしたのだろうか、SUVのドアの前で、  
テツキがバットを振りかぶった俊美に詰め寄られていたのである。  
 テツキもギターを振り回して威嚇しながら、  
春佳の首根を腕で締め上げて何とか彼女の躰を盾にしようとしていたが、  
頭まで隠せる身長差ではなかった。  
 
 春佳も春佳でここぞとばかりにもがいており、  
「あっ、くそ、動くんじゃねえ!」  
 テツキの気が散った隙に、「たあー!!」という掛け声とともに俊美のバットが振り下ろされた。  
 ゴン、と鈍い音がして、  
「があっ」  
と痛みに悶える声が上がる。俊美のバットがテツキの鎖骨に当たったのだ。  
 捕縛者が肩を押さえながらうずくまった隙に春佳は脱兎の如く抜け出した。  
 カツヤもそれと同時に動いていた。  
「堀ッ!」  
 テツキの様子を見下ろしていた俊美がハッと近付いてくる者に気付く。  
 カツヤは春佳ではなく俊美に向かっていた。  
 獰猛にギターを振りかざしながら殺到してくるカツヤに、俊美の躰が恐怖に縮こまった。  
「春佳ふせろッ!」  
 その声とともに、晴幸に駆け寄って来ていた春佳がバッと身を伏せる。  
「死ねクソアマ!!!!」  
 俊美を睨み付けながら本気でそう叫ぶカツヤ。思い切り振りかぶっていた。  
奴が来る前にまず邪魔な女を片付ける。  
そして、いや、もうこのまま逃げちまえばいい、女なんてまだどっかにいる。  
 
 ボグッ  
 
 カツヤの脇腹に重い衝撃、激しい痛みが襲った。  
「ぐほぉっ!」  
 頓狂なほどの声を漏らして仰け反り、足を滑らせて前のめりに倒れるカツヤ。  
その転倒と同時に、モップ束が彼の後ろでゴロンゴロンと音を立てて落ちた。  
 後方で晴幸も突っ伏していた。彼が投げたのだ。  
「いでえええええ……!!!!」  
 カツヤは脇腹を押さえながらコンクリートをのたうち回った。  
「──のやろう……!」  
 痛みから回復したテツキがベースを握り直して俊美に襲いかかる。  
「きゃあ!」  
 なんとかバットで受けたが、俊美はバランスを崩してそのまま後ろに倒れ込んだ。  
「邪魔すんなよ!!」  
 テツキは力を籠めて何度もベース打ち下ろした。  
二撃目までは金属バットが辛うじて防いだが、いつ弾き飛ばされてもおかしくなかった。  
体勢と膂力(りょりょく)の性差は歴然の結果を生み出そうとしていた。  
「やめてぇ!」  
 俊美が思わずそう叫んだ瞬間、テツキの手が止まった。  
 
「く……そう!」  
 再び振りかぶる。  
「おおおおおお!!!!」  
 真横から雪崩込むように晴幸が躰ごと突っ込み、二人はSUVのボンネットに横から激突した。  
春佳に支えられてすぐ傍まで来ていたのだ。  
 二人はクルマの正面に移るまで揉み合った。  
 その後ろから〈奴ら〉が襲いかかろうとしたが、  
立ち上がった俊美が二度、三度とバットで頭を打った。  
「春佳ちゃん、私が〈奴ら〉を食い止めてるうちにエンジン回しといて!」  
「ど、どうやって──」  
「キーの差し込み口がハンドルの横!」  
 春佳がクルマに潜ると、助手席の方角から揉み合いに寄ってきていた〈奴ら〉に  
駆け寄って打ちのめす俊美。  
 そのうちに晴幸が上を取り、ゴッ、ゴカッ、と、彼の右拳がテツキの頬、  
側頭部と立て続けにめり込んだ。それで軽い脳震盪でも起こしたのか、  
苦痛に呻くテツキの躰から一瞬力が抜けた。それを逃さず襟首を掴むと、  
晴幸は無事な右足を軸に回転を加え、誰もいない方向へテツキをぶん投げた。  
 酔っ払いのようなよろめき方で二、三回転すると、テツキはバランスを崩してゴロゴロと転がり、  
伸びたように突っ伏して動かなくなった。  
 その場に倒れて足を押さえながら苦悶する晴幸にちょうどクルマから出ていた春佳が駆け寄り、  
肩を貸しながら、  
「俊美さん、キーがありません!」  
と叫んだ。  
 〈奴ら〉の群れがすぐそこまで迫っていた。  
 俊美はほんの少し停止し、次の瞬間には駆け出していた。  
 咳き込みながら苦しそうに這いつくばっているカツヤの前に俊美が立った。  
「た、助けてくれ……あばらが、折れて……立て、ねえ……」  
 ヒューヒューと嗄れた呼吸を繰り返すカツヤ。  
「クルマの鍵は? どうせあなたが持ってんでしょ。  
 こんな状況でクルマをすぐ動かせないようにしてるなんて、  
 あなたぐらいしか思いつかないもの」  
 カツヤは震える手でキーを差し出した。差し込みっぱなしだったのを抜き取っていたのだ。  
 もうあと数メートルのところまで〈奴ら〉が来ていた。  
「ありがとう。じゃあね」  
「と……しみ……!!」  
 俊美は憎しみに満ちた目でカツヤを見下ろし、ギュッと目を瞑り、また開いた。  
 憎しみは抑えられていたが、決意の光は揺らいでいなかった。  
「あなた達だけは連れてけない。そういうことをあなた達はしたから」  
「ヒデ……に……殺され、かけ……てた、のを、助け、た、んだぞ……!?」  
「……それは感謝するね。でも、もう、私だけの問題じゃないから」  
 俊美に来るように合図しながらドアに寄りかかっている晴幸と春佳を見る。  
「こ、恋人だった時も……あるじゃねえ、か……!  
 見捨てる……のも……ひと、ごろし……だぞ!」  
「……たぶん、後悔する日が、きっと来る。  
 だけど、もっと大きな後悔を作りたくないから」  
 そう言って俊美は踵を返し、後ろの声を振り切って  
SUVの前で心配そうに見つめている二人の元へ走っていった。   
 
「クルマの鍵よ!」  
「運転できるのか」  
「あいつらの練習に付き合わされて何回か運転したことがある。  
動かすだけなら意外と簡単だった気がするわ、オートマだからって言われたけど」  
 気がする、というところにそこはかとない不安がよぎったが、迷っている時間はなかった。  
 俊美が運転席に、晴幸と春佳は後部座席に乗り込んだ。  
「菊島さん、閉め忘れてるところがないか全部調べて! 一箇所でも開いてたら終わりよ!」  
 オートロックは作動したが、それでも安心できずに俊美は振り返ってそう言った。  
春佳が車内を動き回るさなか、ハンドルやシフトレバーなどを見渡す。  
「えーっと、えーっと、サイドブレーキ、じゃなくて、  
 まず、キーを差し込んで、回……す」  
 ギュルギュルギュルとエンジンが鳴った後、ブオーンと始動し、  
メーターやカーナビのライトが点灯した。  
 どこから現れたのか、校舎方面からだけでなく四方八方から〈奴ら〉の集団が近付いて来ていた。  
「で次が──」  
 俊美がサイドブレーキに目をやった時、バン! と激しい音がして運転席の窓に人影がひっついた。  
 吃驚して身を竦ませた俊美だったが、それはテツキだった。  
「開けてくれェ!!」  
 何度も振り返っては間近まで寄ってきている〈奴ら〉に恐怖で蒼ざめながら、  
運転席、後部座席とドアの取っ手をガタガタ引っ張るテツキ。  
 俊美は睨み付けていたが、  
「ごめん、こいつだけ入れていい!?」  
と叫ぶように言った。  
 晴幸は何も言わず隣を向いた。春佳の顔が強張っている。  
「こいつ一人だけならもう何も出来ないと思う。春佳ちゃん、だめ!?」  
「わ……私は……」  
 いや、と言おうとして、春佳は言葉が出なかった。  
「春佳が厭がってる」  
 晴幸がその震える肩を抱き代弁した。  
「──ごめん、忘れて」  
 俊美はテツキから視線を切り離すと、  
サイドブレーキを解除しトランスミッションをDに入れて、  
「えい!」  
とアクセルを踏んだ。  
 途端にグオーンと急発進するSUV。  
「きゃー!」  
 ドン、ドン、ドン、ドン、ドンと立て続けに何体もの〈奴ら〉をはね飛ばしながら蛇行猛進した後、  
駐車場を囲む柵に突撃する寸前にブレーキが踏み抜かれて今度は急停止し、  
後部座席はひどい有り様となっていた。  
「ごめん! シートベルトして!」  
「ぐうう……そうだな……」  
 春佳と座席に折り重なりながら、この学校の駐車場が広くて良かった、と晴幸は思った。  
 
「って、こいつ……!」  
 姿勢を直した晴幸は窓の外を見る。  
 テツキがまだしがみついていたのだ。おそらくルーフレールを握っているのだろう。  
ひいひいと泣き叫んでいた。  
「おい、まだいるぞ」  
「知らない!」  
 今度はリバースに入れ、先ほどまでではないものの  
やはり勢いがありすぎるバックで後方に寄ってきていた〈奴ら〉をはねると、  
「門が開いてる、出られるよ!」  
 俊美は全開した門を左手に見ながらハンドルを切って、また、  
「えい!」と掛け声を出してアクセルを踏んだ。  
 クルマは半円を描きながら勢いよくバックした。  
 シフトチェンジを忘れていたのだ。  
「やあもう! 前に進むと思ったら後ろに進んだ! 門、門はどっち!?」  
「慌てるな! 逆だ、逆!」  
 外ではテツキが寄ってくる〈奴ら〉を必死に蹴り退かしていた。  
「こいつ邪魔! あっちね!」  
 今度はしっかりとドライブにレバーが入れられ、  
SUVはガッコンガッコン揺れながら右に曲がった。  
 蛇行と停止を繰り返し、その度に〈奴ら〉を突き飛ばしたり轢いたりしながら、  
徐々に門に近付いていく。  
 正門の外は出てすぐ左へ直角に折れており、そこでもハンドル操作が必要だった。  
「曲がってー!」  
 そう叫びながらハンドルを必死に回す俊美。  
 SUVが鋭角で曲がり、左の門柱が迫ってくる。  
「当たる当たる!」  
 なんでこんな十分な幅があるのに端っこに当たりそうになるんだ──!  
 とっさに晴幸は春佳を庇っていた。  
 ギャギャギャギャ! と、黒板爪研ぎに匹敵する嫌な音。  
 ぎりぎりのところで柱には当たらなかったが、  
代わりに格子状の門扉に車体を擦り付け左脇腹を盛大に傷付けながら、  
SUVは何とか門の外へと踊り出た。  
「よし!」  
「よしじゃないだろ!」  
「黙って!!」  
 
 俊美は何とか車体を真っ直ぐに保って直進を安定させると、アクセルを踏み込んだ。  
 クルマが猛然と加速し、道路に突っ立っている〈奴ら〉が次々にはね飛ばされ、  
あるいは轢かれていく。  
 〈奴ら〉の行進はどこまで続いているのかと思うほど延々と続いており、  
 
 ドン、ドン、ドン、ドン、ドン  
 ゴト、ゴト、ゴト、ゴト  
 
というくぐもった音は、そのうち環境音楽のようにさえ錯覚してきそうだった。  
「凄いな、でも、あんまりスピードは出しすぎない方が……」  
「話しかけないでー」  
 声のトーンが変わっていた。殺す殺すと叫んでいた時に似ている。  
 バックミラーに映る目が見開きっぱなしだった。  
 まあいいか、と晴幸はシートにもたれると、隣を向いた。  
 春佳もすぐに気付き、見つめ返してきた。  
 クルマに乗り込んだ時からずっと結んでいた手に力が籠もる。  
「春佳……」  
「ハル君……!」  
 眼に涙を溢れさせた春佳が寄り掛かってきて、晴幸は彼女を胸に抱きすくめた。  
「ハル君、ハル君、ハル君、ハル君、ハル君…………!」  
「春佳、すまなかった」  
 折れるぐらいに抱き締める。  
「ハル君、ごめんなさい。私、私、もう、ハル君に許して貰えない……!」  
「バカ野郎。俺が今、どういう気持ちか分かるか」  
「え……?」  
 浮き上がった春佳の頭がさらに強く抱き締められる。  
「春佳、良かった。生きてて良かった。本当に良かった。  
 本当に、本当に。  
 俺は、春佳──俺は────」  
 もう言葉にならなかった。  
 晴幸の目といわず鼻といわず喉といわず、膝の痛みなど比べものにならないほど  
熱いものが奥からこみ上げ、滂沱となって尽きることなく流れ落ちた。  
 
◆◇◆◇◆◇  晴幸  ◆◇◆◇◆◇  
 
 〈奴ら〉の姿が見えない所まで来ると一旦クルマを止め、あいつらの生き残りを降ろした。  
 堀のあの運転の中、ついに最後まで振り落とされずに  
しがみついていた根性だけは認めざるを得なかった。  
それにどれほど性根の腐った救いようのないクズだったとしても、  
こいつらがいなかったら春佳は死んでいた。命の恩があるのは事実だった。  
 行っちまえと俺が言い放つと、今にも昏倒しそうな蹌踉とした足取りで街の中に消えていった。  
「あいつ、妹がいるのよね。二つ下だけど、私にちょっと似てるの」  
 俊美はそう言いながら小さくなっていく背中を見つめていた。  
 呼び戻すか、と訊ねると、黙って首を振った。  
 車内に戻ると、俺は、  
「これからどうする?」  
と、二人に聞いた。  
「はぁ? もちろん病院でしょ!?」  
「ハル君と俊美さんを診て貰わなきゃ!」  
 怒りすら表した二人の意見で、病院へ直行することが即決された。  
 春佳は大丈夫らしいが、堀に、お前の怪我も心配だ、と訊ねると、  
これは見た目ほど大した傷じゃないのと、やけに楽しそうに答えた。  
 俊美と春佳が協力してカーナビのリモコン操作を覚え、病院までのルートが出ると、  
「自分でクルマを運転して目的地に向かうなんて初めてだから、多少迷っても怒らないでね」  
と、クルマはゆるやかに動き始めた。  
 春佳はそのまま助手席に居着いたので、俺は後部座席に寝そべった。  
 荒療治とすら言えない強引な整復をした左膝は相変わらず燃えるような激痛を発し、  
それ以外にも躰中が痛みと疲労の極致で、じっとしている方が辛いぐらいだった。  
 これだけ酷使しては、もしかしたら治らないかもしれない。  
 もう野球は二度とやれないかもしれない。  
 ──それはそれで、悲しいことだが。  
 しかし、そんなことは苦にも感じられなかった。  
 このおかしくなってしまった世界で、俺はかけがえのないものを守ることが出来た。  
 それが何よりも嬉しかった。  
 勿論、今後どうなるかわからない。  
 街にも〈奴ら〉はいるだろうし、混乱がどこまで広がっているのか見当すらつかない。  
 だが──  
「今、最高に気分がいいよ」  
 俺は上体を起こし、振り返った春佳に微笑みかけた。  
 春佳も微笑み返してくれた。  
「春佳、何があっても……お前を離さないから」  
 言い出した時に堀がいることに気付いたが、途中ではぐらかすことは出来なかった。  
「うん……」と、恥ずかしそうに、でも嬉しそうに俯く春佳。  
 堀がクルマを停め、バックミラー越しに俺を軽く睨んだ。  
「……ねえ、私は?」  
 
「え? あ、ああ、もちろん。堀にも感謝してる。  
 いくら感謝してもしたりないぐらいだ。  
 本当に──」  
 俺は堀と駆けずり回った時間を思い返していた。  
「……ありがとう、堀。お前がいなかったら俺はとっくに死んでた。  
 春佳を取り戻せなかった。本当に、どんなに感謝してもしたりない」  
 掛け値なしの実感を籠めたつもりだった。  
「……うん」  
 なぜか堀は頷きながらも、複雑そうな顔つきをした。  
「堀さん……」  
「なに、菊島さん?」  
「ハル君と私を助けてくれて……本当にありがとうございます……」  
 春佳はそう言って深々と頭を下げた。  
「え……あ、う、うん……私も……ありがとう…………」  
「本当にありがとうな、堀」  
 俺達は顔を見合わせ、笑った。  
 今度は堀も、そして春佳も、凄くいい笑顔だった。  
「もう、何だか他人行儀だよね。俊美って呼んで。  
 私もハルって呼ぶから。ね、いいでしょ、春佳ちゃん」  
「え……」  
 春佳は困った顔になって俺を見た。  
 俺は頭を掻き、「じゃあ、俊美」と言った。  
「1コ上だけど許してあげる、ハル君。ふふっ」  
 俊美はまた楽しそうに笑うと、SUVを発進させた。  
 俺は寝転んで目を瞑った。  
 それだけで猛烈な眠気が襲いかかってくるが、  
膝に響く車の振動がそれを何とか阻んでいた。  
 痛みに顔をしかめながらも、  
(俺にはまだ生きる必要が充分に残されてる──)  
と、胸が熱くなっていくのを感じた。  
 まだ安心はできない。  
 だが、春佳の、俊美の、今の笑顔を思い浮かべると、不思議と体奥から力が湧いてきた。  
 二人があいつらに乱暴されたという俺の中の怒りは、  
彼女達自身の悲しみに比べればどうってことはない。  
男の俺が彼女達の蒙った不幸を理解しきるのは不可能かもしれないが、  
出来る限りの力になってやりたかった。  
 ──充分に時間があるときに考え直したら、その考えも変わるかもしれない。  
 でもそれより今は、彼女達を守らなければならない。  
 何が何でも生き延びてやる。  
 そういえば、俺達より先に脱出した奴らは──  
 「走れー!」という叫び声──……  
 俺の思考は最後まで回りきらず、深い眠りに落ちていた。  
 
◆◇◆◇◆◇  ENDING  ◆◇◆◇◆◇  
 
「ひっ! ひいぃいぃいいいいい!!」  
 カツヤは〈奴ら〉を避け、あるいは突き飛ばしながら、  
脇腹を押さえて桜並木をよろよろと歩いていた。  
 一歩踏み出すたびに身がよじれるほどの激痛が脇腹と胸から走り、  
口中に生臭い味の液体が溜まったが、SUVが〈奴ら〉をはね飛ばしながら行ったお陰で  
無事に立っているものは少なくなっていた。  
「ひっ、ひひ、これなら──」  
 カツヤの頬に引きつった笑みが浮かんだ。だが、痛みですぐに強張る。  
 俺はまだ死なねえ。まだ楽しみ足りねえんだ。  
このルックスでまだまだ女を手玉にとってやる。  
 そうだ。こんな世の中になっちまったんだ。どこでも思う存分好き放題やれるじゃねえか。  
 ヒデもテツキもいなくなったが、また仲間を集めて、一からやり直しだ。  
 警察だろうが、ヤクザだろうが、いや、どんな奴が邪魔しようがぶち殺してやる。  
「あ、あのヤロウ──」  
 俺をこんな目に遭わせやがったあの野郎。  
 だが。  
「ひひっ、ひひひ……。  
 俊美も──春佳も──俺達のガキを孕んでりゃいいんだ……」  
 あの時の記憶が鮮明に蘇る。  
 それだけが唯一、痛快なことだった。痛みも忘れて笑いがこみあげてくる。  
 あの野郎がどんなに腕っ節が強くても、覆しようのない事実。  
 いや、それどころか。  
 二人とも、  
  ...  
 喜んで俺達とセックスしたのだ。  
                    .........  
 俺達のザーメンを注がれて、喜んでやがった。  
 
 狂った状況がそうさせたのだろうが、カツヤにとっても忘れられないほど  
異様に昂奮したセックスだった。  
 あれは前もってなされた充分すぎる復讐であった。  
 脅されてのゴムなし生ハメだったにも関わらず、明らかに感じていた二人。  
(処女だった女が、俺達から離れていた女が、  
 あっという間に股を濡らして夢中になりやがった)  
 あの興奮の仕方は絶対、中出しされても感じていた、と、カツヤは確信する。  
(出してる最中にもギュウギュウ締め付けてきやがったしなあ)  
 分かるか、テメエ。テメエより先に別の男に抱かれてあんあん喘いだんだよ。  
そしてよ、中出しってどころじゃねえ。  
 種付けセックスをしたんだよ。  
 分かるかよ? テメエの恋人は、テメエ以外の男の種を悦んで受け止めたんだ。  
 レイプなのにマンコ濡らしながら感じて、興奮のままに俺達は一つになってよ。  
 気持ちいい共同作業だったぜ。  
 締まるマンコの中でビュクビュクと濃いザーメンを子宮に注いでやった。  
 あの時の二人の姿をテメエにも見せてやりたかったぜ。  
 俊美も、春佳も、ウットリした顔しながら種付けられてたんだぜ……!?  
 ええ、おい。分かるか。  
 他の男とそんなセックスをしたんだ。テメエのチンポを知る前に、  
他の男のチンポで女にされて、気持ち良くされて、たっぷりと仕込まれたんだよ。  
 今思い出しても股間が疼いてきやがる。  
 もっと時間があれば、きっと淫乱と化して自分から腰を振っていたに違いねえ。  
 安全な場所まで逃げられれば、完全に堕としてやったのに……。  
「チクショウ、今度会ったら、アナルも開発して──ぐうっ!」  
 脇の痛みが一時耐え難くなり、カツヤは足を止めて呻いた。  
 カッと口中に溜まった血へどを吐く。  
「クソッ……」  
 何にしろ……あの野郎が必死になって取り返した女どもは、もう、  
中古以下の存在だ。高確率で余計な物もくっついてな。  
 あいつは結局、なんにも救えちゃいないわけだ。  
 俺のお下がりを戴いただけの憐れな寝取られ男。  
 他の男に弄ばれた女とまともに付き合えるか? 抱けるか?  
甘酸っぱい関係であるはずの恋人を無惨に奪われた悪夢に苛まれろ。  
二度と戻らない幸せの日々を懐かしがりながら、  
身も心も生き地獄を味わいながらせいぜい逃げ回るといい。  
 孕んでたら最高だなあオイ。  
 それが原因で恋人とすれ違ってよ、もしかしたら、  
春佳は寂しさで俺に会いたくなるかも知れないぜ。  
 また俺に抱かれたい──ってな!  
「ヒャハハ」  
 あんだけ堕ちてたんだ、可能性は大いにあるぜ。  
 命懸けてまでド淫乱な女二人助けたところで何の意味がある。  
 そのうちまだ生きているところを見つけたら、  
あの野郎の目の前で二人をヒイヒイ悦ばせてやる──  
 
 その時、路上に転がり積み重なった死体の中からぬっと何かが伸び、カツヤの足首を握った。  
 
「うあっ!」  
 突然の出来事にたまらず転倒するカツヤ。  
 何だと思って足元を見ると、干からびたように変色した細い腕が彼の足首を掴んでいた。  
 ずるっと出てきたのは、変わり果てた峰岸理江だった。  
 地獄を覗き込んでいるかのような黒々とした眼窩で、彼女はカツヤを見据えていた。  
「うわあああああああッ、うぎゃああああああああああ!!!!!!!!」  
 悲鳴は途中で絶叫に変わった。  
 カツヤが見覚えのある顔と服装に気を取られている隙に、  
元音楽教師の歯がふくらはぎの皮膚を裂き、骨に達するほどまで喰い込んだのだ。  
 
 ブチブチブチッッ!!!!  
 
「があ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!!!!!」  
 ガリガリと骨を削りながら何百グラムもの塊が一気にえぐられ、血しぶきが舞った。  
 口に入りきらない肉塊をクッチャクッチャと美味しそうに咀嚼する、  
彼の奴隷だった〈もの〉。  
 まるで地獄の苦しみを和らげるものに出会い、恍惚に包まれているかのようであった。  
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!!!!!」  
 あまりの痛みに痛覚がショートするカツヤ。  
 普通の人間なら手が付けられないほどの暴れようだったが、  
〈奴ら〉と化した元音楽教師の両手はしっかりと彼の足を抑えて離さなかった。  
 その口から、ボタリ、と血がジュクジュクと噴き出す肉塊が落ち、  
悶絶するカツヤの顔を凝視する。  
 周囲からも〈奴ら〉が集まってきていた。  
 ──蟻が這い出る隙もないほどに。  
「やめろおおおおおおおお!!!!!!  
 やめてぐれえええええええ!!!!!!!!  
 死にだぐねええええええええええ!!!!!!!!」  
 今際の際の彼の視界に映ったのは、まるで産まれたての嬰児を  
覗き見るかのように集まってくる、〈奴ら〉の顔、顔、顔。  
 その中央で、我が子に祝福の口づけをするかの如く近寄ってくる元峰岸理江の顔。  
 たった一つの抜け道、頭上にぽっかりと空いた天は、  
そこさえも夜の闇に呑み込まれようとしていた。  
 鮮やかに舞い吹雪く桜の花びらが眩しく光った。  
 光を掴もうと手が伸びる。  
 いや、唇──開き──何もない世界への入り口。  
 光も、闇も、消えて無くなった。  
 
 
 
 
 苦難の始まりが終わり、世界は破滅を迎える。  
 
 
『 Find of the DEAD 』 完  
 

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