辺りは沈黙に包まれ、ただ緊張のみが空気を支配していた。  
 三千院の屋敷の庭で、落語「ときそば」を見事完璧に演じきったハヤテが、審査員にしてツッコミ担当の咲夜の反応をうかがってビクビクしていた。  
 ハヤテ以外時が止まってしまったかのような空間で、咲夜が数秒の間をおいてようやく動いた。  
 
 咲夜は何も言わず、てくてくとハヤテの前まで歩いてきて、ぐいとハヤテの襟を掴み上げた。  
 ごくりと全員が固唾をのんで見守っている。  
 
「あんた……気に入った!」  
 
 なんとか血なまぐさい撲殺劇が繰り広げられることは回避されたようだ、と一同はほっと息をついた。 ハヤテとむにゅむにゅしているマリアは特に。  
 咲夜の執事達も、車の荷台にハヤテを乗せ暗い山に捨てにいかなくていい、とわかったのか、それともただ単純にハヤテの芸がよかったのか、目元を隠すサングラスの下の目を歪めてにこやかな笑みを作っていた。  
 私のハヤテが咲夜ごときを満足させることができないわけはない、と意気込んでいたナギでさえ、緊張の糸を緩めずにはいられなかった。  
 
 まあ、とにかくこれでハッピーエンドだな、と誰しもが思った次の瞬間、咲夜はニコニコと上機嫌な顔をし、そしてためらわずナギ一同に爆弾を放り投げた。  
 
「これ、ちょっと貰うわ」  
 
 「えっ?」という声が、ナギを始めマリア、咲夜の執事、果てはハヤテまでが出す。  
 冷静なのはただ一人、咲夜のみ。  
 しかし冗談もコントもしているわけではなく、咲夜は本気だった。  
 本気で、ハヤテを貰うつもりだった。  
 そしてハヤテのことがお気に入りと聞いているナギがそれを許してくれる、ということに同時に理解もしていた。  
 だから、拉致した。  
 ハヤテも鳩尾に不意な一撃を喰らわせられ、たとえ強靱な肉体と健全で質素な魂を持っている執事だとしても、気絶せざるをえない。  
 お嬢様らしからぬ強い力を持つ咲夜は、えいっと肩に気絶したハヤテを担ぎ。  
 
「ほな、さいならーーーッ!」  
 
 派手に遁走した。  
 
「あっ、こら、待て、ハヤテ泥棒!」  
 
 一瞬、言葉の意味が図りかね脳がフリーズしていたナギが、少し遅れて後を追いかける。  
 マリアは更に遅れてナギの後を追った。  
 しかし、日々お笑いと妹や弟の子守をしている少女と引きこもりの少女、ハヤテ一人の重量ではさしてハンディキャップを埋めることはできなかった。  
 子守とひきこもりは同じ「こもり」で桁が違うのだ。  
 既に数十メートル走っただけでナギの息はあがり、足が痛みはじめたがそんなことでハヤテを諦めることはできるはずもなく。  
 
「こ、こらぁ……ハヤテを返せぇ……」  
 
 精一杯の力を振り絞りナギが叫ぶ。  
 その叫びが通じたのか通じなかったのか、ナギの横に一陣の風が……。  
 
「ま、マリア?」  
 
 そう、超美人と人物紹介に書かれているメイド、マリア。  
 見ればわかるよね、と言われてもいまいち承諾することができないメイド、マリア。  
 七種類の大きさの胸を持つと言われているメイド、マリア。  
 
 そのマリアが、韋駄天の如きスピードで咲夜に迫る。  
 
「咲夜さん。 あまり身勝手なことをしすぎますと、私もそれなりの手段をしなければならなくなるのですが」  
「げっ」  
 
 あっという間にマリアは咲夜の隣に着いた。  
 咲夜のヘリまでの距離はまだ三十メートルほどあり、ハヤテを担いだまま走り抜けるまでの間、マリアが何をするかわからない。  
 だが、それでも放り投げることができないほどに咲夜はハヤテのことを気に入っていたのだった。  
 
「咲夜様! 私たちが食い止めます、先にいってください!」  
 
 咲夜の執事の二人組が後ろからマリアをおさえつけた。  
 名前は調べるのが面倒なので敢えて出さないが、色々と暴走しているマリアに勇猛果敢にも挑んだのだ。  
 
「ほ、ほな、頼んだでーッ」  
 
 普通のメイド相手だというのに何故か断末魔の叫び声を上げる執事二人をおいて、咲夜はついに自分のヘリに着いた。  
 振り返ることもなくヘリの扉を閉め、パイロットに発進を命じる。  
 
「か、返せーッ! ハヤテー!!」  
 
 ナギの叫び声がヘリの中からでも聞こえる。  
 しかし、もうすでにヘリは離陸しており、ハヤテはナギの手の届く場所にはいない。  
 咲夜がヘリの窓から見下ろすと、ナギがこちらを見上げて何から叫んでいるのと、悪鬼羅刹の如きメイドガイが咲夜の執事をリンチしているのが見えた。  
 咲夜は妹をいじめているときのような残酷な優越感に浸り、世にも恐ろしい地獄絵図を見て恐怖を覚えたりしたりしなかったが、まあそれでもヘリは自宅へと向かったのだった。  
 
「呑気な顔をして寝てるなぁ、この執事は」  
 
 ふと、気絶しているハヤテの顔を見る咲夜。  
 貧相だったが、なるほどあれほどプライドの高いナギが入れ込むのもわかるほどかわいらしい顔をしている。  
 灰色の髪の毛をそっとなぜると、中々いい心地よさで。  
 
「ふむ……」  
 
 これは愛玩用にも使えるな、とほくそ笑む咲夜。  
 この油断が、後々の不幸に繋がることも知らずに……。  
 
 
 一方、地上のご主人様とメイドガイことマリアはと言うと。  
 
「おい、マリア、三千院空軍にスクールランブル要請しろ! 対空ミサイルで撃墜しろ、街の一つや二つ消し飛ばしても構わんッ!」  
「な、ナギ……そんなものはありませんし、あったとしても撃墜したらハヤテ君も巻き添えになってしまいますよ。 近沢さんがライバルなのはわかりますが」  
「何!? ない? じゃあ作れ、今すぐ作れ! むしろ、マリア、十万馬力でジェットの限り飛んで、ハヤテを連れ戻せ」  
「む、無茶言わないでくださいよ……」  
 
 血まみれの手を拭きながらメイドガイは、ナギのわがままに応対していた。  
 もっとも、マリアも相当動揺しているのか、箒で近くに転がっていた血袋を殴りまくっていたのだが。  
 数分の時間を置いてようやく平静を取り戻したナギは、色々な方面に携帯で連絡をかける。  
 三千院の名は伊達ではなく、様々なツテがある。  
 たとえ咲夜とはいえ、そのしがらみから抜けることはできなく。  
 少々妥協しなければならない面があろうが、万が一でも取り戻すことができない、ということはないだろう。  
 しかし、マリアはそのナギの動きを止めて、携帯を奪い取った。  
 
「な、何を……マリア?」  
 
 マリアの血まみれの手の中で、携帯がめしりと音を立て粉砕される。  
 ナギはその曲芸めいた光景を見て、目を丸くし。  
 マリアはこの世のどんな演説よりも説得力の溢れた目でじっとナギを見返した。  
 
「でもまぁ、私に任せてもらえればなんとかなりますよ」  
 
 今日は夜にハヤテと会う約束があったマリア。  
 咲夜にそれをかっさらわれたと思うとやりきれない怒りがこみ上げてくる。  
 しろがねの某御仁の言葉によると、静かに燃える炎のように。  
 概してそういう炎の方が、熱く激しく燃える炎よりも恐ろしいという。  
 一旦マリアは怒りを爆発させたので説得力がないかもしれないが。  
 ともあれ、ナギに向けた笑顔の裏に、ナギの想像しえない怒りが燃えていたということは事実である。  
 
「ナギ、裏庭の秘密の花園にある植物をいくつか取ってきてくれませんか? それで少々お薬を作りたいので」  
「ちょ……お薬ってマリア。 琥……それ違う作品のメイド入ってるぞ」  
 
 様々な思惑が錯綜したまま、事態はますます深刻になっていく。  
 
 
 
 数時間後。  
 ナギとマリアは一旦屋敷に戻り、咲夜の家からの連絡を待っていた。  
 腐っても三千院直系であるナギは、各方面から咲夜に圧力をかけ、なんとかハヤテを返すことを確約させたのだった。  
 もっとも、一ヶ月に何度かハヤテを貸さなければならないことを妥協しなければならない結果にはなったが、それでも一応ナギは納得していた。  
 咲夜に義務づけさせた定時連絡まであと二分に迫っていた。  
 電話の前にかじりついて動かないナギに、マリアはそっと庭園で自分が育てていたハーブのお茶を出した。  
 ナギは無言でそれを受け取り、一口二口それを口に含んだちょうどそのとき、けたたましい電話のコール音が二人の視線を受話器に集中させた。  
 
 反射的に二人は手を伸ばしたが、やはり近かったナギが受話器を取る。  
 本来手を伸ばす立場ではなかったマリアは、ナギに自分が手を伸ばしていたことに気づいていなかったことを確認すると、自分の心の焦りを抑えようと深呼吸を一つした。  
 
『あ、お嬢様ですか? ハヤテです』  
「おお、ハヤテか! 大丈夫か? そっちで敵の宇宙人は何匹倒した?」  
『え? いや、はぁ……宇宙人はいなかったです』  
 
 ナギはハヤテの武勇伝を聞こうと矢継ぎ早に質問を投げ続ける。  
 長時間聞いていなかったハヤテの声を聞きあまりにも熱中してしまっていたせいか、ハヤテの声はまるで運動したばかりのように時折息を切らせていたのにナギは気づかなかった。  
 よく耳を澄ませば、ヌチョヌチョという粘ついた液体がかき混ぜられるような音と、水面を乾いたタオルで叩くような音と、更には咲夜のうめくような声が短い間隔で聞こえたのだが、興奮したナギにはそのような芸当はできなかった。  
 ただナギは、今までハヤテと一緒にいなかった時間を埋めるために話をし続けていた。  
 
『それでですね、咲夜様が「試しにツッコミの方をやってみい」と仰いまして、ツッコんでみたんです。 そうしたら、咲夜様、最初は痛がっていたんですけど、今では大層よろこんでいますよ。 さっきからよだれまで垂らして、気持ちいいと言ってくれるんです』  
「まあハヤテだからな。 私のハヤテが咲夜に気に入られないわけがない」  
 
 ナギは単純にハヤテを誇らしく思い、そしてそのハヤテが咲夜に早くも認められ一目を置かれている存在になっていることに得意になっていた。  
 受話器の向こう側に何が起こっているのかというのも、電話をかけてきたのが咲夜ではなくハヤテだったということもナギには別段気にならなかった。  
 ただただ、ハヤテの無事な声が聞けただけでナギは満足だった。  
 ふと、ナギは疲れが出たのか、目の前の光景が揺れたように感じた。  
 
「あれ……?」  
『ん? 大丈夫ですか、お嬢様、体調が悪いんですか?』  
「い、いや……大丈夫だ。 少し疲れたの、かな? あ、いや、もう少し話を続けてくれ」  
『え、ええ。 ですが無理だけは……うっ、出……』  
「どうしたハヤテ?」  
『あ、いや、大丈夫です。 お嬢様の方こそ、お大事になさって寝るときにはお腹を出さないようにしてください』  
「も、もう、子どもじゃないんだ。 そんなことはわかってる」  
『ん? そういえば、咲夜……様にお電話代わりましょうか?』  
「ああ、頼む」  
 
 正直なところ、ナギはまだハヤテとの会話を楽しみたかった。  
 が、それよりも咲夜にキツく言ってやらねばならない、という気持ちもあった。  
 ハヤテにタイミング良く切り出されたことをきっかけに、覚悟を決めた。  
 
 しかし、再びナギは目眩に襲われ、受話器を落とした。  
 倒れる寸前にまるでタイミングをはかっていたかのようにマリアが体を支えたが、受話器は床に何度かバウンドしナギの手から離れてしまった。  
 
「す、すまん、マリア」  
「いえ……それよりも大丈夫ですか?」  
 
 ちょうど床に落ちたとき、受話器から「いややぁ、勘弁して……」という声が漏れたのだが……その声は誰にも届くことがなかった。  
 ただ、マリアだけが事の顛末を把握しているかのように、足下のおぼつかないナギを支えながら受話器をじっとみすえていた。  
 
「私が代わりましょうか? ナギ」  
「い、いや……いい、多分、大丈夫だ」  
 
 そんなやりとりをしている最中にも、受話器からは誰も聞けない声が漏れていく。  
 
『駄目ですよ、咲夜様。 ナギお嬢様がお電話代わるって仰っているんですから。 ちゃんと謝ってください』  
『せ、せやかて……こ、こないな状態で……』  
『お笑いに生きるものは常日頃にその命を燃やし尽くさないといけない、じゃないですか。 咲夜様が仰ったんですよ?』  
『せ、せめて……抜いてぇ……も、もうあかん……またイってまう……』  
『駄目ですよ。 どんな状況でも舞台で失敗しないように自分の感情に流されないように、って。 第一、咲夜様は淫乱過ぎます。 さっきまで処女だったっていうのに今までで何回イったんですか?』  
『い、いややぁ……そ、そないなこと聞かんといてぇ……』  
『ほら、そんなに声を上げているとナギお嬢様に気づかれちゃいますよ? 気づかれたらどうなるでしょうねぇ、ナギお嬢様のことだからきっと録音してずーっと弱みとして脅されちゃうんじゃないでしょうか?』  
『な、ナギはそんなことせぇへん……ナギは……相方で、嫁……ひぅぅッ!!』  
『ええ、そうでしょうね。 ナギお嬢様は堂々としたお方ですから、きっと脅すようなことはしません。 僕もそう思いますよ』  
『そ、そうやろ……そうやから……もう堪忍……ひッ!』  
『きっと、絶対、辺り構わず言いふらして、二度と咲夜が外に出れないようにしちゃうんでしょうね』  
『ふぇ? あっ、やっ! 強すぎ……強すぎるぅッ!! いやや、そんなんいややぁぁ』  
 
 ナギはふらつく頭を抑え、受話器を拾った。  
 
「ハヤテ……すまない、受話器を落としてしまった……」  
『え? じゃあ今のは聞いていなかったんですか?』  
「ああ……何を言っていたんだ?」  
『え、いや……聞こえてなかったらいいんです。 はは……あー、ちょっと調子に乗りすぎた……心臓が破裂するかと……』  
 
 ハヤテは正気に返ったかのように、いつも通りのナギの執事で気の弱い声に戻った。  
 受話器の向こう側でナニをしていたのか、ナギの知るところではなかったが、ハヤテにしてはナニをしているのかナギに知られたくないところではあった。  
 まだ一億五千万の借金を抱えているのである、こんなところで執事を止めさせられるわけにはいかないのだ。  
 
「どうしたんだ?」  
『あ、いや、大丈夫ですよ。 ちょ、ちょっと驚いてビックリした声を出しちゃったんです、間が抜けていたんでお嬢様には聞かれたくなかったので』  
「ああ……ちょっと聞いてみたかった気もするが……」  
『そ、それにしてもどうしたんですか? 受話器を落とすなんてお嬢様らしく……あ、いや別にそうでもないか』  
「……それはどういう意味だ? ちょっと調子が悪いようだ、頭がくらくらする……おかしいな、マリアから貰ったハーブティーを飲んだはずなんだが……何故か猛烈な眠気が……」  
『あー、なるほど……そうか、マリアさんか……』  
 
 心当たりがあるのか、妙に納得した声が受話器から聞こえる。  
 
「何?」  
『あ、いやいや、なんでもありません。 それよりお大事にしてくださいね。 本当にお腹を出して寝たりしないように』  
「くどいぞ、ハヤテ。 それよりサクにかわってくれ、あいつにがつんと一言いってやらないと気が済まない」  
『ええ、今代わります。 イヤだって駄々をこねても叩いて電話を代わらせ……い、いややぁ、も、もうおしり叩かないでぇ……あ、こら、そんな大声を出さないでください!』  
 
 受話器からはハヤテの声と混じって咲夜の声が聞こえてきた。  
 今度はナギの耳にも届いたそれはナギの嫉妬深さを刺激した。  
 
「……ハヤテ、そんなことをしているのか?」  
『え? い、いやだなぁ……咲夜……じゃなかった、咲夜様の冗談ですよ。 ほら、この手の冗談をさっきから言いっぱなしで……ハハ、お嬢様と僕が仲がいいのに嫉妬しているんでしょうかね?』  
「ん? そうか……そうだな、私とハヤテの仲の良さに嫉妬しているのか……」  
 
 それをなんとかうまく切り抜けるハヤテ。  
 ナギの性格をよく知り尽くし、優越感を適度に刺激してやってうまく話をそらしていく。  
 
『そ、そうですね。 じゃ、じゃあそろそろ咲夜……ええと、咲夜様に代わりますね』  
「ああ、そうしてくれ」  
 
 受話器からは数秒の沈黙の後、咲夜の声が聞こえてきた。  
 
『な、ナギ? もしもし?』  
「ああ、サクか。 ハヤテに変なことしていないだろうな」  
『へ、変なことてあんた……むしろナギの執事の方が……ひゃ、ひゃん……わ、わかったから……やめてぇな……』  
「は?」  
『い、いや、なんでもあらへん……そ、それでなんの話やったっけ』  
 
 受話器からは咲夜の呆けた声。  
 ハヤテの言葉に気を良くしていたナギも、少々機嫌が悪くなっていった。  
 更に、咲夜はハヤテと話しているのか、電話に集中していなく、ナギの話を聞いているそぶりすら見せなかった。  
 ナギは段々とイライラしてきた。  
 
「あのな、サク。 ハヤテは私の執事なんだぞ。 普通に考えて、執事を盗むなんて行為は非常識で、未成年者略取の罪で警察につかまってもおかしくない。  
 三千院家の力を使えば、お前の家を没落させることだって出来る。  
 だがな、昔のよしみでそういうことはせず、むしろ数ヶ月に何回はハヤテを貸してやるという条件まで付けてやっているんだぞ。  
 それなのにお前は私の前で私のハヤテといちゃいちゃして……そろそろ本気で怒るぞ」  
『せ、せやかて、そないなこと言われても……すっごく、うま……ひぅ……』  
「……まあ、ハヤテは何をさせても一流だからな。 それは認めよう、だが、イチャイチャしすぎるな、サク!」  
 
 つまるところ、ナギが訴えたいことは嫉妬だった。  
 自分はハヤテに何時間もあっていないのに、咲夜はハヤテと一緒に楽しく遊んでいる。  
 そのことが悔しくて悔しくてしょうがないのだった。  
 元々はハヤテは自分のモノであるのに、それなのに咲夜がハヤテと一緒にいれる時間を奪いさったのだ。  
 恋人に対しては独占欲の強くプライドの高いナギにはそれが許せないのもうなずけると言えよう。  
 
「いいか、サク。 もし、もしだ、もしもの話だがな。  
 私のハヤテに手を出してみろ……いや、ハヤテならお前の誘惑なんてきっとはねのけるに決まっているが……。  
 万が一の話だ、万が一ハヤテに手をだした場合……絶交だからな、口も聞いてやらんどころか会うことだってしてやらん。  
 泣きながら土下座をしても、許してやらん。 もちろん、ハヤテにも会わせてやらん。 わかったな? わかったなら答えろ、サク」  
 
 溜まり溜まった鬱憤を晴らすかのようにいうナギ。  
 受話器の向こう側からはあいかわらず雑音が聞こえてくるが、咲夜の声は聞こえてこない。  
 考え込んでいるのか、それとも絶句しているのかナギにはわからなかったが、ものすごく効果はあった、と自画自賛した。  
 
『は、はん。 ナギの言うことに誰が従うかっちゅーねん。 人の気もしらへんで……ええか、今そう手を出す出さない云々言っておったけどな、今ナギの執事が何をしているか教えて……ガッ……』  
「お、おい、サク? どういう意味だ、それ! おい、サク、サク! 答えろ、サク!!」  
 
 受話器からは争うような音と、口論する声が聞こえてきた。  
 圧倒的に大きい声のハヤテと、なんだか苦しそうな咲夜の声。  
 ナギは何を言っているのか聞き取ることはできなかったが、ただごとではないことは理解できた。  
 
 おろおろとしていると、受話器の向こう側の口論はようやく収まったのかハヤテが電話に出た。  
 
『お嬢様、申し訳ありません。 咲夜が……あ、いや咲夜様がなんだかとんでもないことを口走りそうになったので取り押さえました。 お見苦しいところをお見せ……お見苦しいことを聞かせてしまって申し訳ありません』  
「ハヤテか……今サクはなんて言おうとしていたんだ? 答えろ、ハヤテ」  
『お言葉ですがお嬢様。 お嬢様にも非がありますよ。  
 いくらなんでもあそこまで言う必要は無かったじゃありませんか。  
 そりゃ、僕のことを心配してくださるのはありがたいです。 本当にありがたいですよ。  
 ナギお嬢様の優しさが心の奥底にまで染み渡るように感じます。 ですが、僕のことで親友を失うことになったら、もっと僕は悲しいですよ』  
「い、いや、だがしかし……」  
『本当はナギお嬢様も咲夜様のことが好きなんでしょう?  
 こんなことで喧嘩別れするなんて寂しすぎますよ。  
 僕は……家が貧乏でバイトをしなきゃならなかったし、つきあいが悪かったから友達もそんなに居ませんでしたが……それでも友達を失う気持ちっていうのは、ものすごい辛いことですよ。  
 ゴミのような両親に借金を押しつけられたときに経験してるから、その気持ちはよくわかります』  
 
 ハヤテにそう言われたら、ナギはもう言い返すことができなかった。  
 ハヤテの親の話は、ナギにとってもあまり触れたくない話題だったのだ。  
 それによってハヤテの心の傷を大きく広げてしまうのではないか、という配慮があったからなのだが。  
 正直、咲夜とハヤテが何か秘密を共有しているということを認めたくない、という心理もまた同時に働いていた。  
 ゆえに、ハヤテが質問に答えていないことにも気づかなかった。  
 
「そ、そうだな、私も悪かったのかも知れない……」  
『いえ、大丈夫ですよ。 咲夜様も言い過ぎたって仰ってます。 謝りたいそうです……謝らせますから……ええ、謝らせますとも……ですから、お嬢様も咲夜様に……』  
「わ、わかった……で、でも……一分だけ時間をくれないか? 心の準備が……」  
『ええ、いいですよ。 こちらも体の準備が……あ、いや……咲夜様にも心の準備が必要らしいので……』  
 
 ナギは受話器から手を離した。  
 息を整え、深呼吸をする。  
 ふと、喉が渇いたことに気が付き、マリアの出したハーブティーがぬるくなっていたことに気が付いた。  
 
「おい、マリア。 すまないが、お茶のお代わりをもってきてくれないか?」  
 
 ずっとナギの横に立ち、事の進退を見極めていたマリアは、すでにポットに新しいハーブティーをもってきていた。  
 新しいコップには、違う種類のハーブティーが入っており、少々強い香りを発していた。  
 
「……なんだか不思議な匂いだな……」  
 
 英才教育を受けていたナギは、もちろんお茶の香りでなんの種類の葉を使っているのか見極める技術も持っていたが、しかしナギにはその香りが何の葉で出されたものかわからなかった。  
 
「ふむ……味を見ればわかるが……プロとして、香りだけで判断しなければ……」  
 
 マリアが、ニコニコとやや普段より三割増しほどの笑みを浮かべているのにも気づかず、銘柄当てに夢中になるナギ。  
 そんなことをしているうちに瞬く間に一分がたった。  
 
「あ、しまった……」  
『な、ナギかいな? 咲夜やけど……』  
「ああ、咲夜か。 その……あの……少し言い過ぎた、すまん」  
『う、ウチかて、ちょっと頭に血ぃが登りすぎて……その悪かったわ。 別に怒らせよと思っとったわけやないんや、ただちょっと……』  
「いいんだ、咲夜。 私だってそういう時がある。 まあお互い若かったということだ」  
『……な、なあ、これでええやろ? ちゃんと謝ったから、な? だから、もう……え? や、約束が……』  
「……何?」  
『あ、いや、なんでもあらへん。 あらへんで。 はは……ええと、ホンマにう、ウチが……悪かったわ。 な、許してくれるやろ?』  
「許すもなにもないぞ。 もともと私も悪かったんだ、おあいこ、ということだ」  
『そ、そないなこといわんといて、「許してやる」って……そう言われなあかんのや……そうせんと、注がれて、狂わされる……』  
「は? 何を言っているんだ、サク?」  
『た、頼むから「許してやる」そう言うてーな……後生や、また注がれたら、ホンマにウチがこいつ無しでは駄目な体に……』  
「言っている意味がわからんのだが……」  
 
 ナギはまた再びイライラしてきたのを、必死に留めようとしていた。  
 ふと、受話器を持った反対の手にあったハーブティーに目がいった。  
 さきほど散々怒鳴ったせいで、喉がからからに乾いている。  
 ひょっとしてそのせいで神経が逆立っているのかも、と考え、まだ咲夜に真意を答えて貰っていないというのに、誘惑にまけ、ソレを一気に飲み干した。  
 
『あ、あ、……・いやぁぁぁあああああああ!!』  
 
 受話器から咲夜の絶叫が響いた。  
 しかしそれは恐怖のものでも苦痛のものでもなく、悦楽の絶叫。  
 膨大な量の何かを注がれて泣き叫ぶ女の声だった。  
 
 ナギにその声は伝わらなかった。  
 受話器がその音を発したときには、既にナギは意識を失い、そのままマリアにゆっくりと倒れかかっていた。  
 手から受話器が滑り落ち、また床にぶつけられる寸前にマリアの手がキャッチした。  
 同じく手に持たれていたティーカップは床に落ち、ほんの少し残っていた紅茶が絨毯を濡らした。  
 
『あ……あ、もう……もう……駄目やぁ……』  
 
 咲夜のすすり泣く声が聞こえる受話器を耳に当てるマリア。  
 その表情は、喜怒哀楽が全て失せた無表情。  
 
「こんばんは咲夜さん。 ナギのメイドのマリアです」  
『あ……ああ……』  
「単刀直入に言いますが……全て知ってますよ」  
『……あ? え?』  
「あなたと、ハヤテ君との関係です。 隠しても無駄ですよ、本当に知ってますから……嘘をついたら身のためになりませんよ」  
『……?』  
 
 咲夜はまだ錯乱しているのか、返答に困っているようだった。  
 
「ナギに言いつけたらどうなるでしょうねぇ?  
 ナギが『絶交だ』って言っていたのは……そりゃあまあ一時の感情の勢いがあったからでしょうが、ナギは本気の目をしていました。  
 きっと、どっちが手を出したか出さなかったのかは問わず、あなたとハヤテ君の関係を知ったら絶交するでしょうね」  
『え? ……何が言いたいん? べ、別にええよ、ナギとはもう……コンビを解消したっても。 ウチには……こいつがおるもん』  
「甘いですね。 もう少しナギが言ったことを思い出してみてください。  
 ナギはこうも言ったんですよ、『ハヤテにも会わせてやらん』って……まあ、ナギと絶交するのはいいとしても……ハヤテ君と二度と会わせてもらえないことになったらどうでしょう?」  
『そ、それは……』  
「みなまでいわなくてもいいです。 大丈夫、私の言ったことを二つだけ守ってくれたら黙っててあげますよ」  
『な、なんや? その二つっていうのは?』  
「簡単なことですよ。 その二つだけをしてくれれば、あなた『は』許してあげます。  
 まあ、ハヤテ君があなたに攫われたときから覚悟していたんですが……ハヤテ君、顔と性格に似合わず大きくてテクニシャンですから……」  
『は? も、もしかして……あんたも?』  
「野暮なことはいいっこなしですよ。 お互い、相当な覚悟が必要な相手に……その……むにゃむにゃしてしまったわけですね」  
『は、はぁ……』  
「それで、まあ、やってほしいのは……今注がれたものを、全部かきだして、ハヤテ君に飲ませてあげてください」  
『え?』  
「名残惜しいですか? ですが、もししなかったらもう二度とハヤテ君には会えなくなるんですよ?  
 三千院家の力を使っているとはいえナギが守っているなら、ハヤテ君を取り戻せる、なんて考えは今のうちに捨てておいてください。  
 ハヤテ君を守るようになるのは、ナギだけではなく私もですから……出し抜けるとは思わないでください」  
『う……わ、わかったわ。 ほんなら、今すぐに……』  
 
 受話器の向こうからは、争う音と「や、やめてください、何をするんですか……いや、やめてー」というハヤテの悲痛な叫び声が聞こえてきた。  
 
『はぁはぁ……や、やったで……この後お仕置きされることになってしまったんやけど……』  
「ふふ、ご苦労様です。 大丈夫、お仕置きをされないように、もう一つのお願いことをするんですもの」  
『は? はぁ?』  
「大丈夫、簡単なことです。 ハヤテ君に伝言を頼みたいだけですから……『帰ってきたら地獄のメニュー』とね」  
 
 マリアは言いたいことだけいったら、受話器を電話機に戻した。  
 無表情だったマリアは今ちょうど絶望に浸って青ざめているハヤテの顔を思い出して、残酷にほくそ笑んだったのだ。  
 
 
 シナリオ分岐発生!  
 
 「受話器の向こう側には一体どんなファンタジーがあったのか!? 咲夜とハヤテのお笑いレッスンの裏側を見に行く!」ルート  
 
 「サキが新年の挨拶に自分の主人と一緒に三千院家にやってきた! 恰好つけてハヤテに対しマリみての真似をしようとし、ずっこけうっかり押し倒してしまうお約束な展開にッ!  
 胸の高まりを抑えつつ、なんとか身を引くサキだが、その現場を見る二つの影……咲夜とマリアがしっとの炎に燃えてサキに襲いかかる!  
 『しっとの心は父心ーー』と叫ぶ謎のしっとマスク団に拉致されたサキは、お仕置きだ、と称され、関西弁をしゃべるしっとマスクと胸の大きさが見る角度によって変化するしっとマスク達に下着の中にローターをしこまれてしまう!  
 無事解放されたものの、三千院家の中でローターをつけたままで過ごすことを強制されてしまうサキ。  
 何故かお笑い美少女と、仮面のメイドガイこと聖母のようなメイドに近寄るたびにローターの振動が変化し、はしたなくも何回もイかせられてしまう……。  
 早く帰りたい、という希望をのせて庭に出るサキ……庭の池で転落へのきっかけになった人物と再び再会するのだが……以降、サキルートに繋がる大事な分岐」ルート(推奨)  
 
 君は……どっちへ行くんだい?  
 
【続く?】  
 
 
 

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