ある日の学校帰り、愛歌さんがお屋敷に遊びに来た。  
このお屋敷はお嬢さまのお友達である、咲夜さんや伊澄さんの出入りは多いものの  
愛歌さんとは同学年であるが、これといった共通の趣味も無いのでプライベートを過ごすことは、親族の集まり以外では少なかった。  
お客様とあると同時に大切な親族なお方なので、くれぐれも粗相の無いように、とマリアさんに忠告され  
だから、僕はいつもより少しだけ気持ちを新たにして接客に当たることにした  
まぁ、用事という訳じゃなく、ただ遊びに来ただけと本人は言っていますが…  
 
「こんにちは、綾崎くん。」  
 
品の良い声が屋敷内の空に響く  
和服姿以外ではあまり彼女を見かけたことが無かったので、制服姿は目新しかった。  
同じ学校に通い、同じ2年生、更には同じクラスなのだが、クラスでは千桜さんやヒナギクさんと仲が良いので  
三千院家の親族とはいえ、自分とは縁が薄い。まぁ、ここの執事ではあるが、自分は元々、親族でも何でもないし…  
それでも、彼女独特の親しみやすさはどうやら僕の波長とピッタリで合って、気がとても楽であった。  
理由としては、幼少の頃から常に大人との付き合いがあったし、年上のほうが幾分か馴れやすいというのもある。  
そして何よりもマリアさんと同じ雰囲気を感じ取ったから。  
 
 
「ふーん…」  
 
お嬢さまに挨拶をしたいとおっしゃったので  
正面玄関から先の横幅広い階段を上がり、2階にある客間に案内する。  
愛歌さんは僕の後ろについて行きながら、廊下をキョロキョロと見渡していた。  
綺麗な模様をした縦長の嵌め込み式ガラスから赤い光が差し込み、それが夕方の時間と知らせる。  
今日は授業が遅く終わったし、愛歌さんを食事に誘おうかなと考えていたとき。  
 
「ねぇねぇ、綾崎くん!」  
 
突然、袖をグイッっと後ろから引っ張られ  
まるで小さな子供が新しい玩具を見つけて、喜ぶかのように愛歌さんが声を出す。  
 
「この壺って幾らくらいで売却できるのかしら?」  
 
後ろを振り向いた先には  
気のせいか奸計の表情を浮かべた愛歌さんが  
そして片手には人の頭サイズの壺を持っていた。  
 
「ちょ…えええっ!?、駄目ですよ!」  
 
確認してみると  
愛歌さんの後方の窓際の台に置かれていた壺が消えていた  
どうやら、そこから持ち出したらしい。  
 
「ふふ、綾崎くん…そんなに慌てなくても」  
 
クスクスと口元に手を当て笑いをこらえる  
そういえば、愛歌さんって偶にクラスでもおかしなことをしてくるんだよなぁ  
おかしなことというか、行動が奇妙というか。  
 
お嬢さまがサボったこの前は、教室で一人で昼食を食べようとしたら  
横から現れて、これおかずに食べてと言われて手のひらを覗き込んだら  
昔の懐かしい、ハンバーグの形をしたにおい付きの消しゴムだったりとか。  
千桜さんとなにやらニタニタしながら話していて、どこから出したのか  
手帳になにやら書き込んでいて、その後、千桜さんが赤面してその場から逃げ出したり  
あれは脅しているようにも見えなくはなかった……ような気がする。  
 
「もう…驚かせないでください」  
 
「はいはい」  
 
とぼけた顔と同時に、また妖しい表情を浮かべる愛歌さん。  
 
壺を元の場所に戻して再び廊下を歩く  
また妙なことをやらかさないようにと、今度は愛歌さんの隣に並んで歩く  
客間に着くまでこの長い廊下を渡らないといけないから、それまで色々話すことにした。  
今日の学校であった出来事や、テストが近いこと。  
そこで愛歌さんの苦手な教科は体育と知った。  
 
「頭は使うことは嫌いじゃないけどね…体はあまり丈夫じゃないし。」  
 
天井を見つめつつ、人差し指を唇に当てながら歩く  
僕はむしろその逆で頭は使うことは苦手だけど、体は丈夫だ。  
前に乗用車に跳ねられてもあまり怪我はなかったと、笑い話交じりに伝えた  
案の定、ケダモノを見るような目で見られましたよ…ええ。  
 
「ところで、綾崎くんは彼女は居るの?」  
 
「何ですか…急に」  
 
ここまで、実に学生らしいことを話し続けたせいか  
マリアさんの忠告を破り幾分か砕けた口調になってしまった。  
少し間をおいて返事をする。  
 
「そんなの…いませんよ」  
 
脳裏に一瞬掠めた、あの日の出来事。  
彼女はいないけど、この人の傍にあり続けたいという人は出来た。  
誰も頼る人が居なくて、何もかも絶望的になった、あの冷たい雪の日。  
それ以来ずっと気にしている人はいる。  
 
「ふーん」  
 
愛歌さんはつまらなさそうな返事をし、少し自分のほうにもたれかかるように  
身体を傾け、上目遣いでこちらを覗き込んできた。  
もう…人をからかうのもいい加減に、と思ったときであった。  
 
「あっ!!」  
 
突然、愛歌さんが大声を上げ、指を廊下の奥のほうへ指す  
今度は一体、何事かと思い廊下の奥のほうを見渡すが  
廊下が左右に分かれた道と壁にかけられた壁時計以外何も無い。  
 
そう…気が緩んだ瞬間だった。  
 
 
ドンッと軽い衝撃と同時に  
僕は声を出す暇も無く、ドアが開けっ放しであった  
真横の部屋の暗闇の中に吸い込まれた。  
 
廊下には壁時計の針の音が刻む音以外  
物の気配が消え失せた。  
 
 
既に私服に着替え、客間に居るこの屋敷の主人は  
定期的に購読している雑誌を読みながら、レモンティーを飲みつつ  
二人の到着を待っていた。  
 
が、数十分ほど前にマリアに用意されたレモンティーは  
既にナギのお腹を満たし、上質なソファーにゴロンと横になっていたのだが  
いかんせん二人がちょっと遅すぎる。  
 
ナギはどうしたものかと心配し、ガラス製のテーブルに置かれた呼び鈴を鳴らそうとしたが  
そんな彼女の心情と行動を理解したのか、両開きの扉の傍に佇んでいたマリアがナギの方へと近づいた  
 
「私、ちょっと探してきますね。」  
 
「うん? ああ…あの二人に限って何も無いとは思うが……よろしく頼む。」  
 
彼女もこれまでの彼の性格から生真面目なことは把握していたし信頼も寄せている。  
決して人を待たせるような人ではない、もしや何かがあったのかと?  
だからこそナギと同様に不安になり始めた。  
 
 
マリアはナギの指示に従い客間を出て行った―――――――――  
 
 
「あ…愛歌さん…?」  
 
ハヤテは事態が理解できていなかった  
突然、愛歌から勢いよく抱きつかれ、そのままドアが開きっぱなしだった暗闇の部屋の中に吸い込まれると  
愛歌は素早く内側から部屋の鍵を施錠した。  
 
この部屋は、普段使われていない空き室なのだが  
客人が泊まる場合に備えて、机とベッド、クローゼットだけは最低限一通り揃っている。  
勿論、この部屋だけではなく、同じような部屋が何室もあるのだが、この部屋はその中の一つであった。  
定期的に掃除はしているので埃や塵が積もることなく清潔なままである。  
ただ、この部屋は窓が無い密室の部屋である。  
外界からの光は入ってこないため、互いの姿があまり見えないのであった。  
 
閉め切った部屋の息が詰まるある種の緊張と温度。  
ハヤテは次第に暗闇に目が慣れ、目の前に愛歌がいることを確認した。  
 
「どうして…」  
 
ポツリと投げ捨てたような台詞を吐く  
いつもなら、少し怒り口調で愛歌を叱ることもできたであろう  
しかし、普段の大人しい彼女から感じ取れる雰囲気が違った。  
薄っすらと暗闇の中で佇んでいる、彼女の恍惚な艶かしい表情に思わずドキリとする。  
わざとそのようにしているのか、ハヤテには分からなかった。  
 
密室で男女が二人きりという状況が否応にも  
ハヤテの感覚や思考を麻痺させる、二人の間に沈黙が数十秒間続いたが  
それを破ったのは愛歌の行動だった。  
 
「ねぇ…綾崎くん…?」  
 
まるで何十年間付き合ってきたかのように甘えた声を出す。  
それまで、二人の距離は半歩開いていたが、愛歌が接近したことにより隔てた距離は無くなった。  
そして愛歌はハヤテの腰に手を回し、ゆっくりと抱きしめた。  
 
「え…あの…その……」  
 
ハヤテはそもそも状況がサッパリ把握できなかった。  
今日は遊びにきただけと言っていたから、客室に案内しようとしていたのに  
どうしてこんなことに。  
 
ハヤテの身体から冷や汗が流れる  
口の中はカラカラに乾いて、心臓が煩く鳴り止まない。  
彼女を引き離すこともできず、またもや抱きしめられたまま沈黙が流れた。  
ゴクリ…と唾を飲み込んだ時、愛歌は妖しい顔を浮かべた。  
 
「今、私の事でえっちなことを考えた?」  
 
暗闇の中、ハヤテの胸板を擦りつけながら  
上目がちで顔を覗き込んでくる、同時にミントの良い匂いがした。  
 
「え…あ…それは………っ!」  
 
思わず顔を逸らそうと瞬間  
ハヤテは愛歌に唇を奪われていた。  
身をよじり、彼女を引き離そうとするが、既に頭に腕を回されて引き離すことができなかった。  
全力で抵抗すればいいのだが、それはできなかった。何故なら――――  
 
「んっ…はぁ…あっ……ぁ」  
 
暗闇の中、淫らな声が部屋の中を満たす。  
愛歌は欲望を満たしながら、ハヤテの身体にのめり込むように体重をかけ  
そのままの勢いで、バフッという音と同時にハヤテをベッドに押し倒して欲を満たし続ける。  
そのままたっぷりと数分間、口内を犯し続けゆっくりと口を離した…  
 
「は…ぁ……」  
 
目の前にいるハヤテはすっかりと弛緩しきって惚けている  
短い吐息を途切れ途切れに繰り返しながら、懸命に酸素を求めているその姿は  
思わず、異性である愛歌でさえ可愛らしいと思うほどに昇華していった。  
 
「キスは…初めてだった?」  
 
馬乗りの姿勢になり、人差し指でハヤテの唇をそっと撫でる  
胸元に結ばれている、執事服のリボンとボタンを解き、身体とYシャツを晒しだす。  
ハヤテは乱れた呼吸のまま、寝起きで気だるさそうに愛歌に視線を合わせた。  
 
「いえ……それは…」  
 
顔を赤くしつつ、愛歌の視線から逃れるように目を逸らした。  
 
「ふふっ、ハヤテくん、ウブで可愛い」  
 
より親密になったかのように、下の名前で語りかけてみる。  
愛歌はハヤテの見せるしぐさがとても愛おしかった。  
まともなキスすら恐らくはしたことがないであろう、彼の全てを欲しいと思う。  
ハヤテくん、と愛歌はハヤテを呼びかけるとハヤテの左手首を掴み  
そのまま自分の胸に押し当てた。  
 
「え…あ……」  
 
ハヤテは愛歌のとった行動に絶句し、それがきっかけでほんの一瞬我に返る。  
学校生活で彼女から好かれる行動はしてないし、した覚えも無い。  
プライベートでも気を引いた覚えは無い。寧ろそっち方面は不器用なほうである。  
 
しかし、だからと言って手を引っ込むことができなくて、そのまま呆然とした。  
愛歌はハヤテの手のひらを自分の胸を覆うように押し付け、下着を脱ぎ  
ハヤテの名前を呼びつつ嬌声をあげながら自慰行為にふけった。  
 
「ふっ……あっ…はっは………はっ…はや…てっ……くん!」  
 
ギシギシと年代もののベッドが鈍い音を立てながら揺れる  
暗闇に響くのは二人の嬌声とベッド以外は存在しなかった。  
愛歌は時折、腰を曲げハヤテにディープキスをしながら、全身の甘い痺れを堪能する  
腰もまるで暴れ馬に乗馬したかのようにスライドさせ、快楽へと耽っていく。  
ハヤテは今にも決壊しそうなダムのごとく、声を押し殺し、シーツを掴み、必死に堪えようとするが  
次から次へと迫ってくる快楽の波はもはや限界であった……が  
 
「ハヤテくーんっ!」  
 
その時、二人の世界を壊す声が部屋の外から聞こえた。  
二人はまるで親に隠れてイタズラがバレた子どものように、ビクリと反応し夢から目が覚めたように、お互いの顔を見合わせていた。  
乱れた髪、赤みがかかった顔と頬に流れ落ちる汗、しわくちゃになったはだけた服。  
今まで夢中になって自分達が何をしていたのか、無意識によって気づいているようで気づかないことはある。  
 
「うわ…」  
 
声がピッタリと重なって、ハヤテはなんとか冷静に今の現状を把握しようと努める。  
お客様を案内するつもりが、それを無視して無理やり犯されました。なんて言える筈が無い  
いや、たとえ言ったとしても信じてはもらえないだろう。見つかればクビである。  
ナギとマリアが軽蔑の顔をこちらに向け、激怒する顔が容易に想像できた。  
 
「どっ…どうします?」  
 
馬乗りにされた体勢で愛歌に尋ねる。  
天国から地獄と落ちるという言葉がこの場では当てはまるのであろう  
見つかるのも時間の問題である。もはや、絶体絶命であった。  
 
しかし、愛歌の口から出た言葉は暢気なものであった。  
 
「別に…どうもしないけど?」  
 
何事も無かったようにしれっと言ってみせる  
ハヤテは何をふざけて冗談を言っている場合じゃないと思っていたが  
愛歌は続けて口を開いた。  
 
「仮に見つかったとしても、マリアさんに泣きついて綾崎くんに襲われたことにするから。」  
 
「なっ!?」  
 
そう、ナギとマリアは愛歌の腹黒さは知らない。  
むしろ、病弱で大人しいお嬢さまとして印象が通っており、親戚の間でも誰一人疑っていなかった。  
しかし、ハヤテは学校で彼女のクラスメイトととして、どちらかと言えばお茶目さん。  
仲が良い人同士では明るいほうであった。つまり、猫を被っているのである。  
 
ハヤテは業務を真面目にこなしており、主人や周りの評価に対して印象は良い。  
間違っても女性に手を出すということは無いように思える、とは言っても唯一人、マリアには多少は警戒されてはいた。  
何故ならこの屋敷は広大だが、使用人嫌いなナギはごく親しい者しか自分の手元に置かなかった。  
この屋敷は基本ハヤテ、ナギ、マリアの3人しかいない、女二人に男一人、つまり、ハヤテは手を出そうと思えばいつでも手を出せる。  
もちろん、ハヤテはそのようなことは一度も考えなかったが………多分。  
 
普段の印象からして、異性には軽い方じゃないと思われている。  
だからこそ、そのギャップを利用して愛歌はハヤテを苛めようと策略を考えていた。  
彼女はここぞという時に悪知恵が働くのである。  
そして、上手くいった時は腹黒さがついつい表情に表れてしまう  
しかし、今はそれどころではないハヤテは愛歌の顔には気づかなかった。  
 
「…助けてください」  
 
涙目の枯れた声が小さく室内に響く  
その懇願に愛歌は思わず、もっと苛めたい欲望に駆られるが流石に我慢した  
我慢しないと…………もっと無茶苦茶に壊したくなるから。  
 
「じゃあ…条件がありますわ」  
 
腰を曲げ、顔を近づけ内緒の話をするかのようにハヤテの耳元に囁く。  
 
「綾崎くんの好きな人は誰?」  
 
「ふぇ…?」  
 
ハヤテは聞き取れてはいたが、理解するには数秒かかった。  
状況からして、もしやとんでもないことをやらされるのかと想定していたからだ。  
しかしここは愛歌さんです。と答えなければいけないのかと思いきや  
 
「ちなみに私と答えたら直ぐにマリアさんに知らせますわ、早く正直に教えてくれませんと…」  
 
キスするかのように近い距離で、甘く脅し、語りかける。  
ハヤテは精神的にも余裕が無かった。  
 
「だから!……そのっ!」  
 
何故、そのようなどうでもいいことを聞いてくるのか疑問だったが  
先ほど脳裏に掠めた女の子がチラついてくる  
今の状況を抜ける事が出来るならと恥らいつつハヤテは口を開いた。  
ドアの外からマリアの声が次第に大きくなってくる  
もはや、見つかるのは時間の問題であった。  
 
「……へぇ、本当に?」  
 
「本当ですってば!」  
 
「そう……」  
 
ハヤテの必死な訴えは嘘を言っているようには思えないと判断し  
ギシリと音を鳴らしハヤテから離れ、ベッドから下り、乱れた制服を整える。  
行為の最中に脱いだ縁取りが青色の下着をベッド上に見つけるが、特に気に留める様子も無くハヤテに背を向け制服のポケットに仕舞っていた  
小さな手帳とペンを取り出してニタニタしながら何かを書き込むと、スカートを翻しハヤテの方に顔を向けた。  
 
「後はまかせて、楽しかったわ綾崎くん」  
 
愛歌はそう言い捨てるとドアの方に向かって歩き、鍵を開けドアを開けた。  
薄暗い闇の中から廊下の差し込む光により、視界が一気に眩む。  
しばらくすると廊下でマリアと出会ったのか、談笑する声が響き  
それから、遠ざかっていくように二人の声は消えた。  
 
 
 
 
ベッドにただ一人取り残されたハヤテは  
愛歌の行為を改めて思い返し、ただ一人赤面するのであった。  
 
 
 

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