「磨き方が悪いと思うねん」  
 
 午前2時。  
 借金執事は皿洗いを終え、ようやく寝床につこうとしていた。  
 
「うわぁあ咲夜さーん!!こんなところでいったい何を───!!」  
「少し・・・静かにしてくれへん?今夜はそういう気分やないねん・・・」  
「咲夜さん・・・(あれ・・・デジャヴ?)  
 ・・・ではどういう気分で僕の部屋に?」  
「夜遅くに美女が部屋に訪ねてきてんねんで。そんなん決まってるやないか・・・」  
「それで磨き方というのは何のことです?」  
「えらいノリが悪いな。まあええ。この間、ウチは確かに虫歯は直してもらった」  
「はぁ・・・(眠い・・・)」  
「せやけどな、一応ウチも毎日歯は磨いとんねん。磨き方が悪いから虫歯に  
 なってしまうと思うんよ」  
「へぇ・・・(でっていう)」  
「つまりハヤテはウチの歯を磨くべきだと思うんよ」  
「いやそのりくつはおかしい」  
 
 
「・・・・・・・・・まぁ、  
・・・・・・まぁいいでしょう。お嬢様のお友達は僕のお嬢様も同然!!!  
ですからこの綾崎ハヤテが三千院家執事として正しい歯の磨き方を教えて差し上げましょう!!  
 (はいはい 三千院家の執事 三千院家の執事)」  
「ハヤテはん最高や!巻田・国枝なんか最初からいらなかったんや!」  
 
 他人に歯を磨かれる行為にはかなりの心理的抵抗が生じるはず・・・。  
 5分も耐えることができたらいいほうだ。  
 さっさと始めて咲夜さんには早いところお帰りいただこう。  
「では、そこに座ってください」  
「はいはい」  
 ベットに腰掛ける咲夜さん。  
 気遣いも何もないから、その動作に対してスカートがめくれ放題である。  
 咲夜さんは子供だから僕は気にしないけれども。  
 そんなことを思いつつ僕はその横に座った。お隣さん。  
 歯ブラシに少なめに歯磨き粉をつけて、体を捻り、咲夜さんの後頭部に左手を添える。  
「あーん」  
「あーん」  
 口を開かせ、そして歯ブラシを差し入れた。  
 後悔するがいい。  
「も・・・・・・もぐぉっ!?」  
 咲夜さんがようやく己の陥った危機的状況を把握したらしいのは、  
勝負開始(何のだ?)からおそよ1分が経過したときだった。  
 表情に異変が走る。  
 異変というより、それは激変。  
 これまでみたこともないような、驚愕と  
 そして恍惚の表情である。  
「ひ・・・・・・ひぐう、ぐ、ぐうっ!?」  
 いやそのはんのうはおかしい。  
 
 恍惚?  
 いやいや、気のせいだ。  
 あと2分も攻めれば僕は静かな眠りにつける。  
「ぐ、ぐ・・・・・・ぐぐぐっ・・・はぁう」  
 奥歯の内側、歯と歯茎の境目あたりをしゃこしゃこと重点的に磨いてやると、  
咲夜さんは敏感に反応した。身体がびくびくと痙攣している。  
 白目を剥きかけてさえいた。  
 そんなに嫌なら耐えなければいいのに。  
「ひ、ひう・・・・・・はう、はう、はう。う・・・・・・ぐ、はぁ、はぁ」  
 しかし  
 僕はすべてを見誤っていた。  
   
 僕は咲夜さんの舌を磨きにかかった。  
 しかも舌の裏だ。  
 もうむき出しの肉と言っていい部位である。  
 さっさと音を上げたほうが楽になれますよ。咲夜さん。  
 あと一分が限度というところだろう・・・。  
「・・・・・・・・・っ!?あれっ!?」  
 が。  
 あと一分が限度だったのは、むしろ僕のほうだった。  
 
「あふっ・・・・・・ふ、うううっ。う・・・・・・うんっ」  
 ・・・・・・。  
 まずい!  
 喘ぎ声にも似た咲夜さんの声を聞いていると、すごく妙な気持ちになる。  
 ドキドキする!  
 咲夜さんのリアクションにいちいちドキドキする!  
 本来なら汚いなあと思うだけのはずの、咲夜さんの口の端から  
 僅かにこぼれる涎にさえ、変な愛着を感じる!  
 すぐにこの手を動かすのをやめないと、このままだととんでもないことに  
なってしまう。  
 そう思うにもかかわらず、それがわかっているのにもかかわらず、  
 僕の手は自分の意識を遠く離れ、まるで自動機械ではるかのごとく  
その動作を止めなかった。  
 むしろ動きはよりハードになった。意識すればするほどに。  
 咲夜さんの痙攣がより激しくなる。  
 歯を食いしばれない代わりにだろう、彼女はベッドのシーツを固く握りしめているが、  
そんなことで抑えられるような痙攣ではなかった。  
 顔なんか火が出るほどに真っ赤である。  
「・・・・・・うわ」  
 思わず声が出てしまった。すんでのところで呑み込んだが、  
 喉のところまで出掛かった続きの言葉は、僕自身を驚かせるものだった。  
 うわ。  
 すごく可愛い。  
 
 僕は、ひょっとしたら僕は─────  
 咲夜さんの歯を磨くために生まれてきたのかもしれない。  
 全ては手遅れである。  
 最早流れに身を任せるしかないのだった。  
「さ・・・・・・咲夜さん」  
 気がつけば──知らず知らずのうちに、僕は咲夜さんをベットに押し倒していた。  
 左手は後頭部に添えたまま。  
 身体を乗せて、咲夜さんを押し倒した。  
 咲夜さんを見る。咲夜さんを見詰める。  
 うっとりしているかのような。  
 とろけているかのような。  
 そんな咲夜さんの表情だった。  
 へヴン状態である。  
「咲夜さん。咲夜さん。咲夜さん─────」  
 主の親友(14)の名前を連呼する。  
 そうするたびごとに、身体の奥の芯から熱くなるようだった。  
 咲夜さんの身体も、熱い熱を帯びている。  
「お、お兄ひゃん・・・・・・」  
 
 お、お兄ひゃん─────  
 焦点の定まらない瞳で。  
 咲夜さんは言った。  
 口の中に歯ブラシを挿入されていることもあって、  
 いやきっとそれがなくても、呂律が回らないようだったが。  
 それでも言った。  
 それでも健気に、咲夜さんは言った。  
 お兄ちゃん!?誰!?何で!?  
「おにいひゃん・・・・・・いいよ」  
 何が!?標準語!?  
 ツッコミが追いつかない。  
 僕のテンションもぐちゃぐちゃに融けていた。  
 ぐちゃぐちゃで。ぐちょぐちょで。  
 じるじるで。じゅくじゅくで。  
 うぞうぞして。うにょうにょして。  
 ざくざくして。ぞくぞくしていた。  
 僕は。  
 咲夜さんの後頭部に添えていた左手を優しく外し、  
 そしてその手をそうっと、彼女の胸に伸ばして───  
 
「・・・・・・何してはるんどすか」  
 と。  
 無粋な。  
 野暮な。  
 艶消しな。  
 いや、救済の声が割り込んだ。  
「伊澄さん・・・」  
 

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