「私のハヤテが帰ってこないはずがない」
昼間はそんなことを呟いてみたものの、やはり寂しさというものは紛らわせぬもの。
日が沈み、マリアも台所で夕飯の支度をしている時分。
いつもはハヤテとゲームをしているのだが、相手がいないのでやる気もなく。
心に寂しさの波紋を描きつつ、ぼんやりと窓の外から太陽を眺めていた。
「……」
ひょっとしたら、このカラスの鳴き声に耳を澄ませていればハヤテの「ただいま帰りました〜」という声が聞こえるかもしれない。
そんな妄想にとりつかれてみたり。
自分が空しく思えてきた。
それにしてもどうにもこの心の空白は埋まりそうにもない。
身近にあるものほど失って初めてありがたみがわかるというが、普段のちょっとしたときにもそれを味わっているつもりだった。
けど、ただハヤテがこの屋敷にいないというだけで、胸が苦しくなってくる。
ハヤテが伊澄のところに行ったときとはまた違う……あのときはあのときで別の……苦しみを感じていたけれど……。
じっと窓を見ていた。
窓の外では、屋敷の門が閉まっているのが見える。
特殊な事情がない限り、明日の定刻になるまであの門はセキュリティの関係上開くことはない。
もちろん、この屋敷の主……つまり私が屋敷の敷地外に居る場合は別だが。
誰も入ることはできない。
いや、ハヤテならセキュリティをくぐり抜けて入ってこれるだろう。
そして、私を抱きしめて……「ただいま」って。
ふぅ。
どうにも駄目だ。
今考えると、最近の自分の思考はほとんどハヤテ中心に回っていたような気がする。
これじゃ甘えん坊と言われてもしょうがない、のかもしれないな。
そのくせ、つまらない嫉妬や見栄でハヤテの足を引っ張ってばっかり……。
よくよく考えれば、今回ハヤテが執事とらのあなに行くことになったのも、私が運動嫌いだったからで、クラウスのしょーもない挑発に乗ってしまったからだと思う。
しかもそれでもハヤテは全力で私に尽くしてくれて……けど、私がまだまだ未熟だったから私のせいで優勝を逃してしまって……。
なんだかハヤテに本当に申し訳ないと思えてきた。
ハヤテだったら、笑って許してくれるだろうけど……ハヤテの優しさはあまりにも卑怯だ。
ハヤテが優しさを私にかけてしまうから、私は私に厳しくなれない。
だから、これからは私は謝罪の言葉を私に述べなくてはならないだろう。
せめて、今度からはハヤテの足を引っ張らないよう……ハヤテの靴の紐を踏んづけぬよう……頑張ろう、と思う。
それにしても切ない。
とても切ない。
ここでこうしている時間がもどかしい。
もどかしいけど、どうすればいいのか私には分からない。
多分、何もできないのかもしれない。
だったら……この心の隙間だけでも埋めなければ。
気が付いたら、体は窓から離れ、足は自然とハヤテの部屋へと向かって動いていた。
ハヤテの部屋のドアを開ける。
誰もいない。
いつもなら、「あ、お嬢様、何か用ですか?」とハヤテが声をかけてくれるのに。
天窓から差し込む斜陽がなんだかハヤテのいない孤独感を増幅させているような気がする。
「ハヤテ……」
ハヤテの部屋の空気を吸うと、ハヤテの匂いを感じた。
一歩一歩進むたびに、ごとっ、ごとっと床が音を立て、空しく反響する。
静かだ。
あまりにも静かだ。
ここはきっと、ハヤテが存在しない世界なんだろう。
だから静かなんだ。
ハヤテを思い出させる、匂いも、品も、想い出もここにはある。
けど、ハヤテがいない世界なんだ。
そう考えると、居ても立ってもいられなくなった。
やっぱり、私にできることは一つもない。
だから、私はハヤテのベッドの上にうつぶせになった。
シーツからハヤテの匂いがする。
なんだかハヤテに抱きしめてもらっているような気がする。
今にも沈みかけている太陽の光が、シーツにハヤテの体温を再現してくれた。
暖かい。
でも、私の心はまだ満たされなかった。
「んっ……ハヤテぇ……あうっ……ん、ああぁ……」
ハヤテのベッドで……。
私は一体何をしているんだろう。
わからないよ。
私の指が私の体の一部を擦っている。
普段は絶対触らないような場所……ハヤテにだって触らせたことがない場所を、私は激しく擦っている。
擦っている手は、汗とは違う液体に濡れ、鍛えていない腕の腱が悲鳴を上げているにも関わらず、それでも私はこの行為をやめられなかった。
ハヤテがいなきゃ、私の心は埋まらない。
でも、こうしていれば少なくとも、そのことは忘れることができる。
「ハヤテぇ……もう……もう、わがまま言わないから……早く帰ってきてぇ……」
私の頭の中のハヤテは、もっと積極的だった。
私の頭の中で、私の服を脱がして、そして自分も裸で……。
私の頭の中は、ハヤテでいっぱいだった。
私の頭の中を、私の頭の中のハヤテは真っ白にした。
私の頭の中に、強い風が吹いたような気がする。
「あっ、ああああああああああああああああーーーーッ」
突然感じる脱力感。
いつの間にか流れていた涙が私の頬から落ちて、ハヤテのシーツを濡らしていた。
でも、もっと多く、もっと恥ずかしい液体でハヤテのシーツは濡れているんだから。
一度果ててしまってから、自分の感覚がより鮮明になっていった。
指が勝手に動く。
ショーツの上から中へと動き、秘部に直接触れる。
濡れた下着に指が触れ、手の甲に冷たさを感じ……。
「は、ハヤテ……さ、触って……」
けだるさを感じながらも、私のハヤテは私の体に触れていく。
細い指が小さな水音を立てながら、私の中へと入っていく。
「あ……あぁ……は、やて……はやてぇ……」
最初はゆっくりと、段々早く。
腰あたりになんとも言えない快感を感じ、目の前がかすむ。
ハヤテ。
なんで私のそばにいないんだ……。
ハヤテ……。
頼むから、……早く……早く帰ってきてくれ。
「あら? こんなとこにいたのねナギ」
日が沈み、辺りに宵闇が包まれた。
夕飯が出来て、何度も屋敷の中でナギを呼べども返事がなく、マリアは広い屋敷の中を右往左往してた。
ふと気が付いてみると、今朝屋敷を出たハヤテの部屋のドアが開かれており、覗いてみるとベッドには何か大きな塊が。
音を立てないように近寄ると、ナギはすやすやと眠っていた。
「ん……は、やてぇ……んっ……」
ナギが寝言を言う。
目尻には涙が通った跡が残っている。
「……ナギったら、ちょっとハヤテ君がいなくなっただけで涙ぐむなんて……可愛い」
抱きしめたい衝動にかられるも、なんとか自制心を駆使し、少しはだけた布団をナギの体にかけるだけに留めた。
「ん?」
と、何故か冷たさを感じ、手を離す。
「濡れてる?」
マリアはナギのかけ布団を見る。
暗くて自分の感覚と事実とが一致しているのかわからなかったが。
「……まさかね」
とりあえず気のせいにした。
マリアはそっと足音を立てないようにハヤテの部屋から出る。
ドアの隙間から、ナギをみつつ。
「おやすみなさい」
ハヤテの外でマリアの足音が遠ざかっていく。
再び静寂と暗闇に包まれたハヤテの部屋。
「あ〜、びっくりした……私としたことがマリアの接近を許してしまうとは……バレたかと思ったが、なんとかやりすごせたみたいだな」
目をぱっちりと開いて、動揺するお嬢様が一人。
「あ……夕飯はどうしようかしら?」
マリアは一人、呟いた。
ナギを起こすのは忍びない。
ハヤテの部屋で、ハヤテのベッドの中で、ハヤテの夢でも見ているのだろう。
その夢を妨害するのは、例え自分でも許されることではない、とマリアは思った。
夕飯は、仕方がないけれども、タマにでもあげればいいか、と考えた。
何はともあれマリアは有能なメイド。
手際よく、仕事をこなしていく。
ただ、いつもは黙っているその仕事の合間に、何かを思い出したかのように、一言呟いた。
「ハヤテ君はナギにはあげませんけどね」